「おっはよーございまーふ」「おはよう、今日はやけに遅かったわね」「ははは、ちょっと夜更かししてしまいまして」「ダメですよ晶さん! 夜更かしは美容の天敵なんですから!!」「もっとアイドルとしての自覚を持ってほしいわねぇ」「チガウ、ボクアイドルチガウヨ」「往生際が悪いですね、ファンクラブだってもうありますのに」「えっ、何その恐ろしい組織。初耳なんですけど」「ダメよ文、それは内緒にしておく約束でしょう?」「おっとそうでした。――嘘ですよー、「晶さん大好き倶楽部」なんてあるワケないじゃないですかー」「あるの!? そんな間口狭そうな集まりが、幻想郷に存在しているの!?」「ご安心ください。確かに会員数は三桁まで至っておりませんが、皆士気高く少数精鋭となっておりますよ」「むしろ三桁に届きそうな事実に驚きだよ! 何してんの!? 何が行われているの!?」「なーんちゃって、ただの冗談ですよー。うふふふふ」「ええ、益体のないタダの戯言よ。気にしない気にしない。おほほほほ」「いやいや、そこまで言われて気にならないはずが無いでしょう。ねぇ幽香さん」「こっちに振らないで、巻き込まないで、お願いだから」「幽香さぁん……」幻想郷覚書 異聞の章・壱「異人同世/幻想戦線異常有り」 僕こと久遠晶は、基本的に寝起きが良くない。 時間通りに目を覚ます事は出来るけど、起きた後しばらくは記憶が飛ぶくらいぼーっとしているなんて事はざらである。 特に夜更かしした日の翌朝は、着替えて部屋を出て洗顔するまで意識が朦朧としている始末だ。 ……まぁ、夜更かしする価値のある本だったけどね。パチュリーに土下座して借りた甲斐があったってもんだよ。 ともかくだ。顔を洗うまで僕は、右も左も分からない寝ぼけ眼状態で活動していたのである。 故に欠伸を噛み殺して居間に辿り着くまで、僕は‘その事’に気が付かなかった。「おっはよーございまーふ……アレ?」 幽香さんの家は、基本的に簡素で飾り気がない内装をしている。 所謂、モダンインテリアと言うヤツだろう。 もっともコレには、機能性を重視した結果逆に洒落っ気が出たという幽香さんらしい事情があるのだけど。 ともかく幽香さん家で装飾と言えば、ワンポイントで飾られている花くらいしか無いのだ。 ちなみに、幽香さんは花が摘まれる事にそれほど否定的では無かったりする。 曰く「これはこれで一つの生き方なのよ」なんだそうで。度が過ぎた採集はアレだけど、そうでないなら全然問題ないそうなのです。 もちろん家に飾っている花も、影響のない範囲で摘んできたものです。 ……一部に至っては、自ら摘んでくれと立候補してきたらしいからなぁ。 さすがフラワーマスターと言うべきか、花にとっても摘まれる事は意外とダメージ無いと考えるべきか。 まぁ、両者? が納得しているなら良しと考えるべきだろう。正直今は、それよりも気になる事が目の前にあるワケだし。 ――で、何ですかこのファンシーな内装は。 基本色は薄いピンク。布という布にはレースが付いており、無地のモノはただの一つも存在していなかった。 機能性という言葉を真っ向から否定するその部屋を、あえて一言で言うなら「太陽の畑のすてきなおへや」だろう。 少女趣味を突き詰めたらこうなりました。と言った感じの部屋の中で、幽香さんは目を見開いてこちらを見つめていた。「劇的ビフォーアフターって感じですね。何か心変わりするような事でもありました?」「――ひ、ひょっとして私に話しかけているの!?」「そりゃまぁ、幽香さんしか居ませんし」「な、名前呼び!?」 飛び跳ねるように立ち上がり、壁際まで凄い速さで逃げ出す幽香さん。 落ち着かなさげに視線を左右していた彼女は僕の存在を思い出すと同時に腕を組み、険しい表情でこちらを睨みつけてきた。 その激しすぎるメンチの切りっぷりは、不良漫画の主役を張れる程である。 ただし――おっかなさで言うと、今の彼女は普段の幽香さんに遠く及ばない。 何というか、今の幽香さんからは強者特有の余裕を全く感じないのだ。 あえて例えるなら、姉弟子からこちらに対する敵意を削ぎとった感じかな。もしくは獅子の皮を被った小動物の威嚇。 何も知らなければ泣いて謝るほど怖いんだろうけど……幽香さんの本当の怖さを知ってる身としては、首を傾げるばかりです。 どーしたんだろ幽香さん。もしかしてお腹痛い?「ふ、ふふん。この私の家に不法侵入しておいてその態度、随分と度胸の有る愚か者じゃない。命は惜しくないようね」 ……そういう芸風は、レミリアさんの専売特許だと思うんですが。 あまりにも幽香さんらしからぬ態度に、そんなレミリアさん本人に知られたら処刑間違い無しな事を考えてしまう僕。 いや、でもコレは無いわ。普通に幻覚か別人の線を疑うレベル。 ただし困った事に、僕のサードアイにはその手の誤魔化しが一切合切通用しない。 なので僕の目に映っている光景は、気のせいでも目の錯覚でも無い確かな現実だと言う事になるのだ。何がどうしてこうなった。「そうね……泣いて謝るなら、特別に許してあげても良いわよ? どうする?」「とりあえず、朝ごはん食べてから考える事にします。今日のメニューはなんですか?」「え? あ、あさごはん?」「今朝の当番は幽香さんでしたよね。……あれ、ひょっとしてまだ出来てませんでした?」「えっ、えっと……ちょ、ちょっと待ってなさい!!」 物凄いスピードで台所へ消えていった幽香さんは、これまたファンシーなトレーにファンシーな朝食を載せて戻ってきた。 ……あれ、幻想郷にコーンフレークってあったかな。以前に香霖堂で、食べていいのか判断に困る拾い物は見た事があったけど。 いや、パッケージを詰めたダンボールが破損していただけで、本体の箱は無傷だったけどね。 アレを躊躇なく毒見した挙句、商品として店に並べた霖之助さんの面の皮の分厚さは本当に衝撃的でした。 ――閑話休題。 そんなコーンフレークが今、西洋映画の朝にでもありそうな朝食としてここに存在している。 ぶっちゃけそれと牛乳だけなんで、内容的にはかなりシンプルなんですけど。 だからこそ逆に、トレーに載ってる一輪挿しとか装飾過多な食器とかが目立ってしまうワケで。 ……物凄く好意的に言うと、少女趣味の世界にどっぷり浸かれる感じ。 悪くは言いません。もちろん言いません。でも、僕にこの世界が合わない事は良く分かりました。 格好的には馴染んでるんだけどなぁ。見た目はゴテゴテヒラヒラだけど、体感的にはそうでも無いから違和感が凄い。「か、勘違いしないで! 時間があれば、もっと手の込んだ朝食が作れたのよ!!」「はい、幽香さんの料理はとっても美味しいですよね」「あぐっ、う……わ、分かっていれば良いの」 何を当たり前の事を。と思いつつ僕がそう答えると、幽香さんは顔を真赤にして俯いてしまった。 適当に誤魔化した僕が言うのもどうかと思うが、泣いて謝る云々の話はどこへ行ったのだろう。地平線の彼方? と言うか、本格的に幽香さんがおかしい。ツンデレの見本みたいな台詞をほざき出した。 確かに僕と幽香さんはかなりの仲良しさんだけれども、基本関係は主従である。犬とご主人様がデフォルトなのだ。 「失礼します!」「え――きゃっ!?」 乙女みたいな叫び声を上げる彼女を無視して、幽香さんの額に手を添える。 んー、熱はあるような無いような。顔も真っ赤だけど、これは無視して良い類の症状っぽい。 とりあえず更なる情報を求めて、幽香さんの目を覗きこんでみたり口を開かせてみたりとやりたい放題する僕。 しばらく観察を続け、薬師見習いとして「多分健康体」と結論を出したこちらに、幽香さんは慌てて全力のビンタをかましてきた。 まぁ、避けますけどね。しかしグーパンでも傘による刺突でも無いタダのビンタとは……幽香さん本気で調子悪い? 今度はメンタル面を確認するため、もう一度幽香さんの目を覗きこむ。あ、逸らされた。「い、いいい、いきなり何をするのよ!」「幽香さんの様子がちょっとおかしかったので、とりあえず体調の確認を」「おかしいなんて失礼……な…………」 身も蓋も無いこちらの言い方に、幽香さんは一瞬だけ激昂するけど――何かに気付くと一気で沈静化してしまった。 彼女は慌ただしくこちらから逃げ出すと、物陰に隠れてこちらに険しい視線を送ってくる。 ハードラックとダンスっちまったとか言いそうな表情だけど、雰囲気的には単に戸惑っている感じだ。外見と中身の差が凄いなぁ。「ね、ねぇ貴女」「はい、なんです?」「ひょっとして……心配してくれてるの?」「そりゃーしてますとも、大切な家族の身体ですからね」 幽香さんが風邪程度にヤラれるとは思わないけど、ここまで調子が悪いとさすがに心配になってくる。 余計なお世話かと思いつつもそう答えたら、幽香さんが爆発しました。 あ、いや、本当に爆発したワケじゃないですよ? 顔があっという間に赤くなって、全身で驚きを表現しているだけの話です。 だけどこの反応は、もう爆発と表現するしか無いだろう。もしくは瞬間沸騰。 ……まさか、ここまで過剰なリアクションが返ってくるとは思わなかった。 せいぜい「晶らしいわねぇ、うふふ」とか言う涼やかなお言葉が来るものとばかり。 おかしいぞ。これは本格的に何かおかしいぞ。危機感知センサーは無反応だけど、何か異常事態が起こりつつあるような。 ――と言うかコレ、すでに何事か起こってる? 「か、かかか、家族!? 友達も恋人もすっ飛ばして家族!? そ、そんないきなり……」 んーむ、紫ねーさまを呼ぶべきかなぁ。 危険な感じが一切しないから、そこまで焦る必要は無いのかもしれないけど。 嫌な予感がする。もっのすごい嫌な予感がぷんぷんする。「せ、せめてその、友達から始めてもらえないかしら」「はぇ? 何言ってるんですか幽香さん、僕等とっくに友達じゃ無いですか」 少なくともスタート地点はそうだったはずだ。その後は紆余曲折を経て、めでたく今の関係になったけれど。 どうしたんだろうか幽香さんは、記憶喪失になった……のだとしてもキャラが変わりすぎている。「と、友達? 本当に私のお友達なの?」「はい、友達ですよー。えっと……その前に確認しておきたいんですが、幽香さん僕の事覚えてます?」「えっ!? ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待って! 今、今思い出すから!!」 つまりしっかりすっぱり忘れていると。いやぁ、参ったねこりゃ。 忘れられて泣きそうになるほどメンタル弱くはないけれど、いつもなら頼れる人に頼れないのはちと辛い。 そもそもコレ、記憶喪失として扱って良いのだろうか。そう断定するにはあまりにも見過ごせない情報がチラホラと。「思い出さないと、思い出さないと、えーっと、えーーっと」「幽香さん、その事は後回しで良いんで、もう一つ聞いても良いですか?」「にゃ、にゃに!?」「最近起こった異変、何だか知ってます?」「……えと、封印されてた聖人が復活したって話でしょう? それがどうしたの?」「いえ、何でもないです」 とりあえず、僕と出会ってからの記憶が飛んでるってワケじゃないみたいだ。 つまりコレは――うん、全然分かんにゃい。 それなりに情報は手に入ったはずなんだけれども、どれもこれもバラバラなまんまで一向に繋がろうとしてくれないのだ。 うむぅ、こうなったら他の所へ行って状況を確認してみるべきか。 そう結論を出した僕は、コーンフレークをかき込んで玄関へと向かおうとした。 が、外へと出る前に襟首を幽香さんに掴まれてしまう。うぐっ、首が詰まりそうになった。「なっ、何するんですか幽香さん」「思い出せなかったからって、いきなり出て行こうとする事無いじゃない!」「……はにゃ?」「もうちょっと待って! もうすぐ、もうすぐ思い出すから!! だから見捨てないで!」「何をワケの分からない事を……ちょっと情報収集に行くだけですよ?」「ほ、本当? そんな事言って逃げたりしない?」「逃げるもクソも、ボクんちここですから。幽香さんが追い出さない限りここに帰ってきますよ」「え、えぇぇぇぇええええ!? 貴女、ここに住んでるの!? いつの間に!?」 ……下手するとコレ、出会いから現在までの道程を全部語らないといけないんじゃ無いだろうか。 何か言う度に派手な反応を返してくる幽香さんに、少しずつ面倒くささを感じつつある僕。 今の幽香さんに暴言吐いたら、実に貴重な彼女の号泣シーンが見れそうだ。そして僕は死ぬ。 「色々説明したいのはヤマヤマなんですけど、こっちもいまいち事情を把握出来てないんで――とにかく調査に行かせてください」「……で、でも」「結果に関わらず、ちゃんと夕方には戻りますから」「……………本当?」「約束します。ほーら、指切りげーんまーん」「え、あ、えあ……うっ、嘘ついたら、はりせんぼんのーま……す……」 半端なノリ方だなぁ。いつもの幽香さんなら、笑顔で付き合ってくれそうなもんだけど。 まぁ、あえて追求する事もあるまい。恥ずかしがりながらでも一応やってくれただけで良しとするべし。 そしてその後も、お弁当は居るかとか欲しい物は無いかとか夕飯は何が良いかとか、田舎の祖父母みたいな構い方をする幽香さん。 お爺ちゃん子な僕だけど、この手の扱いを受けるのは初めてかもしれない。爺ちゃん基本的に見守るタイプの人だったしね。 そんな彼女の畳み掛けるような思いやりを全て断り、僕は太陽の畑を後にした。 とりあえず、幻想郷そのものに変化は無い――様に思える。 幽香さんの家も、変わっていたのはあくまで本人の趣味が変わったからって感じだったし……影響は個人で留まっているのかも。 となると、他の人間を尋ねてみるのが最善手か。「なら会うのはアリスだね! 僕等の常識人アリスさん!!」 理想は紫ねーさまだけど、今までのパターンを鑑みるに多分会えないだろう。 それなら、会うべきはツッコミ役……もとい、冷静に物事を考えられるクールな人の方が良い。 他力本願こそ僕の本分だもんね! 抜ける手はとことん抜きますとも!! そんな都合のいい考えと共に魔法の森へと降り立った僕は、勢い良くアリス宅の扉を開け――予想外の光景に硬直するのだった。「魔理沙ぁ! あぁ、魔理沙魔理沙魔理沙ぁぁぁ!! 魔理沙ぁあああああ!」「――あにゃ?」 そこにはベッドに横たわりながら、普通の魔法使いちゃんの名前を連呼する僕の親友の姿がありましたとさ。 単に写真をペロペロしていただけだったって言うのは、良かった事なのか悪かった事なのか……ちょっと僕には分からないかなぁ。 ――うん、今まで生きてきた中で一番ショッキングな出来事だったかもしれない。