「落ち着いたかしら、椛」「ええ、ご迷惑おかけしました……グス……もう大丈夫です……」「いやいや、全然大丈夫に見えないよ」「こんな言い方じゃ納得できないでしょうけど、犬に噛まれたと思って諦めなさい。それくらい相手が悪かったわ」「……はい゛」「あーあー、顔が涙でぐしょぐしょじゃないか。ほら、拭いた拭いた」「ずびばぜん……ちーん」「それにしても迂闊だったわね。分かっていたつもりだけど、晶さんの実力を大分甘く見積もっていたみたい」「私も今更ながら驚いたよ。……アキラって強かったんだねぇ。私が思ってたよりもずっと」「ええ、だけど強くないとおかしいはずなのよね。今までの経歴から考えて」「だよねぇ。ひょっとしたら、文と同じくらい強いんじゃないのかい?」「可能性は高いわね。相性で結果は変わってくるでしょうけど、それでも良い所までは行くんじゃないかしら」「…………」「…………」「全然そんな気がしないね」「全然そんな気がしないわね」「ズズ……さすがにそれは、久遠殿が可哀想ではないだろうか」幻想郷覚書 天晶の章・拾伍「指向錯誤/飛び切り危険なストレートフラッシュ」「とりあえず、その神剣とやらを見せて貰えぬかの」「はい、先生!」 名前に関するちょっとした問題を無かった事にして、僕等は修業を開始した。 お爺さんの呼称を「先生」としたのは、僕なりの心遣いと言うヤツです。 ……野薊さんで通しても良いけど、毎回ちゃんと返事が貰えるとは限らないからなぁ。「む、どうかしたか、晶よ」「いえ、何でもありませんサー!」「……変わった訛りじゃのぅ。どこの出じゃ、君は」 あ、軍隊用語は通じないんですかそうですか。 うーむ。これはジェネレーションギャップなのか幻想入りして無いが故の反応なのか、判断に困る所だね。――では無くて。 条件反射で思わず普通に頷いちゃったけど、果たして本当に神剣を見せて良いのだろうか。 いや、見せないと話が始まらないのは分かってるんですけどね? つい先程皆から神剣全否定を喰らった今の僕に、二度目の否定を受け入れる余裕は無いんですよ。 ザ・剣豪みたいな先生に「その剣は危険だから使うな」とか言われたら、泣き寝入りする自信がありますからね。 「それで、見せては貰えんのか?」「あ、すいません今見せます」 とは言え、僕が使う剣は基本的に神剣だからなぁ。指導して貰うなら見せるしか無いだろう。 僕は覚悟を決めて、再び神剣を顕現させる。 再度どうでもいい用件で呼び出されたのにも関わらず、神剣はやる気満々に輝いていた。ゴメン、何かゴメン。「えーっと、どうですかね? 僕は中々可愛いやつだと思ってるんですが」 我ながら良く分からないフォローを入れつつ、ブンブンと剣を振りまわしてみる僕。 その煌めく刀身をじっくり眺めた先生は、朗らかな笑みで言ってくれた。「うむ、良い剣じゃな」「ええっ、本当ですか!?」「……何故、そこで君が驚くんじゃ?」「すいません、褒められると不安になるタチでして」「難儀な性格しとるのぅ」「と言うかこの剣、本当に剣豪の先生から見ても良い剣なんですか? 何でも斬れる危険物扱いじゃ無くて?」 思わぬ先生の評価に、ついうっかり言わんでも良い事を口にするその危険物の持ち主兼使い手の僕。 心無しか神剣の光が萎えている様に見えたのは、気のせいと言う事にしておこう。ほんとゴメン。 ちなみにそんな僕の疑問に、先生はそれはそれは見事な大笑いを返してくれた。 ……素っ頓狂な事を聞いたという自覚は僕にもあるけど、ここまで笑われるとさすがにムッとしてしまう。 そんな僕の心境を察してくれたのか、先生は真面目な表情に一転して質問に答えてくれた。「笑ってすまなんだ。しかし晶よ、刀と言うモノは基本斬ってなんぼだ。それを言ったら全ての剣が危険物になってしまうぞ?」「まぁ、実際問題剣なんてもんは総じて危険物だと思いますが……僕の剣は本当に‘何でも’斬れますから」「何でものぅ……ふむ、それなら言うより見せた方が早いか」「ほへ?」 蓄えた髭を撫でながら、先生が僕の真正面に立った。 そのまま悠然とした構えを維持し、先生は腰に差した二刀へと左腕を添える。「晶よ、儂に弾幕を放ってみるが良い。……そうじゃな。出来れば実体の無い技の方が、分かり易くて良いかもしれんな」「えええ!? いきなり何事ですか!?」「説明は後じゃ。ほれ、無理じゃと思うたら避けるから遠慮せず撃ってこい」「あの、そう言いながら避ける気配が欠片も見受けられないんですが、本当に……」「良いからやらんか!」「はいぃっ!!」 先生の迫力に押されてスペルカードを取り出す僕は、まごう事無きチキンだと思われます。 うう、本当に大丈夫なのかなぁ。実体弾じゃ無い方が良いとは言われたけど、非実体系弾幕ってヤバいのだらけなんだよねぇ。 とは言え先生の放つ雰囲気は、風弾等で御茶を濁す事を許してくれそうに無かった。 ……まぁ、先生なら大丈夫だろう多分。あっさりと思考放棄した僕は、躊躇しつつもスペルカードを発動させる。 ―――――――転写「マスタースパーク」 放たれた光の奔流が、先生に向かって襲いかかった。 うん、何でマスパを選んだって言いたい気持ちは分かるよ? だけど半分非実体な風弾を除くと、一番低威力な非実体系スペカはコレになってしまうワケで。 ……アブソリュートゼロはワイバーンと比べれば確かに威力が下がってるけど、マスパと比べるとあんまり変わらないからなぁ。 せめて、威力くらいは低めに抑えれば良かった。 今更その事に思い当たり頭を抱えた僕だけど――そんな僕の杞憂は、次の瞬間吹き飛ばされる事になる。「――覇ぁっ!!」 鞘から太刀が抜かれるのと同時に、光が真っ二つに両断された。 その刀身からは霊的なモノを僅かに感じるけど、マスタースパークを断ち切る程の力強さは見受けられない。 つまり、先生はほとんど技量だけで実体のない弾幕をぶった切ったワケだ。 ……幻想郷の異常っぷりは身に沁みて分かっているつもりだったけど、まさか武術でさえ例外に含まれないとは。 いやまぁ、美鈴とか妖夢ちゃんとか、その道の達人たちは今までも散々見てきたワケですけどね? マスタースパークぶった切りは内容以上に衝撃がでかいです。これは多分、視覚的なインパクトも絶大だからだろう。「とまぁ見ての通りじゃ。ある程度剣を修めれば、獲物が何であれ斬れん物など無くなるのじゃよ」「いやいや。ある程度修業しただけで何でも斬れるようになるなら、剣の達人は刀だけで天地創造が出来ちゃいますよ?」「かっかっか! 青い、実に青い。強くなる事のみが、道を極めるための術じゃと思っている所が特に青いわい」「……違うんですか?」「儂もかつては同じ事を思っておった。じゃがな、全てを断つ剣など誰も求めておらんのじゃよ」 ああ、それは何となくだけど分かります。無駄に破壊力の高い武器って扱いに困りますよね。 僕が頷いて同意を示すと、先生は太刀を鞘に納めて満足げに笑みを返してきた。「君の剣を『良い剣』と評したのは、万物断つ力を秘めていたからでは無い。儂が評価したのはその剣の‘忠誠心’じゃ」「忠誠心、ですか?」「うむ。強大な力を持ってはいるが、その剣に有るのは『主の意思に沿う』事だけじゃ。君もそれは感じておるじゃろう?」 確かに同じく超威力な「幻想世界の静止する日」に比べると、従順と言うか物分かりの良いイメージはある。 まぁそれでも、充分扱い辛い印象があるんだけど……これは単に僕が使いこなせて無いからだろうか。 出しっぱなしの神剣に視線を向けると、その刀身は先生の言葉に同意するかのように一瞬輝きを強くした――様な気がする。「剣とは、斬れぬ物があるくらいで丁度良いのじゃ。故にただ全てを斬れるだけの剣など半人前よ」「いや、そう言われましても。神剣の切れ味の落とし方なんて僕には分かりませんよ?」「何を言っとる。先程言うたじゃろうが、その剣は主の意志に沿うと」「……つまり、僕が斬るものの選別をしろと?」「出来るはずじゃ。その剣は、恐らく君に使われるため生まれたのじゃからな」 先生の言葉を受けて、僕は神剣を生み出した時の事を思い返す。 フランちゃんと初めて‘遊んだ’あの時、神綺さんに導かれ僕は――そう、力に理由を与えたんだ。 皆と対等でいたい。それは多分、今でも変わらない僕が強くなるための理由。 ……だとしたら、神剣がそのために望んだ力なのだとしたら、以前聞こえたあの‘声’は。「ふむ、何か悟った様じゃの」 先生の言葉に、僕は無言で頷いた。 ……あの声は多分、神剣の‘訴え’なのだと思う。 もっと僕の望む様に力を使えると、もっと僕のために力を振るいたいと、神剣はずっと僕に語りかけていたのだ。 もちろんコレは、根拠も何もないただの推測でしか無いけれど。 満足した様に穏やかな光を放つ今の神剣の姿が、少なくとも的外れな意見で無い事を雄弁に語っていた。 いやまぁ、僕の気の所為と言う可能性も捨てきれないけどね? それを言ったら声自体が幻聴である可能性もあるワケだし――とにかく。「斬るべき物を斬り、斬らざる物を斬らない。これが先生の流派の『心得』なんですね?」「……当たらずとも遠からず、と言った所じゃな。だが、そこを取っ掛かりにするのは悪くない」「取っ掛かりですか?」「そうじゃ。零から叩きこむよりも、今あるモノを伸ばした方が良かろう。なぁに、多少ズレとろうが最終的に辿り着く所は同じじゃて」「教わる立場でこんな事を言うのはアレですけど、先生は剣の道を甘く見過ぎてる気がします!」「最終的に極められれば、どんな剣を使おうが多少道が間違っていようがオッケーじゃね?」「ついに言ってはいけない事を!?」「かっかっか、冗談じゃよ」 いや、本気だったら大問題ですよ!? 嘘だとしても肝が冷えるレベルの冗談をかまし、朗らかに笑う先生。茶目っ気たっぷりですね自重しろご老体。 そしてひとしきり笑いきった後、先生は真面目な表情で言葉を付け加えた。「じゃが、剣を極めるのに決まった道程が無いのもまた事実よ。剣を振るい続ける以外の修業は全て間違いだ、等と誰が断じれる」「ど、努力は大切だと思いますよ」「努力の方向性は一つじゃ無かろうて。……それに基礎からきっちり教えると、握り方と素振りで今日が終わってしまうぞ?」「多少ショートカットした所で結局は千里の内の一歩! 後ろを振り返るよりも前に進むべきだよね!!」 すっぱりと擁護意見を放り捨てて、僕は剣を正眼に構えた。――ヘタレって言うな、分かってるから。 不思議な話で、一度意味が分かるとあれ程聞こえなかった声が饒舌なくらい頭の中に響いてくる。 と言うかちょっと聞こえ過ぎじゃない? 何か凄いテンション高いんだけどこの神剣!? あ、うん、分かった。嬉しいのは分かったから、ちょっと静かにしててお願い。 協力的過ぎる神剣に言葉を抑えて貰い、僕は大きく息を吸い込んだ。 ……さて、先生はああ言ってくれたけど、本当に僕の意志だけでそんな事が出来るのだろうか。 全てを斬る剣で、何一つ斬らないなんて事。「すでに必要な要素は揃っておる。心を空にして、剣に全てを委ねてみよ」 ……心を空にするのは無理だけど、剣に全てを委ねるのは出来るかな。 僕は出来るだけ何も考えない様にして、じっと刀身を見つめた。 すると段々、色んな物が希薄になっていく気がする。 まるで、世界の全てから切り離された様な感覚だ。けれどそれなのに、不思議と恐怖も孤独も感じない。 気付けばいつの間にか、刀身の輝きが今まで見た事も無い程に強くなっていた。 そっか、分かった。やれるんだね。 「――はぁぁぁぁあっ!!」「む!?」 剣を正眼に構えたまま、僕は先生に向かって駆け出す。 途中で剣を大上段に構え直すと、岩に座ったままの先生に神剣を振り下ろした。「――――」「――――」「――で、出来たぁ!!」 地面には、剣を振るった軌道の跡がくっきりと残っている。 しかし同じく軌道上に居た先生は、傷一つ付く事無く真っ二つに割れた岩へ腰かけていた。 おおぅ、今更ながら成功した事に安堵を感じずにはいられないよ。 我ながら無茶な事をしたもんである。いやでもね、あの時は何かある種のトランス状態だったと言うか、何でも出来そうな気がしたんですよ。 物凄い万能感があったと言うか。とにかく普段と違う感じがしたんです。 うん、とりあえず僕は、先生に謝らないといけないね。「あの先生、スイマセンでした。いきなり攻撃しちゃって」「……………むぅ」「せ、先生?」「夢想天生、か」「むそーてんせー? ……先生の流派の奥義ですか、それ?」「奥義……そうじゃな。奥義ではあるな」 うわぁ、何それカッコイイ。 胸に七つの傷を持っている男が悲しみを背負って使ってきそうですね! もちろん仮面は被って無い方で。 と言うか、流派の基礎を学ぶつもりが奥義を身につけました、なんて話有り得るんだろうか? 確かに「基礎を究極まで極めたら奥義になる」って話は良く聞きますけど……幾らなんでもお手軽過ぎやしませんかね。 いや、もしくはそれくらい僕とこの奥義の相性が良かったのかもしれない。さすが僕、天才ダネッ!! ……すいません、調子に乗りました。無い、さすがにそれは無い。「く、くく……かかっ、かっかっかっ!!」「せ、せんせぇ?」「いやはや、この様な事が起こるとは。長生きはしてみるもんじゃて。かっかっか!」 僕が自分の脳内で一人ボケツッコミをしていると、先生がおかしくて堪らないとばかりに笑い声を上げた。 どうやら、僕が「夢想天生」とやらを使ったのが相当に面白かったらしい。 先生は満足そうに何度も頷くと、僕の肩をバシバシと叩いてきた。「まだ完全な形にはなっていない様じゃが、今のは間違いなく『夢想天生』よ。才はあると思ったが、よもやこんな形で開花しようとはな!」 えーっと、つまりどういう事なんですかね? 余程面白かったらしく、こちらへの説明を放棄して笑い続ける先生。 おかげで僕は、何が起きたのか全く分かっておりません。 分かるのは、僕のやった「夢想天生」が未完成版だったって事くらいか。 確かに僕も何かが足りない――いや、何かが‘余分にある’気はしていましたけどね? そんな中途半端な切り方をされると結局何も分からないので、出来れば続きを口にして頂きたいんですけど。「斬る物、斬らざる物を己が基準で選別できるなら、それ即ち何者にも囚われない――と言う事か」「……はて、そのフレーズどこかで聞いた様な。じゃなくてですね先生」「かっかっか。面白い、実に面白い。これだから剣と言うのは止められぬわい」 そう言って立ち上がった先生は、おもむろにどこかへ――。 ってちょっとぉ!? どこに行くつもりですか先生!「あの、僕まだ剣の振りかた一つ教わって無いんですけど!?」「つまり教わる必要が無い、と言う事じゃよ。君に必要なのは剣の振り方では無い。奥義『夢想天生』を究める事じゃ」「そ、それにしたって、アドバイスの一つや二つ……」「かっかっか、いつまでも師が引っ張ってくれると思うたら大間違いよ。そこから先は、自分の足で進む事じゃな」「せめて、もうちょっとだけ引っ張ってくれてもバチは当たらないと思いますヨ!?」「優秀な弟子じゃった。一日で儂の手を離れて行くとはのぅ」 ダメだ、すでに扱いが過去形になってる。 どこを見てどう判断したのか知らないけれど、先生の中ではすでに僕は手を出す必要の無い子だと判断されたらしい。 いや、本当に何でですか? 自分では良く分からないんですが。 ワケも分からず混乱している僕を、先生は嬉しそうな笑顔のまま撫で始める。 その表情には、気のせいか寂しそうな色も含まれている気がした。うん、多分気のせいだ。 「すまぬの。じゃが、君が真に修めるべきモノは剣術で無いと儂は思うのじゃよ」「ほへ? でも、夢想天生は剣術の奥義ですよね?」「さてどうかのぅ……極めてみれば、それも分かるかもしれぬな」 意地の悪い口調でそう告げて、先生は踵を返す。 そこから先の答えは自分で見つけろ、と言う先生なりの意思表示なのだろう。 もう何を言っても、先生は前言を翻してくれそうに無かった。「一日にも満たぬ師弟関係じゃったが、良い勉強になった。感謝させて貰うぞ」「いや、まぁ僕も、勉強になった……と思いますよ? 多分」「かっかっか、素直に実感が湧かないと答えても良いのじゃぞ? まぁ、言った所でこれ以上教える気は無いがのぅ」「やっぱりですか……」「じゃが何れ、今日学んだ事の意味が分かる日は必ず来るじゃろうて。その時には――そうじゃな、是非手合わせでもお願いしようか」「あっはっは――御断りします」 先生の物騒な言葉に、僕は笑顔で断りの言葉を返した。 しかし先生は、聞こえなかったと言わんばかりににこやかな笑顔で頷いてくる。 いや、だからしませんからね? これでも僕不要な戦いはしない主義なんですからね!? そんな僕の無言の訴えに気付いているのかいないのか、相変わらず笑顔のままな先生の周囲にはいきなり半透明の何かが絡まり―― 僕が瞬きするのと同時に、先生の姿を包み込んで完全に消えうせた。もちろん、中の先生と一緒に。「えっ」 右を見ても左を見ても、先生の姿はどこにも見当たらない。 ――え、つまりそういう事なの? いや、幻想郷では珍しくないとは思うけど。 残された僕は状況を上手く把握できないまま、とりあえず感想を口にするのだった。「なるほど、死んだ後でも剣に生きる。これが本当のリビングデッド――なーんちゃって」 うん、とりあえず僕の座布団は全回収してくれて構いません。……うう、言うんじゃ無かった。