「んーむ」「どうしたのよ、不満そうな顔して」「いや、幻想郷には土蜘蛛草紙に出てくる様な土蜘蛛はいないのかなーって」「……姿形なんて些細な問題じゃない、要は強いか弱いかでしょう?」「言いたい事は分かるけどさー。たまには見た目からしてヤバそうな妖怪に会いたいワケですよ」「例えば?」「鵺とか見てみたいよね。日本のキメラと言っても過言ではないあのツギハギっぷり、一度ナマでじっくりと見物したいっす」「キメラねぇ……希臘の神話に出てくる妖怪だったかしら」「そう。今の日本における、ツギハギな怪物の代名詞的存在だよ。最近は扱いが若干科学寄りになっちゃってるけどね」「どっちも話で聞いた事はあるけど、そんなに会いたくなるものかしら。私にはちょっと分からないわね」「ツギハギの化け物は男の子のロマンですよ?」「私は鵺やキメラよりも、ヒュドラとかゴーレムとかの方に会いたいわ」「……天子は結構、発想が男の子寄りだよね」「お、お二人、とも、待って、くださ。ちょ、ちょっと早過ぎ、ます、よ」幻想郷覚書 地霊の章・肆「爆天赤地/緑のジェラシー」 二人を追って洞窟の奥に進んだ僕等を歓迎したのは、一気にキツくなった地面の傾斜だった。 どうやら、魔眼にロクな反応が無かったのはこのためだったらしい。 僕が捉えていた建築物の向こう側は、洞窟と言うより縦穴と言った方が正しいぐらいに地面が傾いている。 そして、穴の手前にある建築物――関所みたいな木造の建物群――の前では、一人の女性が両腕を組んでこちらを睨みつけていた。 くすんだ金色の髪に、取り込まれそうになる程澄んだ緑の瞳を持つ、恐らくは地底の妖怪。 鋭い眼光の彼女は、僕等の姿を確認するとより険しい目付きで歯軋りをし出した。「妬ましい、実に妬ましいわ。なんて浮かれた連中なのかしら、話に聞いていた通りだわ」「あら、私を羨むなんて分かってるじゃない。貴女良い趣味してるわよ」「この天人、何の躊躇も無く今の言葉を賞賛と受け取りやがったぞ」「くっ、その自信も妬ましい!」 どうするんだ、何か火に油を注いだみたいだぞてんここのアマ。 嫉妬が空気に伝搬したらこんな色。みたいなどす黒いオーラを撒き散らしながら、謎の地底妖怪は親指の爪を噛み締める。 つーか、結局この人は誰なんですかね? ……僕等の話を聞いてるって事は、確実にヤマメちゃんキスメちゃんの関係者なんだろうけど。「それにしても貴女、話と違って鉄輪も乗っけてないし松明も咥えて無いのね。ちょっと拍子抜けだわ」 そう言って、睨みつけてくる女性を鼻で笑う傍若無人の塊。 これで挑発の意図は無いのだから驚きである。他人を煽る天性の才能を持っているとしか思えない。 まぁ、天子が言いたい放題なのは毎度の事なのでとりあえず無視する。 気にするべきなのは、彼女の発言の意図だ。 恐らく天子は、目の前の地底妖怪の伝承的な意味での特徴を上げたのだろう。 ふーむ、鉄輪を乗っけてて松明を咥えてて常に嫉妬心に満ち溢れている妖怪かぁ……。「分かった! 貴女は橋の守護神、橋姫様ですね!! なるほど、つまりここは地上と地底を繋げる橋だと言う事ですか!」「間違ってないけど、何でそんなにご機嫌なのかしら……妬ましい妬ましいわ」「天子の態度が悪いから、橋姫様がお怒りじゃないか。反省しなさい」「晶の態度が軽いから、この妖怪の気に障ったんでしょう? 貴方こそ反省しなさいよ」「その上、どちらも自分が悪いなんて少しも思ってない。実に妬ましいわ……」 さすがは嫉妬深いと名高い橋姫様。箸が転がっても妬ましいとはこの事か、ハシだけに。 ……ごめん、今の無し。僕が悪かったです。気にしないでくださいお願いします。 「よ、ようやく、追いつきまし、た。待ってくださ、いよ。お二人とも、早過ぎで、す」「貴女の足が遅いのよ。博麗の巫女を見習って、もう少し体力をつけた方が良いんじゃないかしら」「と言うか、素直に飛べば良かったのに。別に徒歩を強制なんてしてないよ?」「わ、私だけ、飛ぶ、なんて、何だか寂しい、じゃ、ない、ですか」 その理屈は良く分かりません。まぁ、それで早苗ちゃんの気が済むのならいいんですけど。 とりあえず、早苗ちゃんの息が整うまで涼しい風を送ってあげよう。 一家に一台人間クーラー晶君! 電気代は掛かりませんが、食費は人並み以上に掛かります。少なくともエコさは無い。欠片も無い。 ……ところで、今更だけど早苗ちゃん乱入で橋姫様が完全スルーになってませんかね? いやまぁ、乱入する前からすでに扱いが扱いが蔑になっていた感はあったけど……大丈夫かなぁ。「パルパルパルパル――妬ましい、妬ましい、妬ましいわっ!」 あ、ダメだった。嫉妬が限界突破して攻撃意思に変換されてるくさい。 元からあったのか怪しい話し合いの余地は、もう完全に吹っ飛んだと見て良いようだ。 これでも、それなりに平和的解決を望んでいたんだけどなぁ。……あ、全然そうは見えませんでしたかそうでしたか。「あら、私に挑んでくるつもり? 勇気は認めるけど、ちょっと実力が足りないわよ」「自分一人でも楽勝だと言い切る所が実に天子だよね」「褒めても何も出ないわ、ふふん」「橋姫様、この無駄に自慢げな馬鹿ボッコボコにしてやってください」「――心配しなくても、全員ボコボコになるわ。お互いが、お互いを妬みあった結果ね!!」 そう言った彼女の緑色の瞳が、昏く怪しく輝いた。 瞬間、発動しっぱなしだった魔眼に波長の乱れが伝わってくる。「さぁ! 内に秘めた嫉妬心を解放なさい!! 下らない仲間意識を捨て去って、相手に抱いてきた妬みをぶつけるのよ!」 なるほど、どうやらこの橋姫様は嫉妬を煽る様な能力を持っているらしい。 ……橋に関連した能力じゃないんだ、残念。まぁそんな能力が原因で、地下に追いやられるほど忌み嫌われていたらさすがにおかしいもんね。 そんな橋姫様は他人の不幸で幸せになれるタチなのか、今までの陰鬱な態度が嘘の様にご機嫌な姿で命令を下す。 ただし僕等に、彼女の指示に従うつもりはさらさら無い。 一応天子に喧嘩の意図が無い事を目で確認して、僕は返答代わりに軽く肩を竦めてみせた。「――なっ!? 貴方達、どうして平然としていられるのよ!?」「決まってるじゃない。嫉妬は、自分より優れた相手を羨み妬む感情なのよ? ならば全てにおいて優れた私が、嫉妬に駆られる道理は無いわ!」「胸はペッタンコだけどね」「美しいでしょう?」 何一つ恥じる事は無いとばかりに、堂々と胸を張ってみせるてんこちゃん。 この人すげぇ、心底から自分に欠点は無いと信じ切ってやがる。どれだけ自分大好きなんだ。 これだけ自分を愛していて、おまけに天人と言う種族特性があるなら、そりゃ嫉妬を煽る能力も効かないだろうさ。 と言うか、天人の基本スペック高過ぎだって。キチガイじみた頑強さに加えて高い精神耐性まで持ってるなんて、完全に反則じゃないか。「そういう貴方は、この私に嫉妬しないのかしら?」「羨む所が一切無い相手に嫉妬はしません。だいたい僕は、どう足掻いても手に入らないモノを羨むほど強欲じゃありませんよ」「足掻いたら手に入るモノは羨むの?」「そういうモノは人生を頑張っていればそのうち手に入るので、特に気にした事無いっす」「……その二つを分ける基準ってあるのかしら」「僕のモノになったら手に入るモノ。そうでないなら手に入らないモノ」「貴方、人生楽しいでしょう」「わりかし」 ちなみに僕が平気なのは、『気を使う程度の能力』と同レベルに役立ってる魔眼様のおかげです。 精神操作系の能力にはめっぽう強いからなぁ。肉体の方は気で頑丈に強化されてるし……ってあれ? 同じような特徴をどこかで聞いた気が。「信じられない……これほど頭の中身が春爛漫な連中、見た事無いわ! ああ、妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい!!」「それほどでもあるわね」 そこで威張れる天子はマジで頭の中がどうかしてると思います。嫉妬されれば何でもいいのかお前は。 そもそも、だ。僕等に能力が効かなかったのはあくまで耐性があったからであって、僕等の人間性はあんまり関係無いんだよ? 完全に無関係だとは言わないけどさ。かなりラッキーだった事は、頭の片隅にでも入れといた方が良いと思うよ? ……無理だろうけど。 と、そこまで考えて僕は、この場で唯一精神耐性を持たない人物の事を思い出した。 先程から沈黙を保っていた早苗ちゃんの様子を窺おうと顔を動かすと――そんな僕の頬を掠める様に、高速の弾丸が通り過ぎて行った。「……ひゃひ?」「――――妬ましいです」「さ、早苗すぅわん?」「晶君も天子さんも、何もかもが妬ましいですっ!!」 うわっちゃー、しっかり嫉妬心を煽られまくってますがな。 半月を通り越して三日月になるほど鋭い目付きで、早苗ちゃんは僕等に御幣を突き付けてきた。 正直、親友から露骨な敵意をぶつけられると言うのはあまり気持ちの良いものではない。 火種が無ければ火事は起きないはずだ。早苗ちゃんは、いったい僕に対してどんな劣等感を抱いていたんだろうか。「何で晶君は、私よりも可愛いんですか! とても妬ましいです!!」「知るか」 何度目だその文句。と言うかソレ、マジだったんですか親友。 嫉妬心を増幅されているはずなのにいつもと変わらない早苗ちゃんの言葉に、若干キレ気味な返事をした僕は多分悪くないと思う。 しかも彼女的にはそれ以外言う事が無かったらしく、早々にターゲットを天子へと移す始末。 ……これは、そこまで妬まれてなかった事を喜ぶべきなのか。それとも女としてライバル視されていた事を悲しむべきなのか。 僕がそうやって頭を抱えていると、天子を睨みつけていた早苗ちゃんが彼女の頭目掛けて弾幕を放った。 掠めるだけで済ませた僕とはエライ違いだ。……早苗ちゃん、よっぽど天子に対して嫉妬心が溜まってたんだなぁ。「ふん、私は問答無用って事ね。まぁ、貴女がそこまで嫉妬する理由も分からなくないわ。……限りなく不本意だけど」「やかましいです! 晶君の親友ポジションは絶対に渡しませんよ!!」「お金払ってでも断りたいくらい要らないわ、その立ち位置」「この場にはいない、アリスさんへ対する妬みも纏めてぶつけさせて貰います!」「本人にぶつけなさいよ……」 その一撃をあっさりと回避した天子に、早苗ちゃんは御幣を突き出した姿勢のまま詰め寄っていく。 そんな彼女に対して、天子のリアクションは実に淡白だった。やる気もまったく感じられない。 やはり、僕の親友の座をかけてと言うのがお気に召さないのだろう。まぁ、召さないのは僕も同じだけどさ。 そういうワケなので、戦意の無い天子は早苗ちゃんの勢いに呑まれ一方的に押されていた。 僕も僕で相手が早苗ちゃんなだけに手出しができず、ただただ傍観する事しか出来ない有様。 若干狙いとは違っていた様だけど、橋姫様の作戦はほぼ成功したと言っても良いだろう。 しかも狂気の魔眼、使ってみたけどあんまり効いてないんだよね。 ここらへんは、嫉妬に特化した相手の精神操作の方が上手だったって事か。……どうしよう。 「くふふふ、仲間同士がいがみ合う光景は最高ね。さぁ、やってしまいなさい!」 先程の悔しそうな顔から一転し、成功を悟った橋姫様は御満悦そうな表情で高笑いする。 このアップダウンの激しさが万物への嫉妬に繋がってるんだろうなぁ。と良く分からない感心をする僕。 そんな橋姫様の命令を受けた早苗ちゃんは、再び顔面目がけて弾丸を放った。 ――ただしその目標は、天子じゃなくて橋姫様だったけど。「……は? うっひゃいっ!? な、何をするのよ妬ましい!」「妬ましいです! 貴女も、実に妬ましいです!!」「な、何でそうなるのよ妬ましいっ」「いきなり出てきてそのキャラの濃さ。そうやって嫉妬キャラ枠を確保して目立つつもりですね、妬ましいです!」「貴女が何を言ってるのか、さっぱり分からないわ……」「どうせ私は幻想郷じゃ珍しくも無い、普通の風祝ですよ! ああ妬ましい!!」 ……嫉妬心を煽られたとしても、橋姫様の言う事を聞く様になるワケじゃないんだね。 今までの発言も単に煽っていただけで、強制力は無いも同然だったと。紛らわしいなぁもう。 しかもこの様子だと、彼女は自分の方に嫉妬が飛び火する可能性を想定すらしていなかったらしい。 もしくは、自分が他人から嫉妬されると言う状況を経験した事がないのか。 とにかく己の予想を越えた早苗ちゃんの行動に、さしもの橋姫様も戸惑いを隠せないご様子。 つーか、僕もちょっとビックリした。早苗ちゃんってばまだ気にしてたんだその事。 早苗ちゃんはもう充分幻想郷に馴染んでるし、色んな意味で濃いからその危惧は杞憂だと思いますよ?「あのー橋姫様? 皆が不幸になる未来を避ける為にも、早苗ちゃんの嫉妬心は早く何とかした方が良いと思うんですが」「い、嫌よ! 橋姫が相手の嫉妬に怯えてその嫉妬心を抑えるなんて、己の存在意義を否定する暴挙だわ!!」「そうよねぇ。私だったらそんな橋姫、大笑いした上で晒し者にするわ」 おいコラてんこちゃん、余計な茶々を入れてくれるな。 しかし橋姫の存在意義を持ちだされると、僕もそう強くは言えないワケで。 けど魔眼じゃどうしようも無い事は、もうすでに試した後だし……あれ? コレさりげなく詰んだ? 「まぁだけど、一度気絶させれば早苗も‘冷静になるはず’よ。――そうでしょ、橋姫様?」 等と思っていたら、意地の悪い笑みで天子が橋姫様に意味あり気な視線を送っていた。 ……そういう腹芸も出来るのか。意外と策士だよね、天子って。 橋姫様も天子の笑顔の意図を察したのか、渋々ながら頷いてみせる。 よーし。それじゃあ、後は出来るだけ穏便な方法で早苗ちゃんを気絶させれば―― 「私を除け者にして楽しそうにお話するなんて……ね・た・ま・し・す・ぎ・ま・すぅぅぅぅ!!」「……わっはぁ、コラあかん」 うん、そうだよね。自分だけ無視されたら、とっても妬ましい気分になるよね。さっき橋姫様が実証してたよね。 放置されていた早苗ちゃんは、己の中に煮えたぎる嫉妬心をぶつけるかのように力を行使する。 そんな早苗ちゃんの起こした『奇跡』は、洞窟全てを満たすほどの津波となって僕等に襲いかかってきた。 ……おかしいなぁ、ここって地下ですよね? いや、仮にどっかの水脈から引っ張ってきたとしても、横幅いっぱい天井ギリギリまで広がった大津波なんて普通あり得ないんだけど。 果たしてこれは嫉妬による力なのか、早苗ちゃんが元々持っていたポテンシャルなのか。 どちらにせよ、僕から言える事は一つだ。 ――幻想郷の『普通』って、想像以上にハードルが高いんだなぁ。