「じゃあ士郎、学校休んでまでホスト役するんだから、最後まできっちりやるのよ」
「ああ、解ってる。むしろ藤ねえの方こそ、色々やらかすなよ?」
「色々ってなによ~。最近は割とマトモ「ほぉう? 前回の英語の時、授業に遅れそうになって教卓に猛スピードでヘッドスライディングかましてたのはどこの誰だったっけ?」……ウン、キヲツケル」
「オッケ。じゃあ、いってらっしゃい」
朝食が済むと、大河は学校へと向かっていった。
騒々しかった時間も終わりを告げ、衛宮邸には事の当事者のみが残る形となり、そして。
「行った?」
「ああ」
「よし。それじゃあ昨日出来なかった、これからの事について、話し合いを始めましょうか」
士郎、お茶と茶菓子を人数分ね。
それを皮切りとして、粛々と衛宮邸総会の幕が上がった。
「――――って、わたしが話せる事なんてたかが知れてるわよ。そもそも今回はイレギュラーだらけなんだし、正直既存の情報なんてまずアテにならないと思うんだけど」
むー、と唸りながら頬杖をつくイリヤスフィール。居間に微妙な沈黙が漂う。
始めに行われたのは、イリヤスフィールによる聖杯戦争についての情報提供だったが、しかし、そこでいきなり詰まってしまっていた。
こんな異常事態に陥ってしまっている以上、今までの常識や定説と照らし合わせても答えはまず出ない。
それにイリヤスフィール、ひいてはアインツベルン陣営が最大限妥協したとしても、やはり出せる情報と出せない情報とがあるのだ。
それらを踏まえて考えると、話せる事は限られてくる。しかもその大半が、イリヤスフィールの目から見てほぼ実のない情報なのである。
とはいえ、完全に無駄かと言えば……。
「……まぁそうかもしれないけど、判断のための材料は多い方がいいの。取捨選択はあとでやるとして、とりあえず切れるカードがあるなら出せるだけ出して欲しいのよ」
「そう言われても……うー、じゃあ例えば何が知りたいの?」
「……そうね。なら「遠坂、その前にちょっといいか?」……士郎?」
突如話に割り込んできた士郎に、凛が微かに鼻白む。
だが何やら真剣な面差しでイリヤスフィールを見つめる士郎を見た瞬間、ああ、と納得がいき自ら引っ込んだ。
“そっち”の方も重要と言えば重要な事案だ。
「イリヤ、改めて聞くんだが……イリヤが親父の娘で、俺の姉さんだっていうのは本当の話なのか?」
「……、そうよ」
ほんの少しだけ間を開けた後、イリヤスフィールは首肯を返す。
「――――――そう、か……」
士郎は僅かに肩から力を抜くと、自分の髪をグシャグシャと乱雑に掻き回した。
「……やっぱり、なんか妙な感じだな……実感が湧かないというか、なんというか」
「そうね」
「……ん。けど、俺の義姉さんなら……あー、こう言ったら何なんだけど……なんでイリヤは成長してないんだ?」
「……ホムンクルスの血の影響。お母様はアインツベルンのホムンクルスだったから」
「ホムン、クルス? って?」
ぽけー、と茶請けのどら焼きを齧っていたのび太が首を傾げる。
疑問に答えたのは、イリヤスフィールの傍らに座していたセラだった。
視線をイリヤスフィールに一旦向け、主が頷きを返した事で首肯し、口を開く。
「魔術技法により作成された人工生命体、解りやすく言うなら魔術の力で生み出された人間の事です。ちなみに私とリーゼリットもホムンクルスです」
「え、ええっ!? ……あれ、でも、普通の人に見えるんですけど……」
「それは“そういうモノ”として造られていますので当然です。しかし、生れ落ちる前に施される調整によって、人間以上の魔力や力を持つ事が可能となっています」
「はあ……」
そう言われて、のび太はリーゼリットが身の丈以上の戦斧(ハルバート)を振り回していた事を思い出した。
確かにあれは並の人間が出来得る事ではない。
そんな大それた事を軽々とやってのけられる、そうなるように造られた存在がホムンクルスなのか、とのび太はふんふん頷いた。
「……ですが人間以上に強力すぎる力の所為か、稀に先天的……生まれつきの不具合が生じる事もあります」
「不具合?」
「ええ」
例えば生殖機能の欠損、短命など。
ホムンクルスは通常の人間とはやや異なったハンディキャップを背負って生まれる事がある。
その代償として……かどうかは解らないが、常人を凌駕する能力を秘め、生誕する。
どれかを立てれば、どれかが立たない。
詳しい原因については諸説あるらしいが、ある意味では公平かつ平等なのかもしれない。
「お嬢様は人間とホムンクルスの血を引き、稀有な特性と才能を受け継がれておりますが……」
「――――その代償として、成長がある程度の段階で止まってしまう。そういう風に生まれついた……という事かしら?」
コクリ、と頷くイリヤスフィール。
士郎の表情が複雑なものへと歪んだ。
「そんな顔しなくていいわよ、シロウ」
「けど……」
言いかけた士郎であったが、顔を上げた途端口を噤んだ。
眼前のイリヤスフィールの表情を見てしまったからだ。
薄い、触れれば溶ける粉雪のような儚げな微笑。
諦観とも、哀切とも、微妙に趣の違うその表情。
内心はどうあれ、その事実を事実としてしっかりと受け入れている。
だからこそ、士郎はそれ以上何も言えなくなった。
「……いや、解った。それについては何も言わない。……あ、そういえば」
「なに?」
「爺さんが……あー、っと、行方知れずになったのっていつごろなんだ?」
それは士郎が気にかかっていたもう一つの事案。
養父である衛宮切嗣がイリヤスフィールを置いて行方をくらませたという、その時期だ。
自身が拾われたのは、おそらくその後の事だろう。
いったい何があってイリヤスフィールを置き去りにしたのか、何を思って自分を拾い上げたのか。
士郎は気になって仕方がなかった。
……だが。
「十年前よ」
「「――――十年前!?」」
イリヤスフィールの返答に、士郎はおろか凛まで目を剥いた。
十年前。それは士郎が切嗣によって拾われ、養子に迎え入れられた時期とピタリと符合する。
同時に、前回の聖杯戦争……第四次聖杯戦争が行われた時期ともである。
これらの事実から予想されるもの、それは。
「爺さんは……もしかして、前回の聖杯戦争に参加していた?」
「そうよ。十年前、アインツベルンに所属していたエミヤキリツグはマスターとして、第四次聖杯戦争に参戦していた。――――――セイバーのサーヴァントと共に、ね」
「セイバーの……サーヴァント? って、もしかして!?」
バッ、と弾かれたように士郎と凛の目が一点に向けられる。
二人の脳裏には、以前聞いた『ある言葉』が記憶の淵から浮かび上がっていた。
すなわち――――『この時代に召喚されたのはこれが初めてではない』、という言葉が。
「…………」
視線の先には、無表情のままに手元の湯呑を弄んでいるセイバー。
会議が始まってからこっち、彼女はこれといって口を挟まず、半ば静観のような形で沈黙を保っていた。
「その様子だと、言ってなかったみたいね。アナタがかつてエミヤキリツグのサーヴァントとして、この地に呼ばれてた事。記録も残ってたし、わたしはすぐに気づいたけど」
軽口のようにのたまうイリヤスフィールの言葉に、ピクリと彼女の片眉が跳ね上がる。
だがやがて観念したようにコトッ、と湯呑を置くと、重々しく口を開いた。
「……ええ。十年前、私はエミヤキリツグのサーヴァントとして、聖杯戦争に参加していました」
「「――――――ッ!?」」
予想と違わぬ返答、だがそれでも衝撃は大きい。
士郎と凛は絶句してしまった。
「「……??」」
その一方で、もう話についていけなくなってしまったのび太は、傍らでどら焼きをはむはむと頬張るフー子と互いに目を見合わせ、
「…………」
アーチャーは至って平静そのもの、といった体のまま、事の成り行きをジッと睥睨していた。
「……どうして、あの時それを言わなかったんだ?」
「……こういう言い方は誤解を招くかもしれませんが、聞かせない方がいいと判断したからです。キリツグを心から敬愛している、貴方には」
「? それは……どういう意味だ?」
そこでセイバーは一度士郎から視線を外し、イリヤスフィールの方へと振り返る。
そして彼女が瞑目し、『ま、好きにすれば?』とでも言わんばかりの軽い溜息を漏らしたのを確認すると、
「シロウの養父……いえ。裏で“魔術師殺し”と呼ばれていた、あの頃のエミヤキリツグの姿や在り様は、彼を慕う貴方の心を踏み躙ってしまうかもしれない。当時の彼は、真の意味で徹底的な“合理主義者”。必要とあれば非情で冷酷な手法すら、寸分の躊躇いも見せずに行ってきた」
セイバーは訥々と語り始めた。
在りし日の、第四次聖杯戦争における衛宮切嗣の、ありのままの姿を。
無論、すべてを語った訳ではない。
話さない方がいい部分もあるし、セイバー個人として語りたくないものもある。
加えて年端のいかないのび太やフー子だっている。あまりに刺激の強い話は控えなければならなかった。
だが、それでも。
「…………っそ、そんな!?」
士郎を動揺させるには十分すぎる内容であった。
セイバー自身を、まるで戦うためだけの『道具』同然にみなして……勿論、非人道的な待遇とかそういうものはなかったが……扱っていた事。
自ら影に徹し、敵サーヴァントを真っ向から殲滅するのではなく、マスターを人知れず暗殺するという手法を用いて聖杯戦争を勝ち上がっていった事。
勝つためには、およそ外道と呼ばれるような手段すら呼吸をするように行ってきた事。
それらの真実は、彼の胸にある切嗣像に泥を塗るほどの衝撃だった。
士郎の知る切嗣からはおよそ想像もつかない、生臭く、どす黒い行為の数々。
猜疑と疑問と失望が頭の中でグルグルと螺旋を描き、養父の姿を著しくぼやけさせていく。
「私とキリツグの間に、信頼関係という物は皆無でした。彼の妻であり、彼女の母であるアイリスフィールとはまた別でしたが……しかしそれでもまだよかった。最終的に聖杯を手に入れられるのなら、不満や憤りこそあれど使役し、されるだけの関係でも構わなかった。……ですが、最後の最後で彼は私を……裏切った」
「う、裏切った? 穏やかじゃないわね……どういう事?」
「彼は……っ、ッッ!」
ギリッ、とセイバーの歯が音を立てる。
「――――――顕れた聖杯を、令呪で以て強制的に私に破壊させたのです!」
吐き捨てるように告げられた、衝撃的な事実。
叩き付けられた怒気に気圧され、ビク、と士郎は身を竦ませた。
聖杯を求めて参加した筈のマスターが、聖杯を自らの意思で破壊した。
よりにもよって聖杯を求めて召喚に応じた、己が従者を令呪で縛り付けて強引に。
確かにこれは盛大な裏切りであろう。
ハアッ、と自らを落ち着かせるように息を一つ吐き、セイバーは再度口を開く。
「……何故そんな事をしたのか、今もって私には解りません。私が最後に見たモノは、すべてを焼き尽くさんばかりに猛る炎。そうして私は消滅し、十年後の今、再びこの地に呼び出された。初めは驚きました……まさかキリツグに義理の息子がいて、ましてや私を呼び出すなどと。加えて貴方は彼の手で健やかに、穏やかに育てられ、キリツグを心の底から尊敬していた……」
「……だから、切り出せなかった?」
確認の言葉に、セイバーはコクリ、と首肯を返す。
「――――エミヤキリツグがアインツベルンから裏切り者と見做されている、最大の理由がそれよ。聖杯戦争の意義そのものを台無しにし、アインツベルンの悲願もその手で叩き壊しちゃったんだから。そして粛清を躱すために、エミヤキリツグは行方をくらませた……」
わたしを置いてね、という最後の言葉はイリヤスフィールの口内に留め置かれた。
「そう、か」
そうして士郎はゆっくりと、大きく息を吐き出した。
正直、心の整理がつかない。
苦心の末に完成させた絵画に、グチャグチャと落書きをされたような気分だ。
イリヤも昨日までこんな気分でいて、それを乗り越えたのだろうか。
(だとしたら、凄いな……)
訳の解らない感想を抱きながらも、士郎はどうにか心を鎮め、平静へと戻していく。
(――――でも、こればっかりは時間がいるなァ)
落ち着きこそ取り戻したものの、心の暗雲はいまだ晴れない。
何を思って養父が自分を引き取ったのか、おおよその察しはついた。
きっと張り裂けんばかりの葛藤があっただろう……その胸中も、何となくだが想像出来る。
とはいえ養父のやってきた事はとても信じられないし、易々と受け入れられるものではない。
(でも……それでも)
それでも士郎は、信じたかった。
いつかの“アカイセカイ”で見た、養父の泣き笑いのような笑顔。そしてあの夜に交わした『約束』と表情を。
すべてを呑み込むのは無理かもしれない。しかしいつか、時が解決してくれるだろう。
(――――ん!)
そこまで考えたところで、士郎は一旦、その感情を棚に上げた。
士郎にはそれより早く果たすべき少年との大事な『約束』があって、今の最重要事項は“それ”ではないのだから。
「――――――ふむぅ……けど、そうなるとこの戦争、もう随分前からイレギュラーが起き得る“種”自体はあったって事よね」
士郎が顔を上げた丁度その時、凛の口から唸るような呟きが洩れてきた。
「え? そうなのか遠坂?」
「『そうなのか』って、あのねぇ……考えても見なさいよ。衛宮切嗣は折角顕れた聖杯を破壊しちゃったんでしょ? それはつまり、聖杯戦争の根っこになってる聖杯自体に、何かしらの欠陥があったかもしれないって事じゃないの」
「「……あ!」」
凛の言葉に士郎とセイバーは揃って声を上げた。
確かにそう考えれば、聖杯破壊という一連の行動に説明が付くのだ。
それにバーサーカーも言っていた。
あの怪物は、バーサーカーの『器』と『肉体』を基に、のび太の『記憶』から象られたと。
『器』は七つのクラスの規格を現す文字通りの英霊の受け皿、『肉体』は英霊の身体そのものを構成するエーテルの事。
最後の部分を除けば、それら二つは英霊を現世へ導く聖杯が司るものなのだ。
その二つを材料としてマフーガが生まれたというのなら、少なくとも聖杯そのものに何か予期せぬ事が起こっていると考えた方が自然である。
「その欠陥が何なのかは解らないし、衛宮切嗣がどうやってそれを知ったのかも知る術はない。ただ、話を総合すると聖杯が破壊された直後にあの十年前の大火が起こってるようだから、相当危険なモノであるっぽいのは確かね。そして、それが何なのかを知る方法はただ一つ。――――わたし達の前に、聖杯を降臨させる事」
「俺達の前に――――――って、それって今までとなんにも変わらないじゃないか!」
「そうだけど、それ以外に方法はないわよ。まずは聖杯を目の前に持ってこない事には調べようもないんだし。まあ、こっちには『始まりの御三家』の一であり、聖杯の専門家であるアインツベルンがいる訳なんだけど……」
「…………、ハァ。言っとくけど、聞かれても『お手上げ』としか答えられないわよ。確かに聖杯を降臨させる『器』はアインツベルンが用意するけど、それはあくまで『器』であって聖杯そのものじゃないもの。今の時点では、単なる『器』でしかないわ。やっぱり、中身がなくちゃね」
澄ました表情のまま、ホールドアップするイリヤスフィール。
「――――と、そういう事らしいわ。どのみちやる事は変わらない上、どうしようもなく変えられないのよ」
「それは……まあ、そうか……」
どこか釈然としないものを感じつつも、一理ある凛の言葉に士郎は頷かざるを得なかった。
実際問題、イレギュラーが起こったからといって、『じゃあこの戦争は取り止めにしましょう』、『ハイ、そうしましょう』……という訳にはいかない。
自分達も他のマスター・サーヴァント主従も、聖杯を手に入れる事を目指して戦いを繰り広げているからだ。
賽は既に投げられ、後戻りは不可能。
結局のところ、まず初心を貫徹する以外にないのである。
「それに……バーサーカー曰くのこの戦争の『闇』だけど、聖杯の欠陥と何か関わりがあるような気がするのよね」
「気がするって……リン、それ、何を根拠にして言ってるの?」
「根拠……そうね。女の勘、ってところかしら? ダメ?」
「ダメに決まっているだろう」
そもそも“女”と呼ぶには年季も人生経験も色気も何もかも足りん、とアーチャーから的確なダメ出しが飛ぶ。
その直後、彼の顔面目掛けてガンドがぶっ放されたのはある意味御愛嬌。
そして、しっかりと紙一重で回避されていたりするのもまた御愛嬌である。
「あ、『闇』といえば……のび太」
実力行使のツッコミで話の腰が折れてしまったため、一旦話題を変えようとのび太を見やった凛であったが、
「――――あ、はい!? え、えっと、なんですか凛さん!?」
「……アンタ、何やってんの?」
のび太を視界の中央に収めたその途端、眉間に皺が寄った。
「……出来た。次、フーコ」
「フ! ……む~、のびた、あってる?」
「え!? ……あ、ああうん、それで合ってるよ。で……あ、次は僕の番か」
フー子の指に絡まったそれを、のび太が指を差し入れて受け取り別の形へと組み替えていく。
シャッ、シャッ、シャッと指を動かす事およそ二秒。
「――――ほら出来た、『おどるチョウ』!!」
「「お~!!」」
赤い糸が作りだした、名前に違わぬ見事な図柄にパチパチと二人分の拍手が送られた。
手を叩いているうちの一人は言うまでもないがフー子。
そしてもう一人は。
「リーゼリット……貴女まで一緒になって、いったい何をしているのですか?」
「あやとり」
頭痛を堪えるように額に手を当てるセラへ、たった四文字で簡潔に説明するリーゼリット。
のび太、フー子、リーゼリットはいつの間にか三人で固まり、部屋の片隅であやとりに興じていた。
どうしてそんな事をしているのか、理由は実に単純。
「あ、その……さ、最初の方はなんとかついていけてたんですけど、だんだん話が難しくなってきて解らなくなっちゃって……それでなんとなく、ポケットを探ったらあやとりの紐が出てきて……つい。エ、エヘヘヘ」
「はなし、むずかしい。ボク、たいくつ。だから、してた」
「面白そうだったから。やり方教わりながら、一緒にやってた」
「……あ、アンタらねぇ……っ」
ワナワナと震える凛。
だが、そこにアーチャーから的確なフォローが入る。
「いや、無理もあるまい。子どもが理解するには、やや高度過ぎる話だろう。それに、聖杯戦争や魔術に関しての知識も乏しいのだしな」
「落ち着けって遠坂。アーチャーの言う事も一理あるんだし、そんなに目くじら立てる必要もないだろ? ここはホラ、大人の余裕でさ。カリカリし過ぎはよくないぞ」
「……むぅ」
どうどうと宥める士郎の言葉に、凛は眉間の皺を揉みほぐしつつ溜息を一つ。
昂ぶった勘気を鞘に納め、感情の波をニュートラルに戻した。
「はぁ……そういえばのび太。アンタなんともないの?」
「はえ? なんともって……何がですか?」
「昨夜あれだけ魔力を生み出して放出してたじゃない。初めの方は苦しそうにしてたし、どこかしらガタがきてないか聞いてるのよ。たとえば身体が痛いとか、だるいとか……」
「?? 別に、なんともないですけど?」
あやとりの紐をポケットにしまいつつ、率直に述べるのび太。
一応パパッと身体を探ってみるも、やはり取り立てて変調の兆しもなにも見受けられない。
「んー……そんなハズないと思うんだけどねぇ。のび太は魔術師でもなければ魔力(オド)のコントロールが出来る訳でもないんだし、普通だったら内側から風船みたいに身体が破裂していてもおかしくなかったのに」
「え……は、破裂ッ!?」
「そうよ。普通の人間があんなバカみたいな魔力、身体に留めておけるワケないでしょ? おちょこに海水を一気に注ぎ込むようなモンよ。間違いなく木っ端微塵に破裂して一巻の終わりね」
脳裏にパァンッ、と派手に弾け飛ぶ自分の身体がリアルに浮かび上がってきて、のび太はゾワッと背筋を震わせる。
あの『竜の因子』の共鳴から発生した魔力に、そんな危険性があったとは想像だにしていなかった。
「ま、ざっと見、後遺症も何もないようだし、そんなに青くならなくてもいいわよ。……しっかし、アンタも大概頑丈ね。破裂しなくとも身体中が軋みに軋んで、三日三晩は寝込むかと思ってたのに」
「……ふむ。おそらくは、レイラインを通して私とフーコに魔力が流れたからでしょう。それで負荷も少なかったのだと」
補足的に差し込まれたセイバーの言は的を得ていた。
過剰という言葉では済まないほどに湧き上がった魔力は、発生した当初こそのび太を苛んだが、セイバーに声を掛けられ意識がそちらに向いたお陰で、ラインを通じて魔力がそちらに流れていったのだ。
例えるなら、ダムの堰を無意識的に開放して水を放出するようなもので、もう一方のラインを通じてフー子の方にも魔力が流れていった。
のび太の器がおちょこでも、この二人のそれはさながらタンカー。
キャパシティに余裕のある方に水が流れるのはごく当然の摂理であるし、これによってのび太は最悪のシナリオを辛くも逃れていた。
「――――っと、脱線したわね。話を戻して……のび太」
「はい?」
「あのバーサーカーが変化した怪物について……アンタが知っている事を教えなさい。そして、どうしてアンタの身体に『竜の因子』なんてモノがあるのかも。あと、そこのフー子の事についても、ね」
「えっ、あっ……、あぅ」
凛の言葉によって、全員の視線がのび太に一斉に向けられる。
一瞬たじろぐも、あの時の状況が状況だったため、説明するのを後回しにしていた事を思い出した。
(……う、うーん……弱ったぞ。どう説明しよう……?)
のび太としては、過去の経緯を説明する事自体に否やはない。
ただ問題は……自分の発言がこの場の人間にどう受け取られるか。
妄言と切って捨てられる事はないだろうが、かといってあっさり納得されるとも思えない。
「フ? ……フゥ♪」
傍らのフー子の頭を軽く撫でつつ、思案する事約数秒。
「えと……、実は――――」
『出たとこ勝負』。
結局、のび太の頭脳スペックではそれ以外の上策は思いつけなかったのだった。
そして。
「――――――という訳なんです。『竜の因子』の方は、たぶんそれなんじゃないのかなぁ、って思うくらいですけど」
「「「「「「「…………」」」」」」」
のび太が話し終えた時、居間はシンと静まり返っていた。
如何に自分達が魔術という非現実的なものに浸り切っていたとしても。
如何に彼が想像の斜め上の効果を齎すひみつ道具を持っていたとしても……それでも今の話はインパクトが強すぎた。
故に。
「――――――熱は……ないわよね?」
「は、はい?」
凛がのび太の額に手を当ててそんな事を呟いたとしても、きっと無理からぬ事なのだ。
この上なく失礼だが。
「いや、凛さん熱ってなんですか!? ホントの話なんですよ! これ!!」
「……そう言われても、ちょっと突拍子がなさすぎるわ。アンタの素性を差し引いてもね……うぅ~ん、フー子。のび太の言ってる事は本当?」
「フ!」
大きく頷くフー子。
逡巡など微塵もない。
「はぁ……ん~ぅ、まだ上手く……呑み込めない。言ってる事が事実なら……魔術のない世界のハズなのに、こっちよりもう色んな意味で凄まじいわね」
「だから本当なんですってば!」
ガリガリと頭を掻き毟る凛にのび太が噛みつく。
しかし、凛とて何も真っ向否定している訳ではなく、言葉の通り、本当に呑み込めないでいるだけなのである。
のび太が語ったのはマフーガに関する冒険の一連の経緯と、“気ままに夢見る機”で体験した『夢幻三剣士』での出来事の、都合二つのエピソード。
与太話と断ずるにしろ真実と納得するにしろ、判断材料はのび太の言とフー子の肯定のみである。裏付けなどなく、必然、信憑性は乏しい。
だが、のび太の出自やひみつ道具の存在があり得ないという可能性にブレーキを掛けているため、心情的には肯定方向に傾いている。
でも証拠はない、証明手段もない、何より話の内容が壮大すぎる……故に、肯定に完全に傾ききれない。
半信半疑。納得したいが信じがたいという、ジレンマのドツボに陥った心境。
そして、それは凛だけに限った話ではない。
「風と共に生きる民と、風を支配しようとする民……古代のシャーマンが生み出した風の怪物に、未来からやって来た時間犯罪者……か。ん~……」
「……まるでどこぞの冒険譚のようだな。平行世界とはいえ、とても現代の話とは思えん。しかも君は事の当事者であり、年少の身で友人達と……怪物の一部たるその少女と協力しながら解決したという。君の持つ道具についてもそうだが、凛が頭を抱えるのも無理はあるまいよ」
「現実味がないというか……想像の斜め上というか。何とも、コメントに困るわね」
「ノビタが平行世界からの迷い人と聞かされた時も驚かされましたが……しかし、夢と現実を入れ替える。しかも魔術ではなく、科学の力によって……などと。如何せん鵜呑みには……出来かねますね」
「壮大……」
それぞれが唸ったり、微妙な表情を浮かべたりと、困惑の体を晒している。
アインツベルン組には、のび太が平行世界からの迷子である事を凛達が朝食前の時間に説明しているが、凛や士郎ですら腑に落ちないでいるのだ。
それより圧倒的に付き合いの短い彼女らでは、ストンといかないというのもごく当たり前の事であろう。
……ただ、その中で一人だけ。
「…………」
セイバーのみが沈黙を保ったまま、何かを考え込むように眉根を寄せていた。
「セイバー? どうしたんだ?」
それに気づいた士郎がセイバーに問いかけるも、セイバーは未だにその状態を崩さない。
「おい、セイバー……? セイバーってば」
「……あ、ああ、はい? シロウ、どうかしましたか?」
「いや、どうかしたのかって……セイバーこそどうしたんだよ? なんか一心不乱に考え込んでたみたいだけど……」
「は? ……ああ、いえ。何でもありません。それよりも、他に気になる事が……」
「気になる事?」
「はい。……ノビタ」
眉間の皺を元に戻し、セイバーはスッとのび太の方に向き直った。
「――――貴方、この戦争の『闇』に心当たりなど、もしやありませんか?」
「こ、心当たり!? ってないよ、そんなの!? どうしてそんな事聞くのさ!?」
「バーサーカーはマフーガが貴方の“記憶”から象られたと言っていました。とするならば、『闇』は貴方に対して接触を図っていた事になります。勿論、姿を見せず秘密裏に……という可能性が高いですが。そして、何らかのアプローチで貴方に関する情報を細かい部分まで把握している。……ああ、別段疑っている訳ではありません、あくまで確認です。何か思い当たる節はありませんか?」
「せ、接触……!?」
突如として追及の矛先を向けられ、のび太は狼狽する。
しかし、のび太に心当たりなどあろう筈もない。
何しろ突発的にこちらに流れ着いた身の上。見知った人物もいなければ、そんな不穏な気配など欠片も…………いや。
(――――あ、そういえば!)
のび太の脳裏にふと、“ある事”が浮かび上がった。
――――――このイカれた戦争のただ中で、誰よりも生き延びてみな。
それは自分が初めてバーサーカーと相対し、一度逃げ出した後の道端での情景。
あの時交わした、一連のやり取りであった。
今にして思えば、あの邂逅は不可解すぎた。
姿を見せず、声のみが宵闇から響いてきた異様さもさることながら、声の主は明らかに自分の事をよく知っているような口振りで話していたからだ。
怪しい事この上なく、セイバーの言わんとする事に見事に合致している。
(……でも、なんだろ)
のび太としては、この事は言わない方がいいような気がした。
何故かは解らない。ただ何となくそう思ったのだ。
知らず、のび太の眉間に皺が寄り始める。
「ノビタ……?」
狼狽えたと思ったら考え込み始めたのび太に、セイバーが声を掛けようとしたその時。
――――――――Prrrrrrrrrrrrrrr
固定電話のベルの音が居間に飛び込んできた。
「あら、電話?」
「みたいだな。悪い、ちょっと待っててくれ。出てくるよ」
そう言うと士郎は腰を上げ、小走りに廊下の電話前まで駆け寄り受話器を取り上げた。
「はい、もしもし衛宮です――――――――――――――――――――なんだ、藤ねえ?」