“竜の因子”
この因子を宿す者は、莫大な魔力を保有するとされる。
召喚が不完全でさえなければ、竜の因子を宿すセイバーの魔力量はこの戦争に呼ばれたどの英霊よりも上だったに違いない。
だがそもそもこの因子はそれこそ希少な、いわば伝説クラスの特殊なシロモノなのである。
英霊の座に存在する英傑をかき集めてみても、この因子を持つ者はきっと数えられるほどしかいないのではなかろうか。
そんなレア物をどうして一般小学生であるのび太が保有しているのか。
フー子の場合はまだ解らなくもない。
元々風の魔怪竜であるマフーガの一部だったのだ、そういう事があっても取り立てて不思議な事ではない。
だがのび太の場合は明らかに不自然だ。いったいどういう事なのか。
「――――ノビタ……貴方が、何故“竜の因子”を持っているのですか?」
「えっ!? り、竜の因子って……あ。 ひょっとして……あの時浴びた『竜さんのだし汁』!?」
その理由は至極単純。
のび太は過去に、竜の細胞を取り込んだ事があるからだ。
“気ままに夢見る機”
のび太はかつてこの機械を使って、自分の見る夢を『夢幻三剣士』という物語に変え、夢の中の登場人物かつ主人公である剣士となった事がある。
その中において、のび太はその血を浴びれば不死身になれるという伝説の竜と対峙し、これを屈服させた。
だがのび太は力の象徴である髭のみを断ち、命も血も取らなかった。
竜はこれに感心し、のび太の恩情に報いる形で己の汗を溶かし込んだ温泉を用意してくれたので、のび太はそれに全身を浸したのである。
汗の成分は大半が竜の死んだ細胞や老廃物だが、中にはまだ生きている細胞もあれば新鮮(?)な体液も混じっている。
それらを含ませた湯を全身に浴び、身体に浸透させたのび太は竜の因子と加護を得、一度だけ死から復活する事が出来るようになった。
……だが、これはあくまで夢の中での出来事。
夢は言うまでもなく現実ではない。
たとえ夢の中で竜を屈服させ、『竜のだし汁』を浴びて加護を得たとしても夢では現実世界に欠片も影響を及ぼさない。
「は、はい? だし汁? 何の話ですか!?」
「あ、え、えと……前に、夢の世界で竜さんの汗を溶かし込んだ温泉に浸かった事があって、たぶんそれかなぁって……!?」
「ゆ、夢!? ノビタ、夢は現実ではありませんよ! 貴方は私をからかっているのですか!?」
「え、いや……っ!? あの時は確か……“気ままに夢見る機”の、夢と現実を逆転させるボタンを押してたから……きっと、それで!」
……しかしながら『竜のだし汁』を浴びたこの時、のび太は“気ままに夢見る機”に取り付けられていた夢の世界が現実に、現実の世界が夢となるスイッチをONにしていた。
故に、“竜の因子”を取り込んだ事が『現実』の事となったのだ。
その後、のび太が一度命を落とした事で蘇生の効果が発動し、この竜の加護の効力は完全に失われてしまった。
……そう、加護“だけ”は。
「……言っている事がよく解りませんが」
「あ~……うー……ああ、もう! 上手く説明出来ないよ! と、とにかく! 後でまとめて話すから!」
加護は消えても、その加護の大元である因子まで消え去った訳ではない。
のび太の身体の奥深くにまで喰い込んだ“竜の因子”は役目を終えた後、のび太の身体の奥底で深い眠りについた。
しかし、この世界で同じ性質を持つセイバーと出会った事で、少しずつではあるが“竜の因子”がのび太の奥底で覚醒し始めたのだ。
その証左となる予兆が、英霊にも容易く通用したひみつ道具である。
ひみつ道具はどれほど高性能かつ理不尽でも元々はただの道具でしかなく、魔術具でもなければ宝具でもない。
それ故、神秘の塊である英霊に強い影響を与えるには至らなかった……筈なのだ、本来ならば。
だが目覚め始めていた“竜の因子”が、のび太自身にほんの微かな、それこそ注意深く慎重に探らなければ解らないほどの神秘を与え、結果としてのび太の使用するひみつ道具にその影響を及ぼした。
ひみつ道具は物にもよるが、基本的に通常ならば手が届かない概念に未来の超科学の力で踏み入っている。
“タイムふろしき”ならば時間の概念、“スモールライト”あるいは“ビッグライト”ならば質量保存の法則等の物理法則の無視といったように。
であるからして、道具の受ける影響がほんの少しの神秘でも、道具そのものが操作し得る概念で以てその比重は飛躍的に跳ね上がる。
それこそ隠れた宝具と呼んでも差し支えないほどに。
ひみつ道具が英霊に対して強烈に干渉出来ていた理由はここにあった。
そして今、セイバー・フー子とキスを交わした事で二人の間にラインが繋がれ、その結果引き起こされた因子同士の共鳴反応によってのび太の中の“竜の因子”が表に引きずり出され、完全なる覚醒を果たした。
「――――言い合いはそこまでにしておいて。それでセイバー、いけるの?」
「あ、はい。これなら……大盤振る舞いが可能です、リン」
「よっし! じゃあ……!」
口角の上がった笑顔を見せたセイバーに凛はグッと拳を握り込むが、それと同時に。
『―――――――――――――――――!!!!』
狂える風の魔竜が、猛る魔力の奔流に反応。
炯々と怪しく輝く眼光を、下方の魔力光に叩き付けた。
一同の背筋に、緊張の悪寒が伝播する。
「――――来るぞ、皆!」
「セイバー、頼むわよ!」
「はい!」
猛毒に侵され、もがき苦しんでいるかのように空中を跳ね回りながら、地上の光源へと吶喊してくるマフーガ。
さながら誘蛾灯に飛び込む蛾、いやルアーに喰らいつこうとするブラックバスか。
条件反射染みた、行動に一片の迷いもない反応……知性と理性を無理矢理削ぎ落とされた影響がここに如実に現れている。
溢れんばかりの凶暴性と狂気を制御の『せ』の字すらも感じさせる事なく、ただ闇雲に撒き散らしながら無二無三で突っ込んでくる。
ジャリッ、と靴音を鳴らし、それぞれ臨戦態勢を取る一同。
……だが、その前面に。
「――――フゥッ!」
「あっ、フー子!?」
台風の子どもが単身、躍り出た。
地面から一.五メートルほど身体を空に浮かせ、身に纏った魔力の燐光がホタルのようにボウッと淡く輝いている。
活性化した“竜の因子”から溢れ出る魔力の副産物であり、体表から漏れ出た魔力(オド)が徐々に気化していっているが故の発光現象なのだが、はっきり言って異常な量を誇る魔力生成量だからこそ起こり得る事象なのだ。
並みの魔術師がこの現象を起こそうとするならば、たとえ命を削って魔術回路をフル稼働させたとしてもこの万分の一も輝きはしないだろう。
凛やイリヤスフィールといった一流どころなら、命を燃やし尽くせばあるいは可能かもしれない。
「フー子、危ないよ! 下がって!」
「のびた、あいつ、やっつける、からだ、くも、どうじ!」
「へ? ……あ! つまり台風と竜を同時に攻撃して斃さないとダメなんだね!?」
「フ!」
首肯するフー子。
先にも述べたが、今迫ってきているマフーガは確かにマフーガではあるが、その本体であると同時に『端末』でもあるのだ。
空を覆い尽くしているどす黒い超低気圧がある限り、どれだけ竜を屠ろうと即座に再生を果たしてしまう。
ならばどうするか。
簡単な話だ、両方とも同じタイミングで纏めて消滅させればいい。
そうすれば完全に怪物の命脈は断たれ、二度と再生する事はない。
「って、簡単そうに言うけどね! あの二つをどうやって同時に消滅させるのよ!?」
「え、それは……あれ、どうしましょう!?」
「いや、そこで俺達に振られても困る! アーチャー、お前何とか出来ないか!? あのカラド……何とかって矢とか使っ「無理だ」って、即答か!」
水を向けられたアーチャーであったが士郎が台詞を言い終わる前にそれを一刀両断。
そのまま目を瞑り、フウとやや重い吐息を漏らす。
「圧倒的に威力が足りん。それにあれは一度しか使えんと最初に言った筈だ。……セイバー、頼りきりという形になってすまんがいけるか?」
「ええ。斃しきるには問題ありません……が、同時にとなると、少々厳しいですね」
フー子と同じように魔力の燐光を発しながら、セイバーは不可視の剣を構えつつ唸る。
過剰とも言えるほどの魔力供給……いや、魔力増幅を受けた今、火力面では全く問題はなくなった。
だが竜と台風を同時に屠れと言われても、宝具の特性を考えれば甚だ無理な注文である。
「せめて、竜の直線上に台風の核があれば諸共に「フゥ!」……はい?」
ジリジリと焦燥を感じつつあったセイバーであったが、横合いからフー子が笑顔で手を上げた事に目を点にする。
「ボク、やる!」
「は?」
「おねえちゃん、ボク、する!」
「え、あの? フ、フーコ?」
戸惑うセイバーを余所に、フー子の発する輝きが一際大きくなる。
それと同時にのび太の身体もボウ、と再び魔力の輝きに包まれ始めた。
フー子側からラインを通して“竜の因子”同士をリンクさせ、自身の魔力を急激に高めているのだ。
「フ、フー子!? 何をするの!?」
「フウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」
自身の変化にギョッとしつつもフー子を気にするのび太であったが、フー子は高らかに声を上げると小さな両の掌を大きく天に掲げた。
放出から集束へと転じるフー子の魔力。燐光もフー子の身体に圧縮され、フー子の身体が異常な眩さで光の中に霞んでいく。
「眩しっ!」
のび太が手で光を遮ろうと手を翳したその時、パンッ、と唐突に光が弾けて消え去った。
のび太の光もそれと同時に掻き消える。
光源がなくなり、そろそろと手をどけたのび太の目に映ったのは、フー子を取り囲むように展開された、四つの空間の軋み。
『―――――――――――――――――!!!!』
「何かするなら急いで! もうそこまで来てるわよ!」
「フー子!」
……いや、軋みと言うにはやや語弊がある。
それは空間が歪んで見えるほどの超高密度に圧縮された、空気の塊であった。
バスケットボール程度に固められた空気の中で、凄まじいばかりの大気のうねりが巻き起こされている。
――――そして。
「――――――フウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」
フー子の手が振り下ろされると同時に、全ての空気塊が解放された。
中から現れたのは、凄まじいまでの唸りを上げる四つの巨大な竜巻。
ギリギリと次元を切り裂こうかという爆発的な圧力と回転力そのままに、風の渦は頭上に迫るマフーガへと滝を上る竜の如く長大な螺旋を描く。
「うわっ!?」
「これは、何という……!」
「凄い……!」
「ちょ、ええ!?」
「むぅ……っ!」
「何、これ……」
吹き荒れる余波を凌ぎながら、各々がフー子の力に瞠目する。
それはフー子をよく知るのび太とて例外ではない。
いくら台風の精、そして風を司るマフーガの一部であったとはいえ発生した莫大な魔力を全て風の力へと変換し、それを四つの竜巻と成して放出するなど並大抵の事ではない。
一流の魔術師でも生半(なまなか)な労力では成し得はしない……それを見た目、のび太よりも幼い少女が平然とやってのけているなど、現場を目の当たりにした者でなければ到底信じられないであろう。
それにかつてのフー子は風を操れる存在ではあったが、流石にこんな事までは出来なかった。
精々が自力で飛翔したり、風を巻き起こしたり、過去にマフーガ諸共消え去った時のように、エネルギーとなる熱風を限界まで取り込んで力をため込み、己を爆弾として特攻する程度のところまで。
これだけでも十分凄いが、今やった事は明らかにその遥か上を行っている。
『―――――――――――――――――!!!!』
「あっ、マフーガが!」
「竜巻に絡め取られている……!?」
その秘密はのび太の使用した“精霊よびだしうでわ”にあった。
以前のび太が偶然から呼び出した雪の精は自分が消えるのを嫌がり町中に大雪を降らせ、春の到来を遅らせようとした。
町一帯を銀世界に閉じ込めるという所業。これも竜巻を巻き起こすのと同様、やはり尋常の業ではない。
つまり“精霊よびだしうでわ”によって呼び出された精霊は……その呼び出された者の性質と属性にもよるが……人知を超えた、それこそ上位英霊クラスの強力な力を持っているのだ。
それに加え、フー子自身の格はその出自により、元々かなりの高みにある。
精霊具象化の煙に飛び込んだ事で本来の“台風の精”の力をも取り込み、結果としてフー子は最上位英霊クラスの風を操る精霊として降臨した。
それこそ今のマフーガに肉迫する程の、途方もない力を宿して。
「う、ううううぅぅぅぅ……!!」
「フ、フー子!? 大丈夫!?」
眉間に皺をよせ、表情が苦悶に歪むフー子にのび太は堪らず声をかける。
だが急に体調に不調をきたしたとかそういう事ではない。
予想以上に怪物の抵抗が凄まじいのだ。
『―――――――――――――――――!!!!』
頭上では、怪物が四つの竜巻の中心にその身を拘束されている。
竜巻は徐々に肥大しながらグルグルと怪物の周りを螺旋状に旋回し囲い込み、暴風の檻を作りだしていた。
吶喊を強制的にキャンセルされ、動きを封じられた今のマフーガは、さながら投網に掛かった魚のようなもの。
だが、タダで捕まってやるような生物などこの世に存在しない。
格子を無理矢理引き千切ってそこから逃れ出ようと、網の中で巨大魚が身体を盛大に捩じらせ、牙を剥きだして盛大に暴れ回っているのだ。
当然ながら、フー子にかかる反発も相当にくる。
そもそも元々の彼我の地力が二倍開いているのである。
それでいながらマフーガという化け物を拘束するというこの所業そのものが、既に奇跡的と言って差し支えないだろう。
「フウ……ゥゥウ……ッ!!」
襲い来る強烈な負荷に歯を食い縛りながらも、フー子は怪物の飽くなき抵抗を全力で以て抑え込みにかかる。
強い意志を秘めた、どこまでも真っ直ぐな眼差し。
のび太を、そして背後の皆を護るという凄烈な気迫が陽炎のようにその小さな身体を取り巻いている。
「フー子……」
それでのび太は悟った。
今のフー子には、怪物諸共に消え去るという意思はないと。
怪物を斃し、のび太と共に生きるという渇望が、彼女の全身から確かな覚悟となって滲み出していた。
「フー子……ッ、フー子! 頑張れッ!!」
だからのび太はあの時とは違う心からの、力強い声援を送る。
少しでも、フー子の力になれるように。
「……ッ、フゥ!」
厳しい表情を崩さぬまま、だがフー子は微かに微笑む。
そして突き出していた両の掌をそのまま身体の前でパァンッ、と強く重ね合わせ握り込むと、
「フウウウゥゥゥゥゥウウ!!」
全身全霊の力を籠めて、抉り込むように前方に勢いよく突き出した。
『―――――――――――――――――!!!!』
一気に集束する四本の竜巻。すべてが一斉に縦に、雑巾のように引き絞られる。
急激に空間面積が狭められた暴風の檻の中に、マフーガは抵抗の力すらも完全に封殺され、空中にガッチリと固定されてしまった。
そして竜巻の先端が台風の目……低気圧の核へ凄まじい勢いで直撃し、低気圧が安定状態から段々と不安定な物へとブレ始める。
この瞬間、二つの怪物の本体がフー子の竜巻によって一直線上に繋げられた。
「おねえちゃん、いまっ!!」
「――――ッ、はい!」
鬼気迫るフー子からの号令。意図を汲み取ったセイバーは不可視の剣を腰だめに構え、身構える。
一呼吸置き、瞬きを一度。
そうして己の背後にいる士郎達に振り返り、静かにこう口を開いた。
「……これから起こる事に関して、もしかすると少しばかりショックを受けるかもしれません。特に……」
そこで言葉を切り、そのまま傍らに立つのび太へとその目を向ける。
「へ?」
「……いえ。――――では、いきますよ!!!」
キョトンとするのび太から視線を外したその瞬間、セイバーの魔力が爆発的に膨れ上がる。
それと同時に二人の身体がより一層強い魔力の輝きに包まれた。
フー子と同じように、セイバーの方からのび太の中の“竜の因子”へアクセスし、互いの因子を共鳴させたのだ。
バチバチ、と身体から魔力の放電現象が発生する中、セイバーは諸手に掴んだ剣へと一気に魔力を注ぎ込む。
『風王結界(インビジブル・エア)』
高密度に圧縮された空気で光の屈折率を操作し、本体を不可視状態にする“鞘”。
この圧縮空気を解放、放出すれば『風王鉄槌(ストライク・エア)』という、一度きりの風のハンマーを繰り出す事も出来る。
しかしセイバーの言葉の通り、これらはあくまで本命ではない。
本命はその奥、『風王結界(インビジブル・エア)』に覆われていた、剣そのもの。
次から次へと溢れ出すセイバーの魔力を受け、薄皮が剥がれていくように、不可視だった剣が徐々にその真の姿を現していく。
そこにあったのは――――黄金に輝く、一振りの西洋剣。
「「――――え?」」
のび太と士郎の声が重なる。
目は大きく見開かれ、口が半開きになっているその様は、まるで信じられない物を見たとでも言わんばかりだ。
いや、二人だけではない。他の者も似たり寄ったりの反応である。
さもありなん。
桁違いの存在感、途轍もない威圧感。
そして何より……全ての者の目を釘付けにする、その輝きの神々しさ。
満天の星の光を余すところなく凝縮させたような、そんな眩いばかりの煌めきが枯れた森を幻想的に照らし出す。
「はぁああああ……!!」
眼光鋭く、セイバーは剣気を漲らせ、黄金の剣を高く高く振り翳す。
濃密な魔力で満たされ、ショートするかの如く紫電を幾筋も駆け巡らせる刀身。
やがてその刃から、爆発的な光の奔流が迸った。
「――――――『約束された(エクス)……」
深緑の瞳が、上空を見据える。
竜巻の牢獄に磔にされてもなお咆哮を上げ続ける怪物。
その奥にある、超低気圧の中心核。
二つの本体を諸共に、この剣で葬り去る。
リスクはある、懸念もある、そして……僅かの申し訳なさもある。
だが躊躇いはない、そんなものは微塵もない。
ここで剣が止まれば、生還は果たせないのだ。
身体の奥底から湧き上がる、マグマのよう煮え滾る闘志。
それに呼応するかの如く、剣が一層輝きを増す。
瞬間、立ち塞がる眼前の全てを両断せんとばかりに、セイバーの腕が渾身の力で振り下ろされる!
「――――――勝利の剣(カリバ)』アアアアアアアァァァァァァァッ!!!!」
剣から放たれ、天を駆け上がる光。
それはフー子の作り上げた牢獄をいとも容易く突き抜け。
最後の力で牙を剥いた竜の咢をあっさりと食い破り。
更に天空へと飛翔して。
――――台風の核を両断。上空の暗雲全てを巻き込んで、風の怪物をその光の中へと消し去った。
「……エクス、カリバー?」
光の残滓が粒子となって空から舞い落ちる中、呆然と呟くのび太。
すでに暗雲は須らく雲散霧消し、ただの一片たりとも残ってはいない。
嵐のような暴風も、横殴りの驟雨も雷鳴もなく、ただ金色の雪と満天の星とが空一面に散りばめられていた。
あの光の一撃は……たったの一撃で、マフーガの全てを消滅させてしまった。
恐るべき力、恐るべき破壊力。
だがそれをも上回る衝撃を、のび太はある事実より受けていた。
それは……セイバーの金色の剣の銘。
『エクスカリバー』
それはあまりにも有名な聖剣の名。
湖の妖精より授けられしその剣を持つ者は、ただ一人。
かつてイングランドにその名を馳せ、未来に復活するとされた、史上最高の騎士の王。
そしてのび太がこの世界に迷い込む事になった、その発端ともなる人物。
「セイバー……ま、まさか、君は……君の、正体って、もしかして……?」
「――――、はい」
いまだ輝きの衰えぬ剣を片手に、セイバーはゆっくりとのび太と、そして士郎達の方へと向き直る。
そしていささかも表情を変えず……だが瞳に僅かの憂いを浮かべ……こう告げた。
「私の真名は……“アルトリア・ペンドラゴン”。遥かな過去、『アーサー王』と呼ばれていた者です」
『――――――!!!?』
「フ?」
彫像のように固まる一同。
フー子だけはなんの事かよく呑み込めなかったようで、我関せずであったが。
アーサー王というビッグネームもさることながら、一番衝撃的だったのは。
「アーサー王が……女の子?」
士郎の唖然とした声にセイバーはゆっくりと頷きを返す。
「はい……。伝承ではアーサー王は男とされていますが、真実は違う。剣を取ったあの日以来、性別を最期まで偽っていましたので……」
「男として伝説に残った、という訳、ね……。たとえ嘘でも、最期のその瞬間までつき通せばそれが真実として後世に語り継がれる……虚構の伝承でも、それが真となる」
言葉の先を補足する凛。
セイバーはそれに首肯のみで返答すると、そのままのび太へと向き直ると、なんと突然その場で頭を下げた。
「……申し訳ありません、ノビタ」
「っえ? ど、どうして、セイバーが謝るの?」
何の脈絡もなく飛び出してきた謝罪にのび太は面食らう。
低頭からきっちり三秒後に、顔を上げるセイバー。どことなく沈痛な面持ちで、そのまま言葉を続ける。
「……いえ。貴方は当初、アーサー王に会おうとしていたのでしょう? それがこんな、期待外れで……」
「そっ、そんな!?」
のび太はブンブンと首を振り、セイバーの言葉を真っ向から否定した。
確かにアーサー王のイメージはどこまでも凛々しくて気高い、まさに騎士王と呼ぶに相応しいという感じの、キリッとした男性像だった事は間違いない。
しかし期待外れというのは心外だ。
のび太はそんな事は、露程も思っていない。
「そんな事思ってないよ! そ、それはまぁ……女の子だったとは思わなかったけど……でも期待外れだったなんて、そんな事、ちっとも!」
「……ッ」
一瞬だけ、ピクリと反応を示したセイバーであったが、表情は優れないまま。
その様子に違和感を覚えたのび太ではあったが、とりあえず更に言葉を続けよう口を開きかけた、その時。
『――――そうか。それが貴様の剣か、セイバー』
低く、重厚な声が耳に響いた。
一同が弾かれたように、一斉にそちらに向き直る。
そこにいたのは。
『恐るべき威力よ……あれが滅されるのも至極当然の帰結か』
「ば、バーサーカー!! 無事だったの!?」
光となって爆散した筈の鈍色の狂戦士、バーサーカーであった。
いまだに威風堂々と佇むその雄姿を目にした、イリヤスフィールの歓喜の声が響く。
……だが。
『……無事、とは言えぬ。主よ。我は既に、敗者として消え去るのみの運命(さだめ)』
足元から光の粒子となって消え始めているその姿に、イリヤスフィールの表情が一転、悲痛なそれへと変貌した。
「バーサーカー……お前、喋れたのか?」
『狂戦士は己が最期の瞬間のみ、その狂気から解き放たれる。衛宮士郎よ』
「ッ!? お、俺の名前を……?」
まさか己が名を知っているとは思っていなかったのか、士郎は軽く目を見開く。
しかし続けて出てきた言葉に、士郎は目を剥いた。
『我が死の後、主を頼む。主は――――――貴様の義姉なのだ』
「……っな、に!?」
バッ、と士郎は傍らのイリヤスフィールを振り返る。
それを受け、瞳に涙を滲ませながらもイリヤスフィールは首肯を返す。
「……わたしの母は、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。そして父は……当時アインツベルン所属の魔術師だった、エミヤキリツグ。わたしが生まれたのは、シロウよりほんの少しだけ前。だから……シロウはわたしの……」
まさかバーサーカーがそれを言うとは思ってもみなかったようで、彼女の目もまた大きく見開かれていた。
だが、いきなりそんな事実を目の前に突き付けられて、「成る程、そうだったのか」とそう簡単に受け入れられる訳がない。
養父たる衛宮切嗣が過去にどこで何をしていたのか、士郎自身何も聞かされてはいない上に第一、イリヤスフィールの見た目と実年齢が明らかに違いすぎるのだ。
いったい何がどうなっているのか、士郎は頭が混乱し始めた。
「はぇ? あのぅ、ギシって?」
「……血の繋がらない姉という意味です。ノビタ」
「へぇ……って、お姉さん!? えっ、それにしては……その……」
『詳細は主から聞くがよい。今この場において、我の願いはただその一つのみ。そして……小さき英雄よ」
「え……って、ぼ、僕ッ!?」
そう言ってバーサーカーが視線を向けたのは、のび太。
唐突に英雄と呼ばれた事に、のび太は面食らってしまう。
そもそもどうして英雄などと呼ぶのか、のび太には皆目見当もつかない。
だがバーサーカーには、のび太を英雄と評する確固たる理由が存在していた。
『あの魔竜の記憶から、貴様の事はおおよそ把握している。貴様の幾多の功績の前では、我の成し遂げてきた事など小事に過ぎん』
「え、えぇ?」
『天上の女神により狂気に染められていたとはいえ、我は己が妻子すら護る事は叶わなかった。どころか、我が子を自らこの手に掛けてしまった……。我が道程において、障害を破壊する事は成せても、真の意味で救いを齎す事は終ぞ成し得なかった』
つらつらと述べられる言葉の真意を量りかね、士郎達は首を傾げる。
その中において、アーチャーが僅かに眉根を寄せ、のび太をジッと見つめていた。
『誇るがよい。大英雄と謳われ、オリュンポスの神々の末席に加えられた我ですら成し得ぬ事を、年少のその身で貴様は幾たびも成し遂げてきたのだ。貴様を英雄と呼んだはそれよ』
「そ、そんな事……僕は、僕なんか、ただの……」
どう答えたらいいのか、のび太には解らない。
第一、持ち上げすぎじゃないのかとすら思っていた。
自分はただの、非力な小学生でしかないのだ。
どれだけ今まで波乱の体験を重ねて来ていたとしても、それだけは変えようのない事実なのである。
そうこうしているうちに、バーサーカーの肉体は既に腹の辺りまで崩れ始めていた。
『……もはや時もない。心して聞け、小さき英雄よ。この戦争の裏には、恐るべき“闇”が潜んでいる』
「や、“闇”……?」
『我があの魔竜の姿に変えられたのも、その“闇”の仕業であろう。確証などはないが……あの魔竜の記憶を信ずるならば、これだけは断言出来る。あの魔竜は、我の器と肉体を基に、貴様の記憶から象られたのだ』
「僕の、記憶から?」
言っている事はよく解らなかったが、なんとなくとんでもない事が起こっているのだという事は窺い知れた。
自分の記憶からマフーガが再現されたと、バーサーカーは言う。
バーサーカーが言うところの“闇”がいつ、どのようにのび太の記憶を知ったのか、それは定かではない。
しかしサーヴァントが、その“闇”の手によって自分の記憶の中にある強大な敵に変貌したというこの事実。
……最悪の想像が脳裏をよぎり、のび太の背中に冷たい物が走った。
「ちょっと待ちなさいバーサーカー。いろいろ言いたい事はあるけど、つまりセイバーやアーチャーもあんな怪物に変わるかもしれないって事?」
『そうだ。英霊の器とエーテルを基にしている以上、この戦争に呼ばれたすべての英霊にその可能性がある。そこの幼き台風の精のような事象は例外中の例外だ。あの魔竜が、その存在を内包していたモノだったからにすぎん。おそらくは、二度と起こるまい』
凛の推測を、バーサーカーは肯定する。
その表情は険しく、血の気がやや失せているようにのび太には窺えた。
「その“闇”とは、いったい何者なのだ?」
『解らぬ。正体も、目的も、何もかも。ただ、この戦争に関わる全ての者は、その“闇”の掌の上であるという事は確かであろう……』
言い終えたその途端、バーサーカーの腕が完全に塵と消え、ついで胸元までが光の粒子へと還元され始めていた。
いよいよ最期の瞬間が来たのだ。
バーサーカーはのび太、フー子、士郎とセイバー、凛とアーチャーを順に見据え、最後の忠告を告げる。
『この聖杯戦争は既に従来のそれを大きく逸れ、歪で異常な物へと変貌している。覚悟せよ。小さき英雄、我が分身でもある台風の精。そして剣と弓の主従よ。貴様達の行く先には、想像を絶する過酷な運命が待ち受けている』
「バーサーカー! やだ、消えちゃやだっ!!」
抑えていた感情の決壊。
白の少女の嗚咽混じりの懇願が、闇の帳を揺さぶる。
だがその願いは届く事はなく、鈍色の身体はついに首のみを残すだけとなった。
そして崩壊が口元へと迫ったその時、バーサーカーは全ての情念をこの言葉に込め、自らの現界のピリオドとした。
『さらばだ。親愛なる我が主よ……そして兵(つわもの)達よ。抗え、この漆黒の運命に。切り拓け、光明の射す運命を。その全ての鍵を握るのは、おそらく――――』
その先を言い終える事無く、頭部が完全に光の塵となって拭い去られ、狂戦士の大英雄は枯れた森の闇に消える。
だが今わの際に、理性を取り戻したその眼が見据えていたのは、
――――――己を超えた英雄と評した、眼鏡の凡庸な少年であった。
「……これからどうするんだ、イリヤ?」
「……バーサーカーの言った通りにするわ。お城もあんなになっちゃったし、それがバーサーカーの遺志だから」
涙を拭い、イリヤスフィールは士郎の問いにそう答えた。
顔を上げた彼女の眼には悲嘆の揺らぎが色濃く映っていたが、それ以上の確かな強い意志が輝いており、それが彼女の芯の強さを感じさせて士郎は僅かに瞠目する。
そして彼女の視線の先には……、
「あ~……これじゃ確かに住めそうにないもんな」
無残な姿を晒す白亜の居城があった。
あの威風堂々とした佇まいはどこへやら、どてっ腹に大穴がぽっかりと開けられており、向こう側の景色が素でその姿を覗かせている。
屋根は粗方吹き飛ばされ、下部のレンガ材が剥き出しにされておりしかもところどころに亀裂が走っていて、少し突っついただけであっさり崩れてしまいそうだ。
壁も手で触れずともボロボロだと解るくらいの悲惨な有様で、よく倒壊せずに持ちこたえていられるものだと溜息が出そうなほどである。
外見だけでこの惨状では、中の様子もおおよそ想像がつくというもの。
「……まあ、致し方ありませんね。……はぁ」
「修理、当分かかる。下手すると、年単位……」
復帰した従者二名のどこか投げやりめいた声が、その深刻さを雄弁に物語っていた。
怪物の吶喊によって一同が吹き飛ばされたあの時。
その進路の延長戦上にあったアインツベルン城を豆腐のように突き抜けて、身に纏った超高気圧の衝撃波でズタズタに引き裂いていった事でアインツベルン城は壊滅した。
至る所がヒビ、歪み、瓦礫だらけの満身創痍。さながら落城寸前の城砦を思わせる。
これならいっそ全てを取り壊して新しく建て直した方が、修理するよりも早く済みそうである。
「俺は別に構わないけど……いいか、皆?」
「交戦の意思もないようですし、私は構いませんが」
「わたしもいいわよ。ま、ボランティアって訳じゃないから、情報提供とかはしてもらうけど」
「……ふむ、特に異論はない」
「僕もいいです」
とりあえず、アインツベルン組の衛宮邸入居は満場一致。
これ以上ここにいても仕方がないので、早々に戻る運びと相なった。
異常事態と連戦のおかげで全員が疲労困憊。特に精神面の疲労が著しい。
一刻も早く休みたいというのは、この場にいる全員の共通認識であった。
「……そういえば、その子。フー子、って言ったっけ? バーサーカーみたいに消えなかったんだ」
「フ? ボク、バーサーカー、べつ。のびた、つながってる。ボク、のびた、いっしょ」
そう言って、フー子はのび太の手を握る。
のび太との間にラインが繋がった事で、フー子はバーサーカーやマフーガとは別の存在として独立していた。
ある意味、のび太のサーヴァントであるとも言える。
「あ、アハハ……」
嬉しさ半分、気恥ずかしさ半分といった様子でのび太はパリパリと自分の後頭部を掻いている。
花が咲いたような笑顔のフー子と共に手をつなぐその様は、まるで仲のいい兄妹のようだった。
「フーコ、貴女も一緒に来ますか?」
「フ!」
セイバーからの問いに、フー子は間、髪を入れずに頷きを返す。
選択の余地などないと承知の上での一応の確認であったが、これでフー子も晴れて衛宮邸の住人となった。
「話はこれで決まりね。さて、これ以上時間も無駄に出来ないし、さっさと戻るわよ。流石に疲れたし、詳しい事は明日詰める事にするわね。……特にのび太、アンタには色々と質問事項があるから、そのつもりでいなさい。じゃ、“どこでもドア”を出して」
「あ……あ、はい」
要請に応え、のび太が“スペアポケット”から“どこでもドア”を取り出しガチャリ、と扉を開けると、その先に衛宮邸の玄関があった。
流石に士郎達はいい加減慣れたもので、何も反応を示さなかったが、アインツベルン組はそうはいかなかった。
文字通り、別空間への扉を開くという荒業を何らの苦労もなく、成し遂げているという事実に揃って訝しげに首を傾げる。
「……どうなってるの、これ?」
「魔術……ではありませんね。しかし空間と空間をドアを間に直結させている。いったいどんな原理で……?」
「お風呂の時のドア? ……お風呂に着いてない」
「着かないよ!?」
――――訂正。約一名、疑問のピントがズレていた。
狂戦士との死闘はこうして思わぬ異常事態と出会いを齎し、その幕を下ろした。
ドアを潜り、数名の新参者を加えて衛宮邸へと帰還を果たす一同。
日本はおろか、東アジア一帯をも呑み込もうとしていた超爆弾低気圧は綺麗に消え去り、後には星が煌々と輝く、雨上がりの抜けるような濃紺の夜空がどこまでも広がっていた。
――――――だが。
「……ようし、まずは一体分。バーサーカーこと“ヘラクレス”。流石大英雄サマ、文字通り“器”が違うねェ。あの風の魔竜に変化させてもぶっ壊れなかっただけの事はあるぜ。結構な純度じゃねぇかよ、ヒヒ」
破壊の痕跡が生々しいアインツベルン城内。
手摺や背後の窓ガラスが消し飛んだバルコニーの上で、顔中に嗤いを滲ませる者が一人。
手にしたハンドボール大の水晶を、バスケットのように人差し指の上でシュルシュルと回転させ弄びながら、眼下の森のある一点を見下ろしている。
そこはつい先程まで、のび太達が佇んでいた場所であった。
人間の影はおろか、“どこでもドア”すらも移動した後で既になく、ただ荒れた大地があるだけの地面をいったい何が面白いのか、ニヤニヤと薄気味悪い嗤いを浮かべながらジッと見入っている。
「あの半ホムンクルスはいつ気付くかねェ? ま、ちっと時間が掛かるかもなぁ。オレの推測じゃあ、『自覚症状』が出始める筈なのがだいたい二、三体目くらいからだろうし。けどまあ、やっぱパクっといてよかったぜ、あの“カメラ”。発想の転換次第で、こんな事だって出来るんだからよ、クヒヒヒ!!」
一頻り嗤い終えた後、その者……この戦争の真の黒幕たる“闇”は右手の水晶をパシッと掴み回転させるを止め、濁った瞳で中を覗き込む。
その中にあったのは……いや、封じ込められていたのは……。
「これからが本番だぜクソガキ。テメェはこの後も、オレプロデュースの“裏側の悪”と対峙してくんだ。せいぜい泣いて喚いて、命張れや。んでもって、とっととオレのところまで辿り着け。願いを叶える聖杯は……『染まっていねぇ聖杯』は、“ココ”にあんだからよぉ。――――――ケケケケケケケケケケケケケ………!!!」
――――アインツベルンの白の少女を模した、愛らしくも精巧な人形であった。