「……おはよーごぜーます、ゆーかさん」「おはよう、酷い顔ね。髪もボサボサよ?」「色々考えてたら、頭の中が余計にゴチャゴチャになっちゃいまして」「大変ねぇ」「幽香さん……強さってなんなんでしょう」「私にとっては、全てを捻じ伏せる為のモノよ」「僕にとってはなんなんでしょう」「なんだと思う?」「妖怪と対等に接するためのモノ……でした」「過去形なのね」「自分で言うのもなんですが、それはもう今の強さで充分な気がします。つーか、一部の妖怪にはそれのせいで引かれてますし」「あら、それじゃあ強くなるのはもう止めるのかしら」「それもねー、どうかと思うんですよ。我ながら不安定過ぎる現状を維持するのは、後々の地雷になりそうな気が」「ふぅん、ならどうするの?」「……………………どーしましょー」「ま、思う存分悩みなさい。気が向いたら相談に乗ってあげるわ」 幻想郷覚書 聖蓮の章・拾肆「三止九止/退屈凌ぎのホームワーク」 謹慎初日……いや、昨日謹慎を言い渡されたから二日目なのかな? あんまりよろしくない寝起きに頭を痛ませながら、僕は遅めの朝食を摂っていた。 「しかしアレですね。自宅謹慎って、意外とやる事無くて途方に暮れますよね」「貴方は毎日毎日、忙しなく生きていたものね」 忙しないですか? まぁ確かに、一日中この家で過ごした事なんて数える程度にしかありませんけど。 家にいるのは朝と夜だけなんて事はザラだし、たまに二日三日戻らない事もあるし。 ……改めて考えると本当に忙しない生活をしているなぁ。いや、単純に廻る所がたくさんあるってだけなんですが。 しかし今やれる事と言えば、炊事掃除洗濯花の世話に加えて本を読む事くらいだ。一気に減ってしまった。 あ、後もう一つあったか。もうすでに‘今回’は終わっちゃってるけど、時期的に考えると……。「失礼、晶殿が自宅で謹慎していると聞いたのだが……」「珍しい客ね。晶ならそこに居るわよ」「お久しぶりでーす、藍さん」 そんな事を考えていたら、来るかなと思っていた張本人である藍さんが本当に現れた。 彼女はこちらへ顔を向けると、完全に起きたてな僕の姿を見て眉をしかめる。「……いっそ清々しい程に気を抜いてるな」「いやいや、これは苦悩の結果なんです。僕も色々と思う所がありましてね」 とは言え客観的に見てみれば、今の僕が休日のお父さん同然である事はあえて否定しない。 なので僕は身体を起こし、小さく元気をアピールしてみる。 うわぁ、苦笑されてしまった。変な事せずに大人しくしていれば良かったか。 「ところでだな、紫様は」「朝方にエネルギーチャージをして、ツヤツヤな顔して出て行きました」「アレは、確実に貴女が来る事を予測していたわね。辻斬り気味に現れて去っていったわよ」 まだ太陽も昇っていない早朝に起こされ、五分近く抱きしめられた僕はいい迷惑でしたけどね。 ちなみに、草木も眠る丑三つ時にも同じ事をされました。その時の犯人は文姉です。 何でも今日は仕事で、ほぼ一日中妖怪の山に篭りっきりになるんだそうで。 ……忙しい時には弟を抱きしめて謎のエネルギーを補給するルールでもあるのだろうか、姉には。 そしてよくよく考えると、僕がロクに眠れなかった理由は悩んでたせいじゃ無くて二回も叩き起こされたせいなのでは? ふとそんな事を思ったけれど、些細な問題なので気にしない事にした。 なんかそれだと僕って、重大な悩みがあってもぐーすか眠れる無神経なヤツみたいじゃん。違うからね。「そうか、やはりな……」 藍さんも予測していたのか、あまり残念そうで無い口振りで肩を竦める。 まぁ、紫ねーさまですからねぇ。僕程度の存在が鈴の付いた首輪になるワケが無いのですよ。 僕の為なら何でもするよ! と言うスタンスを取ってはいるけど、何だかんだでやっぱり自分の事が最優先なんだよね。当然だけど。 そういう姉達のシビアな所はわりと嫌いじゃないです。つーか、自分の事よりこっちを優先してくる愛情は重過ぎて扱いに困る。「少なくとも今日は、どう足掻いても紫ねーさまに会う事は出来ないと思いますよ」「うむ、私も紫様の式をやって長いからな。そこらへんの匙加減は嫌というほどに分かっている」「ねーさまですからねー」「紫様だからな」 藍さんも苦労してるんだなぁ。疲れを具現化させた様なその溜息に、式の悲哀を見た気がする。 紫ねーさまの場合、藍さん困らせる為だけに雲隠れとかもしてそうだ。 お茶目な人です本当に。とりあえずそういう事で片付けておきます。……迂闊な一言で何が起こるか分からないしね!「ところで藍さん、今日はお忙しいのですか?」「忙しかったら君の所へは来ないさ。今のところ、危急の要件はないな」「それならゆっくりしていってくださいよー。紅茶入れますよー」「…………えと」「安心なさい。この子、飲み物はやたら上手に入れるから」「……………そうか。飲み物だと美味いのか」「……………そうなのよ。飲み物は美味しいのよ」 はて、今のやり取りでどうして幽香さんと藍さんの顔が曇るのだろうか。 首を傾げつつも、僕は了承を得たと判断して勝手に彼女の分の紅茶を用意した。 幽香さんも僕に料理を一切作らせてくれないから、出来る炊事ってこれしか無いんだよねぇ。 前に天晶異変が終わった後、「これからもヨロシク」って事で肉じゃがを作ってからだったっけ。禁止命令が出たのは。 何が悪かったんだろう。味がお気に召さなかったとか? でも幽香さん、ちゃんと美味しいって言ってくれたしなぁ。 そういえばあの後、幽香さんが一日ほど謎のお篭りをしていたけど……アレは何だったのだろうか。 その後もしばらくは調子悪そうにしていたし。――妖怪には肉じゃがアレルギーとかあるのかな。「で、座らないんですか?」「……ああ、そうだな。家主が良ければ休ませて貰うが」「構わないわよ。益体のない唸り声しか上げない晶と一緒にいてもつまらないし」「思う存分悩んで良いんじゃなかったんですかー」「悩む事を止めろとは言わないわ。でも辛気臭いのは鬱陶しいから止めなさい」 はっはっは、まったく幽香さんは無茶を言いおる。 まぁ、僕自身もウジウジしてる自分は若干ウザいなーと思っていましたけども。 「そう言う事ならお邪魔させてもらおうか。晶殿の『宿題』を確認してもおきたいしな」「あ、そうでしたそうでした」 やれやれと笑いながら、藍さんがゆっくりと椅子に座った。 背もたれが九つの尾の邪魔になりそうなのに、彼女は手で整える事もなく平然と腰掛けてみせる。 うーむ、熟練の業だ。些細な事だけどなんか面白い。 そんな事を気にしつつ、僕はポケットから封筒に入った書類を取り出し藍さんに手渡した。 アレ、藍さんどうしたんですか変な顔して。「……収容力が欠片も無さそうなそのポケットから、どうしてそのサイズの封筒が出てくるのだ?」「あえて言うなら、紫ねーさまのお力です」「紫様、晶殿に甘過ぎますよ……」 自称「身内贔屓する女」ですからね、あの人。 とは言えねーさまの場合、本当に贔屓している時と何かの布石を打ってる時があるからなぁ。 これも果たして、贔屓なのか布石なのか。まぁ、気にしてもしょうがない事なので気にしませんけど。「まぁまぁ、とりあえずブツの確認をお願いしますよ」「その言い方はどうなんだ……。まぁいい、内容を確認させて貰おう」 そう言って、藍さんが慣れた手つきで書類をめくる。 出来るキャリアウーマンみたいだ。格好だけ見ると道士や仙人にしか見えないんだけどねー。 ちなみに今僕が提出したのは、藍さんから定期的に渡されている「宿題」である。 もちろんそこに比喩的な意味は一切無い。ガチで「自宅で行う課題」と言う意味での宿題なのです。 緋想異変の後くらいから、藍さんが送ってくるようになったんだよね。 調べるのを前提としたかなり頭を使う内容だから、毎回問題を解くのに苦労してます。楽しいから良いけど。「ふむ、完璧だな。少し突っ込んだ内容も増えてきたのだが……この様子だと問題無さそうだ」「えへへー。こういう情報を集める場所、かなり知ってますからね!」「晶殿の優秀さと勤勉さは、こちらにとってもありがたいよ。色々と安心出来るからな」「優秀で勤勉で安心……およそ晶からかけ離れた評価ね」「うむ、私も驚いている。どうやら晶殿は、座学に限定すれば実に有能な生徒だと言う事になるのだ」「今ちょっと寒気がしたわ」「私もだ」 ははは、好き勝手言われとる。 これでも僕は、進学校に何の問題もなく進める程度の品行方正さと知性を持ってるのですよ? ……うん、自分で言っててちょっと寒気がした。知的キャラで売るのは無理だ。色々と無理がある。 「ところで晶殿、今の間隔で宿題を出して問題は無いか? 負担があるようなら期限を伸ばすが……」「いえ、全然平気ですけど? えっと、何か辛そうに見えましたかね」「君の平時の慌しさを聞いてると、宿題なぞやってる暇は無いように思えるのだよ」「それ、幽香さんにも言われました。僕ってそんなに忙しそうですか?」「最近では「久遠晶は複数存在し、どこにでも現れる」と言われる様になっているぞ」「何者ですか僕は」 ここのところ、扱いがますますトリックスターっぽくなってる気がする。 しかも狡知じゃなくて無貌の方。いや、どっち扱いでも嫌な事に変わりは無いですけどね。 そろそろ僕の顔を見て、正気度をボリボリ下げる人達も出てきそうだ。 あ、すでにもう居ますか。僕の顔見て悲鳴を上げて逃げ出す妖怪とかも居ますか。 あははははは、泣こう。「実はここに居る貴方は偽者で、本物が他で暗躍しているとか無いわよね」「幽香さぁん!?」「………冗談よ」 明後日の方向を見ながら言うの止めてください、地味に堪えます。 そりゃまぁ僕は分身も使えますけど、そういう器用な真似は一切出来ませんよ? つーか、僕は意図して場を引っかき回す事は出来ないんです。……いつの間にか引っかき回ってた事は何度かあったけど。「ともかく僕の方は大丈夫です。むしろ藍さんの宿題は楽しみの一つなので、ペースが落ちると困ります」「……楽しいモノなのか?」「えぇ、とっても!」「君は何というか……とても変わっているな」「え、その評価は酷くないですか!? 宿題大好きってそんなに変!?」 いや、確かに言葉面だけ見れば変わり者そのものですけどね。 内容は基本的に僕の大好きな幻想関連の事ばかりなんで、ぶっちゃけ好きな事やってるだけの話なんですよ。 むしろ問題と言う形にしてくれてるおかげで、知識の理解がしやすくなって助かってます。 ……ちなみに何度か、調べても分からない問題を他の人に聞いた事があったのですが。 その時の感想が、軒並み「まぁ問題としては優秀じゃね? つまんねーけど」だったのは黙っておこう。 あ、誰が言ったのかは黙秘させて貰います。……意外と多かったしね、うん。「貴方って、言動がいちいち被虐的よね」「宿題を面白がっただけでマゾ扱いされた!?」「確かにそうだが、行動はむしろ加虐的だと言えるだろう」「そうね、生粋の加虐嗜好ね」「あまつさえ幽香さんにサド扱いされた!!」 「あらあら、生意気な事を言うお口はこれかしら」「あ、スイマセン幽香さんゴメンナサイ。だから頬を引っ張るのは止めてくだひゃい」 今のは別に幽香さんがドSの化身だとか、そう言う事を言ってるワケじゃじゃじゃじゃイタタタタタ。 わぁ、意外と本気で引っ張られてる。結構幽香さんのご機嫌を損ねてしまったらしい。「……微笑ましい事だな」「何よ、その生暖かい視線は。ヒネるわよ」「幽香ひゃん、出来れば今日は荒事無ひでお願いひたいんでふが」「そこは相手次第ね。どうするの?」「すまん、喧嘩を売っていたワケではないのだ。ただ純粋にそう思ってな」 そう言って、紅茶を一口飲みながら藍さんは苦笑する。 どうやら思っていた事が、ついポロッと口から漏れてしまったらしい。 その手のうっかりはしそうにない、堅実な人だと思ってたんだけど……意外だなぁ。 等と思っていたら、藍さんも自覚があると言わんばかりに苦笑した。「これほど和やかな時間を過ごした事はなかなか無くてな。少しばかり気が緩んでしまったようだ」「ああ……藍さんも結構忙しい人ですからね」「はは、こんな事なら橙を連れてくれば良かったよ」 橙――確か、藍さんの式だったっけ? 話には聞いてるけど、未だに会った事の無い子だ。……藍さんが猫可愛がりしてるってのは聞いてるけど。 しかしそうか、やっぱり藍さんって仕事が忙しいんだね。 気丈に振舞ってるけど、かなりお疲れなのかも。 ふむ、ここは紫ねーさまの弟として藍さんを労うべきですかね。 僕は立ち上がって藍さんの背後に回ると、彼女の両肩を思いっきり掴んだ。 うわぁ、メチャクチャ肩凝ってるや。 式と人間の身体構造の違いは分からないけど、これは真面目に身体を休ませた方が良いかも。 「お、おい、晶殿? いきなり何をするんだ?」「マッサージですよマッサージ。いつもお疲れな藍さんを労うって事で」「いや、そこまでして貰わんでも……」「ふっふっふ。気を使う程度の能力を持つ僕は、触れた相手の気の流れを正す事でより効率的に身体をほぐす事が出来るのですよ」 美鈴直伝の気功マッサージ、保護者三人からも大好評なのです。……皆あんまし凝ってないから意味ないけど。 しかし藍さんは身体ガッチガチだなぁ。これはまた、ほぐしがいのありそうな。 「むぐっ、こ、これは……」「うぇひひひひ。お客さーん、凝ってますねー」「……笑顔が思いっきり邪悪になってるわよ、晶」 ちょっと楽しくなってきました。うむ、こうなったら身体がグニャグニャになるくらい藍さんをほぐしてやろうでは無いか。 微妙に本来の目的から外れながらも、藍さんの肩を丁寧にマッサージする僕。 語弊の無い様に言っておくと、僕は肩以外を触ってはいません。 肩を揉みほぐしながら、気の流れを操って全身のコリをほぐしているだけです。 お、藍さんも気持ちよさから顔が若干蕩けてきた。うむうむ、このままリラックスして貰って……。「はっ!? い、いかん!!」「はにゃ!?」 いきなり険しい表情になった藍さんが、慌てて椅子から立ち上がった。 無理矢理解かれた僕の手が、虚しく宙空を彷徨う。 はて、何か気分を損ねる様な真似をしたのだろうか。 僕が再び疑問から首を傾げていると、藍さんが恥ずかしさを隠すように小さく咳をした。「ごほん。気持ちは有難いが、あまり慣れ合うワケにもいかん。私はあくまで君の監査役なのだからな」「えっと……ご迷惑でしたかね?」「いや、迷惑と言うワケでは無いがな。正当な評価を下すためには、やはり対象と適切な距離を置いた方が……」「仲良くなり過ぎると採点が甘くなっちゃうから、懐いてこないで――だそうよ」「か、風見幽香!?」「蛙の子は蛙。何だかんだで貴方も身内には甘いのね」「ぐむむ……」 わー、幽香さんってばイキイキしてるなぁ。 図星を突かれたらしく顔を真っ赤にする藍さんを見て、彼女は満足そうにニコニコと笑う。 そう言う事やってるからサディスト扱いを……ゴメンナサイなんでもないです。 しかし藍さん、ヤッパリ身内に甘かったのか。 まぁ、幻想郷は身内贔屓しまくる人ばっかだから、藍さんがそうでも特に驚く事は無いけれど。 ……自分の式に甘いって話も聞いてたし。そんな焦って隠すような話でも無いような気がするのですが。「ふふふ、今確信したわ。貴女、さり気なく晶に対してイイ格好しようとしていたわね」「な、なんの事だ?」「今日はいつも以上に固いと思ってたけど、なるほど理由が分かったわ。先輩風を吹かせたかったワケか」 「……へー、そうなんですか」「そうよ。確かに元々お固い式だけど、お節介なくらい面倒見が良いのはおかしいと思ってたのよね。ふふふふふ」 わぁ、本当に死ぬほど楽しそうだ幽香さん。 確かに言われてみれば、緋想異変以後の藍さんは「僕が正しい道を進むか見守ろう」的な態度だった気がするけど。 アレは藍さんの素じゃなくて、少しばかり背伸びをしていたのだろうか。 そんな事を思って藍さんの顔を見ようとしたら、彼女は紅茶を一気飲みして玄関へと向かっていく。「そ、それでは私は失礼させて貰う! 次回の宿題はまた今度な!!」 そのまま早足で去っていく藍さん。どう考えても的中ド真ん中って感じです、本当に。 扉を締める事もせずそのまま逃げ出した彼女を見送った僕は、尚もニヤニヤ笑う幽香さんへ振り返った。「……僕はこれから、藍さんにどういう反応をすれば良いのでしょうか」「今まで通りで良いと思うわよ。困るのは相手だけだし」 鬼がいる。いや、花の妖怪だけど。 散々弄れてご満悦といった様子の幽香さんの姿に、僕はフラワーマスターの恐ろしさを再確認したのだった。 ……藍さん、しばらくは太陽の畑に来られないだろうなぁ。