遠山博個人は、瑣末な人間である。
それは、事実である。しかし、遠山博が振り絞った勇気と努力は、瑣末でない人間とのコネを作りあげていた。
この場合、それは田中悟であり、軍人であり、コックであった。田中悟は掲示板のやり取りを纏めた大ベストセラー、『今、エデンだけど何か質問ある?』シリーズのスレ立て人であり、エデンの小さな、しかし初の農場を経営する男である。
気さくな彼は、遠山の願いを聞き入れ、彼にとって当然の選択をした。
某巨大掲示板のスレで、問うたのである。
即座に帰って来るレスポンス。
「よし、俺が意見纏めておくから、遠山さんは何か見せたい物があるか、各国の人に聞いてきなよ」
なるほど、何を見たいか、何を見せたいかを聞いてそれのすり合わせをすれば、双方が幸せになるはずである。博は田中の提案に頷き、増えた知り合いのつてを辿る事とした。
それは、エデンに夢いっぱいの子供達がやって来ると言う知らせの広がりをも意味した。
博はまず、アメリカの気の良い軍人に会いに行った。
「ああ、じゃあ軍事演習を見せてやるよ」
次に、イタリア、日本の料理長の所に行った。
「ちょうどレパートリーが増えて来た所だったんだ」
次に、妻の所に行った。
「ええ、色んな動植物を紹介してあげる」
これで、博の交友関係は打ち止めである。
ただし、彼らの情報網はここから伸びて行くのだ。
彼らの上司、同僚、部下、交友関係、取引関係などを伝って、すぐさま情報は伝わっていく。
そもそも、子供達に自分の偉業を見せる事に微笑ましさを感じない人間は少ない。
直に、博の元に子供達を快く招待するという手紙が届き、最後にフランスが自分を呼ばないとはなどと言ってぷりぷり怒って招待状を置いていった。
博は初め戸惑ったが、選択肢が大いに越した事はない。素直にお礼の手紙を書き、招待状の山を田中に見せる。
田中の方も、箇条書きに纏めたそれを見せてくれた。
二人でそれを覗きこむ。
「やっぱり子供達は恐竜を見たいみたいだね」
「危なくね?」
「一応、小枝子、小型の恐竜飼ってるから……」
「すげぇ! 後は料理だな。ベアラズベリーだけは食いたくないってのもあるぜ」
そんなこんなで、見学客の要望を満たす事はすぐにできた。
問題は、ホストの側の要求を満たす事である。
とりあえず、一つ一つ招待状を開いていく。
しかし、エデンは元々科学者たちの楽園。
専門的用語の並ぶそれに、何を見せたいのかすらわからないのであった。
その上、何を見せたいのかはわからないのに子供達カモン! と熱意あふれる手紙である。そこで、まずは博が見学に行く事になった。
曲がりなりにも大人である博にわからなければ、子供達にわからないと言うわけである。
早速、博は一軒一軒出かける事とした。半蔵も一緒である。
さて、博は未だにエデンでの日記をアップし続けている。
ツアーの準備の様子は、エデンの日記で紹介され、注目を浴びた。
マスコットのレスキューロボと、悠々自適な最先端科学の見学の旅である。
それは冴えない博を出来る男と見せるのに十分だった。
広域見学許可証は、実を言うと第三入植者よりも権限が高く、様々な人に便宜を図ってもらえる。もちろん、機密や特許に関わる部分は見せてもらえないが、例えるなら創り方は見せてもらえずとも、使い方は存分に見せてもらえるのがこの許可証である。
博の他には、各国の探検隊が持っているが、それもほとんどが第一次入植者、それも成果をあげた者である。
エデンには、他にも食事券とか入場優先券など、各国共通で使える物がいくつか実験的に用意してある。ちなみに、博は第一次入植者が持てる類の物ならそのほとんどを持っている。
程なく、広いの元に、第三次入植者からもツアーの要請が入った。
第三次入植者が普通行けない所も、博と一緒ならいけるのである。
もちろん、第二次入植者や第三次入植者にしか入れない機密エリアというのもある。
しかしそれは、自分のテリトリー内だけ、いわば狭く深くであり、あらゆる分野の場所を見学させてもらえる第一次入植者と言うのは、やはりある意味では別格なのだ。許可なく未探索地域に行けるのも、第一次入植者である。
え、こんな所まで入って大丈夫なのか。博の日記を見た第三次、第二次入植者は、カルチャーショックを覚えたとすら言って良かった。
博としても、子供達の前に言う事を聞いてくれる大人で練習できるのは有難い(実際は未探索地域に一歩入った途端飛び出して行ってしまった困った大人もいたが)。
それに、ガイドをする以上は、博もある程度様々な研究分野を説明できる必要があった。
久々の勉強。それを博は、楽しいと思った。生まれて初めて、勉強を楽しいと思った。
それが、瑣末で矮小な人間である博の、遅すぎた才能の開花への第一歩であった。
国ごとのやり方で選抜された子供達と教師、翻訳者は迫りくる惑星に歓声をあげた。
選抜方法はさまざまである。ある国はくじで当たったクラスを、ある国はテストで好成績を叩きだした子を、ある国は要人の子供を選びだし、送り出した。
様々な国の思い、特にフェーズ5の国家の重圧を背負った子供達の目は、初めて見る地球以外の惑星を必死に目に焼き付けていた。
「ここでは、探検家の遠山博さんに案内してもらいます。皆、ちゃんといい子にしてるのよ?」
すぐに帰って来る良い子の返事。親元から数日離れる事を耐えられる程度には大人で、何かを企むには、幼すぎる子供達である。
子供達は、一週間の長きにわたってエデンに滞在する。
宇宙船から降りた子供達がその大きな瞳に収めたのは、よれよれの服を着た義足の男だった。よれよれの服も、義足も、大変な冒険を連想させて、子供達は目を輝かせた。
「ええと……じゃあ、疲れたでしょうから、初めは農場に行こうかと思います。そこで、何か飲み物をくれるはずです。その後、荷物を置きます。滞在場所は、田中悟さんと言う人の農園です」
子供達はおっかなびくりエデンに降り立ち、遠山について行く。
「あー! ロボットー!」
「はんぞー!」
「拙者恥ずかしいから車になるでござる」
子供達は作業用ロボットや半蔵を見て、すぐにテンションをあげた。
そして、農場についた時、テンションを底辺までダウンさせた。
具体的には泣きだした。
恐竜の死骸の山を、ベアラズベリーが獰猛に食らっていたのである。
とっさに子供達を庇う教師。
「こ、これがベアラズベリーです。薬になる、とても大切な栄養源です。エデンでは、これを食べられるようにならなくてはいけません。俺は、重い病気に掛かった時に、ベアラズベリーに足を食わせてから食べました。おかげで、死なずにすみました」
子供達は厳しすぎる大自然にドン引きである。父母を呼んで泣きだす子供達、ツアーは、いきなり失敗しかけていた。翻訳者ですら泣きそうである。
「おいおいおいおい、俺の料理を食わせる前になんてもんを見せてんだよ」
そう悪態をついたのは、イタリアのコックである。
コックが用意したベアラズベリーのシェイクは美味しそうであった。
「泣くな泣くな、このエデンじゃ弱い奴は食われるしかないんだ。だから、お前らは食う側に回れ。ほら、あんな怖いベアラズベリーもシェイクにしたらこんなに美味しそうだろう?」
ちゅー、と吸って満足する子供達。彼らなりに折り合いをつけると、田中に案内されて荷物を置きに行った。
遠山は次に、愛する妻の仕事場にお邪魔した。
様々な生物に、子供達は目を丸くする。その後、懸命に写真を撮り始めた。ベアラズベリーを撮ろうとする者は皆無であった。
「かわいーねー。ねー。とーやま博士―。さわらせてー」
群がる子供達に、小枝子は苦笑する。
「ごめんね。この子、病気を持っているから、触っちゃ駄目なの。ベアラズベリーのシェイクを飲んだから、君達は大丈夫かもしれないけど、君達が帰った時にお父さんやお母さんに移ると困るでしょ?」
そう説明しながら、色々な動物を見せて行く小枝子。
子供達はようやく笑顔を見せた。
元気を取り戻した子供達は、研究所で緑薪石を眺め、発掘現場を見学して帰宅した。
疲れきった子供達は、科学者の食事を食べた。健康の維持を考慮しての事である。
それから毎晩、子供達は夕食と夜食だけ、科学者の食事を食べる事となる。
その後はお勉強の時間である。
子供達は自分達の思う緑薪石の画期的な使い方のレポートを出したり、動物の絵を描いたりして、科学者の食事の夜食を食べ、自由時間に追いかけっこやお喋りを満喫した。
翌朝になると、本格的な現地の食事である。
豪勢なステーキやサラダを食べ、しょっぱい葉っぱを飴代わりにしゃぶる。
その日は軍人さんと料理人さんのお仕事見学ツアーとなった。
小さな探検家となって、護衛の元現地の植物を採集し、料理する。
次の日からは研究漬け。様々な研究室を巡る。
博は、一所懸命に説明した。
子供達が帰って行った時、博は思わずしゃがみ込んでしまった。
しかし、その甲斐はあったらしい。
子供達がエデンについての発表会の為に描いたスケッチブックには、博の顔が一番大きく書いてあった。
そして、真老もまた、遠山の仕事ぶりを見守っていたのである。