「それじゃあお燐、悪いけど男湯を用意してくれないかしら」「えっ? まさかお兄さん、本当に男友達を連れてくるんですか?」「意地になっていたから、確実に連れてくると思うわ。下手したら友達で無いのを友達と言い張るかもしれないわね」「……そうなった場合、あたいらはどうすれば良いんでしょうか」「受け入れてあげましょう。それが優しさと言うモノよ」「いやでも、さとり様にはバレバレなのはお互い分かっちゃってますよね?」「ふふ、それが良いんじゃないの。その時のあっきーの内心を考えるとウキウキしてくるわ」「さとり様……友人相手にそういう事をするのは良くないと思いますよ」「あっきーなら大丈夫ですよ、その手の扱いに慣れてますから」「いや、慣れてりゃ良いってモノでも無いと思うんですが」「大丈夫です。私は、あっきーの事を信じています」「そんな真っ直ぐな目で言われても……」幻想郷覚書 異聞の章・参拾漆「群怪折実/危ない橋も一度は渡れ」 襲いかかってきた妖怪達を無事に退けた僕らは、再び洞窟の奥へと向かってのんびりと進んでいた。 不思議な事に、進めば進むほど光源の無いはずの洞窟全体がほんのりと輝いていく。 もったいないけれど、もうランタンは必要ないな。とりあえずコレは火だけ消して腰にでもかけておこう。「思ったよりも良い環境だね。旧地獄と言うだけに、もっとおどろおどろしい場所を想像していたのだが」「所々に地獄の名残はありますけどねー。――おっと、見えてきましたよ。あれが地上と地底を繋ぐ橋です」「ほぅ、アレがそうなのか。意外と地味……何をしてるんだい?」「準備運動です」 突然歩みを止めた久遠晶は、銀色の鎧を装着して身体を軽く動かし始めた。 その視線は、橋の一箇所をずっと見据えている。 同じように僕もその方向に視線を送ると、そこには橋の傍らに立つ妖怪の姿があった。 距離があるため細かい容姿までは分からないが、女性である事くらいは辛うじて判別出来る。 相手もこちらには気付いていないようだ。何も無い宙空を眺めながら、物思いに耽っている……様に見える。 実際に何をしているのかは良く分からないがね。僕の視力では、性別を確認するだけで精一杯だ。「じゃ、ちょっと先行させてもらいます! 霖之助さんはゆっくりで良いんで、後から追いついてくださいね!!」「ゆっくり追いついてくれって……」 こちらの身の安全はどうなるんだ、と僕が問いかける前に久遠晶は動き出した。 這うような前傾姿勢を取ると、ゆっくりと脚に力を込め――そして消える。 は? あ、いや、違う。消えたんじゃない、単に移動しただけだ。 ただあまりにも速く、あまりにも静かだった為、僕の目には消えたように映っただけなのだろう。 そして高速で移動した久遠晶は、音も無く件の女性に近づくと不意を打つ形で背後から彼女に抱きついた。 「ぱっるしぃさぁーん!!」「ぎゃああああ!?」「久しぶりー! 会いたかったよー!! パルスィ可愛いよパルスィ、ちゅっちゅー!」「止め、放り投げるな! 抱きつくな!! 頬に口付けは止めなさい!」 ……大惨事だな。 とりあえず久遠晶の言葉通りゆっくり後を追う事にしたのだが、橋の方はだいぶ酷い事になっていた。 どうやら、橋に居た女性と久遠晶はそれなりに親しい? 関係だったらしい。 パルスィと呼ばれた妖怪に抱きついた彼は、信じられないほど昂った状態で彼女の事を可愛がる。 何故か一人で胴上げしたり、投げ飛ばすのかと思うほど振り回したり、愛情表現なのか嫌がらせなのか判断に困る愛玩っぷりだ。 実際、やられている方はわりと本気で嫌がっている。 それでも為すがままなのは……実力の差があり過ぎて抵抗出来ないからか。可哀想に。「……そろそろ放してあげたらどうだい? 再会の挨拶にしては手荒すぎると思うのだが」 ようやく追いついた僕は、女性を弄ぶ久遠晶に声をかけた。 別に彼女の境遇に同情したワケでは無い。ただ、このまま放置していたら延々と彼女で遊び続けるのではと危惧しただけだ。 僕の言葉を受けた彼は、最後に高々と放り上げた女性を受け止めると満足気な表情で彼女を解放した。「はふぅ……そうですね。満足したので終わる事にします」「ね、妬ましいわ。いきなりやってきてこの扱い、私は何だと思われているのかしら」「大事な……友達ですよ」「心の底から妬ましくて腹立たしいわ」 だろうね、僕もそう思う。 恐ろしく良い笑顔で言い切る久遠晶の姿に、無関係な僕でさえイラッとした気分になった。 とりあえず、無意味にタメるのは止めておいた方が良い。確実に意図してやっているのだろうけど止めた方がいい。 おっと、ついに我慢しきれず女性が武力行使に出たか。正直遅いくらいと言うか、今までやらなかったのが不思議なくらいだが……。 うむ、これっぽっちも効いてないな。やはり実力差が如何ともし難い。「あ、ちなみにこの人は森近霖之助さん。僕のお友達だよ! で、この人が水橋パルスィ。なんと橋姫様なのです!!」 いや、この流れで自己紹介を始められても困るよ。 今この瞬間も流れる微妙な空気を完全に無視し、平然と互いを紹介しようとする久遠晶。 やりたい放題にも程がある。と言うか、君はいったい何がしたいんだ。地霊殿行きの話はどうした。 とは言え、こうして紹介された以上は応えるしかあるまい。 僕は小さく一礼して、水橋パルスィとやらに簡単な挨拶をする事にした。「どうも、森近霖之助だ。地上で香霖堂と言う店の店主をやっている」「水橋パルスィよ。よろしくするつもりは無いけど、貴方には同情の余地があるから敵意は向けないでおいてあげる」「それはありがたい、僕としても余計な恨みは買いたくないからね。喜んでその温情を受ける事にするよ」「はにゃ? その言い方だと、敵意を向ける人物が居るように聞こえるのですが?」「……居るわよ。私ではどうしようも無いから放置しているけど、私の目の前にね。妬ましいわ」「ははは、パルスィの冗談は面白いなぁ」 どう考えても本気で言っているとしか思えないのだが、久遠晶は飄々とした笑顔でそれを受け流した。 水橋パルスィと絡んでから、急に考えや行動が読めなくなってきたな。 果たして彼は、今何を考えて動いているのか――分からないと言うより分かりたくない。下らない理由なのは確実だろうし。「それで、今日は私をどこに連れて行くつもりなの?」「――はぇ?」「いや、「はぇ」って……何を不思議そうな顔をしているのよ。そういう目的で来たんでしょう?」「いえ別に。単にパルスィを見かけたので、スキンシップしようと思っただけです」「……それだけ?」「それだけ」「いつもみたいに、関係の無い用事に私を巻き込もうとかしないの?」「しません」「…………え、なんで?」 どういう会話だ、と思わずツッコミそうになるのを必死に抑える。 ここで口を出して飛び火を受けるのは好ましくない。素直に聞きに徹していよう。「あー、ゴメンねパルスィ。なんか期待させちゃったみたいで」「待ちなさい。その解釈のされ方は不本意よ」「とりあえず今回はコレで勘弁してくれないかな。ほーら、地上の美味しいお菓子だよー」「だから違うって言ってるでしょ!? 私が一度でも、自分の意志で貴方についていった事があった!?」「ふふふー、そんな事言って何だかんだで楽しんでるんでしょう?」「イラッときた。今ほんとにイラッときたわ」 うーむ、やはり妙だ。果たして久遠晶はここまで察しの悪い人間だっただろうか。 全力で見当違いな事を言いながら、恐ろしく憎たらしい笑顔でパルスィの顔を覗き込む彼。 ――その姿を見て合点がいった。これは、全て分かった上でやっているのだ。 嫌がらせ……なのは確実だろうが、不思議と悪意は感じない。 つまりコレは、好意によるモノだと言う事になる。――うん、そっちの方が遥かにタチが悪いな。「君が好きな子を虐めて喜ぶ人間だと言う事実に説教するつもりは無いが、先約よりもそちらを優先するのは如何なものかと思うよ」「おっとスイマセン、ついパルスィ弄りに白熱してしまいました。すぐに終わらせるつもりだったんですが……」 つまり、ここでの目的は彼女を弄る事だけだったと。 予想していたとは言え、あまりにも酷い寄り道の理由に呆れる他無い。 水橋パルスィも同様の感想を抱いたようで、怒りに震えて――ん? いや、何だか様子がおかしいな。「ちょっと待ちなさい。まさか貴方、この私に対して恋愛感情を抱いているんじゃないでしょうね」「いえ、そういうつもりは無いですね。あくまでこれは友情の延長です」「証拠は?」「僕のこの真っ直ぐな瞳が証拠です! どうよ、この一欠片も色恋に染まっていないピュアな目は!!」「……確かにそうね。それはそれで腹が立つけど、愛情で無いなら許すわ」 許すのか。さすが嫉妬を司る橋姫、人知の及ばぬ価値観を持っているようだ。 それなら構わないと頷いて、彼女は渡された土産の箱から饅頭を取り出し口に運んだ。「ん、悪くない。……私に関係無いのならとっとと行きなさいよ。今日の所はその半妖も見逃してあげるから」「――ああ、そういえばパルスィって地上と地底を結ぶ橋の守人みたいなモノだったっけ」「やっぱり完全に忘れてたワケね。妬ましいわ……」「……ひょっとして、僕は意外と危険な状況にあったのだろうか?」「私が相手をするのは地上の妖怪や厄介な人間だから微妙な所ね。無事かどうかは、こちらの胸先三寸で決まるわよ」 そんな相手を、久遠晶は先程まで散々挑発していたワケか。……良く無事だったな。 まぁ、むしろ彼が引っ掻き回してくれたからこそこの状況に至れたと考える事も出来るのだろうが。 どちらにせよ綱渡りであった事に変わりはない。久遠晶はその事を理解していたのだろうか? 確認の為に視線で問いかけて見ると、狡知の道化師は人の神経を逆撫でする様な笑みで小さく肩を竦めた。 うん、何も考えて無かった事が良く分かったよ。――もう少し、他人の命を預かっている自覚を持ってくれないか君。「ま、半妖なら見逃しても問題ないでしょう。一応はコイツも居る事だしね」「こんなんでも僕、地霊殿の主の親友ですから!!」「ツッコミもフォローもしないわ」「パルパルのいけずぅー」「ひゃぅん!? 耳に息を吹きかけるな馬鹿!!」「と、言うワケで目指せ地霊殿! さくさくっと進みましょう!!」 一瞬で水橋パルスィの背後に周り悪戯をし、即座に僕の隣へと戻ってくる久遠晶。身体能力を無駄に使いこなしすぎだ。 ただ、その意見に異論はない。そのまま歩き出した彼の後に続こうとした所で、饅頭を口に咥えた橋姫が何気ない口調で言葉を続けた。「それとさっき、こっちにヤマメとキスメが来たのだけど」「あ、やっぱり来ました? 脅かすつもりは無かったんだけどねー」「怯えた状態で旧都に駆け込んで行ったわよ。あの様子だと、勇儀の奴に助けを求めたんじゃないかしら」「勇儀さんかぁ……」「知り合いかい?」「んー、まぁそんな所ですね。旧地獄に住んでる鬼で、それなりに親しくさせてもらっています」 鬼。妖怪とも神とも違う、最強の幻想の一種か。 僕も話の上でしか知らないが、まさか本当に旧地獄に居るとはね。 一度色々な話をしてみたい相手ではあるが……今回の場合は避けた方が良い災厄である気がする。「確認したいのだが、その星熊勇儀はどのような鬼なんだい?」「一言で言うなら戦闘狂、かなぁ」「間違いないわね。酒と喧嘩を何より愛する典型的な鬼よ」「なるほど。……では今回の状況だと、彼女はどのように動くと思われるかな」 僕の問いに、久遠晶と水橋パルスィは静かに考え込み――続いて互いに満面の笑みを浮かべた。 久遠晶のソレは何かを悟った諦観の微笑みで、水橋パルスィのソレは他人の不幸で饅頭が美味いと言った具合の笑顔である。「――ああ、うん。何となく分かったよ」「とりあえず出来る限りの努力はしますが……二度目の寄り道は長くなると思ってください」 長くなるだけで済むのかな、とは聞かなかった。 その問いに対し、久遠晶が明るい返答をしてくれる可能性はゼロだからだ。 まぁ、必ず地霊殿に行かなければならないワケでもないし、寄り道が長引くくらいなら全然構わないのだが。 ……問題なのは、その寄り道で被るこちらの被害だ。 さすがに鬼を相手に、僕の身の安全をしっかり守ってくれと言うほど無茶ぶりするつもりは無い。 つもりは無いが、守れない場合は当然契約を破棄させてもらうつもりだ。 彼には悪いが、そこまでして付き合う義理は無いからね。「とりあえず、僕の無事を保障してくれるのなら寄り道に異議はないよ。……大丈夫なんだろうね?」「んー……霖之助さんが実は物凄い実力を隠してる、とかじゃ無ければ平気かと。勇儀さん強い人にしか興味無いし」「そうか、なら問題無いな」 若干腑に落ちない理由ではあるが、ここで下手に実力を主張して痛い目を見るのは自分だ。 それに僕の実力は、そういった分かりやすい形では測りがたいモノだしね。 肩を竦めつつそんな事を考えていると――何故か、久遠晶から物凄い疑惑の目を向けられた。 ……はぁ、ひょっとして彼はまだ僕の実力を疑っているのか。「何度も言わせないでくれ。僕に「隠された実力」なんて大層なモノは無いよ」「とか言って、実は?」「無いよ」「ここだけの話にしておきますから!」「君もしつこいな。何か根拠でもあると言うのかい?」 悪い気はしないが、ここまで高く持ち上げられるとさすがに落ち着かない。 理由があるのなら是非教えて欲しいモノだ。……ひょっとしたら、僕が気付いていないだけで本当に隠された力があるのかもしれないしね。「外の世界には、霖之助さんみたいに楽隠居している人は実はメチャクチャ強いって言う法則があるんですよ!!」 派手な効果音でも付きそうな勢いで、胸を張りながら高らかに宣言する久遠晶。 言い切った。と言う表情で笑っているが、正直何の理由にもなっていない。 少しばかり可能性を信じていただけに、一気に力が抜けてしまった。 と言うかそもそも、彼は一番重要な前提を間違えている。 その法則が事実だとしても、僕に適用されるワケが無いのだ。何故なら――「僕は別に、楽隠居なんてしていないのだが」「えっ?」「いや、君も知っているだろう。僕には香霖堂と言う立派な店があって――」「あれって、引退後の道楽で初めた店じゃ無いんですか?」 それは何気ない言い方だっただけに、容赦無く僕の心の奥深くに突き刺さった。 あー、うん、そうか。そう思われていたのか。 ――何故だろう、今まで受けたどの軽口よりも傷ついたよ。