「あふぅ……眠たいですぅ」「あら、また夜更かし? 最近ちょっと多く無いかしら」「ダメですよ晶さん! 夜更かしは美容の天敵なんですから!!」「もっとアイドルとしての自覚を持ってほしいわねぇ」「チガウ、ボクアイドルチガウヨ――って、またですかこのやり取り」「早寝早起きしろ、なんて母親みたいな事は言わないけどね。体調管理はしっかりしなさいよ」「了解でーす。……まぁ、大丈夫ですよ。今日は多分、泥のように眠る事になると思いますから」「だと良いのだけど。身体を壊しても知らないわよ?」「あやや。このフラワーマスター、ついに我々の事をガン無視し始めましたよ?」「そうやって好感度を独り占めするつもりなのね。あざとい、実にあざといわ」「……何故かしら。ここまで好き放題言われているのに、怒りも殺意も湧いてこないのは」「ついに幽香さんが悟りを開いてしまいました……」「ふっ、他愛もない。所詮ヤツは常識人」「本気を出した我々の前では、赤子も同然――ってちょっと待ってください! これじゃまるで私が非常識な妖怪みたいじゃないですか!」「えっ」「えっ」「えっ」「えっ!?」「……自覚、無かったのね」「哀れね」「文姉、ドンマイ」「あ、あややややや!?」幻想郷覚書 異聞の章・弐拾肆「異人同世/形になる事も無く」「結論から言うと、トキコさんは『妖怪になり損ねた幻想』です」 凄まじい早さで情報を纏めた久遠ちゃんは、教師が教え子に講釈を垂れる様な仕草で説明を再開した。 どうやら、この数分で必要な情報をほとんど集め終えたらしい。 それなりの確信を持った表情で、彼はそれまで溜め込んでいた推理を一つずつ口にしていく。「人々に噂された怪談が形になり、形を持ったソレが意志を持ち妖怪となる。――トキコさんも本来ならそうなるはずでした」「本来なら?」「その流れを、あえて堰き止めた輩が居るんですよ。オカルト研究部の人間……と言うか代々の部長達です」 そう言って久遠ちゃんは、部活動の日誌を幾つか開いてみせた。 基本的には極普通の、どこにでもあるようなオカルト研究部の活動を記したモノだ。 だが、その全てに共通して書かれている怪談がある。――トキコさんだ。 もちろん内容には触れられていないし、日誌のメインとなっているワケでも無い。けれど。 久遠ちゃんの仮説に沿って中身を確認してみると、その裏に隠された事情が透けて見えてくる。「なんて言うか、不自然なくらい怪談の内容に触れて無いわよね」「その癖、トキコさんと言う名前その物は頻繁に出てきてるんですよ。実にきな臭い話です」「……でもさ、これだけじゃその‘意図’までは分からないと思うんだけど」「確かにそうですね。誰が何を思って初めたのか、それは分かりません。――ただ」「ただ?」「後になるにつれ、‘囲い込む’目的が利己的になってきた。それは確実だと思います」「利己的な理由で囲い込むって……あのトキコさんが、人殺し以外の役に立つとは思わないんだけど?」 もしかしてそんな厄介な物を欲するほど荒んでいたのだろうか、ここのオカルト研究部は。 だとしたら「かつてはそれなりの規模の部活だった」と言う話も、何だか後ろ暗いモノである様な気がしてくる。 そんな私の考えを察した久遠ちゃんは、困ったように笑いながら「そこまで腐っていなかった」と前置きをしつつ説明を続けた。「かつての彼女も危険な存在だったとは限りませんよ。恐らく、その頃の彼女はもうちょっと‘多方面’に手を出していたのでしょう」「利用価値はあったって事か。……だからって、妖怪になりかけの存在を独占しようなんて無謀としか思えないけどね」「元々は‘温厚’な怪談だったのかもしれません。――けれどそれは、意図的な情報の湾曲により変わってしまったようです」 妖怪になりかけていたトキコさんを自分達の物にする為、歴代の部長達は情報操作を行った。 オカルト研究部の活動報告に不自然な「空白」がある理由はソレだと、久遠ちゃんはご丁寧に資料を交えながら説明してくれた。 まったく、人間の意地汚さを否が応でも教えてくれる話だ。 全体から漂う詰めの甘さも、実行者達の気持ちの軽さ具合を表しているようで気分が悪い。 ……どこまで真面目にやっていたのかは知らないけど、後の連中は確実に冗談半分でやってたんだろうなー。「トキコさんがこの学校限定のマイナーな怪談だった事は、オカ研の部長達にとってこの上ない幸運だったと思います」「確かにメジャーな怪談だと、蓋した端から新しい話が湧いて出るでしょうからね。……だけどさー」 「ほにゃ? なんです?」「ぶっちゃけ、一介の学生ふぜいにそんな大袈裟な真似が出来るの?」「条件が揃えば可能かと。そもそも怪談なんてモノを積極的に取り扱う団体なんて、オカルト研究部か新聞部くらいしかありませんし」 暴論だなー。だけど、納得出来ない理論じゃない。 普通のオカルト話ならともかく、ご当地の怪談を積極的に調べる人間はそれほど居ない……と思う。 該当する人間が居るとするならば、その人間は確実にオカルト研究部へ所属しているはずだ。 まーそれでも、怪談一つを抱えるなんて無茶が早々出来るワケが無い。 何代も重ねる事で情報の操作そのものには成功した様だが……その結果が、トキコさんの暴走である。 いや、直接的な原因はオカ研の衰退にあるのかもだけど。 そこらへんの見通しの甘さがすでにアレと言うか、もうちょい考えて動けよ馬鹿野郎と言うか。「……これってアレよね。ホラーで良くある、制御しようとした化け物に殺されるケースよね」「んー。どっちかと言うと、廃棄された研究所で残された実験生物が大暴走。って言う方が正しいような」「なるほど……どっちにしろ腹の立つ話ね」「まったくです」 暴走した所で、研究していた連中には痛くも痒くもない点が特に。 かつてのオカ研部長共は、こういう事態が発生する可能性を想定して無かったのだろうか。 ……してなかったんだろうなー。そこまで深く考えられる人間なら、そもそもこんな事してなかっただろうし。「ま、オカルト研究部の話は本題でないのでこれくらいにしておきましょう」「……本題じゃないのね。正直、その話だけでお腹いっぱいになってるんだけど」「大丈夫ですよー。ぶっちゃけこれは忘れても問題ない、フレーバーテキストの様な裏話ですから」「嫌なフレーバーもあったもんね……」「重要なのは、‘やった理由’じゃ無くて‘やった結果’の方です」 確かに。ここで幾らオカルト研究部の所業を語ったとしても、現状が改善されるワケでは無い。 気分は悪いが、ここは気持ちを切り替えて廃校の主の事だけを考えよう。「それで、結局トキコさんは何があって‘ああいう風’になっちゃったの?」「歴代部長達の情報操作によって、トキコさんの噂は徐々に『オカルト研究部の内輪話』になっていきました」「酷い話よね。……だけど、それって妖怪にとっては致命的な話じゃないかしら?」 妖怪にとっての死とは、全ての人間から忘れられる事だと聞く。 ただでさえ一校限定のマイナーな怪談が、その中ですら限定的になってしまえばどうなるか。 弱体化は免れないだろうし、場合によっては妖怪にとっての『死』に至る可能性も十二分にあったはずだ。 オカルト研究部の連中はそこらへん……やっぱり分かってなかったんでしょうねー。つくづく先見性の無い連中だわ。「致命的ですね。実際オカ研その物の衰退とそれの合わせ技で、トキコさんは自我を失ってしまったようですから」「んで、自我を失った結果片っ端から人を殺すキリングマシーンになったと?」「いいえ、その段階ではまだそこまで狂って無かったと思います。ダメ押しになった原因は、最後に呼び出された理由の方かと」「最後に呼び出された理由……復讐ね」「はい。自分がどういう妖怪か分からずに居た所で、数少ない彼女を知る者から‘方向性’を定義付けられてしまった」「それで、トキコさんは片っ端から人を殺すキリングマシーンに――ひょっとしてまだなってないの?」「んー、なってないと言うかなんて言うか……」 難しい顔で、肯定とも否定ともつかない返事をする久遠ちゃん。 ふむ、素直に聞いても良いけど……そろそろ教育番組の無知なマスコット役は卒業したいのよね。 ここは一つ今までの情報から推理して、お姉さんの底力と言うモノを久遠ちゃんに見せてやろうじゃないの。 えっと確か……久遠ちゃんはトキコさんの事を「妖怪になり損ねた幻想」と言ってたのよね。 妖怪になりかかっていた所で、主な供給源である噂を止められたのだから当然だけど。 良く良く考えると「片っ端から人を殺すキリングマシーン」ってのも、それはそれで妖怪としての一つのあり方だ。 ならば彼女は‘それにすらなれていない’。久遠ちゃんの言葉を信じるなら、そう考えるのが一番自然だろう。 つまり、今のトキコさんは……。「定義付けられた方向性の通りに動いて尚、彼女はまだ‘自分が定まっていない’のね」「……ですねー。完全に忘れられていたのなら、こんな事にはならなかったのでしょうが」 名前だけは残っていたから、消える事が出来なかった。 名前しか残っていなかったから、それ以上進む事が出来なかった。 半端な存在のまま、引く事も進む事も出来ずにただ足踏みを続けている『現象』――それが、今の彼女なのである。 「なんというか、救いの無い話よね」 彼女はあまりにも人を殺しすぎた。哀れと思う事は出来ない。 彼女はあまりにも純粋過ぎた。愚かと言う事は出来ない。 諸悪の根源とすべき悪党はもうおらず、助ける相手は誰一人として残っていない。 問題そのものは続いていても、根本的に全てが‘終わって’しまっているのだ。この廃校では。「まったくです。――と言った所で、時間切れとあいなりました」「は?」「見つかったって事ですよ。今からじゃ、急いで逃げ出す事は出来ないでしょうね」 肩を竦めて広げていた手帳を机に置くと、久遠ちゃんが両手を勢い良く叩いた。 同時にその身体が輝き、銀色の鎧が胴と手足に装着される。 魔法少女の様な変身の仕方で、随分とまた実用的で分かりやすく無骨な代物が出てきたわねー。 色々突っ込みたい気持ちはあるけど、トキコさんが近づいている状況で呑気にお話しているワケにもいくまい。 なので私は同様に肩を竦め、説明を始めた頃から気になっていた疑問を彼へと投げかけた。「ねー久遠ちゃん、一つ聞いていい?」「一つと言わず、幾らでもどうぞ」「いつから、目的が‘逃げる事’から‘事態を解決する事’に変わっていたの?」「ははは、何のことですやら」 その爽やかで白々しい笑顔が、ほぼ最初から逃げるつもりが無かった事実を雄弁に語っていた。 そっか、良く分かった。どうやら最初にトキコさんを‘視た’段階ですでに、久遠ちゃんの気持ちはある程度固まっていたようだ。 きっとそれは、理不尽な死に対しての義憤じゃ無い。死者に対する同情でも無く、悪を憎む正義の心も関係していない。 ただ、彼女自身のために彼女を止める。 同情とも憐憫ともつかないそんな思いで今、久遠ちゃんは事態を解決しようとしているのだ。 ……優しいと言うには、ちょっとばかり色んな事を見過ごしすぎている。 だけど彼の行動を、‘優しいお節介’以外の言葉でどう表せば良いと言うのか。 まったく面倒な人間だ。判断基準が独特過ぎるから、性格その物は単純なはずなのに行動の方は複雑怪奇に見えてしまう。 だけど私は、そんな彼が意外と嫌いじゃなかったりする。むしろ結構好きな方かも。 ま、自分の価値基準に忠実過ぎるのは改めて欲しいけども。 ――久遠ちゃん、本当に私の心や身体の無事は考慮して無かったのね。「まぁ、大丈夫ですよ。決着はすぐに付けますから」「凄い自信ね。……相手は妖怪になれなかった『現象』だけどさ、ぶっちゃけそれって‘倒せる’の?」「実は僕にとって、ソレが一番楽だったりするんですよね。――ほんと、他の方法があったら良かったんですけど」 あれば、彼女を救う事が出来たのかもしれない。 ほんの僅かな嘆きを含んだその呟きが、迷いの無い久遠ちゃんの表に出さない後悔だったのかもしれない。 けどそれも一瞬の事。屈託の無い笑顔に切り替えた彼は、部室の扉を開き廊下へと躍り出る。 私も恐る恐るその後に続き、廊下の先に居る彼女――『トキコさん』の姿を見た。「……あれが、妖怪になり損なった幻想の姿かー」 まるで、ノイズの酷いテレビ越しに見た映像のようだ。 形は安定せず、髪の長い妙齢の女性かと思えば、次の瞬間には短髪の少女に変わっている。 手に持っている血まみれの武器も、妖怪の方向性を決定づける表情すらも同じだ。 包丁からナイフに、ナイフからカッターに、カッターから鋸に。 満面の笑みが憤怒に彩られ、怒りは悲哀に歪み、悲しみは無で塗りつぶされる。 どれか一つでもハッキリしていれば、そこを起点にして決まった形を持つ事が出来たのだろう。 知らずに見れば薄ら寒い恐ろしさを感じる彼女の姿も、真相を知った今ではただ虚しく見えるだけだ。 ――うん、これはちょっと見ていられないわ。 事態解決に乗り出した彼の気持ちを今更ながら理解した私は、臨戦態勢に入っている久遠ちゃんへ声をかけた。「それじゃヒーローさん、宣言通り決着を付けちゃってくれないかな?」「僕はヒーローと言うよりコメディリリーフなんですけどね。……ま、こんな喜劇の幕引き役には僕くらいが丁度良いですか」 そう言って、久遠ちゃんは腰から銀色の筒を取り出した。 無骨な輝きを放つその金属の棒は、かつて私を救う時に用いられたあの武器で間違いないだろう。 久遠ちゃんはそれを右手でしっかりと握り締めると――まるで詠う様に静かな口調でその‘名前’を口にした。 ―――――――神剣「天之尾羽張」 そして、顕現した。 ――それは、人の世から失われたはずの『神話』の器物。 ――それは、無垢に無慈悲に全てを奪う『死』を形にした剣。 ――それは、その輝き全てが力である『光』の化身。 震えるほどに美しく、見惚れるほどに恐ろしいその刃に、私はただただ心を奪われた。 今なら、誘蛾灯に自ら飛び込む虫達の気持ちも分かるかもしれない。 奪われるとしても触れてみたい。死に繋がる欲求だとしても、今の私はそれに逆らう気持ちが湧いて出てこなかった。 当然、その『力』は彼女にも伝わる。 現象でしか無い彼女。自我も、それに準ずる反応すら無いはずの彼女は――己を害する可能性に対し、明確な敵意と殺意を向けた。 安定しない凶器を構え、落ち着かない狂気を向け、『トキコさん』は神剣とその使い手を排除しようと動く。 ……彼女の判断に間違いは無かった。本来なら有り得ないその行動は、きっと僅かながら残る生存本能のなせる業なのだろう。 ただ一つだけ、一つだけ彼女が理解して居なかった事がある。 致命的な勘違い。そこを間違えたトキコさんがどれほど彼を警戒しようと、それは無駄な足掻きにすらならない。 ――――そう。そもそも彼女には、最初から抵抗の余地など無かったのだ。「――では、さようなら」「 」 私に認識出来たのは、その結果だけ。 いつの間にか彼女の鼻先まで接近していた久遠ちゃんは、神剣を横薙ぎに振るい『トキコさん』の全てを奪っていた。 まるで、溜まった埃を吹き散らす様な呆気なさで。 結局何者にもなれなかった彼女は、今際の言葉一つ残さず消滅した。「ふぅ……宣言通りに終わらせましたよ!」 私が唖然としていると、一仕事終えた久遠ちゃんは大変イイ笑顔で振り返りそうのたまった。 うん、分かってる。久遠ちゃんはちゃんと仕事して、トキコさんをあんな形だけど解放してあげたのよね。うんうん。 だけどその、一言だけ言って良いかな?「――もうちょっと余韻に浸る程度の最期があると期待した、私が悪かったのかしら」「えっとその、あの……ゴメンなさい」 私の率直な感想に、バツが悪そうな顔で謝罪する久遠ちゃん。 ……いや、久遠ちゃんが悪いワケじゃ無いけど。だけど……ねー? トキコさんとの感動的な別れがあるのではと若干期待していた私は、容赦の無い現実に何とも言えない感情を込めて苦笑するのだった。