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No.2887の一覧
[0] 月の天蓋(月姫ss・短編連作)[虎鶫](2009/05/15 03:48)
[1] 月の天蓋・その少しあと[虎鶫](2009/05/15 03:43)
[2] Tightrope walkers(上)[虎鶫](2009/02/08 22:24)
[3] Tightrope walkers(中)[虎鶫](2009/02/08 22:30)
[4] Tightrope walkers(下)[虎鶫](2009/02/08 22:39)
[5] サルコファガス(上)[虎鶫](2009/02/08 22:24)
[6] サルコファガス(下)[虎鶫](2009/02/08 22:21)
[7] 埋葬の日々・Ⅰ(上)[虎鶫](2009/05/15 03:23)
[8] 埋葬の日々・Ⅰ(下)[虎鶫](2009/05/15 03:42)
[9] 月の天蓋・そんな日常[虎鶫](2009/05/15 04:07)
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[2887] 埋葬の日々・Ⅰ(下)
Name: 虎鶫◆fc7a1301 ID:1d2444b6 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/05/15 03:42
 湿り気を帯びた土と、野晒しにされた石と、手向けられた花が香る静かな空気。
 規則正しく立ち並ぶ十字架を模した墓石の合間を、小さな黒猫がゆっくりと歩いていた。
 歩調に合わせて大きすぎるリボンが揺れる。
 熱の篭らない赤い瞳は、硝子玉かカメラのレンズのように漠然と墓石の群れを映してゆく。
 とおく、早起きの梟がホウと一声鳴いた。
 気ままに墓場を一巡りした黒猫は、ひょいと一跳び手近な墓石の上に乗る。
 ちりん、とささやかな鈴の音。
 黒色の毛並みが周囲の空気に染み入るように、薄闇が少しずつ密度を増してゆく。






埋葬の日々・Ⅰ
 後編:≪ルー・ガルー≫


 主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
 旧約聖書・創世記 / 4章 10節





 サルディス神父は苦心しながらも杖を持たぬまま礼拝堂へ通じる立て付けの悪い扉を片手で押し開けた。
 緊張に乱れる呼吸を押し殺して、もう一方の手に持ったものを胸の高さに掲げながら礼拝堂を覗き込んだ彼は、ほとんど距離の無いところに人影を見つけ、息を呑む。
 人がいることに驚いたわけではなく、またそこにいた人物も探していた相手であったが老神父の背筋を凍りつかせたのはもっと形容しがたい違和感と畏れだ。
 白々しくも日本の大学生と名乗ったはずの男は、まるで自分こそがこの教会の主であるかのように法衣に身を包んで悠然と佇んでいた。
 明かりの落とされた礼拝堂の光源は粗末なステンドグラス越しの朧光だけ。
 そこに満ちる闇の色が、空気の感触が記憶にあるものとは明らかに違う。
 磔の御子の横顔すらどこか冷淡に見えた。
 あるいは神はサルディス神父の心中などとうにお見通しだったのかもしれない。
 最も馴染み深いはずの風景が、そっくりそのままよそよそしい異界となって彼に牙を向けていた。


「なんとまあ、ずいぶんと剣呑な物を持ち出してきたな。サルディス神父、そいつはクラッカーにしちゃ火薬が多すぎますよ?」
 上機嫌の志貴は、うわついた調子で老神父を迎えた。
 若者らしい快活な笑顔、のような皮膚の動き。録音テープを聴いているような、流暢な言葉。サルディス神父にはそう感じられた。
 外に表れるものは人と同じはずなのに、そこへ行き着くまでの内なる過程が決定的に異質。
 まるで車のボンネットの中に内臓でも見つけてしまったような気色の悪さだ。
 感情の昂りで化けの皮が緩むあたり、志貴のほうもまだまだ未熟であると言える。
 とはいえ一瞬忘我していたサルディス神父は、その言葉によってようやく自分の手の中にあるものを思い出していた。
「う、動くな。……七夜君、君が何者なのか、わしにはまるで分からないし知りたいとも思わない。ただ、黙って今すぐこの町から出て行ってくれ」
 古めかしい鳥撃ち用の散弾銃が、老神父の手の震えで不規則に揺れながら構えられる。
「まあそう言いなさんな。あいにくとオレのほうにはアンタに聞いときたいことがあるんだ」
 だが死徒にとってはただの銃、ただの鉛玉などオモチャも同然。
 志貴は本番前の暇潰しとばかりにサルディス神父をねちねちと追い詰める。
「たとえば、3年間おとなしくしていた人狼がどうして今人を襲い始めたのか、とか気になるじゃないか。


 だってアンタ、これまでずっと葬式の終わった死体を人狼に喰わせてたんだろ?」


 絞め殺されたような呻きがサルディス神父の口からもれた。
 顔面は、あろうことか死徒である志貴のそれより蒼白に凍りつき真一文字に引き結ばれた唇が口髭もろとも激しく震えている。
 無造作な追求は彼にとって最も後ろめたい罪をえぐっていた。
 今にも卒倒してしまいそうな有様のサルディス神父は、自分の先ほどの言葉も忘れてよろよろと後ずさる。
 志貴は鼠をいたぶる猫のように、ちゃらりと首からさげた十字架を揺らして一歩詰め寄った。
「悪いけど、こっちも罰当たりな身の上なんで分かるんだよ。土の下にちゃんと死体が埋まってるかどうかくらい」
 火葬が中心の日本とは違って欧米では現在も土葬の習慣が残っており、ここのようにたいして大きくもない町であれば教会は信徒の葬式の日程くらい網羅している。
 墓石には大抵、故人の名前や命日あるいは生きた年代が彫られているものだ。
 そして、レンを介して探った結果、3年前を境にしてそれより新しく作られた墓には死体が埋まっている様子が無かった。
「確かにこれなら死人を出さずに人喰いを養える。――だからこそ、おかしいじゃないか」
 志貴にとってサルディス神父の口を割らせることは、実の所それほど重要ではなかった。
 どうやら人狼のほうも殺る気になっているらしいことは明け透けに向けられている殺意によって明らかであり、志貴はすでに迎え撃つ体制を整えているからだ。
「違う、それは無関係だ! ……た、確かに墓のことは君の言った通りだが、わしらは行方不明のことについては何も――」
 ようやく息を継いだサルディス神父は一転して必死に言い募る。
 同時に木材と金属を捻じ切る異様な音が礼拝堂に響き渡った。
「ええ、そのお人よしの神父様は本当に何も知りませんわ」


 けたたましい破砕音と、形容しがたい情感のこもった少女の声に、サルディス神父が愕然と、待ちわびていた志貴は当然のごとく振り向く。
 視線の先には外の明かり浮かぶ、ほっそりとした少女のシルエット。
 閉ざされていたはずの礼拝堂の観音開きの正門が根元の蝶番ごと消えていた。
「ばかな……なぜ、どうして戻ってきてしまったんだ。夜の間なら、ずっと遠くへ逃げられたはずだろうに……」
 サルディス神父はうろたえるあまり志貴に銃を向けておくことさえ失念する有様だった。
 若くして妻子を亡くし信仰の道に入った彼にとって彼女は娘同然。それを逃がすため、必死に時間を稼いでいたというのに。
「いいえ。町の周りは使い魔だらけ、きっと逃げ切れないでしょう」
 シルエットが小さく首を振る。
 逆光になっていて志貴にだけ見える少女の顔は凪いだ微笑だった。
 もっとも、女という生き物は激昂しながらでも微笑むことが出来ることを忘れてはならないが。
「やあ、お帰りシスター・シルヴィア。どうやらアンタが当たりだったようだな」
 志貴のほうは心のままに、それこそ獲物を見つけた狼のごとく肉食獣めいた歯列も顕に笑う。
「まさか君は、シルヴィアと同じ――」
 互いに殺意を交わす怪物たちは、最早老神父のことなど一顧だにしなかった。
「あら、わたしをお探しでしたの? 死徒の神父様、もしかしてその格好は仮装ではなくて本物なのかしら」
「ああ、これでも代行者の端くれさ。一応仕事してるポーズくらいはとっとかなきゃならないんでね」




 修道服のシルエットは身を翻し、闇に紛れて戸口から消えた。
 それを追って志貴も動く。扉の無くなった戸口から躍り出る黒の法衣。
 しかし、力無く地に落ちた“法衣だけ”に外からの反応は無い。
 さすがに相手はそんな子供騙しに乗ってきたりはしなかったが、それならそれでやりようはある。
 次の瞬間、投げ出された法衣は大きな黒犬に姿を変えて外に待ち構えるモノに猛然と飛びかかり、今度こそ志貴自身も教会の外へ飛び出した。




 全く人の気配の無い寝静まった夜の町。
 ぽつぽつと灯る街灯と月明かりだけが町並みを照らしている。
 そして今まさに黒犬を地面に叩きつけ引き裂く、人狼の姿があった。
 先程の黒犬よりも更に大きく2mを超える上背に狼そのものの形状をした頭と尾、首から下には人とも獣ともつかぬ胴体や四肢。
 淡褐色の毛並は針山のように逆立ち、琥珀の双眸には劫火が瞬いている。
 耳まで裂けた、というおきまりの形容詞付けたくなるような大きな口は、殺意にめくれ上がり獰猛な牙を剥いていた。
 さながら人と獣の双方を冒涜するカリカチュア、半ば獣毛に埋もれた白い乳房が生々しい。
「それじゃあ、少しばかり戯れようか」
 真っ当な感性の人間であれば真っ先に恐慌と嫌悪を覚えるその異形に、志貴は愉楽の笑いを深める。
 人狼――シルヴィアの怒りの咆哮とともに、バイクほどもある黒犬が隆々たる豪腕によって砲弾のように吹っ飛んだ。
 志貴はそれに対しては特に反応しない。投げつけられた死骸は彼に激突する瞬間、ひゅるりと溶けて当たり前のような顔をして法衣に戻る。
 だが一瞬後に頭上から降ってきた楔のような五爪からは身を引いた。
 石畳が粉砕され飛礫が弾ける。
 シルヴィアはその反動のベクトルを筋力で修正し、畳み掛けるように追撃した。
 今度は水平。突撃槍を思わせる一撃に対して志貴はむしろ間合いを詰め、跳ぶ。
 攻撃を逸らすために相手の腕に添えた手を支点に、攻撃の勢いも借りて頭上で一回転。軽業のように彼女の背後へ着地した。






【死徒と人狼は魔の一種として似通った性質を持っている。一部の魔術師や教会関係者のなかには、彼らの間に亜種的な繋がりがあるのではないかと推測する者もいるほどだ。
 その真偽はともかくとして、それらは共に人から転化し、人に紛れ、人を喰らう。神秘の理に生きるモノたちが衰退の一途を辿る現代において未だ隆盛を誇り、人間社会という環境に適応した稀有な種族である。
 とはいえ彼らには同時に明確な違いがある。死徒が魔術の行使に優れ、群体としての特性を持つのに対して、人狼は五感を含む身体能力、単純明快な筋力や反射神経により一層優れているのだ。
 つまり死徒の能力は個人の素養や死徒としての血統に大きく左右されて個体差が激しく、一方人狼は種として索敵を含む戦闘行為に関して安定した適性を備えている。
 故に、高速の接近戦に持ちこんだ場合、人狼に軍配が上がることが多い。
 もっとも、貴様にはまるで関係の無い一般論だが――――ええい、話の最中に寝るなこの若造が!】


 というのは、任務が決まった時にネロが語った内容だった。






 音を立てて牙が咬み合わされた鼻先で、これ見よがしに法衣の裾が翻る。
 シルヴィアの振るう爪牙の嵐はことごとく空を切り、軽やかに身をかわす志貴をまるで捉えられない。
 反対に、様子見のように時たま繰り出される志貴の攻撃は好き放題に彼女を傷つけている。
 傷は持ち前の再生能力でたちどころに癒えてしまうが、圧倒的な戦闘技術の差だけが刻みつけられてゆく。
 武芸の心得のある者が目にしたならば感嘆を禁じ得ないであろう。東洋の拳法を連想させる流麗な動きは、既に形をこなすというような域にない。
 3年間隠れ住み、新しい情報に触れる機会かなかったシルヴィアだったが、日中を少なくとも表面上は平然と歩いて見せたこの男が死徒のなかでも傑出した存在であることはすでに認識していた。
 こうして教会の代行者としてこの地を訪れたのも、かの狂信者達をして“戦いが割に合わない”と判断させたことの表れだ。
 それでも小細工なしの白兵戦で軽くあしらわれた事実は十分驚くに値する。
 だがこれは彼女にとって絶対に引けない戦いだった。


 間断ない猛攻を闘牛士のように鮮やかにかわしながら、しかし志貴は困惑していた。
 危機的状況にあるわけではない。むしろ遊びを挟んでいるような状態だ。
 だからこそ噛み合わない。
 礼拝堂で待っていた間に感じていた感覚は、それこそアルクェイドとの出会いを思い起こさせるほどだった。
 だというのに実際に戦ってみればこの有様。
 シルヴィアとてネロが言うところの100やそこらの“若造”ではないようだが今の志貴にとって特に強力であるとは感じられない。
「なあアンタ、どうして逃げなかったんだ?」
 思わず率直な疑問が口をついて出る。
 この程度の力しか持たないのであれば、まだしも逃げ出したほうが生き残る目があったはずだ。
 その瞬間、牙を咬み締める音が耳を疑うほどに大きく響いた。
 シルヴィアの動きがふいに止まる。だがその瞳に宿る劫火は寸分たりとて衰えてはいない。
 彼女はしばし激情に内臓を焼かれるように身を震わせていたが、やがて異形の姿に変じて初めて人の言葉を口にした。
「・・・・・・アなたは、な、にもシらずニ、ワたシから・・・・・・ヲ、うバったノ」
 大きく裂けた口と長い舌をたどたどしく動かして、人狼は血を吐くように人語を発する。
 しかしその内容は不明瞭だ。
「うん? オレが何を盗ったって?」


「オまえがッオまえがジャンを喰っタンだろウ!!」


 雷鳴のように轟いた怒声は糾弾であり、慟哭だった。
 シルヴィアの口にした名が志貴のなかの何かに触れる。
 ジャンというのはフランスではありきたりな男性名だ。
 だが志貴がこの町で摂った食事で男は例の“三人目”だけ。
 小さな町とはいえ確率的に考え難い偶然だが、そういえば最初に声をかけた時にもシルヴィアは志貴をジャンとかいう人物と間違えていた。
 ということは、やはりそういうことなのだろう。
 ならば最初、シルヴィアから何も感じ取れなかったのは飲んだばかりの血が馴染みきっていなかったからなのかもしれない。
 哀れな青年は吸血鬼という法則に取り込まれる間際、ほんの僅かな時間だけでも恋人を守ったのか。
 事の発端と彼女を欲しがっていた意思の正体を知って、焼け付くような高揚が鎮火する。
 しかしそのもっと奥深いところで燻るものが鎌首をもたげた。
「ああつまり、アンタに恋人ができちまったのが原因だったわけだ」
人と魔の愛の形は違う。
 恋人を傷つけたくはない、かといって愛しい恋人と優しい神父様のいるこの町を捨てることも出来ずに、シルヴィアは人を喰うことで愛欲の飢えを癒していたのだ。
「うルさいっ!」
 何も言うなとばかりにシルヴィアが攻撃を再開する。断頭台の如き一撃は、これまでで最も重く速かった。


 ズンと、とても生物同士がぶつかったとは思えない響きが夜の町にこだまする。
 彫像のように動きを止めた両者のうち、シルヴィアだけが大きく眼を見張った。
「威力はまあまあ、センスは無し。とりあえず全力の一撃ってやつは確実に当てられるタイミング以外で使うもんじゃないぜ」
 血色の悪い唇が牙を覗かせて不敵に嗤う。
 筋肉と毛皮に鎧われた豪腕。
 振り下ろされたそれに比べて見ればずっと貧弱に思える志貴の腕が、あろうことか真正面から掴み取るように受け止めている。
 カラクリは単なる魔力による身体強化。人間とは異なり、魔力を異物とせぬモノたちにとっては殆ど無意識的に行われる肉体運営だ。
 彼らにとっては筋力=腕力ではない。
 志貴は魔力の質と量で相手の力を上回ったのだ。
 とはいえ日中を歩くこともそうだが普通、死徒はその強さに関わらずこういう力の使い方はしない。
 自力で魔力を生成する能力が低い死徒にとって魔力の補給は常に頭の痛い問題である。
 シルヴィアが腕を引き戻そうと唸りながら身を捩る。
 それが怯えからの行動であることは、もう一方の手が攻撃に動かなかったことからも明らかだ。
 だが志貴は彼女を解放することなく酷薄な怪物の論理を説く。
「愛しているなら、そのジャンとかいう恋人をさっさと喰うかアンタと同じにするかして、2人で町を出て行きゃ良かったんだよ。どうせ人間と人狼じゃ寿命が釣り合わないんだ、そうしておけばオレみたいなのに横から掻っ攫われることもなかっただろうさ」


 その衝動を抑えるために危険を冒して他の人間を食い殺し、あげく災いを呼び寄せたのは紛れもなく自業自得。
 シルヴィアの行動も彼女を匿っていたサルディス神父の判断も、結局は居心地の良い空間と関係を捨てることが出来ずに変化を恐れる弱さの表れだ。
 だが漠然と事態に気付いていてもなおサルディス神父が彼女を守ろうとしたように、シルヴィアにもまた絶対に譲れないものがあった。
 それをよすがに恐慌を振り払い、シルヴィアという少女はきっぱりと宣言する。


「・・・・・・たしかにとても後悔してるわ。こんなことになるくらいなら、そうしておけば良かったって。でもそれはジャンがもういないからよ。彼が生きていたなら、わたしの答えはいつだって同じ。だって、わたしはジャンを“愛して”るんだもの」


「ふん、そうかい」
 志貴は呆れたように溜息をついた。
 その気の抜けた仕草とは裏腹に、爆発的に高められた魔力が掲げた手から噴出。凍てつく蒼の陽炎が意思を持った動きで絡みつき、音もなくシルヴィアの腕の肘から下を賽の目状に切り飛ばす。
 彼女は一瞬の出来事に迸りかけた悲鳴を、寸でのところで胸に溜め素早く間合いをとった。
 今の宣言で覚悟は定まっている。
 人狼の高度な再生能力をもってすれば、この程度の肉体の損傷は問題にならない。
 なんとしてでも取り返す。残された手段がどれほど忌まわしいものでしかないとしても。
 あの死徒を喰い殺し、彼を自分の中に取り戻すのだ。


 分厚い毛皮の下で胸郭、肺、気道から口腔にかけて魔力を集中、一時的に聴覚を閉鎖。先程の悲鳴を必殺の一撃に変えて解放する。
 石畳にアスファルトに縁石、街灯に路上駐車の車に道端の家屋まで、シルヴィアの視界に在るほとんどのものが轟音と共に粉砕された。
 咆哮という言葉では生温い、夜の静寂を吹き飛ばす爆発音。それは正に音の爆撃だ。
 濛々と粉塵が舞い上がる。
 だがそのなかに死徒の血の匂いが無い。破壊の範囲は正面から扇状に十数メートル。
 ならば――うしろ
 一瞬にも満たぬ判断でシルヴィアの体が反転する。


 心臓を舐めるように通り抜ける鋼の感触。白刃が“背後から”彼女の胸を貫いた。


「驚いた。これなら藁の家や木の家どころかレンガのお家まで粉みじんだな」
 後からの朗らかな声。シルヴィアは信じ難いものを見る目で、胸元に生えた黒鍵の刃先を見下ろす。
 彼女にもし自分のおこした破壊の痕を検分する機会があったなら、それが志貴のいた位置で不自然に途切れていることに気がついただろう。
 あとは粉塵にまぎれて忍び寄って手にした黒鍵を突き刺すだけ。
 柄は未だ志貴の手の中にあり、心臓の真横に刃を据えられてシルヴィアは身じろぎすることさえできない。
「……こノ町にナにをしタ?」
 だが、そのあたりの仕掛けを疑問に思う前に彼女は別のことを問うた。
 先程の攻撃の狙いは何も志貴を傷つけることだけではない。
 むしをその本筋は町中で大音声(だいおんじょう)を轟かせて人々の注意を引くことにある。
 死徒だろうと代行者だろうと神秘の秘匿は最優先事項。シルヴィアはそこに生まれる隙こそを狙っていた。
 だというのに完膚なきまでに粉砕されたはずの静寂は、何一つ変わらずそこにあった。いや、そもそも始めからおかしかったのだ。
 いくら夜の田舎町とはいえ今の世に、家々の窓に一つたりとも明かりが灯っていなかったのは一体どういうことなのか。
「アンタが今更町の心配するのはどうかと思うけど、別に皆殺しにしたわけじゃない。使い魔の力で町ごと眠らせただけだ。今夜は空爆が始まったって誰一人起きてこないさ」
 愚かな獣を追い込み、したり顔で罠の口を閉じる高慢な狩人の嘲笑。狼面が絶望に歪む。


「――じゃあ、そろそろ終幕といこうか」
 聞くべきことは聞き、知るべきことは知った。もうこの相手には敵として求めるものが無い。
 志貴はどこまでも一方的に宣告した。
 シルヴィアの反応は早い。とっさに胸から突き出した刃先を掴んで刀身を固定、最後の反抗に討って出る。
 だがこの場において彼女はすでに捕食者ではなく、饗宴に捧げられた贄に他ならなかった。


 白銀の刃に墨を流したように浮き上がるヘブライ語の一文、イザヤ書の聖句。

 ――右から切り取っても、飢えている。左に食らいついても、飽くことができない。だれも皆、自分の同胞の肉を食らう。――


 その形で表された魔術が文字通り牙を剥いた。
 シルヴィアの裂帛の咆哮が不自然に濁る。代わりに喉から迸ったのは泡立った肉片交じりの鮮血。
 黒鍵の刀身を構成していた魔力はすでに別のモノに変換され、柄だけが軽い音をたてて地に落ちた。
 一拍遅れて崩れるように膝を着く人狼の躯。
 その体勢すら保てずに、シルヴィアが血反吐を撒き散らしてのた打ち回るなか、胸郭から腹を引き裂き押し破り、溶け合ったままの混沌の狼たちが濁流となって溢れ出す。
 倒れ付したまま、腹から裏返しにされるように呑み込まれかけるシルヴィア。
 だが罅割れた石畳に砕けんばかりに爪を立て必死に抵抗した。
 臓腑の大半を喰い尽くされ胴体を引き裂かれた今、そのようなことをすれば胴が千切れかねない有様だったが死よりもなお切実な恐怖が彼女を掻き立てる。
 ドロドロと半身に覆い被さった餓獣の群れがシルヴィアの肉体のみならず同類や自分の身にさえ牙を剥き、手当たり次第にむしゃぶりつく。
 コレに呑まれたら、きっと死ぬことさえ出来ない。


 志貴はシルヴィアの手の届かぬあたりに陣取って、自らが作り出した惨状を眺めていた。
 シエルが扱う火葬式典などと理論的には似通った技、さしずめ獣葬式典といったところか。
 彼自身には魔術に関する知識も経験も圧倒的に乏しいが、その意思を引き金として魔術刻印が『獣王の巣』より神秘を汲み上げ、組み上げる。
 聖句の形式をとったのは黒鍵という礼装に馴染ませやすくするだけのことだった。
 唇がひとりでに弧を描く。昔のダレカとよく似たことを口にするこの人狼を踏み躙るのはとてもたのしい。
「好きだから食べない、ね。そんなこと言ってると、どんな料理でも腐って台無しになっちまうのがどうして分からないんだろうな」
 そう、よく似ている。だからそれは間違った結果(こたえ)、認めてはならぬ解答だ。故に“今ここにいる彼”は無上の悪意をもって彼女の全てを否定する。


 その背に銃火が閃いた。
 ささやかな衝撃に志貴は振り返りもしない。
 散弾は法衣の背に僅かな漣(さざなみ)を立てただけ。
「やめてくれ、後生だからやめてくれ……あんまりだ……いくらなんでも、こんなことは酷すぎる……」
 同様に哀願の声も黙殺する。
 サルディス神父にはこの件をもっと違う形で終わらせることが出来たはずだった。
 問い詰めればシルヴィアは町を出て行ったかもしれないし、それこそもっと一思いに殺してやることだって出来たろう。
 正体が分かっているなら昼間に人狼を殺すことは難しくない。
 猟銃などというシロモノを持っているからにはその方法も考えたはずだ。
 その上で成り行きに任せることを選んだ者には、今更現実を動かす手段も資格も有りはしないのだ。


 志貴は、シルヴィアと彼女を呑み込まんとしている混沌に向けて手を翳し、無造作に拳を閉じた。
 応えて浮き上がるモノはもう狼だけではなく、数えようも無い顎が蹄が嘴が角が鉤爪が触椀が蛇体が貪りつき絡みつく。
 シルヴィアはいっそう激しく暴れるが、その手がかりとなる地面さえ混沌の水面(みなも)が覆い尽くす。
 そして、一本の“腕”が毛皮を掴んだ時、彼女は凍りついた。
 琥珀色の瞳に浮かんでいた感情は、きっと彼女と同じ人狼にすら形容できないものだったろう。
「それでは、お二人とも末永くお幸せに」
 志貴はゆっくりと咀嚼されながら沈み込んでゆくシルヴィアに、芝居がかった仕草で一礼して十字を切った。




 全てから取り残された老人は、長い銃身に縋るようにしてのろのろと新たな弾をこめる。
 誰からも顧みられぬ彼にふれるものはいない。
 銃口を顎の下に当て、矮躯の老人にとっては遠い引き金に苦心して指をかける。
 無機質な鉛玉の群れがサルディス神父の頭を吹き飛ばし、皮肉な祝砲をあげた。






 老神父の骸が獣たちに呑み込まれ、離れて魔術を維持していたレンも戻ってくる。
「――とりあえず、こんなもんか」
 大儀そうに肩を回して独り言つ志貴に、寝静まったはずの町から拍手が浴びせられた。
「素晴らしい、聖務完了お疲れ様です七夜神父。事後の処理はこちらにお任せください」
 手を叩きながらゆっくりと歩み寄ってきたのは、平凡なスーツを身に着けた灰色の髪の男。
 年齢のはっきりしない顔ににこやかな笑みを浮かべ、青い瞳には根深い熱を持っている。
 聖堂教会に出入りするようになって以来よく見かける狂信者の目だ。
「たしかアンタはドラーツィ修道士だったっけ。そっちこそ検分役ご苦労さん、町を壊されたのと尋問対象を死なせたのは不味かったかい?」
 その登場に、志貴は特に驚かない。
 というもの、この人物が町に入っているのは最初から織り込み済みだった。
 志貴の前任、つまり当初聖堂教会の代行者として行方不明事件を調査し、人狼の存在を報告したのがこのドラーツィ修道士なる人物である。
 彼は任務が埋葬機関に引き継がれた後、能力的な信用はあっても人格的な信頼は当然皆無である志貴の監視、検分を担っていた。
 捜査能力は高そうだが、物腰からして直接的な荒事向きの人材ではない。
 その姿は町の中でも見かけていたが、どうせ他の代行者に関わっても良いことはないので志貴は無視していた。
「いえいえ、全く問題ありません! どうせこの男は篤く弔うべき信徒の遺骸を、あろうことか獣の餌にしていた救いようの無い涜神者なのです。そう、むしろ相応しい最期といえるでしょう」
 ところがドラーツィ修道士は奇妙なほどにフレンドリーに、それどころかまるで興奮を抑えられない様子で熱っぽく語ってくる。
「……聖堂教会の代行者は信仰に他人の命まで懸けるよう変態ばかりだろ。アンタもそのへん融通が利くタイプには見えないけどな」
 ゆるりと志貴が目を細める。
 上背の高い白人のドラーツィ修道士を睨め上げる格好にはなるが、そも死徒に興味を持たれること自体、人間にとって生命の危機である。
 代行者たる者がそれを知らぬはずも無いのだが、ドラーツィ修道士は胆力があるのではなく状況の危うさに全く気付いていない。
「正確に申し上げれば命を懸けている、のではなく信仰こそが我々の命です。ええ、ですから任務の変更が決まったときには神が与えたもうた試練だと感じました。しかし違ったのです! 僕はこの目で奇跡を、神意が下される様を目にすることが出来たのですよ。たとえ呪われた身であろうと、七夜神父、貴方は代行者の鏡です!!」
「は?」
 大仰な身振り手振りでまくし立てるスーツ姿の修道士に、志貴は本気で怪訝な顔をする。
 どうやら甚く感動しているらしいが、この男の言っていることは半分以上が意味不明である。
「あの汚らわしい雌狼だけではなく、それと通じ合った愚かな男に、聖職者の風上にも置けぬ下郎。咎有る者らは全て暴かれ、己の罪によって正しく裁かれました。これを奇跡と呼ばずして何と呼ぶのでしょう!」
「ただの偶然だろうが。オレがこんなことやってるのは単なる取引の一環で、神罰とやらを演出しているつもりはないね」
「そう正に偶然。だからこその神意なのです。たとえば現在この町の人口は1137人、その中からたった一人の男を選び出して殺す。しかも統計的に男性を素体とする死徒は同姓からの吸血を好まず、その傾向は転化から間もないほどに顕著です。これがどれほどの偶然か考えられますか? 貴方は代行者として、まさしく神意を“代行”したのですよ」
 感極まったドラーツィ修道士は、このままでは志貴を拝みだしかねない勢いだった。
「あーわかったわかった、もうそれでいい。じゃあそういうことで後は任せた」
 狂信者にこの持論を撤回させるには、どれほどの労力が要るのか想像もつかない。
「お任せください。ああそれと僕は聖堂教会の調査、情報管理部門におりますので御用があればなんなりと」
 何やら面倒なやからに関わってしまった予感をひしひしと覚えつつ志貴は、他人にも自分にも優しすぎた咎人達の町を後にした。




「あーやっと仕事が終わったなぁ。うん? なんだいレン」
 歩きながら伸びをする志貴の裾を、少女の姿を取ったレンの小さな手が握る。
 相変わらずの静謐な顔で、一枚の雑誌の切抜きを差し出した。
 紙面には丁寧に手のかかった色とりどりのケーキの写真。
「ああ、約束のご褒美だな。いやいや忘れてないって、今回はたくさん働いてもらったし。どれどれ――――ってレンさん、この店はパリにあるらしいんですけど」
 現在地はフランスの南の端のほう、パリまでは東京大阪間より遠い。
 志貴は思わず真顔でレンの顔を覗き込む。断固たる決意を湛えた紅い磨硝子の瞳が、それを見返した。






END


あとがき

早く書くと言っておきながら結局1ヶ月経ってしまいました……
そんなこんなで後編です。
相手が弱いので戦闘は不完全燃焼ですが、謎解きはそれなりに複雑に書けたかと思います。
そのぶんちゃんと伝わっているかが不安でもありますが。
次は仕事編ではなくアルク編その2にしようかと思っています。また時間がかかるとは思いますが、お暇なときにでも読んでやってください。

それでは、今回も読んでくださった皆様にこの上ない感謝を。


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