「ただいま戻りました、紫様。人里の方ですが問題ありません。むしろ――」「お前を行かせたのはあくまで確認のためよ。委細を語る必要は無いわ」「さ、左様ですか」「嗚呼、啼いているわね。浅ましく大地を貪る蟲の蠢きに、私の愛する幻想郷が」「……紫、様?」「至愚めが――身の丈に合わぬ高きを得て、鯰の機嫌取りが分を忘れたか。……藍」「は、はひゃいっ!?」「しばらく留守にする。お前は、いつもの様に結界の維持に尽力していなさい」「りょっ、了解致しました!」「三才以って非想非非想天を為すか、憤怒も有頂天まで昇れば嗤笑に変わるらしい。――アレ、幻想郷にはもう要らないわよね?」「い、行ってらっしゃいませ!」「くすくす、出来るだけ早く帰るつもりよ。土産はきっと、枝に付いたままの桃になるわ」「お待ちしております! ……っと、もう行ったか。出てきて良いぞ橙よ」「藍しゃま? 私は紫様に御挨拶しなくて良かったんですか?」「……お前では、今の紫様と相対出来ないからな」「え?」「まったく、誰だか知らんがエライ真似をしてくれたモノだ。――あれほど怒り狂った紫様は、未だかつて見た事が無いぞ」幻想郷覚書 緋想の章・弐拾参「天心乱漫/非想非非想天の娘」 若干の不安と違和感を抱えたまま、僕達は博麗神社に辿り着く。 駆け足気味に階段を上り切ると―――目の前には、筆舌しがたい光景が広がっていた。 とりあえず全部一度に捌くと脳味噌がパンクしそうなので、一個ずつ確実に処理していく事にする。 まず、気になる点その一。憮然とした表情の霊夢ちゃんの隣にいる謎の少女。 桃が付属した帽子を被ると言う奇抜な格好をした彼女は、虹を模したと思しき飾りのついた青白のワンピースを翻して胸を張っていた。 青い長髪が、彼女の大袈裟な仕草に合わせて右へ左へと揺れている。 霊夢ちゃんがガン無視しているのに尚語るのを止めない彼女は、果たして誰なのだろうか。 そして気になる点その二。と言うか最後。むしろ最初に気になった点。 ―――何故に博麗神社は、骨組だけになってしまっているのでせうか? 以前に来た時は、古めかしくて落ち着いた雰囲気を放つ立派な神社が建っていたと言うのに。 今やかつての本殿にあるのは、神社の縁取りを僅かに見て取れる柱だけとなっていた。 えーっと……これはリフォームですかね? あ、そんなレベルじゃないですかそうですか。 僕がそうして状況を呑みこめないまま唖然としていると、遅れてやってきた姉弟子が僕の疑問を代弁してくれた。 「なっ、何よコレ!?」「アンタこそどうしたのよ、その格好。メイドデーでも始めた?」 しかしそこはさすがマイペースの化身霊夢ちゃん、お前の疑問など知った事かと言わんばかりに質問に質問を返してきた。 そして押し黙ってしまう姉弟子。いけない! そこは姉弟子の、今一番触れられたくないツッコミポイントだ!! ……まぁ、一番目立つツッコミポイントでもあるけども!!「――ま、どーでもいーわねそんな事。面倒だから退治はしないけど、あんまり鬱陶しいと殴るわよ。御幣で」 そしてあっさりと、自分から振った話題なのに興味を失う博麗の巫女。 怖ェ……人間ってここまで傍若無人になれるモノなのデスか。 姉弟子、完全に置いてきぼり喰らってるよ。正直僕もついていけないです。 そしてそのまま、霊夢ちゃんはどこかへ行こうと――ってちょっと待ったちょっと待った! 「ストップ・ザ・霊夢ちゃん! この状態で貴女に居なくなられると、僕等の現状把握がとても困難になるのですが!!」「大丈夫よ。私、ハナっから説明する気が無いもの」「……博麗の巫女スゲェ」「どういう感心の仕方よソレ。と言うか説明しなさいよ、貴女も」「やだ。めんどい」 本当に億劫だから言わない所が、霊夢ちゃんの規格外な所だと思う。僕等はとっても困るけど。 明け透け過ぎる霊夢ちゃんの態度に絶句する姉弟子。どうしたもんかと頭を抱える僕。 そして、自分の出番では無いので待機状態に入る妖夢ちゃん――ある意味で一番賢い対応だ。 無意味な硬直を見せる場の空気を破ったのは、霊夢ちゃんの隣で不敵に腕を組んでいた青い髪の少女だった。 彼女はその不敵な態度に相応しい自信に溢れた声色で、まるで全てを理解しているかのような笑みを浮かべ語り出す。「なら、私が説明しましょうか。異変の犯人である――この比那名居天子がね!」「あっそ。じゃ、任せたわ。私は霖之助さんの所でご飯食べてくるから」 「ノリが悪いじゃない。解決した異変に興味は無いって事かしら」「元々アンタに興味は無いわよ。ああ、神社ぶっ壊したのはアンタなんだからきっちり直しておきなさいね」 そう言って、本当に博麗神社を後にしてしまう霊夢ちゃん。ルール無用かあの子は。 残された僕等は、さらっと出された重要情報の数々に戸惑うばかりだ。 え? 比那名居天子って彼女が衣玖さんの言ってた天人なの? と言うか今、異変の犯人って言ったよね自分で。認めるの? 認めちゃうの? 霖之助さんって誰さ。あ、本案件には関係ないですかそうですか。 んで、異変が解決って何ですかソレ。僕達完全に一足違いだったりしましたか? 博麗神社ぶっ壊したって本当にどういう事なのさ。 そんな意図が込められた僕等の視線を受け、比那名居の天子さんは憮然としていた表情を再び笑みへと変えた。「ったく、扱いにくい巫女よね。……ああ、説明はちゃんとしてあげるから安心なさい――久遠晶」「……貴方の悪名って、天界にまで届いているのね」「あら、それは違うわよ鈴仙・優曇華院・イナバ。それに魂魄妖夢。私は、貴方達全員の事を知っているの。‘見ていた’と言った方が正しいかしら」 そういって、彼女はじっと僕達を見据える。 その視線はまるで、動物園の動物を観察する様な好奇に満ち溢れていた。 正直、あまり受けていて心地良いモノではない。 耐えかねた姉弟子は、敵意を前面に押し出した態度で天子さんを睨みつけた。「ふん、天上から私達の事をずっと覗いていたワケ? 天人様は随分とお暇なのね」「そうなのよ。天は本当に何も無くて、私はずっと退屈していたわ。――だから、私は異変を起こしたの」「随分とあっさり認めましたね。……斬られる覚悟は出来ていると言う事ですか?」「残念、斬られる気は無いわ。白状しているのは全てが終わった後だからよ」「全てが終わった後、ね。つまり――」「私は既に霊夢に退治されたワケ。で、罰として地震で壊れた神社の立て直しをする羽目になったの」 違和感。天子さんの言葉が、何となくだが腑に落ちない。 そもそもさっきから――主に霊夢ちゃんが居なくなってからだけど――何かがおかしい気がする。 果たしてここは、本当に以前来た博麗神社と同じ所なのだろうか。そんな疑問すら湧いて出てくる始末だ。 何なんだろうねコレは。神社が無くなったせいだろうか、物凄く嫌な感じがする。 だけど、僕と同じ魔眼を持ってる姉弟子はノーリアクションなんだよね。 僕自身も能力的な異常は検知してないし……いったい僕は、何が気になってるんだろう。 「―――ふぅん、さすが」「ほへ? ……何か?」「何でも無いわ。とにかく、退治された以上異変を続ける気は無いわね。もう緋想の雲も地震も起きないわよ」 残念でしたとばかりに僕等を笑う天子さん。 だが、何かが引っかかる。どんどん違和感が強くなっていく。 そんな僕の異変に気付かないのか、姉弟子と妖夢ちゃんは露骨にガックリとした表情で溜息を吐きだした。「はぁ、レミリアの遊びになんか付き合うんじゃ無かった」「……無念です」 そうだ。異変は終わったはずなんだ。 なのに何故、僕の胸騒ぎは治まらないのだろうか。 ぐるぐると思考が回っていく中――ふと、考えにも満たない‘何か’が頭の中に浮かんだ。 自分でもハッキリとさせられないその何かを中心に、今まで感じていた差異がある仮説を構築していく。 ‘ソレ’が何なのか分からないまま、僕は自分の中に湧いた疑問を天子さんにぶつけていた。「ところで天子さん。一つ聞いても良いですかね」「構わないわよ。何かしら?」「ついさっき、衣玖さんから大地震が起こると言われたんですが。――本当に地震は起きないので?」「ええ、起こらないわ。私が要石を大地に挿したからね」 何気ない、天子さんの言葉。 それを聞いた瞬間、僕の中で今まであやふやだった仮説がガチリと音を立てて組みあがった。 質問の意図を窺う姉弟子や妖夢ちゃんの視線を無視し、僕は神社の骨組へと足を進める。 どこかに埋められていると予想していたソレは、まるで誇示するかの様に神社の中心に突き刺さっていた。 確信を得た僕は、振り返って比那名居天子を睨みつける。 そんな僕の視線を受けたこの天人は、待ってましたとばかりに歓喜の笑みを浮かべた。 なるほどね。――テメェ、分かった上でやってんのか。「やっぱり分かった? 凄いわね、貴方のその異常に対する察知能力の高さは。人としても妖怪としても半端だから、世界の差異に敏感なのかしら」「へ? ど、どういう事よ。ちょっと、説明なさ―――」「この天人は、博麗神社にツバをつけたんだよ。自身が神社の家系である事を利用してね」「もう少し上品な表現を用いなさいな。それじゃまるで、私が神社を自分のモノにしようとしているみたいじゃないの」「何が違う。要石を配して博麗に比那名居の神社たる要素を加えたのは、お前が神社を私物化するためのモノだろう」「ちょっと下界に、私の別荘を作ろうと思っただけの話よ。異変にも満たない可愛い陰謀じゃない。博麗神社の役割は変わらないわ」 一切悪びれる事も無く、平然と彼女は言ってのけた。 なるほど、確かに霊夢ちゃんが無視している以上異変では無いのだろう。 ……ただしその言葉の最後に‘今は’が付くだろうが。 博麗神社は、幻想郷を維持する上で最重要とも言える建物である。 幻想郷を安定させるため暗躍している紫ねーさまでさえ、神社に直接的な手出しをする事はまず無い。 そんな博麗神社を別荘にする? 今は良くても、後々どんな悪影響が出るやら。 しかも彼女は、その事実を充分に理解した上で無視しているのだ。 腹の底から湧き上がってくる冷たい感情を押し殺しながら、僕は目の前の天人に糾弾の視線を向ける。 だが天子はそんな僕を嘲笑うかの様に口の端を歪め、愉快で堪らないとばかりに反論してきた。「少なくとも、貴方に私を責める権利は無いわよ。――私欲から異変を起こした、貴方にはね」 お前も同類だろうと、天子の表情はハッキリとそう語っていた。 天晶異変。あの時の異変で僕は、確かに彼女と同じく私欲から行動を起こした。 だから彼女の言葉は正しい。例えあの時の異変が茶番だったとしても、僕が心底から自分を優先した事に変わりは無いのである。 もっとも――僕は、義侠心から怒っているワケでは無いのだけど。「言いたい事はそれだけか? 比那名居天子」「あら、『天子さん』から随分と言い方が下がったわね」「ならば、僕からの返事は‘こう’だ」 茶化す天子を無視して、僕は神剣を顕現する。 轟々と僕の心情を表すかのように激しく輝く刃を、僕は要石に向かって突き立てた。 彼女の表情から初めて余裕が消える。その事が堪らなく嬉しいあたり、僕は相当に彼女が‘嫌い’なのだろう。「僕の幻想郷に、汚い足跡つけてんじゃねぇよ天人くずれ」「あ、晶……さん? いつもとキャラが違うと言うか、言葉遣いが汚いと言うか……」「――鈴仙さん」「はっ、はい」「黙ってろ」 カクカクと頷く姉弟子から視線をズラし、再び天子へと目を向ける。 彼女は口の端をヒクつかせながら無理矢理な笑みを浮かべると、僕と全く同じ感情を込めて言葉を返してきた。「……同類だからこそ、私のやる事が許容出来ないワケね」「うん――だから、今すぐ死ぬか消えるか選べ」 腹の底に溜まったドロドロとしたモノを、言葉と共に全力で天子にぶつける。 姉弟子と妖夢ちゃんは何故か僕が発言する度にビクついているが、今回は余裕が無いので無視。 出した神剣を消して様子を窺うと、彼女は小馬鹿にするような笑顔で僕を嗤った。「呆れた。怒りで、彼我の実力差も分からなくなっているみたいね。貴方達風情に私が倒せると本当に思っているの?」「……それは聞き捨てならないわね。三人がかりでも相手にならない程、私達は弱いと言いたいのかしら」「まさか。貴方達は、各々が相当な実力者よ。ただ――私の強さが、貴方達を遥かに上回っているだけの話」「大した自信をお持ちの様で。ならば、試してみますか?」 彼女の挑発とも思える自信に、姉弟子が身構え妖夢ちゃんが鯉口を切る。 一触即発の空気の中、僕は逸る二人を遮る形で天子に向かって立ち塞がった。「二人共、悪いけど手出しはしないで。――コイツの相手は、僕だけで充分だから」「勝つ為ならどんな手も使う貴方らしからぬ言い草ね。それとも、それだけの自信が御有りなのかしら」 完全にこちらを舐めきった態度で、天子はワザとらしく肩を竦めた。 とは言え、その評価は強ち間違ったモノでも無い。 少なくともそう嘯けるだけの実力を、比那名居天子は持ち合わせているのだろう。 だが、彼女は一つだけ間違いを犯した。 僕が一対一を望んでいるのは、怒りで状況が読めなくなっているからじゃない。 ――本当の意味で、勝つ為に手段を選ばなくなったからだ。「最終通告だ。下らない小細工を止めて、天に閉じこもっていろ。そうしたら見逃してやる」「実力の伴っていない脅しって、こんなにも滑稽に映るのね。――やれるものなら、やってみなさいよ」「……良いとも。それじゃあ二人共、下がってって。そして絶対に、何があっても勝負に‘手を出さない’様に」「ちょっと晶、勝手に―――あ、うん分かった。任せたわ」「晶さまがそうおっしゃるのでしたら……」 二人が後ろに下がった事を確認して、僕は改めて天子と相対する。 身構える僕に合わせて、彼女は不遜に微笑みつつ刀身の紅い剣――恐らくあれが緋想の剣なのだろう――を構えた。 苦戦する可能性すら抱いていない、余裕と嘲笑に溢れた態度。 それを打ち砕く為に、僕は幽香さん相手に試して以来ずっと封印していた‘三つ目の面変化’を使った。「―――――幻想面『鬼』」 氷の面が顔を覆うのと同時に、僕の意識が失われていく。 最強の面変化。その力を、僕自身が知る事は無い。