――悩んだとき、辛いとき、人は答えを求めるためにもがき、苦しむ。
――だが、答えはいつもすぐ近くにあるものだ。それに気がつかないだけで。
――最初から知ってたんだ。いつも答えは、手の届くところにあるものだ。
《6ヶ月後・マイトレ》
セラに氣の修行を言い渡されてはや半年……私は雑用と鍛錬をこなしながら修行に励んでいた。朝はセラの部屋の掃除(ただし、ヘルパー装備に着替えなくてはいけない)をして、本を読んで昼食。午後からはマイトレに行って氣の修行、時々休憩。そして夜になると夕飯となり、一日が終わる。だいたいはこんな感じだ。セラが時々帰ってきては、がやがやと騒いだりもする。クエストにいけないのは少々寂しいものがあるが、時間と言うものは案外早く過ぎ去っていくものだ。赤い氣の出し方は教官から教わったので知っている。だが、残り二つである『碧』と『黄』の出し方がまるでわからない……というより糸口が全くつかめない。マイトレに足を運び、気づいたら夜になっていた、なんてことはザラだ。鍛錬刀(竹刀)を構え、集中してみるもなかなかうまくいかず、もんもんとした日々が続いていた。
そんな私の話し相手になってくれたのが、マイトレを管理しているシンシアという大人びた女性だった。セラと初めてここにきたときは偶然にも外で買い物をしていたらしく、会うことができなかった。彼女は一日のほとんどをこのマイトレの世話にあてている。アイルーたちの世話や庭の手入れ、プーギー牧場の世話などやることがたくさんあるようだ。ウェーブのかかった茶色い長髪が特徴な、慈愛に満ち溢れた女性だ。私の愚痴や日々の話などを、何も言わずにただ笑顔で聞いてくれた。不思議と安心感のある女性だ。もし母と呼べる人間がいるのなら、彼女のような人のことを指すのだろう。
以前、セラからマイトレから見る夜空は最高だという話をシンシアにしたところ、「じゃぁ明日、夕飯を持って外の庭で星を見ましょう」と誘ってくれた。彼女も仕事柄、よくマイトレで星空を眺めているらしい。私はその日、稽古を早めに切り上げると練習用のハンター装備(なぜかこれを着て鍛錬するように言われた)から私服の浴衣へと着替え、マイトレへと向かった。そこには、既にシンシアがマットを敷いて、夕飯用の弁当箱を広げて待っていた。
「あ、リンさん! こっちですよ~」
「……すまない、夕飯まで作ってもらって」
「いいえ。私に出来るのはほんのちょっとのことだけですから。これくらい、なんてことありませんよ」
……セラとは大違いだ。あいつなら絶対にあたしをからかうに決まっている。
「ほら見てください、丁度ここからだと、星が良く見えるんですよ」
「…………綺麗」
彼女の横に座り、シンシアお手製の”さんどうぃっち”(頑固パンに長寿ジャムを挟んだもので、簡単に言うと西洋風のおにぎりのようなものらしい)を食べながら夜空を仰ぐ。確かにそこには、満天の星空が広がっていた。
「……星を見ているとですね、なんだか自分の悩みがバカバカしくなってくるんですよね……」
「どういうこと?」
「私たちって、この星の下で生きているじゃないですか。こんな大きな空を見ていると、自分の悩みなんて、ちっぽけなものだなーって、そう思うんですよね――」
空か――なるほど、空は果てしなく広い。そういう考えも、あるということか。
「シンシアにも、悩みがあるのか?」
「……ええ、いろいろと。私は三姉妹の長女で、他にもふたり、妹がいるんです。同じマイトレの管理人なんですけど、大丈夫かどうか心配で……」
「……奇遇だな。私にも双子の妹が“いた”」
私は水筒に入れた水で喉を潤すと、そう答えた。『いる』とは答えない――答えられるわけがない。
「『いた』……ですか?」
「ああ……訳あって今は離れ離れだがな。だが、シンシアはできた女性だ。こんな女性の妹達なら、問題ないだろうな」
「え!? 褒めてくれたんですか!? あ、ありがとうございますっ!!」
言うが早いか、佇まいをなおしてペコリとお辞儀をする。
「……イヤ、そこまで律儀にしなくてもいいと思うのだが」
「あ……それも、そうですね。でも、リンさんが私を褒めてくれるなんてこと、滅多になかったですから……嬉しかったんです」
はにかみながら最後は小声で答えるシンシア。ホント、世の中は広い。蔑む人間もいれば、こうやって親身に接してくれる人間もいる。
「『井の中の蛙、大海を知らず』――か」
ふと、東方のことわざを思い出したように口から言葉が漏れる。私は井の中の蛙だ。ここにいると、それを実感する。世界は広い。この空のように果てしなく、どこまでも続いているのだろうか。
「? 何かいいました?」
「いや……なんでもない」
「そうですか……ところで、前から聞いてみたかったことがあるんですが……リンさんはもともとそういった風に会話されるのですか?」
「どういう、ことだ?」
シンシアが不思議そうにこちらを見ている。ウェーブがががった長髪の髪。桃色のショール。深緑の服装。大きな黒の瞳が、私を射抜くような視線で見ている。
「いえ……少し違和感を感じるんです。本当のリンさんは、もっと別の話し方をするような気がするんです。今のリンさんは、なんだか無理に他人を遠ざけているような感じがする……あ、でも、私の思い違いですよね……もともとそういう喋り方する人もいますしね――ごめんなさい、今のは忘れてください……」
「…………」
シンシアの声が、途中から私の耳を離れていった。ふと、これまでの自分の境遇を考えていた。そういえばシンシアには何も教えてはいない。ただの居候ということになっている。私の過去も、クエストに行かない理由も、本当のことは何も知らない。だが、彼女もいろんなハンターを見てきたのだろう。その眼力は、間違いなく人を見抜く力を持っている。
「……私は……かつて『バケモノ』と、そう、呼ばれていた。誰からも愛されず、誰からも認められず――ただ、生きているだけの生活だった。だから――他人に心を許すことが、怖いのかもしれない」
私はそう独りごちると、眼を伏せる。
「!! そう……だったんですか……」
「気にするな。ここではそういった視線で私を見るものはいない……」
「私は、あなたにとって……心を許せる友人には、なれないのですか?」
そういい、悲しげな顔でこちらを見るシンシア。
「わからない……ただ、シンシアといると、気持ちがやわらぐ感じがする」
「…………なんか、辛気臭くなっちゃいましたね!! そういえば、リンさんはここで太刀をふったり、ぼーっとしたりしていますが、何の練習をしているんですか?」
「太刀に必要な練気の練習をしている」
「あれ? でもリンさん、もう上位ですよね? また練気の練習をするんですか?」
「そうだ――厳密にはちょっと違う。教官も知らない氣の使い方だ。セラはそれを習得しろといってきた。練気は普通『赤』の色をしているが、私にはあと『黄』と『碧』の氣を習得しなければいけない。その糸口がどうしてもつかめなくてな……悩んでいるのだ」
「『きいろ』と『みどり』……ですか……」
「ああ。練気はイメージによって氣を練りだす。ただ、私の中のイメージはこの空のように果てしなく黒い闇。だから、他の色のイメージがつかめないのだ……」
本当は海のようなイメージなのだが、今の私にはそれがなぜか連想できなかった。
「そうだったんですか……う~ん……私はハンターじゃないからあまりアドバイスは出来ませんが……黄色なら一つ、思い当たることがありますよ?」
そういうと、長椅子に腰掛けて夜空を見上げるシンシア。私は草の感触を確かめるように地面に座る。やはりこちらのほうが落ち着く。
「なんだ?」
「かつて――ここの施設に嵐がやってきたことがありました。土砂は崩れ、屋根は吹き飛び、木が飛んでいく……そんな大災害のような嵐でした。そのときに遠くから見えたんです――天から落ちてくる、雷が」
目を伏せながら、言葉を紡ぐ。かつての情景を頭の中に描いているのだろうか……
「雷……か……」
風。暴風雨。私にも経験があった。白木の国でも『台風』と呼ばれる強烈な嵐があった。雨が屋根を叩きつけ、風はうなり、ゴロゴロと雷は鳴る。まさに自然の脅威。雷――まてよ? そういえば、速さをたとえる言葉に『疾風迅雷』という単語がある。雷――迅きこと雷の如し――『迅雷』。風より速きもの。電光石火のように素早く……疾きこと、風の如し……
「『疾風迅雷』――そうか……!!」
「どうかしました?」
「シンシア――ありがとう」
言うや否や、私は弾かれたように立ち上がり、太刀を持って駆け出す。目指すは道なき岩山の壁の上、その頂点。練気で強化した竹刀を突き刺し、その反動で一気に上る。私は今まで、黄色のことばかり考えてきた。それは違うのだ。風林火山。全ては事象に直結する。氣とは事象のエネルギーを取り込む行為なのだ。そういえばセラも氣を練るときにこういう言葉で己に暗示のようなものをかけていた。それは……言霊。言葉に魂をこめ、練気を引き出す技術の一つだ。
――果てしなき空。青空に浮かぶ雲は風に流れるままに、あらゆるものをありのまま、受け入れる――
彼女のイメージは雲。私は海。そして、風林火山の意味。
――疾(はや)きこと【風】の如く、徐(しず)かなること【林】の如く、侵(おか)すこと【火】の如く、動かざること【山】の如し――
「風より疾きもの、雷。迅雷の如く、相手に攻め込む――それは、【電光石火】。事象の色は……『荒れ狂う黄』。動くこと……雷霆の如し!!」
太刀を正眼に構えてゆっくりと深呼吸。瞑想状態に入り、電光石火の雷をイメージする。暗雲立ち込める闇の中、ひとつの閃光があたりを照らす。それは落雷。頭の中でイメージする力が強くなるにつれて落雷の本数がどんどん増えてゆき、辺りはやがて雷鳴と暴風に包まれる。ヒュォォ――と風の舞う音がする。ゆっくり目を開けると、私の中心に風が渦巻いていた。そこにはバチリ、バチリと閃光が照らし、全身が薄いもやで覆われている。その色は雷の如き黄色。
「海より深きもの。紺碧の海、静謐なる海。全ての生命の原点――『静謐なる碧』」
次に浮かんだのは、密林で見たあの雄大な海。海の色は青色に見えるが、その色は青でもあり、緑でもある。私が想像するのは、青緑色の海だ。セラの瞳と同じ、エメラルドのような碧色の海。それをイメージする。深く、大きく、雄大に。どこまでも、果てしなく。すると、さっきまで荒れ狂うように吹いていた風が止み、まるで海の中にいるような感覚に襲われた。全身を覆うのは、静謐なる碧の氣。
「血より赤きもの。この身にながれる血潮、生命の奔流――『激流の紅』」
最後に浮かんだのは、教官に教わった練気の最初の過程、赤い氣だ。しかし、私は赤ではだめだ。血のような『紅』でなければならない。体中に流れる血潮、今度は自分の内側にイメージを映し、その流れる血液をイメージする。ドクン、ドクン、と心臓の鼓動が聞こえる。生きている鼓動。生命の律動。それを感じる。生きている喜びを、氣の色に変えて、一気に吹き出す!! 体中から放出されるのは、赤よりもさらに紅い、紅色の氣。
「――ハァ、ハァ……はぁ……はぁ……はぁぁぁぁぁ……」
ようやく見つけた三種類の色――だが、喜びに浸っている暇はなかった。息を吐ききった途端に全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。マズイ。氣を出しすぎたせいで集中力が切れかかっている……体がかしいでゆくのが分かる。このままでは……岩壁から落下してしまう……それだけは、避けなくては……重力に体が負けるその瞬間、咄嗟に体をかがめ、岩壁をゴロゴロと転がるように滑り降りる。地面にたどり着いたときは全身傷だらけだったが、落下するよりははるかにましだ。
「り……リンさん!? 大丈夫ですか?」
シンシアが慌てて駆け寄ってくる。その顔は心配に彩られている。
「――大丈夫だ……ちょっと……氣を……出しすぎた……すこし休めば、動けるようになる……」
見つけた――やっと見つけた三種の色。答えは意外とすぐ近くにあるものだ。まさか、己の内在する風景を描くことでその色を変化できるとは。きっかけをくれたシンシアには感謝しなくてはいけない。しかし、これで終わりではない。むしろここからが本番なのだ。今からこの三種の氣を組み合わせなければいけない。全く異なる、三種類の氣。これをいかにして組み合わせるか。次の課題はさらに難しくなりそうだ。
『第七幕』 ~凛~
《セラのマイハウスにて》
「ひょれで? ふぁんふゅのふぃはふとくでひたというわふぇね?」(それで? 三種の氣は習得できたというわけね?)
「貴様……私をコケにしているのか……」
「まぁまぁ、セラさんもたまには息抜きがしたいんですよ」
「コイツはだらしがないだけだ」
のほほんぐーたらマイペースと三拍子揃ったセラにいつもの如く凛が容赦ないツッコミを入れる。それをたしなめるシンシア。この三種の構図がもう当たり前の出来事と化していた。ふらりと帰ってきては食事を食べ、またふらりといなくなる。そんなペースでやっているのが凛にとっては我慢ならないのだろう。
「(もぐもぐ、ごっくん) それで? 次はどうするの? 次の修行にうつる? それとも息抜きに私とクエストでも回る?」
「いや……まだクエストはいい。ようやく三つの色が見つかったんだ、終点を見つけるまでは此処を出るつもりはない」
「そぉ~、がんばるわね~。ま、たまには肩の力抜いて、のほほんすることも大事よぉ~?」
「貴様は常時のほほんだらけだろうが。この女狐」
「あらあら、お褒めに預かり光栄だわぁ~~♪」
「褒めてない。莫迦か貴様は」
「ねぇシンシア、ちゃんと掃除するときに服着替えてる?」
「ええ、着替えてますよ。見た目通り、律儀な方で、掃除もぬかりありません」
「あららん、それは助かるわ~~♪ いやぁ~メイドができて、こうやっておいしいご飯も食べられる。うん、天国天国♪」
「このクソ女狐、人の苦労も知らないで……」
ぼぞっと愚痴をかます凛だが、本人は何処吹く風だ。まるで気にする様子も、悪びれた様子も一切無い。どこまでいっても、彼女はマイペースだった。
「リンさんのいないときにも、ちゃんと帰ってきてくださいよ? 一人でいるの、意外と寂しいんですから」
「そーね……シンシアにもめーわくかけちゃってるし、なるべく帰るように努力するわ」
「よろしくお願いしますね」
「あら凛、もう食べきったの?」
突然話題が自分からシンシアにそれたことで、これ幸いとばかりに立ち上がる凛。この茶番に飽きたのか、垂れ下がった髪の毛からは表情が見えないが、あきらかに不満な顔をしていると言うことがよくわかる。
「ああ……そうだ、何か問題でもあるのか?」
「ちょっとちょっと~、久々に帰ってきたんだからせっかくなんだし私の話も聞きなさいよぉ~」
「結・構・だ。お前が前回帰ってきたのは三日前だろうが。私はマイトレにいく」
「何しに?」
「星を見てくる」
即答で切り返すセラに、これまた即答で答える凛。
「ほぇ~~、意外と風情あることするのねぇ~~風光明媚ってやつ?」
「何が風光明媚だ……セラには一番縁遠い単語だそれは。むこうでもやっていた。習慣と言うやつだ。……あと女狐、お前は来るな。気が散る」
「ぶ~、凛のケチんぼ」
「ガキか貴様は」
ぶ~、と子供のように頬を膨らませ、威嚇するセラ。付き合ってられないとばかりに嘆息してそう答えると、鍛錬刀【初段】を持ってマイトレのある庭へと出て行く。彼女の姿が完全に消えたことを確認すると、セラはニコニコと童顔のような顔から一変し、落ち着いた口調でシンシアに向かって話しかける。
「どう? 凛の様子は? そろそろ半年経つけど、最初の時とちょっと雰囲気とか変わったかしら?」
セラが真面目な顔をしてシンシアに話しかける。ふざけた態度はとるが、それは道化を演じているだけだ。セラ自身の癖みたいなものである。こういう真面目な顔で問いただすときは、必ずその後に大事な話がまっている……付き合いの長いシンシアにとって、それは一種のサインのようなものだ。
「そうですね――」
ん~と人差し指を唇にあてがい、これまでの彼女の行動を思い出すように考え込むシンシア。
「リンさん、最初はすごくつっけんどんな対応をとることが多かったんです……でも、その態度に最近違和感を覚えるようになったんです」
「違和感?」
「ええ、なんていうか……わざと他人を遠ざけるような、そんなしゃべり方をするような気がして……思い切って聞いてみたんです。そしたら……リンさんが、どこか遠くを見るような目で、こう言ったんです……前髪は隠れてたので、表情までは分かりませんでしたけど……」
――私は……かつて『バケモノ』と、そう、呼ばれていた。誰からも愛されず、誰からも認められず、ただ、生きているだけの生活だった。だから、他人に心を許すことが、怖いのかもしれない――
「そういったリンさんの言葉は、とても寂しそうでした……私は事情を聞かされていないので何があったのかは分かりませんが……何か辛い過去があったんでしょうね……」
「そうね……ワケあってシンシアには話さなかったんだけど……そろそろ話しておいたほうがいいのかもね。でも偉いわ、何も言わずに彼女を引き取ってくれて。改めて礼を言わせて頂戴。あなたがそういう人だから、私も安心して出かけられるのよ」
「そんな……褒めたって何も出ませんよ」
「ふふ……そうね、貴女はおだてられるのに慣れてないものね――」
そういうと、近くの箱から秘蔵の酒である『黄金芋酒』を取り出し、器に注いで一口飲む。続いてシンシアも一口飲む。ふぅ、とため息をつくと、セラがどこか遠いところを見るように、独り言のように呟き始めた。
「あの子はね――地元の国では家族に捨てられ、殺されたことになっているのよ」
「!! どういう……ことですか!! 殺されたって、あの人は生きているじゃないですか!!」
いきなり彼女の口から明かされたのはとんでもない事実。殺された……その言葉に秘められた意味は決して小さくない。ここはハンターの集う街。死と常に隣り合わせの危険な世界だからだ。だが、安易に死を受け入れる人間など誰もいない。ましてや家族に捨てられるなんて、到底理解できるはずも無い。シンシアが叫ぶように反論するのも仕方の無いことだ。
「そうよ、それが事実。凛っていう名前もね、本当はウソ。あの子の名前は『スズハラ アヤ』。かつて東方の国にその名を知らしめたその筋では有名な一族でね、古いしきたりによって『間引かれた』人間なのよ。はるか昔、こっちでもそういった制度があったけど、今は人権という法律で守られているからそういうことはないわ。でもね……あの子は生まれてからずっと、操り人形として扱われてきたの。バケモノと呼ばれていたのも、それが理由……いや理由なんてものはないわね、その文化が彼女をそうしてしまった、としか言いようがない……」
そういうと、またお酒を注ぎ、一口含むように飲む。ふわりとアルコールの香りが部屋を漂う。その香りに酔うかのように、彼女の頬も高潮してきていた。
「そんな……では……リンさんは……」
「彼女は殺される寸前、運よく脱出してこっちの国へ命からがら逃げ延びたってワケよ。だから地元では彼女が殺されても誰もなんとも思わない。『誰からも愛されず、誰からも認められられなかった』からね」
「…………」
「きっと心のどこかで、温もりをほしがっているわ。あの娘には双子の妹がいたからね。それが彼女の精神をつなぎとめていた。でも、今は帰る場所も、持つべき家も、名前もない。本当に全てを捨てて、ここへきた。ただ生きるために。それでも彼女には目的がある。それを果たすためなら、どんなことだってやり遂げる。だからシンシア、私のかわりにあなたが見守ってほしいの。アナタの暖かな心は彼女の凍てついた心さえ溶かしてくれると、私は信じている。それにね、凛っていう名前は私にとっては『本当』の名前だと思ってる。あんなしきたりによって生み出された名前なんて、捨てて当然。呼ぶ必要も価値もないわ」
それはシンシアにとって、受け入れがたい現実。しかし、セラは嘘をついたり、脚色をするような人間ではない。彼女の本質はただ眼前の事実をありのままに受け入れること。そのことはシンシアもよく知っている。だからセラがそういうことは、本当にそういうことがあったのだ。だからこそ、その事実がシンシアには許せなかった。
「……リンさん、言ってました。自分には、双子の妹が『いた』って……自分が犠牲になって、妹を助けたってことなんですか?」
「違うわ……現実はもっと残酷。ある黒幕がいてね、そいつが『妹』に『姉』を殺させようとしむけたのよ」
「!! ……酷い」
「そう――非道いわ。はらわた煮えくり返るほど、酷い話よ――だからあの子を強くさせたいの。だから私は凛々しく、強くあるように『凛』という名前をつけた。あの娘の成長を願ってね」
そういうと、自嘲気味に笑うセラ。シンシアはその顔に奇妙な違和感を覚える。似つかわしくないのだ。いくらほろ酔いとはいえ、そんな笑い方をする人ではない。
「そのためにはね、私はヒールでなくてはいけないの。そうすることであの娘の闘争心を煽るのが私の仕事。だから、私のことは、気にしなくていいわ。わざわざあの娘の痛いところを突いて、怒らせちゃったのは誰でもない、私自身。だから、ああいう態度はされて当然。でも気にしてないわ。私はそうあるべきだと思ったからやっただけだし、意外と楽しいしね――」
「セラさんは、昔からウソが下手ですよね――本当は自分も、仲良くなりたいと思っているくせに……」
「あは♪ シンシアにはホント、かなわないわねー……そうね。本当は、私も臆病なのかもね~~」
シンシアはそういう点についてはとても厳しい。さっきからシンシアも酒に付き合って入るが、顔も赤くなっていなければ、酔った雰囲気すらみえない。
「分かりました、そのお役目、私が引き受けます。だからセラさんは、安心してクエストにいって来てください」
シンシアに彼女を任せるという彼女の本音。そして……本当は彼女と打ち解けたいと言う隠れた本心。気恥ずかしいのか、それとも彼女の気質がそうさせたくないのか……だが、そんなことも長い付き合いである彼女ならお見通しである。
セラは自分では言いにくいことがあるとこうやってお酒の力を借りて、彼女は私にしかできないことをお願いしているのだ。だから、これは私の役目。
「ええ、そうするわ。あ、さっきの話、誰にも言っちゃだめよ? トップシークレットのお話だからね♪ それじゃ、おやすみね……」
「知ってますよ――セラさんの言うこと、昔から言っちゃいけないほど危ない話ばかりじゃないですか……おやすみなさい……」
そういうと、凛が朝干したベッドの上に横になり、布団をかけて眠るセラ。酒のせいもあったのだろう、数分も経たないうちに寝息が聞こえてくる。そんな彼女を見つめながら、お酒を一口。その顔には、何か決意めいたものを感じられる強い意志の瞳がある。
「リンさん……私は、アナタとお友達になりたいです……一人になんて、させませんから……」
そう自分に言い聞かせ、決意を新たにするシンシア。黄金芋酒を元に戻し、机にたたんでおいた桃色のショールを首にふわりとまきつけると、彼女は夜の庭へと繰り出すのだった。
*** *** ***
《深夜・マイトレ》
「半年、か。――長いようで、短いようでもあったな」
半年。ここの半年は、ハンターライフの中でも大きな半年だったといえよう。何しろ、私の人生観をひっくり返すような出来事ばかりだった。『光あるところ影あり』というあのセラのセリフ。そして――
――あなたはケモノじゃないわ。意志を持った立派なニンゲンよ。そのこと、よーく覚えておきなさい――
「くそっ……!!」
あの一言がどうしても私の心に引っかかる。まるで見えない鎖でつながれた気分だ。吐き気がする。正論だ。だからこそ腹が立つ。
「忌々しい……あの一言さえなければ、私は何の躊躇もないと言うのに……」
双剣を禁止されたことはしょうがないとしても、この一言が鍛錬中に何度も何度もよみがえる。まるで自分の存在を全否定されたようなあの言い方。くそ……クソクソクソ……
「私は――バケモノだぞ――今更、人間なんていわれて……どうしろって言うのだ……」
そういい、草原に寝転がる。垂れた前髪をどけ、星空を眺める。白木の国でもよくこうやって、星を眺めていたものだ。目を閉じ、草木のなびく音を聞く。サーッ、と風が駆ける音。生命の息吹を感じる音。私は生きているのだと、実感できる。
「――眠れませんか??」
「……シンシアか」
闇夜に広がるやさしい声。目をつむっていても分かる。彼女だ。衣擦れの音で彼女が長椅子に座ったのだと理解する。
「――いい、星空ですね……私も、よくこうやって、星を見ます」
「私もだ――こうやって星を『視て』いると、とても気が落ち着く」
「体、冷えますよ??」
「大丈夫だ――クエストでは毎晩野宿が当たり前だからな」
「でも、ここの管理人は私です。私の言うことには、リンさんでも、従ってもらいますよ??」
「……シンシアと話していると、双子の妹を思い出すな……その頑固なところ、そっくりだ。きっと私が帰るまで、テコでも動かないのだろうな」
「え……どうしてわかったんですか?」
「そういう奴だったからな……」
「そうですか――はいこれ、私お手製のホットミルクです。よく眠れますよ? ここにおいておきますから、飲み終わったらリンさんの部屋に置いといたままにしてくださいね。明日片付けますから」
「すまない――馳走になるな」
「いえ……それでは私はこれで。あ、一つだけお願い、いいでしょうか?」
「なんだ? 私でできる範囲内であれば、なるべく努力はするが……」
「では、お言葉に甘えて。リンさん、もし、貴女が私を見て双子の妹みたいだとおっしゃってくださるなら――私を『その人』のように扱ってください。他人行儀に、なさらないで下さい」
「!!!」
言葉が、でない……シンシアからもらった、初めてのお願い。無碍にはできない……できないが……今の私には……その言葉が、とても……辛い……
「私は多くの人に支えられてここに居ます。ここに、“いる”んです。リンさんも、その一人です。だから今度は私がリンさんを、支えます。一人になんて、させませんから……それでは……おやすみなさい……」
そういうと、一人で帰っていった。
「シンシア……」
信じられない。私を支えてくれると、彼女はそう言ってくれた。こんな言葉をかけてくれたのは、過去にたった一人しか居ない。その人物が脳裏に浮かぶ。
「彩……私は、また、人に戻れるの? 戻っても、いいの……?」
私に対する問いに『アヤ』は答えない。ただ、笑っていた。物置で見せたあの時と同じ、やさしい微笑みで……
――姉さまなら、大丈夫――
そんな言葉を、聞いた気がした。
「彩……ごめんね……ありがとう……」
一つは、謝罪。彼女を守りきれなかった、後悔。
一つは、感謝。私を最後の最後まで人間として扱ってくれた、たった一人の妹。
「頂きます……」
誰にもいないマイトレで一人、私の声だけが響く。シンシアが、私のために入れてくれたミルクだ。それをゆっくり飲み干す。彼女の温もりが、心が、じんわりと伝わってくる。
「ごちそうさま、でした……」
コトリ、とカップを置く。不意に目頭が熱くなり、自然に湧き出る感情に身を任せた。それは――涙。頬に伝う一筋の涙は、私のすさみきった心を洗い流し、温もりで満たしてゆく。私は静かに泣いた。声を押し殺すように、顔を覆って、うずくまって泣いた。あふれる涙が止まらない。心が喜びに震える。胸が熱い。心が振るえ、体中がじんわりと暖かい。それでも、この爆発したような感情は止められない。草原で一人うずくまって、その姿を見られまいとするのが精一杯だった。
私はもう、妖(あや)じゃない。妖(あやかし)でもない。
「……っく、ひっく……」
私は、凛。
ただ一人の、凛。
私は――
「ぁぁぁぁ……」
私は、生きていて、いいんだ。
「………ああああああああああああ!!!!!」
それは、人生で初めての、嬉し涙だった――