いやぁ。退屈しのぎの見物で、こんな面白いモノが見られるとは! 久しぶりに滾ったね。何もかもが、人の世から失われたワケじゃないのかぁ。 それとも、あの人間が特別なだけかな? とにもかくにも、今日は上手い酒が飲めそうだよ。 ――紛い者にしちゃ、上出来過ぎる鬼振りだったじゃないか。幻想郷覚書 緋想の章・弐拾肆「天心乱漫/鬼」 愚かな天人に報いを与える為、私は博麗神社へと続く隙間を開いた。 そこに広がっていたのは、私の可愛い弟――久遠晶と比那名居天子が対峙する光景。 何故、そうなったのか等推測するまでも無かった。 あの子は私と同じく幻想郷を愛している。ならばあの傲慢な天人の所業を、あの子が許容出来るはずが無い。 それが私の思い込みで無い事は、あの子の表情を見れば明らかであった。 それほどまでに、今まで類を見ない程に――晶は怒っていた。 「―――――幻想面『鬼』」 それは、私も知らない面変化。 肉食恐竜の頭蓋骨に、反芻亜目を思わせる巨大な二本角と犬歯から生える巨大な牙を足した歪なデザイン。 晶の頭よりも一回り以上大きなその面を彼が被った瞬間――世界が、音を立てて震えた。 氷の外装が、晶の全身を覆って行く。面に合わせて身体を構築した外装は、彼を三メートル近い巨躯へと変化させていた。 肩から頭部以上に巨大な角を模した突起物が生え、背中には飛膜を取り除いた蝙蝠の如き翼が広がる。 さらに先端が二又に分かれた尾に、地球上のどの動物にも例えられない巨大な腕と脚、手足の関節から伸びた棘と、次々外装は形を歪めて行く。 それは、鬼と言うより悪魔と呼ぶ方が相応しい実に禍々しい姿だ。 面の『目』に当たる穴――晶の顔が覗き見えるはずだが、そこには暗闇が広がっている――に紅い光が宿る時、晶であるはずの‘ソレ’は人ならざる怒号を上げた。「■■■■■!!!」「ふぅん……それが、貴方の奥の手ってワケかしら」 天子の問いかけにも、晶は答えない。答えられない。 氷の怪物と化した今の彼からは、晶としての意識を感じ取ることは出来なかった。 発されるのは、純粋過ぎるほどの殺意。 尋常ならざる雰囲気に、軽口を叩きながらも彼女は慎重に身構え――次の瞬間には、晶の姿を見失っていた。「……えっ?」 その巨体が、何の前触れも無く消失する。 そんな馬鹿げた事実に唖然としていた天人が、自身へと迫る一撃に気付く事は無かった。 「がっ―――!?」 払い除ける様な軽い仕草で弾き飛ばされ、天子の身体が宙を舞う。 氷の悪魔と化した晶は、天人の認識を遥かに超える速さで背後に周り攻撃を仕掛けたのだ。 ……こうして、全体を見据える形で見ていなかったら私ですら捉えきれなかったかもしれない。 事実すぐ傍で眺めていた妖夢と月の兎は、突然消え突然現れた晶の動きを追い切れず右往左往している。 一方神速の一撃を決めた晶はと言うと、先程の俊敏さが嘘の様なゆったりとした動きで天子の吹き飛んだ方向へ身体を向けていた。 まるで焦って倒す必要は無いとばかりに歩を進める晶。その姿は、食物連鎖の頂点に立つ絶対的な捕食者を彷彿とさせた。「う……そ………なん、で?」 地面に叩きつけられる形で着地した天子は、呆然とした顔で殴られた脇腹に手を添える。 それは天へ昇ってから一度も味わう事のなかった苦痛を、ただの‘一撫で’に与えられた驚愕だ。 本来、天人の身体はあらゆる苦痛を撥ね退ける。 無論それにも限度はあるが、それでも地上の攻撃の大半は、あの天人の肌を傷つけるにも至らないだろう。 ――異変時に彼女が本気であったのならば、霊夢ももう少し苦戦していたに違いあるまい。 だと言うのに、晶の一撃はあっさりと彼女に痛みを与えたのだ。それも、何の小細工も加えずに。 その時、比那名居天子が感じた恐怖はどれ程のモノだったのだろう。 彼女は脇腹を抑え横たわったまま、半錯乱状態で攻撃に転じた。「――こ、このぉぉぉぉっ!!」 晶の足下と頭上に、巨大な要石が顕現する。 それらは狙いを定めると、押し潰さんとばかりに彼を挟みこんだ。 対する晶の反応は――何も無し。棒立ちとも言える態度で、彼は天子の攻撃を無防備に受けた。……だが。「■■■■■■■■!!!!」「そ、んな」 要石は無残にも、氷の外装に阻まれ砕け散った。 それが何の痛痒にも繋がらなかった事を確認して、晶は再び天子へと近づいて行く。 ……桁が、違い過ぎる。 小癪な話だが、天子は決して弱くは無い。緋想の剣込みとはいえ、彼女は幻想郷上位に並ぶ実力を充分に有しているのだ。 しかし、今の晶は全てにおいて彼女を上回っている。 そこに天子が付け入る隙は、無い。「なら、ならコレで――っ!!」 ―――――――地震「先憂後楽の剣」 天人が剣を付き刺すのと同時に、大地が大きく鳴動した。 彼女の持つ、「大地を操る程度の能力」を緋想の剣で増幅したスペルカード。 牙を向く大地に対して――氷の鬼は、威嚇じみた咆哮を上げた。「■■■■!!」「……嘘」 そして、大地は鬼に屈する。 比那名居天子の放ったスペルカードは、神社の石畳に多少の被害を与えたのみで消失した。 晶の歩みは止まらない。目の前の天人の全てを捩じ伏せ、ついに彼は自らの影に天子を収めたのである。 ……そうか、そういう事か。 分かった。晶が鬼の名を冠した、あの面の持つ力が。 アレは――「『無』を『有』にする程度の能力」を使う為だけの面だ。 平時の彼では使いこなせないソレを、晶は狂気の魔眼による精神操作でクリアしたのだろう。 そうやって使用条件を満たしたあの子は、たったひとつの『無』を『有』にした。 その結果が、あの面変化だ。 人が持つ根源的な恐怖を形にしたもの――それが『鬼』と言う存在である。 ならばアレは、どのような外見をしていようとやはり‘鬼’なのだろう。 「……確定した勝利、か」 恐らくはそれが、あの面の生み出した唯一の『有』だ。 そして結果が定まった以上、過程はそこへ繋がる為に収束していく。 久遠晶が想像する‘最も完璧な勝利’へと至る様に。「こ、このぉっ!」「■■■■■■■■■!」「きゃあっ!?」 天子は大地に刺した剣を抜き、近づく晶へただただ我武者羅に斬りかかった。 だが当然の如く、その一撃は外装に阻まれ静止する。 煩わしそうに、氷の尾で天子を再び弾き飛ばす晶。 たった二発の攻撃が、傲慢な彼女の心をズタズタに引き裂いていた。 それでも彼女は、辛うじて残ったプライドを支えに立ち上がる。 自らを喰い破らんとする恐怖を抑え込むため、彼女は悲鳴に近い叫び声を放った。「何よ……何なのよ、アンタはぁーっ!」 緋想の剣を真正面にかざした彼女は、剣を媒介にして周囲の気質を一点に集めた。 緋色の霧が凝縮され輝く。それを彼女は、晶に向かって一気に解き放った。 ―――――――「全人類の緋想天」 紅い閃光が晶へと向かう。恐らくコレが、彼女の持つ正真正銘の切り札なのだろう。 だがダメだ。あの天人は何も分かっていない。今の晶が、どういう存在になっているのかを理解していない。 何故、先程放った地震が無効化されたのか。何故、天人の身体に痛みを与える事が出来たのか。 ――その答えは、全く同じであると言うのに。「■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」 鬼が、光の奔流をその身体で受け止める。 一瞬の拮抗。だが次の瞬間、緋色の霧は全て晶の両手に‘絡み取られた’。 片方五本、両手合わせて十本の指が緋色に染まる。 ただでさえ長かった氷の指は、気質を蓄えた為に其々がまるで緋想の剣であるかの様に見えた。 ――否、そうではない。『まるで』ではないのだ。 アレ等は、一本一本全てが‘緋想の剣’なのである。 「あ、あ……」「■■■■■■■■■!!」 奪われた気質が増幅され、さらに激しく輝いて行く。 計十本の緋想の剣は、天子目がけて何倍も肥大化した紅い閃光を返した。 ―――――――十倍返し「全人類の緋想天」 大地を震わせ、暴力的な光が天人に襲いかかる。 とっさに回避を試みる天子だが、今からで間に合うはずが無い。 あっという間に光に呑まれ、比那名居天子は仮組中の博麗神社ごと吹き飛ばされた。 ――やはり、そうか。幻想面『鬼』は、‘相手の能力を何倍にも強化して使える’のだ。 勝利と言う結果を確定させ、そこへ至る為‘全てにおいて相手を上回る’幻想面の力。 ……使用中、晶が意識を失うワケだ。こんな規格外な面、久遠晶としての意識が残っていたら使えるワケが無い。「なんて無慈悲で、情け容赦の無い力なのかしら」 光が晴れ、抉られた大地の姿が明らかになる。 直撃を受けた天子は辛うじて耐えきったモノの、その心と体は限界に達していた。 両膝をつき緋想の剣にもたれかかりながら、最後に残った僅かなプライドで晶を睨みつける天子。 最早反撃の余力すら無い彼女に、鬼と化した晶はゆっくりと歩を進めて行く。 ……幻想面は、『完璧なる勝利』に至る為の面だ。 比那名居天子が敗北を認めていない以上、あの面が攻撃を止める事は無いだろう。 例えその結果、相手が死に至る事になろうとも――今の晶は止まらないのだ。 「■■■■■■■■■■■■!!!」「さ、さすがにアレはまずくないかしら。もう完全に勝負はついてるわよね?」「確かに。晶さまの様子も、何やらおかしいですね。――止めますか?」「お止めなさい」 状況が読めないなりに、場の異常を察したのだろう。 二人が晶を止めようと身構えたので、私は彼女等の隣にスキマを開いて制止した。「紫様!? どうしてここに」「今、重要なのはそこじゃ無いでしょう。とにかく、晶に手を出すのはお止しなさい」「手を出すなって……今の晶をほっとけって言うの!?」「攻撃してはいけない、と言っているのよ。貴女も敵と見なされるわよ」 幻想面の力量は、敵対する相手によって変化する。 戦う相手が増えれば、晶の力もそれに合わせて強化されていくのだ。 晶の勝利が確定している以上、天子への助太刀は事態を悪化させていくだけである。 恐らく、以前私が使った面変化封じも今は通用しないだろう。 こちらが晶に干渉した瞬間、幻想面は私の『境界を操る程度の能力』を強化習得してしまうからだ。 故に彼を止める方法は、一つしかない。「いいから、黙って見ていなさい。私がカタをつけてあげるわ」 二人にそう告げて、私は天子と晶の中間点に移動した。 その際、立ち塞がるのではなく眺める形となる様位置を調節する。 敵対者として見なされてはいけないのだ。私はあくまで、第三者で無ければいけない。 こちらの出方を窺う様に歩みを止めた晶に対し、私は少々大袈裟な仕草で高らかに宣言した。「そこまでよ。この勝負、貴方の勝ちね」 晶を止める方法は、説明してしまえば実に簡単である。 要するに、勝たせてやればいいのだ。それだけで幻想面はその役割を終了させる。 ……まったく、この子らしい‘保険’だと言わざるを得ない。 暴走はしない様に。けれど、目的は果たせる様に。 『勝利』と言うあやふやで効果の求めにくい結果を彼が選んだ理由は、その二つの条件を満たす為だったのだろう。 無事に終われるギミックを用意しておく所は、実に晶らしくて笑えてくる。 もっとも面自体の効果は、これっぽっちも笑えないほど酷いのだけど。「隙間妖怪、貴女――へぶっ!?」 何か言おうとした天子は、弾幕をぶつけ黙らせた。 発言の意図がどこにあったとしても、勝敗の裁定の邪魔になる事だけは明らかだからである。 気絶して貰った方が、私としても色んな意味で都合が良い。 そもそも私が勝負に介入したのはこんな事で晶の手を汚して欲しくなかったからであって、天子の身を案じたワケでは無い。 むしろ死んでほしい。晶の関係しない所で彼女には無残に死んでほしい。 ここまでの勝負で死ぬ以上の屈辱を味わった様だから見逃すが、そこまでの目に遭ったこの天人に私が同情する事は無いだろう。 そうして私の弾幕で天子が沈黙した事で、様子を窺っていた晶の動きが完全に止まった。 瞳に当たる赤い光が消えると同時に、氷で構築された全身に亀裂が走る。 次に起きる事を予測した私は彼に近寄ると、砕けた外装から零れ落ちた晶の身体を受け止めた。 ‘中身’を失った氷の鬼は、原形を失いただの氷塊へと姿を変える。「……お、終わったの?」「ええ、これ以上あの鬼が暴れる事は無いわ」「凄まじい面変化でした。紫様、あれはいったい……」「もっとも晶らしく、同時にもっとも晶らしからぬ力よ。見物できた貴女達はある意味で幸運だったわね」「……ラッキーって感じが全然しないわ」 普段の、拘らないと明言している癖に普通に拘るより面倒くさい縛りを入れる晶なら、確実に遺恨を残すこんな面変化は使わないだろう。 ……まぁ、頻繁に使われても困るが。本人にそのつもりは無かっただろうけど、アレは完全にイジメ専用面変化である。 相手の手札全てを同じ手札で叩きのめし、「まだ勝つ気があるなら立て」と言わんばかりにじわじわ弄るその戦闘スタイルは確実に相手のトラウマとなる。 しなくても内容を説明したら勝手に後悔しそうだけど、私の方からも注意しておく必要があるわね。 とはいえ、全ては晶と――ついでに天子が目を覚ましてからだ。 今は双方何をしても起きそうに無いから、残る問題は……。「さてはて、元・博麗神社跡地の後始末は果たしてどうしたモノかしら」「あー、その表現凄いしっくりくる。最早神社でもその跡地でも無いわよね、ココ」「天人よりも晶さまの方が、博麗神社に与えた被害は大きいかもしれません」 私達三人の視線が、緋色の閃光が残した爪痕に注がれる。 元々私も、天子が施した小細工ごと比那名居用博麗神社を叩き潰すつもりだったが……さすがにこれはやり過ぎだと言わざるを得ない。 この状態から整地するだけでも、多大な労力と時間ががかかる事だろう。 姉としては見逃してあげたいけれど……残念ながら、天子と同罪扱いで罰を与える必要があるようね。 罰の内容を考えながら、同時に私は帰ってきた霊夢による三次災害をどう防ぐかの策に頭を巡らせるのであった。