まどかは通学路を歩いている。
横にはさやかと仁美がいる。
その2人とは反対側にはほむらがいた。
今までほむら誰かと親しげにしたところを見たことがない。
それがまどかと一緒にいた。
「ねえほむらちゃん」
「なにかしら」
「プロレスって知ってる?」
「わたしプロレスは見たことないのだけれど。おもしろいの?」
「うん。プロレスはね―――」
そういう話をしている。
さやかと仁美はすでに何回も聞いている話だ。
そんな2人を仁美は不思議そうに見ていた。
最初さやかは警戒していたが、ほむらの雰囲気がどこか丸くなっていることに気がついた。
それからは警戒を解き、2人の会話に静かに耳を傾けた。
学校に着いた後もまどかとほむらはごく普通に話していた。
それに驚いているクラスメイトもいた。
午前中の授業が終わってからは一緒に昼飯を食うことになった。
屋上ではさやかとマミとまどか―――そこにほむらが加わっていた。
マミはほむらを見る。
その視線には困惑があった。
その一方でさやかは落ち着いている。
朝に見たほむらの様子からさやかはもうほとんど疑っていなかった。
むしろ何故まどかとの距離が小さくなったのか、それをまどかが言うことを期待している。
「ねえ鹿目さん。どうして暁美さんと仲良くなったの?」
マミがまどかに聞いた。
ほむらが顔を赤らめて答えた。
「わたしがまどかに負けたからよ」
「負けた!?」
「まどかと勝負をしたの」
「どうしてそんなことをしたの!?」
マミが取り乱した。
それを制止するようにまどかが言った。
「ここから先は私が説明します。実は―――」
まどかは昨日のいきさつについて話した。
「そういうことがあったの」
「うん。で、わたしが勝ったから魔女退治を認めてくれたんだよね」
「…どうせ言うこと聞かないしね」
ほむらがまどかに応える。
そんなほむらを見ながらさやかが言った。
「ふーん。まあ怪我しないように配慮してくれたなら文句はないよ」
「そうね。意外とやさしいところもあるのね」
「さあ、わたしが怪我したくなかっただけよ」
「あなたはもう少し素直になったほうがいいわ」
「わたしは思ったままを言ってるだけよ」
そう言ってほむらは仏頂面をくずさない。
「まあいいわ。それで暁美さんは魔女退治に協力してくれるの?」
「構わないわ、キュゥべえとまどかが契約しないように見張りたいし。そういえばキュゥべえは最近見ないわね」
「キュゥべえはいなくなったよ。『他の魔法少女候補を探しに行く』だって」
まどかが答える。
ほむらが言った。
「それはよかった」
「わたしもまどかも契約はしないからまあ当然だよね」
「でもマミさんのところには出てくるんですよね」
「ええ。わたしがあの子を必要に思ったときは都合よく出てくるわ」
マミはキュゥべえがグリーフシードに穢れが溜まったときにそれを回収しに来るのだと言う。
それを聞いたまどかとさやかは神妙な顔をして言った。
「不思議な生き物ですね」
「さすが魔法少女のマスコットキャラ」
さやかが面白そうに笑う。
そのさやかにほむらが少し強張った顔で言う。
「上条恭介は今どうしてるの?」
「明日退院だって。だから明後日はまどかと訓練するんだって言ってた」
「まどかさんはどういう風に教えるつもりなの?」
まどかは少しだけ考えて答えた。
「上条くんの体力を見てからです」
「そう、恭介は強くなると思う?」
ほんの少しだけ不安そうにさやかが聞いた。
「きっと強くなるよ」
まどかは微笑を浮かべて言った。
放課後。
まどかは家に急いでいた。
通りを歩いている。
もう陽は沈んでいた。
もし帰るのが遅くなってしまえば詢子にどやされてしまう。
だから、自然と足が速くなっていた。
そんなまどかが人影を見つけた。
仁美ちゃんだ―――
そう思ったまどかは声をかける。
「仁美ちゃん今から帰るところ?」
「あら、まどかさん」
仁美が答える。
どこか上の空な口調であった。
「今から素晴らしい所に行くんですわよ」
仁美がさらに言う。
その口調も相まって不気味な雰囲気があった。
「だからまどかさんも一緒に行きましょう」
「なにを言って―――っむぅ!?」
まどかは驚愕の声を上げた。
仁美の言動のおかしさの原因に気がついたからであった。
仁美の首の付け根には魔女の口付け―魔女によって操られている証があった。
「じゃあ行きましょう」
そう言って仁美は歩いて行く。
まどかは後をついて行った。
まどかが仁美に連れられた場所は工場であった。
その連れられる場所が工場で間違いないと判断したまどかはマミとほむらに要点だけまとめてメールを送った。
コンクリートでできた箱のような建物の中には、機材が置かれている。
そしてその中央には工場の主がうなだれていて、それを中心に人が集まっていた。
その全てに魔女の口付けがあった。
「おれなんか死んでしまえばいいんだ」
主が言う。
「こんな工場一つ潰してしまうおれなんて死んでしまえばいいんだ」
呪詛の言葉を吐いている。
この言葉に引き寄せられるように人が寄り添う。
見ていられないとまどかは思う。
その主の前に1人の女が現れた。
おそらくは主の妻であろうと思われる。
その女がバケツを置いた。
そしてその中に洗剤を入れていく。
それを入れ終えたあと、女は別の種類の洗剤を取り出した。
まさか―――
「いいかいまどか。この手の洗剤には混ぜると毒ガスが出ることがあるんだ」
詢子が言う。
まどかの記憶である。
覚めたそれでいて熱いものを持った眼光がまどかを突き刺す。
「だから絶対にするんじゃない。もしそうなったら―――」
眼光の持っている熱がさらに大きくなる。
「あたしら全員地獄行きだ」
―――無理心中か!
そう思った瞬間まどかの身体が跳ねた。
その体は一直線にバケツに向かった。
バケツの直前でまどかは走るときの流れで左足を前に出す。
そのまま一歩前に出るのかと思えばそうでないらしい。
本来であれば下ろすべきところで左足を折り曲げる。
まどかの身体が走っていた時の勢いで前に出るのと同時に両足が大きく開いていく。
それが水平に近づいたとき、折り曲げられていた左足が勢い良く開かれる。
その蹴りはかかとでバケツを押すように放たれた。
本来であればバケツを突き破る威力があったがバケツへのダメージは少なかった。
バケツはわずかに形を歪めて飛び上がる。
まどかが蹴りを放った方向に一直線にである。
その先にある針金入りガラスの窓を突き破った。
まどかは蹴りを放ってから蹴りを放ったほうの足で地面をとらえて、蹴った。
その勢いで後ろ向きに回転する水平になったまどかの背中の下を一人の男の突きがくぐった。
技術的に見て未熟な突きであったが遠慮がなかった。
もしまどかに当たっていれば男の腕に大きなダメージがあっただろう。
着地したまどかに人が殺到する。
幸いまどかの近くにドアがある。
ドアとまどかとの間に障害物もない。
まどかはそのドアに逃げ込んだ。
ドアの向こうはもう一つの部屋になっていた。
階段がありその先には窓がある。
そこから出ればひとまずは操られた人間に会うこともなく、魔女の探索に集中できる。
そこまで考えたまどかは皮膚にねっとりとするものを感じる。
そのドアを抜けた先はすでに結界になっていた。
まどかの視線の先に魔女が現れた。
その魔女はツインテールの少女の姿をしていた。
TVのような箱から上半身を出して覗くようにまどかを見ている。
そのまどかの頭にこれまでの闘いの映像と感覚が呼び出された―――
初めて鍛えたときの苦痛、初めて殴られた時の恐怖、それを耐えれるようになった自信、守る為に強くなろうと思ったこと、
そしていつしか闘うことことそのものに価値を見出していったこと―――
そういう今までの記憶がリアルよみがえった。
まどかはそれらに対して驚きを覚えた。
心を読む能力を持つことにここで気がついた。
しかしまどかはそれを跳ね除けようとしなかった。
逆に心を開いて魔女にさらけ出した。
それによってさらに細かい記憶が浮き上がってくる。
これまで学んだ格闘技の特徴、練習の仕方、構えの仕方、
蹴りのコツ、
突きのコツ、
流派によるそれらの違い、格闘技に対する考え、
そういう細かな記憶が次々と浮かび上がっては消えていく。
そして最後に現れたのはもはや記憶と呼ぶべきものでなかった。
それは塊だった。
膨大な熱をもった太陽のような情熱がまどかの中に確かにあった。
それが魔女に叩きつけられた。
魔女は大きな衝撃を感じた。
物理的なものではない。
まどかの記憶の持つあまりに大きな熱が魂に流れ込んできたのだ。
絶望に縛られていた魔女は大きく震えた。
気づくと魔女はまどかが最も得意とする蹴りにも突きにも対応できる構えを取っていた。
見よう見まねのそれには技術が欠けていたが熱意に溢れていた。
その熱を表すように魔女は獣のように笑った。
その前には同じ構えをとったまどかがいた。
魔女とは対照的に涼しい笑みを浮かべている。
その笑みの中には獣がいた。
魔女とまどかが動いたのは同時であった。
お互いに突きを放った。
当たったのはまどかの突きであった。
顔面に突きを入れられた魔女は吹っ飛んだ。
吹っ飛んでゆく最中に笑みを浮かべる。
穏やかな顔であった。
そして―――
魔女の体から黄金の輝きが噴き出した。
勢い良く吹き出されたそれは天高く昇っている。
その道筋はおそらく遠くからでも見えそうなほどに太く、そしてどこまでも高かった。