「はぁ、はぁ、はぁ……ここまでくればもう平気、よね?」「分かんないけど、多分。それよりヤマメは大丈夫? 私重たくなかった?」「平気よ、火事場の馬鹿力って妖怪にもあるのね。キスメを抱えてあんなに早く走れるなんて思いもしなかったわ」「……あの人間達、何者なんだろう。地上の妖怪退治屋なのかな」「分からないし分かりたくもない。もう、あんな背筋の凍る思いはたくさんよ」「パルスィ、大丈夫かなぁ。やっぱり星熊の姐さんを呼んだ方が……」「今からじゃ間に合わないわよ。パルスィだって馬鹿じゃないんだし、危なくなったら逃げるでしょう」「でも、パルスィって意固地だよ?」「うぐっ……いやでも、旧都はちょっと遠過ぎるし――あれ?」「ん、どうしたの?」「気のせいかな。今、向こう側から土砂崩れみたいな音が聞こえてきた様な」「地獄から切り離されて結構時間が経ってるから、所々でガタが来てるのかもしれないねー」「そうなのかしら。何だか、物凄く嫌な予感がするんだけど……」幻想郷覚書 地霊の章・伍「爆天赤地/Hero’s drop out」「ちっ、抜かったわ」 舌打ちをしながら、私は緋想の剣を構える。 嫉妬に駆られた風祝が召還した津波は、私達全てを押し流さんと眼前にまで迫っていた。 今からでは、さすがの私もちょっと対応出来ないわね。 感情を煽られたとは言え、守矢の風祝の名は伊達では無いと言う事か。 正直に言おう。私ちょっと彼女の事舐めてた。 「仕方がないわね。――耐えるわよ!」「それしか無いかぁ。……うん、弾幕の波よかマシだと思っとこう」「え、は?」 緋想の剣を大地に突き立て、身体を地面に固定する。 あの水量だ。杜撰な壁で砂上の楼閣を築くより、流されない様に耐えた方がまだマシだろう。 我ながら随分と稚拙な対応だが、咄嗟の対処としては決して悪く無いと思う。 実際橋姫などは、呆然と津波を眺めているだけで何もしていない。 まぁ、晶の奴は同様の結論に達していたらしく、気で強化した氷剣を楔代わりに大地へと突き刺していたが。 知らなかったわぁ。考えが被るって、こんなにもムカつく事だったのね。 アイツ、津波に巻き込まれて死ねば良いのに。 「妬まし―――がぼぼぼぼぼ」 あ、早苗が呑まれた。 どうやら彼女は、本当に考え無しで力を使っていたらしい。 ふんぞり返っていた早苗は、真っ先に己の起こした津波に巻き込まれていた。 お手本の様な自爆だったわね。真似する気は起きないけど、感心だけはしておいてあげましょう。 ちなみにそのまま穴の方へ流されかけた早苗は、手前の小屋に引っかかり止まっている。 これが神に愛された風祝の実力か。本当に凄いわね彼女、真似する気は絶対に起きないけど。 ――さて、そうやって流れていく早苗の姿を見物している間に、私達も津波の中へ呑みこまれていった。 とは言えキツいのは呑まれる最初の瞬間だけで、一度潜り切ってしまえば耐えられないほど辛いと言うワケでも無い。 水の流れに押されながらも、とりあえずの安定を得た私はゆっくりと目を開いて他の様子を窺う。 晶は――問題無く耐えているか、チッ。この程度で何とかなるほど容易い相手じゃ無いのは知っているけど、やっぱり腹立つわね。 「~~~~~~~~~~~~っ!」 結局流されたのは、何もしていなかった橋姫だけだった。 多少の抵抗は出来ているようだが、それも所詮は一時しのぎ。 彼女は水流に押され、更なる地下へと通じる穴に向かって流されていく。 まぁ、自業自得と言うヤツだ。自分で撒いた種なのだから、甘んじて受け入れて貰おうじゃないか。 そう思って、私が流されていく橋姫の事を横目で眺めていると――同じくその姿を見ていた晶の奴が動いた。「―――――っ!!」「!?」 橋姫に向かって手を伸ばし、語りかける様に口を動かす。 唇の動きから察するに、晶はその手に掴まれと促しているのだろう。 さしもの橋姫もこの状況で意地を張る気は無いらしく、必死に晶へ向かって手を伸ばす……が、ギリギリの所で届かない。 そうこうしている間にも、二人の間隔はますます広がっていく。 その事に業を煮やしたらしい晶は、身を乗り出して橋姫の腕を掴んだ。 ――掴んだ結果、氷剣の方からは手を離してしまったが。「 」 あらまぁうっかりやっちゃった。みたいな顔で無駄に可愛らしく頭を叩く腋メイドと、絶望で顔を曇らせる橋姫。 同じ状況で正反対の反応をした両者は、そのまま二人仲良く地下に向かって流されていくのだった。 ちなみに、私の居た位置からではどう足掻いても助けられなかった事を一応釈明しておく。 助ける気などハナから無かったが、それはそれ。事実関係と言うのは明確にしておかないと後々面倒になるものなのである。「むにゃむにゃもうたべられ――はっ、ダメです私! 三日後、体重計の上で後悔する羽目になるのが目に見えてますよ!!」「……自分の寝言にツッコミを入れる人間を初めて見たわ」「はれ? てんししゃん?」 鬱憤が晴れたのか幸せそうに気絶していた早苗が、やけに実感のこもった叫びと共に目を覚ます。 寝起きの様に焦点の合わない視線で周囲を確認していた彼女は、己が一糸纏わぬ姿でいる事に気付くと慌てて自分の身体を抱きすくめた。 「な、ななな、何で私はすっぽんぽんなんですか!?」「濡れてたからよ」「ふにゃー!? 天子さんもすっぽんぽん!?」「アンタが濡らしたんでしょうが」「――そ、そうでしたー!? あわわわわ、私ったらなんて事を」 ようやく事態を呑みこめたのか、目を白黒させながら右往左往する早苗。 当分はロクな会話も出来そうにないので、私は焚火で乾かしている服の様子を確認する事にした。 うん、このくらい乾いたなら着ても問題無いでしょう。津波のせいで辺りの火種が全滅していた時には焦ったけど、さすがは私だ。何とかなった。 貴重な体験も出来た事だし、早苗に暴れた責任を取らせる事はしないであげましょうか。 私がそんな結論を出して頷いていると、顔面を蒼白にした早苗が今度はこちらに詰め寄ってくる。実に忙しない。「あ、晶君は!? 晶君はどうなりました!?」「落ちたわよ、あそこから」「きぃ、きぃやぁぁあっぁあああ!?」 最早自分が下着姿である事すら気にならないのか、早苗は慌ただしく穴の中を覗き込んで悲鳴を上げる。 それにしても早苗の下着、あれが外の世界の下着なのかしら。 あれだけ激しく動いているのにしっかり身体を固定している機能性といい、レースの入った白い簡素な意匠といい……悪くないわね。 幻想郷の下着とは段違いの性能だわ。外の世界のモノは何にせよ高い水準を誇っているって話は本当だったのね。 ふーむ……ちょっと欲しいわ。どうにかして手に入れられないかしら、早苗から幾つか譲って貰うとかして。 けど私、あの子と違って胸を抑える必要は無いのよね。凹凸の無い平面の一部を布で隠すって言うのは不格好だし、上の方は要らないか。 むしろその分、下の装飾を増やしたいわね。がーたーすとっきんぐ? だったかしら、アレ穿いてみたい。「ねぇ、その下着って幻想郷でも手に入るの?」「結構色んな所で手に入りますよ――って、今語るべきはそこじゃないでしょう!?」 何が不満なのか、また私に詰め寄ってくる早苗。……そろそろ鬱陶しくなってきたわね。 私はやれやれと肩を竦めると、早苗に乾いた巫女服を放り投げた。 彼女が布を頭に被されワタワタしている間に、私は手早く服を着て髪型を整える。 んむー、手櫛だとやっぱ限界があるわね。今後は化粧道具一式を常に持ち歩くよう心がけておきましょうか。「文句なら道中で聞くからさっさと着替えなさいよ。これ以上、私は休憩に時間を割きたく無いの」「いやいやいや、何で普通に進もうとしているんですか! 晶君が落ちたんですよ!?」「そうね」「そうねって……酷いですよ天子さん! いがみ合ってはいましたが、心底では晶君の事を信頼していると信じていましたのに!!」「津波で晶を押し流した貴女に、そんな事を言われてもね」「その節に関しましては、本当に申し訳ありませんとしか……」 普段は敵対しているが本心では――と言う話は良く聞くが、私は本心から晶が嫌いだし当然仲良くする気も一切無い。 そもそも晶だって、私と仲良くする気は無いだろう。 私達は親しくなるにはあまりにも違い過ぎて、拒絶し避けようとするにはあまりにも似過ぎているのだ。 今と違う関係になるには、もうどちらかが根っこの部分から変わるしかあるまい。 もちろん現時点では、私もアイツも変わる気はさらさら無いのだが。 実の所、今の私の態度にそう言った事情はほとんど関係無かったりする。何故なら――「そもそも貴女、あの晶がこの程度の事でどうにかなると本気で思っているの?」「はぁえ?」「私はアイツの事が嫌いだけど、それで相手の評価を違えるほど間抜けじゃないわ。少なくとも、晶の力だけは認めているのよ」「……晶君とおんなじ事言ってます」「認識は同じって事ね。久遠晶がこの程度でくたばる雑魚なら、私はそもそもアイツを敵視なんてしていないわ」 アイツとやり合った回数は数える程だが、それでもその数回で私は十二分に理解していた。 久遠晶は、全力を出すだけで容易に打倒できる様なつまらない男では無いと。 そんなアイツが、底の見えない穴に落ちたくらいで死ぬはずがない。これは希望的観測では無く純然たる事実だ。 今頃はまた小賢しい手を使って、ちゃっかり生き残っている事だろう。落ちる時に随分と余裕があったし。「晶君の事、良く分かってるんですね。うう、妬ましいです」「もうそれは良いわよ。それに、私が晶を理解しているのはあくまでアイツが宿敵だから。友情だの何だのは一切関係無いわ」「むぅ、宿敵の方が親友より相手の方を理解しているとかおかしいじゃないですか」「そうかしら? 相手を理解していると言う意味では、下手な友人より因縁深い宿敵の方が上だと思うわよ?」 友人なんて関係は、相手の全てを知ってなる様なモノでは無い。 性格的な相性さえ合えば、ロクに相手の事を知らなくても親友になれるはずだ。 そういう意味では、長きに渡る宿敵以上に相手を理解している関係は無いだろう。 まぁ、理解する事と歩み寄る事はイコールでは無いから、親友より宿敵の方が上だとは言わないけど。 ……そもそも相手の事をそこまで深く理解している宿敵関係って、つまりそれだけの間決着をつけられていない関係って事になるのよねぇ。 さすがにそれは勘弁してほしい。出来る事なら、そんな腐れ縁になる前に晶は始末しておきたいわ。 ――もう手遅れって気も、しないでもないんだけど。「とにかく、本当に危惧すべきなのは晶の安否じゃ無くて晶に先を越される事よ。ぐずぐずしている時間は無いわ!」「ああ、だからそんなに焦っていたんですか」 晶と言う人間の特性上、落ちた先で何かに巻き込まれている事はほぼ確実だ。 つまり私達がこうしてまごまごしている間にも、晶の身には何か面白おかしい事が起きているに違いない。 「そんな事、看過出来るはずがないでしょう! 行くわよ早苗!!」「ちょ、ちょっと待ってください。私、まだ服を着てないんですけど!?」「別に問題無いと思うけど、嫌ならとっとと着替えてきなさい。私は先に行ってるわよ」「天子さんは、ちょっと恥じらいを持った方が良いと思います!!」 どうやら早苗的には、今の姿は看過できない恥ずかしい格好であるらしい。 まったくもって情けない話だ。これだから、自分の身体に自信の無い輩はダメなのである。 芸術を疚しい目で見れる人間などいないのだから、下着姿だろうと素っ裸だろうと堂々としていればいいのだ。 まぁ、すでに着替えた私が言える台詞では無いのでしょうけどね。恥ずかしくないとはいえ、進んで裸体を晒す趣味も持ち合わせていないし。 なので私は渋々ながらも、彼女が着替え終わるのを待ってから穴の中へと飛び込んだ。「うっひゃぁぁぁぁ、とっても深いです! まるで地獄の底に通じているみたいですね!!」「……みたいじゃなくて、実際に通じているのよ。旧地獄だから」「なるほど、言われてみれば確かにそうです。さすがは天子さん!」 続いて飛び降りてきた早苗が、真下を覗き込んで至極真面目に惚けた事を口にした。 この子も、たまーにおかしな事を言い出すのよね。さすがは晶の親友。 しかし、そういう例えを持ち出した心情は分からないでもない。 穴を下っていく事に暗く冷たくなっていく空気。その中に混じった‘瘴気’を、この風祝は察しているのだろう。……多分。「あ、天子さん! 見てください、何か見えてきましたよ!!」 しばらくゆっくり飛びながら降下していると、ずっと下を眺めていた早苗がはしゃぎだす。 私も態度にこそ出さなかったものの、内心ではかなり驚いていた。 まさか、ここまで巨大な都市が地下に眠っているとは思わなかったわ。 元が地獄だったから――と言うだけでも無いようだ。どうやら、私が考えていた以上に地下は繁栄しているらしい。 ふふん、面白くなってきたじゃないの。 私は地底都市の入口手前に着地し、全景を眺める様に視線を動かす。「ふわぁ、おっきい街ですねぇ。ここに晶君が落ちたんでしょうか」「どうかしら。まだ縦穴は続いているみたいだし、運悪くそっちの方に落ちた可能性はあるわね」「……さっきの所からここまでの時点でも、相当な高さがあったと思うんですけど」「晶じゃ無ければミンチになってたでしょうね」「晶君でも、さすがに辛いと思うんですけど……」 いや、アイツならここよりさらに深い所に落ちても絶対大丈夫だ。 私は確信を込めて、半泣きの早苗に苦笑を返す。 私個人としては是非ともミンチになってほしいのだけど……無いだろうなぁ、晶だし。 「まぁどちらにせよ、まずは目の前の街を調べましょうか」「そ、そうですね! ついでに、邪悪な妖怪がいたら纏めてデストロイです!!」 ……地底妖怪の本拠地だろうから、邪悪かどうかはさておき妖怪はゴロゴロいると思うわよ? これひょっとして、物凄い爆弾を抱えてるんじゃないかしら――なんて事を考えつつも、私はとりあえず歩を進めようとする。 だが考えを行動に移す直前に、私達の前に一匹の妖怪が姿を現した。 金の髪に紅い瞳の大柄な女性だ。手足の鎖や酒がなみなみと注がれた杯など、目を引く所はかなり多い。 しかし、一番に特徴的な部分を上げるとするなら――間違いなくそれは、額から生えた‘一本の角’になる事だろう。 「今日は色んな物が落ちてくる日だね。あの涼しげな滝をプレゼントしてくれたのはアンタらかい?」「誰のせいかと聞かれたら、主に私のせいですねスイマセン!」「あっはっは、正直じゃないか! ま、旧都にゃ大した被害が無かったから気にしなくていいよ。むしろ、良い酒のツマミになったもんさ」「………綺麗なお水じゃありませんから、お酒と一緒に呑むのは危ないと思いますよ?」「いや、そういう意味じゃ無いって。……アンタ面白い子だねぇ」 実に友好的な態度の彼女は、早苗の言葉に苦笑いしつつ私の方へと視線を向ける。 女性が現れてからずっと沈黙を保っていた私は、意識を向けられるのと同時に緋想の剣を抜き放った。「天子さん? どうしたんですか?」「――あえて言うなら、長崎で仇を見つけたのよ」「えっ!? いつの間に私達、長崎まで来ていたんですか!?」 ……この子には、比喩表現って言葉が通じないのかしら。 早苗の素っ頓狂な反応に、私は緋想の剣を構えたままの姿勢で前向きに傾く。 未だ素性を語らぬ――けれどその姿で雄弁に自らを語る眼前の彼女は、そんな私達のやり取りを見て腹を抱えて笑うのだった。 ――やっぱりこの風祝、色んな意味で私にとっての爆弾だわ。晶と一緒に流されれば良かったのに。