「聞いてくださいあっきー。実はこの度、地霊殿の中庭に温泉が出来ました」「……と言う事は、今まで温泉無かったんだ。環境的にありそうなものだけど」「風呂釜の竈に使うにゃ、ちょいと大き過ぎる代物だからね。実は今も制御出来ているワケじゃないし」「うにゅ! すきまから熱がもれてるだけだよ!!」「隙間から? ……お燐ちゃん、それってマズいんじゃ無いの?」「現役の施設じゃないから、多少のガタは許容範囲内さ。元々そんなに繊細な所でも無いしね」「とは言え、放置して後々大事になってもいけませんから。こうして温泉の熱源として有効活用する事にしたワケです」「なるほどねー」「なのであっきー、入ってみませんか?」「ほぇ?」「温泉ですよ。上手く出来たかどうか、身内だけだと判別が付きませんから」「うにゅ、今なら温泉卵もつけるよ!」「お風呂あがりの牛乳もあるってー」「至れり尽くせりだなぁ……うん、それじゃ入らせてもらおうかな」「やったー! おにねーさんといっしょにお風呂だー!!」「わーい」「それじゃ、あたい湯浴みの準備してきますね」「ええ、お願いしますね」「――えっ?」「うにゅ?」「ん、どーしたのさお兄さん」「今さ、お空ちゃんが妙な事言わなかった? 一緒にお風呂だとかなんとか」「言ってませんよ。混浴なんですから、一緒なのは当たり前でしょう」「混浴!? ええぇっ、何それ聞いてない!?」「言いましたよ。たった今」「つまり言ってなかったって事だよね。……悪いけど、混浴なら僕は入らないよ」「えーんえーん、あっきー酷いよー」「……おにねーさん、さとり様イジメた?」「……お兄さん」「……お兄様」「わー、あんな雑な嘘泣きなのに皆信じてやがんのー」「これが人徳と言うモノです。さぁ、どうしますあっきー。退路は断たれましたよ」「……男湯とか無いんですかね」「あっきーしか入る予定の無い専用風呂を作るほど、ウチの中庭は広くありませんが」「いやいやいや、居るよ。すっごく居るよ。きっと僕以外にも使う機会がいっぱいあるよ」「大丈夫です、私達の男友達はあっきーだけなので」「で、でも、僕の男友達を地霊殿に案内するケースがあるかもしれないし!!」「……ぷふ」「笑った! 普段無表情なさとりんがこれ見よがしに僕をせせら笑った!!」「私優しいので心を読んだ事にして言いますが、嘘はダメですよ」「嘘じゃないやい! 僕だって男友達の一人や二人や……さ、三人……とにかく居るやい!!」「良いんですよあっきー、素直にぶっちゃけて。私には女友達しかいませんって泣きながら謝って私に縋り付いてください」「え、そこまで? そこまでするほど? 僕はそれほどの罪を犯したというの?」「おにねーさん、友達いないの?」「まぁその、あんまそういう事は気にしない方が良いと思うよ?」「ふーん、お兄様も誰とでも仲良くなれるってワケじゃないんだー」「すでに男友達が居ない前提で哀れに思われてる!? 違うもん、居るもん! 温泉に誘える友達ぐらい居るもん!!」「分かりました。それじゃあ、あっきーが男友達を連れてきたら男湯を用意します。無理なら混浴で」「その賭け、乗ったぁ!!」幻想郷覚書 異聞の章・参拾陸「群怪折実/ぶらり温泉地底の旅」「――と言う事がありましてね」 結論から言おう、やっぱり大した事無かった。 旧地獄へと向かう道すがら、今回の経緯を説明された僕はあまりの下らなさに目眩を感じた。 つまり地霊殿の面々との混浴を防ぎ、男友達が居る事を証明するため僕は駆り出されたと。 簡単に言葉にすると、尚更この状況の情けなさが際立つな。と、言うかだ。「交渉の結果として連れだされた僕を、友達として扱うのかい?」「友達になってくれと交渉した覚えはありません。僕が頼んだのは、一緒に温泉に行く事だけです」 まぁ、友人でないと言うほど薄い間柄で無い事は認めるよ。――仲良く温泉旅行をする程親しくも無かったがね。 おまけに先程の説明から察するに、地霊殿の温泉は内輪向けの家族風呂だ。 そこに招待されるほど仲の良い久遠晶はともかく、初対面の僕はかなり気まずい思いをするのだが。 ……そこらへんをきちんと考えてくれていると助かるが、期待はあまり出来そうにないな。 どう考えても彼は、初めての場所でもいつも通り振舞える人間だ。そう言った気まずさはそもそも無縁だろう。「とりあえず、紹介だけでもちゃんとしてくれよ。君が僕の命綱なのだからね」「それは僕も同じ事です。霖之助さんの存在に、僕の尊厳がかかっていると言っても過言では無いのですから!」「やれやれ、たかだか混浴程度で大げさな話だな」「た、たかだか!? なんですかその余裕溢れた発言は!? 混浴ですよ!?」「裸の付き合いと言う言葉がある。温泉とは本来、あらゆるしがらみを脱ぎ捨てて入るものだよ」 全てを忘れ、ただ酒と湯と景色を楽しむ。それが正しい温泉の入り方だ。 性別がどうこう等という話は、酒を一献傾ければすぐ気にならなくなる事だと僕は思うのだが。 そんな僕の率直な意見に、久遠晶は信じられないと言わんばかりに目を見開く。 まぁ、男女を分けるべきという意見も分からなくは無い。僕も公衆浴場などは男女別の方が良いと思うしね。 だが親しい間柄のみで入るのならば、性別の差など深く気にする必要は無いだろう。 「言いたい事は分かりますけど、青少年に混浴は厳しいんですよ。察してください」「案外君も若い、と言う事か」「むしろ霖之助さんが枯れ過ぎだと思うんですけど……混浴平気って、男として色々終わってません?」「興味が無いワケでは無いよ。ただ、そういった感情は出すべき時とそうでない時があると言いたいんだ」「自分の意志で出し入れできるモノですか? その手の本能って」「出来るものだよ、慣れればね」 そういうものかと、首を傾げつつ頷く久遠晶。 何だかんだで、彼もまだまだ子供なのだろうね。実に青い。 「とにかく、さとりんは意外と空気読める人だから考えるくらい別に構いませんけど……口には出さないでくださいね?」「それくらいは分かっているよ。ところで聞きたいんだが、旧地獄にはどうやって行くつもりだい?」「普通に正面から行くつもりです。守矢神社経由は色々と面倒そうなので」「いや、僕が聞きたいのは経路で無く手段なんだが。まさか徒歩で行くわけでは無いだろう?」「当然飛んでいくつもりです。歩きだと日帰りじゃ済まなくなりますからねー」 ……僕が気にしているのはむしろ、道中の安全の方なのだが。 まぁ、結果的に身の安全が確保できるならどちらでも良い。 が、その前に誤解を解いておかないといけない。……確認はしてないが、間違いなくそう思っているだろうからね。「そうか、それは助かるよ。――ただ、一つだけ知っておいてもらいたい事がある」「なんです?」「僕は飛べないんだ」「――えっ」 ごく当たり前の申請に、そんなまさかと驚く久遠晶。 うん。今までの彼の態度から、そういう反応をするのでは無いかと察していたよ。 きっと幻想郷の大半の住人は飛べて当たり前、くらいには思っているのだろう。 この件に関して、彼を責めるつもりはない。悪いのは彼をここまで染めた周りの環境だ。 ……どれだけ厳しい世界を生き抜いてきたのだろうか。想像したくも無いな。「とか言って、力を出し惜しみしてるとか無いですか?」「無いよ」「霖之助さんって、実はすっごい強いけどあえて力を隠してるとか無いの?」「無いよ」 高評価そのものはありがたいがね。残念ながら、僕は極普通の道具屋だ。 更なる返答代わりに肩を竦めた僕を見て、久遠晶は露骨に不満そうな顔で不貞腐れた。 何を期待していたのだか。まぁ、強ち見込み違いと言うワケでも無いだろうが。「今の僕には何の力も無いよ。――‘剣に選ばれていない’今の僕には、だけどね」「えっ? あー、うん。それじゃ僕が抱えるって事でいいですね。霖之助さん掴まってください」 待て、何故そこで微妙そうな顔をする。君だって霧雨の剣の事はそれなりに知っているはずじゃないか。 ……まぁいいさ、ここで異議を唱える程子供じゃないよ。 苦笑いしながら手を広げる久遠晶に、僕は咎める視線を送りつつ近寄った。 そんなこちらの視線を物ともせず、彼は軽々と僕の身体を持ち上げる。 膝の裏と背面に手を回す、所謂横抱きの姿勢だ。最近はお姫様抱っことも呼ばれているそうだが……想像以上に情けないな、コレは。 物を運ぶのに最適な形なのだが、抱く方より抱かれる方の体格が良いと違和感が凄まじい。 せめて彼がメイドで無ければ――いや、それでもあまり変わらないか。「とりあえず、安全運転を最優先で進みます。構いませんか?」「ああ、速過ぎても身がもたないからね。頼むよ」「アイアイサー!」 元気の良い声と共に、久遠晶は氷の翼を広げて大空へと飛び上がる。 いや、この感覚は飛ぶ言うよりも……浮くか? 糸の切れた凧のように昇っていく身体を、風と翼で丁寧に操っている感じだな。 身体に触れていると分かるが、飛行していると言うには身体があまり安定していない。 空中に無数の糸で吊るされている浮き心地……といった具合か。安心はできないが興味深いね。「それじゃ、行っきますよー!」「ああ、頼――!?」 そして次の瞬間、全ての光景が置き去りにされた。 どうやら風で守られているらしく、身体を引っ張られる感覚以外に速さを感じる要素はない。 だが、どれだけの速度で飛んでいるのかは容易に分かる。何しろ周囲の景色が認識出来ない程の勢いで流れていくのだ。 これが幻想郷上位の速さか。安全運転でこれなら、果たして全力を出すとどうなってしまうのか。 気にはなるが、頼むのは止めておいた方が良いだろう。 現時点ですでに意識を持って行かれそうなのだ、コレ以上速くなったら気絶どころでは済まない。「大丈夫ですかー、霖之助さん」「ああ、何とか。……あまりに速すぎて何も見えない状態だが、耐えられてはいるよ」「そうですか。――ちなみに、僕も周囲は見えてないので解説は出来ません!」 ……その補足は要らなかったな。不安が増したよ。 いや、本当に何もかもが見えていないワケでは無いはずだ。 視覚が追い付いていないだけで、他の対策はしていると信じたい。――と言うか、されてないと困る。「大丈夫なんだろうね。うっかり何かにぶつかって大変な事に……なんて展開は勘弁だよ」「ご安心を! 障害物は風の壁が自動的に検知して避ける仕様になっているので、そんな事故はまずあり得ませんよ!!」「なるほどね……ところで、その自動的な回避とやらに僕の身体は耐えられるのだろうか?」「ほぇ?」「目の前の風が検知すると言う事は、かなりスレスレの回避になるんだろう? 相当な速さが出ると思うのだが」「……ちょっとスピード落としますね」 つまりそこまでは考えていなかったと。ありがとう、更に不安が増した。 あっという間に流れていた景色は、久遠晶の宣言と共に止まっていく。 同時に、身体を引っ張られる感覚も気にならない程度に緩んだ。 ふぅ、助かった。問題無いとはいえ、常時あの状態でずっと飛び続けるのはやはり疲れるからね。「とりあえずこのくらいの速さなら問題無いでしょう。血気盛んな妖怪に絡まれたら再加速しますけど」「不吉な事を言わないでくれ。まぁ、そうなったら仕方ない。僕の事は気にせず飛ばしてくれて構わないよ」「……ちなみに、全速力で地面にぶつかって無事でいられる程度の頑丈さはありますか?」「……何故今、そんな不吉な質問をするのかね?」「いえ、念のため確認しておいた方が良いかなと思いまして。いけます?」「無理に決まってるだろう」 そっか、無理なのかと小さく呟き頷く久遠晶。 ここまで安全性が保障されていない安全運転も珍しい。大丈夫と答えていたらどうなっていたのだろうか。 色々と早まったかもしれないと、内心で冷や汗をかきつつ僕は緊急事態にならない事を祈った。 大丈夫だ、僕の天運はまだ尽きていない。こんな所で終わる器では無いはずだ。 旧地獄の入り口に辿り着くまでの間、生きた心地のしない空の旅を楽しむ余裕は僕には無かった。「――はい、到着でーす」「とりあえず、ここまでは問題無しか。出来れば旧地獄も安全に通り抜けたいのだが」「大丈夫だと思いますけど……洞窟内で飛ぶのは少し危ないですから、ここから先は歩いた方が良いかもしれませんね」「僕は旧地獄は初めてだからね。そういった判断は任せるよ」 僕の言葉に頷いた久遠晶は、慣れた足取りで洞窟の中へと進んでいく。 僕もその後に続くが、洞窟の中は暗すぎて周囲が良く見えない。 仕方がないので腰に付けた鞄の中から、簡易ランタンを取り出し火をつける。 光量はそれほどでも無いが、手軽に携帯できる大きさでこれだけ明るければ充分だろう。 問題は、明かりを持つ事で分かりやすい標的になってしまう可能性だな。 もっとも明かりが無ければ進む事も儘ならないから、仮にそうだとしてもこちらに出来る事は無いだろうが。「それ、ランタンですか?」「そうだよ。……勝手に明かりを付けてしまったが、大丈夫だったかい?」「霖之助さんは付けないと見えないんでしょう? なら仕方ないですよ。……遠くに行かれると困りますが」「自ら保障を手放す程、僕は無謀でも阿呆でも無いよ」「ですよねー。なら大丈夫だと思います、旧地獄の妖怪達も結構大人しいですから」「そうなのかい?」「はい。それなりに血気盛んなのも居ますけど、基本的には幻想郷の妖怪とそう変わらな――」「ようこそ来たわね、この旧地獄に!」「誰だか知らないけど、たっぷり痛い目に遭ってもらうよー! えへへー」 呑気な久遠晶の言葉を遮り、絶妙なタイミングで二匹の妖怪が現れた。 あの姿、恐らくは土蜘蛛と釣瓶落としだな。……話に聞く限りどちらも相当に凶悪な妖怪だ。 しかも敵意に満ち溢れている、これはマズい事になるかもしれない。 助けを求めるため、僕は久遠晶に声をかけようとした。 だがその前に、土蜘蛛と釣瓶落としは彼の姿に気付き――同時に獰猛な笑みを恐怖で引き攣ったものへと変化させた。「で……」「出たぁー!」 降りてきた時と同じ勢いで飛び上がり、そのままどこかへと去っていく妖怪二名。 そんな彼女等に声をかけようとした姿勢で止まった久遠晶は、その後姿を何とも言えない表情で眺めていた。 ――安全を確保して貰ってなんだが、ひょっとして旧地獄の妖怪達が大人しいワケでは無く……いや、コレ以上言うのは止めておこう。