はじめまして、わさび豆腐です。
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【プロローグ】
果たして人は、どれほどまで神に近づけたのだろうか。
深い闇に閉ざされた空、うっすらと浮かぶ雲の隙間からは満月が覗いていた。
草木が生い茂る森の中、所々に蔦が絡みついたコンクリートの建物がたたずんでいる。どうやらここにも昔、人が住んでいたようだ。少し前に雨が降ってきたようで地面は湿気ており、ブーツの上からでもそれは分かった。近くに滝があるようで、轟々とした音が周囲に響いていた。
肌寒い夜の風が吹きつける中、少年―――喜多御杏野(きたみきょうや)は息を乱さず落ち着いた歩調で前進する。
闇の中で揺れる黒髪、背丈も高くすらっとした身体。白をベースに青いラインが縦に入った制服を纏い、膝丈ほどの長さの黒いケースを両腰に提げている。ボサボサとした前髪から見える鋭く冷たい蒼の瞳。
目の前に広がるのは一面の緑、木々の葉から流れ落ちる雨の雫が月の光に照らされて微かに輝き……地面の湿った土へと吸い込まれていく。
杏野は腰のポケットに入っていた黒のトランシーバーを右手にとって回線を開く。
「この位置から一斉攻撃を行うのか?」
『木々や蔦で視界不良かもしれないけれど、前方約五十メートル先にタイタンタイプが一匹いらっしゃるぜ』
トランシバーから発せられた軽い口調の声は男性のものであった。
「了解、戦闘体勢に入る」
『オーケー、こちらも戦闘体勢に入った』
「俺と涼子が茂みから飛び出したら、援護を頼む」
杏野はトランシバーの回線を切ると、右手を黒い長方形のケースに添えて、左手で目の前の草木を除け前方を凝視する。
……いた。
生い茂る草木の向こう側には断崖絶壁の滝があり、その頂上から水が滝となって落ちている。滝つぼを中心に、底の浅い川がこちらから見て右側へと流れている。半透明で透き通った水面に映るのは満月。とても美しい光景だ、しかし。
それを台無しにするように、杏野から少し距離を取った場所に禍々しい形をした巨影、《タイタンタイプ》と呼ばれるそれは立っていた。三メートルほどの大きさであろうか、人間をそのまま巨大化させたような怪物。全身赤く強靭な筋肉が剥き出しになっており、耳鼻口が無い頭部には八つの血走った目が無規則に筋肉と筋肉の隙間に埋め込まれていた。その身体から発する卵が腐ったような異臭はここからでも感じ取ることができる。
その独特の異臭と筋肉剥き出しの真っ赤な身体のおかげで、薄暗い森の中でも暗視ゴーグル無しで見える。
杏野は慣れているのか、タイタンタイプの放つ異臭にものともせず、トランシーバーを手に取りダイヤルを変えて回線を開く。
「俺と彰は戦闘体勢に入った。涼子は大丈夫か?」
トランシーバーから聞こえてきたのはさっきとは違い、透き通った少女の声であった。
『ええ、大丈夫よ。隊長不在だけど、頑張っていきましょうね』
「了解、十秒後に攻撃を仕掛ける。涼子は聖霊術の詠唱の準備を。作戦通りに行う」
杏野はトランシーバーをポケットに仕舞うとマジックテープで固定、右腰に提げた黒いケースに右手を伸ばすと、そのまま跳躍する準備をした。
五……四……。
茂みの向こう側にはタイタンタイプが川を泳いでいる魚を捕まえて、満足そうに獲物を見つめている。右側を向いていた。
三……二……一……。
杏野に迷いは無かった、ただ目の前の標的を。
零。
殺すのみだ。
杏野は無言のまま落ち着いた表情で茂みから飛び出すと、目の前のタイタンタイプの視界へと入る。脚の筋肉をフル稼働させて跳躍し、ヤツとの距離を縮めさせた。タイタンタイプはこちらに気づくと、右手で握っていた獲物を潰して杏野を八つの眼すべてで睨みつける。
地面に降り立った杏野は腰のケースを手で叩いた。すると右腰のケースが展開し、そこから灰色の剣の持ち手が射出される。刃は付いていない、長さにして三十センチ弱。
タイタンタイプは杏野に向かって右腕を打ち込んできた。杏野は射出された剣の持ち手を慣れた手つきでキャッチすると、バックジャンプでタイタンタイプの右腕を回避。タイタンタイプの右腕は川底を抉り、周囲に水しぶきを上げる。タイタンタイプは地面に突き刺さった右腕を抜くと再び杏野に向かって打ち込もうとする。
遅いッ!
杏野が剣の持ち手に付いたスイッチを親指で軽く押すと、シュンッと一メートルほどの刃が飛び出す。杏野はそれを静かに落ち着いた様子で構え、斬撃を繰り出す。日本刀に似た《戦術ブレード》が持つ白銀の刃は冷たく光り、迫り来るタイタンタイプの右腕を切り落とした。
断面から吹き出す緑色の血液、悶え苦しむタイタンタイプは怒りに身を任せて左腕を杏野の頭上に挙げた。攻撃を繰り出して間もない杏野、回避しようにも間に合いそうに無い。しかし、彼は落ち着いていた。
タイタンタイプが怒り狂う最中、その後ろで弦(ストリング)をしならせて照準器(サイト)を覗き込む少年がいた。サラッとした金髪で大人びた印象のある少年、杏野と同じ青いラインの制服を着ている。少年の持つ弓にスタビライザーは存在せず、灰色のボディーの戦術弓、リカーブボウに似ているがリムの長さが少年の全長ほどまである。
「さァーて、お仕事開始だ」
その軽い口調、彼の名前は秋風彰(あきかぜあきら)。彰は照準器を覗き込んだまま、鋭い刃を先端に持つ矢を《戦術弓》にセット、タイタンタイプへ照準を合わせる。
瞬間、矢は彰の手から放れてタイタンタイプの左肩に炸裂。矢はタイタンタイプの肩に刺さると、その後大きな爆発を起こした。矢に特殊な爆発素材を塗りこんでいたのだ。
「やりィ! 涼子ちゃん、決めてくれ!」
彰がそう言うと、反対側の茂みから一人の少女が飛び出してきた。ポニーテールの黒髪、蒼い瞳に潤った桃色の唇、やや背が高い。杏野たちとおなじ制服だが、下半身の方が青のミニスカートになっている。少女、愛海涼子(まなみりょうこ)は杏野の前に降り立つと、そのまま天に向かって灰色のハンディタイプのスタンガンを持った右手を翳す。
「これで……決める」
透き通った声、若干の幼さを残した。細くしなやかな腕、そこにぼんやりと光る粒子が集まってくる。スタンガンからはバチバチと蒼いスパークが放出される。涼子は詠唱を開始した。
「雷ヨ、我ノ器ヘト集エ―――――雷の聖霊術」
涼子の持ったスタンガンから放出されているスパークは詠唱とともに、巨大化し彼女の右腕で渦巻いていた。そして詠唱を続ける。
「雷ヨ、力トナリ、凝縮サレヨ、ソシテ眼前ノ悪ヲ打チ砕カン―――――雷球の聖霊術ッ!」
涼子は右腕をタイタンタイプへと向けた。右腕の蒼いスパークは雷球(らいきゅう)となって右掌に浮かぶと、そのままタイタンタイプの顔面へ打ち込まれる。
閃光とバチバチッといった鋭い音と共に、タイタンタイプの顔面に炸裂する雷球。顔面の赤い筋肉と八つの眼を焼き焦がす。周囲の白い煙が腐った肉が焦げる嫌な臭いをこちらに運んでくる。視界が煙に包まれてよく分からないが、地面が大きく揺れドンッという鈍い音がするのを涼子は聞くと、後方に立っている杏野に振り向いた。
「いっちょあがりね、お疲れ様」
「涼子こそ……良い聖霊術だった」
煙が失せて、そこで倒れているタイタンタイプが杏野の目の前に現れた。右腕を切り落とされ左肩が爆発し、そして顔面を焼き焦がされて絶命している。酷い死に方であるが、今更‘敵,に同情する気はない。ただ周囲に漂う異臭に気分を悪くするだけで。
後方から援護射撃をしていた彰が戦術弓を背中に戻して、二人に走り寄ってくる。
「ナイスコンビネーション、涼子に杏野!」
「彰こそ。ありがとう、あの時の援護射撃がなければ……」
「お互い様だって」
彰は笑って見せると、杏野も優しげな笑顔で返した。三人は訓練生であったときからの友人で、他の小隊と比べてもコンビネーションはズバ抜けて高いだろう。この早さでタイタンタイプを倒せるのも、そのコンビネーションがあってこそだといえる。
「さて、お仕事も終わったし帰るか。杏野、連絡たのむわ」
「……ッたく。了解」
杏野は戦術ブレードの刃を仕舞うと、本部との連絡のためにトランシーバーのダイヤルを切り替えて回線を繋ぐ。
「こちら第四小隊、喜多御杏野だ。タイタンタイプの撃破を確認、帰還する」
トランシーバーの向こうで応答したのは溌剌とした少女の声であった。彼女は美並渚(みなみなぎさ)、杏野たちの担当オペレーターだ。
『はい了解ですー! えーっと、タイタンタイプ一匹の撃破を確認。今回の任務は完了しましたです! お疲れ様ですー! ですですー!』
杏野は内心、彼女の「~ですー」の口調がどうにかならないものかと思う。今日はヤケにテンションが高い、どうしたのだろう。まぁいいか、と思って杏野は回線を切ろうとした、その時。
『ちょっと待ってくださいですー! 杏野さんたちがいる場所はエリアEの第十八区ですよね?』
「ああ、そうだが?」
『さっき連絡が来たんですが、どうやら第十一区に三匹のワームタイプが発生したようです! シャングリラの外壁にも近いですし、臨時任務ということでお願いしますですー!』
「あ、ああ、わかった」
『給料上がりますから、頑張ってくださいです!』
ワームタイプ三匹、これぐらいないなら別に大丈夫だろう。一般的にタイタンタイプ一体に対して一小隊は必要といわれているが、ワームタイプなら一人三匹ぐらいは相手にできるだろう。それぐらい弱いのだ。それと同時に、気持ち悪いほどの数のワームタイプが大量発生することもあるが。
杏野自身、そのような任務には赴いたことは無いが先輩方の話によると、身の毛もよだつ最低最悪な任務らしい。任務自体はそれほど難しくないらしいが。嘔吐者多数、顔面蒼白のまま本部へ帰還したという、ぐだぐだのぐずぐずに終わった……らしい。
今回は違う。たった三匹のワームタイプ、任務は難しくない。杏野は回線を切ると、涼子と彰に報告した。
「臨時任務だ。第十一区にワームタイプ三匹」
「マジかよ……あいつ嫌いなんだよな。ウネウネして気持ち悪いし」
「何言ってんのよ、彰! 外壁に近いんだから放っておくべきではないでしょ! 大量発生じゃないだけマシ」
涼子はガツンとゲンコツで彰の頭部を殴った。顔をしかめながらも彰は、背中に戻していた戦術弓を取り出して二人の一歩前に出る。
「んじゃ、さっさとお仕事片付けますか」
「ったく……これだから、彰は」
嘆息しながらも涼子は彰の横について歩き始める。
杏野は目の前を歩く二人から視線を外して、ふと夜空を見上げた。無数の星々が瞬いている空、風がヤケに冷たい。時刻は二十一時三十分。
空に浮かぶのは満月。
今日も帰るのは遅くなりそうだな、と内心呟きながら杏野は二人の後を追った。