「おいーっす、華扇。元気して――」「…………」「うおっ!?」「…………」「なんだ珍しいね、こんな所で仙人殿が居眠りとは」「……ねてません」「うっひゃぁ!? び、ビックリしたぁ……」「……いらっしゃい」「おう、お邪魔してるよ。――で、どーしたのさ。何だかお疲れじゃないか」「………………」「……華扇?」「…………お節介も、ほどほどにしておかないとダメですよね」「えっ」「……私は、己の限界を知りました」「えっ。マジで何があったんだい、お前さん?」幻想郷覚書 異聞の章・陸拾「妖集悲惨/修行の時間は始まらない」「……それで、もう良いですか?」 ようやく竿打の観察を止めた久遠晶に、私は言外の苛立ちを込めてそう問いかけた。 あれから四半刻は経っただろうか。まさか、一度もこちらを顧みず竿打を愛で続けるとは思わなかったわ。 ……天人が、早々屋台へ戻って八目鰻をつまみ出すワケよ。 真後ろで仁王立ちしていれば気づくと思っていたのに……結局、最後まで無視され続けたわね。「満足しました!!」「そうですか」 これでも私、かなり不満を顔に出していると思うのだけど。 どうして彼は何の反省も感じられない笑顔で、屈託なく私に笑いかける事が出来るのかしら? 舐められているとは思いたくないけど、無様な姿は散々見せてしまったものね。 ……今からでも、彼の印象を変える為に努力するべきかしら。 いえ、止めておきましょう。どう考えても逆効果で終わるのが目に見えているわ。「バカに餌を与えた時点で貴方の負けよ、華扇……もぐもぐ」「仰る通りなのですが、貴女に言われると複雑な気分です」「それで、この大鷲はなんの為に呼んだんですかね? 観賞用?」「それだけは絶対にありません」 とにかく話を聞いて貰える状況にはなったのだから、それで良しとしよう。 私は怒鳴りたくなる衝動を抑え、二人の瞳をじっと見据えた。「――これから、貴方達には私の家で修行をして貰います」「えぇー」「えーっ!」 私の宣言に、同じ言葉で違う反応を返す二人。 ……天人の反応は想定していたけど、久遠晶の反応は想定外ね。 私、そんなキラキラした笑顔で喜ばれるような提案をしたのかしら。 「貴方達を和解させるには、まずその歪んだ性根を叩き直すべきだと判断しましたので」 「それで、仙人の修行をするんですね!?」「……ええ、まぁ。本格的な修行ではありませんし、精神修養が主な目的ですが」「でも、仙人の修行なんですよね!!」「そうなりますね」「うっひょー! テンション上がってきたー!!」 本当、凄まじいまでの歓迎っぷりね。 協力的なのはありがたいけど、こちらの意図はきちんと伝わっているのかしら。 「かったるいわねぇ。そもそも仙人の修行とか、私やるだけ無駄じゃない」「いや、天子は似非天人だから効果あるんじゃないかな。――あ、でも修行したって改善はされないか!」「はんっ、あっさい挑発ね」「だとしたらどうする?」「その喧嘩、買うわ。――この私が万能の天才である事を証明してあげようじゃない!」「はは、万能の天才とか」「やっぱり殺した方が早そうね」「よっしゃ、かかってこいやぁ!!」「喧嘩は止めなさい! その――修行をさせませんよ!!」「……ちっ、仕方ないか」「良いわ。決着は、修行の結果で着けてあげようじゃないの」 ……気のせいで無ければ、話の方向がおかしくなってきているわね。 性根を叩き直すための修行なのに、何でご褒美みたいな扱いになっているのかしら。 しかも何故か、修行で決着をつけようとする流れになっているし。 そもそも勝敗の基準をどうするのよ、その勝負。――いえ、問題はソコだけでは無いのだけれど。「とにかく、これから我が家に貴方達を連れて」「はい!」「…………はい、どうぞ」「予め保護者に泊まりを言っておかないと大変な事になるので、一度家に帰って良いですか!!」「…………………………私が何故修行させようとしているか、分かっていますか?」「僕と天子の性根を矯正するんですよね、分かってます! ――で、帰っていいですか? 大丈夫、ちゃんと戻ってくるから!!」「……どうぞ」「ありがと! では行ってきまーす!!」 元気よく私に手を振りながら、氷の翼を広げて飛んで行く久遠晶。 あっという間に見えなくなった彼の姿を目で追いながら、私は自らの選択を少しばかり後悔するのだった。「今撤回すれば、まだ軽傷で済むと思うわよ? まぁ、止めさせる気は無いけど」「し、しませんよ? 撤回も後悔もしませんからね?」「――止めておけば良かったかもしれません」 戻ってきた久遠晶を連れ、竿打に乗った私達は妖怪の山へと向かっていた。 ……ええ、もちろん大人しく辿り着けるとは思っていなかったわ。 天人と久遠晶が喧嘩をするとか、張り切った久遠晶が何かやらかしたりとか、予想も覚悟も色々としていたのよ? だけど、だからといってコレは……さすがに予想外ね。「楽しみだねー、修行!」「ですね!」「修行が楽しみとか、貴女もかなり趣味が悪いわね」「そんな事言っちゃってぇ、天子さんだって修行する気は満々なんでしょう?」「私は仙人の修行をあっさり片付けて、私の優秀さを見せつけてやりたいだけよ。自分を虐める趣味は無いわ」「なるほど、ツンデレってヤツですね!」「それはない」「それはないわ」「……うう、二人共厳しいです」 背後を振り返り、若干険悪であるものの基本的には和気藹々としている彼女らの会話を横目で眺める。 ――やはり、何度確認しても増えてるわね。 久遠晶と比那名居天子の合間に座り、ニコニコと笑っている巫女の姿。 アレは、守矢神社の風祝ね。 戻ってきた久遠晶と一緒に居て、何食わぬ顔で合流してきたけれど……何で彼女はここに居るのかしら。 天人も深く触れずに受け入れていたから突っ込めなかったけれど、明らかにおかしいわよね。「すいません、一つ聞いてよろしいでしょうか」「何ですか?」「何よ」「何でも答えますよ!!」「その……そちらの女性――東風谷早苗さんですよね? は、何故ここに居るのでしょうか」「家に遊びに来てたので、せっかくなので一緒に来てもらいました!!」「修行に興味がありました!!」 なるほどそういう事――いやいや。 おかしいわよね、それは。明らかにおかしいわよね。「……もう一度、この修業の目的を確認させてください」「みんなでわくわくせんにんしゅぎょう!」「違います」「この私の素晴らしさを、コイツらに思い知らせてやるんでしょう?」「違います!」「晶君と天子さんの性根を叩き直すんですよね!」「なんで貴女が把握していいるんですか!?」「教わりました!」「教えました!」「……つまり、貴方は正しい目的を覚えていたワケなんですか」「そりゃ、たったの数十分ですからね。それで話を忘れるとかありえないでしょう」 ええ、確かにありえないわね。 そんなありえない事をしでかした彼には、一度お灸を据えておいたほうが良いと判断したわ。 だから今、彼の顔面に向けて放った拳はオシオキなの。怒りの衝動に赴くまま突き出した暴力では無いのよ。「――ナイスパンチ。がふっ」「バカがやられたわ」「くくく……しかし晶君は、我らが四天王の中でも最弱」「後二人誰よ、四天王」「……天子さん?」「私か。――まぁ、アレが最弱なら良いわ、許す」「後は………………華扇さん?」「いきなり内部分裂起こしてるじゃないの」「大魔王は誰にしましょう……」「は? 何で大魔王が出てくるのよ、四天王なら出てくるのは神仏でしょう?」「えっ」「えっ」 ……彼女らは彼女らで、何をやっているのかしら。 久遠晶が殴られた事に興味はないのか、頓珍漢な会話を始める風祝と天人。 暴力を振るった私が言うのもなんだけど、良いのかしら流して。 それと、至極どうでも良い事なのだけど……四天王扱いは止めてくれないかしら。 いえ、ほんと深い意味は無いのだけど。「――さて、ジャブ代わりのボケはこのくらいにしておいて」「ジャブの意味は分かりませんが、貴方の使い方が間違っている事は何となく分かります」「話を戻しますけど、早苗ちゃんが居る事の何が問題なんですか?」「何で問題無いと思えるんですか?」 私、何度も確認してるわよね? 遊びに連れて行くワケじゃないって分かってるわよね? 問い詰める代わりに睨みつけてみると、可愛らしい表情で首を傾げる久遠晶。 ふふふ、久遠晶はお茶目ねぇ。――おっと、気付けばまた拳が。「ナ、ナイスボディ……ぐふっ」「だんだんと、バカの止め方が攻撃的になってきているわね」「そのうちスペルカードとか使い出すかもしれません。某都会派魔法使い(失笑)さんみたいに!」「ああ、あの人形遣い?」「そうです、私も尊敬するツッコミの鬼こと私達の常識人アリスさんです!」「アリスにはいつもお世話になってます」「私、そいつの事そんなに知らないけど可哀想だと思った」 私も思った。 いや、そうじゃないのよ。そんな名も知らぬ誰かの事はどうでも――「ふぎゃん!?」「あいたっ!?」「な、何事ですっ!?」「弾幕ね。しかも、恐ろしく正確な狙撃よ」「いったい何者が……」「アリスさんや……アリスさんがお怒りになったんや…………」「この的確なツッコミ、さすがはアリスさんです……」 いやいや、さすがにそれは……。 そんな私の否定は、思いの外真剣だった彼らの表情によって阻まれてしまった。 えっと、そんな、まさか? 思わず弾幕のやってきた方角に視線を送るが、当然その先に人影など見えはしない。 ………いやほんと、まさかよね? 恐る恐る天人の表情を窺ってみると、彼女は困ったように首を横に振り肩を竦めてみせた。 ああ、貴方にも分からないの。良かった、私だけがおかしいのかと思ったわ。「と言うか早苗ちゃん大丈夫? モロに弾幕頭に受けてたけど」「威力は加減されてたみたいなので何とか……うう、最近アリスさんのツッコミが厳しくなってきました」「まさか、アリスが僕以外に弾幕ツッコミをかますとはねぇ。どうしたんだろ?」「分かりません。最近は暇な時にアリスさんの家に押しかけてるんで、だいぶ仲良くなれたと思っていたのですが」「……多分、原因はそれじゃないかなぁ」「ええっ!?」 そのまま、どんどん話を脱線させていくメイドと風祝。 色々と言いたい事はあるはずなのに、それを言ったら負けになると思ってしまうのは何故なのだろう。 ――そうだ、しっかりしろ私。問題は何一つ解決していないのよ? 私は深呼吸をして、他愛ない話を続ける二人の間に割って入った。 「話を戻しますが、構いませんか?」「あ、どーぞどーぞ」「ばっちり聞きますよ! 任せて下さい!!」 すると即座に体勢を整えて、こちらに向き直る二人。 聞き分けが良いのはありがたいのだけど……この二人が真面目な顔をしているだけで、こんなにも不安な気持ちになるのは何故かしら。「我々はこれから、修行による精神修養を試みるワケです」「はい!」「そうですね!」「精神修養と言うと言葉が良く聞こえますが、実質コレは無駄に喧嘩する天子さんと晶さんへのオシオキの様なものです。ここも良いですね?」「はい!」「分かってます!!」「では、再度聞きます。――ここに彼女が居るのはおかしくありませんか?」「えっ?」「おかしいですか?」 ――話が、話が全然通じてないっ! 我ながら丁寧に説明したと思うのだけど、どうしてここまで不思議そうな顔をされるのだろうか。 私は助けを求め、天人の方へと視線を送る。 が。彼女はそんな私の姿を、実に楽しそうな顔で眺めていた。 しまった。二人の天然っぷりに隠れていたけれど、彼女も違う方向に問題児だった。 「……楽しい修行にはなりませんよ」「そりゃ、修行だからね」「当然ですね」「では、何故そんな楽しくない事に参加しようと思ったのです?」「楽しそうだから!」「そうです!!」 ……いや、だから何でそうなるのよ。 凄まじい矛盾を平然と口にする彼らの姿に、呆れを通り越して戦慄すら抱いてしまう。 分からないわ。この二人は、何を期待しているのかしら。 内心で頭を抱えながら、それでも相手を理解するため私は話を続けていく。 ――しかし、やはりどう話しても噛み合わない。 どちらもそれなりに仙人の知識があり、修行の辛さも理解しているようなのだけど……どうしてここまで修行を楽しみに出来るのだろうか。「そもそも風祝たる貴方が、仙人の修行をしても問題ないのですか?」「問題ありません! 神奈子様も諏訪子様も、そんな事で怒るほど心狭くありませんから!!」「いえだから、心がどうこうの話では無くてですね」「ぷくく……もう良いじゃない、素直に諦めて連れて行けば」 正直、もうそれで良いと言う気にもなっているのだけど。 私は同時に、確信に近い予感も抱いているのだ。 ……このまま流され続けたら、きっと最後まで彼らのノリに流され続けると。 そうなれば性格矯正どころではない。散々振り回されて、最終的に疲れだけが残る羽目になってしまう。 私は竿打にゆっくり飛ぶよう密かに指示を出しながら、改めて気合を入れ説得に望むのだった。 とにかく、彼女を連れて行くにせよ意識だけは変えてもらわないと―― なお説得の結果はあえて語らないけれど、修行が上手く行かなかった事だけは一応言っておく。 うん、まぁ、私も薄々そうなるのではと思っていたのだけど……彼らはもう、あのままで良いのかもしれないわね。はぁ……。