「パパ、ゆーえんち面白かったね!」
人懐っこい笑みをした一人の女性が私の胸に抱きついてきた。
今年で28歳になる、一人娘の愛であった。
とても素直で優しい、自慢の娘だ。
目にいれても痛くないと思える程で、嫁に出す気も無い。ああ、一生無いと言っても過言ではないだろう。
「ああ、そうだね。愛は何が一番楽しかったんだい?」
「えっとね~……めりーごーらんど!」
彼女の返答がトリガーとなり、頭の中で情景が再生される。
たしか、その時私は我を忘れてカメラのシャッターをひたすら連写していた筈だ。
いやはや恥ずかしい。
妻に静止されていなければ、あのまま乗り込んでいたかもしれない。
まぁ、もしそうなったとしても娘が笑ってくれるのならそれはそれで本望なのだけれど。
「ジェットコースターはどうだった?」
「あれはこわいから、キライ」
「パパと一緒だったのにかい?」
「だって、楽しんでいたのはパパだけだったでしょ?」
「あっはは。そう言えばそうだったね。ごめんごめん」
おどけるように言った私に、娘は頬を膨らませて怒ってしまった。
「もう!」と可愛らしく悪態を吐くと、人差し指で額を小突いてくる。
「こんな事ならママとのりたかったなぁ」
「……」
「パパ?」
「……え? ああ、残念だけどそれは出来ないよ。なんたってママは身長が低いからね。制限に引っかかってしまうよ」
愛すべき彼女達は、私より一回りほど背が低い。
そもそも基準である私自体がそれほど高身長でないのだから、彼女達が単体でジェットコースターに乗れる道理は無いというわけだ。
「あー! そんな事言って! ママに報告しちゃうよ?」
「……」
「ちょっとパパ、聞いてるの?」
「きいてませーん」
「めっ! ちゃんとはんせーしなさい!」
眉を吊り上げて、上目遣いで私を見つめる娘は、お世辞にも凛々しいとは言えない。
きっと、口調が幼いのがその理由だ。
だが……まぁ、仕方が無い。
娘はまだ6つになったばかりなのだから。
え? なんだい、別に可笑しな事は言っていないさ。
今年で28歳になる娘は、十日前に6歳になった。それだけの事だ。
……あー、しまった。
そう言えば説明し忘れていた。
多重人格、というものぐらいは知っているだろう?
彼女がそれだ。
二年前、私たちの愛娘である愛は死んでしまった。
交通事故だった。
その後私と妻が悲しみまくるわけだが、そのあたりのくだりは割愛させてもらおう。
なにぶん長くなるし、人様に御見せてきるものではないから。
だから、大雑把に説明しようと思う。
私は泣いた。
妻は壊れた。
私が愛と再び邂逅したのは、それから数日後の事だ。
何日経ったかは覚えていないし、覚える意味も無いので日数は数えてはいないのだが、娘が生まれた。
お腹に……ではなく、頭に。
そりゃ、妊娠でないのだから当たり前なんだけれど。
ともかく、妻の身体に新たに生まれた自我は娘の愛だった。
多重人格というものは、人間が自身を守るために行う自己防衛によって生まれる。
行った先の病院で聞いたことだ。
年期のはいった髪型をした、禿げた医師は、気味が悪いくらいに懇切丁寧に説明してくれた。
正直な話、非常に申し訳ないが、ほとんど理解出来なかったし、全くと言っていいぐらいに頭に入らなかった。
混乱状態だったんだ、どうか私を責めないで欲しい。
私はメンタルが弱い人間だから、泣いてしまう。
さて、そんな感じでぼんやり話を聞いていた私だったのだが、最後の最後で現実に引き戻された。
医師が薬を勧めてきたのだ。
ああ、成る程ね。この野郎、だからあんなに下から話しかけてきたのか。
そう思った。
そして悟った。
薬とは、妻に宿った人格を消してしまう為のモノなのだ、と。
当然、丁重にお断りしたよ。
これでも私は父なのだ、娘を二度も殺すことなど出来る筈がない。
だから、私は愛する妻と愛しい娘と共に暮らすことにした。
「ママのご飯、食べたいか?」
「うん!」
「そうか……ごめんな、わるいパパで」
「……どうしたの? そんなことないよ」
娘と母親の話をすると、私はどうしようもなくなって泣きたくなる。
娘は、母親に会えない。
本当に残念だが、彼女達は二度と向き合うことが出来ない。
一生だ。
娘には、母が入院している、と話してある。
私は、どうしようも無い嘘つきだ。
だから、せめて、私はこの狂った家庭を社会から守ろう。
どんなに笑われようと、なじられようと、馬鹿にされようが哀れがられようがこの家族は私が守る。
それが私の愛し方。
「すまない、無理をさせてしまって」
この人は、本当に心が痛む顔をする。
少なくとも私は見ているだけで泣きそうになってしまう。
顔も見ていられない……それほどに痛々しい。
主人は、この人のことをどう思っているだろうか?
……いや、きっと何とも感じていない。
あの人は、私と愛のことしか見えていない。
あれほど仲の良い友人だったこの人のことも、覚えていないのだろう。
「あいつは、相変わらずなのか?」
「ええ」
「そうか……俺のせいだな」
「……」
私は敢えて彼を慰めるような事をしない。
そうすれば彼がもっと苦しんでしまうことがわかっているから。
忘れもしない、二年前のあの日。
雨。
トラック。
居眠り運転。
窓の外へ放り出されていくわが子。
冷たくなった赤いわが子。
私たち家族三人と彼を合わせた四人は、車で海に向かっていた。
その実、場所は何処でもよかったのだ。
友人の彼が車を買ったから、出かけることにした。
それだけの理由。
途中、パーキングエリアから出発する時、愛が助手席に座りたいとせがむものだから、私たちは渋々前の席にあの子を乗せて。
そして、死なせてしまった。
いつも夢に見る。
もし、あの時無理やりにでも後ろの席に乗せていれば、あの手を掴むことが出来ていたら、あの子は助かっただろうか?
そう思うと、大声を上げて泣きたくなる。
「お~い、愛どこだ~?」
夫が私を呼ぶ声が聞こえてきた。
いや……私ではない。
娘という姿を重ねた私を呼ぶ声だ。
「じゃあ、主人が呼んでいるから」
「本当に、ごめん」
そうして、さっきから地面を向きっぱなしの彼に背を向け、私は愛になった。
事故から十日たったあの日、夫は狂ってしまった。
いや、きっとあの娘を亡くしたあの日から壊れてしまったのだ。
『愛、今度こそ海に行こうな』
仏壇の前に座る私に夫が言ったその言葉が今でも忘れられない。
最初は、遺影の娘にそう言ったのかと思った。
次は、何かの悪い冗談かと思った。
『どうかしたか? どこか調子が悪いのか?』
けれど、夫は確かに私の目を見てそう言っていたのだ。
愛おし気に、愛らしげに私を見てそう言ったのだ。
その目は妻を見る目じゃなくて、娘を愛でる目。
『ううん、なんでもないよパパ』
だから、私は愛になろうと思った。
それで夫が救われるのなら、夫に愛されるのなら私は夫の娘になってみせる。
夫は、もうボロボロなのだ。
身体も心も既に朽ちかけている。
それなのに私はどうすることも出来ない。
それがもどかしくて、情けない。
精神科の先生は、毎日精神安定剤を夫に飲ませるように言った。
あの人はその薬を受け取らなかったらしい。
それを聞いた時、嬉しさのあまり心が焼け爛れるかと思った。
そうだ、夫を支えることが出来るのは私だけなのだ。
私が、私だけが、私という女だけが、彼を救える事ができる。
そんな思いが、今の私を支えている。
「ねぇ、貴方。今度は私と一緒に遊園地に行きましょうね?」
夫が私というIと愛を愛するというのなら、私は髪の一本まで彼を愛し尽くそう。
誰が笑おうと、なじろうと、馬鹿にしようが軽蔑しようが夫は私が守る。
それが私の愛し方。
☆
どうも、いつもはチラ裏で書かせてもらっている私ですが、今回は思い切ってこちらに投稿させてもらいました。
どうでしたでしょうか?
普段はファンタジーを書いているので、なれない作業でしたが、楽しく書くことが出来ました。
いい感じに息抜きが出来たと思います。
私なんぞの作品を読んでいただき有難う御座いました。
では、また!(シュバッ