「おーい、比那名居のー。どこだーい」「おや、萃香様ではありませんか。どうしたのですか?」「おおっと、龍神の使いじゃないか。丁度いい、天子のヤツを見なかったかい?」「天子様ですか?」「アイツと飲む約束をしてたんだよ。いや、約束はしてないけど。この時間はいつもそうしてるんだ」「……無理やり付き合わされる天子様の姿が想像できますね」「嫌な顔しつつ私より飲むけどね、私より酒に弱いのに。――で、知らない?」「鼻歌交じりで地上へ出かけて行きましたよ。萃香様の事は……何も聞いておりませんね」「ぶー、天子は薄情なヤツだなぁ」「萃香様は、天子様と仲が宜しいのですね」「んー、どうだろ? 面白いヤツだとは思うけど、仲は――分かんない」「分かりませんか」「私は嫌いじゃ無いけどね。アイツ、単純っぽい癖にヒネてるからさ」「ふふふ」「……そこで否定も肯定もせず笑うあたり、アンタもイイ性格してるよね」「そうでもありませんよ」「よしっ、じゃあしょうがないからアンタと飲む事にしよう!」「ふふ、喜んで。ではお酌させていただきますね」「ちゃんとそっちも飲めよー?」「もちろんです。私も実は、お酒が結構好きなんですよ」「さっすが龍神の使い。それじゃ私も、とっておき空けちゃおうかな!」「いよっ、お大尽!」「……わりとノリも良いんだね」「でしょう?」幻想郷覚書 異聞の章・伍拾捌「妖集悲惨/片腕有角の仙人」「ごちそうさまでしたー」「ごちそうさま。悪くなかったわよ」 思う存分食べた私とバカは、ほとんど同時に丼を置くと夜雀に向かって手を合わせた。 いやはや、本当に酷いくらい下品な味だったわ。おかげでご飯を二杯もお代わりしちゃったじゃないの。「――で、そろそろ良いですか?」 そんな私達の背後から、露骨なまでの不満さを露わにした声がかけられた。 声の主は、私達の喧嘩を仲裁しようとしていた謎の人物だ。 途中から完全に無視していたのだけど、あっちは律儀に食べ終わるのを待っていたらしい。「あれ、まだ待ってたんですか? てっきりもう帰っているもんだとばかり」「ぐっ!?」「うっわ、バカったらひどーい。私も「頭悪いわねコイツ」とは思っていたけど、口には出さなかったのに」「ぐぐぐ……」「確かに失礼だったけど、ワザとそういう事を口にするお前にだけは言われたくない」 私は良いのよ、私だから。 しかしまぁ、残っていてくれたのなら相手をしてあげましょうか。 私は椅子に座ったまま軽く身体を捻り、怪人物へと初めて視線を送る。 ――そこに居たのは、全身桃色の‘モドキ’だった。 バラの意匠を凝らした服に左腕全体を覆う包帯、桃色の髪を纏めている二つのシニョンキャップ。 ふむ、見た事も無い‘モドキ’……いえ、違うか。面識は一応あったわね。「茨木華扇――だったかしら。天人モドキの」「仙人です。否定は難しいですが、仙人は天人の成り損ないではありません」「つーか、そもそもモドキなのはてんこの方じゃん」「――はぁ? このケチのつけようのない天人様であるこの私の、どこらへんがモドキだって言うのよ」「ぜんぶ」「良いわ、腹ごなしにその喧嘩買ってあげるわ」「ちょ、ちょっと! また喧嘩は止めてくださいよ!!」 今度は私とバカの間に身体を割りこませ、無理矢理に喧嘩の仲裁をする‘モドキ’。 必死ね。そんなに無視され続けた事が効いたのかしら。……意外と柔じゃない。「まぁ、華扇さんがそういうなら……」「――ん? 何よ、アンタもコレの事知ってるの?」「うん、ちょっと前にお話する事があってね。……ん? あってね?」「どうしたのよ、ブッサイクな顔して。――あ、それは元からだったわね」「ぶっ飛ばすぞこのアマ」 こちらに悪態をつきながらも、バカの視線は茨木華扇に向けられていた。 単に色気づいているだけなのか、それとも何か気になる事があるのか、バカは彼女の全身を何度も見回していた。 そういや、コイツは確か「第三の眼」を持ってたわね。 ひょっとしたらこの仙人の身体に、何か気になる所でもあったのかもしれないわ。 ……ふーむ、おかしな所ねぇ。「えいっ」「ひぃあっ!?」「ぶふっ!?」 とりあえず、真っ先に目についた巨大な胸を鷲掴みにしてみた。 手のひらから溢れるほどの大きさ、それに揉みしだく指を倍の勢いで弾き返す弾力。 ――感触は悪く無いわね。癖になるって程では無いけど、揉み続ける事に拒否感は出てこないわ。「ふぁ、へ、ぁう?」「て、ててて、天子さん? な、何してんの?」「アンタがコイツに怪訝そうな視線を向けてたから、何かあるのかと思って」「それと胸を揉む事の関連性が分からない!」「意味は無いわ、何となくよ。……ところで晶」「なにさ」「牛の乳搾りってこんな感じなのかしら」「色んな意味で知らねーよ! 僕に振るなっ!!」「そ、そですっ。はっ、離しっ、離してくだだささいっ!!!」 ようやく硬直から脱した華扇が、ほとんど転ぶような形で私の手から逃げ出した。 おーおー、顔を真っ赤にして生娘みたいに慌てちゃって。 異性ならともかく、同性に乳揉まれても問題なんて無いでしょうに。 と言うか誇りなさいよ。天人たるこの私に揉まれたんだから、一生ものの思い出にしなさい。「にゃ、にゃー! にゃにをするんですかっ!!」「だから、コイツの視線の理由を知りたくて揉んだのよ」「待てぇい!! その言い方だと、痴漢の原因が僕に有るみたいになっちゃうじゃん!!! 訂正希望!」「それじゃ、何が気になってたのよ」 コイツが知り合いに対して、あそこまで不躾な視線を送るなんてかなり珍しい話だ。 好奇の視線なら山のように送るでしょうけど、少なくとも今のはそういう意味の視線じゃ無かったわね。「あーいや、その……物凄い変な話なんですけどね?」「アンタの変な話なんていつもの事じゃない」「うるさい! あの、華扇さん」「にゃ……ごほん、何でしょうか」「……僕達って、本当に知り合いでしたっけ?」 申し訳無さそうに、けれどもハッキリとした口調でそう問いかける久遠晶。 質問と言う形で尋ねているけど、バカは何かを確信しているようね。……珍しいわ。 対する華扇はバカの質問で逆に落ち着いたらしく、腰砕けになりかけていた体勢を立て直して立ち上がっていた。 ま、顔は若干赤いままだけど。そこまで冷静にはなれなかったみたいね。「僕は今、華扇さんに対して色々な疑問を抱いています。……僕達が初対面で無いなら、何らかの形で‘解決している’はずの疑問です」 そういったバカの視線は、二つのシニョンキャップと包帯の巻かれた左腕に向けられている。 ……なるほどね。ヤツの‘眼’には、アレの中身が見えているワケだ。 そして、その中にはバカが好奇心を解消しなければ気が済まない程の代物が隠れていると。 ――ふーむ、何となくカラクリが見えてきたわね。 だとするとやはり、私も‘そう’されたと言う事なのかしら。「華扇さん、もう一度聞くのでハッキリ答えてください。――僕達って本当に知り合いなんですか」「……もちろん、そうですよ」 晶の問いを肯定する華扇だが、言葉に力は感じられない。 恐らく、バカの疑問は‘モドキ’の想定していなかったモノなのだろう。 ま、分からないでもない。この私だってバカが言わなければ気付かなかったのだ。 つまりバカが特別に優れていたワケでは無い。単に相性が良すぎたからこうなったのである。 ……ひょっとしたら、ガチでバカがど忘れしてた可能性もあるけど。 その場合、今の力無い返答の意味は百八十度変わる事になるわね。無いでしょうが。「そうですか――なら良いんです、変な事聞いてスイマセン」 そしてあれだけ深刻そうな顔していた癖に、一言聞いただけであっさり納得するバカ。 そこで追求しない所がバカのバカたる所以よね。まったく詰めの甘い男だ。 ……まぁ、私も面倒だから放置するけど。ぶっちゃけ‘モドキ’が何を考えてようと私の知った事じゃないし。「じゃあ改めて――ねぇ、仙人って何してるの!? なんか妙なモノ見えるけど何!? 華扇さんの事を根掘り葉掘り聞かせて!」「え、いや、その、それは……」 ああ、なんだ。さらっと流したのは、単に知人か否かが些細な問題だったからなのね。 物凄い食いつきっぷりを見せるバカと、グイグイ追い込まれて戸惑う‘モドキ’の姿を鼻で笑う私。 まったく、みっともないったらありゃしないわ。 少しはこの私を見習って、もっと落ち着きと気品を持って行動できないのかしら。「落ち着きなさい、バカ。見苦しい振る舞いは自らの格を落とすわよ」「と言うか華扇さんって本当に仙人なの? なんか、特長的にはどう見ても……」「――コラァ! バカの分際でこの私を無視するとはどういう了見よっ!!」「ごっはぁ!?」「……見苦しい振る舞いは、自らの格を落とすんじゃなかったんですか?」 知らないわよ! この私を無視するなんて、許されざる行為だわ!! 私達の間に割り込んでいた‘モドキ’を押しのけ、キラキラ鬱陶しいバカの顔を緋想の剣の柄で思いっきり叩いてやった。 不意打ち気味の一撃を無防備に受け、派手に吹っ飛ぶバカ。 しかし即座に体勢を立て直すと、元の位置に戻る勢いでこちらに向かって蹴りを放ってきた。 まぁ、当然防ぐけど。純粋な体術でこの私に勝てるワケ無いじゃない。バカね、笑ってやりましょ――がっ!? 「――必殺、アイシクル・オーラルスパイク」 「く、口の中で氷塊を広げるのはやり過ぎじゃありませんか!?」「だいじょぶだいじょぶ、天子くらいにしか使わないから」「如何に丈夫な天人だからと言って、身体の内部に攻撃を仕掛けるのはどうかと……」「へー、天人って身体の中も丈夫なんだー」「知らずにやったのですか!?」「天子だからどうでもいいカナって☆」「良くありませんよ!!」「がほっ、ごほっ……や、やってくれたじゃないの」 笑った時に口を開けた際の隙をつかれるとは、まだまだこの男を甘く見ていたと言う事か。 口内で砕いた氷の欠片を吐き出しながら、私はバカの事を睨みつける。 まさしく一触即発。いつ殴りかかってもおかしくない空気の中、最初に動いたのは‘モドキ’だった。「いい加減にしなさい! 事あるごとに突っかかって……どうしてそんなに仲が悪いんですか、貴方達は!!」 再び私達の間に割り込んで、怒りを露わにする華扇。 今まで耐えていた分が爆発したのだろう。……結構耐えたわね、耐える必要も無かったでしょうに。「互いの相性が悪いと言っても限度があります! 何故そこまでいがみ合うのですか!!」「強いて言うなら、バカのせいよ」「まぁ、僕のせいだね」「そうやって相手のせいに――ぃ?」 ここまで拗れた原因は、間違いなくバカのやった‘アレ’になるだろう。 もちろん、アレが無かったら仲良くやれたなんて可能性は無いけど。 それでも致命的なまでに私とバカの仲が悪化したのは、だいたいアレのせいだと言って過言ではない。「……その、分かっているなら謝罪するべきではありませんか?」「謝罪? 冗談じゃないわ、何で私が謝られないといけないのよ!」「えっ」「だよね、そうなるよね」「えっ?」 謝られる理由など何もない。いや、コイツが私に謝るべき事は山のようにあるけど。 少なくとも、‘鬼’の事でバカに謝罪される謂れは無い。欠片も無い。絶対に存在しない。「……良く分からないのですが、すでにその件で和解は済んでいると言う事ですか?」「和解? ハハ、何それ美味しいの?」「すっごい嫌だけど同意見よ、コイツと和解するくらいならコイツ殺すわ。和解しなくても殺すけど」「おう、やれるもんならやってみろや」「止めなさい! ――つまり、その、貴方達は互いに歩み寄るつもりは無いのですか?」「無いわ」「ありません」「少しくらい譲歩しても……」「してるわ」「物凄い譲歩っぷりだよね、こうして会話してるワケだし」「……譲歩しないと、会話すらしないのですか?」 まぁ、譲歩しなかったら相手が死ぬまで殺し合う事になるわね。 その場合、死ぬのは間違いなくバカの方だけど。 私は慈悲深いから、そこまで凄惨な戦いは仕掛けないでおいてあげているのよ。 「私のおかげで命拾いしているわね、バカ」「ハハハ、そちらこそ」 ……けどまぁ、適当に攻撃した結果うっかり死ぬのは仕方ないわよね。 それはバカが弱かったってだけの話だし。そうそう、仕方ない仕方ない。「だから死になさい!」「そっちこそ!!」「あーもー! だから、喧嘩をするのを止めなさいと言ってます!!」「今のは喧嘩じゃないわ。ちょっと気に食わないバカをぶった切ろうとしただけよ」「ですね!」「……よーく分かりました。すでに貴方達の仲は、自分達ではどうしようも無いくらいねじ曲がってしまっているのですね」「ちょっと違うわ」「どうしようも無いって言うか、そもそも何もする気が無いって言うか」「余計に悪いです! そうやって貴方達がいがみ合いを続けるなら、私にも考えがありますよ!!」「帰んの?」「おつかれさまでーす」「帰りませんよ! ええ、貴方達の仲を改善するまでは絶対に帰りません!!」 何だか意固地になっているわね。他人の喧嘩なんだから、遠巻きに見ながら笑っていればいいのに。 しかも帰らないって……ソレ、私達以上に店主に迷惑かからないかしら。 まぁ、全然平気そうにしてるけど。弱っちい妖怪のわりに、存外面の皮分厚いわよね。「自分で言うのもなんですけど、無駄な事はやめといた方が良いと思いますよ?」「絶対に止めませんよ! 仙人として、お二人の仲を意地でも取り持ちますから!!」「何でそんなにやる気なのよ……」 あー、分かったわ。なんかウザいと思ったら、コイツ人里の守護者と同じ性格してるのね。 見事なまでのお節介焼きで、一度火がつくとどれだけ水をぶっかけても止まらない……私が一番キライな人種だわ。 どんどん燃え上がっていく華扇とは反対に、私とバカはどんどん冷静になっていくのだった。 ……帰っていいかしら、私の方が。