止まぬフラッシュのような光と鳴動、鼓膜をびりびりと衝撃波の残滓が揺さぶってくる。
大花火大会の暴発事故以上に、混沌の戦場は色とりどりの閃光と喧騒に包まれていた。
「…………」
かたかたと鳴るプロペラの音も、この暴力的な音に溶けて消えてしまう。
天然の欺瞞装置。これを最大限に利用する。
「――――よし」
魔的な荘厳さに満ちた『神殿』の地面に穿たれた大穴。
振動によって縁から瓦礫がばらり、ばらりと崩れ落ち、底の見えぬ闇に次々呑み込まれていく。
宙に浮き、落石を避けつつ縁壁に張り付くようにして。
凛は大穴からそっと頭を出し、戦場を覗き見た。
『どうした。そうして逃げるだけしか出来んのか、白銀の剣士よ。ククク……!』
壊れたスピーカーのように轟くのは、オドロームの嘲笑だ。
神殿の屋根近く、庇のように迫り出した高い位置に陣取り、自らを固定砲台として杖から怪光線の弾幕を形成し続けていた。
光線のほとんどは敵を掠めもせず、岩や地面を灰にするばかり。
狙いを気にしていないあたり、当てる事よりも甚振る事を目的としているようだ。
明らかに標的をなめきっている。
「うひいぃいい……!」
強者の余裕に晒され、半泣きとなりながらも、のび太はいまだ健在であった。
バッタのようにみっともなく飛び跳ね回り、時にこけつまろびつ、死に物狂いの駆け足で逃げ惑っている。
過去にその恐ろしい威力を味わっているだけに、必死さがありありと現れていた。
ほっと凛は内心で息を吐く。しかし、その一方で疑問も残った。
「ん……? バリアを張ってない?」
じっと観察していると“バリヤーポイント”を使用している形跡がなかった。
彼の周囲には、弾幕の他にも弾かれた砂礫や小石がばらばら飛び交っている。それらは本来あるはずのバリアの範囲に抵抗なく入っていた。
「筐体が壊れたか、使っても意味がないのか……後者で考えておくべきね」
オドロームの光線は対象を灰にするものだ。あらゆる物を弾き返すバリアすら、効果を灰塵にするのかもしれない。
ポケットの中の“バリヤーポイント”を指で転がしながら、凛は続いてのび太の背中に貼り付いて奮戦する少女に視線を向けた。
「たぁ!」
小さな掌から生み出される、強烈な大気の渦が標的へ迫る。
自動車すら簡単に吹き飛ばすような圧力になす術なく、二体がまとめて宙で錐揉みし、地面に吸い込まれていった。
『Gyaaaaaaaa!!』
聞くに堪えない耳障りな奇声を上げ、ジャンボスとスパイドル将軍がどうと倒れ伏す。
身を包む鎧や装束は擦り切れ、身体のあちらこちらに手酷い痛手を受けていた。
スパイドルなどは、六本ある腕のうち四本があらぬ方向に曲がっている。
これ以上の戦闘は続けられない。
『愚図どもめ! だがよかろう、立ち上がる機会をくれてやる! 僕(しもべ)としての本懐を成し遂げよ、たとえ骨だけとなろうともな! カア!』
そこに大喝一声。オドロームの地鳴りのような叫びが轟く。
たったそれだけで、劇的に変化する。
「え」
二体の身体を怪しい輝きが包み込む。
次の瞬間には、瞳にぎらりと狂気の光を再び宿し、ゆっくりと立ち上がり始めた。
さらに、折れていたスパイドル将軍の腕から、めりめりとなにかが蠢くような耳障りな音が鳴る。
時間にしてたった数秒。それだけで八本の腕すべてが元通りに繋ぎ直され、鎧も武器も完璧に戦闘前の状態へと戻っていた。
『Gyiiiiiiii!!』
『Uoooohhhhh!!』
それは、ジャンボスも同様だった。
決して浅くない傷を負っていたにも拘らず、それらすべてが消えてなくなり、前にも増して凶暴さを剥き出しにした雄叫びを上げていた。
首魁のたったの一声で、二体の狂戦士は復活を果たし、戦列に復帰した。
「……流石に、キャスターか」
気炎を上げる魔物から視線を外し、凛は舌打ちしたくなるのをぐっと堪えた。
親玉を叩き潰さない限り、手下は蘇生し続ける。それこそ、たとえ骨となろうとも。
「むぅーっ!」
フー子が渋い表情で唸る。
面倒さと不快さを感じている辺り、彼女はこの二体の相手に手一杯になると見てよかった。
バーサーカーの化身だけあって強力な戦闘能力こそ持っているが、精神がのび太以上に幼い。
戦術や戦略といった戦闘能力を活かす力に乏しく、それこそ場当たり的な戦闘しかこなせなかった。
彼女が真価を発揮出来るのは、広い視野を持ちつつ知略に長けた者と組んだ時。
陣営の中でその条件を満たすのは、無名ながら『心眼』を持つまでに戦場を生き抜いてきたアーチャーと、一国の王として軍を統率していたセイバー。そして一歩譲って、凛が後に続く。
しかし、今は半ば護るようにのび太にくっついている状態であり、しかも宿主は現在、てんやわんやである。
場当たり対応以上を望むべくもなかった。
見方を変えれば、魔物二体が身体を張って彼女の矛先を限定しているとも言える。
「実質、フー子は魔物と相殺か。で、もう一方の相殺は」
凛の瞳がぐるりと動く。
今度は、英霊同士の鉄火場へと。
「――――あ、貴女はどこまで、馬鹿力……っ」
「が……ぁあっ、不愉快な物言いを……ッ! しないで、もらいたい……!」
そこには、息も絶え絶えに呻くガリバーがいた。
鎖でびっしりと雁字搦めにされ、地面に縫い付けられたセイバー。
鉄杭を地面に突き刺して、千切れんばかりに鎖を引き絞るライダーの顔は、きつく歪んでいた。
「ぐ、ぅう……動かないで!」
ライダーの眼帯は外されたままである。
遮るもののない魔眼『キュベレイ』に晒され、『重圧』でパワーダウンしているはずなのに、セイバーの抵抗は凄まじかった。
縛られた腕や脚がもがこうとする度、ぎしぎし、ぎりぎりと鎖が悲鳴のような軋みを上げる。その都度、ライダーは両腕に巻きつけた鎖を、歯を食い縛って締め上げた。
少しでも力を緩めようものなら、あっという間に拘束が解ける。そうなれば、もはや取り押さえるのは不可能であった。
『ふん、捕縛するとはやるものだ。しかし……ぬぅん!』
「ぅうっ!? が、あああああああああっ!?」
オドロームの一声と共に、セイバーの身体から黒い、異様な魔力光が膨れ上がり、次いで目も眩むほどの紫電が盛大に迸った。
セイバーの絶叫が木霊し、彼女の瞳から、意思の光が明滅し始める。
魔物の王からの干渉が激化し、セイバーの意識が徐々に、だが確実に削られていく。
「あぐ、ぅうううううう!」
「まだです、まだ落ちてはいけません、セイバー!」
砕けんばかりに歯を食い縛って、剣士は魔王の更なる干渉に抗う。
気を失おうものなら、即座にジャンボス・スパイドルの仲間入りである。
彼女の強固な自我が、傀儡化の呪縛を跳ね除けようとしているからこそ、彼女の敵対行動も鈍く、ゆえに騎乗兵が彼女を拘束し得た。
しかし、それもいつまで保つか解らなかった。
セイバーを纏う悪性の魔力はさらに濃さを増し、鎖を引き千切ろうとする力はどんどん強くなりつつある。
「待ったはなし、ね」
いいところ、あと二、三分。凛は頭の中でリミットを区切った。
オドロームが、敵を甚振る事に重きを置いているからこそ、僅かとはいえ猶予がある。
微塵の驕りもなく殲滅に掛かられようものなら、セイバーは既にオドロームの忠実な傀儡で、のび太はこの『神殿』の埃と化している。
じんわりと、己の背中が冷たくなるのを感じながらも、凛の瞳は忙しなく動き、周囲を観察し続ける。
その間、わずか五秒。
「――――いくよ、凛」
決断した凛の行動は、素早かった。
休止していた魔術回路を起動する。
ただし、段階はアクティブではなくロー状態、閾値ぎりぎりの稼動状態に留めた。
アクティブへ移行すると、オドロームに感知されてしまうおそれがある。
まだ、姿を晒す時ではない。幸い、魔王自身の魔術行使によって散々にばら撒かれた濃い魔力の残滓が、凛の魔力を隠してくれる。
葉っぱが一枚、鬱蒼とした林の中へ紛れるように。
「よし」
細心の注意を払い右の指先に魔力を集中。一発のガンド弾を作り出す。
そして静かに、かつ素早く穴から頭と手を出し、即座に狙いを定める。
今まで何千と繰り返してきた彼女の基本魔術。一連の動作に淀みはなく、確実に狙ったところに当てられる力量が凛にはある。
標的は、この場で最も小さい者。
「気づきなさいよ……フー子」
のび太の動きのリズムを読み、息を整えるために動きを止めた一瞬を見計らって、ガンドを発射した。
狙い過たず、ガンドはフー子の頬へ当たる。
「んうっ、んー?」
バーサーカーの宝具『十二の試練(ゴッド・ハンド)』をその身に宿すフー子に、ガンドは通用しない。
だが、なにかが当たったという感触だけは伝わる。それで十分であった。
ぺちっ、というガムでも引っ付いたような感触に、不可解そうにきょと、と周囲を見渡すフー子の目が、凛のいる方向へと向けられる。
無垢な瞳に凛の顔が映る。
あ、と彼女の口が開きかけたが、それ以上動く事はなかった。
「しいーっ」
呟きと共に凛の口元に当てられた、一本の人差し指。
悟った少女がぱっと口を塞ぐと同時に、凛は素早く両手を穴から出し、口をぱくぱくとさせつつ同時にジェスチャーを送る。
事は密やかに、そして迅速に運ばれねばならない。
目をぱちくりさせながらも秘密の指示を読み取ったフー子は、二度三度と首を小さく縦に振った。
『のび太からいったん離れろ』
眼鏡の少年と同様、フー子も凛には素直に従う。
純真でマセた子どもそのものの思考をしてはいるが、頭は悪くない。短い付き合いだが、それなりの信頼関係も積み重ねられている。
「え、あ! フ、フー子? どうしたの?」
彼女が急に背中から離れた事に戸惑うのび太を尻目に、凛はすぐさま次の指示を飛ばす。
フー子もまた、きちんと口を閉ざしたまま、横目で指令を読み取っていた。
『敵を全員巻き込む派手な大技をお見舞いしてやれ』
今度は頷かない。
しかし、フー子の行動は迅速であった。
「むぅ~ん!」
「ふ、フー子、なにを……おわ!?」
彼女を中心に渦を巻く、急激な魔力の高まり。
『竜の因子』の同期現象が、主従の二人を黄金色の燐光で染め上げていく。
生み出された魔力はすべてフー子へと収束し、彼女の全力の一撃を形作る基となる。
『ぬ?』
首魁の目が、のび太から彼女へと向けられる。
ジャンボスとスパイドルの意識も、完全に彼女へと移る。
「フゥウウウウウ……!」
風使いは風を、もっと言えば風の構成要素たる『大気』を操る。
その中で、最も凶悪な現象は“気圧の操作”。それを置いて他にはない。
生物が、生身で宇宙などの真空空間に放り出されれば、悲惨の一言に尽きる。体内の血が沸騰し、身体は内側から裂け、風船のように醜く破裂する。
彼女には、この陣地のすべてを真空に出来るだけの素質がある。だが、彼女にそれは成し得ない。
彼女の力は本能の産物に近い。理屈や理論の余地のない、本能による“風の操作”で、そこまでの現象は作り出せない。
力の指向は彼女の、精神年齢同等の拙いインスピレーションによって形作られる。
そして、拙いなりにも彼女に出来る事は多少ながらあった。
「ぅうううう~!」
天に掲げた小さな掌に、魔力が渦巻き、収束する。
そして、彼女が諸手を勢いよく振り下ろした時、その力のすべてが指向性を持って解放された。
「えーい!」
彼女の脳裏に焼きついている、冴え冴えと冷たくも重く、鋭い剣士の刃の閃き。それが風で何十、何百も再現される。
現れた無数の真空の刃が、津波のような怒涛の壁となって魔物へと襲いかかった。
『――――――!?』
まるで無数の刃物を放り込んだ洗濯機に叩き込まれたかのよう。悲鳴を上げる暇すらなかった。
ジャンボス・スパイドルは全身をずたずたに引き裂かれ、身体のあちらこちらから鮮血を吹き散らかした。
そして、後追いでどっと押し寄せてきた烈風の濁流に呑み込まれ、弾丸ライナーのホームランボールの如く、まとめて神殿の壁へと突き刺さった。
ぐちゃ、という生々しく耳障りな音を立てて。
「うひ……」
凄惨な光景が、乱立する瓦礫に僅かでも遮られたのは幸いだろう。
それでも目を逸らしていたのび太の口からは、呻き声が漏れていた。
「ぷはーっ」
力の解放を終えたフー子は、岩壁の肉塊を一瞥もする事なく、顔を落としてはやや疲れたように息を吐いていた。
あっけらかんなその様が、血生臭い結果を目にしてのものか否か。本人ならぬ余人には測り得ない。
『ふん……よくやる。が、詰めが甘いわ!』
大音声と共に、光線の雨が止む。
そして高々と首魁が杖を振り上げると、半ば挽肉と化した二体の魔物を怪しい輝きが包み込んだ。
見るからに再生魔術。だが、その進行は遅い。
前は植物の成長を早回しで見るかのような速度であったのに対し、今回はアメーバの分裂のようにじわじわとしたものだった。
如何に魔道王オドロームといえ、相応の深手にはそれだけの時間がかかるようだ。
「――――ここ!」
好機、来たれり。
ぎらり、と猛禽のように凛の目が光った。
機を見て敏。素早く二発目の弱ガンドをフー子へと放ち、滞空状態のまま、地を舐めるようにしてさっと穴から躍り出た。
「へぅ!」
『ぬ!? 小娘、その剣は!?』
ぺちんと頬を撃たれたフー子。闖入者に気づいたオドローム。
双方の目が彼女へ向こうとしたその瞬間、彼女の吼えるような声が轟いた。
「フー子! オドロームに攻撃!」
あまりの剣幕に、びくうっ、とフー子の身体が硬直する。
その反応は、脊髄反射にも近かった。
「ぴーっ!?」
あたふたしながら、先ほどの余剰魔力から風の砲弾を作り出すと、放り投げるようにオドロームへと放った。
見た目は雑だが、狙いは正確。
一直線にオドロームへと向かっていく。
『うん!?』
危機を察知したオドローム。フー子の方へと翻り、杖を持たぬ片方の手を素早く前へ翳す。
すると、魔王の前方に薄い光の壁が瞬時に出来上がった。
厚みはなくとも、力強く輝きを放っている事から、バリアの強固さが窺い知れる。
その数瞬後、ずどん、と重い音を響かせ、砲弾が壁へと衝突した。
にやり、とオドロームの口が三日月に歪む。
『――――なにぃ!?』
だが、濡れ紙を破るように壁を突き抜けた風の砲弾に、それもすぐ掻き消えた。
余剰魔力で急遽生み出したあり合わせだが、それでも『ふしぎ風使い』謹製のシロモノである。
“空気砲”以上に超圧縮された空気は、いかに高ランクの魔術であろうと簡単に防げはしなかった。
『うぉおっ!?』
そして、炸裂。
巨体を誇る魔王の胴ど真ん中に、どすん、と強烈な衝撃が叩き込まれた。
破裂の余波がぼうっ、と粉塵を盛大に巻き上げ、その奥へと首魁が掻き消える。
こじ開けた僅かな好機が、さらに広がりを見せた。
頭の“タケコプター”を唸らせ、凛はぐんと加速する。
「のぉび太ぁあっ!」
怨嗟にも似た、地鳴りのような呼び声。
対象の首が、彼女の方へ振り向いた。
「りっ、凛さ、ぅぎ!?」
そこで声が不自然に途切れた。
次いで、絞り上げたような奇声が上がる。
「よぉし、捕まえたあ!」
その原因は彼女の腕。
飛翔する勢いそのままに、凛はラリアットよろしく彼の細い首に、その片腕を勢いよく巻きつけていた。
そして惰性を利用し、彼の首を支点にくるりと回転すると、背後へと回って着地した。
「り、んっ……さ……く、るしぃ、いいっ」
「よく粘ってたわね、流石!」
苦の呻きは騒音に紛れ、彼女の耳に届かない。
ぐいっ、と首に回した腕ごと身体に抱え込むようにして、凛はのび太へ耳打ちする。
「さて、要点だけ言うわよ」
言うや、凛が穴倉からずっと片手に携えていたブツをのび太の鼻先へ、逆手で持っていく。
冴え冴えと冷たい鋭利な輝きが、眼鏡越しの彼の両目にすっと飛び込んだ。
途端、スイッチを切ったように呻きがぷっつりと消えた。
「これを見なさい。アンタならこれがなんだか、解るでしょ」
唇を動かしつつ、凛の瞳はオドロームの方を忙しなく窺っている。
粉塵のベールはそのまま、魔王の姿はまだ見えない。
これ幸いと、凛の舌は滑らかに、そして素早さを増して回る。
「切り札よ。アンタが持ってなさい。嫌な役回りで申し訳ないけど、どの道アンタしか使えないんだし、アイツにとっての弱点はこれ以外に……ん?」
ふと、そこで凛の唇が動きを止めた。
次いで、その眉根がゆっくりと不審そうに歪んでいく。
「ちょっと……のび太、聞いてる?」
ぱったりと反応を示さなくなった腕中の少年。
水筒に水を注ぐように、彼を抱え込む彼女の腕には重みが増していくような感触があった。
いったい何事だと、凛は少年の顔を覗き込んで。
「――――あっ」
彼女は己の失策を悟った。
そして、改めて自分の行動と格好を省みてみる。
相手の首元へ腕をかけ、そのまま力を込めて己の側へと引き寄せ。
最後に相手の目の前へ素早く、ぎらりと剣呑に光る『切り札』を突きつけた。
ごく単純に、かつ端的に見たその姿は、まさしく。
「やばっ!」
人質を盾にする強盗犯か誘拐犯そのもので。
肝の細い、危機に晒された哀れな人質はというと。
「うぅ~ん……」
首を腕でがっちり極められ、締め落とされる寸前で凶器を向けられた結果、ついに心理は限界に。
ぐるりと白目を剥き、ぶくぶく泡を吹いていた。
「ご、ごめん、ついっ……あ、いや、まずは起こさないと」
コンマ数秒で冷静になると、凛は手にした剣を床に転がし、すぐさま少年に手を施す。
背中に指を添え、一息に突き入れツボを刺激する。
「ふっ!」
俗に言う『活を入れる』施術。
ごり、というやや耳障りな音を立てて、意識を強制的に覚醒へと導く。
途端、少年は激しくむせた。
「がっほ、げほ、げへっ、けへっ……し、死ぬかと思った……けほ、けほっ。い、いきなりなにするんですか!」
「あぁ、うん、まあ、ね。ゴメンナサイ」
恨めしげな視線を受けて、言い訳もそぞろに凛は頭を下げた。
そして、すぐさま本題へと戻る。
「それはともかく、ほら、これを見なさい」
「ともかくって、え……あ、ああっ、これ!?」
「そう。『白銀の剣』よ」
「ど、どうしてこれがここに?」
「それは後で。敵は待ってくれないのよ、ほら!」
「へ?」
凛は剣を拾い渡しながら、顎でしゃくって指し示す。
のび太の首が動くのと、段上の粉塵が吹き飛んだのはほぼ同時だった。
『カァアアアアアッ!』
「うわ、全然効いてない!?」
「の、ようね……」
気炎を上げて舞台に戻るオドローム。確認するまでもなく、ダメージはほとんど見受けられない。
半ば予想通りとはいえ、凛の心裡に僅かな落胆が生まれた。
風の精の痛烈な一撃でも、敵の特性を貫けなかった。その事実が重くのしかかる。
この場における頼みの綱は、やはり今、のび太が手にする剣しかなかった。
『流石に大した威力だが、攻撃が“ソレ”ではかすり傷にもならんぞ!』
「む~! でも、ふっとんだ、くせに!」
フー子が膨れっ面になるが、そこにある事実は否定出来ない。
たとえセイバーこと『アーサー王』の聖剣の力を全開放しても、敵を滅ぼす事は出来ないのだ。
首魁の目の色に焦燥はない。闘気と怒気と、余裕が入り混じった強者の眼光をそのまま保っていた。
その冷ややかで剣呑な視線が、じろり、とのび太の持つ剣へと突き刺さる。
『しかし、少々驚いた。まさか小娘が『白銀の剣』を持ち出してくるとは。どうやら、どこぞの輩が小細工をしたようだな』
「……答える義理があると思う?」
『ふん。だが、おおよその見当はつく。ならば、余興は終わりとしよう! 出でよ、兵どもよ!』
宣言するや、オドロームが杖を振り下ろす。
すると、地面のあちらこちらから染み出るように、二メートル近いヒトガタが次々浮き上がってきた。
「うげ! こいつらはっ!?」
顔を引きつらせて、のび太が呻く。
材料こそ違うものの、現れた敵のその厄介さを、少年は身を以て知っていた。
『くく、いい土地に神殿を作ってくれたものだ。魔力の集まりも悪くない。この点は『キャスター』へ感謝しよう』
「え?」
『この地下で以前の“土の精”を作ろうものならここが崩れかねんが、特段、土に拘る理由もない』
「……水脈か!」
穴の奥底で、なにかが流れる重々しい音が聞こえていた事を凛は思い出した。
豊富どころではない。実質、無尽蔵である。
思わず舌打ちしようとして、しかしそこでぐっ、と堪えた。
「のび太! ぼやっとしないで、しゃんとする!」
「は、はい!」
「フー子、こっちに来てのび太につく!」
「ひ、ひゃい!」
凛が檄を飛ばし、二人が背筋を伸ばすと同時、動き出す。
フー子は指示通りにのび太の後ろへ回り、のび太は剣を持つ手と反対側に“ショックガン”を握った。
淀みなく動く二人を横目に、凛は魔術回路を再度臨界まで回転させる。
腕に刻まれた魔術刻印が力強く発光し、戦意漲る彼女の秀麗な顔を照らし上げていた。
「そういえばのび太、アンタ“バリヤーポイント”は!?」
「は、え、ええと、こ、転んだ拍子に落として踏んづけて、壊しちゃいました! ごめんなさいっ!」
「はあっ!? このおバカ! 予備は!?」
「そ、それも転んだ時、全部バラ撒いちゃって。“スペアポケット”に入れてた分もズボンのポケットに入れてたから!」
「んなっ……!」
なぜバリアを張らずに逃げ回っていたのか、その理由が判明した。
痛恨のドジに歯痒い顔をしながら、凛は自分の“バリヤーポイント”をのび太に渡す。
「とりあえず、わたしの分を持ってなさい! もう絶対に落とさない事!」
のび太がブツを受け取ったその時、隙間なくびっしり生え揃った水の兵隊は、オドロームの号令によって一斉に鬨の声を上げた。
『かかれぃ!』
一糸乱れず、マーチのように動き出す軍勢。
その勢いは激流であった。
「は、速いっ!? 前より速いぃい!?」
引き攣ったようなのび太の声が漏れる。
粗末ながら鎧と剣の装備がある点も、かつての“土の精”と異なっている。
しかし、水と土の両者に共通する真価は、その圧倒的な物量の一点に尽きた。
それが、以前よりも速度を増して一気に押し寄せてくる様は、まさに洪水そのものだった。
「寄らせない!」
叫びざま、凛はポケットから宝石を複数個掴み出し、空へ投げ放つ。
通常使っている物と雰囲気の異なるそれは、次なる凛の合図で秘めた力を開陳する。
「『解放』――――!」
刹那、宝石が眩い光を放ち、押し寄せる兵士達の只中へと飛び込んでいく。
そして、盛大な音と閃光を放って猛烈な衝撃波が炸裂した。
「うわ!?」
「フぅ!?」
魔術的に堅牢な神殿全体が、びりびりと震えるほどの威力だった。
濃霧のように立ち込める粉塵を掻き分け、凛の声が響き渡る。
「一級品のとっておき、大判振る舞いしてあげる」
さあっ、と塵の霧が晴れる。
彼女らの前方にいた敵数十体が、潮が引いたように消え去っていた。
その傍ら、凛はちらとオドロームを見やる。
『ほぉう……?』
小娘にしてはやるものだ。
そう言わんばかりの賞賛と嘲りとが混ざった視線を、首魁は彼女に向けている。
それで、凛は以前から感じていた事に確信を持った。
オドロームは、『王』ではあっても『将』ではないのだ、と。
「二人とも、呆けてない! そっちからも来てるわよ!」
「え、あ、はい!」
「うんっ!」
この神殿に呼び込まれた時から、凛の頭に引っかかっていた。
最初に狂化戦士としたジャンボス・スパイドルをけしかけ、次に自ら大魔法を乱発し、さらに水の兵士の大軍を呼ぶ。
やっている事は凄いが、戦略的に見るとむしろ順序を逆にした方がいい。
まず、数を頼みの大兵力と魔法の嵐をぶつけ、敵が消耗した後に本命の幹部級をぶつけてとどめを狙う。敵が寡兵の場合、常套手段としてはこのようなものだろう。
しかし、オドロームの場合、対応はどちらかと言えば場当たり的。同じ大軍を率いる者として、鏡面世界の指揮官ロボットの用兵と比べると粗が目立つ。
つまり、妖霊大帝オドロームとは、魔物を纏め上げる王様でこそあるが、軍団を率い指揮する将軍ではない。
「……考えてみれば、未来のとはいえ『子ども向け作品のボス』なのよね。強いし凄いけど、どことなく奥行きが足りてないのも、その所為かな」
一人ごちると、凛は抜く手も見せずに再度数個の宝石を取り出すと投擲、敵陣内で破裂させた。
盛大な爆発と共に砂礫が巻き上がり、水の人波の一角にぽっかりと穴が開く。
「突くとすれば、まずそこが隙の一点かしら……それ以外がひどく厄介だけど」
だがそれも、すぐに埋まってしまう。
雨後の筍の如く、兵士が地面から湧いてくる気配は、未だ留まりを見せない。
「えーい!」
凛の背後では、フー子が諸手から猛烈な強風を発生させ、敵を文字通り吹き散らしていた。
彼女の“竜の因子”の効果はまだ健在で、尽きぬ魔力をどんどんくべて、押し潰そうとする。
「はっ、はっ、はぁ……うひぃい、撃っても撃っても減らないよぉ……」
一方で、息も絶え絶えに弱音を吐いているのは、のび太であった。
フー子の風撃から漏れた、もしくは逃れた敵を“ショックガン”で狙い撃つ。
しかし、のび太の体力は同年代の子ども以下。集中力とスタミナが切れ始めていた。
「も、もうダメだぁっ!」
「ダメじゃない、踏ん張りなさい!」
「フウっ! のびた、がんばる!」
「ううっ、わ、解ってるよ……っ!」
ひゅうひゅう息を切らせ、額の汗を拭いながらも、のび太の指は懸命に“ショックガン”のトリガーを引き続ける。
戦闘が始まってから、それなりの時間が経過している。
並の大人以上に体力のある凛や、人間以上の存在のフー子はじめサーヴァント勢はいいが、のび太だけは逆の意味で別格。
普通なら退がるべきだが状況がそれを許さず、かといって鉄人兵団の時のようにバリアに引き篭もる事も、この場に限っては下策であった。
なにせ、敵の首魁を滅せる可能性はのび太……正確には彼の持つ『白銀の剣』だが……しかない。
バリアに篭っていてはどれだけ凌ごうとも、終わりは見えてこない。筐体の予備もない今、バッテリーが切れれば途端に今以上の逆境が襲ってくる。
どんな形であれ、虎の子を温存しつつ、まずオドロームまでの血路を開く事。
それが勝利条件を満たす第一歩であった。
「……近寄れば石像がただ乱立していくだけですが、それでもこちらにも来ますか」
だが、この場で唯一の味方たる英霊、ライダーはその役目を担えない。
いまだ支配に抗い粘るセイバーを拘束しつつ、ライダーは迫る雑兵を魔眼で一瞥し、次々に石へ変えていく。
今でさえ地力以上の八面六臂である。これ以上の活躍を求める事は出来なかった。
そうなると、実力の面から必然、活路を開くのは凛とフー子の役目となる。
その二人にしても、そう長々とは戦っていられなかった。
肉体的にはともかく、精神的な疲労は否めない。
「……ふぅーっ」
「へぅ……」
無意識か、少女達が息を吐き出す。
疲労を紛らわすような、重々しい吐息であった。
刹那の空白。抵抗の手が、その時、微かに薄くなる。
この間隙を、見逃さなかった敵がいた。
『Gyiiiiiiii!!』
『Uoooohhhhh!!』
ジャンボス、そしてスパイドル。負った手傷は既に再生が終了していた。
ぎらついた殺気を纏い、各々上空と地上から、雑兵の隙間を縫って一気呵成に踊りかかる。
巨大な火矢の如き圧力と勢いは、まさに狂奔と呼ぶに相応しかった。
「うっ――――!?」
精根は既に尽きかけ。神業じみた早撃ちを誇るのび太も、体力の壁は高すぎた。
ゼロコンマ一秒の条件反射で銃を敵へ向けるも、それが精一杯。トリガーに掛けた指は重く、思うように動かなかった。
背後霊状態のフー子が、即座に最も近くに接近していた方へと暴風をぶつける。
「フウ! だめっ!」
『Guuoooooo!?』
標的はジャンボス。人垣のない上空から来た分だけ到達が早く、ために真っ先に視界に入る。
抜き打ちで放たれた風の暴力に揉まれ、ジャンボスは盛大に吹き飛ばされた。
しかし、それはもう一方の接近を許す事と同義。
『Syiiiiiii!!』
大地を這うように迫るスパイドル。視線が上へ向いていた分だけ、フー子の一撃は間に合わない。
凛が託した“バリヤーポイント”も同じく。疲労という重石が少年の機転と腕を邪魔していた。
「あっ!」
蜘蛛の俊敏性そのままに、のび太への距離を詰めたスパイドルの六剣が、やにわに大きく振りかぶられる。
のび太と背中合わせの今、助けようにも対応が出来ない。それ以前に、正面への手を緩める事は許されない。
緩めてしまえば、雑魚が雪崩の如く確実に押し潰しに来る。
用兵に粗のあるオドロームでも、その程度の機は見抜く。
「ひい!?」
恐怖にのび太の身が竦む。
咄嗟にフー子が飛び出そうとしたが刹那、届かず。
『Syaaaaaaaa!!』
「う、うわっ!」
スパイドルの凶悪な膂力を以て、一斉に白刃が閃く。
その一瞬、前だった。
のび太の脇を、黒い影がしゅるりと舐めていくように動いたのは。
「――――え、なに?」
凛だけが気づいた。
そして気づいたときには、耳を突き抜ける鈍い炸裂音と共に、スパイドルが砲弾のように空を舞っていた。
『Sygyaaaaaaa!?』
「フ!?」
「あ、あ……ぁえ、ええ?」
苦悶混じりの耳障りな悲鳴を残し、雑兵の只中へ飛び込み紛れていくスパイドルの身体。
恐怖に放心が混ざった、間抜けな顔となったのび太の身体には一片の傷もない。
放心にも近い空白が、一同を包み込んだ。
「な、なんだ……?」
ふと、のび太の視線が前を向く。
そこには、この場の誰も予想だにしない者が、前方へ拳を突き出したままの姿勢で佇んでいた。
「え、こ、この人!?」
「あ……!」
「フ、ゥ? だぁれ?」
眼前に聳える背中を見るや、三人が目を見張る。
どこかで見た出で立ち。三人の、とりわけ凛ははっきりと覚えている。
服装は一般人のそれ。探そうと思えば新都にでも繰り出せば同じ格好をした者がごまんといる。
それでもその人物を確と区別出来るのは、そのどこまでも特徴的な、特徴を見出す事の出来ない雰囲気にあった。
例えるなら。
「貴方は……」
『ほう?』
白ですらない“無色”。
何色にも染まらず、また何色にも染め上げない存在感を、その闖入者は醸し出していた。
無情の瞳を前へと向けたまま、突き出していた拳を引くと、ゆっくりと顔に乗せた眼鏡を外し背広の胸ポケットへ仕舞い込んだ。
『――――くくく、誰かと思えば。“元”キャスターの情夫とは』
穂群原学園の倫理教師にして、奇縁によりキャスターのマスターとなった男。
輝きを映さぬ葛木宗一郎の眼が、静かにオドロームへ向いた。