「七曜の魔法使い、私の服知らない?」「ああ、小悪魔が持っているわよ。小悪魔、渡してあげなさい」「ええ~っ! もう着替えちゃうんですかー!? もったいないですよぉ~!!」「何を馬鹿な事を……晶もそうだったけど、貴方達メイド服に妙な拘りを持ちすぎよ」「晶さんが!? あ、晶さんが優曇華院さんに何を言ったんですか!?」「ちょ、え、なっ、何よこの子の食いつきっぷりは!?」「貴女が余計な燃料を与えるから……」「私のせいなの!?」「それで、何を言われたんですか!? 可愛いとか!? 似合ってるとか!?」「ま、まぁ、大体そんな感じの事を言ってたわね。お世辞だと思うけど」「何を言ってるんですか! あの晶さんがその手のお世辞を言うワケ無いじゃないですか!! 本心ですよ、マジですよ!」「そっ、そうかしら?」「お世辞でも無いけど、そういう意図でも無いでしょ。晶だし」「普段と違う優曇華院さんのお姿に、晶さんはもうメロメロなんですよ! 着替えるべきじゃありません!!」「そ、それは、その、さすがに無いんじゃ……」「いいえっ、私の豊富な経験が告げています! 今が攻め時だと!!」「せめどき………」「貴女の経験はイコール恋愛小説だけどね――って、どっちも聞いてないか。……まぁ、私には関係無いしどうでもいいわ」幻想郷覚書 緋想の章・弐拾壱「天心乱漫/天女は舞い降りた」 さて、レミリアさんは妖怪の山へ行けば何か起こると保障してくれたワケだけど……。 正直に言えば、本当に何か起こるとは思っていませんでした。 いやいや、別にレミリアさんの事を信じていないワケじゃ無いんですよ? ただ世の中には、サマルトリア王子の法則と言うヤツがありましてね。 妖怪の山に辿り着いても、得られるのはまた別の情報――ってパターンも十二分にあり得るワケなんですよ。 むしろ今までの展開を考えれば、盥回しの前振りとしか思えない。 だからレミリアさんには悪いけれど、僕はこれっぽっちも期待していなかったんですが……。「こんにちは、近いうちに大地震が起きます」 レミリアさんゴメン。貴女は凄かったです。超凄い。 妖怪の山に辿り着くどころか、出発して早十分で目的の人物が眼前に現れました。「えーっと、貴女が竜宮の使いさんですか?」「はい、永江衣玖と申します。気安く衣玖さんとお呼びください」「……それって気安いの?」 まぁ、あんまり気軽過ぎても呼びにくくなりますからね。最初の距離感としては適切じゃないかと。 そうしてゆっくりと空から舞い降りてきた衣玖さんは、地面に足を付けると優雅な仕草で僕等に一礼してきた。 その第一印象を一言で語るなら、これはもう満場一致で『天女』しか無いだろう。 紅いリボンを一周させた黒い帽子に、短く切り揃えた藍色の艶やかな髪。 薄桃色の羽衣と、それに合わせたレースのついた上着。ふわっとした黒色のロングスカート。 そして何よりも目を引く、ふわっとした服の上からでも分かる膨らみ――もとい、その顔に浮かんだ柔和な微笑み。 何と言うか、幻想郷に居なかったタイプのお姉さんである。 比較的近いのはお師匠様とか幽々子さんだけど、あの二人は笑顔の裏側から余計な物も滲み出ているからなぁ。 裏表があまり無さそうな衣玖さんは、幻想郷だからこそ相当貴重な人材なのかもしれない。「別に私は、衣玖ちゃんでもいっちーでも構いませんよ?」「いや、そういう問題じゃなくてね」「それでは、私は衣玖殿と」「ちょっと妖夢!?」「僕は衣玖さんで。姉弟子はどうします?」「……じゃあ、衣玖で」 何やら納得がいかないとばかりに憮然とする姉弟子。 せっかく相手が友好的に接してくれてるのに、彼女は何が不満なのだろうか。 それでも衣玖さんは機嫌を損ねる事無く、にっこり僕等に笑いかけてくれたのだった。 おおっ、これは凄い。笑っているのに得体のしれない迫力を感じないとは。 そうだよね! 笑顔って本来は、他人を安心させる表情なんだよね!! 何か僕、感動で涙が零れそうだよ!「それで、貴女方は?」「そういえば自己紹介を忘れてましたね。僕は久遠晶! 遠慮なく晶君と呼んでください!!」「……いや、遠慮云々はその呼び方に関係無いんじゃないかしら」「分かりました。よろしくお願いしますね、晶君」「貴女も、少しくらい今の会話を疑問に思いなさいよ!?」 姉弟子は、ちょっとツッコミが細かいですよね。 話を円滑に進める為には、あえて無視する勇気も必要だと思われますよ? まぁ、そこが姉弟子の良い所と言えば良い所ですが。……姉弟子って、基本疲れる生き方を選ぶよねぇ。 え、お前も似た様なモンだろって? いや、さすがにこの方向性の苦労はしょってないっす。 そしてそんな姉弟子の憤りを大人の態度で見て見ぬフリした衣玖さんが、ふと何かに気付いた様子で僕の姿を眺めてくる。 彼女は二、三度僕の全身像を確認すると、両手を叩く仕草でその驚愕を表した。……表したの? うん、多分驚いてるんだと思う。「久遠晶……ああ、貴方が噂の『不死身の野良冥土』ですか」 その噂は初耳です。つか、メイドにその当て字を振っといて不死身呼ばわりは矛盾してませんか。 そもそも、本来の意味での不死身が幻想郷には少なく見積もっても三人居るはずでしょう。 なのに何でしょっちゅう瀕死になってる僕にそんな二つ名が……まぁ、冥土と言う当て字は間違って無いみたいだけどさ。「私は魂魄妖夢と申します。妖夢とお呼びください」「……鈴仙・優曇華院・イナバよ。鈴仙以外の呼び名は好きじゃないから呼ばないでね」「そうですか、よろしくお願いしますね。妖夢さん、鈴仙さん」「………」「…………」「………………」「………………………?」「ね、ねぇ。私達には無いの?」「何が、でしょうか?」「晶の名前を聞いた時みたいに、「貴女が噂の……」って感じの」「申し訳ありません。私、下界の情勢には明るくなくて」「晶の事は一発で分かったのに!?」 僕の悪名、どこまで広がってるんだろうか。 姉弟子の恨めしげな視線と妖夢ちゃんの尊敬の念が込められた視線を受けながら、僕はぎこちない苦笑いを浮かべた。 少なくとも今の渾名が、好意的に受け止められる事はまず無いだろう。 実際衣玖さんも、僕の事をほんの少しばかり難しそうな目で見つめてきている。 いや、何を聞いているか知りませんけど。最低でも半分は嘘偽りだと思いますよ? 多分。恐らく。「それにしても、まさかこんな所で晶君にお会いしてしまうとは。さてはて、どうしましょうか」「え、あの、何か問題がありましたか?」「力の無い者は、貴方の前では存在すら認められないと聞いております。今ここで自分の力を示すのは、私の本意では無いのですが……」「いや、それは僕の本意でもありませんよ!?」 と言うか何さ、その世紀末覇王を彷彿とさせる噂は!? 誰が流したの? 幽香さん? 紫ねーさま? お師匠様? 八坂様? 候補が多すぎて絞れないんですが。 ああ、ひょっとして今まで言われるがままに戦ってきた僕の振る舞いに問題があったんですかね? 確かに傍から見ると完全にバトルマニアの挙動でしたが、性根は平和と平穏を愛する純情ボーイなんですよ僕は。 あ、うん、ゴメン。ちょっと今見栄張った。純情ボーイはさすがに無い。 ……平和も愛してるか微妙かなぁ。性根の面で問われると、平穏を愛してるとも言えるかどうか。結局全部嘘っぱちか自分。 いやでも、誰かれ構わず喧嘩売ってるワケじゃないですよマジで。 だから姉弟子、身構える衣玖さんに合わせて臨戦態勢取るのは止めてください。「経緯はともかく、やる気になってくれるのはありがたいわね。貴女には色々と聞きたい事があるのよ」「力尽くで聞き出す、と言う事ですか。参りましたね……そこの剣士殿もやる気の様ですし」 うわ、さりげなく妖夢ちゃんも抜刀してるよ。 こちらの敵意満載の態度に、乗り気でなかった衣玖さんもほんのりと戦意を見せ始めた。 しないで良い戦闘は、全力で避けるのが僕の流儀なんだけどなぁ。どうしたものか。 少なくともこの一触即発の空気の中、普通に情報交換を申し出るのが無謀である事は僕にも分かる。 ――ならやっぱり、変えるのは戦いの方向性だよね。 僕は風の弾丸を放ち、近くに生えていた木の小枝を手元に引き寄せた。 硬直する場。こちらを見据える衣玖さんに対し、僕は小枝を突き付けて宣言する。「では、棒倒しで勝負!」 その瞬間、場の空気は確かに凍りついた。 そもそも言葉の意味が分かっていないと言った様子の妖夢ちゃん。 この馬鹿は何をほざいてるんだと渋い顔をする姉弟子。 そして肝心の衣玖さんは――満面の笑みを浮かべて、突き出した僕の手を両手で包みこんだ。「その勝負、お受けいたします」「受けるの!?」 どうやら、戦いたくないと言うこちらの意図を察してくれたようだ。 その上で戦闘を避けてくれるとは……本当に、良い人過ぎて涙が出てきそう。 僕の知り合いは十中八九、それを理解した上で戦おうとするからなぁ。 ぱぱっと砂山を作って天辺に枝をぶっ刺した僕は、感慨深いものを感じながら山の前に胡坐をかく。 そして、砂山を挟んで相対する様に正座する衣玖さん。 結果的に彼女を地べたへ座らせてしまう形になってしまったが、そこはまぁ作法と言う事で我慢して貰おう。 訝しげだった他二人も、僕達二人が戦闘態勢? に入った為観戦しやすい場所へと腰を下ろす。 何とも例えにくい空気の中、恐らく幻想郷一下らない勝負の火ぶたが切って落とされた。「それじゃ、先手は衣玖さんどうぞ」「ふふ、ありがとうございます。晶君は紳士ですね」「…………ずいまぜん」「な、何で急に泣いてるのよ!? と言うか、貴方は何に謝ってるの?」「死にたくなった」「晶さまの心が、未だかつて無いほどに折れています……」「今までの会話のどこに、晶の心が折れる要素があったって言うのよ」 ヤバイ、やられた。今までの裏表の無い笑顔と言う名のボディブローと、さっきの手放しの賞賛と言う名のストレートで僕の中の何かがやられた。 別に、衣玖さんの行動や言動にドキドキとかキュンキュンとかしたワケではない。 そういった風に感情を擬音で表現するなら、この場合の最適解は『うじゅるうじゅる』だろう。 僕の心の海――イメージはオホーツク――では現在、軟体系の巨大生物が我が物顔で祭壇とか建てちゃってるワケだ。 さらに巨大生物は、魚顔の眷属を呼び石造りの都市を建設し始める。 しかしそこに、青白い仮面を被った黄色い衣の巨大トカゲが凄く早く飛ぶ生き物を引き連れて登場。 地球の支配権をかけて、彼らは人類そっちのけで風と水とをぶっかけあう激戦を延々続けるのでした。めでたしめでたし。 ……うん、意味が分からないね。要するに、それくらい参ったと言う事です。 知らなかったよ。お姉さんキャラって、腹黒属性に付属する選択式オプションじゃなかったんだね。 あれ、何だろうこの瞳から溢れ出る冷たい液体は。出て行く度に心が傷ついていくんですが。「くそぉうっ! まだだっ、まだ負けたワケじゃないっ!!」「貴方はいったい何と戦っているのかしら」「晶さまがこれほどのダメージを……これが、勝負『棒倒し』っ!」「そっちも、何を納得してるのよ! 貴女ひょっとしなくてもルールを把握して無いでしょう!?」「皆様、本当に楽しそうですね」「いやぁそれほどでも。てへぺろ☆」 これでも全員、わりと真面目なつもりなんですけどね。 傍から見れば不真面目筆頭間違い無しな僕は、衣玖さんの言葉に苦しむフリを止めて、可愛らしく見えるよう惚けたポーズをとってみせた。 ちなみにポーズに深い意味は無いし、さっきまでの動揺が演技と言うワケでも無い。 ただ、衣玖さんに大人の対応をされて恥ずかしくなった気持ちを誤魔化しただけの話である。まぁ、誤魔化せてはいないけどね! ……で、姉弟子は何で転んでるのん? バナナの皮でも踏んだ?「つまりは、ひょっとして本当に何かされたんじゃ――と一瞬でも心配した私は間抜け、と思って良いワケね?」「そこまで卑屈にならないでも。まぁ、あの流れで何かされるなんて常識的に考えてあり得ないですけど」「分かった。コロスわ」「妖夢ちゃん、取り押さえておいて。もちろん素手でね」「了解しましたっ!」 僕の命令に躊躇無く従う妖夢ちゃんのおかげで、プチ本能寺の変勃発は未然に防がれた。 良かった良かった、姉弟子との二戦目はさすがにキツいもんね。 もちろん、姉弟子が殺意を纏った原因が恐らく僕にある点は完全スルーである。 一言多くてスイマセン。だけど姉弟子、先に手を出した時点で正当防衛と言うのは適応されるのですよ?「ちょっ、半人剣士! 何でそこで晶の味方をするのよ!! 離しなさい!」「申し訳ありません鈴仙殿! 私は晶さまの剣であって鈴仙殿の剣ではありませんので、その命令は聞けません!!」「いたたたたたっ、痛い痛いっ!! 爽やかに笑いながら間接締め上げないで! 晶、ちょっとこの子何とかしなさいよ!!」「大丈夫、骨折まではセーフだから」「――迂闊! そもそも命令してる方の判断基準が人外のモノだったわ!!」「や、僕は人間。妖怪貴女。判断基準はそっちの方が外。オッケー?」「あはは、晶さまの冗談はとても面白いですね!」「……今の反応はキクなぁ」 満面の笑みを浮かべた妖夢ちゃんの言葉に、治りかけていた心が別のダメージを負う。 いけない。今気付いたけどこの面子、僕に致死級の精神ダメージを与えてくる人達ばかりだ。 姉弟子は殺意が無くなった分扱いやすくなったけど、他二人を止める手立てが今の僕には不足している。 しかも二人は攻撃の性質が似通っているから、相乗効果で威力がアップ。同時攻撃なんてされたら即死するかもしれない。 チクショウ! 僕は、僕はどうすればいいんだぁーっ!「仲が良くて微笑ましいですね。……ですが申し訳ありません。長引く様なら、先に私用を片付けたいのですが」「――すいません。こっちのコントは気にせず始めちゃってください」「――その、えっと、あの……悪かったわ、ゴメンなさい」「お二人は何故そんなに項垂れているのですか?」 ……本当に、知らなかった。 ただ困った様に笑われるだけって、こんなにもキツいものだったんだね。 一人だけキョトンとしている妖夢ちゃんを余所に、僕と姉弟子は悪戯を窘められた子供みたいに肩を竦めるのだった。 ――ああ、これが腹黒要素を抜かした大人のお姉さんの力なのか。怖いなぁ。……え、違う?