――君は、人生をやり直したいと思うかい?
世の中にありふれた、もはや陳腐と呼んだところで過言ではないそんな質問。
それをプレラに対して尋ねたのは、以外にも“盟主”と呼び仰ぐ人物からだった。
タナトスに在籍していた当時の話だ。
盟主は椅子に座りながら、手元で弄んでいた知恵の輪らしきものを止めて、ふと思い出したように側に待機していたプレラにそう聞いた。
「……」
そのようなことを、よもやこの御方から尋ねられるとは。
思いもよらなかったプレラが面食らって、暫し硬直してしまうのも仕方なしか。されど尊信する御方の手前、いつまでも無様に黙っているわけにはいかないと彼は真剣にその質問の答えを思案する。
人生をやり直したいか、やり直したくないか。
――プレラにとっては考えるまでもない。何度も何度も幾度と幾度と、思ってきたことだ。出来ることなら――そんなことが、プレラ・アルファーノとして“もう一度”出来るのなら。
「…………やり直したい、かと」
「だろうね」
あっけからんと盟主はそう言って、知恵の輪を再開し始めた。
……え、終わり? もはや自分に一切の興味が無さそうにしている盟主にプレラは再び面食らう。今の質問はいったい何だったのだろう。
「知恵の輪というのは、簡単な物を除けば解答までの手順は大抵が1通りしかない」
「……」
話が先の質問に続いているのかいないのか。
とりあえず再び口を開いた盟主の言葉をプレラはただ押し黙って拝聴する。
「その1通りの手順を見つける為に、1つの行程を紐解いて、次の行程へと赴く。間違えてはやり直し、間違えてはやり直し、ただひたすらに」
カチャ、カチャ、カチャ――ガチャ、と複雑に絡み合っていた知恵の輪が綺麗に分離した。
すると今度は一度も引っかかることのないまま手早く初期状態に戻して、興味が失せたのかぽいっと地面に投げ捨てる。
「――お見事」
そんなプレラの世辞に、煽てた所で新型のアームドデバイスしか出ないがなと呟いて盟主は彼に顔を向けた。
仮面越しなのにも関わらず、滲み溢れるその圧迫感に思わずごくりとプレラの喉が鳴る。
「人生をやり直したいと思うのは、知恵の輪で言えば解答の手順を間違えて手詰まっているからだ。しかし人生はやり直せない。手順を誤って間違えたままの、いつまでも解き明かせない知恵の輪を懐にしまい込みただ苛立ちを募らせる。それも――“何個”と。今の君のようにな」
「…………」
「失敗の数だけ、間違いの数だけ人は二度と解けない知恵の輪を増やし続けて、どれほど重荷になろうが持ち続けていく。それを解決する方法は二通りだ――わかるか?」
「……何らかの方法でやり直せないという定義を覆すか――“捨てるか”でしょうか」
「御名答。意外と頭が柔らかいじゃないか」
「光栄です」
「だが完全にやり直すというのは今だ机上の空論である時間魔法を駆使して、失敗した過去に“飛ぶ”くらいの方法しかない。だから現実として取れる方法は捨てることのみだ。忘れることで、飽きることで、見ぬふりをすることで――やっと人は知恵の輪から開放される――果てさて、プレラ」
――君はこれから後、やり直したくともやり直せない知恵の輪を、いったいどうするのだろうね。
そう言って、盟主は小さく笑った。プレラは黙ったままだった。
一度は主と仰ぎ、一度は敵と刃を向けた存在との会話をプレラは静かに思い出す。
(解けない知恵の輪、か……あの頃は、いつだって人生をやり直したいと思っていたっけ)
一度目だって、二度目だって。人生の程をやり直せたらどれだけいいか。
あの時の失敗を、あの時の間違いをなかったことにできたらどれだけ楽になれるのだろう。
手順を間違えたままの知恵の輪。それを解き明かした先に何があったのかと空想する日々は酷く虚しいものだったけど、思い続けずにはいられなかった。
(それでも今は、そうも思わなくなったんだがな)
数々の人々と出会い、そして激戦の繰り返しを経て過去を変えたいと慮ることは極端に減った。
自分で選んだ選択なのだから、自分で歩んだ道のりなのだからと納得して。いかに思い念じたところで過ぎた過去は取り返しがつかないと――それは盟主の言う解けない知恵の輪を、プレラが捨てたということなのだろうか?
(っと、思い出に浸っている場合ではないな。まずは“あれ”を倒す方が先か。まったく――)
ここが夢にせよ現実にせよ――“高町なのはが始めて魔法に出会った場面”に介入する妄想がよもや叶うとは思わなかったよ! プレラはデバイスを掲げ疾走しながら心中そう叫ぶ。
向かった先には、セットアップを行ったはいいが……いや、セットアップが出来てしまったからこそ更に混乱を引き起こしあたふたと慌てているなのはと、プロテクションで黒い化物を押さえ込んでいるヴァンがいた。どちらかといえば抑えこまれているといった方が正しいのかもしれないが。
「――っ!? 起きたのかプレラ!」
疾走し自分の方へ向かってくるプレラにヴァンは気づいた。
今の今まで浮かべていた苦悶の表情が、瞬時に希望に満ち溢れた笑顔へ変わる。
「何を遊んでいるヴァン! その程度の相手、お前なら造作もあるまい!」
「いや無茶いうな!?」
確かに高町なのはに匹敵する魔力を持つプレラから見ればこの化物も軽く片付けることが出来る相手なのだろうが。
昔からこの人はなんでか俺のことを過剰評価するんだよなぁとヴァンが思った矢先、プレラのデバイスからカートリッジを排莢され、魔力が瞬間的に跳ね上がる。
シルバーブラッドの切先に魔法の輝きが集結し、只ならぬ破壊力を宿したそれをプレラは化物に対し下段から天へ向けるように振り上げた。
その光景は、あたかも巨大な竜の牙が獲物を喰らい、蹂躙するかのよう。故にその技の名は――。
「天剣龍牙!」
――と、呼ぶことにしようとプレラが日々思いついたことを書き綴っているノートの一文に記されているのはここだけの話である。
それを受けた化物は四散……否、もはや爆散したと言った方が分かりやすいくらいに粉々となってリンカーコアを露出させる。まさに秒殺だった。
しかし、この化物は打撃耐性を持っている為に瞬時に回復するはずなのだ――が、いくら待ってもその前兆がない。
プレラの技の破壊力があまりに高かった為、再生に手間取っているのだろうか? だとしたら、しばらくは大丈夫だな、とヴァンは体の力を抜いた。
「ふぅー……助かったよプレラ――えっと、そこの方」
「へっ!? わ、私ですか……?」
そうため息を吐いて地面にへたり込んだヴァンはプレラへ感謝を述べると同時に、今だ何が起きているのか理解しきれていない少女、高町なのはへ向かって呼びかける。
「申し訳ないんですが、封印を頼んでよろしいでしょうか? 自分は魔力が切れちゃって、もう1人は封印魔法……苦手なんですよ」
本当に申し訳ないと心苦しさに溢れる様子で、困ったように苦笑しながらヴァンは言って。
むっ? 待てヴァン、苦手なのではないぞ、興味が無くて練習しなかっただけだぞ? 練習すれば出来るようになるからな? ホントだぞ――とプレラは何故か張り合っていた。
■■■
「本当に助かりました。自分は時空管理局ミッドチルダ本局首都航空隊3097隊所属、ヴァン・ツチダ空曹です」
「私も同じく。名はプレラ・アルファーノ……准尉だ」
「え、えっと、私立聖祥大学付属小学校3年生、高町なのはです、えっと、その、はい」
「ええええ、ぼ、僕ですか。え、えっと、スクライア一族のユーノ・スクライアです」
「あ、いや、そんな畏まって名乗っていただかなくても……」
なのはが余裕を持って軽々封印を終えたあと、そんなこんなで4人は向い合って自己紹介。
その後はそれぞれの事情の説明など情報交換。魔法や次元世界、管理局といった単語にいちいち驚きの声を上げるなのはに、本当にこんな妄想をよくしたものだとプレラは小さく洩らして内心苦笑する。
しかし、話の流れがどんどんおかしくなっていくのはプレラにとって完全に予想外だった。
ユーノがこちらへ協力を要請し、ヴァンとプレラがそれを承諾した後――。
「あ、あの、それじゃあ、私も協力する」
というなのはの提案に対して。
「いえ、それには及びません」
「……ええ、ユーノさんの言う通りです」
と、ユーノとヴァンが断ったのだ。
(……な、何ぃ!?)
その驚愕を表情に出さなかったのは、常にクールに振舞えた方が格好良いなと考えていたプレラの鍛錬の賜物だろう。
プレラを蚊帳の外にして、3人の会話は進んでいく。
「で、でも、でも、プレラさん以外は怪我をしているし……」
「いえ、怪我はもう大した事はありません。それに、これは本来なら僕達の世界の問題です」
「それを言ったら此処はなのはの世界だよ」
「はい、だからこそ、これ以上なのはさんを巻き込めないんです」
「そんな、私は全然平気だよ」
「すいません。でも、さっきだって危うくなのはさんに怪我をさせるところでした。ヴァンさんやプレラさんがいなければどうなっていたか……助けてくれてありがとうございます。なのはさん、巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「ユーノくん……けど、さっきは封印魔法が出来ないってヴァンくんが」
「その件を含めて、自分からももう一度お礼を言います。本当にありがとうございました。けど、幸いにもプレラは管理局でも有数の才能を持つ魔導師なんですよ。封印魔法だって少し学べば必ず出来るようになりますし、自分も魔力が回復すれば可能です。だから安心して後は自分達に任せてください」
「ヴァンくん……」
待て、待て待て待て。なんだこの流れは。
嫌な汗が額に垂れるのをプレラは感じ、ヴァンにだけ聞こえるよう念話を発動させる。
『待てヴァン、何を考えている? このままでは高町なのはが魔法に関わらなくなるぞ!?』
『けど管理外世界の一般人を巻き込むわけにはいかないだろう? そういう規則だってあるし』
『そ、それはそうだが……え、そうなのか? な、ならフェイトはどうする!? フェイト・テスタロッサは高町なのはがいなければ救われることは……』
『……なんでそこでフェイトが出てくるんだ?』
『……何を言っている。少し後でフェイトはジュエルシードを回収しにこの世界にやって来るだろう』
『え?』
『え?』
何故か頭に疑問符を浮かべて話の通じないヴァンに、プレラもまた頭に疑問符が浮かんでしまう。
ヴァンがなのはに協力を求めないのは何となく分かる。何度も命を賭けて戦い合った仲だ、こいつがこういう性格なのは理解できる。
だがこいつはトリッパーで原作だって知っているはず。現にフェイトのことだって知っているのだ。何故彼女がこの世界に来ることへ疑問を持つ?
「そうだよね、ごめんね。3人はお仕事なのに我侭言って」
「いえ、僕の方こそ巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」
「あ、これ返すね」
「あ、いえ、これはっ! 貴女に差し上げます」
「ううん、これは皆さんに必要でしょう。じゃあね、さようなら」
ヴァンと話し込んでいる内に、なのはが納得して帰ろうとしていることに気づいた頃にはもう手遅れ。
(ま、待ってくれ高町なの――)
呼び止めようと差し伸べかけたプレラの手が止まる。なのはの目元に浮かんだ一滴の雫を見てしまったのだ。
どうしようもない罪悪感が、心の中に大量に溢れかえってしまって何も出来なくて。
(私がいたから、こうなったのか?)
ズキズキと痛む胸を抑えて、プレラはただ静かに寂しそうな高町なのはの背中を見送った。
■■■
「はああああああああああああああああああああああああああああああああぁ!? フェイトは医者を目指して今は医師養成学校に入学している!? というかそもそもアリシアが生きていて、アリシアがフェイトを産んでるだと!?」
「な、なんでそんなに驚くんだ?」
「ば、馬鹿な……なんだそれは」
そしてなんなんだ、この世界は。
ヴァンが言うにはプレシアがアリシアを失う切欠となる事故は起きず、そのまま成長したアリシアが結婚して9年前にフェイトを出産したという。なるほど、通りで先ほどヴァンが首を傾げたわけだ。
(そんな事情があれば、フェイトはおろかプレシアがこの世界に来るわけがない……)
歴史が根底から変わってしまってる。
どのようなバタフライ・エフェクトが発生したらそんなことになるんだ?
誰か別のトリッパーが何とかしたというのか? なのはの涙を見て思い浮かんだ罪悪感の比ではない痛みがプレラの頭を襲う。
確かに、幾つもの選択肢によって無数に分岐する“パラレルワールド”と呼ばれる世界には……。
そのような世界だって存在するのだろう。アリシアは死なず、プレシアは狂わず、フェイトが傷つかなくても良い世界。言うなればそれは――。
(……“こんなはずだった世界”)
いつだったか、それはプレラが思ったことのある空想の世界だった。
優しさに溢れた世界なら、フェイトは憂いた表情をしなくても済むだろうと。けれどそんなものはやっぱり空想の世界で、妄想の産物だ。どんなに願ったところで世界は変わることもなく、厳しくて優しくないことばかりだった。
「というかそもそもこの話はプレラから聞いたんだぞ? ほらかなり前、休暇を取って見に行ったってさ。この世界のフェイトは幸せそうで良かったって、あんな嬉しそうに言ってたじゃないか」
「……そ、そう……だった、な……」
その歳で記憶障害はやばいって――とジョークを飛ばすヴァン。
一方のプレラは心在らずといった様子で、1つの言葉が頭を反芻していた。
“フェイトは幸せそうで良かった”というその言葉が、グルグルと脳内を回って反響する。
(フェイトは今――“幸せ”なのか)
プレラにとって、フェイトはある意味で特別な存在だ。
それは“好き”だとか、そういった恋愛感情ではない。ただフェイトの“境遇”が自分と似ているから、どうしても助けたかった。救ってやりたかった。
家族がいるのに、仲良く出来ない境遇が……家族に疎まれる環境がどうしても自分と重なってしまって。
前の世界でプレラがフェイト側に回ったのは、単にシスターや盟主の命令だけではない。家族という問題を抱えたフェイトだからこそ、プレラは彼女を助けたかった。フェイトが助かることで、喜ぶことで……過去の自分を。
家族とすれ違ったままの“自分”を――間接的でも助けたかったのかもしれない。
「ふー。いいお湯だった」
そんな言葉と共に2人の元へ体を濡らして戻ってきたのは、個室に備え付けれられている風呂で汚れを落としたユーノだ。
今はフェレットモードではなく人間形体。さしもフェレットが1人で人間用の風呂に入るのは無理があるからだろう。
「お、戻って来た。なら次は俺が浸からせて貰おうかな……いいか? プレラ」
「あ、ああ。構わんぞ。先に入るがいい」
ちなみに、彼らが今居る場所は海鳴市の、予約をしなくても簡単に取れてしまうようなとある安ホテルである。
「しかし、プレラが幻術とこの世界の通貨を持っててホント助かったよ」
「危うくサバイバル生活だったからね」
「備えあれば憂いなしとはこのことだな」
原作に介入する気が満々だった過去の自分に感謝しなければ、とプレラは思う。
なのはと別れ、さてこの後はどうするべきかと話し合って考える内にぶち当たった1つの疑問。
お金とか、どうするの? ということである。
当初、その問題に対してユーノはドヤァという擬音が似合いそうな表情で「任せてください」と言いながらキャッシュカードを取り出していたが、国境どころか次元が違う世界でそんなものが使えるわけがない。
ヴァンも同じくだ。そもそもヴァンは原作に介入するという意思が微塵もなかったのでミッドの通貨しか所持していなかった。このままでは芸人がテレビ番組でもやるような過酷に満ちたサバイバル生活まっしぐら。
プレラは傭兵もどきをやっていた時代にサバイバル生活は経験しているし出来ないこともない。
が、かといって意気揚々とやりたいとも思わないので何とかならないかとダメ元でシルバーブラッドの擬似収納空間を覗いてみると、なんと日本円が存在しているではないか。
札束で。
いったいどこで手に入れたのだろう。
別段、管理外世界の通貨も合法で管理世界の通貨と交換してくれる場所はあるので持っていることは不思議ではないにせよ、多すぎである。給料何ヶ月分だ。
けれどそのお陰で食べ物を得る為には狩猟をしなければ、というサバイバルは回避する手筈となった。
しかし最低限文化的の生活の三原則。衣食住――お金があれば食べ物はどうとでもなる。問題は服と住処だ。
服は子供でも買えないこともないだろうが、ホテルなどをチェックインする為にはどう考えても大人の存在が居る。
ヴァンとユーノは精神構造は大人じみていようが9歳という年齢通りの見た目だし、プレラも年齢の割りには若干大人びて見えるがそれでも未成年の域を出ていない。
ここでも活躍したのはプレラである。シルバーブラッドの中に1つだけ幻術魔法がインストールされていたのだ。
それは見た目を大人に変えるというもので、戦闘においての実用性は皆無だが簡単な構成で幻術が不得手な魔導師でも使える簡略魔法。
とどのつまりは、こういった“子供では出来ないことをやる”為だけに存在する魔法である。他は戦闘魔法のオンパレードなのに、ホントに介入する気満々だったんだなぁとプレラは己のことながら少し呆れた。
そうして年齢はクリアしたものの、泊まろうとするのが人種がバラバラで2人の子供連れという外国人、という要素が足を引っ張ってチェックイン時にかなり怪しまれたのだが。
それもなんとか突破でき――ようやく現状に至るのだった。
■■■
「封印を完全に習得するまでもう少しといったところだな。ちょっと休憩するぞ」
そう言いながら周囲に浮かべた魔法陣を消して、プレラはシルバーブラッドを待機状態に戻した。
その光景にヴァンとユーノはスゲーとプレラの才能を嫉妬するのを通り越してただ賞賛する。
「魔力量が足りないのもあるけど、封印魔法は俺にとっちゃかなり高度な技術なのに。凄いな」
「ふっ、そう褒めてくれるな――世の中には、魔法に目覚めて数分で封印魔法が使えるようになる女の子だっているのだから……」
「……そうだな」
少し落ち込むプレラとヴァンだった。
3人が入浴を済ませた後、再び行われた対策会議にて、ジュエルシードとの戦闘にまず必要なのは封印魔法と判断。
ユーノを中心にレイジングハートの封印魔法をミッドとベルカの複合式使いであるプレラ向けに少しだけ改造してシルバーブラッドにインストール。その後直ぐ様プレラは魔法の訓練を始めたのだが、魔導師ランク総合AAA評価は伊達ではない。あと数時間でマスターしてしまうだろう。
しかし、ユーノ・スクライアが私とは違うベクトルで並ならぬ才能を有しているのは知っていたが『なるほどなるほど、なるほどー』とシルバーブラッドの複合式をちょっと眺めただけで術式の改造が出来てしまうとは、実に末恐ろしいな――とプレラとヴァンが思ったことは内緒だ。
(……フェイトのことや元の世界へ帰ることは後回しにするとしてだ……後でユーノに私とヴァンの術式の改造も頼んでみるか。技の構成が簡単な分、貧弱すぎる。それにバリアジャケットも変えなければ)
プレラは自身のバリアジャケットをちらりと眺めた。
ノースリーブかつ何やら抽象的な装飾がゴチャゴチャとしている薄い腰布。バリアジャケットというのはイメージ的には服のように考えて貰っても構わないが、本来は体全体を包み込んでいるフィールド魔法である。
故に、肌が露出していようとも薄いフィールドは張られていて、ちゃんと攻撃を防いでくれるのだ。ただ、やはりむき出しになっている部分と服でしっかり守られている部分では防御力が大幅に変わってくる。
(これでは下半身しかロクに守れん。格好良いことは格好良いが、実戦向けではない。過度な装飾だって無意味にリソースを食うだけだしな……)
と、以前のこの時代のプレラなら決して考えなかったであろうことを思慮しながら、部屋に備え付けられている冷蔵庫を開ける。見事にミネラルウォーターしか入っていない。
コーヒーすら入っていないのか、習得するまで徹夜を敢行しようというのに……安ホテル故に仕方も無いだろうが、もう少しサービスしてもバチは当たらぬまいよ、としばし憤怒するプレラであった。
「ヴァン、ユーノ。飲み物を買いに行くが何か飲むか? 奢ってやろう」
「あ、それだったら僕が買いに」
「いや、だったら皆で買いに行こうぜ……てかプレラ、幻術使わなくてもいいのか?」
「バレないだろうさ。監視カメラだって見当たらんし、無駄な魔力を消費したくはないのでな」
というわけで、全員で廊下にあった自販機の前に移動。
それなりに飲み物の品揃えはよかったが、値段が130円な辺りさすが安ホテルである。
「さて。何にしようか……」
「ヴァン、リンゴジュースってある?」
「なっ○ゃんのならあるな。俺は……これで」
リンゴジュースのボタンを押し、次に自分の分とヴァンがボタンを押したのは、かなり甘めのコーヒー牛乳だった。
それを見たプレラが突然に何故か勝ち誇ったように高笑いを始めて、ユーノとヴァンはびくっと肩を震わせる。3人の側に人影がなかったのは実に運が良かったのだろう。自販機の前で高笑いをする子供なんて恐怖以外の何もないのだから。
「ハーハッハッハ! なんだ、ヴァンはコーヒー牛乳かぁ? どうやら私はお前を過大評価していたようだな! 男ならばブラック以外にありえん!」
「いや、だって糖分欲しいし。ブラックは苦いだけだと思うけどなぁ」
「甘い、お前はそのコーヒー牛乳よりも遙かに甘いぞヴァン。大体、コーヒーに砂糖や牛乳といった不純物を入れてしまってはコーヒー豆独自の味わいが薄れてしまうではないか。糖分が欲しい? 馬鹿め! コーヒー豆そのものにはちゃんとした甘みがあるのだ! それを感じ取れんとは、ヴァンもまだまだオ・コ・チ・ャ・マだな! フハハハハハ!」
言いたい放題だった。
「けど缶コーヒーだよ?」
「ふっ、まあ? 世の中には缶コーヒーなんて飲めるかと嘲笑うニワカコーヒー通な輩もいるが、日本の缶コーヒー製造技術を舐めてはいけないな。大量生産品のインスタントとはいえ、メーカーにもよるがそこに妥協は存在しない。偽物が本物に敵わない道理がないのと同じだ」
プレラはボタンを押しながら長々とコーヒーを語る。
さながらブラックコーヒーの味がわかる私カッコイイとでもいう有様だが、きっとそうではなく、純粋にコーヒーが好きなのだろう。そうだと思おう。
パキン、とプルタブを開け鼻孔を近づけるプレラ。ほう、これは荒挽きだな。ふっ、悪くない香りだ。
「ゴクっ、ゴクっ、ゴクっ」
そんなことを呟きながらグイッと缶コーヒーを呷って……。
「――ブフォァ!?」
むせた。
吹いた。
そしてヴァンの顔面にブチ撒けられたの三連コンボ発動だった。
「熱っうううぅ!?」
ホットでなければヴァンも苦しむことはなかったろうに。
そんな惨事を見かねて、ユーノはおどおどとどうしていいか分からずに、とりあえず2人の安否を確かめる。
「うわぁ!? ヴァンさん!? プレラさん!? だ、大丈夫ですか!?」
「何すんだプレラァァ! マジで熱かったぞ!?」
「ごほっ、ごほっ! ……ナニコレニッガ……ごほ!」
「今、苦いって言いませんでした!?」
「飲めないなら無理して飲むなよ、プレラ……」
「ち、違う! たまたまだ! たまたま肺に入りそうになっただけだ! ……な、なんだその哀れみ眼は!? ち、違うぞ! 私は飲めるからな! 私はブラックが大好きなんだからな! 本当なんだからなぁ!?」
プレラのキャラ作りはどこえやら。そんな3人のやり取りは、夜が開けるまで続いたとか。
■■■
「ほう、ここが海鳴か……」
一方、真夜中の海鳴市を徘徊する1つの人影があった。
黒い帽子付きのロングコート。おそらく成人男性程度の身長を持つが……性別は彼、或いは彼女だろうか?
帽子を深くかぶっている為に、表情の判断がつかず性別の判断が出来ないのだ。声は、そう高くもなく、低くもない実に中性的な声質。
「ジュエルシード、そして“貴様”がここに来ていることはわかっているぞ……くくくっ、ミッドから離れれば逃げ遂せるとでも思っていたか……」
黒いロングコートの男は笑う。ただただ、小さく小さく。
「貴様の躰は、“我々”があの大いなる力を得る為の器として使わせて貰うぞ。覚悟するがいい……」
さながら哀れな獲物を前にした狩人の如く――。
「“ヴァン・ツチダ”――!」
――笑う。