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No.28839の一覧
[0] そうか……脱がせばいいのか! (アキバズトリップ 再構成)[スネオヘアー](2011/07/15 06:59)
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[28839] そうか……脱がせばいいのか! (アキバズトリップ 再構成)
Name: スネオヘアー◆42d18875 ID:54a50290
Date: 2011/07/15 06:59

──魔都、秋葉原。

 戦後の高度経済成長時代から現代に至るまで、常に時代の最先端に位置する街にして、人々の欲望を満たし、また生み出してきた特異な地域。昨今では、『電気と萌えの街』として世界各国にまでその名が知られるようになった。

 そんな秋葉原には昔からいくつかの都市伝説があったが、それとは別に、最近新たな噂が出回るようになっていた。

『密かに非オタのリア充が黒服の連中に追いかけ回されている』

『あの有名な老舗メイド喫茶には裏メニューが存在し、それを注文すると……何か凄いサービスがある』

『まれに牛丼屋ザンボに漢らしく牛丼をモリモリ食べる少女が現れる』

『街のどこかに非公式なバイトを斡旋する男がいる』

『夜になると人を襲い、血を吸う奴らがいる』

『街を歩いていると、童貞か否かを問われ、童貞であると答えると痴女に襲われ、童貞を奪われる』

 どれも総じて嘘っぽく、しかし、どこか全て嘘だと言い切れない……そんな噂の数々。人々は冗談半分にその話を日常の会話に混ぜ込んでいた。

 かく言う僕も、これらの噂話を馬鹿馬鹿しいと思いながらも、友人との会話の中で苦笑しつつ話題に上げていたりする。秋葉原をこよなく愛する僕と友人だ、話題にしない方がおかしい。
 でも、噂はどこまでいっても噂。そもそもこの噂の出所は、『ぽつり』という短文型コミュニケーションツールにおける信憑性皆無の書き込みであるし、ソース(情報源)もハッキリしていない。こんな与太話を本気で信じている人間なんかいるはずがないのだ。
 言わずもがな、僕と友人も冗談交じりに会話を交わすだけで、本気で取り合ったりなんかしない。数度のやり取りを終えてひとしきり笑い合った後は、そんな噂話なんかすぐに忘れて嫁談議に花を咲かせるのだった。

 ……知らなかった。僕と友人は知らなかったんだ。『あの』噂が本当で、真っ当な人生を送ってきた僕達が否応無しに巻き込まれてしまうなんて。

 あんなことになるなんて、思いもよらなかったんだ──



◆◆◆◆



「──ん。──ちゃん。おーい」

 心地良いまどろみの中、ふと誰かが僕を呼んでいることに気付く。けれど、それは覚醒に至るほどの声量ではないため、僕の意識は徐々に暗闇の底へと埋没していき、再び深い眠りへと誘われる。

「お兄ちゃん、起きてってば。……さっさと起きろ、クソ兄貴!」

 ……が、そうは問屋が卸さないとばかりに、声の主は音声をマックスに引き上げて一喝し、加えて布団に包まる僕の身体をユサユサと揺らしてくる。それでも僕が起きないと見るや、今度はボスボスと布団に強い衝撃を与えてきた。叩いているのか? と薄目を開けて見てみると、声の主は「オラッ! オラッ!」とベッドの上に乗り込んで僕の身体をストンピングしていた。

 流石にそこまでされては安眠出来るはずも無く、僕は愛用しているエロゲー美少女抱き枕からしぶしぶ身を引き剥がし、僕を夢の国から現実へと引き上げた人物──親愛なる我が妹に目をやり、起こしてくれた礼を兼ねて笑顔で朝の挨拶をした。

「ふっざけんなよ、お前。今日は日曜で予備校休みなのになんで起こしちゃうの? それが昨日徹夜でエロゲーやり通した兄に対する所業か?」

 気持ちの良い一日は気持ちの良い挨拶から始まる。それを妹も分かっているのか、可愛くまなじりをつり上げて透き通るような金切り声で挨拶を返してきた。

「うっせ、死ね。人がせっかく起こしてあげたのにその態度は何なの? 有り得ないわ。それに、何で起こすの? とか言っちゃってるし。ホント有り得ない、自分が頼んだことすら覚えてないわけ? 脳みそにウジでも湧いてるんじゃないの?」

 僕の妹は非常にシャイな性格なため、僕と会話する際は照れ隠しのためにこうして思いもしないことを並べ立てる。まったく、可愛い奴だよ。
 可愛いのは性格だけでなく、外見もそうだ。思わず撫でてしまいたくなるような緩くウェーブのかかったショートの黒髪に、均整の取れた相貌。身体は年相応にまだ発展途上と言ったところだが、その肢体は瑞々しく、見る者に生気を分け与えるかのような輝きを放っている。我が身内ながら思わず見惚れてしまう。
 
「……何ガン飛ばしてんの、殺すわよ」

 どうやら我が妹は兄の不躾な視線に気恥ずかしさを覚えたらしく、舌打ち一つしてそっぽを向いてしまった。身内と言えど、ジロジロ見るのはよろしくないな。今度から気を付けよう。 
 と、そこでようやく僕は先ほどの妹のセリフに疑問を抱いた。起き抜けで頭が回っていなかったから思わずスルーしてしまったが…… 

「あれ、お前に何か頼みごとしてたっけ?」

「やっぱウジ湧いてるわ、あんた。昨日の夜に言ってたじゃん、ギャルゲー主人公みたいに妹の甘い囁きを目覚まし代わりにしたいからやってくれって。土下座しながらさ」

「……そういえばそうだったな、義理の妹を攻略するのに夢中で忘れてた。でも僕が望んだのはステレオタイプのブラコン気味な妹の起こし方であって、兄を足蹴にしろなどとはまかり間違っても口にしていないはずだが」

「最初は言われた通りやったわよ、吐き気を我慢してね。でも起きないんだもん、お兄ちゃん。そりゃ蹴りたくなるでしょ」

 なるほど、納得の理由だ。それならば兄を蹴り起こしても何ら問題は無い。我が妹ながら反論の余地が無いほどの完璧な理論武装、いや恐れ入った。やはり天才か。
 ……しかし、吐き気って。
 
 言葉の端々にある棘にSAN値をガリガリ削られる僕を尻目に、愛しのマイシスターは特に気にした風も無く颯爽と部屋を出て行こうとする。
 その姿を殺気を込めながら慈愛の表情で見送っていると、妹は何かを思い出したかのように急にこちらを振り向き、(主に僕に)滅多に見せない笑顔を浮かべながら片手を突き出してきた。なんだろう?

「忘れてた、お金まだもらってなかった」

「……ほ、ほほう。貴様は兄を足蹴にした挙句、金まで取ろうと言うのか。面白い冗談だ。……冗談だよね? 僕の妹がこんなに守銭奴なわけがない」

「いいから、早く」

 真顔で迫ってくる辺り、冗談では無さそうだ。

 僕の妹の唯一と言っていい欠点、それはお金に目がないこと。事あるごとにお金お金と口にして僕から金銭を搾り取ろうとするのだ。僕としても可愛い妹にお小遣いをあげるのはやぶさかではないのだけれど、あまり甘やかし過ぎるのも教育に良くないため、必要以上にはあげないようにしている。教育にはアメとムチが必要だからね。
 
 さて、前回お小遣いをあげたのは、確か必死に懇願してエロいメイド服を着用してもらった時だったな。あれからそう日も経ってないし、今回は妹に涙を呑んでもらうとするか。兄としては辛いが、これもひとえに可愛い妹を思ってのこと。きっとこいつもそれを分かってくれるはずだ。なんせ僕の自慢の妹なんだから。

「お前にやる金は一銭たりともねえよ、ボケが」

「あんたが秘密にしてるコスプレ趣味、お母さん達にばらすわよ」

「わかった、千円で手を打とう」

 切り札を握られていることを失念していた……!

「しけてるわね、まあいいわ」

 僕の手から野口さんをひったくった妹は、今度こそ扉を開けて僕の部屋から出て行く。お礼の一つも欲しいところだが、そんな事を言ったら追加料金を請求されそうなので止めておいた。奴なら言いかねない。
 
 パタン、と扉が閉まるのと同時に、僕は一つ息を吐いてベッドに倒れ込む。
 ……中々にしたたかに育っているな、あいつ。将来がいろんな意味で楽しみである。

「この借りは、いずれ返させてもらうがな」

 後塵を拝したままでは兄としての威厳が危うい。もはや威厳の欠片も無いようにも思えるが、それは置いといて。兄より優れた妹など存在しないということをその身に教え込まなくてはなるまい。
 
 まったく、可愛い妹を持つ兄は大変だよ。



◆◆◆◆



 多種多様な人間が行き交う雑踏を歩く。チラリチラリとこちらを窺う者も少なくないが、すぐさま人の波に流されるため意識を長く向ける者はいない。こちらとしてもそれは好都合だ。あまり注目されるのは好きじゃない。
 歩を進めながら周囲を確認することも怠らない。日中に活動する以上、いつ襲われるか分からないからだ。『彼ら』はどこにでも現れる、それを忘れてはいけない。
 
 それにしても……

「雑多だなぁ、この街は」

 秋葉原、それが今私が歩いている街の名前らしい。
 ここを活動の拠点にしてからそれなりの日数が経っているわけなのだが、いまだに自分がどこを歩いているのか分からなくなることがままある。それと言うのも、迷路のように道が入り組んでいたり、同じようなお店がいたる所に乱立しているせいだ。同じような、というか、そのまま同じ名前のお店がすぐ近くに建っていたりもするし。わけが分からない。

 街も雑多ならそこに集う人間も雑多だ。スーツを着て早足で雑踏を縫うように歩く男性、メイド服に身を包んで道行く人にチラシを渡す女性、大きなカメラを首に下げて額に浮かんだ汗を拭う男性、お店の前のモニターを食い入るように見つめるリュックを背負った大勢の男性。統一性など欠片も無く、様々な人間がこの街に集まっている。……若干リュックを背負った男性の比率が多い気もするけど。

 だが、それ故に、私達のような存在が容易に紛れ込むことが出来ていると言っても過言ではないだろう。姉さん達なんか秋葉原の人気者になっちゃってるし。それでも『彼ら』に気付かれていないという事は、やっぱり母さんの読みは当たってたってことか。
 ……今回ばかりは外れてほしかったけどな。そうすればあんな計画を実行に移すことなんて無かったのに。今さら言っても後の祭りだということは分かっているけど、そう思わずにはいられない。

「はぁ……」

 小さく溜め息を一つ吐いて俯かせていた顔を上げる。と、そこで自分が今どんな状況に陥っているのか遅まきながら気付く。
 
「……あれ? ここ、どこ?」 

 思索に耽っていたせいか、どうやら道を外れてしまったようだ。キョロキョロと辺りを見回すも、見覚えの無い建物ばかりが目に映り、どの方向に進めばいいのかが分からない。いわゆる迷子というものになってしまったらしい。
 来た道を戻ろうにも、無意識に歩みを進めていたために記憶から抜け落ちてしまっている。こんな事になるのなら地図を持ってきておけばよかった。すっかり道を覚えた気になって地図をアジトに置いてきた三十分前の自分が恨めしい。
 
 さて、どうしよう。闇雲に歩き回って余計に時間を無駄にしてしまうのは避けたい。怒りっぽい兄さんのことだ、遅刻なんてしたら絶対に叱られてしまう。それは別に構わないのだけど、そのせいでノルマを増やされるなんてことも考えられる。それはいけない。
 ここはやっぱり、素直に人に道を尋ねるのが最善の行動だろう。幸い周囲には多くの人が行き交っている。丁寧にお願いすれば日本人はそれにちゃんと応えてくれるって叔父さんが言っていたし、恐れることは何も無い。早速尋ねてみよう。

「あ、あの、すみません。私、道に迷ってしまって、それでですね、えーと……」

「So what?」

 外国人だった!

「し、失礼しました!」

「Oh……Moe……」

 一礼してから慌ててその場を離れ、さっきの人が見えなくなった所で足を止める。余計に入り組んだ所まで来てしまったが、それも仕方ないだろう。なんせ外国人なのだ。言葉の壁という乗り越えられない断崖絶壁が立ち塞がってしまっているのだ。どうせあの場にいたって右往左往するしか出来なかったはずだし、撤退という判断は間違っていない。ああ、それにしてもビックリした。

「気を取り直して……」

 これ以上時間を無駄にするわけにはいかない、早く道を教えてもらわないと。
 焦りを覚えた私は、急いで周囲を確認して地理に詳しそうな人間を探す。私の周りにいる人間は計五名。内三名は金髪の外国人男性で、残りの二名は(たぶん)日本人の男性と女性だ。
 選択肢から外国人を即座に抹消し、残った二人の姿を見据える。二人ともスタスタと迷い無く歩いているため、どちらも秋葉原の地理にはそれなりに詳しそうだ。
 どちらに尋ねるか数秒迷った私は、女性に声を掛けることにした。なぜ女性を選んだのか、理由は特に無い。しいて挙げるならば、こっちの人の方が優しそうだな、と感じたから。言わば、なんとなくで選んだわけだ。
 
 けれど、どうやら私の選択は間違ってなかったようだ。なぜなら──

「あの、道をお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「……ん、僕? ああ、構わないよ。秋葉原は庭のようなものだし」

 黒を基調とした派手目の洋服を身に付けた女性は、横から声を掛けた私の方を振り向くと、迷惑そうな顔一つせずに快く頷いてくれたのだ。心強いセリフに心中で思わずガッツポーズを取ってしまった。
 
 聞けば、私が声を掛けた女性は頻繁に秋葉原を訪れるらしく、もはや知らない場所など無いと豪語する。それを裏付けるかのように、私が教えてほしい場所を告げると、彼女は事も無げに「ああ、そこね」と頷き、嬉しいことに案内を申し出てくれたのだ。
 渡りに舟とはこの事で、時間が差し迫っている現在、断る理由も見つからない私はありがたく彼女の申し出を受けることにした。
  
「今いる場所はジャンク通りって言って、主にPC関連の中古品を取り扱っている店が並んでるんだ。外れの商品が多いけど、たまに掘り出し物も見つかるから漁るのが止められないんだよね。あ、あそこ。あの店はメモリがわりと良いもの揃ってるよ。ケーブル類も種類が多いし、なかなかオススメ。その隣の店はジャンクノートを多く出してる。ジャンクって言っても良品が多いから一度は行ってみるといいよ。まあ、結局良い商品を手に入れられるかどうかは自分の目利きに掛かってるんだけどね」

「へ、へえ……」

 少々以外だったのは、大人しそうに見えた女性がお喋り好きだったということか。案内を受ける道中、私は彼女の口から発せられる謎の言葉の羅列に対して、曖昧に相づちを打つことしか出来なかった。パソコンに詳しくない私では、メモリやらケーブルやら言われてもサッパリ分からない。
 私の反応からそのことを理解したのか、彼女は先ほどとは別の話題を私に振ってきた。

「ねえ君、『ITウィッチまりあ』って知ってるよね? 僕さあ、あれ、正直二期は蛇足だったんじゃないかって思うんだよね。いや、まだ放送中の作品にケチは付けたくないよ? 終盤に神展開が待っている、なんてこともあるかもしれないからね。けどさあ──」

「あの、ごめんなさい。よく分からない……」

「え、あ、そう……一般人だったか。やべえ、驚くほど話題が見つからない」

 不思議なことに、それ以降は彼女から話を振ってくることは無く、私と女性は黙々とジャンク通りの人ごみを掻き分けるように進んでいった。私が話を遮ったから怒ったのだろうか。よく分からない。
 
 そうして歩き続けること数分。休日だろうと平日だろうと常に立ちはだかる人の波を踏破した私は、女性の先導の下、ようやく目的の場所に着くことが出来た。正確には目的地のすぐ近くだが。
 兄さんの待つ場所までこの女性を連れて行くわけにもいかないため、待ち合わせ場所近くの建物を女性に伝えたのだ。
 
「はい、着いたよ。ここでいいんだよね?」

「あ、うん。わざわざ案内までしてくれてありがとう、助かったよ」

 言葉を返してから、敬語を使うのを忘れていたことに気付く。相手が親しげで見た目同い年くらいだからつい馴れ馴れしくしてしまった。人によくしてもらったのにこれでは失礼ではないだろうか。
 そう思い、女性にしてはわりと身長が高い彼女の顔を見上げるが、彼女は特に気にしていないようで、「どういたしまして」と片手を挙げて私の謝辞に微笑で応えるのみだった。

 それに安堵し、緊張を緩めるのも束の間、時間が切迫していることを思い出して慌てて腕時計を覗き込む。
 ……まずい、結構な遅刻だ。兄さんの怒った顔がありありと目に浮かぶ。これは、やっぱり叱られるよなぁ。
  
「……何? 何で僕の笑顔見てそんな鬱な顔するの? へこんでいい?」

 暗い気持ちが表情に出ていたのか、それを見て何かを勘違いしたらしい女性がショックを受けたように肩を落とす。急いで待ち合わせ場所に向かわなければならないとはいえ、誤解は解かないといけないだろう。

「いや、遅刻して待ち合わせ相手に怒られるのが憂鬱だっただけで、決して君の笑顔が気持ち悪いとかじゃないから気にしないで」

「……こいつ天然か」

 女性がボソリと何かを呟くが、よく聞き取れなかった。まあいいや、誤解は解けたようだし早く兄さんと合流しよう。

「ああ、ちょい待ち」

 一礼して兄さんが待つであろう裏路地に向かおうと足を踏み出した時、私の背中に彼女が制止の声を投げ掛けた。何だろう、と振り向く私に、彼女は一歩近づいて優しい顔で口を開く。
 それは、思いもかけない言葉であった。

「親切なお姉さんが良いことを教えてあげよう」

「良いこと?」

疑問符を浮かべる私に頷きを返し、彼女は言葉を続ける。その表情は慈愛に満ちているようで、でもどこかにイタズラ心が見え隠れしている気がする。私の気のせいだろうか?

「究極の謝罪の言葉だよ。これを用いれば、何をしようがどんな相手だろうがたちどころに許される」

「そ、そんな魔法のような言葉が?」

 ある、という風に重々しく頷く彼女。にわかには信じられないけど、それがもし本当だったなら兄さんに怒られずに済むかもしれない。ノルマも増やされずに済むかもしれない。

「……ぜひ、教えて下さい」 

 微笑む女性に一縷(いちる)の希望を見出した私は、頭を下げて教えを請う。対する彼女は、軽い口調でいとも簡単にその言葉を教えてくれる。

「いいかい? ────だ。これは様々な場面で応用が利くから、色々と試してみるといい。きっと幸せになれる」

「う、うん。────だね。分かった、やってみる」

 教えてもらった言葉を頭に刻み込んだ私は、ヒラヒラしたスカートを翻して格好良く去って行く女性に再度一礼し、今度こそ待ち合わせ場所へと足を向ける。
 究極の謝罪の言葉を教えてもらった私の足取りは軽く、さっきまでの暗澹(あんたん)とした気分が嘘のようだ。今なら兄さんだけでなく、姉さん達合わせて三人と対峙しても尻込みすることは無いような気がする。それほどに気分が高揚していた。

 やっぱり、叔父さんの言っていたことは間違いじゃなかった。人間の中には、『あの人』以外にも良い人がいるんだ。今日はそれを実感することが出来た。女性にしては声が低かったり、自分のことを僕とか言ってた変わった人だったけど。あれも個性なんだろう、きっと。
 
 ……少しずつ、そう、少しずつでいい。彼女ら人間を理解し、共に歩めるように努力する。それが今の私がすべきことなんだ。
 人間の多様性、豊かな創造性、自由な行動力。それらは私達には無いもの。けれど、私達にはそれらが必要なんじゃないかと思う。私達は人間から学ばなければならないのだ。

「いつか、きっと……」

 私達と人間は共存することが出来るはず。そのために具体的にどうすればいいのかはまだ分からないけど、でも、きっといつかは──

「おせーぞ、瑠衣(るい)。俺を待たせるとは良い度胸じゃねーか、ああ?」

「……兄さん」

 ビル間の人気の全く無い細い路地に足を踏み入れた途端、不機嫌丸出しの声が私に浴びせ掛けられる。そちらを振り向けば、予想通りそこにはパンクファッションに身を包んだ長身痩躯の男性──兄さんがギターケース片手にだるそうに壁に寄り掛かっていた。その猛禽類を思わせる鋭い視線は私に向けられており、怒っているということが手に取るように分かる。

「おい、何か言うことがあるんじゃねーか?」

 寄り掛かっていたビルの壁から身を離し、暴力的な雰囲気を纏いながらこちらに近寄ってくる。不思議な事に今まで兄さんに手を上げられたことは無いけど、やっぱり怖いことは怖い。自然と視線が下がり、顔を俯かせてしまう。

「ご、ごめ……」

 反射的に口から出てしまいそうになる言葉をすんでの所で押し止める。そうだ、今こそあの女性に教えてもらった言葉を使う時だ。いまだその効果については半信半疑だけど、彼女が嘘を吐くとも思えない。ここはあの人を信じてやってみよう。幸せになれるって彼女も言ってたし。

「兄さん」

「お、おう、何だよ」

 決心した私は俯かせていた顔をバッと上げ、なぜか鼻白んだ様子の兄さんの顔を真正面から見つめる。
 兄さん自慢のオッドアイと私の瞳が交差したその瞬間、私は精一杯の反省の気持ちを込めてその言葉を口にした。

 ──届け、この想い!






「……フヒヒ、サーセン」



◆◆◆◆



「良いことをした後は気分が良いものだ」

 誰にともなく呟き、僕は秋葉原の雑踏を上機嫌で歩く。道案内なんて慣れないことをしてしまったが、なかなか悪くない気分だ。感謝の言葉というものは人間の心を豊かにさせるな、うん。秋葉原自警団なんて酔狂な組織を作る輩がいるもんだ、なんて思っていたけど、彼らの気持ちも分からんでもないかな。まあ、誘われても僕は入らんが。


──アキバと言えばアクワイアだろWW

──せやなW

──スズナちゃんを救う募金活動にご協力くださーい!

──個展やってまーす。無料ですので是非お越しくださーい!

──メイド喫茶、『エディンバラ』へようこそ!


 今日は休日。常に人がひしめくここ秋葉原だが、休日ともなればその喧騒はさらに膨れ上がる。流石にコミケの比ではないものの、その人込みは普通に歩くことすら苦労するほど。とはいえ、すでに慣れきってしまった僕にとってはさして苦でもない。
 初めは煩わしく感じたこのざわめきも、今では心地良いBGMになっている。これこそが、この煩雑さこそが秋葉原を秋葉原たらしめているのだ。それをどうして否定できようか。

「あ、そこのあなた。個展を開いているのですが、見に来ませんか? 無料ですよ?」

「消え去れ」

 とはいえ、中には僕の日課であるアキバ探索の障害となる人物も少なからず存在する。エウリアンとか、募金団体とか、オタク狩りとか、あとローアングルから無許可で撮影しようとするカメラ小僧とか。
 そうした輩と遭遇した場合は、とにかく無視するかダッシュで逃げるに限る。これはアキバを探索する際の鉄則だ。
 なお、今僕に声を掛けたエウリアン(無料の個展と称してカモを呼び込み、高額の絵を無理矢理買わせようとする悪質な呼び子)は特にしつこいため、出会い頭に一発キツイ言葉をぶつけることをオススメする。

「……チッ」

 結果はご覧の通りで、スーツ姿の女は舌打ち一つして次なる獲物を探しに踵を返す。こちらも慣れたものならあちらも慣れたもので、建物に連れ込むのが無理だと判断したなら奴らは即座に離脱する。その姿はまるで悪徳商人の鑑のようだ。まっこと、秋葉原は恐ろしい所よ。毎日のように訪れている僕が言うのもなんだが。

 ──ぐう。

 と、離れていくエウリアンの背中をどや顔で眺めていた僕のお腹から小さな音が鳴る。どうやら僕の腹の中に住む虫達がエサを寄こせと咆哮を上げたようである。
 それに釣られて腕時計に目をやれば、時刻は既に昼過ぎ。道理で腹の虫が催促するわけだ。アキバ探索は楽しいが、時間を忘れるほどに熱中してしまうのが欠点と言えば欠点か。これが原因で何度予備校をサボったことか。
 それはさておき、今の僕は実に空腹である。栄養補給しなければ午後からのフィギュア漁りに支障が出てしまいかねないし、ここらでランチタイムとしゃれ込むとしよう。

「今日のメシは……」

 腕時計から目を離した僕は、数ある秋葉原の食事処のいくつかを瞬時に脳裏にピックアップし、どこに行くかを脳内会議の議題に挙げる。


『じゃんがらとかどうよ?』

『却下だ。ラーメンって気分じゃない』

『スターケバブで手軽に済ませるという手もあるけど?』

『悪くは無いけど、今はこう、ガッツリと食いたい気分なんだよ』

『アキバでガッツリと言ったら、あそこで決まりじゃね?』

『え、どこどこ?』

『ザンボだよ、ザンボ。ほら、牛丼専門店の』

『おお、その手があったか。ナイスだ、僕』

『照れるぜ、僕』


「……ザンボか。悪くない」

 時間にして五秒にも満たない間に議決が下され、その結果に従うように、中央通りを歩いていた僕の足は自然と裏通りへと向けられる。
まあ、自演百パーセントの出来レースで、最初っからザンボに行く気満々だったわけだが。休日の昼はザンボ、これが僕のジャスティスなのだ。異論は認めない。

 グーグー、グーグル、と鳴き止まないお腹の虫の咆哮に後押しされるように、僕の足取りは速さを増す。
 素早く、かつエレガントに歩く僕に隙は無く、身に付けたゴスロリスカートも過度に捲り上がることは無い。僕はチラリもポロリも許さないのさ。

「…………」

 ちょっと身だしなみが気になったので、横のビルのガラスに映った自分の姿を見て再チェックすることにした。

 つま先の丸い黒の編み上げブーツ、汚れ無し! 黒地に白レースのひざ下丈ハイソックス、ゆるみ無し! 白黒ヘッドドレス、たるみ無し! 黒を基調としたレース&フリル満載のスカートから覗く太もも、ムダ毛無し! 耳に光るシルバークロスピアス、背伸び感無し! 顔に施した薄いメイク、崩れ無し!

 総評……違和感無し!

 完璧だ。完璧なまでにゴスロリ衣装を着こなしている。自画自賛になるが、中性的な容姿とも相まって、今の僕はどこからどう見てもゴスロリ美少女にしか見えない。これならどこに出ても恥ずかしくはないだろう。

 ……うん、別におかしな所なんてどこも無いな。
 
 さて、チェックも終わったことだし、栄養補給に行くとしよう。肉が僕を待っている。



◆◆◆◆



 牛丼専門店、ザンボ。

 一見すると普通の牛丼屋だが、実は老舗中の老舗であり、ここ秋葉原での知名度はかなり高い。その歴史は長く、秋葉原にまだ神田青果市場が存在していた頃から営業を続けているらしい。
 また、パソコンパーツ店が軒を連ねるアキバの激戦区の一角に店を構えており、常に周囲に違和感と強烈なまでの牛丼の香りを漂わせている。正に圧倒的な存在感である。

「ふーっ、ふーっ……はむっ」

「…………」
 
 特筆すべきはそれだけではない。ここザンボは牛丼専門店と銘打っているだけあって、他の牛丼屋に見られるような特殊な牛丼やサイドメニューの類は一切無い(玉子と味噌汁は別)。周りに流されず頑なに牛丼を提供し続けるその姿勢はあっぱれの一言である。
 
「あー、やっぱおいしいなぁ」

「…………」

 その牛丼だが、これがまた美味いのだ。適度に柔らかく煮込まれた玉ねぎは、程よい甘みで肉の旨みを引き立てており、メインの肉はスジが少ない上に柔らかく、一切れ一切れに味が染み渡っている。それに加えて良い具合に脂がのっているため、白米が進むことこの上ない。噂ではオーストラリア産の良い肉を使っているとか。店長のこだわりを感じる。

「うまうま」

「…………」

 肉の量も生半可ではない。ザンボの牛丼には『並』と『大盛り』があるのだが、『並』は他店の大盛りに相当するほどで、『大盛り』を注文したとあらば、想像を絶するほどの肉の山が襲い掛かってくる。初めて大盛りを頼んだ際、玉子をかけたらテーブルに滑り落ちてしまったことを今でも覚えている。

 そう、『大盛り』の量は異常だ。もし女性、それも年端もいかない少女が間違って注文しようものなら、お残しは確定。それほどに量が多いのだ。完食出来る女性など滅多にいないだろう。

 だが……

「ふぅ、ごちそうさまでしたー」

 その滅多にいない女性、しかも少女が、今僕の目の前にいた。

「有り得ない……わずか三分で完食だと? カップラーメンかよ……」

 あまりの驚愕に思わず呟いてしまう。隣でお茶を飲んで一息ついている少女の姿をまじまじと見るが、その身体のどこにあんな肉が入るんだ、と疑問に思わざるを得ない。
 小柄で華奢。小動物を思わせる可愛らしい少女の姿とは裏腹に、その正体は大食いの肉食獣だったようである。人は見かけによらないものだ。

「次はどこに行こうかなー。ちょっと物足りなかったし、次はガッツリいけるところで……」

 何か、人類には意味がよく分からない言葉を残して去って行く少女を尻目に、僕は食べかけだった牛丼(並)を再び口に運び始める。きっと気にしたら負けなんだろう。ああ、牛丼うめぇ。



◆◆◆◆



 見つけた。ようやく見つけた。
 どれほどこの時を待ち望んだだろうか。長かった。見つからないんじゃないかと諦めかけたこともあった。でも……見つけた。愛しのあの子を。

 全ては一枚の写真から始まった。
 
 ある夜、ネットの海を彷徨っていて偶然見つけた写真。それが視界に入った瞬間に、俺は一目惚れという言葉の意味を理解した。
 元々は某巨大掲示板にアップされていたメイドのパンチラ画像だった。ローアングラーがプライドと社会的生命を賭して捉えたお宝画像。その後方に彼女はいた。
 白いコートのフードから覗く、どこか儚げで愁いを帯びた表情。夜の闇よりも深く長い黒髪。穢れを知らないかのような真っ白な肌。紅玉を思わせる僅かに赤みがかった瞳。その全てが俺の意識を引き寄せた。

 会いたかった。会って話がしたかった。そして、自分の思いの丈をぶつけたかった。
 生まれてこのかた一八年間、一度とて女性に告白はもちろん、ナンパの類もしたことはなかったが、今回ばかりは必ずやり遂げる覚悟だった。

 だから、探した。休日だろうと平日だろうと関係なく、予備校をサボってまで彼女を探しまくった。この情熱を受験勉強に向ければ合格確実だろうに、なんて思うくらい必死に探した。
 
 足を使って秋葉原を練り歩いた。写真が取られたであろう場所を重点的に歩き回り、切り抜き・拡大した写真を道行く人に見せて、彼女のことを知らないか聞いて回った。警察官にまで聞き込みして、ストーカー扱いされて危うくタイーホされる、なんてこともあった。

 そうして何日も何日も探し回ったが、彼女の姿はおろか、有力な情報一つ手に入らなかった。
 ……今日までは。

 見つけたのだ。いくら探し回っても見つからなかったあの女の子を、とうとう。
 歓喜した。初めて生で見るあの子は、モニター越しで見るより数段綺麗に思えた。
 見つけたのは本当に偶然だったが、これこそが運命なのではないかと思わず乙女チックな思考に耽ってしまった。もはや神が味方しているとしか思えず、このまま告白すればオーケーがもらえるんじゃないかと勘違いもしたりした。
 
 ──だが、そんなお気楽な思考は、すぐに吹き飛ぶことになった。

 女の子には、連れがいた。長身痩躯の、異常に目つきの悪い白髪の男が。
 最初は、すわ恋人か!? と戦々恐々としたものの、後ろからすり寄って二人の会話を盗み聞きした結果、その男が女の子の兄だということが分かり、安堵した。

 が、問題はそこからだった。

 話しかけるチャンスを窺いながら二人の後ろをつけていた俺は、とんでもない光景を目撃することになった。
 
「よお、カスども。献血の時間だぜ」

「あ? なんだお前?」

 秋葉原には、ビルとビルの間のように、昼間であろうと日が差さず薄暗い通りがそこかしこに存在する。雑然とした秋葉原に点々と存在する空白。そういった場所にはまともな人間なら寄り付かないものだが、まれに素行の悪そうな連中がたむろしていることがある。恐らく、オタク狩りとかそういった奴らだ。

 端的に言おう。彼女達、いや、正確には彼女の兄は、そんな連中にいきなり喧嘩を売った。
 ……違うな。あれは喧嘩なんて生易しいものじゃない。

「ははっ、やっぱ人間はよえーなぁ!」

「ぎゃっ!?」
 
 あれは──狩りだ。強者が弱者を蹂躙する、一方的な暴力。陰に隠れて身体を震わす俺の目には、ネコがネズミをいたぶっている様にしか見えなかった。
 数の上では一対多でありながらも、白髪の男は反撃に転じる男達をものともせず、拳を、蹴りを叩き込んで捻じ伏せていく。はっきり言って、その姿はとても俺と同じ人間には思えなかった。
 なんせ、吹き飛ぶのだ。筋肉など全く付いているように見えないのに、白髪の男の攻撃を喰らった男達は、車にはねられたかのように盛大に壁に叩きつけられている。あれは、絶対に人間業じゃない。

「や、野郎っ!」

 と、仲間がみんな叩き伏せられてしまい、最後の一人となった者が、懐からナイフを取りだし威嚇するように男に突きつけた。刃物を常備しているとは、やはりろくな連中ではなかったようだ。
 突きつけられた白髪の男はと言えば、余裕の表情で相手の男を見下ろしている。あまつさえ、両手を広げて無防備に近づいていく始末。まるで刺してみろと言わんばかりの行動だ。
 
「ぐっ……うわああぁーっ!」

 ナイフを手に後ずさりしていた男は、壁際に追い詰められたと見るや、ナイフを腰だめに構えて白髪の男に突っ込み、そして……刺した。ジャケット一枚を羽織っていた白髪の男の腹、その素肌に刃が深々と突き刺さる。傷口から真っ赤な液体が流れ出し、ナイフの柄を伝って地面に数滴ぽたりぽたりと流れ落ちる。
 
 ……それだけだった。

「……で?」

「……え?」

 白髪の男はニヤニヤと笑いながらナイフの柄に手をかけ、一気に引き抜く。血が噴き出すかと思いきや、出血は僅かで、それさえもすぐに止まる。
 その次の瞬間、さらに驚くべき出来事が起きる。傷口が、刃物に突き破られた皮膚が、見る見るうちに修復されていくのだ。
 息を呑んでその光景を見つめること数秒。その数秒で、ナイフで刺されたはずの傷が完全に無くなってしまった。有り得ない。あんなの、もう完全に化け物だ。

「何だよ……お前、何なんだよっ!?」

「あー、血がたんねー。つーわけで、お前らのもらうぜ」

 驚愕の光景はまだまだ続く。わめく男の言葉を無視した白髪の男は、目の前で震える獲物に手を伸ばし、襟を掴んで壁に叩きつける。苦しげに息を吐き出す様を愉快そうに見つめ、何を思ったか、白髪の男はそのまま手を引き戻し、力無くうな垂れる男に抱きついた。
 そっちの趣味の方!? なんて勘違いは、次の白髪の男の行動によって木っ端微塵に砕け散る。

 「が……あ……ああ……」

 なんと、奴は引き寄せた男の首筋に顔を運び、大口を開けてガブリと噛み付いたのだ。続けて聞こえるのは、ごくごくと喉を嚥下させる音。もしかして、いや、あれは確実に血を吸っている。……血を?

 不意に、以前友人とした馬鹿話を思い出した。秋葉原に流れる、馬鹿馬鹿しいと一笑に付した、あの噂。

『夜になると人を襲い、血を吸う奴らがいる』 

「……真昼間から襲ってんじゃねーか。責任者出て来いよ」

 などとくだらないことを言っている場合ではない。幸い、自分が隠れていることはまだ気付かれていないことだし、速やかにこの場を離脱すべきだろう。あんな凶暴な化け物に見つかったら俺の命は無い。

 ……化け物。ひょっとして、あの女の子もそうなんだろうか? 俺の初恋の女の子。
 あの子は白髪の男から離れてずっと立っていただけだが、背中を向けていたためにその表情は分からなかった。兄が弱者をいたぶっている姿を見て、あの子はどんな顔をしていたんだろう。どんな気持ちだったんだろう。

「…………」
 
 知りたい、知りたいと湧き上がる好奇心をむりやり押し潰し、俺はこの場を離れることに決めた。
 あんな光景を目にしても、彼女に対する俺の恋心は些かも変化していなかった。だが、命あっての物種だ。今はこの場を離れ、いずれ機会があったら今回のことを彼女に問いただしてみるとしよう。

 とりあえず、今は撤退が最優先。
 俺は物音を立てないよう、細心の注意を払って後退し…………缶を踏んだ。
 
「げ」

「ああ?」

 アルミ缶の馬鹿野郎! と心の中で罵倒しつつ、脇目も振らずに走り去る。
 やばい、やばい。完全に気付かれた。追ってきてる? 確認したいが、後ろを振り向くのが怖い。とにかく走り続ける。

「はっ、はっ」

 どれくらい走っただろうか。一分? 五分? 時間の感覚が曖昧になっている。追われてるかもしれないという思いが焦りを生み出しているのか、俺は人通りがある場所に出てもなお走り続けていた。相手は化け物、人前でも平気で襲ってくるかもしれない。そうした恐怖が俺の足を突き動かす。
 が、それも長くは持たない。インドア派の俺の体力はスライム並に低いのだ。やがて息が上がり、自然と足の動きも止まる。
  
 気が付けば、俺は薄暗い路地で一人ぽつんと佇んでいた。
 って、なんでまた俺はこんな所に来てるんだろうか。自分で自分を叱咤したくなる。人ごみの方がまだ安全だろうに、アホか俺は。
 
 回りを見回すが、追跡者の影は無い。撒いた……のか? ここまで無事だったのなら、撒いたということになるのだろうが。
 
「ふう、助かっ──」

 安堵の息を漏らした、その刹那。背後から、カツっと硬質な音が響く。
 ……ああ、油断していた。これ、思いっきり死亡フラグじゃん。安易に助かったとか言ったらダメだよなぁ。

 カツ、カツと音が徐々に近づいてくる。俺にはそれが死神の足音にしか聞こえなかった。
 脳裏に浮かぶのはあの女の子。白くて綺麗で、きっと笑顔が似合う俺の初恋の子。
 ……せめて、名前だけでも知りたかったなぁ。

 カッ。  

 音が俺のすぐ真後ろで止まる。
 俺は緊張の面持ちで後ろを振り返り、そして──



◆◆◆◆



「……ごちそうさまっと」

 先の少女に遅れること五分。魅惑の牛丼を胃に収めた僕は、調理場でゆらゆら揺れながら牛丼を作り続ける店主に一礼して店を出た。今日も美味かったぜ、ムッシュ(店主の愛称)。

「余は満腹じゃ……ん?」

 さて、お腹も膨れたし、フィギュア漁りに精を出しますか、と意気揚々と店の出入り口を抜けた、その時。肩に掛けていたバッグから軽快な音楽(アニソン)が流れ始める。それはケータイの電話着信音だった。

 ケータイを取り出してディスプレイに目を落としてみると、そこに表示されているのは見慣れた名前。予備校で知り合った唯一のオタ友だ。
 大抵の用事はメールで済ませる友人が珍しく電話してきたことに眉をひそめつつも、とりあえず電話に出てみることにした。

「もしも──」

『聞こえるか! 今俺はアキバで……あの噂は本当だったんだ! アキバには近づくな!』

 こちらが電話に出るや否や、興奮した様子で早口にまくし立ててくる。何なんだ、一体?

「近づくなって言われても、今僕アキバにいるんだけど、何なの? それに噂って──」

『なら今すぐ離れろ! そして当分は近づくんじゃない! いいか、絶対だぞ!』

「いや、それは無理でしょ。どこで同人誌とかエロゲー買えって言うんだよ」

『そんなの通販で済ませろ!』

「勝手に妹に開けられて強請られるネタにされるのが目に見えるんだけど」

『お前の妹は本当に妹か!? いや、そんなことはどうでもいい。とにかく──』

 と、不意に声が途切れ、次いで争うような物音が聞こえてくる。何だ、何をしている?

『よせ、止めろぉっ! くそ、くそっ! 俺は、俺はあの子と!』

「おい、どうしたんだ!? 何があった!?」

『俺は……あの子……と……』

「おいっ!」

『…………』

 ブツッ。

 電話が、切れる。 

 ……やばい。何がやばいのかは分からないが、とにかくあいつがやばい目に遭っているということだけは分かる。
 
「探さなくちゃ」

 アキバから離れろ、と友人は言っていた。でも、そんなこと出来るはずがない。友達がやばいってのに僕一人だけ逃げるなんて無理な相談だ。
 それに、あいつは自分が危機に瀕している際、他人の心配を出来る人間だ。そんな奴を見捨てるなんて出来ないだろう? 何より、あいつは僕の隠れ趣味であるコスプレを認めてくれる唯一の友人である。絶対に助けてみせる。
 
 決意を胸に、僕は颯爽と走り出す。向かう先は、あきばおーだ。友人と話している際、かすかに聞こえてきたのだ。あの『もえもえ、きゅん!』のフレーズが。きっとあいつはあの店の付近にいるに違いない。

「待ってろよ、絶対に助けてやる」



◆◆◆◆



「そん、な……嘘、だろ……」

 友人は、見つかった。アッサリと。
 予想通り、あきばおー付近の裏路地で。
 問題があるとすれば、それは……ボロ雑巾のように地面に打ち捨てられていたことか。

「助けるって誓ったのに……ごめん……ごめんよ……」

 自分の無力さに腹が立つ。なぜ、なんでこんなことになっているんだ。わけが分からない。こいつが何をしたって言うんだ。
 こんな酷い目に遭わなければいけないことをしたって言うのか? 有り得ない、そんなことは。付き合いはそれほど長くないが、こいつのことは良く知っているつもりだ。こいつは間違いなく善人だ。押入れに入りきらなくなったエロゲーをタダで譲ってくれるほどの男なんだ。

「許さないぞ……」

 心にどす黒い感情が宿る。そうだ、許さない。こいつをこんな目に遭わせた犯人を探し出して……探し出して、ええと…………酷い目に遭わせてやる!

 仇を取ることを胸に誓う。少しでもこいつの魂が安らぐことを信じて。

「まずは情報収集からか……おっと、その前に」

 やらなければいけないことを思い出し、僕はバッグからケータイを取り出す。そしておもむろに110番。

「あ、警察ですか? 人が倒れてるんで電話しました。あ、いえ、命に別状はありませんよ。ちょっと衰弱しているだけみたいです。……ええ、はい、男です。あ、それとですね、この人全裸なんで何か着る物を用意していただけたらと。はい……はい、分かりました。場所は秋葉原の──」

 それにしてもこいつ、妙に幸せそうな顔しやがって。 


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