「ずび……フランがあんな事言うなんて、ずびずび……」「お嬢様、ハンカチです」「ん゛む゛っ……あ゛ーダメだわ。ちょっと時間を潰さないと霊夢に会えないわね」「では、どこかの茶屋で時間を潰しますか」「……それは本末転倒じゃ無いかしら。不特定多数に今の顔を見せるくらいなら、まだ霊夢の所に行ったほうがマシよ?」「軽く化粧をすれば問題無いかと。人里あたりの茶屋なら、お嬢様の顔を注意深く覗き込む命知らずもいないでしょう」「なるほど、それもそうね。なら私は人里にある喫茶店に行きたいわ。あそこのケーキ結構美味しかったし」「久遠様がお土産に持ってきたアレですね。分かりました」「くっくっく。今日は機嫌が良いから、その喫茶店の客共にも大盤振る舞いしてやろうじゃ無いの」「(目立たない方が良いのに目立とうするお嬢様素敵です。まぁそもそも、近付く度胸のある人間がいないと思いますが)」「じゃ、行きましょうか。霊夢の所にも早く行きたいしね」「了解しました。……ところでお嬢様、お屋敷の方なのですが」「その事なら心配は無用よ。あの鬼は信頼できないけど晶がついている、下手な事にはならないでしょう。パチェもいるしね」「いえその、そうではなくて現在進行形で何やら大変な感じに……」「初めての留守番だから、多少の不備は当然あるわよ。そこは笑顔で流してあげるのが大人というモノよ?」「……分かりました。笑顔で流します」「ふっふっふ、今日は実に良い日になりそうね」 幻想郷覚書 地霊の章・参拾陸「終日遅遅/すーぱーしすたーうぉーず・再生編」 命からがら逃げ出した僕を待っていたのは、妹同士による壮絶な弾幕ごっこだった。 おかしい、僕が離れる一瞬の間に時空の歪みでも発生したのだろうか。 たった数秒目を離した内に、二人の戦いは実に凄惨な結果を生み出していた。 具体的に言うと紅魔館の庭がほぼ半壊。幸運な事に屋敷への被害は少ないけれど、それも時間の問題と言った具合だ。「萃香しゃん、解説ぷりーず」「古明地妹が無意識で隠れたら、スカーレット妹が全方位無差別破壊行動に出た」 わぁ分かりやすい。そして最悪の展開だぁ。 僕と違ってフランちゃんには察知能力が無いから、確かに無意識ステルスをされたら対処法はそれしか無いだろう。 無差別かつ狂気に駆られた弾幕は、最早三百六十度全てを吹き飛ばさんばかりに荒れ狂っている。 しかしこいしちゃんもやはり只者では無い。まるで舞うように軽快な動きで、回避困難なはずの弾幕をスルスルとすり抜けていく。 と言うか、何で避けられるのさあのバカみたいに凄い弾幕を。 一番流れの激しい中心付近には近寄れないみたいだけど、こいしちゃんの居る所も相当な密度だ。僕なら多分ミンチになってる。「コイツは持久戦になりそうだね。避けきるか、当てられるか……」「萃香さんの見立てではどうなってます?」「スカーレット妹の方が若干優勢かな。古明地妹の回避は見事だけど、ありゃ一度避け損ねたら一気に崩れるよ」「その一度が起きそうにない感じですけどね、あの様子だと」「んー、そこまでは萃香ちゃんにも分からんなー。無意識で動く妖怪ってのは厄介だねぇ」 むしろほんのりでも認識出来ている萃香さんが凄いです。紫ねーさまですら、無意識状態のこいしちゃんには気付かなかったのに。 まぁ、紫ねーさまと萃香さんじゃこいしちゃんに対する知識が違うから、そもそも比べる事が間違いなんだろうけどね。 とは言え、この様子だと「ここらへんにこいしちゃんが居るかも」と言う前提はその萃香さんですら必須なのだろう。 さとりんが僕に、半こいしちゃん専用とも言えるサードアイを授けた理由が良く分かると言うモノだ。「つーかあんちゃん、妹二人がチミを取り合って戦ってるのにヤケに冷静だね」「人間はね、自分の許容量を超える出来事に遭遇すると逆に冷静になるものなのですよ萃香さん」「あー、なるほど」 戦闘状況からしてすでに凄惨だけど、二人の様相はさらに酷かった。 まずフランちゃん。今までの安定が嘘の様な狂いっぷりで、高笑いしながら弾幕をばら撒いている。 恐らく、本能的に理性でどうにかなる相手ではないと判断を下したのだろう。 間違ってないだけにタチが悪い。こいしちゃんが回避以上の行動に移れないのも、狂気に任せた攻撃が無意識の介入を許さないからだ。 狂気と無意識、互いの親和性は高いがズレも多い。 この状況はある意味、二つの違いが生み出したと言っても過言では無いだろう。 そしてこいしちゃんの方だが――こちらはある意味で安定しているフランちゃんと違って、少しばかり不安定だった。 そもそも僕はこいしちゃんの戦ってる所を見た事が無いのだけど、今までの動きを見ていれば何となく察しはつく。 無意識に任せた攻撃と回避。相手は戦っている相手を見失い、意図しない攻撃が直撃する体験をする。 場合によっては死角を‘作らせる’事も可能かもしれない。とにかく、こいしちゃんは能力をフルに活用した戦法を得意としているのだろう。 はっきり言って反則に近い戦い方だ。対処法も、不意打ちに耐えるか無意識ステルスを看破出来るようになるかの二つしか無い。 だけどそれなのに、こいしちゃんは半ば防戦一方の状態に追い込まれている。 ただの狂気と能力として操れる無意識ならば、明らかに後者の方が優勢なのに、だ。 もちろん性格と言うか、方向性の違いというのもあるのだろう。こいしちゃんはどちらかと言うと防御側に力を割り振ってそうだし。 しかしソレを差し引いて考えても、今のこいしちゃんは満足に能力を扱いきれていない感じがする。恐らくその原因は――「感情、なんだろうなぁ」 こいしちゃんをこの勝負に駆り立てた激情、それが彼女の『無意識』をブレさせるのだ。 フランちゃんの場合は、全て狂気に変換されているから良いが――いや教育係としては全然良くないけどね! 後でフォローが大変だよ!! 彼女の場合は、それが能力を妨害するノイズになってしまっている。 まぁ、考えてみると当然の話である。フランちゃんを意識している現状で、完全なる無意識状態になんてなれるはずがない。 むしろこれだけ不利な状況で、それでも完璧な回避を行えている事が奇跡である。凄いねこいしちゃん。「……これは、意外と早く‘一度’が来ちゃうかもしれないね」「だね。どうやら本人も結構焦ってるみたいだよ。――動きが大分見えてきた」 常時見えっぱなしなせいで逆に良く分からないのだけど、こいしちゃんの動きからは徐々に無意識が抜け始めているらしい。 確かに、気のせいでなければこいしちゃんの位置がさっきより遠ざかっている気がする。 そしてそれとは逆に、テンションが上がったのかフランちゃんの弾幕の勢いはドンドン増していっている。 ふむ、これはマズいかもなぁ。「二人が消耗するだけ消耗した所に介入して、勝敗を有耶無耶にした上に説教かまして監督不行届を誤魔化そうという僕の作戦が……」「黒ぇ、真っ黒だよあんちゃん」「何もかもが不足している人の身、手段を選んでなどいられないのだ!」「やだ……どう考えても言い訳なのに無駄にカッコイイ……」 いや、わりと冗談じゃなくてね? 僕の力量だと、損害を未然に防ぐのはどうやっても不可能なんですよ。 と言うかもう色々と手遅れだしさ。ならもう、一番効率の良い止め方に走るのも致し方ないと思いませんか? 失敗したけど。「けどさ。真面目な話、もう様子見してる場合じゃ無いっぽいよ? そういう決着がお望みなら止めないけど」「僕もそういう決着は避けたいので、消耗はしてないけど介入しようかなと思っている所存です」 お互いが激情に駆られたまま、どちらかを再起不能にするまで戦う。と言うのはマズい。仮に再起可能でも遺恨が残りすぎる。 しかもこの場合、再起不能にされてしまうのは間違いなくこいしちゃんだ。 別にフランちゃんなら良いと言うワケでは無いけど――こっちの方が、色々と根が深そうだからなぁ。 それを有耶無耶にしない為にも、ここは両成敗で済まさないと。ふふん、まだ僕は二人が仲良くなるのを諦めたワケじゃ無いのですよ?〈よっしゃ! ならここは魅魔様の出番だね!!〉 待機で。〈うぉいコラァ! さすがの魅魔様も、この粗雑な扱いに対する怒りで悪霊の本分に目覚めんぞっ!!〉 重砲撃広域殲滅型の靈異面を、喧嘩の仲裁になんぞ使えるワケがねーでしょうが。 そんな燃え盛った炎をダイナマイトで鎮火する様な真似、今この状況で出来るワケがない。 と言うワケで、出番は無いので寝ててください魅魔様。今度気が向いたら身体貸してあげますんで。〈絶対だぞー。魅魔様その時の為に超パワー貯めてやるからなー。とりあえず寝てやるけど、別に少年に言われたからじゃないんだからねー〉 ついにツンデレのテンプレ台詞まで使い出した魅魔様が黙ったのを確認して、僕は萃香さんに視線を向けた。 今の所、彼女は積極的に手出しをするつもりは無さそうだ。腕を組んだ姿勢で何をするでもなく二人の事実上殺し合いを眺めている。 僕に義理立てしてるのか単純に興味がないのか……多分前者だろう、露骨にウズウズしてるし。 そういう鬼っぽい義理堅さは嫌いじゃ無いけれど、非干渉でいられるのは正直困る。僕一人ではマジどうしようも無いのです。「萃香さん、ちょっと確認」「なんだい?」「萃香さんの能力って、何かを集めるとかそんな感じの代物なんですよね」「お、私の言葉をちゃんと拾ってたワケだ。偉い偉い」「はい。それと華蝶仮面という超カッコイイ謎のヒーローからヒントを貰いまして」「超カッコイイ謎のヒーローが教えてくれたんなら仕方ないね。それで?」「集める事が出来るなら、散らす事も出来ますよね」 そう言って、僕は現在進行形で激化しているフランちゃんの弾幕を指差した。 鎧の即死キャンセルが残っていれば、多少の損害も無視して突撃出来たんだけどなぁ。 機能復活待ちの今となっては、何とかしないと何も始められない状態だ。 アブソリュートゼロを使えば活路は開けるけど……敵として認識されると泥仕合になってしまう。スピード重視で何とかしないと。 そんなこちらの目論見を察したのか、萃香さんはニヤリと笑って親指を立てた。「お望みなら、あの弾幕をバラバラにしてあげるけど?」「そこまでしなくて良いです。ただ、僕がスペルカードを使う前にちょっと隙間を広げて貰えれば」「おお、凄い自信だね。それだけの勝算があるって事かい」「単に思いっきりバラバラにされる方がやりにくくなるだけです。勝算はあっても、自信は常に無いですよ僕!!」「あんちゃんってば超カッコイイ! ダメ男好きの女達が放っておかないよ!!」 頷いても否定してもダメな気がするので、萃香さんのフリは聞かなかった事にしておきますね。これ以上の火種は要りません。 僕はまだ場が硬直している事を軽く確認して、何気に久しぶりな最速の面変化を使用した。「と言うワケで―――――天狗面『鴉』! 萃香サン、後ヨロシクお願いしマス!!」 スペカを掲げた僕は、萃香さんに再度お願いをして飛び出した。 使うべきは、一瞬にして情勢を決する事の出来る時間操作のスペルカード! ついでだから、咲夜さん相手以外ならどれだけ有効なのかも見せてやろうじゃないか!! リベンジ! ―――――――神速「オーバードライブ・クロウ」 宣誓と共に、時間がゆっくりと流れ出す。 ほぼ止まった状態の弾幕には、こちらの指示した通り僅かな隙間が出来ていた。 これなら、風を纏って強引に突破する事が可能だろう。 先端を窄めドリル状にした風で全身を覆った僕は、弾同士の隙間に先を差し込む形でフランちゃんへ突貫した。 弾幕は風に乗り外へ外へと拡散していく。時間遅延でほぼ止まっている状況なので、流れに乗せてしまえば軌道を外すのは簡単だ。 フランちゃんの眼前に辿りついた僕は、そのまま背後へと回り込み後ろ襟に指を引っ掛けて服の隙間を作る。 あ、えっちぃ意味は無いですよ。フランちゃんのうなじに興奮するほど人間終わってないです。 僕は氷扇の先っちょを折って小さな氷塊を作ると、出来上がった隙間にそれを放り込んだ。 下らない悪戯だと言う事なかれ、戦闘モードに切り替わってる相手には、下手な攻撃よりこっちの方が遥かに有効なのですよ。多分。 拳骨とかの物理的制裁だと、戦闘中のダメージとして処理される恐れがあるからなぁ。 大事なのは、如何にして素に戻らせるかなのですよ。まぁ、リアクション待ってる時間は無いんだけど。 僕はさっき空けた弾幕の穴から飛び出し、今度はこいしちゃんの背後に移動してその背中に氷を放り込む。 これで勝負への介入は終了だ。僕は丁度二人の中間点になる場所に陣取り、無駄にスタイリッシュなポーズを決める。「ザ・ワールド――時は動き出しマス」 いや、そもそも時間止まってないけどね。 それにしても時間遅延、まさかここまでエグいとは思わなかった。 高速移動と組み合わせると、フランちゃんクラスの実力者でも僕に反応できないらしい。 若干遅れてスペルブレイクすると、ようやく背中の氷に気付いた二人が可愛らしい悲鳴をほぼ同時に上げた。「ひゃぅん!?」「きゃぁ!?」 なまじっか戦闘時と平時に差があるせいで、軽いキッカケでも二人には効果抜群だった。 あっという間に正気に戻された二人は、真ん中に立っている僕へ戸惑いの視線を送ってくる。 とりあえず天狗面状態だと言葉に変なフィルターがかかるので、僕は面変化を解除しつつ二人に向かって両手を突き出した。 「そこまでだ二人共! これ以上の無駄な争いは、兄として僕が許しませんよ!!」「むぅ、お兄ちゃんどいて! ソイツ壊せない!!」「それはネタですか――じゃなくてダメだよ! 遊びで暴れるのは良いけど、本気の殺し合いは認めません!!」「その二つの違いってあるの?」「事故死ならまだフォロー出来ます」「……あんちゃん、さすがにそれは洒落にならない気が」「嘘嘘。遺恨の残る喧嘩をして欲しくないだけです」 悪意をぶつけ合う勝負は、勝っても負けてもロクな事にならないからなぁ。 未遂だったりやらかしたりで何度も経験してますので、そこらへんの後味の悪さは良く知ってますとも。自慢にならないけど。「お互い気に食わない所はあるのかもしれないけど、喧嘩するなら後腐れの無い様にやりなさい!」「喧嘩するなとは言わないんだね」「息するな、って言うようなモノですからね」 さすがの僕も、そこらへんの線引きは出来ているつもりです。 そんな僕の言葉に、フランちゃんは不満そうだけど反論するつもりは無い様だ。 うんうん、分かってくれたなら良いんだよ。殺しちゃうのはダメです、ボコボコにするのはオッケー。「こいしちゃんも、いいね? 君の為にもフランちゃんの為にも、殺し合いは――」 振り返った僕の眼前に迫っていたのは、一発の弾丸だった。 反応するには近すぎる一撃は、抵抗の余地もなく僕の顔面に直撃した。「げっふぅ!?」「お、お兄ちゃん!?」 見事に引っ繰り返った僕を心配して、フランちゃんが駆け寄ってきた。 とは言えこのくらいで何とかなるほど柔な僕じゃない。軽く体を起こして、僕はフランちゃんに無事を伝える。 そんな僕に対して、攻撃をしてきたこいしちゃんは自身に湧いた感情を全てぶつけて来るような視線で睨みつけてきた。 ただその内容は、怒りよりもむしろ遣る瀬無さとか戸惑いとかの割合が強いように思える。 ……えーっと、どういう事なんでせう? 事情を全く理解出来ていない僕達を他所に、こいしちゃんは踵を返して紅魔館から出て行くのだった。 ―――良く分からないけど、ひょっとしてコレは地雷を踏んじゃったのかなぁ?