戦技披露当日を四日後に控え、隼は他と比べて数日遅く改修が終わった如月に搭乗していた。
そして現在、第三遊撃実験戦隊用の格納庫からコロッセオにヘリで機体ごと移動し、開会式のリハーサルを行っていた。
時刻は夕時。
イグニスという名の太陽と大気を漂う空素によって地表は赤紫色に染まっている。
普段は更地であるコロッセオは、設定を入力して起動させることで現実に疑似空間を再現出来る。
空術を用いた一種の拡張現実だ。
現在は草原や奇怪なオブジェ等を具現化し、演習用ではなく神秘性や見た目を重視した風景となっていた。
空も例外なく疑似的なものにされていた。
ヴェイトン中佐が幾つかのファンタジー小説を参考にしたらしいその風景は、大抵の人が想像するファンタジーの世界だった。
シエルに出来た幻想空間に佇むHAは当初、そこの雰囲気に全く合致していなかった。
外見も内部も機械であるHAには幻想の世界は不釣り合いとしか言いようがない。
しかし、ヴェイトン中佐はその問題を、空術師の儀式衣装を参考にすることで解決した。
青々と茂っている草の絨毯に立つ如月ら、B小隊を除いた十二機全てには全身を覆うステルスコートが装着されていた。
攻撃に対しての耐久性は皆無だが、赤外線、電波、空素レーダー全てを無効化し、有機EL等を応用した技術で構成された布状のスクリーンに任意の景色を出力出来る迷彩装置である。
ステルス性を維持するのに激しい動きが出来ない、一部分でもカメラを晒さないと自分もコートの外を感知出来ないといった欠点があるが、優秀な物であることには変わりない。
リハーサル中の十二機はステルスコートを本来のステルスの為という使い方で使用していない。
現在第三戦隊のHAは、中佐から渡された投影パターンをシステムに入力しコートに表示させている。
今のコートの絵柄は第二空術大隊が纏う儀式服に酷似していた。
白と青を基調とした空を連想させる服。
儀式用空術兵器を構えた姿は巨人の空術師を彷彿とさせた。
まるで神話に登場する巨人神の様だ。
様々な色の花火が上がる。
金色に輝く花火があると思うと七色の花火が上がっている。
幻想的な光景。
空術による疑似花火は本物の様な火薬で打ち上げる際の爆発音はしない上、打ち上げられたそれらが花開く際の音も独特だった。
HAパイロットの中に口笛を吹く者や軽く拍手をする者が現れ始める程、紫の空を彩る数多の花は幻想的で神秘的で非現実的だった。
コロッセオの拡張空間と花火が混じり合った風景はシエルよりも幾分も異世界らしい。
やはり作り物の方が現実にあるシエルよりも幾分幻想っぽさがある。
HMD付きのヘルメットを通してリハーサルを見ていた隼はそう感じた。
遮光等の処理がされたHMD用バイザーは外から見ると黒く、大きなサングラスを着けている様にも見える。戦闘機パイロットのヘルメットに酷似している。
花火の演出を見る分には特に不快感はなかった隼は時刻を確認し、そろそろ自分の出番であることを把握する。
隼はマニュアル操作で左右のスティックを操作。
セーフティを外したミサイルランチャの様な空術兵器の銃口が空に向く。
両手に同じ兵器を持っている。
その両方が空へ向いていた。
次に、ウエポンモニタのカーソルが空術兵器に合わさっているか確かめる。
R RDY CFM、L RDY CFM。
左手も武装している為、RDYの前に左右を表すLRが表示されていた。
CFM、シエルクラフト・ファイアワークス・ミサイルランチャ。
隼の国の言葉で直訳すると空術式花火ミサイル発射機といったところ。
なんて奇怪な名前だ。
分かり易い様で伝わりにくい馬鹿げた名前だという認識は隼だけでなく第三戦隊の総意である。
新たに花火が咲く。
しかし、先程のものと比べてどこか無機質に感じられるものだった。
「こちら指揮車、ヴェイトンだ。第三戦隊、ABC小隊、技術部には感謝しろよ」中佐のからの通信がHAパイロット全員に届く。「彼らのおかげで俺達の仕事が楽になっているんだからな。それと俺の交渉術のおかげでもある」
応答、相槌、含み笑い。
中佐の言葉に第三戦隊の戦士が各々反応を示す。
中佐は技術部と協力して、演出の一部をコロッセオの装置が肩代わり出来るように設定していた。
さながら空術を用いた立体映像である。
「こちらA‐1、シュトルム。中佐、こちらから見るとアレはいささか本物より劣っている様に思えるぞ。俺らはすでにカラクリを知っているから違和感にも気づけているが、観客の中でも感の良い奴なら気づきそうだ。なあ篠崎、レーマー」
「ああ」
「そうですね」
A小隊長のゲルト・シュトルム大尉の同意を求める問いかけに、隊員の隼とテレス・レーマー少尉が答える。
「大丈夫さ」中佐には自信があった。「地球からの人もシエルの人も、まともに空術を見たことはない。聞いたことがあるだけの事柄の様に、彼らの中で空術は書物やネットにあるデータの中の存在でしかない。本物を始めて見るという衝撃は、人を好奇心一色へと染め上げる」
大丈夫だ。
念を押す様に中佐は言い切る。
その声色には若干喜色を含んでいることにHAパイロットは感じた。
喜色というよりかは嘲笑かもしれない。
中佐はコンピュータでは再現しきれない人間の単純さを理解し、それに対しての嘲り笑いだろう。
隼はそう思った。
「演出のたねを知らされていなくとも、実戦で空術と遭遇し、感覚が鋭敏になっているお前らは気づくだろうよ――っと、そろそろ時間だな。A小隊C小隊は事前にインストールした修正データを基準に照準を合わせろ」
隼はブリーフィングで渡された修正データを参考にしつつ銃口の向きを微調整する。
調整し終わると中佐にその旨を伝えた。
「B小隊、ブリュースター、チャン、ビレン、ルブロン、そちらの位置は万全か」
「こちらB‐1、ブリュースター。全機ホバリングで所定の位置に待機中だ、中佐」
「武装は」
「万全だ。いつでもCFMを発射出来る」
隼は後部カメラから窺えるB小隊を見た。
地上にいるHAとは違い弾薬の補給が容易に行えないHAAは、隼達の機体と比べて幾分も重武装だ。
重そうに空に浮いており、いささか不格好だった。
HMDの端に数字が表示される。
数字はカウントダウンしている。隼は視線を戻す。
HMDには頭部の向き、レティクル、使用武器、使用武器の弾数、高度計等が表示されている。
弾数近くに表示された数字が徐々にゼロに迫っている。
「よし……発射」
中佐の声が発せられた時間と数字がゼロになった時間はほぼ同時。
隼が右スティックのトリガーを引いた時間もそれに重なった。
コックピットから入力された電気信号が中枢コンピュータ等を通じた後右腕、右手に伝わり、武器へ直接電気信号で命令を下す。
武器に備え付けられた引き金は予備でしかない。
各々のHAが持つ直方体の箱から一発のミサイルが発射される。
HAAは二発ずつ発射した。
まだ地上から発射されたミサイルのブースタは作動していない。
重力に引かれて落ちる。
安定翼展開。
地面に着く前にブースタが着火する。
噴出音に噴出炎。
途端、発射体を離れてミサイルは尾を引きながら飛翔した。
尾の白色は紫の空に映える。
地上から十二本、空から八本の線が疑似空間を彩った。
遠くから見ても確認出来る線である。
実際そういう調整がされていた。
前もって速度等から算出された時限設定を施されたミサイルは、決められた位置で自動的に爆発する。
それは誘導性能を殆ど持たない安物に備え受けられた唯一の機能ともいえた。
空に二十輪の花が咲く。
機械に乗った戦士が咲かせた花。
華やかで有機的でいて無機質的。
一輪一輪個々の色を宿して鮮やかに咲き誇る。
そして光を放つ花弁が重力引かれて墜ちていく。
その光景は隼に彼岸に咲く花を連想させた。
彼岸花、リコリス、曼珠沙華。それが逆さに咲いている様だった。
「第二波用意」
「ラージャ(了解)。第二波用意」
中佐と各々の小隊長のやり取りを聞き、隼達は発射の用意をスムースに行う。
HMD上に表示されている数字はリセットされ、再度カウントダウンが始まっていた。
「各員、第二波発射後すぐに第三波で残りの二発を発射。その後、左手の物を使う前に右ロケットランチャを廃棄し新しい物に持ち替えるんだ」
「ラージャ」
「よし。カウント、5、4、3、2、1、発射」
「発射」
第二波。
ミサイル内の可燃性液体空素が燃える。
光の軌跡。
火の粉の代わりに空素が空に煌きながら舞う。
空素の茎は空に伸び続け、そして空に幾多の花が咲いた。
***
隼は見上げた。
淡い黄色、レモンシフォンの空が見える。
上には空がある。
地上にいる分では当たり前なことだ。
周りに悟られない様、一息つく様に溜息を吐いた。
隼の気持ちは下降の一途を辿っていた。
隼は基地内の一区画にある、ただ舗装された平坦な地面が続く場所に立っていた。
そこは即席の展示場に成り変っていた。
フィアナ基地で行われる催し事は戦技披露会だけが全てではない。
フィアナ基地の設備や戦力、基地と隣接する都市、通称フィアナ街等といったものを、機密に抵触しない程度に観光客に公開しなければならなかった。
戦技披露会前日、隼ら第三HA遊撃実験戦隊の仕事は展示された自分の搭乗機の説明をすることだった。
兵器の展示はどの世界、地球とシエルの違いを超越して人気なのだろう。
展示スペースには多くの観光客が彼らのHAは勿論、多脚型を含めた戦車や戦闘機を見る為に赴いていた。
隼は再び見上げる。
空は薄い雲のベールによって快晴の様な爽快感はない。
この天気が隼の憂鬱さに拍車を掛けていた。
晴れていたら、レモンシフォンの空は今よりもずっと爽やかだろう。
管理局本部から見て西方にあるルラン大陸の、中欧に似た気候地帯にあるフィアナ基地の春は陽気を除けば基本的には涼しい。
風を、地を温める陽光がベールによって遮られている今日、本来ならば隼が佇む展示スペースも涼しいはずである。
しかし、展示スペースは観光客が多くいる為に活気に包まれ、隼には実際の温度以上に暑苦しく思えた。
隼は昔、日本にいた頃によく乗っていた満員電車を思い出す。
それ程暑い上に息苦しくはなかったが、今日のここにいると感じられる感覚はそれを彷彿とさせる雰囲気だった。
暑苦しいとはいえ、隼の周囲には人が集まっていなかった。
彼と彼の愛機である如月の前を通り、写真に収める観光客は勿論いたが、愛想が悪そうで機嫌も悪そうな表情をし、冷めた雰囲気を外に漏らし続けている兵士に近づき、立ち止まる物好きはそうそういなかった。
人口オメリを積んでいるという情報が上手く外されて公表している如月は、一般人からすると他のHACやHAGと同じものと捉えられている。
その上如月の外見は兄弟機との互換性を優先したことで如月だけの外見上の特徴はない為、形での区別も難しかった。
そんな事情もあって、同じ外見のHAに疑問を抱いたのならば、隼より愛想が良さそうなパイロットに質問等を尋ねる人が増えるのは至極当然のことだった。
事実、隼の同僚であるシュトルム大尉やレーマー少尉は隼と違い忙しそうに観光客の対応をしていた。
時々彼らから恨めしそうな視線を感じるのは気のせいだと隼は思っていないが、特に何か彼らに対し反応を起こす気もなかった。
明日の戦技披露会で稼働するというキャッチコピーを銘打たれた第三HA遊撃実験戦隊の兵器群が展示された場所の盛況振りが衰えることはない。
隼は東有希から地球でHAが運用されるという情報を得ているので、その事情もこの人の多さを持続させている要因の一つであると繋げることは容易に出来た。
はあ。と隼は溜息をつく。
どの様な事情があるとしても、隼はこんな自分や如月を見世物にしている状況が早く終わってほしいと切に願っていた。
多くの視線が隼らに向けられ続けている。
今のフィアナ基地の状況を肌身で感じていると、シエル星はまるで地球が所有する観察箱みたいだと隼は思えた。
「フラスコの中の世界という言葉があったな」隼が口の中で言葉を転がす。
悪い意味でクレイジーかつユニークな発想だ。
ギュスに聞かれたら神に祈られて病院に担ぎ込まれるかもしれないな。
隼は心中で自分の妄想にそう感想を述べた。
「はろー」
ストレスが溜まっているから変な妄想をしてしまう。
隼は自分がこの催し事に対して怒りが増していることが自覚出来た。
その怒りの矛先は半ば八つ当たり気味ではあったものの、全くの無関係ではない為見当外れでもなかった。
「えっと、にーはお?」
隼は部下がこうして汗をかきながらボランティアに従事している中、自室で寛いでいるだろうアテナ少将やヴェイトン中佐の姿を思い浮かべようとしたがやめる。
空しいだけで、わざわざストレスが増加しそうなことをするのは良くないという考えに至った為だ。
「こんにちは?」
ここでは滅多に聞かない母国語が聞こえた隼は視線を虚空から声がした方へ動かす。
声の主はすぐに見つかった。
隼はすぐ傍に少女が立っていることに気がついた。
今まで全く気づかなかったことに、隼はそこまで考え事に集中していたのかと少し驚く。
「……」自分に声をかけてきた少女の顔を見る隼。ふと一つの可能性を思いつく「もしや少将か?」
「しょうしょう?」
「英語でメジャー・ジェネラルだ。まあ、他の呼び方もあるがな」隼は少女に合わせて日本語で話す。
「違うよ。なんで?」
いや、気にしなくてもいい。
隼はそう言いしゃがみこんで少女の目線の高さに合わせる。
黒髪黒目。アジア系だ。
どことなく見覚えがある顔立ちで日本人っぽい。
日本にいけばすぐに似た様な子供がいるだろう。
隼の見解はそこで終わる。
「俺に何か質問でも。それとも迷子か?」隼は比較的近くにいた局員を指差す。「迷子ならあそこの女性に言えばいい。きっと俺より早く親の下へ案内してくれるだろう。多分、きっと、おそらく」
「あれって」少女は隼の上を指差す。
「無視か」
少女に聞こえない様に呟いた隼は少女の指先が向いている方向を確認する。
一見空に向けられていると思えたが確認してみると違うことが分かる。
如月だ。
少女の人差し指は隼の後ろで佇む如月に向けられていた。
「あのロボットってあなたの?」
「間違ってはいない」
「お名前は?」
「ルーグ。または如月」
「きさらぎ?」
「二月の異名。二月の違う呼び方という風に思っていい」
「へー」
「ふむ」
隼はこれくらいの歳の子供と会話するのは随分と久し振りなはずだが、不思議と大人と会話しているのと感じが変わらず、特別違和感がなかった。
「聞きたいことはそれだけか」
「あれには今誰か乗っているの?」
「乗っていない」
「本当? なんか、他のロボットとは違う気が……なんて言えばいいのかな。よく分からないけどそう思う」
「他のロボットと? ――ああ、如月のことだろう。珍しい」
「如月? このロボットのことじゃないよ」
「これには如月という、まあ、あれにいつも乗っている人と思ってくれてもいい。ロボットの名前は元々その彼女の名前だ」
「彼女? いつも乗っている? よく分からないけど分かる気がする」
「感受性が豊かな人には彼女が分かるらしい。あんたには空術師の才能があるようだ」
「才能? 何事にも才能はないって聞いたよ」
「誰が言っていた」
「分からない」
「ふむ。分からないことだらけだな」
「でも、確かに誰かが言っていたの。才能は人間の妄想だって」
「中々思い切った意見だな。ただ、あんたの様な子供に言う内容ではないな」
「パイロットさんはどう思う?」
「分からないことでもない。一理ある」
「ふうん」
少女はそこで会話を打ち切り、数歩下がって如月を見上げる。
つられて隼も如月を見た。
「大きいね」
「およそ十メートル。大人四人と子供二人分くらいだ」
少女は如月の体を見渡す。
今の如月は灰色を基調とした塗装表示がなされていて武骨さが際立っている。
「地味だね」
「戦う道具だからな」
「女の子はおしゃれに気をつかうんだよ」
「彼女は戦闘以外のことには興味無いさ」
〈私がその任務を遂行する必然性があるという証明を所望する〉
ただし、今回の見世物としての扱い方には不服そうだったがな。
隼は如月に初めて開会式や戦技披露会の情報を入力した際の如月の返事を思い出した。
彼女も第三HA遊撃実験戦隊員、つまり隼と同じ意見を持っていると知り、その時隼は嬉しく感じていた。
「あっ、そろそろ……」
少女の声。隼が視線を少女に戻す。
少女は右手に着けられた腕時計を見ていた。
隼は少女が腕時計を着けていることに今初めて気づいた。
「袖に隠れて見えなかったのか。ふむ。今時子供が時計をしているとは珍しい」
「女の子はおしゃれに気をつかうんだよ。二回目」
「分かった分かった」
「分かったは一回!」
「はいは――」少女が隼を睨む。「分かった。はい。これでいいだろ?」
「うん」少女は頷く。後ろで結われている髪の毛が跳ねた
全く、あんたは母親か。それともやはりこいつ少将か。
そう隼は思う。
隼の中にある少女=少将説が再燃するが、少将がこんな性格を作れる面があると想像すればするほど気持ち悪くなった為すぐ鎮火した。
「えっと」腕時計を見ていた少女は首を傾げる。
「どうした」
「時計ってこうやって見るんだよね?」少女が隼に自分の腕時計を見せ、「これが何時かを示して……これで何分かが分かる」等と針を指差しながら一つずつ尋ねてきた。
隼は少女の言葉に頷きつつ盤を見る。二時二十五分。
「ああ、それであっている」
「ええと、これがこうだから今は二時二十五分?」
「その通り。しかしあんた、おしゃれと言っても使えないと意味がないだろう」
「こういう時計、始めて着けたんだもの」
「そうか」
それでも時計の見方が分からないのは正直ないだろうと隼は思ったが、少女がうるさそうなので口に出さなかった。
「好きな人からもらった初めてのプレゼントなんだ」
「そうか。その好きな人は相当大人ぶっているようだな。それは淑女用だろうに」
「うん。いつもは大人っぽいけど、好きなものの前だと子供だよ」
「へえ。そういえば大丈夫か」
「ん?」
「時間。親との集合時間か何かは知らんが、とにかく時間が迫っているんだろう?」
隼がそう言うと、幸せそうな表情が一転してはっとした表情へと変わった。
「そう時間!」
少女は慌てて隼に背を向けて走り出そうとして止まる。
「どうした。道が分からないのならばさっき言った局員を頼ればいい。俺は自分の区画と中枢区の少ししか道筋を知らない」
「あいさつ」
「あいさつ?」
「さようならのあいさつ! またねパイロットさん」少女の視線が如月に向く。「それと如月さんもね」
「ああ」手を振る。
「じゃね」声をかけた者の反応に満足し少女も手を振る。
そして少女は人混みの中へ消えていった。
瞬く間に隼から少女の姿は見えなくなる。
少女との話に意識を傾けていた為なのか、会話が終わった隼の耳には喧騒が突然大きくなった様に聞こえた。
隼は少女が向かった方角を見るのをやめて如月を見る。
やや下を向いた頭のカメラは起動している。
機体を起動させ、重心を調整出来る様にしなければ風に倒される為、如月が起動していることは異常ではない。
「如月“さん”か」
隼が投げかけた言葉に当然如月が反応することはない。
戦闘に関係すること以外は反応しないさ。隼は承知の上で呟いていた。
はあ。隼は息を深く吐く。まるで深呼吸をしている様にも見えた。
隼は視線をずらして空を見る。如月も視界に入っている。
レモンシフォンの空。
灰色の巨人。
ノンフィクション的ではなく、ポスターの様などこか作り物の、デザイン物の色調に近い。
しかし、これは本物である。
シエルは現実である。
「二年もここにいるが、いつ見ても奇妙な景色だ」ふと気づいた様に頭を振る。「駄目だ。機体から降りると余計なことを考えてしまう」
隼の視線の先、まだ太陽は雲のベールによって霞んで見える。
「あの戦闘から三週間ちょっとか。長い……長いボランティア活動だった」
隼は如月に視線を戻した。
***
翌日、開会式がアクシデントなく終わり戦技披露開始の時間が迫る。
コロッセオに設定された戦場は荒野と廃墟が七対三の割合で、廃墟を囲む様に起伏がある荒野が配置された設定にされていた。
第三HA遊撃実験戦隊は事前にコロッセオの環境を知らされている。
無論敵となる陸軍にも同じ内容が通達されている。
表沙汰は平等を謳っているが、第三HA遊撃実験戦隊の中では全く信じられていない。
対外用のパンフレットにわざわざしつこく“平等”と表記している時点で嘘臭かった。
基地内では陸軍に有利な情報が与えられていることは半ば周知の事実と化しており、査察団にもその旨が伝えられていると噂されている。
第三戦隊にもその噂は伝わっていた。
それがどうした。
各々言い方は異なるが、司令官である少将を含めた第三戦隊員はその噂に対してそう答えた。
少将の口添えで元々は出来レースだった戦技披露会は、与えられた情報の優劣はあるものの勝敗についての指定は取り払われた。
用いる兵器の違いはあるが、あくまで平等という名の下で戦闘は行われる。
わざわざ負ける必要がなくなった第三戦隊は勝ちに行く。
元々負けるつもりはなかったが、命令違反になる為に渋々負けなければならないという制約は第三戦隊のやる気を著しく希薄にさせていた。
今、彼らにその制約はない。
パイロットスーツを身につけた隼達、第三HA遊撃実験戦隊所属HAパイロット各員はコロッセオに備え付けられたブリーフィングルームに集まっていた。
全体の作戦指示が始まる前に、小隊ごとに集まり各々の小隊内での役割や作戦要項を確認している。
各小隊の役割、進路、通信周波数、コールサイン、天候、地面の状態、空素濃度、空素比、電波レーダー範囲低下率、装着兵装、搭載武装……。
打ち合わせが終われば、部屋から出て格納庫へ向かう。
そこにはHA専門整備隊による整備を終えたHA十六機が片膝をついて並んでいた。
整備されたHAは開会式で負った僅かな疲労すらも取り払われているだろう。
迷彩パターンは各機の任務内容に則した実戦用に設定されている。
如月は茶色やカーキ色を基調とした組み合わせをデジタル処理した迷彩が施されていた。
市街戦になればそれは灰色を基調としたものへと変換される。
隼は整備兵を一人引き連れて外部点検を行う。
間接やノズルの可動部に何か挟まっていないか、カメラに汚れがないか、塗装表示に異常がないか……。
その点検を終えると、隼人は首の後ろにあるレバーを動かしコックピットカバーを開かせ操縦席に乗り込む。
操縦席に座り、折りたたまれていたツインディスプレイを展開、固定する。
そしてシートに座ると前方にある多目的ディスプレイの下、警告パネル左にあるジェネレータ・空石炉起動系を操作、如月に本格的な火を灯す。
これから向かう先で行うことは本当の実戦ではなく急ぐ必要はない。
その為点検は時間をかけて万全に行う。
隼は右コンソール群にあるインデックスコンソールを操作し、《点検》モードにして点検待ちの状態にさせる。
同じ右コンソール群にあるワーニングコンソールを用いて点検箇所を《全体》に選択。
自動的に点検が始まる。
各部、各システムオールグリーン。
人口筋肉出力系レバーをゼロ、MIN(ミニマム)から動かす。
右コンソール群にある駆動・燃料系モードセレクタを《巡行》モードへ。
各部に液体空素が行き届いたことを確認してから立ち上がりプリスタート点検。
実戦で行われるだろう動作を、テスト用疑似信号を用いて各コンピュータにシミュレーションさせる。
異常なし。
次は動作点検。実際に各関節、開閉部を動かして不具合がないか確かめる。
スロットルレバーを動かし、ペダルを踏んでブースタの確認も並行して点検。
異常なし。
ここで初めてコックピットカバーを閉じる。
武装を装備した後に火器管制系統の点検も行う。
機体と武装との接触不良があると最悪、弾を一発発射することも叶わなくなる。
点検終了、FCSの類にも問題はなかった。
点検を終え、少し時間が経つと戦技披露会の開始時間が近くなってきた。
開始時間に間に合わせる為に行動を開始する。
駆動・燃料系モードセレクタを《歩行》に合わせ、右ペダルを踏んで如月を輸送ヘリまで歩かせる。
コンピュータがサポートして安定にホバリングしているヘリの真下に移動し、如月とヘリを連結させる。
連結が終わるとヘリは上昇を始める。
地面を離れた如月は脚を曲げてヘリの連結カバーへ固定した。
すでに人口筋肉出力系とスロットルレバーはMILの部分まで操作されている。
「ハイエナが死肉を漁るだけの存在ではないことをここで証明しよう」ヴェイトン中佐の通信が入る。「各機、幸運を祈る」
中佐の声を引き金に、HAを乗せたヘリやB小隊のHAA四機がシエルの空へ出撃していく。
今日の空は夕時でもないのに赤い。
大気中の空素が濃い為だ。
夕暮れの鮮やかなオレンジ色ではなく鮮血の様に真っ赤。
空がこれでも地上の風景には特に影響を与えないのは不思議の一言に尽きる。
敵の爆撃機や戦闘ヘリを警戒して荒野地帯を低空で飛ぶ輸送ヘリ。
これら戦闘力の低い兵器の護衛も兼ねて、B小隊が彼らの前に出て先行する。
B小隊の一機、B‐4は電子戦仕様で、偵察機、AEW機(早期警戒機)の役割も担っていた。
この機体が一番に敵を捕捉し、戦況リンクシステムを用いてその情報を戦隊全体で共有する。無論、リンクのON/OFFは出来る。
「B‐1、エンゲージ」
「B‐2、エンゲージ」
「こちらB‐3、エンゲージ」
特に先行している三機からほぼ同時に戦隊全体へ通信が送られた。
「こちらB‐4、ルブロン。A小隊C小隊。聞いての通りB小隊は戦闘を開始した。爆撃機と迎撃機だ。敵は予想以上に速い。廃墟はそう遠くない。予定より少し早いが、ヘリが捕捉される前に降下をしろ」
ルブロン少尉の提案にA小隊とC小隊の隊員が応じる。
《戦闘機動》へモード移行。
次々とヘリから降下。
着地。
風に流された機体はいない。
「こちらはA‐3。迎撃機にレーザーを照射する。繰り返す。迎撃機にレーザー照射。FOX5、FOX5」
A小隊の三号機がB‐4のレーダーとリンクして、戦闘を始めたB小隊の先、まだドッグファイトへと移行していない迎撃機から一機を選別、FOX5――レーザー火器照射の意――を伝え、レーザーの射線上に入らないよう忠告する。
「発射」トリガーが引かれる。不可視波長のレーザーは人間の目に見えない。「命中」
「グッドキル」シュトルム大尉が言う。「これでB小隊が俺達を狙う爆撃機やヘリを破壊してくれれば万々歳だ」
「敵迎撃機散開。巡航モードから切り替えたようです。さすがにもうここからでは当てられないでしょう」
「一機で十分だ。篠崎、レーマー行くぞ。地上の先行は俺らの仕事だ」
了解。
隼はシュトルム大尉に追随し、それにレーマー少尉が続く。
戦車を凌駕する速度は、脚部に着けられた強化骨格によって通常よりもさらに速い。
レーダーモードをG/G(地対地)に設定、ウエポンモニタを見る。
R RDY 57ARIFLE、L RDY 40SmGUN、RDY 20AAGUN、RDY KNIFE、RDY CLSWORD……
57ミリ自動小銃、40ミリ短機関銃、背部20ミリ対空機関砲、高周波ナイフ、CLソード。戦闘ヘリや爆撃機を視野に入れた兵装。
A小隊がC小隊に先んじて廃墟の市街地へ進入。
三機同じ道を進むには狭すぎる為、ある程度の間隔を保ちつつ散開する。
「B‐4から通信」レーマー少尉が言う。「敵はすでに市街地に潜伏している模様」
「全く、情報のみならず開始時間までもあちらが優遇されているってことか。篠崎、レーマー、二人共、ビルの向こう側からの戦車の撃ち抜きには気をつけろよ」
了解。
如月は市街地を走る。
廃墟。
舞う砂塵。
瓦礫に死体が埋まっていると思える程、戦場になり捨てられた都市をリアルに再現出来ている。
幻想がある世界の中の幻想。
そこを如月という現実は走り続ける。
ビルがあらゆるレーダーを阻害している為に敵影は捕捉出来ない。
真っ直ぐな道路が多い市街戦では、突然戦車と直線上で向き合う状況が多い。
隼はそうならないように人口の迷路を考えて進む。
隼の視線の先に幅が広い道路が見えてきた。
そこへ姿を晒す前にビルに体を隠して自動小銃のカメラで道路の先を確認する。
離れた所を戦車が走行していた。
丁度十字路を通っている。
隼に側面を見せて走っていた。
如月に気づいていない。
どうやら音響で敵の位置を察知する兵はいないようだった。
HAの歩行音はステルス性能を考えると邪魔なものである。
敵はその弱点を把握しているはずだが、カメラで見える範囲ではそのような兵士は見受けられなかった。
――運が良かったか、侮られているか。まあ、どちらでも俺には関係ない。今、この状況を最大限に利用するだけだ。
戦車が見えなくなる。
「こちらA‐2。敵を発見。エリオット二両に四脚が三両。」
「いけるか」
「いける」
「よし、行け」
「了解」
隼は道路へと飛び出し、戦車が見えなくなった場所まで疾走する。
武装のセーフティであるマスターアームは大分前からオンにされている。
十字路に到着。
敵は隼に背中を向けている。
「A‐2、エンゲージ」
HMD上のレティクルが敵機に重なる。
隼は右トリガーを引いた。