「……落ち着いたかい、のび太君?」
「は……はい。すいませんでした」
場面は再び居間へ。
あの後、へたり込んだまま涙声で取り乱すのび太を士郎がどうにか宥めすかし、居間へと戻ってきた。
僅かにしゃくり上げつつ、真っ赤に泣き腫らした目を擦りながらのび太は士郎に頭を下げる。
士郎は居たたまれなさそうに、かりかり頬を掻きながら、再び口を開いた。
「しかし、君はなんであんなに取り乱したんだ? さっきも変な事を聞いてきたし、何かしら訳があるんだろう?」
「それは……あの……」
言いよどむのび太に、士郎をはじめとする三人の顔には色濃い疑念の色が浮かんでいる。
しかし、この時のび太は戸惑っていた。
本当なら何もかも喋ってしまいたい、喋って楽になりたいと心の中で考えていた。
ところが、いざどう説明するかというところになると、どうしてもそこで考えが止まってしまうのだ。
そもそも『アーサー王に会いに“タイムマシン”に乗ったら事故に遭って、ここに落ちてきてしまいました』などと説明したところで、信じてくれる人が果たしているだろうか。
まず間違いなく信じてもらえない、単なる子供の妄言だと切り捨てられるだろう。
もしくは所謂『厨二病』の一種かとも受け取られかねない……が、のび太の年齢からいえば、これはやや不適当かもしれない。
いずれにしても、ドラえもんのいる自分の時代と地域ならともかく、ここではそれを正直に説明したとしても常識的に通用しないだろうという事を、のび太はうっすらとだが理解していた。
さすがに、自分の周囲が甚だ異常であるという事を自覚してはいたようだ。
戸惑い収まらぬのび太に、士郎はぱりぱり頭を掻き毟る。
「どうした? 言いにくい事なのか?」
「いや、その……言っても、信じてくれないと思うから……」
心細そうに呟くのび太。
頼りにしているドラえもんの存在が隣どころかどこにもないと解った事で、情緒が不安定になっている。
支えを失った心が、折れそうになっているのだ。
さながら知己も縁者もいない遠い異国の地に荷物もなく、突然置き去りにされた少年。
絶望的なまでの孤独感を、のび太は心の底で味わっていた。
曲がりなりにも今喋れているのは、単になけなしの勇気を振り絞っているからにすぎない。
と、士郎の隣にいた凛が苛立ちの交じる怒声を放った。
「いいから、さっさと喋りなさい! 貴方もさっきこっちの話は聞いてたでしょう!? こっちは貴方ひとりに構っていられるほど、暇じゃないのよ!」
「ひ……っ!?」
あまりの剣幕にのび太の背筋は伸び切り、顔色は蒼白になる。
凛の形相はのび太に、テストで零点を取ったと知った時の母親の、あの鬼の形相を思い出させていた。
「お、おい遠坂!? そんな言い方はないだろう!? のび太君はまだ小学生なんだぞ! もうちょっと優しくだな」
トラウマを抉られたように縮み上がったのび太を見かねて、士郎は庇う。
だが、凛の態度は変わらず冷淡そのものであった。
「……あのね衛宮くん。アナタ、他人の事に気配り出来るほどの余裕があるの? 聖杯戦争のなんたるかもまだ理解出来ていないくせに、さらに荷物を背負い込む気?」
「う……」
睨みを利かせた凛の的確すぎる鋭い舌鋒には、なにも反論出来なかった。
しかし、それでも士郎は、意図的に指摘を無視してのび太の方に向き直り、出来るだけ優しい声音で問いかけた。
「えっと、まあとにかく……話してみてくれ。君は困っている。そうだろう」
「は、はい……」
「困っている人を簡単に見捨てられるほど、俺は腐ってないつもりだ。だから、困ってるなら力になる。そのためにも、君の事情を知りたいんだ。たとえどんなに出鱈目な話だとしてもね……無理に、とは言わないけどさ」
のび太はそっと顔を上げ、士郎の顔を見る。
その眼はどこまでも真剣で、嘘を言っているようには見えない。
不意に、のび太はその眼を信じてみたくなった。
極限まで精神が削られて、気を張っているのも限界に近かったという事も要因の一つにはある。
だがとにかく、士郎の一言でのび太の意思は固まった。
こうなったら、腹を割って話してみよう、と。
意を決したのび太は、ひとつ力強く頷くと口を開いた。
「あの、最初に言っておきますね。今から話す事は、嘘みたいな話かもしれないけど本当の事なんです。だから、とにかく最後まで話を聞いてください。実はぼく……」
回りくどく、たどたどしいのび太の説明は、実に数分の時を要した。
そして説明を終えた時の聴衆の反応はというと。
「“タイムマシン”で過去から来たって!?」
「は、はい……正確には時空間を移動していた時、『時空乱流』に巻き込まれて事故に遭って、偶然こっちの時代に来ちゃったんです」
あまりのインパクトゆえに、三人の表情は驚愕から一周回って呆れたものとなっていた。
無理もない。
この世界の常識では計り知れない事が、のび太の口から齎されたのである。
「未来から来たロボットの持ってる“タイムマシン”……ねえ。悪いけど、寝言は寝てから言いなさいな。これっぽっちも信用出来ない。論外ね」
「凛さんの言う事も解ります。ぼくも、最初ドラえもんと会った時は信じられませんでした。でも、本当の事なんです。信じてください!」
「と、言われてもね……じゃ、なにか証拠はあるの? アナタの言っている事が本当だという証拠は」
「しょ、証拠って言われても……」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。
既に“タイムマシン”の出口は閉じてしまっているだろうし、ドラえもんどころか未来の自分もどこにいるのか解らない始末。
のび太には自分の言葉を証明する手立てがまったく思いつかなかった。
「……うぅ」
諦めたように目を伏せ、座った体勢のままのび太はなんとはなしにポケットに手を突っ込む。
すると、急に表情が変わった。
「ん? なんだろう……あ! こ、これは!?」
首を傾げながらのび太はポケットからブツを取り出すと、先ほどまでの表情とは打って変わって心底嬉しそうな表情をする。
その手には、なにやら白い袋状の物が握られていた。
「そうだ! これを持ってきてたんだった! “スペアポケット”!!」
神器を振りかざす神官のように、のび太は“スペアポケット”を握った手を高々と宙に突き上げる。
さっきまでの意気消沈振りとは百八十度真逆の、水を得た魚のように溌剌としたのび太に、三人は一様に呆気にとられていた。
その中にあって、いち早く口を開いたのは、真っ先に再起動を果たしたセイバーであった。
「あの……ノビタ。なんでしょうか、それは?」
「ドラえもんが持ってる、未来の道具を入れているポケットのスペア、予備です。この中は四次元空間になっていて、いろいろな道具が入ってるんです。たとえば……えーと」
のび太はそう言うと“スペアポケット”の中に手を突っ込み、ごそごそと漁る。
「うーん……室内だから“タケコプター”は危ないし、“ビッグライト”もそうだよなぁ。かといって“スモールライト”は……うん、じゃあ……これだ!」
ぶつぶつ独り言を漏らしつつ、のび太が取り出したのは。
「――――ふ、ふろしき?」
時計の柄がプリントされた、一枚の風呂敷だった。
「の、のび太君……なんだ、それ?」
「これは“タイムふろしき”って言って、これに包んだモノの時間を進めたり戻したり出来るんです」
「モノの時間を進めたり、戻したり……ですか?」
今ひとつ合点がいかないようで、セイバーが首を傾げている。
見ると、隣の凛も似たり寄ったりの反応であった。
「えーと、じゃあ実際にやってみた方が早いかな」
頬を掻き掻きそう言うと、のび太はその場に“タイムふろしき”を広げる。
そしてきょろきょろと、何かを探すように周囲に目をやっていたが、やがてセイバーの方に目を向けた。
「ねえ、セイバーさん。ちょっとこの上に座ってくれません?」
「はい?」
言葉の意図が解らず、セイバーの目が点になる。
だが、のび太は意に介さず、いいからいいからとセイバーの背中を押して、“タイムふろしき”の上に立たせた。
「あ、でも鎧を着てるから、座れないかな?」
「は……いえ。それでしたら、問題ありません。私の鎧は魔力で編まれたものですから」
セイバーはそう言うと目を閉じ、身に纏った銀の鎧を魔力に還元して武装を解除した。
「このように、即座に着脱出来ます」
重厚な鎧が消え去り、今現在、セイバーが身に着けているものは、鎧の下に着ていた青いドレスのみ。
今度は、のび太の目が点になった。
「わあ、スゴイなぁ……。じゃセイバーさん、座って座って」
一頻り感心したのび太は気を取り直し、再びセイバーに催促する。
セイバーは言われるままに“タイムふろしき”の上に正座した。
「のび太君、一体何を……?」
「すぐ解りますよ、士郎さん。セイバーさん、今からセイバーさんをこれで包みますけど、じっとしていてくださいね」
「はあ……」
セイバーの生返事もそこそこに、のび太はいそいそと“タイムふろしき”をまとめ、セイバーを風呂敷の中に包み込んでいく。
そして完全にセイバーが風呂敷に包まれると、『ワン・ツウー・スリー……』となにやらカウントし始めた。
ちなみに本来、カウントする必要などまったくないし、それどころか対象を包む必要もなく、ただ上から被せただけでも効果は発揮される。
単に手品でもしているかのように見せかけるための、のび太の完全なお遊びである。
そして、そのまま数秒が経過した。
「うん……もういい頃かな? よし、じゃあ……行きますよ! それっ!」
掛け声とともに“タイムふろしき”をほどくのび太。
ばっと包みが開かれ、中から出てきたのは。
「――――え!? ちょっと!? これって……!?」
「まさか、セイバー……なのか?」
「は? シロウ、いったいなにを言って……っな!? なんですかこれは!?」
胸元の開いた青いドレスを身に纏った、長身の金髪の美女であった。
「ノ、ノビタ。これは一体……!?」
「“タイムふろしき”でセイバーさんの時間を進めたんです」
「セイバーの時間……? そ、それってつまり、成長させたって事!? 不老のはずの英霊を!?」
「へ? まあ……そうです」
一部の言葉に首を傾げながらも、のび太はしかと断言する。
ほどかれた“タイムふろしき”の上に立ち、自分の身体をぺたぺた触りながら目を見開いているのは紛れもなく、士郎のサーヴァントであるセイバーだ。
ただし、先ほどまでの中学生程度の背格好ではなく、十八~九歳頃と思われる容姿をしていた。
今までは幼さのせいで美しさよりも可愛らしさが前面に出ていた訳だが、今のセイバーはこの世の物とは思えないほどの美貌と共に凛々しさが殊更際立っており、まさに絶世の美女と呼んで差し支えない。
頭の後ろで纏められていた髪は腰まで伸び、まるで金の絹のように艶やかな光沢を放ち、さらりと柔らかく真っ直ぐ流れている。
背丈も欧州系であるためか士郎とほぼ同程度まで伸び、凛とのび太を見下ろすような形となっている。
そして、なにより特徴的……いや、衝撃的なのは。
「――――くっ、わたしより大きいなんて!?」
「……う」
所謂『母性の象徴』である。
敢えてどこだ、とは言わない。
しかしながら、上着の一部分を押さえて唇を噛みしめる凛の言からして、かなりのレベルにあると考えて差し支えない。
微妙に前傾姿勢を取っている士郎の存在が、それをしっかりと裏付けている。
はっきりと言おう。その自己主張度合が尋常ではなかった。その偉容、まさにスイカかマスクメロン。
凛の、そして士郎の……実に哀しい……反応もむべなるかな、である。
「……成る程、私が仮に成長していたのならば、こうなるはずだった訳ですか。むぅ……いったいどのような原理でこんな現象を引き起こしているのか。魔力が感じられなかった以上、魔術ではない……」
小声で何事かを呟きながらも微に入り細を穿ち、己が身体を見渡し続けるセイバー。
自身の変貌ぶりがよほど衝撃的だったのだろう。
ちなみに視線を送る回数が一番多かったのは、やはり劇的な変貌を遂げた部位。
視線を下に落とすだけで容易に視認出来、かつ、ずっしりとした重量感と存在感に惹かれざるを得なかった。
「ふむ」
無意識にだろう。彼女はむにむにと、己が諸手でその存在を確認していた。
傍目からでもはっきりと解る。重力に逆らうように張り出し、人肌の温かさを湛えたそれが、マシュマロ以上のまろやかな弾力と柔らかさに満ち溢れている事が。
ふよふよと、面白いように形の変わる様を見ていた士郎の腰が一層後方へと引かれ、また凛の表情が、ますます痛々しいものへと変容していた。
それはともかく。
「どうですか! これでぼくの言った事が本当だって事、信じてくれますよね!」
明らかに常軌を逸しているこの現象。
魔術という、科学とは真逆のベクトルの力と関わりを持つこの三人でも事態をよく呑み込めないでいた。
こんな現象、大魔術に類する魔術でも実現出来るかどうか解らない。いや、不可能かもしれない。
三人の葛藤……一部違うが……を知ってか知らずか、勝ち誇ったように、のび太は凛に詰め寄っていく。
凛はしばらくの間、難しい表情をしていたが、徐に重い息を一つ吐くと。
「……はぁ。そうね、解ったわ。信じてあげる。流石に今のを見たら、ね」
「やったぁ!」
渋々といった表情ながらも、のび太の言葉を認めた。
ただし、怨念すら籠ったその視線だけは、セイバーの格段にレベルアップした『女性らしさを表す部位』に突き刺さったままであり。
「――――うぅ、んんっ」
必死の形相で『ポジション修正』に勤しむ士郎の背筋は、いまだ伸びない。