真老は忙しい。エデンの実務はノーマンとアビゲイル、惑星研究所の実務はロビンと野田がやっているが、最終確認は当然、真老の所に来るからだ。
実務の他にも、真老はいくつも研究プロジェクトを指揮している。
しかし、それでも時間を取ろうとしていた。
「集中講義、ですか?」
「未来人である事は公開されてしまったのだからね。もはや隠し通す事は出来んだろう。ならば、惑星開拓のノウハウについて教えても構うまい。期間は一か月を四回の四ヶ月だ。アビゲイルくん、ノーマンくん、ロビンくん、野田君達にも順番に出てもらうよ。それに、そろそろ定期便だけではなく、出張の為の小型宇宙船がいくつか必要だ。そう思わないかね? それと、私の後継の十幹部の欠員3は、アビゲイル君、ノーマン君、ロビン君を採用し、以後十仙とする。学んでほしい事が数多くある。いいかね? ああ、本社は賢狼の開拓が終わり次第移転するから、その準備も頼む」
「はい!」
ロビンは、意を悟って顔を輝かせた。
ロビン号の夢再びである。それに、十幹部、いや十仙は真老から直接、様々な研究を託される立場だ。
身が引き締まる思いに、ロビンは襟元を正した。
その一方で、地球の本社が支社になる事に悲しみを感じていた。
「集中講義の第一陣が終わったら、賢狼まで出立する。君も来てくれたまえ。会わせたい方がいる」
「会わせたい方?」
「分類としては準知的生命体だが、扱いは高位生命体だ。神犬族と呼ばれていてね。長は予知とテレパスを司る。彼らは犬のような生態でね。優れた知能は持っていても、それを発展させる手が無かったのだ。日本では神犬族の神託を得る事が博士号を取った物の義務でね。我が社でもその風習は引き継ぎたいと思う。いや、これから創るのかな? それで、まずロビン君、君を会わせたい。といっても、こちらでは私も初対面なのだがね。レディから言葉を学んでおいてくれ」
ひらひらと手を振って見せる真老。
「知的生命体! 初交渉!」
アビゲイルとノーマンが思いのほか上手くやっている為に、惑星監督官としての実務を奪われそうだと言う悲しみは一瞬にして吹き飛んだ。実を言うと、最も難しい交渉事はやはり地球に集中し、しかも研究はエデンや賢狼に移転する事が決定しつつあり、ロビンは地球支社に釘付けにされそうだったので、危機感を感じていた。
優秀であると言う事は、惑星研究所では最低限の条件だが、不利になる要素でもあるのだ。何故なら、優秀であると言う事は替えが効かないと言う事。つまり、惑星研究所の溢れ出る魅力的な仕事の中の一つを押し付けられ、他のより魅力的な仕事に行けないと言う事を意味するのだから!
贅沢過ぎる悩みだが、本人達は真剣である。
いっそ外部からネゴシエイターを引っ張ってきたいぐらいなのだが、例え事務でも科学に精通しないとやっていけないのが惑星研究所である。
そうなると、やはり高い頭脳と専門知識、そつのない交渉術を持つロビン以上の人材はいないのだ。
アビゲイル、ノーマン、野田。ぶっちゃけ、誰にも自分の後釜に据えられる人間はいないだろうというのがロビンの予測であった。
実際、テロを許すと言う最大の不手際を起こしている。涙涙で諦めかけていた所にこれだ。
もちろん、知的生命体との初交渉と神秘的な予知は歴史に残る出来事である。
地球からは長く離れられないだろうが、これはそれに匹敵する大きなプレゼントであった。
ロビンは早速せっせと準備を行うのだった。
その一週間後、博は賢狼の第一次開拓計画書と講義の申込用紙とにらめっこしていた。
行くか迷っているのではない。何を準備すればいいのかで迷っているのだ。
講義と言うからには、勉強だ。真老自ら教鞭をとる講義で、失敗は許されない事は痛いほどわかっていた。
応用方法を知るには、まず基礎から知らねばならないのである。
しかし、博はまともに教育を受けてはいなかった。そもそも、彼は中卒である。
付随のテキストを開くが、比喩でなく、一文字だって読めなかった。いや、それがアルファベットであり、漢字であり、数値である事は理解できた。しかし、それまでだったのである。
しばしにらめっこを続けると、博はおもむろに立ちあがり、半蔵の所へと向かった。
難しげなことはロボットが知っていると言う浅はかな思いつきであった。
「どうしたでござる、博?」
「講義を教えてもらう事になったんだけど……どんな事やるのかな? 予習して行った方が、良いと思うんだ」
ぼそぼそと遠山が言うと、半蔵は少し静止した後、事も無げに告げた。
「今テキストの内容をダウンロードしたから、一緒に勉強するでござるよ!」
博はほっと息をついた。
それから講義までの一か月、博は懸命に勉強した。
律儀な博は、エデンの日記にこう書いた。
「半蔵に、惑星開拓の講習の予習を教えてもらってます。凄く難しいけど、なんとか一月の間に覚えられそうです。賢狼に行く為に頑張ります」
その日記から、エルウィンやアレックス、半蔵の所に分厚いテキストを持った人間が多数参上する事となったのであった。
何の事はない、皆テキストの内容に戸惑っていたのである。
目を丸くする博と半蔵の元にも、はにかんだアビゲイルとノーマンが現れたのだった。
そして一ヶ月後。ついに、講義が始まった。
講義はエデンで行われ、なんと監督官のロビンが隣の席だった。
遠山は気を引き締めて、真老の顔を見ようとしたが、どうしても視線は横へと向かった。
それも仕方ないかもしれない。ロビンですら、横にずらりと並んだ番号の書かれた大小の宇宙船やロボット群に目が釘づけだったのだから。
机の上には同じく番号が書かれており、遠山の視線が3と描かれた宇宙船に行くのは仕方のない事だった。
「では、惑星開拓講習を開始する。」
真老が口を開いた。
講義は非常に厳しかった。予習が当たり前で、真老が口に出すのはテキストの補足事項ばかりだったからだ。
テキストはすぐに補足の追加で真っ黒になった。
そして、ついに武美と真老がそれぞれ生徒達を連れて宇宙船へと入って行った。
宇宙船には五種類ほどタイプがあり、生徒達は自分の宇宙船の操縦の講義のみを受けた。
と言っても、AIによる自動操縦が主で、決して手動に切り替えない事、手動で動かしたい場合はまた別の専門講習を受ける事を念押しされた。
博は、その講習の申込用紙をその場で書いた。書かない者はいなかった。
博に与えられた宇宙船は、三番なので博はサードと名付けた。そのまんまである。
それは十人+レスキューロボ一体乗りで、博を除いて三人までの操縦登録権と二十人までのクルー登録権を貰った。もちろん、死んだり休んだりと言う交代は十分あり得るので、すぐに全員分の登録を済ませるのは愚かだと博にもわかった。講習などの関係上、ある程度は先に決めてしまわないといけないのもわかった。半蔵が運転出来るから、しばらくは一人でもいいのだが、実習も兼ねて賢狼にはこの宇宙船で行くようにと告げられてしまったから、博はクルーを限度いっぱい連れて行く事に決めた。一人では何も出来ない事を知っていたのである。幸い、正社員となった博には予算も降りると言ってくれた。
講義が終わると、博は妻の小枝子と田中に別れを告げ、賢狼に出発する為に地球へと舞い戻った。
そして、惑星研究所の保有するホテルで一泊すると、ハローワークへと向かった。
『賢狼開拓のクルー。仕事。雑用、毒見、宇宙船の運転。命の危険あり。報酬、衣食住プラス月五万円のお小遣い。詳しくはマーズホテル205号室まで』
……遠山は、自分では何も出来ない事を知っていたが、人の雇い方は知らなかった。