「いやー、それにしても久遠ちゃんは面白いわねー。凄いのに全然凄く感じない」「ふふ、そうね。だけど蓮子、あんまり気を許すのもどうかと思うわよ」「あっれー? ひょっとしてメリーさん、久遠ちゃんに嫉妬しちゃってるのかなー?」「真面目な話よ」「……真面目な話って言われてもね。久遠ちゃんはかなり良い子よ? 若干ズレた所があるけど――」「それが、なんでズレてるのか考えた事ある?」「なんでって……天然だからじゃないの?」「きっと違うのよ。私達とは、根本的な『常識』の部分がね」「確かに、度々常識外れな事をしてるけどね。そういうメリーだって結構常識外れよ?」「そうじゃなくて……ま、精々気をつけなさい。アレは言ってしまえば、野生の獣みたいなものだから」「野生の獣ねー。だとしても頑張って草食動物ってトコでしょ、あの子は。あはははは」「そうね。だけど蓮子、知らないの? ――獣の食性と危険性には、何の関係も無いのよ?」幻想郷覚書 異聞の章・弐拾「異人同世/全ては闇の中へ」「どーも石田さん、ご機嫌いかがですか?」 窓に細工している石田さんに話しかけると、彼女は笑えるくらい露骨に動揺した。 まぁ、他人に見られるとマズい場面だからね。驚きもするでしょうよ。……僕にとっては今更な反応だけど。「ど、どうしたんですか、久遠さん。こんな所に?」 彼女は手に持っていた釣り糸を懐にしまうと、苦笑いしながら振り返ってくる。 この期に及んで誤魔化そうとする所は、個人的にはプラスポイントだ。往生際の悪さは評価出来なくもない。 ただし、それで事態が打開出来ればの話だけれども。誠に残念ですが何もかもがバレバレです、はい。「面倒なんで単刀直入に言いますね。今日は殺人事件を起こさないでくれませんか?」「――! な、何の話ですか!? 殺人だなんて、そんな」「あ、もう言い訳とかしなくても分かってますんで。包帯男も脅迫状も事故の看板も、全部石田さんの仕業でしょう?」 僕の指摘を受け、石田さんの顔が青ざめる。 まぁ、証拠も何も無い決めつけだけどね。 それでも、事実をピンポイントで突かれれば慌てふためきもするでしょうよ。 が、それもまた一瞬の話。深呼吸した彼女は、何を言っているのか分からないとばかりに苦笑いして見せた。 さすが女優、そのくらいの演技が出来る程度の技量は持っているらしい。――ただし、波長の方は乱れまくりなのですが。「な、何を言ってるんですか? 包帯男? 脅迫状? 事故の看板? 仰りたい事が良く分かりません」「あー、すいません。探偵でも警察でも無い僕には、貴女のやった事を証明するつもりはありません。やったと言う前提で話を進めます」「そ、そんな事を言われても……」「じゃあ包帯男の部分だけ。アレ、ドッキリって事で旅館の人に協力を求めましたよね? 僕らその話、旅館の人から聞いてるんですよ」「――! そ、それは……」 まぁ、誰がお願いしたかは知らないんですけどね。 共犯はいないみたいだから、頼んだのも石田さんで間違いないだろう。実際分かりやすく動揺してるし。 もっとも、だからどうしたと言う話である。包帯男が石田さんだったとしても何かの犯罪に抵触するワケではない。 だから誤魔化しようは幾らでもあるのだけど、それで押し問答に戻るのは面倒臭い。 なので後は出来るだけ勢いで押し通す。とりあえず不敵な笑みを浮かべて、何もかも分かっているぞって顔をしてやろう。 おお、怯えた顔で後ずさってる。そんなに胡散臭く見えたのか。――ちょっとだけショックだ。「あ、誤解の無いよう言っておきますが、僕は別に貴女を糾弾しに来たワケではありません。止めるつもりも無いです」「………………」「『面倒事に巻き込むな』、僕の要求はそれだけです。それ以外の事は何も望みません」 と言うか正直、関わり合いになりたくない。 なんでまぁ、よりにもよって殺人なんて手段を選んだんだろうねこの人。 無難な所で復讐かなぁ? だけどそれにしたって、そんな一瞬で終わる方法を選ぶ意味が分かりません。 もっとこう、相手を精神的に追い詰める形にした方が復讐っぽいと思うんだ。 あえて持ち上げるだけ持ち上げて、その後全部奪い取って最下層まで叩き落とすとか。まぁ、途中で飽きる可能性は高いけど。「面倒事……ですって? 貴女に、貴女に何が分かるのよ!!」 なんて思っていたら、逆上した石田さんが懐から包丁を取り出した。 あー、これアレか。探偵じゃないモブが謎を解く前に事件に気付いて殺されるパターンか。事件起こって無いけど。 まさか自分が体験する事になるとは思わなかったよ。と言うか、この人の沸点が良く分からない。 石田さんにとっては大切な事かもしれないけど、関係ない僕にはただの厄介事でしょーよ。 そんな事を呑気に考えながら、突撃してきた石田さんの包丁を軽く摘んで奪い取る。 実は気で強化すれば刺されても痛くないのは内緒だ。さすがに一般人の前で人外な真似をする気はありません。 ……突っ込んでくる包丁の平の部分を掴んで、刺される前に武器を奪い取るのはギリギリ人間に出来る範疇だよね? 石田さんめっちゃ怯えてるけど。それはまぁ武器を取られたからだと思っておく。うん、ギリセーフギリセーフ。「交渉決裂、か。参ったね」「な、なによ」「あんまりこの手は使いたく無かったんだけどなー」 何しろ初めてやる事だ。どんな不具合が出るか想像もつかない。 だから出来るだけ穏便に片付けようと思ったんだけど……こうなったらもう仕方ないよね。 僕は石田さんの目を見つめると、狂気の魔眼を使用した。「あ――――ぐっ!?」 彼女の精神を掻き乱し、平常に戻しながらその奥底を弄くる。 狂気から正気に戻す作業はフランちゃんで経験済みだけど、原因がそのままだと堂々巡りになるのは目に見えている。 なので、原因の方もどうにかしてしまう事にする。具体的に言うと少しだけ記憶の方を無くしてもらうのだ。 と言っても本当に消すのでは無い。精神的な死角を作り、そこにネガティブな記憶を押し込めたのである。 臭いものには蓋と言うか、重箱の隅に色んな物を押し込める方式と言うか……まぁ、有り体に言うとその場しのぎです。「とりあえず、石田さんには心を壊さない範囲で色々忘れてもらいましょーか」「う……あ…………」 廃人になるまで心を壊して、無難な人格に上書きする方法も考えたけど……それはちょっと外道過ぎるから却下。 そこまでするほど、僕は石田さんの事が嫌いじゃ無いしね。特に好きでもないけど。「あが――――――――あ、あれ?」「……どうも、石田さん」「あれ、久遠さん? どうしてこんな所に?」「散歩ですよー。そういう石田さんは、ここで何をしてるんですか?」「私は――ちょっと気分転換に。……でもおかしいですね、こんな所で何をするつもりだったんでしょう?」「そうですね……殺人事件のトリックでも準備してたんじゃ無いですか? あははは」 「うふふ、久遠さんって愉快な人なんですね」 ……良し、消えてる消えてる。この様子なら大丈夫だろう。 一応、石田さんが悶えてる間に包丁と手に持っていた釣り糸は処分しておいた。 いやまぁ別に大した事はしてないけど。単に、人のいない所に放り捨てただけだけど。 後は例の包帯男の部屋に侵入して、証拠隠滅とチェックアウトを済ませれば問題無いだろう。 石田さん自身の手荷物に一発で記憶の戻るエグい持ち物があったらおしまいだけど――そこまでは知りません、責任持てません。 「それじゃ、僕は用事があるんで失礼しますね。今日はご苦労様でした」「ええ、お疲れ様です。今日は本当にありがとうございました」「いえいえ。――あ、そうだ」「はい?」 やる事が終わった以上、ここに居る理由は無い。 僕は包帯男の部屋へ向かうため歩き出す――前に足を止め、石田さんに‘忠告’をした。「次は本気を出すんで、覚悟してくださいね?」「……? 映画の撮影をまた、手伝ってくださるんですか?」「意味が分からないのならそれで良いです。それでは、ごきげんよう」 これだけ念を押しておけば、まぁ大丈夫だろう。……多分。 一仕事終えた僕は、良く分からない使命感に追われながら最後の詰めを行いに行くのだった。 あー、何やってるんだろう僕は。早く温泉に入って、何もかも忘れてリラックスしたいよ……。「――お疲れ様、見事な暗躍っぷりだったわね」「おやまぁ、メリーさんではありませんか」 無事に証拠の抹消と包帯男のチェックアウトを終えた僕は、ホッと一息つきながら温泉へ向かっていた。 そこに現れたのは、何もかも分かってますと言った表情のメリーさんだ。 まぁ、驚きはしない。この人なら昔あの映画サークルに何があったのかさえ把握している事だろうさ。 さて正体を明らかにしてくれるのかなー。等と思っていたら、メリーさんは困り顔で肩を竦めた。「ご期待に添えず申し訳無いけど、貴方が考えているような事実は無いわよ。私はほとんど何も知らないわ」「えー、そーなんですかー?」「残念ながら本当よ。貴方の活躍を知ったのは純粋な推理の結果――ヒントも色々とあったしね」 ふーむ、さすがは蓮子さんも認める探偵役と言った所か。 ……だけど本当は全部見てたとかそう言う事は無いですよね? あ、無いですかそうですか。「と言うか、貴方は気付いていたはずでしょう? 私が隠れて貴方と石田さんの会話を聞いていた事を」「ほへ、あれ隠れてたんですか。普通に事の成り行きを見守っているのだと思ってました」 まぁ僕の場合、サードアイのせいでその人が隠れてるのか立っているのか判別できなくなってるフシはあるけど。 さっきのメリーさんは、明らかに石田さんにだけ気付かれないようしていた気がする。 単に僕から隠れても無駄だと思ったのか、それともワザとそうしたのかは分からないけど……やっぱ怪しい。ワザとな気がする。「……貴方はどうも私を過大評価するきらいがあるわね。あれでも私、貴方に悟られないよう必死だったのよ?」「ふーん、へぇー」「信じてないみたいね。……まぁいいわ、それよりも貴方には確認したい事があるから」「なんです? 大抵の事にはお答えしますよー」「――石田さんにした事の話よ」 メリーさんは険しい表情で、静かにそう言った。 はて、何か問題でもあったのだろうか。 今回のアレは、僕にしては珍しく上手くやれたと思うのだけどなぁ。 そう思って首を傾げていると、メリーさんが苦々しげに言葉を重ねてきた。 まるで、僕が疑問すら抱かない事を咎めるように。「貴方は精神に干渉する能力を持っている。そしてそれを使って、石田さんから記憶と殺意を奪った――そうよね?」「奪ったんじゃなくて封じただけですけどね。概ねその通りですよー」「そう。……ならそれが、どれだけ危うくて悍ましい手段なのかも理解しているのかしら」「それはもちろん。何しろ人の心を弄くるワケですからね」 どんな不具合が出てもおかしくなかったし、これから何が起こってもやっぱりおかしくは無いだろう。 時間の経過で、殺意や記憶が蘇ってしまうならまだマシな方だ。 押し込めた殺人の動機が独立して多重人格になるかもしれないし、不自然な状況に耐えかねた心が壊れ狂人となるかもしれない。 運が良ければ上手い具合に折り合いをつけて、そのまま幸せに暮らせるかもしれないけど……まぁ無理だろう。 そんな事が出来るならハナから殺人なんて手段を選んじゃいないし、どこかで必ず諦めていたはずだ。 まぁ、要するにとうの昔に詰んでた人生がそのウチ詰む人生に変わったってだけの話なワケです。ご愁傷様。「分かっている上で弄って、分かっている上で放置するのね」「石田さんの人生を救う義理も意志も無いですからね。まぁ、今日終わる人生がいつか終わる人生に変わっただけ御の字では?」「意外と冷たいのね。余裕があるならとりあえず人には親切にしておく、なんて考えの人だと思っていたけど」「間違ってないですよー。僕は基本的に、無茶無理無謀でなければニコニコ笑顔で人助けします。自分に害が及ばなければの話ですが」 今回は、害が及ぶので親切にしなかっただけだ。 もちろん石田さんを助ける方向で動く事も出来たけど、モチベーションがそこまで上がらなかったのだから仕方ない。 ぶっちゃけどうでもいいです。興味ないんで好きな所で破滅してください、はい。「何故、そこまで彼女に厳しく当たるのかしら? 嫌っていると言った様子では無いようだけど……」「そこまで深い理由は無いですよ。ただ、同じ側の人間にそこまで優しくしてあげる理由が無いって言うか」「同じ側? 彼女も、何かしらの能力を持っていたと言う事?」「いえ、人間のルールから外れた存在同士って意味です。まぁ、僕も石田さんも望んで外れたんですけどね? あはははは」 僕も今更、道徳やら倫理やらで殺人について高説するつもりはない。 もっと言うと、殺人そのものを否定するつもりも無いのだ。殺したいのなら好きに殺せば良いでは無いか。 罰だ何だと言うのは所詮人が作ったモノに過ぎない。結局それは‘報復’の一種で、人を殺すハードルを上げる為の後付なのだ。 だから越える人はあっさり越えるし、下を潜ってアレコレ言い訳しこれは殺人では無いと言い張る人間も山のように出てくるワケである。 故に、最早人の法の庇護も罰も受け付けない立場に居る久遠晶は、そうやって越えてきた方々にこう言うのです。 ――ようこそ、何もかもが受け入れられる楽園へ。 何でも出来ると言う事は、同時に‘何でもされる’と言う事に繋がる。 こっち側に来た以上、そこらへんは覚悟して貰わないと困るのだ。 私は特定の人を殺したいだけなので、ソレ以外ではルールの中に居るんですー。なんて戯言は通用しないのですよ。 「まぁ要するに、殺す事だけ考えて他の事態への対抗策を考えてなかった石田さんが悪い。と言う事です」「……怖い人。貴方はつまり、そういう世界に生きているのね」「ですね。だけどそこは、意図的に踏み外さなければ辿り着かない世界ですよ。紙一重の所にあるのが困りモノですが」「そして彼女は踏み外し――運悪く、その世界の象徴たる理不尽を被る事になってしまったと」「まるで僕が理不尽の象徴であるかの様な物言いに若干引っかかるモノがありますが、概ねそういう事です」 僕と石田さん、どっちが悪いかと聞かれるとそれはもう両方悪いとしか言い様があるまい。 そんな悪人同士がかち合った結果、より悪かった僕の方が勝った。簡単に言えばそう言う事なのだろう。 ……自分で例えておいてアレだけど、その通り過ぎて色々と泣きそうになる。 いや、良いけどね。実際外の世界での僕は存在そのものがイレギュラーで、歩く危険物的な所があるからさ。 だから外の世界で悪党扱いされても平気ですとも。外の世界でならね! ……幻想郷では、悪党違いますよね?「分かった、なら私から言う事はもう無いわ。――だけど久遠さん、一つだけ聞かせてちょうだい?」「ほへ?」 僕ってダークサイド寄りなのかなーと嫌な思考に至って凹んでいると、先程より若干柔らかい表情になったメリーさんが問いかけてきた。 ただし、答え如何によっては……と言う雰囲気がプンプンする。なんだろう、良く分かんないけど怖い。「貴方にとって、『人を殺す』ってどういうモノなの?」 そんな彼女の問いかけは、実にシンプルでそれだけに答えづらいものだった。 一瞬の間に色んな答えが出たり消えたりを繰り返す。そしてそれは、どんどん哲学的な方向へ向かおうとする。 だけど僕はそれらを全て投げ捨てた。多分、彼女が求めているのはもっと単純な答えだと思ったからだ。 ふむ。だとすると、僕の答えはこうかな。「『重い事』、ですよ。簡単だけど――いや、簡単だから重たいです」 シンプル過ぎてどうとでも取れそうな僕の答えに、メリーさんはちょっと困ったように笑って頷いた。 どうやら、最低限のご期待には添えたようだ。良かった良かった。「じゃ、僕は温泉に入ってきますね。夕飯は――何でしたら、先に食べてても良いですよ」「蓮子が許さないわよ。あの子、凄く貴方の事を気に入ってるみたいだから」「あはは、ありがたい話です」「……私も、貴方の事はそれなりに好きよ。すっごく薄気味悪くて今後一切関わりあいになりたくないけど」「あはは――まぁ、それが正しい判断だと思います」 メリーさんの本音とも冗談ともつかない軽口に、心底からの本心を返して風呂場へと向かう。 やれやれ、人の世はかくも生き難きかな。幻想の居場所は、やっぱり現実の世界には無いんだねぇ。 世界の窮屈さを鼻歌で奏でながら、僕は全ての疲れを洗い流しに行くのだった。 ――尚、映画サークルの皆様はその後、撮影を無事に終えたそうです。めでたしめでたしですね……今の所は。