「のびちゃーん、ちょっとお願いが……あらドラちゃんだけ?」
「あれ、ママ? なにか?」
都合三つ目のどら焼きを頬張っていたドラえもんであったが、突然部屋の戸が開かれたかと思うと、その奥の廊下に佇む一人の女性と目が合った。
女性の名は、野比玉子。
野比のび太の母親であり、どこに出しても恥ずかしいほど胡散臭い青ダヌキ……もとい、自称未来から来たネコ型ロボットをすんなりと我が家に迎え入れた、ある意味で大物すぎる女傑である。
そしてのび太にとって頭の上がらない存在であり、野比家の実質的ボスでもあった。
「ドラちゃん、のびちゃんがどこにいるか知らない?」
「一旦は帰ってきて、またどこかに出掛けちゃったみたいで。たぶん空き地かなぁ?」
「あら、そう。お使いを頼みたかったんだけど、いないんじゃしょうがないわね。ドラちゃん、代わりに行ってきてくれないかしら?」
「はむ、むぐむぐ。はいはい解りました。買う物は……ああカゴにメモが」
食べかけだったどら焼きを大口を開けて放り込むと、差し出された買い物カゴを受け取るドラえもん。
中に入っていたメモ用紙を取り出し、ふむふむと内容を覚えていく。
「お願いねドラちゃん。それから、もし途中でのびちゃんに会ったらさっさと宿題を片づけるように言っておいてちょうだい」
玉子はそう言い置いて踵を返すと、パタンと襖を閉めて一階へと戻っていった。
「……やれやれ。また外に出る事になるのかぁ。なんて間の悪い……ま、いいか。買い物のついでにのび太くんを探してみよう」
溜息混じりにそう呟くと、ドラえもんはお腹に装着された“四次元ポケット”に両手を突っ込み中をごそごそ漁る。
やがて目的の物を取り出すと、それを丸い頭のてっぺんにかちゃりと貼り付けた。
黄色い竹とんぼのようなその物体は、まごう事なきひみつ道具の定番、“タケコプター”。
「さて、まずはスーパーへ、と……」
道順をトレースしながら、ドラえもんは部屋の窓を開けると徐にそこから一歩を踏み出し、窓の外の晴れ渡る大空へと飛び立っていった。
「……あ。お~いミーちゃ~ん!」
「みゃ~」
その途中、空から見つけたガールフレンドの猫、ミーちゃんに頬をだらしなく緩めながら。
今日も平和な、のび太の世界。
のび太の窮状を知るのは、まだまだ先のようであった。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーーー!!!」
瓦礫の中から巨体を持ち上げたバーサーカーは、自らを吹き飛ばした張本人であるのび太に向かって疾駆する。
本能で、この場での脅威になると悟ったようだ。
斧剣を振り上げ、その場に佇むのび太目掛け凄まじい勢いで凶器を振り下ろす……が。
「のび太く、んんっ!?」
「い、いない?」
引きつったような、士郎と凛の声。
斬撃の刹那、いつの間にかのび太の姿がその場から煙のように消え失せていた。
忽然と、まるで最初からそこにいなかったかのように。
当然、狂戦士の斧剣は無人の空間をただ薙ぎ払う結果に終わる。
しかし、空振った斧剣は台風のように大気を掻き回し、生み出された衝撃波が瓦礫を勢いよく巻き上げた。
振っただけでこの威力。当たればただでは済まないが、当たらなければ無意味に終わる。
「――――うはぁあ! お、おっかなーい! セイバー、大丈夫!?」
「え!? ノ、ノビタ!?」
「「「はあっ!?」」」
不意に聞こえた少年の声の先を見て、めいめいが揃って目を疑った。
のび太の姿は、セイバーの傍らにあった。
先ほどのび太が立っていた場所からそこまで、実に数十メートルはある。
それを一瞬で、バーサーカーの神速の剣撃すらあっさりと潜り抜けてのび太は辿り着いていた。
電光石火の、目にも止まらぬ早業。
マスター陣はあまりの衝撃に思考が追いつかず、ただ金魚のように口をぱくぱく動かすのみ。セイバーに至っては、その場で凍りつく始末であった。
しかし、のび太はそんな様子を気にも留めず、上着の袖で冷や汗を拭いながらひどく心配そうな表情でセイバーに目を向けていた。
「い、いったいいつの間に!? 最速を誇るランサーでもこうは……!?」
「せ、説明は後でするから! とにかく、今はアイツをなんとかしないと!」
セイバーを説き伏せながら、のび太は左腕に右手を添える。
左腕の先には月光を反射して銀に輝く、円筒形の筒が填められていた。
本来、彼の親友であるドラえもんの持つ、二十二世紀は未来のひみつ道具、“空気砲”。
高密度の空気の塊を撃ち出す、小型・短銃身の大砲であり、最大出力ならば、実に数百キロもある鋼鉄製のロボットすら木っ端微塵に破壊するというシロモノである。
先ほど、バーサーカーを吹き飛ばしたのはこれであり、のび太はそれ以外にも道すがら“スペアポケット”を引っ掻き回し、掘り出したひみつ道具で武装を固めてきた。
頭につけたプロペラは、空を自由に飛ぶ事の出来るお馴染みのひみつ道具、“タケコプター”。
腰に佩いた日本刀は、レーダー内蔵で自動反応、たとえど素人がただ振り回しても剣の達人と互角に渡り合えるひみつ道具、“名刀・電光丸”。
ホルスターのピストルは、相手を殺傷する事なく気絶させるひみつ道具、“ショックガン”。
そしてのび太は、実は脚にもひみつ道具を仕掛けていた。
塗れば目にも止まらぬ速さで走れるひみつ道具、“チータローション”を塗っていたのだ。
これの効果でバーサーカーの剣撃を寸前で掻い潜り、セイバーのところまで一瞬で移動した、という訳である。
しかし、“チータローション”は効果こそ凄まじいが、その反面、持続時間が非常に短い。
のび太の両脚に塗られたそれは、この時点で効き目が切れてしまっていた。
あの謎の声の主と会話した場所からこの薬を使用していたせいである。セイバーの位置への移動を最後に、効果限界が訪れた。
「“空気砲”は、一応効いたけど。他は、どうだろ」
「は?」
「え? う、うぅん、なんでもない」
それ以上に問題なのは、セイバーの剣を弾き、アーチャーの矢を物ともしない、敵のその強靭な肉体である。
勿論、途中参加であるのび太はそんな事を知る由もないのだが、手当たり次第装備してきた武器の中で、“名刀・電光丸”と“ショックガン”については、意味ないだろうなと思っていた。
“ショックガン”は、単純に“空気砲”よりも破壊力がない。“名刀・電光丸”に至っては、それ以前の問題であった。
下手に接近戦など挑もうものなら、筋力差と質量差であっという間に潰れたトマトである。
如何に理不尽な力を持つひみつ道具とはいえ、扱う本人と相手の情報を抜きにして単純に計算する訳にはいかない。
さらにもう一つ、非常に重い不安要素があった。
「道具、少なかったよね……?」
傍にいるセイバーにも聞き取れないほど小さな、のび太の述懐がすべてを物語る。
“スペアポケット”を漁った時に感じた違和感。
頭を突っ込んだ時にはいっぱいいっぱいでそこまでよく見ていた訳ではなかったのだが、改めて手を入れてみて解ったのだ。
ひみつ道具の数が、明らかに減っていた。
ドラえもんのポケットとのつながりがなくなったせいだと、のび太は見ている。
単純に、半分くらいが向こうに行って、あとの半分がこちら。使える、使えない、ガラクタ等の当たり外れも含めて考えると……それだけで、のび太の背筋は寒くなった。
「……んぐっ」
唾を飲み込む音が、のび太の喉から鳴る。
仮に“スペアポケット”の中身がどうであれ、のび太は最初から自分一人であの化け物をなんとかしよう、などという自惚れた事は欠片も思っていなかった。
これまで劣等生として生きてきたのび太は、自分自身の身の丈というものを……多分に卑屈な物ではあるのだが……よく知っている。
その上で、のび太は模索する。
自分自身が出来る事を。そして、この場において状況を打開し得る鍵を。
そして視線を――――自らの隣へ向けた。
「セイバー!」
「はい?」
「ぼくが援護するから、セイバーはアイツと思う存分、戦って! さっきまでアイツと戦ってたの、セイバーなんでしょ?」
「あ、貴方が!?」
「い、いやそんな心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。ぼくは」
のび太の説得は、そこで途切れた。
否、途切れさせられた。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
再び接近するバーサーカーの咆哮が、言葉を呑み込ませたのだ。
「く!? バーサーカー、もう……って、ノ、ノビタ!?」
「ああもう、あとちょっとだけこっちを見失ってて欲しかったのにぃ!」
咄嗟に不可視の剣を構えるセイバーだったが、その眼前にすっと躍り出たのび太に出端を挫かれる。
のび太は焦りを押し殺したしかめっ面で“空気砲”を構えると、腹の底から引き鉄となる言葉を発した。
「ドッカーン!!」
高密度に圧縮された空気塊が掛け声通り『ドカン!』と勢いよく発射され、地響きを上げながら真っ直ぐ突進してくるバーサーカーへと向かう。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
「……え!? そ、そんな!? さっきは効いたのに、どうして!?」
だが、敵は微塵も揺るがなかった。
あの初撃が嘘のように、吹き飛びもしなければぐらつきもしない。
“空気砲”の直撃を、腹のど真ん中に受けたにも拘らず、バーサーカーの疾走が止まる事はなかった。
盛大に気炎を上げつつ、逆に疾駆スピードがそこからぐんとさらに増す。
まるで、ニトロを放り込まれた蒸気機関車のようであった。
「くそぅ、ドッカーン! ドカン、ドカン!!」
額から汗を垂れ流し、のび太は再び“空気砲”を、今度は三点バーストでぶっ放す。
しかし、今度はその空気塊がバーサーカーの身に触れる事すらなかった。
「■■■■■■■■■■■■■■■ーーーー!!」
バーサーカーはスピードを維持したまま、振り上げた斧剣を縦横無尽に振り回し、猛然と迫る邪魔な三つの空気塊を切り捨てていた。
あんぐりと開く、のび太の口。
常識の通用しない相手である事は承知していたが、まさか亜音速の砲弾を切り払うまでとは思っていなかった。
戦闘開始直前に一度逃げ出したのび太は、直後のサーヴァント同士の死闘を直に見ていない。想定が甘いのも、仕方のない事ではあった。
勢いを駆って鉛色の巨人が、瞬く間に二人に肉薄する。
敵を潰さんと、岩の剣が大上段に振り上げられた。
「くぅ……!」
一瞬の逡巡、脳内を錯綜する思考。
のび太は即断した。
「ノビタ! 退がって」
彼を庇おうと前に出ようとするセイバー。
のび太は言葉の通りに、彼女の真横にすっと下がる。
だがそこから、のび太の両腕が彼女の腰に回されると、セイバーは防衛も忘れて面食らった。
「な、なにを!?」
「セイバー、飛ぶよ!」
一瞬、なんの事か解らないという顔をしたセイバーであったが、すぐに答えは齎された。
のび太の言葉、そっくりそのままの現象によって。
「え!?」
「と、飛んだ!?」
士郎と凛の目が、飛び出さんばかりに見開かれた。
大地を蹴ったのび太の身体が、月の浮かぶ漆黒の夜空へと勢いよく飛翔する。腕の中に、混乱と動揺の坩堝に叩き込まれたセイバーを抱え込んで。
その一瞬後に打ち下ろされた斧剣は、彼らを捉える事叶わず、地鳴りのような音を立ててアスファルトに突き刺さった。
「――――ふーっ、危なかった。まったく、こんなのばっかりだよ、もう」
「そ、空を、空を飛んでいる……!?」
安息交じりに愚痴を漏らすのび太。それに対して、セイバーは目を白黒させるばかり。
生身で空を飛んだ経験がないのだろう。あの凛々しい姿が、まるで嘘のようであった。
決して落ちまいとのび太の身体に両腕を回し、がっしりしがみついている。
その一方で、かたかたかたかた、のび太の頭の上では軽妙な機械音が鳴っていた。
お馴染みにして定番のひみつ道具“タケコプター”。こんなちゃちなプロペラ一つで空を飛ぶなど、誰が想像出来ようか。
付けておいてよかったと、のび太は最も使い慣れた道具に心の中で感謝する。
二人の真下では、巨人がめりめりとアスファルトを割りながら剣を引き戻していた。
「セイバー、もう一回言うけどぼくが援護するから、セイバーはアイツに思いっきりぶつかっていって」
「し、しかし貴方が戦うなどと……いくら不可思議な未来の道具を使っているとはいえ、殺し合いの場に立つのは危険すぎる!」
一応“タケコプター”の衝撃からは脱却出来たようで、セイバーに先ほどのような混乱は見られない。
しかし、こののび太からの無茶苦茶な提案には当然ながら、否を突きつけていた。
これに対し、のび太は普段の姿からは想像もつかない、不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。見たところバーサーカーは飛べないみたいだし、ぼくは空からこの“空気砲”で援護しかしない。それに……ぼくって射撃だけは得意なんだ」
あとは、あやとりくらいかな。
銀に輝く左手のそれを持ち上げつつ軽い調子で、のび太はのたまう。
だが、それとは裏腹に目に宿る光は本物であり、意気軒昂とした輝きを放っている。
普段こそ駄目に輪をかけた駄目のペケであるのび太だが、ある一線を超えると途端に肝が据わり、どんな逆境にも立ち向かう勇気とクソ度胸を持つ。
今ののび太は、己に対する自信と確信に満ち満ちており、歴戦の古強者然とした、ある種の風格すら漂わせていた。
その子供の戯言と切り捨てられるような軽い口調と言葉に、ずしと重い真実味を持たせるほどに。
「しかし!」
「セイバー」
なおも抗議しようとするセイバーに対し、のび太はセイバーの深緑の瞳に己が目を向け、名前を呼ぶ。
互いの視線の交錯……それだけでセイバーの声は封殺される。
「ぼくを、信じて!」
決然とした瞳と言葉が彼女を貫いた。
「――――ん!?」
その瞬間、セイバーの身体に異変が起こった。
心身問わず彼女の内面に、波紋が広がっていくような奇妙な感触が巡る。
「な……」
次いで、身体の芯が熱くなるような、不思議な高揚感が湧き上がってくる。
だが、それだけでは収まらず、間を置かずに全身に言いようのない力が漲ってくるの彼女は感じていた。
「この、感じは……!?」
「せ、セイバー?」
自らの変化に戸惑うセイバー。まるで自分自身の内のナニカが、歓喜に吼え狂っているかのようであった。
ひみつ道具を持っているとはいえ、のび太はただの子どもであり、魔術師でもなくましてや己のマスターですらない。
だからこそ、自身の身に影響を及ぼす事など出来ようはずがないのだ……本来ならば。
だが、現実として己の力が荒れ狂い、“増幅”しているのが解る。解ってしまう。
その高揚感は、もしやこのままバーサーカーを討ち倒せるのではないかという、一種過剰なまでの自信をセイバーに与えていた。
理由は、皆目解らない。しかし、これならば。
のび太から片腕を離し、その手に不可視の剣を顕してぐっと握り込む。
そのまま眼下のバーサーカーを見下ろしつつ、自らの変化を押し隠し溜息を一つ吐くと、セイバーはのび太に顔を向けた。
「……まったく、強情ですね貴方は。私の負けです。貴方に背中を任せましょう。しかし、くれぐれも無茶はしないように」
「セイバーもね。武器は?」
「私の剣は不可視の剣なのです。見えないでしょうが、もう右手に掴んでいますよ。それから既に解っているかと思いますが、バーサーカーの肉体に並の攻撃は通用しません。無力化されてしまいます」
「みたいだね。“空気砲”も通じたのは最初だけで、後は効かなくなってたし。でも、大丈夫。僕の役目はあの怪物を倒す事じゃなくて、怪物を倒すセイバーを手伝う事だから。さっき、ちょっと思いついたんだけど……」
セイバーの耳元に、のび太の顔が近づけられる。
囁かれた内容に、セイバーはほんの少しだけ怪訝な表情を浮かべたが、それも一瞬の事。
のび太の方を振り返ると、揺るぎない瞳で厳かに告げた。
「信じています。子どもとはいえ、一人の男として背中を預けろと言った以上、そして啖呵を切った以上は……責任を持ってくださいね」
「任せて! じゃ……行くよ!」
顔を見合わせ、頷きあう。
のび太の腕が解放され、重力に従ってセイバーの身体が落ちていく。
白銀の流星となって、セイバーは眼下の狂戦士目掛け空から吶喊していった。
――――しかしこの時、当事者であるのび太も、セイバーも、士郎も、凛も、イリヤスフィールも、況やアーチャーですら気づいていなかった。
いくら未来で製作された超科学の結晶たるひみつ道具とはいえ、神秘も魔力も宿らぬ“ただの道具”である事に変わりはない。
サーヴァントを傷つけられるのは、サーヴァントの所持する神秘を内包する『宝具』か、余程の魔力を持つ代物のみ。
しかし、最初の一撃だけとはいえ、“空気砲”はバーサーカーの身体を傷つけこそしなかったものの、数十メートルの距離を吹き飛ばした。
“サーヴァントへの干渉”の前に立ち塞がる絶対的前提を、完全に無視し飛び越えているという、この事実が示すもの。
気づいていたのは――――闘争における『本能』で以て、その茫漠とした危険性を感じ取る事の出来た狂戦士・バーサーカー。
そして。
『――――はぁん、クソガキは援護に回ったか。ま、この戦争のデビュー戦、んであのバケモン相手の立ち回り方としちゃ悪かねぇ選択だぁな。さぁて、結果はどう転ぶかね……ケケケケケ!』
何処からかこの場の様子を窺っている、この戦争の『闇』だけであった。