最初、彼に関わったのは純粋な好奇心からだった。 外から来た能力者。常識から生まれた非常識の存在は良い記事になると、ただ単純にそう思ったから手を貸した。 それが、彼自身の為に変わっていたのはいつの頃からだったろうか。 取材対象に入れ込むなんて、新聞記者にあるまじき話だ。 けれど、放っておけなかった。あんなにも不安定な彼を見捨てるなんて出来なかった。 幻想でしか生きられないはずなのに、幻想で生きる事を受け入れられない彼。 なんて危ういのだろうか。なんて儚いのだろうか。 守らなければ、守ってやらなければ。 ――例え、それが何の意味もない悪足掻きに過ぎなかったとしても。幻想郷覚書 異聞の章・拾壱「異人同世/Bonnie and Clyde」「ちなみに、僕は敵じゃないって言ったらどうします?」 完全に戦う空気になっているけど、とりあえず戦闘回避を試みる僕。 両手を上げて降参の意を表してみるが、当然こちらの世界の文姉がそれで止まるはずも無く。 彼女は嫌悪と敵意を全開にした表情で僕を睨みつけてきた。ですよねー。「白々しい真似を。晶さんを食べようだなんて、絶対に許さないわよ!」「え、まさかの妖怪扱い? ゴメン、さすがにそれは訂正させて。僕は……まぁフツーとは言い難いかもしれませんが、一応人間ですよ?」「下手な言い逃れね。貴女のどこが人間だって言うのよ」 精一杯の妥協で説得してみたら、初対面の相手に人間である方が有り得ないと言われた。死にたい。〈ぶふー、少年ご愁傷さまー〉 はいはーい、魅魔様ちょっと黙っててねー。 まぁ、交渉が決裂するのは承知の上です。話してる間に準備も終わったので戦闘を開始しましょうか。〈……あれ、意外と少年やる気有り?〉 とりあえず、アイツに説教と言う名のグーパンをお見舞いしてやりたいですからね。 僕も、ちょっとだけ頑張ってみようと思います。無理だと思ったら即引くけど! と言うワケで説得は失敗。文姉は構えた葉扇を振るい、無数の風弾をこちらに向かって放ってきた。 まぁ、そうなるとは思ってました。その為の用意もちゃんとしてますよ。 僕は軽くステップを踏んで、文字通り嵐の中に飛び込んでいった。 あ、もちろん無警戒に突っ込んだワケじゃありませんよ? 実は交渉中に風で薄く周りに膜を張ってます。 防御には使えないけど、事前に風弾の流れを感知して回避に活用する事は出来る優れモノなのです! ……ある程度はだけど。「――まさかコイツ、風の流れを読んでる!?」 おっと、気付かれてしまったか。 本職にはバレバレな小細工だから気付かれないとは思わなかったけど、ここまで早いとは思わなかった。 さすが文姉、妖怪の山でも五本の指に入る実力者なだけの事はある。 彼女はこちらが突っ込んだ分だけ後方に下がると、先程よりも強い風で弾丸を形成した。 より早く、より強力にする事で風の膜を無効化する算段だね。……うん、概ねこちらの予想通りの対処法だ。「なら、これでどうかしら!」 数は減ったが、その分避けにくく殺傷度の増した風弾の連射。 上下左右から襲い来る風の牙に対し、僕は右腕の気を開放して思い切り地面へと叩きつけた。「なんの、ストームブレイカー!!」 風の膜を上書きするようにして、荒れ狂う暴風が僕を包み込む。 ……派手な名前で凄い技っぽく言ってみたけど、実はこれでも文姉の本気風弾は防げなかったり。 地力の差って如何ともし難いよね。ただし風弾の当たる向きさえ気をつければ、風弾の軌道を逸らす事は可能だ。 数が減っている事に合わせて、直撃を避けられるこの状況なら――充分に反撃は可能だ!「更に、アイシクル・ナッコォォォォオオオ!」「なっ――!?」 まぁ、ただの冷気を纏っただけのいつもの強化パンチなんだけどね。 僕は両足と右腕の気を増幅し、最高速度で文姉の懐に飛び込みつつ冷気を纏った右拳を突き出す。 ――しかし、次の瞬間にはもう文姉は目の前から消えてしまっていた。 拳は思いっきり空振り、冷気の篭った気の爆発は虚空に大きな氷の花を咲かせるだけに留まってしまった。 むぅ、完全に不意をついたつもりだったけど、まさかアレで完全に回避されるとは。 少しでも掠ってくれれば、その瞬間身体を凍らされて機動力低下間違い無しだったのに。 〈つか少年、拳に氷がひっついて盾みたいになってるけど良いのか?〉 大丈夫。強化しているワケじゃ無いから、叩けば簡単に砕けます。 ……しかしまぁ、この攻撃って外すとこうなるのかぁ。 前に使った時は直撃したから気付かなかったよ。――これ、何かに使えないかな?〈少年、それは今考えるべき事じゃなかろうよ〉 ちょっとした現実逃避ですよ。まさか掠りもしないとは思わなかったので。 いや参った、さすが幻想郷最速。一筋縄どころか二筋縄三筋縄でも上手くいかなさそうですね、あははははー……どうしよ。 「風に氷に身体強化、更には特殊な機能持ちの鎧……ね。随分と多芸――と言うより無節操な妖怪じゃないの」「いやだから、僕は妖怪じゃありませんってば」「……その冗談、気に入ってるの?」 ついにネタ扱いされてしまった、泣きたい。 と言うか、氷に風っていうかなり特徴的な複合能力を使ってる時点でピンときても良いのではなかろうか。 バレたらバレたで面倒な事になりそうだけど、一切気に留められないと言うのもそれはそれで悲しい。〈ライオンと猫に共通点があっても、同じ生き物だとは思わないだろ? つまりそう言う事さ〉 わぁ、分り易すぎて凹むぅ……。 「しかし、烏天狗に追随する程の速さは無いようね。――ふふっ、今のうちに逃げておかないと嬲り殺される事になるわよ?」 そこなんだよねー。 文姉の速さは知ってるつもりだったけど、まさかこっちの最高速不意打ちすら回避可能だとは思わなかった。 それでも、速さ一辺倒で掠れば即アウト……とかだったなら他にやりようもあったんだけど、文姉は他も超優秀だからなぁ。 つまりこのままだと、文姉が言った通りの展開になる事確実なワケです。 まぁ多少は耐えられると思うけど、耐えてるだけで次に繋がらない以上ただの自分イジメだよなぁ。 仕方ない。相手の得意分野……と後別の意味でも喧嘩を売る事になるけど、対抗するためにはコレを使うしか無いか。「追いつけないなら、追いつくようにするしか無いもんね。―――――天狗面『鴉』!」「!?」 烏の面を纏い、氷の扇を構えて不敵に微笑む天狗面。 その姿に一瞬文姉は驚愕の表情を浮かべたが、やがてそれは嘲笑へと変化していった。「随分と稚拙なモノマネじゃない。まさか、それが私に追いつく為の策だなんて言わないわよね?」「さてはて、イカガでしょうカ。そこらへんはその身体デご確認くだサイな」「そう。なら存分に確かめさせて貰うわ!!」「バッチコイです!」 互いに扇を構え、風弾を一発放つと同時に移動を開始する。 二つの風がぶつかった事を皮切りにして、二種の風が混ざり合った。 それは、ドックファイトと呼ばれる戦闘機同士の格闘戦に酷似していた。 相手の背面を取るために、旋回し、かく乱し、空を舞う。 本来ならばそれは、舞踏と思えるほど華麗で美しく見えるものなのだろう。――目視できる速さならば。 幻想郷最速とソレに準ずる速さの激突。それは最早、並大抵の人妖が追えるものでは無い。〈と言うか、少年もぶっちゃけ何が起こってるのか分かってないよな〉 うん、巨大な嵐を球状に凝縮した風の中でミキサーされてる感じ。ワケ分かんない。 しかもほぼ限界値の全速力で飛び続けている影響で、氷の装備や身体全体がギシギシ言ってるし。 それでも本気の文姉には何一つ及ばないと言うのだから、紛い物と本物の差はやはり致命的だと言わざるを得ない。 もっともそれくらいの事はこちらも織り込み済みだ。本気で速さ勝負をすれば、勝ち目なんてハナから無いのは充分に理解している。 所詮、偽者は偽者。さしたる覚悟も無いのに、真っ向勝負で本物に叶うはずがないのだ。……面変化は完全オリジナルだけどね。 ただしそれは、あくまで同じ点のみで勝負した場合の話だ。 天狗面には一つだけ、天狗にない特殊な能力がある。オーバードライブ・クロウ――周囲の時間を遅延させるスペルカードだ。 一歩及ばない現状ではあるけど、逆に言うとその一歩さえ縮める事が出来れば逆転する事が出来る。 チャンスは一度だけ。まずはそこを見極めるために、少しでも場を掻き回さないと。「デハ、まずは牽制デ!!」 一度大きく文姉から距離を取り、手当たり次第に風弾を撒き散らした。 当たるとは思っていない。もっと言うと、牽制としても期待はほとんど無い。 まずは試しの一撃だ。さて、どういう反応をするか――ほぇあ?「――ぐぅっ!?」「え、直撃デスか?」 適当に放った一撃の一つを、文姉は避けようともせず真正面から受け止めた。 いや、受け止めたというより当たりに行ったと言う方が正しいか。 普通にしていれば確実に避けられていたと言うのに、わざわざ戻ってまで受けるとは……何でまたそんな事を。〈そりゃ、あっちの世界の少年に直撃するかもしれないからだろ〉 ……ああ、そういえば居ましたねそんなの。 全力で戦ってる間に、すっかり記憶から抜け落ちてましたよ。ははは。〈魅魔様的には忘れてて欲しいけど忘れんなよ。あの少年にグーパンするのが目的なんだろーが〉 別世界とはいえ、文姉と良い勝負出来てる喜びで頭が一杯になってましたからね。 と言うか、もう一人の僕は何してるのさマジで。さすがに魔眼も気も無しの現状でこの勝負に首突っ込めとは言わないけど。 だけどせめて、足手まといにならないよう努力はしてよ。努力は。 いや、そもそも見えてないんだろうけど、それにしたって反応がなさ過ぎるんじゃ――――えっ。 何気なく様子を窺った僕は、その光景に絶句した。 この世界の久遠晶は、両手を耳に当て、戦いから背を向け、目を瞑り――外部からの情報全てを遮断していたのだ。 文姉の安否など、ほんの僅かも気にしていない。 ただ早く終わってくれと、他人事のように関わりを拒絶し塞ぎ込んでいたのである。 「――っ! 隙あり!!」「……スペルカード、セット」 ―――――――神速「オーバードライブ・クロウ」 棒立ちになったこちらの隙を逃さず、文姉がスペルカードを構える。 しかしそれを宣誓する前に、僕は神速のスペルカードを発動した。 ただし攻撃の為に使ったワケではない。周囲の時間が遅延していく中、僕は全速力でその場を離脱した。 そのまま魔眼の射程範囲ギリギリまで移動すると、スペカと面変化をほぼ同時に解除する。「はぁ……」 適当な木にもたれかかり、魔眼で文姉達の様子を確認する。 彼女は突然僕が消えた事に驚いていたけれど、隠れているワケでは無いと悟って軽く脱力していた。〈どうした少年、急にやる気無くして〉 なんか、どーでも良くなりました。 失望したと言うほど期待してなかったし、悲しいと言うほど思い入れは無かったけど。 あの久遠晶にとって‘この世界は何の価値も無い’のだと分かった瞬間、怒りも戦意も全て吹き飛んでしまった。 そんなモノか。……そんな程度のモノになる可能性も、あったのか。 「――お疲れのようですね、『久遠晶』さん」「ええ、何だかどっと疲れました」 何とも言い難い気分で文姉達の様子を窺っていると、真横でゆっくりと隙間が開いた。 出てきたのは、恐らくはこの世界の紫ねーさまだ。 彼女は表面上の微笑を浮かべながら、冷たい瞳で家畜でも見るかのようにこちらを一瞥する。 まぁ、今までのに比べればずっとマシな反応だろう。僕は小さく肩を竦めて、当たり前のようにスキマ妖怪の言葉に頷いた。 「あらあら、もう少し驚いて頂けると思いましたが。こちらの晶さんは随分と肝が座っていらっしゃるのですね」「あの久遠晶と比べれば、誰だって図太く感じますよ。――それで紫さん、何の御用ですか?」「そうですね、あえて言うなら確認でしょうか。貴方がどういった意図をもって現れたのか、一応は本人に確かめてみようと思いまして」「意図ですか……。もう一人の自分を殺しに来たって言ったらどうします?」 相手の意図を探る為、あえて挑発になりそうな理由を口にしてみる。もっともこれで彼女が激昂する事はまず無いだろうけど。 多分、この世界の八雲紫はこの世界の僕と親しくない。いや下手をすると……。「本当にそうでしたら、とても喜ばしい事ですわね。――ついでですからアレの居場所も奪っていきますか?」 本当に嬉しそうに僕の言葉を歓迎する八雲紫。その声色に、もう一人の僕を思いやる気持ちは微塵もない。 厄介なゴミが消えてくれるなら御の字、と言った所だろうか。やはりこの世界の僕と八雲紫の関係は良好でないらしい。 まぁ、気持ちは分かる。僕と同様の能力を持っていてあの性格だと言うなら、彼女にとって久遠晶は厄介な邪魔者でしか無いのだろうさ。 それにしても、居場所も奪ったらどうか。ねぇ……良くもまぁ心にもない事を本音みたいに言えるなぁ。「止めておきます。僕には僕の世界がありますから」「あら残念」 ちっとも残念でない様子で、八雲紫が冷ややかに笑った。 そりゃそうだ。僕とアレが入れ替わった所で、あくまで厄介者のベクトルが変わるだけ。彼女にとっては何の意味も無いのである。 要するに、この世界にもう『久遠晶』の居場所はないのだ。無くしたのか、元々無かったのかは定かではないけど。「では、速やかにお帰りください。こちらに隙間は空けておきますから――ね」 お前も邪魔者に違いない。そう言外に含んだ声で、八雲紫がどこかへと繋がってる大きな隙間を開いた。 それがどこに繋がっているのかは分からない。だけど、どこへ繋がっていたとしてもここに居るよりはマシだろう。 僕はゆっくりと隙間へと歩き出し――その手前で止まって、再び文姉達の様子を確認してみた。 安全を確認した彼女は久遠晶へと歩み寄り、もう一人の僕も恐る恐るそれに答えている。 何とも心温まる光景だ。――だけど、二人の間には決して埋まらない隔たりが広がっていた。 あの間が埋まらない限り、久遠晶に新しい居場所が出来る事は無いだろう。「――――――どうかお幸せに」 皮肉を込めて、嫌味を込めて、ほんの少しだけ同情も込めて、小さく別れの言葉を口にした。 あの久遠晶がどうなるのか興味は無い。何かしてやろうとも思わない。 だけど、せめて祈る事だけはしておこうと思う。例え無駄に終わるのだとしても。 ――幻想郷に望まず来た彼が、望まぬ世界で僅かな希望を見出す事を。