「……う、うぅん」
何も見えない漆黒の空間。
ぼんやりとした覚醒の意思が働き、のび太は僅かに意識を取り戻した。
(あれ? ぼくは……どうしたんだっけ? えーと……うん、その前に起きなきゃ)
目を開こうとするが、瞼が動かない。
まるで接着剤でがっちり固定されているかのように。
(……おかしいな?)
それならばと身体を動かそうとするが、やはり動かない。
首も、肩も、腕も、脚も、口さえもだ。
辛うじて声だけは出そうではあったが、口が開かない以上はたいして意味がない。
結局、数度の試行錯誤の後、のび太はすべての運動を放棄した。
諦めの極致で、ゆったりと全身を弛緩させその場に身を委ねる。
(はあ……それにしても、ここはいったいどこなんだろう?)
目が開かないので確認のしようもないが、幸いにも五感は生きていた。
使えない視覚と味覚はさておくとして、残った三つの感覚で今いるところを理解しようと試みる。
聴覚を働かせる……なにも聞こえない。完全な無音である。
嗅覚を鋭くする……なにも匂ってこない。完全な無臭の空間のようだ。
触覚を強く意識する……身体にはなにも触れてないようだ。ただ感覚からすると、仰向けに浮いているのが理解出来た。
これにて、現状把握は終了。結論は、至ってシンプルに纏まった。
すなわち……『なんにも解らない、どこだよここ』である。
(って、これじゃダメじゃん! もっとなにか、他に……あれ? なんだろう、この感覚?)
自分で出した身も蓋もない結論に自分でダメ出しをした直後、のび太は突如として奇妙な感覚に襲われた。
暖かいような冷たいような、明るいような暗いような、そんな矛盾した感触が全身を駆け巡る。
(う……な、なにこの変な感触!?)
のび太はその気味悪さに、ぞわと鳥肌を立たせていた。
すると今度は身体全体が異常なほどの圧迫感に襲われる。
(ぐえっ!? こ、今度はなんだっ!?)
まるで元からはまらない型に、力任せに無理矢理指で押し込んでいくような感触。
のび太の身体能力はスネ夫やジャイアンとは比べる方がかわいそうなほどの開きがあり、実は女の子であるしずかよりも低い。
つまり、同年代の女子平均よりも劣った身体能力しかのび太は持っていないのである。
もっとも、その割には『百二十九・三キログラム』もあるドラえもんを抱え上げたり、犬に追いかけられた際、犬より速く走ったりしているのだが、おそらくそれは火事場の馬鹿力、という事だろう。
脆弱すぎるのび太にとってこれは堪らない。
必死に耐える傍らのび太の脳裏には、車に轢かれて潰れたカエルのイメージが浮かんでは消えていく。
(つ、潰れちゃう……! やめてやめてやめ……あ、あれ? 消えた!?)
と、始まった時と同様唐突に、ふっ、とその感触が終わりを告げた。
あまりの展開の不可解さに、のび太は内心で首を傾げる。
だが、その疑問が解消されないうちに、状況は再び急展開を見せた。
(え? なんだこれ!? わ、わ、わ! 引っ張られる……いや、吸い寄せられてる!?)
のび太の身体がどこかに向かって動き始めた。
未だ身体が思うように動かないのび太は、触覚からそれを感じ、ただ慌てる事しか出来ない。
やがて閉じた瞼の向こうに、光が見えたような気がした。
それと同時に身体がどこかに放り出される感覚が走る。
次の瞬間、のび太の身体は猛烈な勢いで急降下、垂直落下運動に入った。
「――――う、わぁあああああーーーーっ!!」
既に声も出せるし、手も足も動かせる。
当然目も開けられるのだが、自分が空中から落下しているという実感に伴う恐怖のせいで目は開いていない、いや開けない。
手足をばたばた動かして必死に身体を浮かせようとするが、そんな事が出来れば人類は飛行機など発明していないだろう。
「助けてぇえええーー! ドラえもーーーーん!!」
叫んだところで件の本人が助けになど来る訳もない。
そのうち声も上ずり、声帯を震わせながらも声が出ない、無発声のような状態に陥る。
空中でもがきながら、叫びにならぬ叫びを上げて紐なしバンジーを強制敢行するのび太。
やがて、それも唐突に終わる。
「ああ、追って来るのなら構わんぞセイバー。ただし、その時は決死の覚悟を抱いてこ――――ごふあっ!?」
「わぁああああ――――ぐえっ!」
――――自分の身体の真下にいた、青い男の上に頭からダイブする事によって。