「はっ!? 今、私の姉レーダーにびびっと反応がありましたよ!」「そう。なら貴女の紅茶に砂糖入れておくわよ」「あ、すいませんねー……って、少しは反応してくださいよ! あと砂糖入れ過ぎです!!」「貴女がするその手の話は聞きたくないのよ。聞いているだけで頭痛がしてくるから」「晶さんがピンチなんですよ!?」「いつもの事じゃない」「無茶をやらかしているかもしれないんですよ!?」「毎度の事じゃない」「……何でそんなに冷静なんですか」「貴女がトチ狂って晶の所に飛んで行かないって事は、その程度の危機って事なんでしょう」「人を危険度把握のバロメーター代わりに使わないでくださいよぉ。えへへ」「嬉しそうで何よりだわー」「うわっ、ちょっと幽香さん!? もう十杯以上砂糖入れてませんか!?」「今の私の気持ちよ」「意味が分かりませんよ……うわぁ、解け残っちゃってますし」幻想郷覚書 地霊の章・玖「爆天赤地/黒猫とタンゴ」 パルスィの問題を解決した僕は、改めてお燐ちゃんと相対した。 軽いステップを踏みながら、徐々に徐々に彼女から距離を取っていく。 ……一応言っておくが、本格的に戦うのを諦めて逃げる方向性にシフトしたワケでは無い。 さすがの僕も、最初のスペカに挑戦しないで逃げ出す真似は致しませんよー。多分。 要するに、相手の行動に対応しやすくするため遠距離に逃げたのである。 うん、まぁ消極的対応だから結局は逃げなんだけどね。やっぱ相手の事がさっぱり分からないのは辛いです。 「それでお姉さん、先手はどうするんだい?」「色々と企む事があるので、そちらにお譲り致しますとも」 身体を上下させながら、不敵そうに見える笑顔で僕はお燐ちゃんに先を譲った。 企んでいるだけで何も思いついていないのはもちろん秘密だ。実の所コレは、完全にノープランな後手である。 せめて油断してくれたなら、その隙をつく事も出来たんだけどなぁ。 態度は軽いが、お燐ちゃんの瞳に嘲りの色は含まれていない。 旧地獄の奥までやってこれたなら、人間だろうと油断は出来ない――とか思っているんだろうか。なんて慎重な妖怪なんだ畜生。「それじゃあ遠慮無くやらせて貰おうかな! 行くよっ!!」 ―――――――猫符「怨霊猫乱歩」 お燐ちゃんが左右に跳びはねながら、放射状にクナイ型の弾幕をばら撒いていく。 ある程度広がった所で動きを止めた弾幕の花達は、数がそろった所で一斉に拡散を始めた。 うわぁ、また面倒なスペルカードを。 頑張って避けてみようかと思ったがコレは無理。僕の技量じゃ絶対当たる。 普通の攻略を諦めた僕は、お燐ちゃんに向かって真っ直ぐ駆け出した。 襲い来る無数の弾幕。嵐の様な弾丸をかき分けるように、僕はスペルカードを発動する。 ―――――――零符「アブソリュートゼロ」 蒼い閃光が奔り、弾幕を数珠繋ぎ状に凍らせていく。 目の前に障害が無くなった事を確認した僕は、足鎧の気を増幅してさらに加速した。 無力化した弾幕を強引に突っ切ると、肉薄した僕はお燐ちゃんに向かって拳を突き放つ。「――おおっ!?」「チョッピングライト・HPフィスト!!」 別に打ち下ろす必要も右ストレートである必要もないのだけど、何となくノリで軽く跳び上がり腕を振り下ろす僕。 それなりに不意を突いた奇襲攻撃ではあったが、当然この程度で当たってくれるほど幻想郷の妖怪は甘くない。 弾幕を凍らされた事実に驚きながらも、軽快な動きでお燐ちゃんは僕の攻撃を回避する。 そして避けられると、前傾姿勢になっていた僕は右腕から地面に落ちていくワケで。 無駄に全力を込めた僕の一撃は、突き刺さると同時に大地を粉砕し一瞬で半径十数メートルの平地を岩場へと変えてしまった。「ぺっぺっぺっ。うぐぅ、土が口の中に入っちゃったよ」「……ごめん、今更だけど確認させてくれないかい。お姉さんって人間なんだよね?」「失敬な、正真正銘の人間ですってば。むしろ僕ほど平凡なバックボーンで生まれ育った人間はいませんよ?」 だからこそ厄介だとも言われましたけどね! まぁ、些細な問題ですともよ。そういう事にしておいてください。 そんな僕の言葉に、全力で疑わしげな視線を向けてくるお燐ちゃん……とパルスィ。 実際問題胡散臭い台詞だったからそう言う態度を取られても仕方が無いけど、ちょっと釈然としない。「妬ましいわ。私普通ですってその態度が実に妬ましいわ」「いや普通でしょう。幻想郷では僕くらいの人間なんて」「お姉さんの普通ってハードル高いんだねぇ……」「そんなしみじみと言われても困るんですが。とりあえず、弾幕ごっこを続行してもよろしいですかね」「ああ、構わないよ。ただしこれからはお姉さんの事を人間として扱わない。私以上の妖怪だと思って当たらせてもらう」 うわぁ、どうやら最終的に一番落ち着いて欲しくない所に落ち着かれてしまったようだ。 お燐ちゃんは大きく深呼吸をして、より注意深くこちらの様子を窺ってきた。 姉弟子みたいに警戒が過多だったら対処も楽なんだけどねぇ。……そこまで上手くはいかないか。 溜め息混じりに頭をかきながら、僕は次の手を必死に考え始めた。 さてどうしたもんか。全うな弾幕勝負で戦い続けても、多分勝ち目は無いだろうしなぁ。 何とか場をかき回して、こちらに有利な状況を作り出さないと――ふむ。「『場をかき回す』か。……よしっ」 ふとある事を思いついた僕は、砕けた大地にそっと手を触れた。 精神を集中して冷気をため込むと、気でソレを強化して一気に放出していく。 大地をかき分け、高さも太さも違う無数の氷柱が隆起する。 さらに隆起した氷柱同士は横から突き出た氷の枝で繋がっていき、僕とお燐ちゃんを囲う歪なジャングルジムを構築した。「ふっふっふ、これぞ名付けて『密氷檻』! 貴様はすでに籠の中の鳥だお燐ちゃん!!」「いや、あたいは猫だよお姉さん」「ぶっちゃけ、猫に相応しい入れ物が思いつきませんでした」 一応『アイシクル・シュレディンガーの猫』ってネタも考えたんだけど、そもそも外から丸見えだしねこの空間。 鳥籠以外に表現方法が無かったので、猫じゃない事は大目に見てもらいたい。 「ちなみに名前に深い意味は無い! と言うわけで覚悟!!」「言うだけ言っといて無いんだ――ってうわっと!」 宣誓と共に跳び上がり、氷枝の上に着地する。 そこらじゅう障害物だらけで地面もデコボコな今の状態じゃ、さっきみたいに軽快な動きは難しいだろう。 つまり、今こそが逆転のチャンス! 僕は枝を支えにして、お燐ちゃんに向かって駆けた。ぶつかった。「あべふっ!?」「……何でお姉さんが、いの一番に自分の作った仕掛けに引っ掛かるのかね」「適当に作り過ぎて、檻の構造を把握するのを忘れてまひた。いたた……」「もうなんか、一周回ってそのドジっぷりが妬ましくなってきたわ。妬ましい妬ましい」 やったのは自分だけど、これは思った以上にややこしいぞ。 縦横無尽に氷の柱が繋がっているせいで、ぱっと見どこに何があるのか把握し辛い。 あ、でも気で強化してあるから魔眼で分かるのか。今更だけど気が付いた。 僕は魔眼の力を全開にして、改めて氷の檻の全容を確認する。 ふーむ、適当にやったせいで障害物だらけだなぁ。分かっていれば避けられない事は無いけど、移動速度は落ちるかも。 つまりこれ、僕にとってもメリットが無いんじゃ……。 あんまりよろしくない結論が出かけた所で、僕は頭を振ってお燐ちゃんに視線を向ける。 彼女の位置と氷柱の位置を確かめると、冷気と気を込めて大地を踏みしめた。「必殺! 不意打ちアイススパイク!!」「うわっと!?」「ふっふっふ。三百六十度全方位から襲いかかる氷の針、お燐ちゃんに避けれるかな!?」「なるほど、この檻はその為の下準備だったワケかい。やるねぇお姉さん」「……その割には、無意味に移動して間抜けに頭を打っていたわね」「そこはまぁ、気にしない方向性で」 ぶっちゃけると、やってからこの戦法が有用な事に気付いた次第です。 けどそうなんだよね。すでに下地は出来てるから、攻撃がほぼノータイムで出来るんだよねこの檻。 しかも、攻撃で出した氷の針からも次の攻撃が出せると言う便利っぷり。 咄嗟に思いついた出オチ気味の技にしては、意外と使える技かもしれない。決め手にはならないだろうけど。「とにかく! どんどん行くよ、お燐ちゃん!!」 近くの氷柱に手を触れ、今度は複数の針をお燐ちゃんに向けて放っていく。 軽い身のこなしで彼女はそれらを避けていくものの、全方位からの攻撃を裁き切るのは難しいようだ。 業を煮やしたお燐ちゃんは、弾幕を放って氷針を破壊しにかかった。 だけど甘い。さすがに全部は無理だったけど、お燐ちゃんの周りにある氷は他よりも強めに強化済みですよ。 お燐ちゃんが放ったクナイ型の弾丸は、残念ながらその全てが弾かれてしまった。……無事弾けてホッとしたのは秘密だ。 そして攻勢が失敗に終われば、お燐ちゃんは隙だらけな姿勢をこちらに曝す事となる。 僕は一際大きく冷気を送り込んで、彼女を挟み込む巨大な氷柱を二つ作りだした。「隙あり! 喰らへ必殺『アイシクル・アクションゲーだと即死扱いになるプレス攻撃』!!」「さっきからちっとも必殺じゃ無い上に、無駄に名前だけ長くて妬ましいわ……」 そこらへんは基本ノリなんで、深く考えずにスルーしてください。 そんな事を言っている間にも二つの氷柱は、左右からお燐ちゃんを挟み込まんと襲いかかっていく。 今の彼女の態勢だと、さすがに回避は難しいだろう。 ――等と考えていたら、お燐ちゃんは物凄い意外な方法で攻撃を回避した。「わっとぉ! お姉さん本格的に無茶苦茶するねぇ。……お姉さん?」「うわ、うわぁ! 見た見たパルスィ!? 今猫に変化して回避したよ!? しかも猫又!!」「何でそんなに嬉しそうなのよ。意味が分からないけど妬ましいわ」 いや、これはテンションが上がっても仕方が無いでしょう。 幻想郷に来てかなりの時間が経ったけど、非人型の妖怪とはほとんど出会えていなかったのだ。 例え人型とのコンパーチブルだったとしても、モロな猫又を見れて嬉しくないはずがない。 あぁくそ、デジカメ持ってくれば良かった。電池が怪しくなってきたからバッグに詰めっぱなしだったのを後悔するハメになるとは。 しかも興奮している間に、お燐ちゃんは態勢を整えて人型にもどっちゃうし。チッ、色々と残念。「ぶーぶー、しばらくは猫のままで良いじゃないですか。妬ましー」「私のアイデンティティを取らないでよ妬ましい」「あー、お姉さんって実は猫好き?」「どちらかと言うと妖怪好きですね。たまーに幻想郷中の妖怪が見るもおぞましい姿になってたら良いのになーって思う事がある程度に」「好きの度合いが良く分からないわよ妬ましい」「まぁ、すぐに思い直す程度の希望ではありますがね」「ますます意味が分からないわよ妬ましい」「あたいも良く分からないけど、お姉さんが余裕綽々なのは理解できたよ。――場を支配して、もう勝った気でいるみたいだねお姉さん」 いえ、素ですよ? 余裕があろうが無かろうが、僕は毎度毎度こんな感じです。 余裕がある時なんてなかなか無いけど。……滅多に無いけど。…………あったかなぁ? ともかく、僕の呑気な態度はお燐ちゃんの目にそう映ってしまったらしい。 彼女は今まで浮かべていたフレンドリーな笑みを止めると、二枚目のスペルカードを発動した。 ―――――――呪精「怨霊憑依妖精」 お燐ちゃんの宣言と同時に、無数の妖精達が姿を現した。 んー、妖精……なのかなぁ? 自分で言っといてなんだけど、お燐ちゃんが従える妖精達は何だか普通の妖精と違う感じがする。 印象的には、むしろ怨霊に近しい様な違う様な。大変興味深い存在だけど、残念ながら追及している余裕は無さそうだ。「立場逆転だね。今度は、お姉さんが逃げ惑う番だよ!」 妖精達はお燐ちゃんの指示に従い、氷檻の中でそれぞれ弾幕をばら撒き始めた。 本来は妖精同士で弾幕を噛み合わせ難易度を高めているのであろう弾丸は、乱立する氷柱の隙間を縫って広がっていく。 上手い手だ。どうやらお燐ちゃんは、氷檻を破壊ではなく利用する事にしたらしい。 こうなってくると、動きが制限されている僕のやれる事は限られてくる。 まず、回避は諦めた方が良いだろう。アブソリュートゼロも、この状態で使うと氷の中に閉じ込められるから却下だ。 神剣はそもそも使えないし、即死無効化は相変わらず使用不能だから頼れない。 ク・ホルンの牙はチャージしている余裕が無くて、マスタースパークはちょっとばかり威力不足。 となると残るは――『幻想世界の静止する日』かぁ。 いやまぁ、あの子だって僕のつくったスペカなんだし、いい加減ハブにするのもどうかと思うんですけどね? ……広範囲高威力過ぎて、どうしても使用を躊躇ってしまうんだよなぁ。 視界内にお燐ちゃんが入っているのも躊躇の理由だ。せめて外れてくれていれば、威嚇射撃も出来たんだけどね。 うーむぅ、どうしたもんか。〈見てらんないねコイツは。しゃーない、ちょっとだけ力貸してやるか〉「……はぇ?」 それは、いったい誰の呟きだったのか。 突然頭の中に響いた声と共に、僕の身体は‘勝手に’スペルカードを提示していた。 ―――――――「幻想世界の静止する日」 光の帯が周囲を巡り、前方に巨大な光の塊を生み出す。 僕がその事に対し何か思うよりも先に、僕の身体はその塊を吐き出していた。 圧倒的な奔流は、無慈悲に地底の大地を抉っていく。――いや。 視界が完全にふさがっている為感覚でしか分からないが、今回の「幻想世界の静止する日」には‘隙間’がある。 丁度、お燐ちゃんの居た所を中心にして生まれた小さな穴。 どうやってかは知らないけれど、今の僕はこのスペカでも思い通りに相手を選別出来るようになったらしい。 やがて光は晴れていき、無残に抉れた大地の姿が曝されていく。 文字通り全てが抉り取られた奔流の跡地の中で、唯一お燐ちゃんの居た所だけが以前の姿を保っていた。 ……うわぁ、危なかったなぁ。お燐ちゃんもそうだけど、もうちょっと右にズレてたら地霊殿も消し飛ばす所だったよ。 僕は内心でホッとしながら、表面上は余裕の表情を維持して唖然とした彼女に話しかける。「で、まだ続けますか? 出来れば僕としては、この辺で降参して貰えるとありがたいのですが」「今のスペカは警告、って事かい」「解釈はお任せします。ただ……次はこれほど上手く除けられない事、一応教えておきますね」 何しろ、どうやって出来たのか未だに分からないのだ。 二度目も同じ真似が出来る保障はどこにもない。と言うか多分絶対に出来ない。 しかし悲しい事に、このまま戦い続けていたらその二度目は確実にやってきてしまうのである。 正直、直撃を受けたお燐ちゃんがどうなるのかはあんまり想像したくない。 最近は神剣と意思疎通出来たり真の能力を限定的だけど使えたりで大分成長していたから、行けると思ったんだけどなぁ。――やっぱこれは無理だ。 地獄のおどろおどろしさが怨霊達と一緒に消え失せた空間を見て、僕はこのスペカの凶悪さを再確認する。「……分かった、ここは大人しく負けておくよ。今のをぶつけられたらタダじゃ済まなそうだしね」「そう言って貰えると助かります。皮肉じゃ無くて、本気で」 お燐ちゃんの戦意が消えた事を確認して、ようやくホッと一息を吐き出した。 ほとんど挑発とイコールのお願いだったけど、彼女はそれに乗ってまで戦いを続ける気は無かったようだ。 ひょっとしたら、こっちの内心の焦りを察してくれたのかもしれないけど……まぁ、どちらにせよ助かったから良しって事で。「いやぁ、これで安心して地霊殿を案内して貰えますよ。えがったえがった」「そりゃあ良かったわね妬ましい。私は怒りでどうにかなってしまいそうよ妬ましい」「パルスィ、もうそういう語尾のキャラみたいだね。――って、どうしたのさ座り込んで」「何でも無いわよ、私に関わらないで」「そういうワケにもいかんでしょう。こんな所に座り込んでいたら、お尻汚れちゃいますよ?」 パルスィの手を掴み無理やり立たせる。と、彼女は腰砕けになってその場にへたり込んだ。 えーっと、これはひょっとして……。「そうよ貴方のスペカで腰を抜かしたのよ妬ましい! 笑いなさいよ笑えばいいじゃない一生呪ってやるわ妬ましい妬ましい!!」 そこまでは察していませんでしたけど、そうだったんですかパルスィさん。 半泣きになりながら、彼女は僕の右太腿を執拗に殴って来た。 そういえば、パルスィの立ち位置は「幻想世界の静止する日」の効果範囲少し隣だった気がする。 ダウングレード版の神剣ですらドン引きする程の迫力があった――僕は分かんないけど――らしいのだ、本家本元の酷さは当然それよりも上だろう。 それを間近で見てしまえば、そりゃーパルスィの腰だって抜けようモノですよ。 うんうん、仕方が無い仕方が無い。「だから馬鹿にしませんから、いい加減殴るのは止めて貰えませんか!?」「うるさい妬ましいぱるぱるぱるぱるぅ!!」「いたたたっ、可愛らしい鳴き声に反してわりと本格的なラッシュ!?」 結局この後数分間、パルスィが落ち着くまで右太腿への攻撃は続いたのでした。 ……一歩離れるだけでパンチが届かなくなる事には、もちろん気付きませんでしたよ。ええ。「はは、敵ってわりには仲が良いじゃないかお二人さん。妬けるねぇ」 尚、傍観者気取りのお燐ちゃんがその場から一歩も動かなかった事に関しては、面倒なので最後まで触れませんでした。かしこ。