燦々と太陽の輝きが差し込む平凡な一室。
その部屋のベッドの上に、シーツをかぶった何かがもぞもぞと動いている。
「……なにか、凄い夢を見た気がするな」
そう呟いてシーツを取っ払い起き上がったのは、少し長めの金髪と鼻梁が整う美顔を持つ少年だった。
寝ぼけ眼を擦り、小さく欠伸をしながら「んんっ」と背伸び。漫然とぼやけていた意識が少しずつ覚醒する。
「――む」
清明に透き通ってきた意識が、微かな違和感を少年に訴えかけた。
いつも自身の横でぐーすか寝ているはずの“彼女”がいないのだ。
「アギト」
彼女の名を呼んでみても、やはり返事は返ってこなかった。
常日頃から起床するのは決まって少年の方が早く、彼女の方が先に起きることなどかなり珍しい。
今日はひょっとすれば槍でも降るんじゃ。そんな冗談が頭に過ぎって――2つ目の違和感に遭遇する。
「この部屋、こんな内装だったか?」
少年が昨夜泊まったのは、とある管理外世界のボロボロな安宿だったはずだ。
アギトはそれに対して文句を垂れていたが、少年は雨風が凌げればそれでいいと気にもしなかった。
しかし今はどうだろう。壁紙は綺麗だしフローリング仕様の床はワックスでピカピカ。
というか、泊まった宿屋にはベッドと小さなテーブル以外の物が存在していなかったはず。
なのに今の部屋にはどういうわけか少年が好むような生活臭溢れる小道具や家具が内装されている。
一夜にして宿屋が変貌するとはどういう状況だ。よもや寝ている間に突貫工事が行われたわけでもあるまいし。
(……もしや、私は何者かに攫われた?)
静かに状況を把握する。少年は所謂“次元犯罪者”と呼ばれる札付きである。
時空管理局に敵対する組織に身を置いたこともあった、片っ端から魔導師に喧嘩を売ったこともあった。
積もりに積もった罪も恨みも山の如しだ。敵など腐るほどにいるだろう。そう考えれば“攫われた”という状況も否定出来ない可能性の一つ。
「しかし、身動きは取れる」
だというなら、鎖にでもバインドでも封印魔法の1つや2つで束縛されてしかるべき。
けれどそんなものはこの身に一切かけられてはいない。敢えて言うなら服装がナイスデザインの寝間着に変わっているくらいか。
「この服と部屋のセンスは中々だが……増々わけがわからないな」
判断材料が少なすぎる。現状で状況把握は不可能。
ならばと、少年はベッドから飛び降りて足音を立てずに動き出す。
気配を限界まで殺し、その一つ一つの動作が洗練された暗殺者にも匹敵するであろう慎重さで部屋のドアに手を掛ける。
感覚を研ぎ澄ませながら、ドアを静かに開いた。どうやら向こうはリビング。
その奥には少し狭いキッチンが存在し、違う部屋に続くであろうドアが2つ、更には玄関がある――宿屋というより、これではマンションなどといった住宅に近い間取りだ。
(ふむ、2LDKといったところか)
いい部屋だ。少年はそんなどうにも役に立たない情報を得て更に散策を続けようとリビングに侵入する。
忍び足で部屋の中心部分に差し掛かった、そんな折――ドアの1つが、ガチャリと音を立てた。
「――っ!」
瞬間、少年は身を翻し疾風のように疾走する。
秒にも満たぬ刹那にて今にも開かれようとするドアと少年の距離が縮まる。
コンマ秒の一間、そして完全なる開扉。そのドンピシャのタイミングで少年はドアを開けた人物を引きずり倒し組み伏せた。
「ふぎゃ!?」
「答えろ! 貴様は何者だ! ここはどこだ! 何が目的だ!」
「ちょ! 先輩、何するんですか!? 痛い、痛いって!」
「……え?」
思わず、関節を決め込み組み倒した人物から発せられたその声に、少年は戸惑ってしまう。
なぜならとても聞き慣れた声だったからだ。何度も言葉を交わし合い、何度も怒声を浴びせ合ったその声を持つ人物を、少年はよく知っている。
けれど、“奴”が私のことを、“先輩”などと呼ぶわけがない。
そんなことは、今まで過ごしてきた世界が滅びてもありえない異常現象なのだから。
恐る恐る、少年は痛みを涙目で訴える人物の顔を、覗き見る。
その顔は、その人物はやはり――。
「う”ぁ……!」
少年が目を盛大に見開く。
思わず彼の名前を言おうとしたけれど、声にならない声が口から漏れただけだった。
それほどの驚きで、それほどの衝撃だったから。自身の目の前で、世界が滅びてもありえないような異常現象が――。
「もー! また寝ボケてるんですか? 勘弁してくださいよ“プレラ先輩”」
“起きていた”。
自分を先輩と読んだ人物、それは少年が生涯のライバルと決めていた強き者――。
「ヴァン・ツチダアアアアアァ!?」
“頑張って考えた格好良い私”というキャラの装いを粉微塵に崩壊させて、“先輩”こと“プレラ・アルファーノ”の絶叫は天高く轟いた。
『プレラは別次元世界でトラブったようです』
プレラ・アルファーノ、15歳。性別は男性。
現在は傭兵業を営む渡りの魔導師であり、魔導師ランクはミッドチルダ近代ベルカ複合式空戦AAAと推定されている。
黄金を連想させるその髪色はとてもきらびやか。鼻梁が美しく並ぶその顔作りはどこぞの映画俳優にも引けを取らない。
鍛え込まれた肉体は強靭。豪胆さと涼しさを併せ持ったその雰囲気は強者の余裕を感じずにはいられない――表面上は、だが。
そう、表面上は。プレラという人物はある意味、一種の仮面で本性を覆い隠している節がある。
格好良い私、強い自分、憧れの僕――理想の自分を現界させる過乗な演技。格好悪い私、弱い自分、軽蔑の僕――理想とかけ離れた自分を覆い隠す二面性。
ほぼ全ての人間には他人に対する“違う自分”を持っているという論理がある。
それは他人に良く見られたいが為のものであったり、それは他人に触れられたくないものがある為であったりと理由は様々。
本性とは違う自分。本心とは違う自分。多種多様の“他人に対する自分”という仮面。プレラ・アルファーノは、その仮面が他人より遙かに大きい。
内面と外面が、かけ離れ過ぎていた。
そうしなければとても支えきれない“本当の自分”が存在していたから。
――プレラ・アルファーノという人物を語る前に、少し昔話をしよう。
魔法なんて存在しないとある世界。そこにいたのは何の変哲もない1人の少年だ。
いや、変哲もないというのは語弊があるだろうか。少年は――ただ少しだけ他人より身体が弱くて、ただ少しだけ他人より泣き虫で、ただ少しだけ他人より“弱かった”のだから。
彼には出来のいい兄がいる。少年とは真逆で、勉学は秀逸で運動も卓越。
誰にでも平等でありながら優しく、正義感すら心得た優秀すぎる人間。
人として完璧に近いものを兼ね備えた兄。そんな彼に1つ足りないものがあったとしたら、弟に対しての“配慮”だったのかも知れない。
兄に悪意はない。誰にでも平等に優しくあるが故に――否、血を分けた唯一の弟だからこそ。
“特別扱い”して、弱い彼を甘やかすなんてことをしなかっただけなのだ。
そんな不公平のアンバランスな兄弟だったから、彼らの両親の目は常に兄へ向けられる。
口を開けば兄を褒め称える言葉の数々。対して弟には、決まってこんなことしか言わなかった。
『どうしてお兄ちゃんみたいに出来ないの?』
両親に悪意はない。“出来の悪い駄目な弟”と差別意識があったわけでもない。
ただ純粋に優秀な兄のようになって欲しいという、勝手だとしても親として当然のことを思ったまでだ。
だけど、そんなことを利発の満たない子供が理解できるわけがないだろう。
――家に自分の居場所がない。スポットライトが照らす光の中に父と母、その間に優秀な兄が挟まれているという光景をただ遠目に、ぽつんと物陰で小さく蹲って見ていることしか少年には出来なかった。
ならせめて、違う舞台くらいには居場所があれば救いはあったのだろうが。
家族環境は子供の精神構成に大きく影響する。歪んだ家庭で形作られた、ジメジメとした薄暗い少年の精神は“イジメ”の的には丁度いい。
ノートを破られた、内履きを隠された、机に心ない文字を書かれたなんて――。
“暴力”よりは遙かにマシだったと、エスカレートしていくイジメに対して少年は切に思う。
目に見える生傷が日に日に増えていく少年に、教師が気づいた時にはもう遅い。一度根付いた“こいつはイジメていい”という認識は大岩のように強固で崩せない。
少年に対するイジメが少数、もしくは個人的な物だったのならまだなんとかすることも出来ただろうが、もはやそのイジメはクラス全体の“集団意識”にまで発展している。
“みんなやってるから、じぶんもやっていい”なんて考えは、子供が持つ特有の価値観なのだから。それから逃れる術があるとするなら、よもや学校を去る以外にないだろう。
イジメの事実を知った教師は『なんとかしてみせる』と少年を励ますものの、結局は口だけだった。
変わらない地獄のような日常、変えられない煉獄のような日々。磨り減り続ける少年の精神は、例えるなら燃え尽き落ちようとする寸前の線香花火。
けれどある日、イジメられているという事態を少年の両親が知ることになる。
両親は酷く驚いて、とても悲しんで、少年に対し必死にそのことを問いかけた。
――ひょっとしたら、この地獄が変わるのか。
――もしかすれば、この煉獄から助かるのか。
少年はそんな淡い想いを、ちっとも自分を見てくれなかった両親に抱いた。
それは地獄の底に齎された救いの蜘蛛の糸。拙く、脆く、儚くあれど少年にとっては唯一の確かな希望。
『――いい加減にしろ!』
でもやっぱり、蜘蛛の糸なんて容易く切れるものなのだ。
我が子がいじめの被害にあっているなんて事実を受け止めきれない両親は、こんなにも親が心配しているというのに、恐怖に怯え“親にすらどう接していいのかもわからず”心を閉ざす少年につい苛立って――。
『抵抗しないお前が悪い!』
思わずキツイ言葉を浴びせてしまう。
結局、皮肉にも両親のその言葉が致命傷だった。
居場所なんてどこにもなくて、必要とすらされなかった少年。
あるいは少年がもう少し優秀だったのなら。
あるいは少年がもう少し強かったのなら。
もう少し、もう少し、もう少し、もう少し、もう少しだけ何かが違っていれば。
もう少しくらい、人並みの人生を歩めたのかな?
最後にそんなことを考えて、少年は孤独にひっそりと――この世を去る。
果てさて、そんな少年を哀れに思った神のご慈悲か、それともそんな少年を愉悦に思った悪魔の悪戯か。
彼に用意されていたのは、二度目の人生という奇跡。しかもなんという大盤振る舞いだ、“プレラ・アルファーノ”という新たな器は――“少しを卓越した優秀さ”と、“少しを超越した強さ”という最後の最後で望んだ物を秘めていた。
けれど懇願したその強さこそが、渇望したその優秀さこそが、その二つなんて比べ物にならないほどの本当の望みだった“居場所”をぶち壊すことになろうなど――少年はその時、知る由もない。
プレラが生まれ変わって、何の因果か前世の記憶を思いだした時。
それこそ当初は己が身に神の加護でも降りたのか、と人生をやり直せるチャンスに感動したものだ。
しかし二度目の“家庭”を現認すれば、己に“暖かい家族”とやらはよほど縁がないのだろうと、家族に対する憧れを喪失するのは簡単だった。
この世界の父親は確かに真人間で立派な大人だ。仕事も世界の平和を守るという自慢に値する職業に就いている。
しかし、彼はその仕事に熱を注ぎすぎた。否、全身全霊をかけねばならない理由があったのだ。結果、彼は家庭を省みることもなく、家に帰省することすら年に一、二回あれば珍しいという――人としては良かれでも、親としては最低の人物になってしまった。
この世界の母親はそんな父親に愛想を尽かし、自ら腹を痛め生んだ子供ですら金で雇った家政婦に任せっきりで、遊び歩いて家によりつかなくなる。
元々彼らは良家の出、そして2人の結婚も政略の意味合いしか持っていない。或いは父親がもっと母に接してやれば夫婦間もこれほどまでに冷めなかったかも知れないが、もう遅い。
この世界にも兄がいた。だけどその姿を見たことは一度もない。
兄が『ジュリア・アルファーノ』という男性にはあまりつけないだろうな、という名前だというのは知っているけれど。
兄に対して知っていることなど本当にそれくらい。誰も自分を愛してくれない――そんな家庭に絶望したのか、プレラが物心ついた時にはすでにジュリアは家を出ていった後だった。
だから食事などはいつも1人。前世では、時偶くらい家族で卓を囲ったりもしたけれど、今世では一度もないというのだから笑えない。
仕事と割りきって、感情のない機械のように業務をこなす家政婦の作った料理はきっと美味しいのだろう。アルファーノ家は裕福だ、料理に使われている食材も高級なものばかり。
だというのに、まるで水のような味気なさを感じる理由は何なのか。
たった一人っきりの食卓を幾度も繰り返し、プレラは再び孤独に幼少時代を過ごした。
それから少しだけ年月を重ねて、父親も所属している『時空管理局』に入る為にプレラは士官学校へ入学することになる。
プレラに内包された強力な魔法適性。さらに本人の努力があったにせよ、主席入学はそれでも出来すぎた結果だとプレラは他人ごとのように思った。
――ここでもやはり孤独なのだろうか。
“友達”の作り方を、二度の人生を廻ってもわからなかったプレラの不安。
だけど、そんなものは杞憂だった。
“ある”なんて思っても見なかったこんな場所で――強さなんかよりも、優秀さなんかよりも、本当に欲しかった“居場所”がようやくみつかったのだから
『プレラ~! ノート貸して~、今の講義がわからなかったの』
ほんわかとした雰囲気で、愛らしさと優しさを併せ持つ少女、ポーラ。
『ああ、この愚姉、ずっと寝ていたんだ。プレラ、ノートを貸す必要なんて無いぞ』
明晰怜悧とした雰囲気で、それでも暖かい表情を浮かべる少年、ザート。
年上で双子の彼らは、何故かプレラに構ってくれて、良くしてくれた。
二度の人生で、心の底から“友達”と呼べる人達。暖かくて、優しくて、思いやってくれる大切な仲間。
彼らと共にいることの安堵が、どれほど素晴らしいものだったか。
彼女らと共に過ごす日々が、どれほど筆舌に尽くしがたいものだったか。
プレラが持って生まれたこの力は、きっとこの得難い友達を守る為に在るのだと確信すらしていた。
だが。
『ったく、あのガキと犯罪者ども、馬鹿みたいに騒ぎやがって……』
『まったくよ、少し可愛いからっていい気になって』
『むかつくな』
根底渦巻く嫉妬という悪意が、彼らに狙いを定めていた。
士官学校に入学してくるのは親が局員という二世三世の、所謂エリート系が多い。
その中で、若干10歳の少年が自分達の技能を軽々と上回り主席で入学してはどう思うか。
そんな彼が、犯罪者の経歴を持つ双子と仲睦まじく過ごしていれば、その目にはどう映るか。
将来を約束された自分達に与するならまだ許せても、そんな下賤の者共と過ごすことは許せない。
同期のトップであるということは自分達の代表だということ。その代表があの様では、自分達の顔が立たない――。
『なあ、確か次は戦技実習だったよな……。アイツのデバイスを……』
『そりゃいい』
『図に乗っていたみたいだから、お灸をすえてやりましょう』
非殺傷設定という、魔法の危険性を無くすシステムに慣れきった少年達が思いついてしまった、最悪の悪戯。
将来はSランクを超えるであろう魔法の資質を持つプレラが、それを外して魔法を使えばどうなるか――。
『あ、あああああああああああああ……』
地に伏せるは最愛の友達。
手にしたデバイスから放った、安全なはずの魔法弾が彼らを穿った。
決して助かることはないのだと確信できる大きすぎる傷跡。されど、そんな重症を負った最中でも、ポーラとザートは――。
『怪我は無いか、プレラ……』
『よかった……プレラは、無事で……』
事切れる寸前まで、我が身を顧みずプレラの心配をしてくれた。
その壮絶過ぎる事故で唯一救いがあったのなら、それは2人が決して自分達を傷つけたことが故意では無いと信じて疑わなかったことだろう。
こうして、プレラは求め続けてきた居場所を失った。自ら望んだ力で、大切な居場所をぶち壊した。
後悔や無念、絶望。そういった負の感情にプレラが耐え切れなくなった時、せめて一時は信じた神に懺悔を仰ごうと、とある教会の扉を叩く。
それが、地獄の底を突き抜けた、深淵の入り口だとも知らずに。
それからプレラは数々の戦いに身を投じる事となる。
教会で出会った、師匠と呼べる人物から受けた投薬により、友達を奪った原因の一端でもある非殺傷設定への憎み、それを使う時空管理局への恨みを増長され。
こうすれば強くなれると言われた修練方法は高ランク魔導師には運が良ければ勝てるし、低ランク魔導師には運が悪ければ負けるというバランスの悪い力の付け方を学ばされ。
リリカルなのはというこの世界の、完全なハッピーエンドでは終わらない『物語』を変えたいという思いにつけこまれ、散々利用され騙され続けた。
自ら終焉に向かうプレラ・アルファーノ、それが唯一無二の正しいことであると信じて疑わない彼の未来はきっと絶望しかなかった。
されど、そんな彼を変えた1人の男がいた。Cランク程度の低魔力しか持たない雑魚。始めはなのは達に付け入る卑怯者と思った管理局員。
ヴァン・ツチダという強敵の存在。
幾度と無く戦って、幾度となく負けた。実力はこちらの方が明らかに上なのに、何度潰しても、何度倒しても、それでもヴァンは立ち上がって、己の持てる限りを尽くしプレラを打倒した。
――ヴァン・ツチダに勝ちたい。ヴァン・ツチダに負けたくない。
いつしかプレラは彼に対してそんな感情を思い抱いていた。
その思いがあったからこそ、プレラは目を背けていた真実と向き合えた。
信じていた師匠の元から離反し、盟主と尊敬した男と袂を分かち、自らの力で強くなろうと努力する。
そうして、長い月日の末、プレラはヴァン・ツチダに勝利した。
しかも高町なのは、フェイト・テスタロッサという主役を同時に相手して、だ。
非殺傷設定を外して戦い、人間を楽に“殺せて”しまえる魔法での勝負。それでも、3人に後遺症が残るような怪我は一切与えず、完全な魔法の制御を有して勝利した。
「あはははははははははははははははははははははははははっ!」
強くなった。これほどまでに自分は強くなった。
非殺傷設定を外した全力の戦闘で、致命的な傷を負わせないことすら可能とするなど、高位の魔導師ですら困難だろう。
非殺傷設定というシステムがあろうと不幸な事故は起きる。
逆に言えば、殺傷設定であろうと誰をも殺さない事は可能なのだ。
大切な友を殺したのはあくまで己の未熟であり、愚かさが原因。
プレラがもっと魔法に精通し魔法の制御を可能としていたのなら、愛する友達をその手にかけることもなかった。
非殺傷設定に対する嫌悪は、時空管理局に対する憎しみは、全てが自身の未熟さを棚に上げての責任転嫁。
自分自身の弱さから目を逸らし、自分の為だけに力を振るい、世界を救うなどと妄言を吐き、その実は自分の罪より逃げ回っていただけのちっぽけな奴。
それがプレラ・アルファーノという男。
だが、そんな弱き自分を覆い隠す仮面は砕けた。
ほんの少しの“格好つけ”は止めないものの、それでも等身大のまま、プレラは新たな道を歩いて進む。真っ直ぐに、一歩づつ。
これはそんな少年が、ヴァン・ツチダに勝利し、己の弱さを自覚した後――とある世界に住む知人を頼りに旅を続ける内に迷い込んでしまった物語だ。
■■■
コンコンコンと、金槌がリズムに合わせて振り下ろされる。
天を仰げば雲一つない青の空。春先だというのに今は暑いくらいで、額から流れる汗が止まらない。
そんな時空管理局首都航空隊の3097航空隊のオンボロ隊舎――の屋根に、工具を携えた彼らはいた。
「――ってな感じで、先輩に今朝襲い掛かられまして」
「あはは、相変わらずだなプレラ先輩は」
関節技を決められた部分を擦りながらため息をつくヴァン。
どうやら“この世界”のプレラがヴァンに襲いかかったのは二度や三度ではないらしい。そうでなければ、ヴァンのボヤキに受け答えたティーダはこれほどあっけからんと笑わないだろう。
ちなみに、2人の話題となっている当の本人はと言えば――。
(な、なぜ私はヴァン・ツチダやティーダ・ランスターと一緒になって管理局の校舎の屋根を直しているんだ……?)
現状に理解が追いつかず、適当に穴の開いた屋根の一部を板と釘で修理しつつ。
暑いからという理由だけでは到底流せないであろう量の冷や汗を、2人の横で滝のように流していた。
「しかもその後も大変だったんですよ。“なぜ貴様がこんなところにいる!? 私を捕まえに来たのか!?”って大騒ぎで、結局一時間かけてなだめて引きずって来ましたからね」
「ああ、それで今日は遅刻したのか。しかし今日の先輩の寝ボケっぷりはいつもと桁が違うな」
どうやら、“この世界の”プレラは寝ボケ癖が酷いらしく、そんな奇行すら寝ボケていたで納得されている。
以前の私は普段どのような態度で生活を送っていたのかと危ぶみながらも、プレラは今朝の出来事を思い出していた。
ヴァンの話の通り、混乱の極まったプレラは暴れたのである。それはもう盛大に。
その有様たるやデパートなどで地面に転がり両手足をバタバタさせて喚く子供のようだった。
しかし仕方がないといえば仕方がない。“朝起きたら全く知らない場所にいて、そこにいた宿敵のライバルが自分を先輩と呼んで敬語使ってた”なんて超常現象に、誰が瞬時に対応出来るというのだろうか。
多少落ち着いたところで、ヴァンからなんとか現状の情報を聞き出せば更なる混乱に拍車がかかる事態が待っていた。
――プレラ・アルファーノはヴァンと同じ部隊に所属する時空管理局員である、と告げられたのだ。ちなみに階級は准尉らしい。
始めはヴァンが騙そうとしているのではと疑ったが、よくよく考えてみればこのような嘘をヴァンがつくメリットも無ければ理由もない。
しかもその様子があまりにも真剣で、最終的には「だあああぁ! もう遅刻しますから! というかすでに遅刻だよ!」と若干キレ気味な剣幕に押され、なし崩し的に流されて今に至る――というわけだ。
(……それにしても、この私が管理局員か)
つい先日まで札付きの犯罪者として管理局と戦い続けてきた己が、今度は人員として管理局に属すことになろうとは。
恨みに恨み、憎みに憎んだ悪の大組織――と、タナトスに身を置いていた頃はそう思っていたものの、幾度と戦っている内にそれが歪んだ認識だったと改めた。それでも「よし、やっぱ管理局に就職しよう」なんて思わない。
(確かに、管理局で働く。私にはそういう未来も……)
……無くは、なかったのだろう。
あの“出来事”がなければ、現状のようにヴァン・ツチダの先輩として、ヴァン・ツチダと同じチームで平和を守るという未来も――無くは、なかったかもしれない。
(――ふっ、所詮は出来の悪い夢か。夢ならばとっとと覚めて欲しいものだな)
けれどそれはもう過ぎた話。すでに終わった過去。自分で切り捨てた、違う可能性の中にしかない未来。
プレラはそう心の中で呟いて、ニヒルに笑ってみせた。
「って、先輩。笑ってないで手を動かしてくださいよ。全然進んでないじゃないですか」
「1人だけサボるのはずるいぞ、プレラセ・ン・パ・イ」
「む? ……そうだな。了解した」
この全ては夢なのだ。くだらない、夢。そうでなければこんな現実はありえない。
だったらまあ、目が覚めるまでは適当に――流されてみるのも悪くない。2人のそんな催促に頷き、なれない金槌を持ち上げてプレラは勢い良く振り下ろし――さもお決まりのように、自分の指を打ち据えた。
「手、大丈夫ですか?」
「問題ない。伊達に鍛えてはいないからな」
ジンジンと鈍い痛みが奔る、包帯を巻かれた手を振り上げてプレラはそう言う。
夢の中ですらライバルに弱いところを見せたくない少年心溢れる健気な強がりだった。
「夢のくせに痛覚があるとは……」
「夢? なんの話だ?」
「こちらの話だ……それとヴァン、敬語は止めろ。先輩もいらん、呼び捨てでいい。ティーダもな」
「え!? ……いや、でも階級とかありますし……」
「ならば命令だ」
「……わかったよ、プレラ」
「また急だな?」
「気分だ」
「気分ねぇ……あ、ヴァン。ついでに俺にも敬語はいいんぜ?」
「……それは考えて起きます」
ヴァンに敬語で話しかけれれると背筋に悪寒が奔る、とは言えないのでそう誤魔化す。
確かにライバルから敬語というのもある種の新鮮味や優越感があったが、それ以上に違和感が酷いのである。
この世界に置ける以前の自分はこの拭いがたい違和感が平気だったのか? 自分に対してヴァン・ツチダやティーダ・ランスターが敬語で話すのは似合わないだろう――まあティーダは敬語を使ってないが。
「……ところでヴァン。あれはなんだ?」
と、プレラはヴァンとティーダ、3人して軽く目を背けていた、目の前で繰り広げられる逃亡劇を問いただす。
「俺に聞かけれてもな……」
屋根を直して手を治療したその後……つまり現状を説明すると、彼らの元に急遽出動要請が駆け込んだのだ。
早急に駆けつけてその事件を目撃すればどうやらとんだ大外れを引いてしまったらしいとプレラは手を額に押し付けて内心でため息。
(何をやっているんだ、イオタ・オルブライト……)
大量の警備隊をハーメルンの笛吹きのように引き連れた男。しかも見覚えがある人物がだ。
両手一杯に女物の下着を抱えて疾走しているのを見ればため息の1つ付きたくなるのも当然だろう。
(奴の変態性は時の庭園にいた頃に嫌というほどに見たが、夢の中でも私の手を煩わせる気かあの馬鹿は)
夢とはいえ管理局員としての初任務がよもや下着ドロの逮捕とは。なんともやるせない話だった。
「あー、あいつ魔導師だ」
「ほんとだ」
(……ん? いま、まるでイオタが魔導師であることを始めて知ったような口ぶりをしたんだ? お前たちは確か知り合いだったと記憶しているが……この夢の中では、初対面という“設定”なのか?)
そんな違和感に頭を傾げるプレラをしり目に、ヴァンとイオタは戦闘態勢に入っていた。
「まぁ、魔導師でも性犯罪に走る奴もいるだろうな」
「激しく低レベルですけどね。行きますか、ティーダさん、プレラ」
「だな、プレラとヴァンは足止め。俺が援護する」
「いつものフォーメーションですね。了解」
(……まずは、奴にお急を添えてからでいいか。しかし……先ほどセットアップしてから思っていたが)
――プレラは己の手の中に聳えるデバイスをまじまじ眺める。
それは剣でありながら銃であり、銃でありながら剣である白銀の銃剣。
(なぜ私のデバイスがシルバーブラッドに戻っている? 思い入れがあるといえば、あるのだが)
とはいえ、あまり思い出したくもない過去の象徴とも言える以前の愛機の姿がそこにあった。
■■■
「離せ! 離せー! わ、私が何をしたというのだ!? 私はただ、ベランダという檻の中で洗濯バサミという鎖から囚われの姫もといパンツを救出しただけだ! それが何故このような扱いを受けねばならない!? 我々はどうしても引き裂かれる運命だとでもいうのか!? くそぅ! なんだこのロミオとジュリエット状態! 確かに私はロミオのように世紀の美少年ではあるが!」
「変態一名、確保と」
一瞬だった。それはもう一瞬の圧倒劇だった。
清流を悠々と泳ぐ小魚が急降下して来た大鷲に捉えられるが如くである。
一応、とあるビルの屋上まで必死にイオタは逃げたのだが、そこに飛行魔法で先回りしたヴァンが足止め中、背後から強襲したプレラが一撃の元叩き伏せたのだ。峰打ちだが。
尚、その一撃はかなり強めに放たれたもので並の成人男性なら一瞬で昏睡してもおかしくないものだった。崩れ落ちた後にすぐさまタンコブをさすりながら「いきなりなにをするだー! 許さん!」と怒鳴ってきたあたり相当のタフネスぶりである。
「けど自首の勧告も施さないのにいきなり斬りつけるのはどうかと」
せっせとバインドでイオタを縛り上げるヴァンがプレラに向かってそう問う。
その問いに対し、キリッと表情を整えたプレラは悠々と答えた。
「……ふっ。お前のその甘さが、いつか命取りにならなければいいがな」
今日も絶好調だなープレラ先輩は、と口に出さないものの内心でため息をヴァンが吐いた瞬間だ。
待っていたぜ、この瞬間を! とでも言わぬばかりに彼は動いた。
「――今だ! ふはは! 甘い! チョコレートより甘いぞ諸君ら!」
「あ、しまっ……!」
どうやったかは不明だが、マジシャンがやるような縄抜けのようにスルっとバインドを解いたイオタ。
2人の会話の隙を見事に盗み脱兎の如く走りながら、彼は魔法陣を形成する。
(あれは、転移の魔法陣! 馬鹿め、この私から逃れられるとでも思っているのかイオタ!)
火事場の馬鹿力とでも言おうか、イオタの逃げ足は相当のものだが騎士たるプレラが追いつけない程ではない。
ヴァンにしても高速移動の魔法があるのだ。転移を完了する前にもう一撃叩きこんでくれる――だがその目論見は、ティーダの悲鳴に近い叫び声によって頓挫する。
「ヴァン、プレラ! 逃げろ!」
その言葉と、魔力反応を背後に感じたのはまったく同時であり、ヴァンとイオタが飛び退いたのもまた同時だった。
風を切り裂き、孤を描きながらビルの屋上に着弾したのは一発の魔法弾。イオタが引き連れてきた警備隊の誤射だろうか、危うく味方にやられるとこだったとヴァンは「あ、あぶねえぇ」と心臓を跳ね上がらせ、プレラはその魔法弾が巻き起こした『現象』に心臓を高鳴らせる。
「――馬鹿な! この反応はまさか、次元震……!?」
かつて、幾度か体験したことのある危険にプレラは何よりも早く察知する。
度重なる修羅場をくぐり抜けた感覚が、間違いなくこれは次元震が起こる前兆であると、警告を発しているのだ。
「ノゥ! ヘルプミー! おまわりさーん、たすけてー!」
イオタの悲鳴、デバイスの警告音が合唱のように鳴り響く。
「さっきの魔法弾、次元反応弾かっ!!」
「反応弾!?」
ティーダの解析と次元震の反応に驚愕するヴァン。
プレラは冷や汗を流しながらどうするべきか試行錯誤する最中、尚も2人の会話は進む。
「知っているんですか?」
「ああ、お前の年齢なら知らないのか。10年位前に禁呪指定喰らった魔法だよ。ごく稀にだが転移魔法と反応して次元震を引き起こすって、ニュースになったんだ!」
「そ、そんなヤバイ魔法が! って、次元震なおも増大中!?」
「くそっ! ヴァン、下の連中を避難させるぞ!!」
(とはいっても――次元震が完全に発動すればこんな街の1つや2つ軽く吹き飛ぶ。避難なんて間に合うわけがない……!)
「プレラ、実はこんなこともあろうかとこっそり封印魔法を覚えてたなんてオチは?」
「……あったらもう使っている」
「……だよね」
タナトスから離反し、補助技も学ぶようになったプレラではあるがそのほとんどは幻影など戦闘を補助する技ばかり。
もう封印魔法なんて使わないだろうと思っていたことも合い間ってその分野に関しては素人同然だ。膨大な魔力があろうと、専門系の技は余程の才能を持たなければ成功率など皆無に等しい。
「なら俺が行く、2人はフォローお願いします」
ヴァンの提案に驚いたのは、ティーダだけではなく彼を熟知しているプレラも同じだった。
見れば、ヴァンのデバイス『P1S』が見慣れない封印形態に変動している。
「……お前、封印魔法なんて持っていたのか?」
「ああ、削除しないで入れておいたんだ」
一度も封印魔法を使用している場面を見たことがなかったプレラである、驚くのは当然だ
だが、用意周到なヴァンならそれもありえないことではないなと、改めてプレラはヴァンを評価した。
(ふっ、さすが我がライバルだ……が、ヴァンの魔力量を考えれば成功する確率は五分にも満たない……危険な賭けだぞ、これは)
「俺が次元震を封印します」
「無茶だっ! まて、それなら俺がやる!」
「いや、魔力量を考えれば私の方がいい」
慌てるように止めるティーダに、それを遮るプレラ。
だがヴァンは静かに頭を横に振った。
「それこそ無茶ですよティーダさん。いかな才能があろうと、慣れない他人のデバイスで封印なんてプレラでも出来ない。まして、すでに次元震は始まっているのに」
「そ、それは……、お前が無理に命を掛けなくても」
「おじさんが言っていたけど、俺達管理局職員は命を掛けて地上の平和を守らなきゃいけないって。時間も無いみたいですし、俺が行きます」
その言葉に迷いはなかった。その仕草に戸惑いはなかった。
死地へ向かうに等しい選択をしているのにも関わらず、貧乏くじを引いているにも関わらず。
それでいいのだ、と身を顧みない勇者のような姿勢――少なくとも、プレラにはそう見えた。
(ヴァン・ツチダ……貴様は、やはり……)
知らずプレラは必死に拳を握りしめ、嫉妬でもない、哀れみでもない、複雑な思いが交差した眼差しでヴァンを見つめる。
その目を見たヴァンは、困ったように笑っていた。
「ヴァン……すまない」
「気にしないでくださいよ。あ、それよりも無事に帰って来たら妹さんを俺の嫁にくださいね」
「それは断る、ティアナは誰にもやらん!」
「それは残念。だったらプレラのプレミア限定品ジャンバーでいいや」
そんな軽口の応酬の後、2人はお互い顔を見合わせニヤリと笑みを交わし、「後は頼んだ」と言わぬばかりの表情でヴァンはプレラに微笑み――デバイスを掲げ、詠唱を呟く。
「閃光のごとく駆けよ」
『Flash Move』
瞬時に加速したヴァンは高速の弾丸となって次元震の中心へ向かっていく。
次元震の放つエネルギーの波紋は、さながらコンクリートのセメントの中を泳いでいるかのような圧力だった。
それだけじゃない、見えない手がヴァンの体を引き千切ろうと力任せに引っ張っているような痛みすらあった。光を遮断するのか、辺りは真夜中のように暗く視界が悪い。それでも、進まなければ――。
ゴッ、と――いきなりだった。何かに殴られたような衝撃に、ヴァンは屋上を二、三回転ほど屋上を跳ね、なんとか柵に掴まり停止する。
「ぶ、物理的な衝撃を伴う次元嵐……?」
口の中でやけに鉄っぽい血の味がして、足も捻っているのだろうか痛みというストライキでヴァンを引き止めた。
額の痛みに濡れた感覚がするのは、おそらく出血を伴ったからだろう。なんにせよ気絶しないでよかったとヴァンは周囲を確認すれば――。
「ヘルプ、ヘルプミー! ああ、世界は私のような天災を見捨てようとするのか、そうか、これが世界の選択か! 私という特異点を修正力という名の運命が粛清しようというのだな! おのれ世界め! 許さん、絶対に許さんぞ虫けらども! じわじわと嬲り殺しに――ああ、嘘嘘! 嘘です! 謝る、謝るからどうかお助けを! 私が死んだら全米が泣くぞ!? それでもいいのか! オリコンチャート1位を3週くらい続けて独占してしまうぞおおおおおおぉ!
ああ、こうなるならなのはたんとユーノたんとフェイトたんとはやてたんとヴィータたんとアリサたんとすずかたんとキャロたんとエリオたんとルーテシアたんとチンクたんにルーチェ隊長クンカクンカ! クンカクンカ! モフモフモフ! ハァハァハァハァ! しておけばよかったぁぁぁぁぁぁぁl!」
「……見つけた、あれが次元震の中心か」
ヴァンは放置を決め込んだ。そして見つけた黒い球体状の何か。
――次元震の中心へ向かって、一歩、また一歩と進んでいく。まるで亀のような速度だった。
しかしそれ以上の速度をだせば安定とふんばりを失い吹き飛ばされかねない。
「ふぅ、ふぅ――――っ!?」
思わず、絶句した。なぜならヴァンの目の前には、次元震の圧力に耐え切れずにその身を崩壊させたコンクリートの一部が向かっていたから。
大きさは子供一人分くらいはあるか。普通だったら簡単に回避、または破壊も可能なれどこの状況でそんなことをしている余裕はない。
ここであのコンクリートに当たって気絶でもすれば確実に迎える結末は無駄死だ。
いや、自分が死ぬだけならまだいい。それなら数名の人が泣いてくれるだけですむ。
だがここで次元震を止めなければ無数の人々が犠牲になってしまうのだ。ヴァンはどうにか気絶と吹き飛ばされることだけは避けようと、両腕で頭を覆って――。
「やはり、お前ばかりにいい格好をされるのは許せん」
コンクリートを真っ二つに叩き斬った、プレラの声を聞いた。
覆った腕を開けば、ヴァンの前にはシルバーブラッドを携え、広域方のプロテクションでヴァンごと包み込んだプレラが居た。そういえば、あれほど荒れ狂ってこの身を傷つけていた衝撃が消えている。
「プ、プレラ!? なんで……」
「よく考えたらな、お前の魔力が足りないというなら私の魔力を分け与えればいいだけだ。それだけで成功率は跳ね上がる。魔法の使用事態は手助けしてやれんが、お前を次元震の衝撃くらいからなら守ってやれるしな」
「そういうことじゃない! 俺が失敗したら2人共死ぬんだぞ!?」
「ならば尚更だ。このまま一人だけ先にくたばって“勝ち逃げ”することだけは絶対に許さん」
「勝ち逃げって……」
「ふっ、まあそう悲観的になるな」
血まみれで、ボロボロで……何度も何度も見慣れた姿を晒すヴァンに、プレラは手を伸ばし。
「お前は、失敗などしない。保証してやろう、他の誰でもない――この私がな」
ただクールに笑ってみせた。
ぽかんと一瞬だけ呆けたヴァンも、すぐに気を取り直す。
「……まったくもう、プレラ“先輩”は、本当に格好つけなんだから」
ヴァンは先輩の部分を皮肉のように強調して、差し出されたプレラの手を取った。
その手を支えに痛む体に鞭をいれて立ち上がり、ゆっくりと進む。
そしてついぞ辿り着いた中心部。ヴァンは封印術式を展開し、吼えるように叫ぶ。
「封印!」
ただの一瞬で魔力がごっそりと持っていかれるのが傍で見てもわかる。
故に、プレラはその一瞬でヴァンに魔力を供給する。そのやり方はかなり強引で、荒々しいものだった。
けれどありがたい。足りない魔力が満ちていく。プレラの力強い魔力がその身を燃え上がらせる――それから少しの間を置いて、周囲に光が戻ってきた。封印が成功したのだ。
「封印、完了……」
「ふっ、よくやった。さすが我がライ」
安堵の溜息をつくヴァンを労ろうとプレラが声をかけたその刹那、ティーダの声が耳に届いた。
「ヴァン! プレラ! 気をつけろ!」
「えっ!?」
「なに!?」
2人は封印したはずの場所を見る。
そこには小さな黒い点が今だ健在していたのだ。
「し、しまった!!」
その悲鳴はヴァンの物だったのか、それともプレラか。
どちらにせよ、轟音をあげて炸裂した黒い点はビルの屋上を根こそぎ抉り、2人を飲み込んだという結果は、変わらなかった。
■■■
果たしてこれは夢なのか?
誰がどう考えたって、夢に決まっている。
朝起きたらいきなり違う世界にいましたなんて、どんなファンタジー小説の始まりだというのか。
けれども、プレラはそれを否定出来ない。
否、彼だけではなく――それを否定出来ないのは“転生者”と呼ばれる存在全ての人々だろう。
彼らは皆、経験しているのだ。
起きたら違う世界に居た、死んだら違う人間になっていた、ふとしたら違う人生を歩んでいた。
そんな出鱈目な超常現象を、経験している。
(……金槌で手を打って、痛みを感じたときから――わざと考えないようにしていただけだ)
わざと、夢だ夢だと……覚めない夢だと、思い込もうとしていただけ。
これが現実ではないと、認めたくなかっただけ。
(……なぜ、私は認めたくないのだろう)
わからない、わからないことだらけだ。
ヴァンの決死の覚悟を見た時、この世界がどうしても夢だと思えなくなってしまった。
だから、もしかすればヴァン・ツチダはあそこで次元震に巻き込まれ、消えてしまうと思ったから、ティーダの抑制を振りきってあの衝撃が舞う渦へ飛び込んだ。
勝ち逃げだけはされたくなかったから。
ヴァン・ツチダに負けたくなかったから。
(もしもこれが、本当に現実だったとしたら)
私は、元の世界に帰れるのだろうか?
(……まったく、珍しい夢だから、流されてみようと思ったのが運の尽きか……)
まあ――なんにせよ。
「風は空に、星は天に、そして不屈の心はこの胸に。この手に魔法を。レイジングハート、セットアップ!」
その呪文と共に、魔法の光に包まれる幼き少女。
横には、ヴァン・ツチダと共にプレラと闘いぬいた一匹の獣。
間違いなく、それは高町なのはとユーノ・スクライア。
(過去じゃねーか、ここ)
プレラの“寄り道”は、まだまだ始まったばかりのようである。