「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
会話に満ちぬ人々の織りなす空気は、周囲から熱を奪い去っていく。
身を切るような冬の外気は、物理的な意味合い以上にしんしんと冷えきっていた。
「……あとどのくらいだ、遠坂?」
「もうすぐよ」
四人は今、夜の新都の郊外を、徒歩にて移動している最中であった。
新都郊外の丘の上にある教会へと向かっているのだ。
そこに、聖杯戦争を監督している神父がいる、とは凛の言。
聖杯戦争について無知である士郎に、聖杯戦争についての諸々を知ってもらうため凛がそこへ向かうよう勧めたのである。
一応凛が一通り説明したのだが、それだけでは士郎の覚悟を決めるには不足だった。
だからこそ、そこへ連れて行って士郎にこの戦争についての心構えを着けさせよう、というのが凛の狙い。
しかし今、この四人の間に交わされる言葉はなく、まるでお通夜のように静まり返っていた。
原因は言わずもがな、のび太である。
三人が出払った衛宮邸に一人居残って留守番はさせられないため、三人は彼を同道させていた。
「うぅ……ドラえもん……しずかちゃん……ジャイアン、スネ夫、パパ、ママ……」
ベソをかきながら、とぼとぼと足取り重く歩くのび太。
悄然としたのび太の放つ暗い雰囲気が、四人の周囲の空気を息苦しいまでに重くしていた。
勝気な凛すらも、この雰囲気に呑まれてしまっている。
なんだかんだ言っても、のび太は小学五年生である。
よく言えば繊細かつ純粋、悪く言えば幼稚かつ脆弱なのび太の精神構造、情け容赦なく降りかかる絶望に耐えきれる筈もなかった。
時折士郎が慰めるように背中を撫でているものの、はっきり言って効果は薄い。
やがて坂道を登りきると、四人の前に荘厳な雰囲気を醸し出す教会が現れた。
「着いたわよ……ここに聖杯戦争の監督役、エセ神父こと言峰綺礼がいるわ」
「えらい言い草だな。エセってなんだよ、遠坂」
「エセで十分なのよ、あれは。性質が真逆の“聖堂教会”と“魔術教会”の二束草鞋なんだから。行くわよ、衛宮くん」
「あ、ああ……あれ? セイバーは行かないのか」
「はい。いかに監督役とはいえこの身を徒に晒す必要性も、そのつもりありませんし、なによりノビタ一人をここに残す訳にもいきませんから」
「そうか。なら頼む。じゃ、のび太君。行ってくるよ」
そう言葉を残して士郎と凛が教会の中へと消えると、後にはセイバーとのび太の二人だけが残される事となった。
「……ノビタ。そろそろ泣くのはお止めなさい。気持ちは分からなくもありませんが」
「うぅ……」
セイバーの言葉にも沈黙と嗚咽でしか、のび太は応答を返せない。
背中に暗い影を背負ったその惨めったらしい姿は、のび太が精神的に相当疲弊している事を物語っている。
セイバーはただただ、その様をじっと、どこかしら困ったように見つめるのみ。
「ふう」
この年頃の子供と接した経験があまりないのだろう。
何一つとして思いつかない様子で立ち竦み、狼狽こそしていないものの、顔には持て余した者特有の困惑と焦燥の色がくっきりと浮かび上がっていた。
「……ん、そういえば」
「え……?」
「ノビタ、貴方は“タイムマシン”でどこに行こうとしたのですか?」
この妙な空気を打ち払うように、彼女は脳裏をふとよぎった疑問を彼にぶつけた。
のび太は『友達とちょっとした事で口論になって、見返すために“タイムマシン”で時を遡ろうとした』と大雑把にしか説明しておらず、なんのために“タイムマシン”に乗ったのかまでは説明してはいなかった。
士郎達も、“タイムマシン”のくだりに喰いついてしまったため、その点に関しては突っ込んで聞いてはいない。
なんとはなしに放った質問であったが、次に齎されたのび太からの回答に、セイバーの表情は、これまでとは違うものへとすり替わった。
「え、と、実はアーサー王に、会いたくて……」
「……あ、アーサー、王?」
まるで頭上から不意を突かれたかのような、呆然とした表情であった。
だが、のび太はその様子に気づく事なく、視線を下に落としたまま言葉を続ける。
「皆が……アーサー王なんてただの伝説で、いないって言うから。だから、ぼくは……」
「アーサー王が実在の人物だと証明するために……アーサー王の生きていた時代へ向かって時をを遡ろうとした、と?」
「うん。でも、事故に遭って……それでここに……」
肯定の頷きを返すのび太を見て、呆けていたセイバーの表情がほんの微か、歪んだ。
その瞳には、なんとも例えようのない不可思議な感情の光が瞬いている。
だが、やはりのび太はそれに気づかない。
それだけの精神的余裕がまだ、彼にはない。
「貴方は……アーサー王が、好きなのですか?」
「……昔、アーサー王のお話を読んで。こんな風になれたらなぁって、憧れてた。ぼくは、臆病で、弱虫だから……」
滲んだ涙を拭い、そして再び溢れ出してくる涙を堪えながらのび太は呟く。
気が小さく、非力で、何事からもすぐに逃げ出し、困った事があれば即座にドラえもんへ泣きつく。
胸を張って人に自慢出来るような事など、ほとんどない。
テストはいつも零点、野球をすれば三振にエラーの山。
かけっこだってビリの常連で、ケンカでジャイアンにのされた回数は数えるのもうんざりするほど。
格好悪すぎて、情けなさすぎて涙が出てくる。
だからこそ、自分とは真逆の存在に、かつて伝記で読んだアーサー王に憧れた。
強く、気高く、聡明で、勇敢な最高の騎士。
のび太ではどう足掻いてもなる事の出来ない、崇高なる存在。
アーサー王は、のび太の理想だった。
「だから、ぼくは見返したかった。アーサー王はホントにいたんだぞ、って。いないって言われて、悔しかった。アーサー王は、ぼくにとって、ヒーローだから……」
「……そう、ですか」
セイバーはそれだけ言うと、すっと踵を返してのび太に背を向けた。
絞り出すように出された、彼への返答。その訳は、本人のみが知っている。
結局、のび太はそのセイバーらしからぬ様子に終始気づかぬまま、近くの植え込みのブロック部分に力なく腰を下ろす。
その時であった。
『――――ふん。少年、そう気を落とすな。諦めるには、いささか早い』
なにもないはずの虚空から、突如として声が轟いた。
渋みの混ざった、士郎とは違う低い男の声であった。
「えっ……? だ、誰!?」
驚いたのび太は顔を上げ、周囲に目を配るが男の影など微塵もない。
しかし、その正体を思えば、それも当然の事。
『事情は大方聞き知っている。にわかには信じがたいが……まあそれはいい。ともかく、自らが持っている手段での帰還が不可能になったのだろう? それこそ奇跡でも起きない限りは。ならば奇跡を願い、起こせばいい。幸い、君は参加者ではないとはいえ、その奇跡が降臨する現場の只中にいるのだからな』
再び男の声が木霊した次の瞬間。
近くの木の陰から、長身の男が闇から滲み出るように姿を現した。
「――――喜べ、少年。君にはまだ、希望が残されている」
褐色の肌に白い短髪。
赤い外套と黒のボディアーマーを着込み悠然と、しかし油断も隙も一切感じられない自然体で佇んでいる。
なによりも特徴的なのが……泣く間際の曇天を思わせる、その鈍色の両眼。
獰猛な鷹を思わせるような眼差しで見据えられたのび太は、金縛りにあったかのように身を固くした。
「ひえっ!?」
まるで蛇に睨まれたカエル。言葉よりも先に、闖入者の立ち姿そのものに身を竦めている。
歪に強張った表情は、見事に恐怖で真っ青に彩られていた。
そこへ、元凶へ振り返ったセイバーが、嘆息を交えて男に忠告する。
「――――アーチャー、子どもを怯えさせるような真似をしないでください。まして、ノビタは傷心中ですので」
「む……そんなつもりはなかったのだが。なぜだ」
「顔が怖かったからではないですか?」
「……そうなのか?」
セイバーからの指摘を受け、首を傾げつつのび太に視線を移す赤い男……凛のサーヴァント・アーチャー。
若干だが柔らかくなった眼差しにのび太は硬直を解くと、その途端、土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。
「あの、その……ご、ごめんなさいっ! おじさんが、いきなり出てきて怖い目で睨みつけてきたからつい……!」
「お、おじ……っ!?」
混じりけのない、のび太の率直な発言が弓兵の胸に深々と突き刺さった。
初対面にして、『怖いおじさん』という不名誉極まりない認定を、彼は受け取る事になってしまった。
子供は良くも悪くも素直で正直であるが、それ故にタチが悪いとも言える、かもしれない。
もっともこの場合、妙な出方をした彼の自業自得であるが。
「……い、いや、すまない。睨んだ訳ではなかったのだ。この通り、謝るからどうか許してほしい」
アーチャーは表情を強張らせながら、こちらも土下座せんばかりの勢いで頭を下げた。
見かけ二十代かそこらで『おじさん』……しかも枕詞に『怖い』などと、英霊とはいえそんな評価はゴメンなのであろう。
精悍な顔立ちと屈強な体躯とは裏腹に、心は硝子の如く繊細なアーチャーであった。
――――ちなみに。
のび太の中でのランサーの第一印象は……『怖いお兄さん』である。