「よぅ慧音、見回り終わったから戻ってきたぞ」「おかえり妹紅、外の様子はどうだ?」「お前が居た時と一緒だよ、不気味なくらいに静かだ。私達は蚊帳の外って事らしい」「そうか……人里に害が及ばないのは喜ばしいが、何も分からないと言うのはやはり落ち着かないな」「もう少し詳しく、晶さんに話を聞いておけばよかったですね」「おお、そういえば晶の奴来てたんだよな。どうだった?」「いつも通りだったよ。良くも悪くもな」「やっぱり、女装している自覚は無かったみたいですね。うう……」「あっはっはっは! だから言ったろ? あの手のタイプは変な所素直だから、そんな器用な真似出来ないって」「私とて疑ってはいなかったが、何事にも通さねばならん筋はあるだろう」「別に私だって、そういう展開を望んでいたワケじゃないですよ? でももう少しだけ、甘酸っぱいやり取りがあっても良いと思うんです」「私にはもう分からない筋だね、それは」「そうやって、人である事を否定する発言はして欲しくないんだが……まったく」「そりゃあ、私に性的な魅力なんて有りませんよ? でも真顔って、トキメキ皆無って、酷くないですか?」「……つーか、どうしたのさ阿礼乙女」「まぁ、なんだ。乙女だけあって色々と複雑なんだろう」「ふーん」「顔真っ赤にして「うわぁ、阿求さんって意外と柔らかいんだ」とか呟いても良いと思うんですよ。むしろ言うべきです。言って私に聞かせるべきです」幻想郷覚書 緋想の章・陸「意気天候/メイド達の挽歌」「なるほど、緋色の雲ですか」「うん。多分それが、今回の異変に関係していると思うんだ」 次の行動を決めた僕は、速やかな行動で妖夢ちゃんを回収し人里を離れた。 別段慌てて離れる必要の無かった人里を、早急に離れた理由は一つ。 ――藍さんが、妖夢ちゃんの質問攻めでノイローゼになりそうだったからだ。 いやぁ、凄いよアレ。さすがの僕もちょっと引いた。 質問の内容自体は至極まともなんだけど、もう何と言うか畳みかけてくるのである。質問を。 言うなればマシンガンクエスチョン。無理矢理にでも中断させて藍さんを解放した僕は賞賛されるべきだと思う。 まぁ、多分日を改めて続きをする事になるんだろうけど。そこまでは責任持てないし僕。「では今後は、緋色の雲を追う事になるのですね!」「そうなるかな。もっとも緋色の雲を出してる人イコール異変関係者ってワケじゃないから、対応は慎重に……」「ご安心ください! どんな相手でも切り散らしてみせます!!」「うん、人の話は聞こうネー」 快心の笑みで物騒な宣言をする妖夢ちゃんには軽い釘刺し。 彼女の本当に恐ろしい所は、これ等の発言に一切の悪意が無い事だろう。 なんと言うか、問答無用でぶった切る事に躊躇いが無いんだよね。 挨拶代わりにグーパンチをフォーユー。と言う幻想郷独自のノリともまた違った、独特の価値観を感じると言うか。 ……何だかんだで妖夢ちゃんも冥界の住人だから、命に対する捉え方が違うのかもしれない。 「しかし、何ゆえ雲が緋色になるのでしょうか?」「うーん……猩々の仕業とか?」 意外と確信を付いた妖夢ちゃんの疑問に、僕はとりあえず思い付いた事を答えてみた。 猩々は中国の妖怪で、猿に似た赤毛の獣である。知性は高いらしく、猩々を題材にした能もあるそうだ。 まぁ、猩々が天候を操作したなんて話は聞いた事無いけどね。 その血は猩々緋と呼ばれるほど赤いらしいし、今回の異変と何らかの関係は有るんじゃないかと……うん、無さそう。「森の人が何故その様な事を……」「いや、オランウータンの事で無くてね」「チンパンジーの方でしたか」「黒猩猩の事でも、ましてや大猩猩の事でも無いからね」 そりゃまぁ、どんな動物でも妖怪化する可能性はあるけどさ。マレーはちょっと遠すぎやしませんか? 幻想入りしそうな雰囲気ではあるけど、まだちょっと早いと思いますヨ? あと、何でそういうどうでも良い知識だけはあるのさ妖夢ちゃん。類人猿の和名なんて、外の人間でも中々言えないんですが。「ま、何らかの意味があるとしても、情報不足の現状じゃ結論は出せないよ。とりあえず緋色の雲を巡って……」「片っ端から斬っていくワケですね!」「お願いだから、せめて僕が良しと言うまで切りかからないでね?」 もっとも、雲を追っかけただけじゃ異変の犯人は見つからないだろうけどね。 雲一つ無いから断言は出来ないけど、太陽が二つあるこの天気も緋色の雲と同じ現象なんだろう。 しかし、僕には異変前後で何かをされた覚えは無い。 寝ている間に……と言う可能性は否定はしきれないけど、それなら幽香さんが異変の主に気付かないはずは無い。 間接的とは言え花を荒らされたのだから、幽香さんが犯人を知っているなら僕に任せず即座に相手を十分の十八殺しにしていた事だろう。 え、分子の方が大きい? つまり、死なない程度に弄られながらオーバーキルされるって事ですよ。もちろん痛みは等倍で。 ………うん、異変解決頑張ろう。シニタクナイ。 とにかく、だ。緋色の雲を起こした誰かは、対象に接触せずとも事を起こせると考えられる。 なので緋想の雲を追っても、実のところ真相に近づける可能性は零に等しい――はずなんだけど。 不思議と何とかなりそうな気がするんだよねー。何でだろう。不思議不思議。「さて、と。それじゃあひとっ飛びして緋色の雲を探してみますか」「はい! 行ってらっしゃいませっ!!」 いやまぁ、待っててとは言うつもりだったけどさ。ハナから待ちの姿勢ってどうよ。 なんか妖夢ちゃんって、天然の黒さが見え隠れしてるよなぁ。 本人に自覚は無いんだろうけど、かなり自然な感じで身についている。 ……幽々子さんだろうね、間違いなく。教育が行き届いてるなぁ、色んな意味で。「じゃ、行ってきまーす」 氷翼を展開して、真上に向かって飛んでいく。 目指すは雲の上――雲無いけど――幻想郷を一望できるほどの高み。 考えてみれば、これだけ高く飛んだのは初めてかもしれない。 みるみる小さくなっていく地上の景色を眺めながら、僕はあっという間に雲さえ足元を漂う上空へと辿り着いた。 風を纏ったためか、話に聞いていた空気の薄さも気温の低さも感じない。 ただし洒落にならないくらい風が強い為、吹き飛ばされない様に気合いを入れ直す必要があった。 ふむぅ、これで高度がだいたい四千メートルって所かな。 まだ上に雲はあるけど、これ以上昇ると幻想郷が見えなくなっちゃうから止めておこう。 僕はゆっくり旋回するように、ぐるりと身体ごと視界を一周させた。「うーむ……これは、参ったなぁ」 そうして得られた結果に、僕は思わず頭を抱えた。 何も見つからなかったからでは無い。むしろ‘見つかり過ぎた’から困っているのだ。 緋色の雲はそこらかしこに広がっている。ここからでは見えないが、恐らくその全てで天候異常が起こっているのだろう。 どうしたもんかなぁ、さすがにちょーっと候補が多過ぎる。おまけに選別するための方法も無いし。どうしよう。「……まぁ、適当で良いか」 逆に考えれば、何も考えずに動いただけでも遭遇できると言う事だ。 そもそも勘で動いているのだし、そこまで深く考える必要は無いだろう。 派手な確認方法の割に大雑把な結論を出した僕は、脱力するのと同時にゆっくりと降下していく。 ……しかしこの高さでも、妖怪の山の天辺にある守矢神社の全景は見えてこないのかぁ。 さすがは妖怪の山だと言わざるを得ない。富士山があまりの高さに逆切れして、蹴り飛ばしただけの事はある。 だけど、神社としてこの通いにくさは正直どうだろうか。 これで参拝客は博麗神社より多いと言うのだから、守矢が凄いのか博麗がダメなのか。 等とどうでも良い事に思考を割きながら山の周辺を眺めていると、その視界に妙なモノが映り込んだ。 妖怪の山のさらに上空に、一瞬‘壁’の様な何かが見えた――気がしたのだ。 ……そういえば、幻想郷の空には何があるのだろうか。 何しろ幻想の世界において天上とは、和洋問わず何らかの超越的な存在が居る場所である。 神様が山の麓で芋焼いててもおかしく無い幻想郷なら、そこに何らかの存在があったとしてもおかしくない。 ふむ、深く気にして無かったけど、これはちょっと確かめた方が―――「ぷろぺっ!?」「あ、おかえりなさい晶さまっ!」「おかえりなさい、久遠様」 しまった。考えに夢中になり過ぎて地面との距離を計るのを忘れていた。 それなりの速度で大地に激突し、土ぼこりと共にクレーターを作りだしてしまう僕。 しかしダメージは無い。喜ばしい事だけど、この頑丈さがうっかりに繋がっていると思うと複雑な気分になる。 僕は頭をかきながらクレーターから這い出て――そこで、ようやく先程との相違点に気が付いた。「あれ、咲夜さん!?」「ごきげんよう、久遠様。お元気そうで何よりです」 何故か当たり前の様に居る、紅魔館の完璧で瀟洒なメイドこと咲夜さん。 その存在を確認した僕は、とりあえず視界を前後左右に忙しなく移動させた。「今日は、妹様もお嬢様もいませんよ。実はお休みを頂きまして」「あ、そうなんですか」「ふふ、ご期待に添えず申し訳ありません。それほど御二人に会いたかったのですか」「えーっと、まぁ、その……あはははは」 単に、不意打ちタックルに備えていただけとは言えそうに無かった。 スカーレット姉妹を探していた事が思いの外嬉しかったらしい咲夜さんは、満足そうな笑顔で僕の頭を撫でてくる。 毎度の事だけど、本当に咲夜さんは頭を撫でるの好きだなぁ。 しかし、いつもと違って言動や表情が柔らかなのはやはり休暇中だからなのか。 紅魔館のメイド長と言う職業の縛りから解放された彼女に、僕はふと気になった事を尋ねた。「それにしても、良く休暇が取れましたね。紅魔館のメイドって基本年中無休でしょう?」「へー、奇遇ですね。白玉楼もそうですよ」「と言うか、幻想郷の従者職の八割が年中無休じゃないかしら」 ……何となくそんな気はしてたけど、やっぱりそうか。 幻想郷に労基法は無いんだね。本人達は一切気にしてないみたいですが。「まぁ、私は常日頃からお嬢様に休め休めと言われておりましたが」「なるほど、有給休暇が溜まってたワケですね」「さすがに事前準備の無い状態で休みを取る事は出来なかったので、無理矢理休みにしてきました」「何してんのこの人ーっ!?」 してやったり、と言った感じの表情で胸を張る咲夜さん。はっきり言って意味が分からない。 まぁ、咲夜さんの事だから、仕事全部片付けて休んでも問題無い状況にしているとは思うんだけどね? 何だかんだで紅魔館には、意外とメイド職も器用にこなす美鈴もいるワケだし。 ……だけど、何故だろうか。咲夜さんの言う‘無理矢理’は比喩表現じゃ無い気がする。レミリアさんお疲れ様。「事前準備の無い状態――つまり、貴女がここに居るのは突発的な事態なんですね」 先天的にツッコミの足りていない妖夢ちゃんが、発言のおかしな点をスルーして話を進める。 この場合、僕は彼女にありがとうと言うべきなのか、気になる点はそこじゃ無いよねとつっこむべきなのか。 ――追及しても面倒な事になりそうだし、僕もスルーしよう。 藪を突いて蛇を出す事も無いと結論を出した僕は、妖夢ちゃんの話を広げる事にした。 実際、咲夜さんが突然休んだ理由も気になるしねぇ。 そういうワケで、妖夢ちゃんと同様の疑問を込めた視線を咲夜さんに向ける僕。 そうしてじっと彼女を見つめていると、咲夜さんは静かに微笑み答えた。「ええ。今回の異変、本当なら博麗の巫女に任せるつもりだったのですが……少々事情が変わってきまして」「――何かあったんですか」「はい、実は……」 表情は笑顔のままだが、流れる空気はかなり重苦しい。 これは、相当面倒な事態が起きたと思った方が良いかも。 僕は何を言われても驚かない様に、覚悟を決めて咲夜さんの次の言葉を待つ。 一旦間を開け、僕と妖夢ちゃんの姿を交互に見返した咲夜さんは、それまで浮かべていた笑みを真摯な表情に変えて言った。「気付いてしまったのです。私だけ、久遠様との親交が薄いという事実に」「はーい、御苦労様でしたー。てっしゅー」「話は終わっておりません。どこへ行こうと言うのですか久遠様」「そうです! 話の途中で席を立つなんて失礼ですよ、晶さま!!」 この話はロクでも無い結論に至ると即座に結論を出した僕は、しかし離脱前に脱出ルートを咲夜さんに防がれてしまった。 おまけに妖夢ちゃんまでそれに同意する始末。ああもう離してよ妖夢ちゃん、僕はこの手の始まり方で良い目に会った事が無いんだよ!「紅魔館の中だけでも、私の好感度は下から数えた方が早いと思うんですよ」「あ、普通に続けるんですね」 そしてマイペースに話を再開する咲夜さん。どうしよう、思いっきりアウェイな気分だ。 まぁ、逃れられないなら普通に話を聞くしかないのだろう。物凄く不本意だけど。 ――で、先程の咲夜さんの発言に戻るワケですが。 確かに彼女と僕の関係は、近いようで意外と遠いかもしれない。 決して親しく無いとは言わないけど、友人と言い切るには少し他人行儀過ぎるワケで。 完璧で瀟洒なメイド過ぎて、やっぱり近寄り難く思っていたのかなぁ。うーむ。「おまけに最近では、ポッと出のスキマ妖怪に第二姉の座を奪われる始末。これは看過できません」 いや、付き合いの長さで言ったら、ポッと出なのはむしろ咲夜さんの方ですよ? ついでに言うと、今文姉とどっちが第二姉なのかで揉めてる最中なんで。そういう問題発言は控えて貰えませんか。 もちろんこの場に二人はいないんですが、姉達はそういう所妙に耳聡いので。「なるほど、大体の事情は理解出来ましたよ」「そうですか、ありがとうございます」「けどそれって、今に始まった話じゃ無いですよね? 何で急に休みを?」「良くぞ聞いてくれました」 今度は一転、決意に満ちた瞳で遠くを見つめる咲夜さん。 だけど何故だろう、その表情を見ていると死ぬほど不安になってくるのは。 そして恐らく、この予感は間違っていない。確実に。 さっきとは違った意味で、何を言われても驚かない様に覚悟を決める僕。 そんな僕に対して、咲夜さんは高らかに休みの目的を告げた。「実は私、この異変を利用して久遠様との親睦を深めようと思っておりまして」「……えーっと、一緒に異変を解決しようって言うお誘いですか?」「いえ、異変に乗じて久遠様をボコボコにして、親密度を上げようと言う企みです」「その企み、行動と得られる結果が噛み合って無いよ!?」「はっはっは、何を仰るメイドさん。幻想郷では殺し合いで絆を深めるのですよ?」「いや、だとしてもおかしい。色々とおかしい。そして棒読みで笑うのは止めてください」 すっごい怖いんですけど。咲夜さん、無理して冗談なんか言わなくて良いんですよ? と言うか、本気ですか咲夜さん。本気なんでしょうね咲夜さん。 とりあえず僕は、助けを求めて妖夢ちゃんに視線を送った。「なるほど! 戦う事で互いを高めあい、相手への理解を深めるのですね!!」 うん、ダメだ。アテにならない。 薄々感じていた事だけど、妖夢ちゃんは知識がどうとか以前の問題で頭悪い気がする。 幾ら幻想郷でも、死んだら生きられない事を一応理解して欲しいんですが。ああ、無理ですかそうですか。 とにかく、妖夢ちゃんが頼りにならない以上、自力でこの場を何とかするしかない。 僕は頭の中で必死に断る言い訳を組み立て、咲夜さんに――「ちなみに断られた場合、私は『夜伽』と言う単語を意味も教えず妹様へと吹きこむつもりです」「さぁ、お互いを理解し合うために戦おうか!!」「ありがとうございます。久遠様ならそう言って下さると思いました」 言う前に、最強の口封じを使われてしまいました。 チクショウ咲夜さんの卑怯者めっ! そんな事したら、フランちゃんが意味を僕に聞いてくるじゃないか!! しかも多分、そう言う時に限ってパチュリーとかレミリアさんとか居るんだ。何故か。 つまりそんな事になったら――確実に僕は死ぬ。惨たらしい殺され方で地獄へ送られてしまう。「そして久遠様が手を抜いたと判断した場合、今度は『花魁』と言う単語を意味も教えず妹様へと吹きこむつもりです」「―――絶対に負けられないっ」 くそぅ、何て的確でギリギリなラインを責める報復なんだ。 逃げ道が用意されてる単語をチョイスする所に、フランちゃんには被害を回さない絶妙な心遣いを感じる。ただし僕は死ぬ。 これはもうどうしようも無いと判断した僕は反論を諦め、魔法の鎧を展開し咲夜さんに相対した。 こうなったらヤケクソだ。お望み通り、全力全開で相手になってやろうじゃないか! ……ああ、何かどんどん異変と関係ない事に巻き込まれつつ有るなぁ。どうしたもんだろうか。「よとぎ? おいらん?」 とりあえず妖夢ちゃんは、何も聞かなかった事にして離れてください。お願いします。