「マフー……ガ?」
剣を支えに、中腰の体勢のまま士郎がのび太の言葉をリピートする。
その視線は、いまだにお化けでも見たかのように泡を食っているのび太に注がれたままだ。
「それが、アレの名前なのですか……?」
「……ッ、ッッ!!」
セイバーの問いに、のび太は顔面蒼白のままブンブンと首を上下に振る。
ともすれば、首がそのままもげ落ちてしまいそうな程の勢いで。
士郎、セイバーは互いに顔を見合わせあうと同時に眉間に皺を寄せ、何か腑に落ちないような表情を浮かべる。
そして、
「……のび太。アンタ、アイツを知ってるのね!?」
凛がガシッとのび太の肩を掴み上げると、鬼気迫る表情でのび太を詰問口調で問い詰めた。
“マフーガ”と呼んだあの風の竜を目にしてからののび太の挙動不審振りは尋常ではない。
名前を呼んだ事といい、間違いなくのび太はアレを知っているのだと判断出来る。
だからこそ、士郎とセイバーが……いや、のび太以外のこの場の誰もが抱いていた事を、図らずも凛は代弁した形になった。
「アンタ、どうしてあんな英霊でも見た事なさそうな怪物を知ってるの!? というか、アイツについて何を知ってるの!?」
「ぐええぇぇぇ!? り、凛さん、凛さんっ! こっ、今度は首、首がっ、締まっ、て……!?」
「……少し落ち着け、凛。そんな事をしている場合か」
アーチャーが猛る凛を引き剥がしてくれた事で、のび太の命脈は保たれた。
咳き込みつつ、ゼーゼーと息も絶え絶えにのび太は堕ち掛けた意識を無理矢理復旧させる。
そうしてある程度落ち着いたところで、のび太はいまだ涙の滲む瞳を凛の方に移した。
「あぁ、死ぬかと思った……」
「……あ~、悪かったわね。でも非常時だからこれ以上は勘弁ね。そんな事より、さっさとさっきの質問に答える! 結局、アレはいったい何なのよ!?」
バツが悪そうに頭をポリポリ掻き毟る凛であったがそれはそれ、せっつくように回答の提示を求める。
情報がない以上はどうするもこうするも判断が出来ない上に、相手は間違いなくバーサーカー以上の怪物であろう事はこの場における共通認識であった。
故に、少しでも判断材料が欲しいのだ。焦るのも無理からぬことではある。
「え、あ、は、はい! あれは……!?」
勢いに押され、口を開きかけたのび太であったが、
『――――――――――――――――!!!!』
怪物の咆哮によって、中断を余儀なくされた。
全員の視線が一斉にそちらに注がれる。
渦巻く曇天の中、雄叫びを合図に怪物は身を縮めるように全身をくねらせると、その長大な全身を折りたたんだかのようにギュッと収縮した。
「「「「「…………??」」」」」
意図が読めず、眉を顰(ひそ)める一同……だが次の瞬間、思いもかけぬ事が起こった。
「――――え、風が……」
「止んだ……?」
困惑に駆られ、呟く士郎とのび太。
先程までの荒れ模様がまったくの嘘であるかのように、風がピタリと鳴りを潜めた。
あまりの不可解さに一同は顔を見合わせあうが、
「ッ!? ……これはっ、来ます!」
「「「え?」」」
「……ッ、そういう事か!」
何かを察知したかのようなセイバーの警告。
人間組三人はその唐突さに疑問符を掲げたが、弓兵だけは即座にその示唆するものを悟り得た。
……のび太が『マフーガ』と呼んだ怪物はその見た目通り、凶悪な“風”の魔物だ。
さっきまでの嵐のような暴風は、怪物の存在そのものが齎す副次的な現象。
そのくらいは一同もそれぞれ理解してはいたのだが……さて、その副次的な現象たる暴風が収まった。
この事実だが……一つ、こうは考えられないだろうか?
怪物は身体を“収縮”させたのではなく、“集束”させたのだと。
それによって、放出されていた風も漏れ出さなくなったのではないかと。
……すなわち、怪物の次なる行動は。
「まさか……突撃っ!? の、のび太! “バリヤーポイント”を張って! 早く!!」
「はっ、はいっ!?」
ようやく意図に気づいた凛が焦燥混じりに指示を飛ばすと、のび太は反射的にポケットの中の“バリヤーポイント”を起動させる。
そして全員をバリアの内に入れるためにキーワードを口にしようとするが、
「――――あっ、凛さん! あの人達も中に入れた方が!?」
先程まで刃を突き合わせていたイリヤスフィール主従がいた事に思い至った。
のび太が視線を向けたその先には魔力障壁の内側に篭る三人の姿が。
しかしその中にあって、イリヤスフィールと障壁を張り続けているセラの顔色がどことなく悪い。
イリヤスフィールはおそらくショックから、セラは魔術を行使し続けていたツケで疲労気味、という事なのだろう。
もしあの状態のまま化け物が突っ込んできた場合、果たして無事で済むかどうか……。
「……そうね。こうなっちゃってる以上、敵だどうだって言ってる場合じゃなさそうだし」
「はいっ! ええと……『“し”と“り”と“せ”と“あ”と“い”のつくものはいれ』ッ! イリヤ……ちゃんだったっけ!? あとセラさんとリズさんも、こっちに来てバリアの中に入ってくださいっ!!」
「……? どういうつもり?」
一瞬だけ、主従はお互いに顔を見合わせあう。
バリアの中に入れと言われても、そもそもバリアそのものが不可視の物である以上は本当に張られているのかどうか確認出来ない上、強度やその他諸々の諸事情も解らない。
何より、三人はつい今の今まで死闘を演じていた敵なのである。
放っておくどころかバリアの中に入れなどとは、普通は言わない。
だがこの異常事態の最中、反応を見ていれば向こうにとってもイレギュラーなのだろう……だからこれが罠であるとも思えない。
三人は必死の形相で叫ぶのび太の真意を測りかねていた。
「早くっ! “バリヤーポイント”は侵入を許可してもほんの少しの間しか入口が開かないんだからっ! マフーガが来る前に、急いで!!」
「……どうされますか、お嬢様? 少なくとも、敵意はないようですが」
「……そうね」
イリヤスフィールはほんの一瞬だけ逡巡する。
のび太達の表情を窺いながら、あらゆる可能性を吟味。
そして、ほぼ即決とも言える思考速度で決断を下した。
「いくわよ。セラ、リズ」
「……ッ。承知、いたしました」
「うん」
頷きと同時に三人がのび太の“バリヤーポイント”の中に侵入を果たす。
他のメンツは既にバリアの内側の退避済みである。
「フゥッ……失礼、いたします」
「……おじゃまします」
「これで入ってるのよね?」
「うん。“バリヤーポイント”の範囲は僕の周囲二メートルだから。見えないだろうけど」
しかし総勢八人が半径二メートルの範囲に収まっているのだからやや密度が高い。
息苦しさを感じない程度ではあるが。
「……それで? アナタはどういうつもりでわたし達を?」
「へっ? どういうつもりも何も……こんな事態なんだし、敵だの何だのって言ってる状況じゃないでしょ?」
「そうかもしれないけど、でも庇う義理はない筈よ。放っとけばよかったのに」
「そんな!? 出来る訳ないだろ!? アレは『マフーガ』なんだよ!? それに君やセラさん、リズさんは女の子なんだから!」
「……だから、何?」
「えっ……あ、だから……、女の子は、護らなくちゃ。僕は、男なんだし」
「…………ふぅん?」
のび太の発言にイリヤが何とも形容しがたい視線を向けたと同時に、
『――――――――――――――――!!!!』
天地を揺るがすほどの嘶きと共に、のび太達目掛けて風の塊が吶喊を仕掛けてきた。
「きたっ!?」
「全員対ショック! 構えて!」
風の巨体が恐ろしいスピードで迫り来る中、“バリヤーポイント”の内側でそれぞれが身構える。
そして竜の咢がバリアと接触したその瞬間、ビシッと大気の圧力で足元の地面に亀裂が走った。
「うわわわわわっ!?」
「ぐぅ……っ、まさかっ、バリアの中にまで振動が来る、なんてっ!?」
“バリヤーポイント”の反発力など物ともせず、怪物はバリアごとのび太達を一呑みするとそのまま体内で消化していくかのようにその身を通過させていく。
その真っ只中において、のび太達は周囲の景色が歪むほどに圧縮された大気に晒されていた。
深海数千メートルにおける水圧と遜色ない超高圧力、一本でも外に指が出ようものなら即座にひしゃげ、そのまま勢いで引き千切られてしまう事だろう。
だが今は何とか、曲がりなりにも全員生き永らえている。
生命線たる“バリヤーポイント”は怪物の圧力にも負けず、使用者達を護り通していた。
……だが。
「……ん? なあ、何か焦げ臭くないか?」
「へっ? ……あ、あれ? あ、ああアチアチアチ熱っ!?」
突如、のび太が奇声を上げたかと、思うと目を白黒させながら必死にゴソゴソとポケットの中を探り始める。
そして「アチッ、アチッ!」と手の中でお手玉のように弄びつつ取り出したのは……ところどころから煙を噴き上げる“バリヤーポイント”の端末だった。
各所からオレンジの火花が色鮮やかに飛び散っており、バチバチと鳴ってはいけない音がバリア内に反響する。
「う、うえぇ!? ば、“バリヤーポイント”がっ、ショートしてる!?」
「「「「「「「……はぁっ!!?」」」」」」」
その一言で、全員の表情が一瞬で蒼白に染まった。
英霊の渾身の一撃すら弾き返すほどの堅牢さを誇る“バリヤーポイント”であったが、この怪物の超圧力にだけは堪えきれなかったようだ。
というよりは絶え間ない衝撃に本体が異常過熱し、ついにオーバーヒートを起こした、といった方が正確であろうか。
“バリヤーポイント”はそもそも未来の警察官が所持する個人防御システムであり、銃撃や凶器による殴打等の瞬間的な強い衝撃から所持者を保護するように作られている。
だがそれは逆に、途轍もなく強い衝撃が間断なく続く状況下に晒された場合、本体そのものが反作用から来る過負荷に耐えかねて自壊してしまう危険性がある事をも示唆していた。
「どっ、どどど、どうしよう!? どうしましょう士郎さんっ!?」
「おっ、落ち着けのび太君! えと……あっ、そうだ! 負荷に耐え切れずに壊れかけてるんなら、すぐに直せばいいんだよっ! 確かアレがあっただろう、“復元光線”!」
「ッ! そ、そうかっ! えぇ~っと“復元光線”、“復元光線”……!?」
士郎からのアドバイスにのび太は暴発寸前の“バリヤーポイント”を地面に放り捨てるように置くと、もう一方のポケットに入れていた“スペアポケット”を引っ張り出して腹部に貼り付けると中をゴソゴソと漁り始めた。
しかしそんな事をしている間にも“バリヤーポイント”の過熱現象は収まらず、むしろ崩壊のカウントダウンが秒読み段階に突入していた。
完全遮断の筈のバリアの中に隙間風が入り込み、不可視のバリアが切れかけの電球のようにチカチカ明滅する有様に、一同は肝が凍りつくかのような錯覚に襲われる。
「ちょっと、のび太まだなの!?」
「ええと……! お、おかしいな? 確か、この辺にぃ……!?」
焦れたように凛が催促するも、のび太はまだ“スペアポケット”の中をゴソゴソやっている。
なかなか手が“復元光線”に行き当たらないのだ。
「まだ見つからないのか、のび太君!?」
「すっ、すいませえええぇぇぇぇん!?」
もはや“バリヤーポイント”からは火花どころか炎が噴き上がっており、実質あと三秒と持たないであろう。
必死の形相で手を動かすのび太を余所に、残りの者達は冷や汗混じりに唾を呑み込むと、ジリジリ身構え始めた。
唯一、アインツベルン主従のみが体勢を整えながらも、のび太の奇怪な行動とポケットに興味と猜疑心の入り混じった複雑な視線を向けている。
「――――あっ、あったあぁっ!!」
そしてやっとの事でのび太が“復元光線”を引っ張り出したのと丁度時を同じくして、
「ちょっ、も、もうダメ!? 限界――――!」
――――ボンッ、という短い破裂音と共に、全員の身体が木の葉のように宙を舞った。
「――――ノビタ、ノビタ!! 大丈夫ですか!?」
「……う、ううぅっ! イ、イタタ……あっ、セ、セイバー?」
「ッ、ノビタ! ふぅ、気が付きましたか……よかった」
のび太が顔を顰めながらゆっくり目を開けると、そこには安堵の表情を浮かべたセイバーがいた。
一応気絶状態から覚醒したものの、まだ完全には目覚めきっていない。
地面に片膝を突き、金の髪を靡かせるセイバーをぼんやりと眺めつつ、自分は今地面に横たわっているのだなとのび太は全身から伝わる感覚で理解する。
「えと……どうして?」
「はい? ……ああ、状況が呑み込めていないのですか」
「状況……って?」
朦朧とした視線で問うのび太。
セイバーは「む」と一旦言葉を区切り、次いで何とも言えない表情でカリカリと頬を掻くと、
「ノビタ……少し、堪えてください」
「へ―――――っむぎぁあああ!」
のび太の頬を摘み、夢から覚めろとばかりに思い切り抓り上げた。
突然の激痛にコンマ数秒の勢いで跳ね起きたのび太であったが、子ども特有の柔らかい頬はいまだ横に引き伸ばされたまま。
剣の英霊の力は、のび太が完全に覚醒したにも拘らず微塵も緩む事はなく、ギリギリと皮膚が軋みを上げる。
灼熱の痛みが涙腺を刺激し、その目じりからはジワリと涙が滲み出ていた。
「どうですか? 目は覚めましたか?」
「うぅ(うん)、うぅ(うん)!!」
「そうですか、では」
そしてきっかり三秒が経過した後、セイバーはパッとほっぺたを解放した。
パチン、とゴムを弾いたようないい音を奏でつつ、のび太の右頬が定位置に戻る。
「むぎゃっ!? ……うぅ、痛い。いきなり何するんだよ、セイバー?」
即座に赤くなった右頬を押さえ、労わるように摩るのび太。
涙目の瞳は恨めしげに、至って平静のままに佇むセイバーを見やっていた。
「完全に目が覚めていないようでしたので、眠気覚ましの気付けを少々」
「気付け……? っでも、だからって何もほっぺたを抓る事ないじゃないのさぁ!?」
「……平手でなかっただけマシな方ですよ?」
実に御尤もなセイバーの指摘。
英霊に渾身の力で張り飛ばされるなど、いったい何の拷問であろうか。
しかもバーサーカーの必殺の一撃を受け切れる程の膂力を誇るセイバーの、である。
一応“タネ”も“仕掛け”もあるとはいえ、考えただけでぞっとしない話だ。
そんなセイバーのささやかな気遣いにも気づく事なく、のび太はブツブツと頬を赤くした不平をぶつけるのであった。
と、その時。
「のび太君、セイバー、無事かっ!?」
「二人とも、まだ生きてるわね!?」
「凛……出来るならもう少々声を落として欲しいのだが。気持ちは解らんでもないがな」
「リズ、セラがずり落ちそうになってるわよ。大丈夫、セラ?」
「お嬢様……申し訳、ございません」
「ん。セラ、無茶しすぎ」
「――――あっ、士郎さん、凛さん、アーチャーさん! それに三人も!」
他のメンバー(+アインツベルン主従)が、のび太達二人の場所へと集ってきた。
士郎は徒歩、凛は“タケコプター”装備のアーチャーに抱えられて。
そしてアインツベルン主従は徒歩で……だがその中においてただ一人、セラだけがリーゼリットに肩を支えられていた。
「あの、セラさん……どうかしたんですか? もしかして、怪我とか?」
「……魔術を使いすぎたのよ。わたしを庇ってね」
「魔力切れ。しばらく安静」
簡潔な説明の後、それに同調するようにセラが弱々しげに手を上げた。
青白い顔でリーゼリットに寄りかかっているその姿から察するに、明らかに疲労困憊といった様子。
意識も朦朧としているようで定かではなく、これ以上の活動は不可能であろう。
「成る程ね。まあ、あれだけの衝撃を魔術でどうにか相殺し切れただけでも、流石アインツベルンってところかしら?」
「衝撃? ……ああ、そっか! “バリヤーポイント”が壊れて、それで吹き飛ばされたんだっけ!?」
「ああ。アイツが通り過ぎたのと同時だったから、何とか九死に一生を得られたけどな」
セイバーによって覚醒させられたお陰で、のび太は今までの過程をすべて思い出す事が出来ていた。
“バリヤーポイント”が爆発するのと、怪物の体内(?)を尾の先まで通過しきったのはほぼ同時であった。
身体を超高密度の空気の断層で圧潰させられる事はどうにか免れたが、しかし通過した余波で発生した衝撃波によって、全員の身体が凄まじい勢いで吹き飛ばされてしまったのだ。
セイバーとのび太、士郎、凛、アーチャー、そしてアインツベルン主従と散り散りに。
バリアの中で密着状態に近かったセイバーとのび太、アインツベルン組は一纏めで飛ばされたのだが、その中においてセイバーは即座に冷静さを取り戻すと状況を俯瞰。空中で姿勢を整え、手を伸ばして気絶したのび太をキャッチし両の腕に抱え込むと、そのまま共に軟着陸を果たす。
士郎は“スーパー手ぶくろ”の力で、凛は魔術で、アーチャーは自力で、それぞれどうにか落ち着いて体勢を立て直し、無事に着地を果たしたがアインツベルン組は影響が最も強い位置にいたため、誰よりも強烈な衝撃に晒されてしまった。
それでもなお無事でいられたのは、セラがバリアの崩壊と同時に魔術による障壁を全力で展開し、被害を最小限まで喰い止めたからである。
「――――まぁ、それはさておくとして、問題はここからよ。のび太」
「はっ、はいっ?」
身体の埃を払い落としていた凛が居住まいを正し、のび太に視線を向ける。
のび太は一瞬身構えるが、その視線はつい先程、怪物に体当たりを喰らう直前、のび太に憤慨気味に叩き付けていたものとは若干違ったものであった。
「改めて聞くけど、あの化け物をアンタは知ってるのよね?」
「えっ……はい」
「そう。色々と思う事はあるけど、とにかく今知りたいのは一つだけよ。……あれは、どうやったら斃せるの?」
「……へ?」
どうして平行世界の住人であるのび太が、こちらの世界で出現したあの怪物を知っているのか。知っているのなら、怪物の正体はいったい何なのか。
謎は尽きないものの、そんな些末事は今の凛にとってはどうでもよかった。
この状況下で知りたい事は、たったの一つ。
打倒する方法、ただそれのみであった。
纏う異様な雰囲気と威圧感からして、あれは間違いなく神話級の怪物であり、今のこの世にはあってはならないモノだ。
もしアレが本領を発揮しようものなら、事は聖杯戦争どころの話ではなくなってくるであろう。
冬木はおろか、下手をすれば日本……いや、世界すら混沌と狂乱の中に引きずり込みかねない。
それほどの強い危機感を、凛は理性や知性ではなく、本能で以て察知していた。
凍る背筋と、どうしようもなく湧き上がる焦燥……それは、士郎や英霊組の共通の心情でもある。
もっとも、事情をよく知らないアインツベルン組は頻りに首を捻っているが、感じているものはやはり同じだ。
「え、えと……」
全員の視線が自分に注がれているのを感じ、のび太は顔に血が集まってくるのを感じながらも慌てて自分の記憶から思考を広げ、組み立て始める。
険しい山奥の秘境。そこに暮らす風と共に生きる人々、風の民。
その風の民と敵対する、風を支配せんとするアラシ族のかつてのシャーマン、ウランダーが生み出した強大な風の化物、マフーガ。
マフーガの力は凄まじく、遥かな過去、実に四十日もの間、この世に大嵐を齎したという。
所謂“ノアの大洪水”を引き起こしたのも他ならぬこのマフーガであったらしいのだが、それを喰い止めたのが当時の風の民の長であるノアジン。
彼が振るった『封印の剣』によってマフーガは身体を寸断され、剣と共に三つの珠に封じられた。
だが時を超えて蘇ったウランダーの手により、マフーガは現代に復活を果たした。
もっとも、その裏には真の元凶たる22世紀の考古学者であり時間犯罪者、Dr.ストームの暗躍があった訳なのだが……それはさておく。
復活したマフーガは超巨大台風を伴い降臨、巨竜の姿を象りのび太達に襲い掛かった。
巨大化したドラえもんの“空気砲”の一撃で身体を木っ端微塵に吹き飛ばされても即座に再生、力も何ら衰える事はなく始末に負える相手ではなかった。
(……でも、アイツはあの時、確かに消えた)
しかしマフーガはのび太の目の前で敗れ、消滅した。
それを成し遂げたのは……のび太にとって忘れる事の出来ない、風の民達と出会い、仲間達と死線を潜り抜ける冒険へと漕ぎ出す切っ掛けとなった、“彼女”。
のび太を護るために、“彼女”はその身を犠牲にしてマフーガを諸共に消し去った。
のび太は、その光景を涙と共に見ているしかなかった……あの怪物が視界に入る度、のび太の心がチクリと痛む。
「どうなの!?」
「あ……と、そのっ」
のび太の僅かな葛藤を知ってか知らずか、凛は早急なる回答を求めのび太に一歩、ずいっと詰め寄る。
周囲は皆、のび太の次なる言葉を待っている。
泡を喰いながらもチラリ、とのび太は目だけを上に向ける。
怪物は、グルグルと上空を旋回しつつこちらの様子を伺っているように見えた。
体当たり敢行後、上空へと再度舞い上がった怪物。
もう一度あの突撃を喰らえばこちらは一溜まりもないのだが、今のところは何も仕掛けて来る様子もなく、ただ悠然と宙に身体を泳がせている。
だがそれが却って怪物の底知れなさを感じさせ、不気味さを煽り立てていた。
(……けど、何かおかしい)
だがのび太は、今の怪物に言いようのない違和感を覚える。
あの怪物が何故ここに、しかもバーサーカーと入れ替わるような形で唐突に現れたのか。
のび太に知る由もなければ、知る術もない。
しかし何かが頭の片隅で、思考ルーチンの端に引っ掛かっていた。
まるで靄のように掴みどころのないそれ。
「あの……それはっ」
「それは!?」
さらに強く注がれる視線。
まるで視線でのび太の顔面に穴を開けんばかりの力の入り様だ。
のび太は僅かにたじろぎ、唾を呑み込む。
そして、のび太が次に取った行動は――――。
「うぅっ――――何かないか何かないか何かないか何かないかっ!?」
腹に貼り付けた“スペアポケット”の中身を、次から次へと引っ張り出す事であった。
全員の口から思わず虚脱の溜息が漏れる。
「お前、それはないだろう……」と言わんばかりのその表情。
突破口が開けるかと思っていたところにこれでは、流石に無理もない。
「これじゃない、これも違う、これも役に立たない……ああぁ、もう! どうしてドラえもんはこう毎回毎回、道具を整理していないのさぁ!?」
しかもポケットから出てくるのは何故か電子レンジにドライヤー、マッサージ器に掃除機、冷蔵庫……はっきり言って、この場ではガラクタ同然の代物ばかり。
虚脱感が上積みされ、溜息がますます重くなった。
だがそんな中においても、のび太の思考はいまだ停止しておらず、無意識下で暗中模索が続けられている。
血眼になってポケットの中を掻き回す、その様子からは想像もつかないであろうが……ついでに言うなら、のび太の叫びはどちらかといえば冤罪に近い。
と、その時。
(……あ、そっか! やっと解った……アイツ、あの時よりパワーが落ちてるんだ!)
不意にのび太の頭にあった靄が、綺麗さっぱりと霧消した。
答えに至ってしまえば何の事はない。
今のマフーガは、あの時のび太が対峙した時と違って力が格段に劣化していたのだ。
のび太の感じていた違和感の正体は、上空の渦を巻く雲の大きさと、突撃の際に風が止まった事。
マフーガは、端的に言ってしまえば“凶暴な本能を持った、人知を超える超巨大低気圧”……いわば超常的なまでに異常発達した台風のようなもの。
そしてその力を示す象徴はあの空を泳ぐ竜ではなく、その上に存在する、厚い雲渦巻く低気圧なのだ。
初めてのび太がマフーガと相対した時、低気圧は水平線の遥か向こう側、実に中心から半径数百~数千キロの範囲までを覆い尽くすような、常識外れに馬鹿デカいものであった。
距離の相当離れた日本のニュースでも大きく取り上げられ、声高に警戒が叫ばれたくらいである。
しかし今の雷雲の規模はどうなのかといえば……精々あの時の十分の一程度かそれ以下、といったところが関の山であろう。
それでも十分に脅威ではあるが、だがやはり今と過去を引き比べて見てみるとどうしても劣化している感は否めない。
だからこそ、突撃する直前に周囲の風を集め、自分の身体へ集束させた。
もし仮に過去のパワーそのままであったのならば、そんな必要などまったくなかった筈なのに……事実、以前は驟雨と雷光と暴風を垂れ流したまま、狂ったように突撃を繰り返していた。
少しでも欠けた力を補うための、本能的な対処策。
おそらくは、元になったと思われるバーサーカーの命を十一個削り取っており、万全とは程遠くしていたから……のび太は直感的にではあるが、その点を正確に捉えきっていた。
(……でも、だからってどうすればいいんだろう!? あの時みたいに『封印の剣』はないんだし、そもそも僕達だけじゃとても……!?)
焦燥感に苛まれながら食べかけのどら焼き、ヘビのおもちゃ、核兵器の模型っぽいナニカといったブツをその場にポイ捨てし、次にポケットから取り出した物体を目にしたところで、
「――――――ん?」
のび太はピタッと手を止めた。
右手に握られたそれは……一見何の変哲もないような一個の腕輪。
ブレスレットといった方がやや正確であろうが、それにしては宝石のような突起が一つついただけの、装飾品とは思えないようなシンプルな見た目。
のび太はこれを数秒の間、ジッと見つめていたが、
「――――あ、そうだっ!!!」
ピン、と脳裏に天啓が舞い降りた。
唐突に脳裏をよぎった、一つの方策。
単なる思い付きでしかなく、しかも多分に穴だらけであるこの作戦は、しかし他に選択肢を探るという選択肢すらない今の現状において、唯一の打開策であった。
上手くいけば怪物の力を削ぎ落とす事が可能、仮に上手くいかなくても今のこの劣勢状況下ではこれ以上、事態が悪くなりようもない。
と言うより、徐々にではあるが現在進行形で事態は悪化しているのである。
パラパラとしか降っていなかった雨は段々と雨量を増し、風が集束前よりも強く吹き付け始めていて全員が再び体勢を低くし今度は木々の間に鎮座、身体を取られまいと強風を凌いでいる有様だ。
そして極めつけは夜空を黒く染め上げる上空の雲。
奔る稲妻が大気を地鳴りのように大きく揺さぶる中、はじめの時よりも厚みと密度が増し、雲の直径がジワジワとだが確実に広がりつつある。
怪物の力が回復……いや、増してきているのだ。
それを怪物の雰囲気から感じ取ったのび太には、もはや不確定さに躊躇う時間など残されてはいなかった。
グルリと皆の方に向き直り、やや早口になりつつも口を開く。
「あ、あのっ! ひとつだけ、考えがっ!」
「ん!? どんな?」
士郎に促され、説明するのび太。
一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けていた士郎達であったが、すべてを聞き終えると微かに眉を顰めていた。
「そんなに都合よくいくのか……?」
「それは……解りませんけど。でも……!」
士郎の懐疑的な意見に、のび太は他に方法はないと勢い込み、説き伏せにかかる。
妙な話だが、不思議とのび太はこの作戦が必ず成功するという確信を持っていた。
根拠などない、理屈でもない。ただ直感的に、己の案に並々ならぬ自信を抱いている。
説得力がないと自分でも理解はしているが、それでも撤回する気は毛頭なかった。
何故なら、ある意味でこの作戦には……のび太にとっての“希望”と“贖罪”に近いものが籠められているからだ。
もっとも、のび太自身にそこまでの明確な自覚はなかったが。
「よしんばその作戦で上手くいったとしても力が落ちるだけで、アイツを斃せるわけじゃないんでしょ? 打倒手段がないんじゃ、片手落ちよ。だから、賛成は出来ないわね」
「あ……」
だが、凛のダメ出しには流石に閉口せざるを得なかった。
のび太が提示したのは打倒手段ではない。いわば“削り”のための作戦だ。
それ自体はいい……成功率云々は別にして。
しかしそれは打倒手段があってこそ、初めて意味のあるもの。
決定的なチャンスを作った“だけ”では話にならないのだ。
チャンスを生かす方法、すなわち致命的な一撃を加える必殺の手段がなければ結局はジリ貧のまま、こちらの敗北が決定する。
それが解らないほどには、のび太も馬鹿ではない。
よって、起死回生と思われたのび太の案は却下され、お蔵入りになる……筈だった。
「――――――いえ、手段はあります」
剣の英霊が呟いた、この一言がなければ。
その表情には言いようのない、何かしらの覚悟がありありと浮かび上がっていた。
「は? セイバー、それって……どういう事だ?」
「正直、あまり気は進まないのですが……流石に今の状況下ではそうも言っていられません。単刀直入に申しますが、私の持つ宝具を使えば、あるいは……」
「宝具? え、でもセイバーの宝具って、あの不可視の剣じゃないの?」
確認するように問う凛に対し、セイバーは微かに首を横に振ると、言葉を続けた。
「それも私の宝具である事に間違いはありませんが……あの『風王結界(インビジブル・エア)』は私の真の宝具を隠すための、いわば見えざる『鞘』なのです。本命はその奥の……」
「……剣?」
先を言い当てた士郎にセイバーは頷きを返す。
セイバーは騎士である。故に適当な事を言う性格ではない。
余程に自信があるものなのだろうと、士郎と凛は考える。
しかし、それにしてはセイバーの表情はあまり芳しくない。
眉根に皺を寄せているし、しかも何故かのび太の方を見ては微かに表情を物憂げなものへと変えている。
それが気になったのび太は、セイバーに対して疑問をぶつけた。
「セイバー、僕がどうかしたの?」
「……ああ、いえ。ただ、これには問題が少々ありまして」
セイバーは追及を避けるようにのび太の問いには答えず、話を先に進めた。
「実は、これは相当に魔力を喰います。その分、威力は折り紙つきですが……故に、一度しか使う事が出来ません」
「ふむ……参考までに聞いておくが、どの程度まで魔力を持っていかれるのだ?」
「む、そうですね……召喚された時点での状態でしたら、一度の使用で私の現界そのものが危うくなるほどに、ですか」
「「「はあっ!?」」」
予想を遥かに上回る燃費の悪さに士郎・のび太・凛が目を剥いた。
成る程、それだけ魔力をつぎ込まねばならないというのなら、確かに必殺と成り得るだろう。
しかしそれでセイバーが魔力枯渇で消滅の危機に晒されると聞いてしまえば、流石に躊躇いを覚えずにはいられない。
だがその中において一人、アーチャーのみがセイバーの言葉の中に含まれているものに気づいていた。
イリヤスフィールはのび太達の間で交わされるやり取りをジッと静観しており、リーゼリットはどちらかと言えば自らが行っているセラの介抱の方に意識を割いている。
「……という事は、“今”はそこまではいかんのだな?」
「ええ。一応、通常戦闘がどうにか可能といったところまで、でしょうかね? いきなり消滅という事にはならないと思います。食事で僅かなりとも魔力を得られましたし、それにあの夜の余剰分が……いえ、まあそういう事です」
セイバーの言葉に、思わず安堵の吐息を漏らす三人。
仮に怪物を斃せたとしてもそこで終わりという訳ではない。聖杯戦争はこの後もまだまだ続いていく。
戦力的にも、また心情的においてもまだセイバーに去られる訳にはいかないのだ。
それにもし万一があったとしても、凛の宝石を使えば最悪の事態は避けられるだろう……ただ、あくまで念のため懐に忍ばせていた予備分であるため残数にそこまでの余裕はなく、心許ないものではあるが。
とにもかくにも、これで怪物に対抗出来る目途が立った事になる。
あとは……“配役”だけだ。
「では前段階の“仕込み”の役目は私と……そこの小僧で行おう」
「えっ……お、俺か!?」
アーチャーからのご指名に、士郎は面食らう。
一応立候補するつもりではあったのだが、まさかこの男から名指しされるとは、思ってもいなかったのだ。
アーチャーはその反応に若干眉間に皺を寄せながらも、その実、嘲るように口元を歪める。
「生憎、今は猫の手も借りたいような状況なのでな。たとえ未熟者であろうと、人を遊ばせていられる余裕などない。それとも何か? 少年の道具によるドーピングがなければ、あの魔物には挑めんか? それならそこの木にでも齧りついて大人しく待っている事だ。クク、強制はせんぞ?」
「お前……! ああもう、クソ。いちいち皮肉の好きなヤツだなこの野郎! けどお前、武器はどうするんだ?」
「ああ、それなら……そら、そこにおあつらえ向きの物が転がっているだろう?」
士郎の悪態混じりの問いに対してアーチャーの指差した先には……無造作に地面に横たわる、鈍くも鋭利な岩の塊が。
そう、どさくさ紛れに士郎が強奪し、力任せに投擲した後そのまま場に打ち捨てられていた、バーサーカーの獲物である巨大な斧剣であった。
アーチャーは風に飛ばされぬよう姿勢を低くしたままそれに歩み寄ると柄を握り締め、むんと僅かに表情を歪めたかと思うとそれを片腕で振り回し、ズンと肩に担ぎあげた。
筋肉質とはいえ痩身ながら、“スーパー手ぶくろ”もなしに斧剣を持ち上げ得るその膂力。
流石、伊達に英霊をやってはいないという事であろう。
「アンタ、アーチャーのくせして結構パワーあるのね?」
「この程度の事は、一部の例外を除けば英霊なら誰でも出来得る事だ。大した事ではない。では少年、これと小僧の大剣に」
「あっ、は、はい!」
戻ってきたアーチャーがのび太にそう声を掛けるとのび太は“スペアポケット”に手を突っ込み、士郎とアーチャーは地面に剣をそれぞれ突き立てる。
そしてポケットから取り出された物は……小型の懐中電灯を模したひみつ道具。
「“ビッグライト”! それっ!!」
のび太は取り出しざまにそれを二つの剣に向けスイッチ・オン。
ライトから光が照射され、剣全体を万遍なく包み込むと見る見るうちに剣が大きくなり始めた。
「うわぁ……」
イリヤスフィールが感心とも驚愕とも取れるような声を漏らす中、三メートル、五メートルと植物の成長をビデオで高速再生するかのように、剣はその大きさを増していく。
やがて“ビッグライト”の光が消え去った時、それらは実に二十メートルはあろうかという、もはや剣とも呼べ得ぬほどの重厚長大な大剣と化していた。
その絶壁のような刀身を前に、一同はどこか呆然としながらそれらを仰ぎ見る。
「うおぉ……! 想像はしてたけど、デカイなやっぱり。手袋の補助があるとはいえ、振れるのか、これ?」
「たぶん、大丈夫だと思いますけど……あ、アーチャーさん。はい“かるがる手ぶくろ”。あと士郎さんも一応これ」
のび太が二人に手渡したのは“かるがる手ぶくろ”。
どんな重いものでも、文字通り軽々と持ち上げる事が出来るようになる手袋である。
“スーパー手ぶくろ”の亜種に近いが、このような場合はこっちの方がいいかもとの、のび太の判断だ。
「むっ……ん、すまんな。流石にここまでの物となれば、如何に私でも持ち上げる事すら叶わん。セイバーならば、ともすれば可能かもしれんが」
「そうですね……まあ、“魔力放出”を全開にすれば、持ち上げるくらいはいけるかと。もっとも、すぐに魔力切れを起こしてしまうでしょうが」
そうしてアーチャーは手袋に手を通しつつ、懐から“タケコプター”を取り出し、己が頭に取り付ける。
その姿を目にしたイリヤスフィールの、思ったままにポツリと漏らしたこの一言。
「……シュールね」
「同感。でも割と人気あるみたいよ? あの『アチャコプター』。なんせ前回、両所の感想欄のコメントの八割くらいが……」
そこ、メタ発言はやめなさい。
というか、状況の割に結構余裕のある二人である。
……いや、もしかすると色々ありすぎて既にいっぱいいっぱいで、一周回って逆に落ち着いてしまっているだけなのかもしれないが。
「小僧。準備はいいな?」
「んっ……ああ。じゃあ、行くぞ!!」
いまだ旋回を繰り返す怪物を見上げつつ手袋をはめ替えると、士郎は自らを鼓舞するように言葉を放つ。
そしてアーチャーと同じように、のび太から手袋と共に手渡された“タケコプター”をカチャリと装着すると身を縮めて大地を蹴り、二人は同時に空へと舞い上がった。
重力に対して垂直に高度を上げ……士郎はかなりフラついていたが……二人は瞬く間にそれぞれの獲物の柄へと到達した。
だが、その時。
『――――――――――――――――!!!!』
「あっ!?」
「――――ちっ、流石に気づくか! もう少し悠長に構えていればいいものを!」
アクションを起こした事を察知したか、怪物は旋回する事を止め、弧を描きざま、のび太達の方に向き直った。
鈍く輝く両の目を巨木のように聳える二刀に注きつつ、低く唸り声を上げる怪物。
上空の雲はいまや漆黒よりもなおどす黒く染まり、雷鳴と共に冬木の地はおろか、日本全土をあわやその範囲内へと囲い込まんとしている。
雨はもはや豪雨と変わり果て、吹き荒ぶ風が身を引き千切らんばかりの勢いで全員の身体を通り抜ける。
遥かな昔、世界中を嵐となって席巻し、恐怖と混乱を世に撒き散らした神話級の風の魔竜が、その力を着実に取り戻しつつあった。
一刻の猶予も、もはや残されてはいない。
「急ぐぞアーチャー! もう一度突っ込んで来られたら終わりだ!!」
「貴様に言われずとも知れた事……!!」
喧嘩腰に言葉を交わし合いつつ二人は眼前の、千年杉の胴回り程もあろうかという剣の柄を両手でガッシリと握り締め。
「「――――ぉぉぉおおおおおおっ!!!」」
咆哮。次いで地面の罅割れる、メキメキという轟音。
二人は鏡合わせのようにそれぞれの獲物を、“かるがる手ぶくろ”が生み出す膂力を生かして強引に大地から引き抜いた。
砂塵が吹き荒れる風に煽られ、土色の旋風(つむじかぜ)が地上ののび太達に吹き付ける。
“タケコプター”の最大積載重量を明らかに超えているだろう大質量を担ぎ上げ、二人は怪物の方へと“タケコプター”の舵を切った。
(……持つのか? いや、頼む。持ってくれ)
頭上で徐々に嫌な音を奏で始める“タケコプター”を、修羅場慣れしているアーチャーのみが頭の隅で憂慮していた。