「いやはや、蓋を開けてみると意外なくらいあっさり片付いたね」「ええ、人里の方達も皆喜んで……とまではいきませんでしたが、それでも友好的に受け入れてくれました」「時代は変わったって事か。ふふ、聖が人間からも慕われる姿を見られるなんて……ぐすっ」「まったく、キャプテンは涙脆いんですから。でも妖怪として大っぴらに人の町を歩けるのは有難い事ですよね」「昔は、普通に買い物するだけでも大仕事だったからねぇ。ま、私はそこまで苦労しなかったけどさ」「ナズーリンや星さんは、耳や尻尾を隠さないといけませんから……」「そう言う一輪も、たまに雲山連れたまま町を歩いてエライ騒ぎを起こしていたよね」「いえ、アレは雲山が勝手についてきてですね」「――――」「ふぅん、雲山は一輪に頼まれてついていったって言ってるよ?」「わ、私は遠くから見守ってほしいとお願いしただけで」「――――」「ふんふん。雲に化けて見守っていたら一輪に呼ばれて、何かと思って行ってみたら大騒ぎになったと」「――――」「しかも呼ばれた理由が『ナンパされて困ったから』とかで、かなりやるせなかったと」「あうあう……」「……受け入れられたとは言え、人里で同じ事するのは止めてくれよ?」「や、やりませんよ、もう!」幻想郷覚書 聖蓮の章・弍拾壱「三止九止/タイガー&マウス」 さて、命蓮寺も無事人里に受け入れられたワケだが。 そうなってくると、他の事に気を配る余裕が出てくるのは必然である。「命蓮寺に、久遠さんを招こうと思うのですよ」 うむ、そして一番にそう言うだろう事も予測していたよ。 私とご主人を呼び出し笑顔でそんな提案をしてきた聖の姿に、私は気取られぬようこっそりと溜息を吐き出した。 彼は一応、聖の恩人に当たるからなぁ。 しかも実に珍しい妖怪側の人間だ。聖にとっては、同志に会えたような気分なのだろう。 ……実際は、同志どころか天敵とも言える間柄なのだがな。「良い考えだと思います、さすがは聖です!」 少しは考えて賛同してくれ、ご主人よ。 妖怪に有るまじきその純粋さを捨てろと言うつもりは無いが、聖の言う事なら無条件で受け入れ――と言うのは正直困る。 残念ながら我々は、彼女の提案を受けるワケにはいかないのだ。「聖、この人里であの人間がどういう扱いを受けているのか知っているかい?」「いいえ。ここの方々からは、あの方の話を聞いた事がありませんので……」「狡知の道化師、人間災害、はっきり言ってそこらへんの妖怪なんて比較にならない程の脅威として認識されてるワケだよ」「まぁ、どうしてそんな事に……」 あえて言うなら自業自得だろう。 本人は比較的温厚なタチなんだが、それが人里の方々に伝わる行動を一切取ってないからな。 ……いや、そもそも取る気が無いのか。アレは基本的に、興味外の存在が何をしようと気にしない人間なのだから。 そしてそんな彼を招待すれば、様子見されている我々の評価は地に落ちる事になる。 これが、聖の提案を受け入れられない一つ目の理由だ。 もっとも彼女にそんな事を言えば、意地でも久遠晶を招待しようとするだろうが。 そうなると、我々は人里での居場所を失った上に――久遠晶とも致命的な決別をしてしまう事になるのだ。「あえて言うなら久遠晶の望んだ道さ。妖怪側に身を置く人間として、妖怪の尊厳を守るため人間から距離を取っているのだろう」 絶対そんな事は無いが、それくらい言っておかないと聖は納得しないだろう。 正直この言い訳でも彼女は納得しないと思うが、ある程度の理解は示してくれるはずだ。そうでないと困る。「……何とか、してあげられないのでしょうか」「久遠晶の保つ距離は、すなわち今の妖怪と人の距離さ。我々が成すべき事を成せば、自然とあやつと人里との距離も縮むだろうよ」 まずは自分達の土台を固めなければ、お節介すら出来ないと言う事だ。 私が遠回しにそう告げると、聖は寂しそうに笑って小さく頷いた。 ……聖はご主人と違って察しが良いからな。私が色々と企んでいる事も、薄々ながら勘付いているのだろう。 その疑問を口に出さず、私が言うまで待ってるあたり人の良さはご主人と同レベルだが――まぁ、それは聖の良い所だ。 改める必要も無い。と言うか、改められたら命蓮寺の根底が崩れる。 それにどちらかと言うと異質なのは私の方だ。自分で言うのもなんだが、私の性分は少し陰険過ぎる。 常に事態の裏を探ろうとし、目的の為なら手段を選ばず暗躍する。……我ながら、よく皆に見捨てられないモノだと思うよ。 少しは自省し、命蓮寺の仲間達と歩調を合わせねばと考える事も多々あるのだがなぁ……。「そうだ、逆に聖が久遠さんの所に行くのはどうでしょう!」 うむ、やっぱりダメだな。私までご主人と同じ脳天気組に回ったら寺が滅ぶ。 聖があえて言わなかった提案を堂々と口にするご主人の姿に、私はやはり腹黒で居なければと再認識。 ご主人……世間ではそれを朝三暮四と言うのだ。聖が出向く形になっただけで、問題は何一つ片付いていないのだぞ。「はぁ……そう言うワケだから聖、久遠晶を招くのはしばらく我慢してくれ」「ごめんなさい、私の力が至らないばかりに」「あの腋メイドが意外に大物で、接触するだけでも一大事だったってだけの話さ。聖が気にする事は何も無いよ」「えと、あの、会いに行くのは……」「ご主人は黙っててくれ」「……ぐすん」「ダメですよ、ナズーリン。星をいじめたら」 子供か。まったく純粋なのは良いが、もう少し場の事情とか話の裏とかを察してほしいものだ。 ……まぁ、そう言う発想が一切出てこないご主人だからこそ、妖怪の身でありながら毘沙門天の代行を出来るのだろうが。 仕える身としては凄く疲れる。彼女がほんの少しでも物事を疑える妖怪であったなら、私ももう少し呑気にしていられるのだがなぁ。 とは言えその場合は、監視役として暗躍しなければならないから――結局負担は変わらないと言う事か。 「やれやれ、グズるなよご主人。ご主人の仕事はこれからなのだからな」「私の、仕事?」「正確には私とご主人の仕事だが――いつになるか分からん来訪の時まで、恩人を放置しておくわけにもいくまい」「えーっと、それはつまり?」「ご主人の案を半分だけ採用する。私とご主人が、聖の代理として久遠晶の所へ行くのさ」 幸か不幸か、人里におけるご主人の知名度はさほど高くない。はっきり言って我々とどっこいどっこいだ。 もっともこれは、聖人として圧倒的な注目を浴びる聖が居るからなのだが。 ……だからこそ聖には迂闊な行動が許されないのだ。今の彼女は、何をしても里の話題になってしまうのだからな。 しかし、ご主人くらいなら問題ない。それでも下手を打てば騒ぎになるだろうが――そこを上手く裁くのが私の役割である。 ま、本音を言うと私一人で行きたい所なのだが。 そうやって皆を疎かにし続けるのは孤立の始まりだし……何より、私だけでは誠実さが足りないからな。それはもう圧倒的なくらいに。「わ、私とナズーリンで、聖の恩人に!?」「それが現時点の我々に出来る、もっとも誠実な対応だろう。聖も異論あるまい?」「むしろ、私からお願いさせてください。星、ナズーリン、至らぬ私の代わりを務めてはくれませんか?」「は、ははは、はい! ま、任せてくだしゃい!!」 緊張し過ぎだ、ご主人。用事を任される事なら何度もあったでは無いか。 まぁ、聖が復活してからは初めてだが。……ご主人もわりと、聖復活に浮かれているのかもしれないな。 年中浮かれているような性格だから思いもしなかったよ。そーか、浮かれていたのか。「くれぐれも馬鹿な真似はしないでくれよ、ご主人」「し、しませんよそんな事! ナズーリンは、なんでそんなに私を虐めるんですか!!」 いや、私もご主人の性格が悪いとは思っていないのだが。 ……ご主人は、聖の考えが世間全般に通じると思っている節があるからな。 思想が合わない人物にとっては、存在自体が喧嘩を売っていると言っても過言では無いだろう。 そして――これから会いに行く人物は、十中八九聖と相反する思想を持っているのだ。「ま、ご主人の事はどうでもいい。それよりも聖、久遠晶の所で一つ所用を片付けたいのだが……許可を貰っていいかね?」「久遠さんが構わないと言ってくださったなら、構いませんよ」「な、なずぅりぃん……」 ご主人に構うと面倒くさい事になるので、あえて無視して話を進める。 そんな私の態度に苦笑しながら、聖は私の提案にほぼ無条件で頷いてくれたのだった。 ……まったく、重たいなこの信頼は。「さて、ここが久遠晶の住まう場所。太陽の畑だ」「ここがあの……パラソルマスターさんの住処でしたっけ?」「フラワーマスターだ。本人に言ったら殴られるだけでは済まないぞ」 まぁ、かのフラワーマスターがその程度の軽口で怒るとは思わないが。 脚色してでも警告しておかないと、ご主人は何を口走るか分かったもんじゃないからな。 場違いな平和主義者ほど怖いものはない。しかもご主人は、その主義を他人にも薦めてくるから……ああ恐ろしい。 ただでさえ懸念だらけの訪問なのに、身内にも爆弾を抱えているのは私に対する嫌がらせなのだろうか。 とは言え、一輪やキャプテンには荷が重い相手だ。ご主人くらい脳天気で無ければ、即座に精神をヤラれてしまうに違いあるまい。 それに……これからやる事を考えると、あの二人は察しが良すぎてダメだ。 「済まないって……な、何をされるんですか?」「――それは草木も眠る丑三つ時の事、太陽の畑から現れた風見幽香が」「止めてくださいよ! 私、そういう話苦手なんですから!?」 妖怪としてどうなんだとは言わない。もう慣れたよ。 私は軽く肩を竦めるフリして話を打ち切ると、これからに備え心を落ち着かせるため大きく深呼吸をした。 ……聖としては、これをキッカケにして久遠晶と親交を深めたいのだろうが。 残念ながら、私はそれを許すわけにはいかないのだ。 いや、許さないと言うよりは根本的に無理だと言うべきか。 ――何故なら久遠晶と聖白蓮は、絶対に分かり合う事ができないのだから。 それが、聖の提案を受け入れられなかった二つ目の理由である。 どちらとも妖怪に味方する人間であるが、その方向性は大きく違っているのだ。 聖白蓮が弱き人妖を護り、世の平穏を願う聖人ならば。 久遠晶は強き人妖と並び、騒乱から平穏を見出す超人なのである。 まさしく対岸の存在だ。性格的な相性はともかく、思想的な面で和解する事は一生無いだろう。 「だが、それを聖に言うワケにはいかないのだよなぁ」 言ってしまえば、聖は必ず久遠晶を説得しようとするに違いあるまい。 相容れないからこそ受け入れようとする。聖白蓮はそういう人間なのである。 まぁ、その行動自体は特に問題は無いのだが……その流れで発生する様々な問題は看過できんのだ。 久遠晶という男は、束ねた導火線の様な存在だからな。 触らぬ神に何とやら、今の時点で聖と彼を近付けさせるのは得策とは言いがたい。「……今、何か言いました?」「いいや何も。それより、そろそろ風見幽香の家へ行こうじゃないか」「あ、そうですね!」 もっとも命蓮寺としては、久遠晶との交友を深めておきたいのが何とも。 聖と久遠晶の接触を防ぎつつも、命蓮寺との関係は良好にしておく。 自分で企んでおいてなんだが、あまりにも面倒な目標に少しだけ泣きたくなったよ。「はわー、素敵なお家ですねぇ」「確かに夏場に訪問したかった場所だが、あまりにも呑気過ぎるだろうご主人」「はっ、そうですね。ここはあの「子供が悪い事をすれば風見幽香が出てくる」と噂のジェノサイドマスターの本拠地です、注意しないと」「だからフラワーマスターだと何度言えば……それにその噂も、子供達に対する躾の様なものだろうが」「で、でも、よしお君が言ってましたよ! 前に悪戯していたら、風見幽香に「食べちゃうわよー」って言われたって!!」「………子供達と仲が良いようで何よりだよ、ご主人」 と言うか、付き合い良いなフラワーマスター。 花の妖怪の意外なノリの良さに苦笑しつつ、私は家の扉を軽く叩いた。 「はいはーい、いーま開けまーす」 すると、やたら呑気そうな声と共に扉が開かれる。 中から出てきたのは目的の人物、人間災害こと久遠晶だった。 彼は我々――と言うか私の姿を確認すると、満面の笑みで親指を立てた両拳をこちらに付きだしてきた。「誰かと思えばナズーリンさんじゃないですかー! いぇーい!!」「い、いぇーい」「……遺影?」 いきなり物凄い歓迎ぶりである。予想はしていたが、実際に目の当たりにすると困惑してしまう。 いや、確かに最終的には味方してもらったが、それまでは間違いなく敵対していたろうに。 そして私に至っては、騙し討ちで君から宝塔を奪っていった詐欺師なのだが。 ……この様子だと、全然まったく気にしていないな。凄まじい人間だ。 かなりのキレ者なんだがなぁ。一切の裏を感じさせない、この素直さは正直羨ましい。「久しぶりだねー、人里の方はもう良いの? 何か揉めてるって聞いたけど」「少し話し合いがあっただけだよ。揉めるという程の事でも無かったさ」「ま、慧音せんせーと白蓮さんだもんね。大事になる方がおかしいか」「あまりやり過ぎてくれるなよ、と釘は刺されたがね。まぁ仕方あるまい、宗教は人に変化をもたらす存在だ」「幻想郷でも宗教戦争が始まるのかなぁ……早苗ちゃんが張り切りそうだ」 あまり興味が無さそうに、ただ面倒臭いと言わんばかりに肩を竦めてみせる久遠晶。 人間側の動向にあまり興味が無いのだろう。縁の無い相手には素っ気ないモノだ。 「ところで、ついうっかりスルーしちゃったけどそっちの人は」「あ、ど、どうもこんにちは! 私はその、虎丸星という妖怪で、命蓮寺では毘沙門天の……」「前に星蓮船で、何だか良く分からないけど気絶していた妖怪さんですよね」「う、うわぁぁぁ! 巫女が、巫女が!?」「ちょ、ナズーリン!? なんかこの人いきなりテンパりだしたんですけどぉ!?」「気にしないでくれ、異変での事が若干トラウマになっているだけだ」「じゃ、若干? コレで?」 異変が終わった直後は不眠症になりかけていたからな。これでもマシになった方なんだ。 彼女だけでなく一輪もしばらくは、巫女と聞くだけで体を震わせていたしなぁ。 恐るべきは博麗の巫女か。アレが思想的な面で敵でなくて本当に良かったと思うよ。 ……まぁ、逆にそっちの方では御しやすそうな気がするが。 人心掌握とか、一番苦手な部類だろう。アレは。「ま、気にしないでくれ。そのうち収まるよ」「扱い酷いなぁ……この人、愛され系弄られポジション?」「うむ、その認識で間違っていない」「そっか了解。それじゃ中に運び込んでおこうか」 手慣れた様子でご主人を抱え、私を室内に招く久遠晶。 きっと知り合いに似たようなのが居るのだろう。無駄な風格すら感じられる。 ……嫌な慣れだな。同じ様な境遇の私が言うのもなんだが。「あ、ナズーリンは紅茶飲む?」「紅茶か……土産で和菓子を持ってきたんだが」「んー、だとすると緑茶だなぁ。確か文姉が持ち込んだ奴が……」 そのまま彼はパニック状態のご主人を座らせ、茶葉の確認をしながら台所に歩いてゆく。 その頼もしすぎる背中を眺めつつ、さてどう‘あの話’を切り出そうかと私は策を練るのだった。