「いやー、お騒がせしました。晶君完全復活です」「いやいやいや。出てるウサ出てるウサ、額から血がドクドク流れてるウサ」「頭カチ割れた程度、怪我のウチに入りません」「むしろ重傷の部類に入るダメージウサ。うどんげちゃん、超慌てて救急箱取りに行ったウサよ」「ほっときゃ治るよって言うか多分もう治ってるから平気です」「本当ね、もう額から出ていた血が止まってるわ」「……メイドさんって、人間なんウサよね?」「混じりっけ無しの人間ですとも。そういやか……さっきのお姫様は?」「我関せずでお茶いれて部屋に戻ったウサ。あの様子だと、これから一ヶ月は篭ってネトゲし続けるウサね」「そっか……良かったよーな悪かったよーな」「もう一度会いたいって言うなら、呼んでくるウサよ?」「勘弁して下さい。絶対嫌です」幻想郷覚書 異聞の章・伍「異人同世/アンチエイジ」「よしっと、これでもう大丈夫ですよ」「御嬢様の頭に包帯巻いただけだけどね」「……何で久遠さん、救急箱取りに行っている一瞬の間で傷が治ってるんですか?」「体質みたいなもんです。でも手当ありがとう」 しこたま頭を打って何とか冷静になれた僕は、包帯を巻いてくれた姉弟子に礼を言った。 霊夢ちゃんの言うとおり、すでに完治している額に巻かれた包帯はまっさらな状態だけど……。 まぁ、こちらとしては気遣って貰えるだけ充分ありがたいですよ。 最近はもう、頭から血を吹き出したくらいじゃ興味も持って貰えないからなぁ。 と言うか僕自身、だいぶ怪我に対する感覚が鈍くなっている気がする。そのうち死ぬかも。「師匠はてゐが呼びに行きました。ついでだから、頭の方も見てもらいましょうね」「いえ、狂ったワケでは無いんです。自覚が無いだけでもう狂ってるのかもしれませんが」「あ、頭の怪我の話ですよ! 精神の波長は安定してますから、貴女が狂っている事はありません。私が保障します」 あー、そっか。姉弟子ならはっきりとした形で僕が正常か否か把握できるんだっけ。 と言う事は、何だか否定できなくなっていた『おかしくなっているのは僕』説は間違いだったのか。 少しだけ安心したけど、ますますワケが分からなくなってしまった。 ……狂っていた方がどれだけ楽だったか。この状況が現実だって事実が一番辛いよ。「そうだ、あ……鈴仙さん。薬師様ってどんな方ですかね? 性格的な所は全然知らないんで、少しでいいから教えてください」 あらかじめ聞いておかないと、本気で発狂しちゃいそうな気がするからね。 例え焼け石に水だとしても、冷ましておくことは重要だと思うんですよ。無駄になると思うけど。 「素晴らしい方ですよ。賢くて、聡明で」「弟子や患者で薬品の実験を行うマッドサイエンティストよね」「…………く、薬が絡まなければ良い人ですよ!」 んー、アウ……いやセーフ? リアクションには困りそうだけど、愕然とする程では無いかな。 元々お師匠様はミステリアスと言うか、何考えてるか分からないと言うか、天才アヴァンギャルド怖いと言うか。 ぶっちゃけ元からリアクションに困る人だったんで、ベクトルが変わっただけならそれほど困りは……しないと思いたいなぁ。 もしも天子や輝夜さんを上回る強烈なキャラだったら逃げよう。全てを諦めて逃げ出そう。「ただいまウサー。えーりんと、一緒に居たスキマを連れてきたウサ」「れーむぅうぅぅぅぅううう!! 私に会いたいだなんて、それは愛の告白と受け取って良いのねぇぇええええ!!!」「――『夢想封印』!」「げぼぁ!?」「まったく、何をやっているのよ紫……」 あー、そっちかー。よりにもよってそっちの方だったかー。 完全にただのボディブローである夢想封印を喰らってのた打ち回る彼女の姿に、逃亡の気力すら吹き飛んでしまった僕。 紫ねーさま……ようやく会えたと思ったら、恐ろしく残念な事に。〈対象が少年から霊夢に変わっただけで、残念っぷりは変わってないような気が〉 幾らねーさまでも、無抵抗で腹パン喰らったりはしないよ! ……多分。 と言うか魅魔様、都合の良い時だけ起きてこないでくださいよ。起きるならずっと起きてろ。〈むにゃむにゃ、もう食べられないよー。ぐぅぐぅ〉 よーし覚えてろよー。次魅魔様に身体貸した時、魅魔様が言う決め台詞を思いっきり遮ってやるかんなー。「ぐふぅ……あ、愛が重いわ」「アホな事言ってんじゃないわよ。でも丁度良かったわ。はい御嬢様、お約束のブツです」 首根っこ掴んで差し出すの止めてくれませんか? 切なくなるんですけど。 あと紫ねーさま。霊夢ちゃんが関わってくれるなら何でも幸せ、みたいな顔しないでください。泣きたくなります。「ほら、恍惚としてるんじゃないわよ。キリキリ御嬢様の質問に答えなさい」「もう霊夢ったら――って、貴女何者!? 私の霊夢に「御嬢様」だなんてそんなプレイ……」「誰がアンタのよ」「ぐぇ」 どうしよう、本気で涙が出てきた。 最近はちょっとアレな姉と言う評価が強くなってきたねーさまだけど、それでもここまで振りきれてはいなかったのになぁ。 霊夢ちゃんの扱いが完全に変態と化した天子と同じだよ。完全にネタキャラ枠だよ。今までで一番の衝撃だよ。 「あら、貴女大丈夫? 頭に包帯を巻いているみたいだけど、ひょっとして傷が痛むのかしら?」「あはは、痛むのはどちらかと言うと心の方ですねー」「あ、そうでした。申し訳ありませんが師匠、久遠さんの頭を見てもらえませんかね」「ついさっき、頭を壁に打ちつけて出血した所ウサ。あっさり治ったウサけど」「治った? ……ふむ、ちょっと見ておいた方が良いかもしれないわね」 こちらの涙の意味を勘違いしたお師匠様が、姉弟子やてゐの言葉に頷いてこちらへと近付いてきた。 とりあえず、お師匠様はおかしな事にはなっていないみたいだね。 僕の身体を診てマッドな興味を刺激される可能性はあるけど、その手の扱いはアリスで慣れてるから大丈夫。多分大丈夫。 とか思っていたら、何かに気付いたお師匠様が僕の顔を物凄い形相で鷲掴みにした。 え、何この鬼気迫る表情。頬に添えられている指が、恐ろしい勢いで顔にめり込んで行くんですが。 何? どうしたの? ひょっとして思っていた以上に、お師匠様の中のマッドな心を刺激しちゃったんですか? 「――すべすべだわ」「す、スベスベ?」「まるで剥きたてのゆで卵みたいな……いえ、まさしく赤ん坊の様な……信じられない、これが若さなの?」「すいませーん、誰か薬師様のお言葉を翻訳してくれませんかー?」「ほら紫、ちょっと確かめてみなさいよ」「どれどれ――って何コレ!? コレが玉の肌ってヤツなの!? うわっ、本当にすべすべつるつる……」「わー、聞いちゃいねー。どーしよー」「御嬢様に何してくれてんのよバカ共!!」 霊夢ちゃんは本当に頼りになるなぁ。僕も一緒にふっ飛ばしてますけど、まぁそこは気にするまいて。 二人の手が離れた瞬間、僕は全能力を使って動き霊夢ちゃんの影へと隠れた。 あー怖かった。身体測定の結果を聞いた時の早苗ちゃんくらい怖かった。どうしたんですか二人共……。「誤解しないで霊夢! これは浮気じゃ無いわ!! ただちょっと確かめただけなのよ!」「そこはどうでも良いわ」「ごめんなさい、少し取り乱してしまったわ。ところで貴女――――何歳?」 少し前の謝罪は形だけのモノです、と言わんばかりに即座に話題を元に戻すお師匠様。 完全に興味の方向がそちらに固定されてしまっているようだ。軽い診察って話はどこに行ったんだろう。 そもそも、幻想郷で年齢がどうこうとか気にしても仕方ないと思うんだけどなぁ。 千歳二千歳当たり前の世界で、僕なんて……アレ、そういえば僕って今は何歳だったっけ。 うーん、幻想郷に定住してから時間の感覚がマヒしちゃってるなぁ。四季の移り変わりはちゃんと覚えてるんだけど。 二年か一年か、それとももうちょっと居たか……あーダメだ、思い出せない。 「えっと、十代後半です。あ、分かってると思うけど純正の人間ですよ?」「十代か……つまりこれが、若さの力って事なのね」 どうだろう、どちらかと言うと『気』による影響の方が大きい気がします。 良く分からない事に戦慄しているお師匠様に、言っても無駄だと思うので内心で突っ込んでおく。 ……ついでに言うと、今のお師匠様にその事を告げたら美鈴が危ない気がする。何の根拠もないけど大変な事になる気がする。 と言うか、だ。人の事を反則だなんだと言ってますが、若さで言えば不老不死な蓬莱人であるお師匠様が一番凄いのでは無いでしょうか。 僕の数百倍長く生きててその肌のハリは、僕なんかよりよっぽど反則だと思うんですけどねー。何が不満なんだろ。「でも永琳、‘例の薬’が完成さえすれば……」「ふふ、そうね。アレさえあれば私達にもツルツルスベスベのお肌が!!」「……誰でも良いから説明して欲しいんだけど、この人達は一体何を求めているのかな」「若さと美貌ですよ。どっちもいい年だから、色々と焦りが来てるんですね」「おぐっ」「うがっ」「霊夢の一言は、日本刀の様にバッサリ行くウサなぁ……」「若さと美貌って……もうすでに持ってるモノを、この上まだ欲しがってるの?」 まぁ、美の追求は女性の本能みたいなモンだと言いますけどね。 妖怪の賢者と月の頭脳が揃ってソレを求めるって言うのは、恐ろしくシュールな気がする。 ――ってあの、何でこっちをじっと見てるんですかね、お二人共?「えっとあの、僕何かしましたか?」「……それはひょっとして、嫌味で言ってるのかしら」「はぇ?」「若さと美貌をもう持ってるだなんて、私達をバカにしてるの!?」「意味が分かりません。僕としてはむしろ、無いって言う方が嫌味だと思うんですが」 素直に思った事を口にすると、二人は額を付きあわせてヒソヒソ話をし始めた。 どうやら言葉の裏を探っているらしい。何故そんな疑心暗鬼になってるのか、理解に苦しみます。「御嬢様はお優しいですねぇ。でもお世辞を言うより、素直に現実ってヤツを教えてあげた方が良いと思いますよ」 「霊夢ちゃんは、どうしてそんな薬師様や賢者様に厳しいのさ」 何か怨みでもあるのかと勘ぐっちゃうレベルだよ、ソレ。 しかしさっきから黙って見ている姉弟子は、どちらかと言うと霊夢ちゃん寄りの意見のようだ。 あえてツッコミはしないけど、気持ちは分かると言った具合に苦笑している。 えっと、つまりお師匠様や紫ねーさまは現在の幻想郷の感覚で言うとお年を召している部類に入ると? ――いや、さすがにそれは無いって。実年齢的にも外見年齢的にも、年増の基準がおかしな事になりますがな。「と言うか御嬢様、コイツに用事があったんじゃないですか?」「あら、私に?」「あーうん、そうだね。とっとと目的を果たしちゃおうか」 もう色々と考えるのが面倒くさくなってきた。とにかく事態を究明する事だけを考えよう。 しかし、今の状況をどう伝えたモノか。正直に言っても信じてもらえない様な気がする。 とは言え、適当に誤魔化しつつ大切な所だけ伝える上手い説明の仕方があるわけでも無いし……やっぱり素直に言うしか無いかぁ。 しょうがない、異常者扱いは覚悟しよう。「実はですね……朝、目を覚ましてから世界がおかしくなっちゃったんです」「世界がおかしく?」「皆が僕の事を忘れてる上に性格が変わってて、家の内装なんかの細かい所も違ってるんです。一部に至っては完全に別物なんですよ」「それは大変ねぇ……で、何故ソレを私に言うのかしら」「要するに、アンタが何かしたんじゃないかって言ってるのよ。ほら、キリキリ白状なさい」「いやいやいや、単に紫ねー……賢者様なら原因的な何かを知らないかなーって思っただけです。そういう事は言ってません」 いくら紫ねーさまでも、こんなワケの分からない事態を引き起こしたりはしないでしょう。 まぁ他に何か狙いがあって、その為の手段としてなら――いや、無いか。……無いよね?「何かって言われても、特に心当たりは………………あら?」 何かに気付いたらしい紫ねーさまが、こちらの顔をまじまじと覗きこむ。 彼女は片眉を吊り上げながら僕の全身をまじまじと調べ、納得した様子で静かに頷いた。 どうしたんだろうか。そうやって意味深に頷かれると怖いんですが、僕の身体に何か問題が?「なるほど理由が分かったわ。貴女――この世界の人間じゃないわね」「……ほぇ?」「自覚してないようだけど、ここは貴女の世界じゃないのよ。所謂パラレルワールドってヤツね」 ぱられるわあるど? ここは僕の居た世界じゃない? つまり皆は僕の事を忘れたワケじゃなくて、元々知らなかったって事ですか? 性格が変わっていたのも、部屋の中が変わっていたのも、皆別の世界の人物――要するに別人だったからで。 あーうん。なるほどなるほど、今までの不可解な状況に一応の理由付けが出来ました。 いやー良かった良かった。そう言う事だったかあはははははー。「――――あふぅ」「御嬢様? どうしました?」「よ、良かったぁ……本当に良かったぁ…………」「……?」 衝撃よりも驚愕よりも先に安堵が来る当たり、相当色んな物が溜まっていたのだろう。 一気に脱力した僕は、姿勢を崩して大きな溜息を吐き出した。 あー、今までで一番怖かったかもしれない。ほんと、別の世界で良かったー。 ――ちなみに、それはそれで洒落にならない状況だと僕が気が付いたのは、もうしばらく経ってからの事でした。