□
「機嫌を直してくれ、山田先生」
「嫌です」
二時間目の授業に向かう道すがら、真耶は絶賛不機嫌続行中だった。
まったく真耶のくせに偉くなったもんである。これは一夏チョップの出番かもしれない。
「……織斑先生」
「なんだ?」
一夏チョップに使う背表紙の厚い本を探していると、以外にも真耶の方から話し掛けてきた。
何だろう。もう機嫌を直してくれたのだろうか。
「……先程の、オルコットさん。随分仲良さげでしたけど、どうなんですか?」
この野郎。一丁前に嫉妬でもしてやがったか? こいつもまだまだガキ臭いよなあ。
真耶のぶすっとした顔を見る。いつもは大きくくりくりとした目も、今は薄く細められている。小さく突き出した綺麗な唇が、その幼い容姿と相俟ってなんだか愛らしい。
うん。やっぱガキだわ。こいつ。
「そうだな。何だかんだで、あいつがIS始めてから今まで仲良くやってるよ」
「世界を回っていた頃ですか? 出会ったのは」
「ああ。丁度あいつが代表候補になったあたりか」
あの頃は荒れてたなー、あいつ。
まあ無理もないとは思うけれど、けどだからって喧嘩売られる謂われはないよな。いや返り討ちにしたけれども。
こちらにだってプライドはある。ISを使い始めて幾ばくかの小娘相手に、負けてやる義理もない。
けれど、それ以上に。
負けることは許されない。
例え誰を相手にしようと、俺は負けることは許されていない。後れを取ることはできない。
それもこれも世知辛い世の中、お金を貰えるんだから文句はないけれど。
自分と、なにより妹の生活がかかっているんだし。
「……珍しいですね。あんな風に女の子と接するなんて。ドイツに行く前ならともかく、随分丁寧な対応じゃないですか」
「おまえ以外はあんな感じだ」
「何ですかそれ!」
「おまえだけ特別扱い。つまりはおまえは俺の特別、ってことなんだよ」
「特別……。あれ、何だろう、嬉しくない」
特別っていうのは本当。数少ない後輩だし(他にも何人もいるけれど)。
その上で、こんな風に接しているのは間違いなく真耶だけだ。
真耶がイジりやすすぎる、とも言うけど。
「まあいいですけど。……綺麗な娘でしたねー。オルコットさん」
折角誤魔化せたと思ったのに、またも半眼になって『私不機嫌ですからー』空気を放つ真耶。
嫉妬されても、こちらとしてはどうしようもないんですけど。
「ま、貴族の出だし、身だしなみには人一倍、気を遣っているんじゃないか」
「へー……」
……………………。
何この沈黙。俺が悪いの?
仕方ない。しようがない。この俺がフォローを入れてやろうじゃないか。
「真耶」
「なんですか」
「俺はおまえも十二分に綺麗だと思っているぜ」
「先輩……」
「その学生そのものの容姿、実に若々しくて良いと思うぜ」
「誰が学生ですか! 私で遊ばないでくださいって、何度も言っているでしょう!」
あれ、何でばれたんだろう。
流石になれてきたのかな。
「まあいい。では山田先生。行くぞ」
「あ――、はい! 織斑先生!」
先生の雰囲気で無理矢理話を塗り替えてやった。
さて、そろそろお仕事といきますか。
そうやって、俺と真耶はようやくたどり着いた一年一組に入った。
◇
それは三時間目のことだった。
「例年通り、再来週にクラス対抗戦が行われる。そこでクラスを代表して一人、対抗戦に参加して貰う。代表者はクラス長も兼任する。その事を念頭に置いて、誰か立候補したい奴はいるか」
教壇に立った兄さんは、開口一番そう言い放った。
相変わらずの絶対的君臨者のような立ち振る舞いに、我らがクラスメート達はまたしてもノックダウン状態なのかも知れない。
だが、今の私には関係ない。
重要なのは、そう、クラス対抗戦。
クラス対抗戦といえば文字通り、一学年の全クラスで対戦を行い、入学時点の各クラスの実力を決めるためのものだ。
何の実力についてなんか考えるまでもない。
ISだ。
ここがIS学園である以上、それしかない。や、実力テストの可能性もあるけれど。
でもこれはISを用いて試合を行うものだ。これは事前に調べてあるから間違いない。
つまり、何が言いたいかというと、
ISが使えるのだ。
――ISは絶対数が決まっている。
それもこれも箒の姉である束さんがISのコアを作ろうとしないからなのだが、束さんなしで作ろうにもコアはISが研究され初めて既に十年が経つにも拘わらず、依然としてブラックボックス、何もわからないままなのだ。
故に各国は委員会から支給されている限られたISのコアをどうにか遣り繰りして日々ISの研究を行っているのだ。
本来委員会から国、国から企業に支給されるISだが、例外的にISnを保有している所がある。
それがここ、IS学園である。
所属している人数が人数なので、国や企業よりは保有しているISの数は多いものの、それでも一クラスの更に半分以下分程度。
代表候補生でもない私は、こういう機会を狙わないと簡単にISには触れないのだ。
特にこの時期は上級生が既にISの使用許可を申請している時期だ。
けれど対抗戦に出るとなれば、優先的にISを使用させて貰える。
と、そんな考えもあって、面倒くさそうなクラスの雑務を一度頭の中から放り出した私の決断は早かった。
「はい。立候補します」
途端、ざわめく教室。
「え、織斑さん……?」
「織斑さんかあ」
「でもでも、あの一夏様の妹だよ? 強いのかな?」
「どうだろう? でも、話題性はあるかも」
「お義姉ちゃん、って、呼ばれたい」
その他、エトセトラエトセトラ。
というかいい加減最後の奴は正体を現せ。今までのも全部同じヤツだろう。絶対呼ばないからな。
しかし、正直期待されても困る。
私は単にこの学校に在学している三年間で兄さんと同じ高みを目指す下地を作るだけのつもりだったし、兄さんのような人外級の強さを期待されても困る。
今回のクラス対抗戦だって、ただISに少しでも触れたいからだし。
ISは、稼働時間イコール強さ、なんだから。
ざわざわざわざわと、どんどん大きくなっていく雑談の声。
ていうか、こんなに騒いでいると、
「黙れ。誰が口を開いて良いと言った。言ったはずだぞ。俺の許可があるまで喋るな」
一瞬で教室から音が消えた。
皆一様に真剣な表情で兄さんの方を見ていた。口は真一文字に固く結ばれ、開く様子がない。
……いや、わかってはいたけどさあ。
「他にいないなら、織斑で決定するぞ。言っておくが、変更は効かんからな」
そんな光景に満足したのか、教室をゆっくりと見回してそう言う兄さん。
頼むから誰もいないでくれよ……。
そんな私の切な願いも虚しく、
「はい」
白く綺麗な腕が一本、真っ直ぐに上がった。
「オルコットか」
「はい。わたくしも、立候補いたしますわ」
その腕の持ち主は、先程の休み時間に話し掛けてきたセシリア・オルコットだった。
セシリア――!
よりによって代表候補生か――!
くそ。これは諦めた方が良いか? 多数決でも使われれば勝ち目はないぞ。どう考えても代表候補生であるセシリアの方が適任だ。そんなのは私でもわかる。
つまりここにいる誰にでもわかる。
「他にいないなら、この二人のうちどちらかで決めるぞ。いいな」
沈黙。
発言も、挙手もない。
どうやら先程の兄さんの言葉を守っているらしい。
……もしかして必要最低限以外喋らないつもりか?
兄さんはこの沈黙を肯定と捉えたようで(それ以外には捉えられないが)、一つ頷くと懐の黒い革張りの手帳に何か短く書き込むと、
「では後は自分達で決めておけ。言っておくが確り決めろよ? 実力もあって、かつ雑務を不備なく行える者、――こいつが一番の理想だ。ノリや勢いで決めてみろ。全員に罰を与える。ある程度の便宜なら図ってやるから、じっくり考えろ」
では、教科書を開け――、そう締めくくって、授業が始まった。
…………兄さん。追い打ちみたいな事を言って、何か恨みでもあるんですか。
◇
そして、その後の休み時間。
「さて、どうしましょう?」
授業が終わり、兄さんと山田先生が出て行ってすぐ、真っ直ぐに私の席にやってきたセシリアは、いきなりそう言った。
どうしよう、と言われても、正直諦めモードに入った私には何の案も浮かばない。
困ったような顔を(おそらく)した私と、相も変わらずにっこりとやわらかい笑みを浮かべたセシリア。
うわー。余裕有るなー。そうだよなー。当たり前だよなー。
そんな私たちの周りに集まるクラスメート達。
「どうするの?」
「じゃんけんとか」
「一夏様が確り考えろって言ってたでしょう? 一夏様に逆らうの? 吊し上げるわよ」
「ごめんなさい!」
「うーん。まあ普通に考えればオルコットさんで決まりだよね」
「普通に考えればね。でもなー」
「セシリアでも良いけど。千冬だってやりたいだろうしー」
「まいったなー」
…………おお。
なんだか私のことまで考えて貰えている。
今まで変態ドM集団とか思っててごめんなさい。
いや、異常な信奉は欠片も消えちゃいないけど、でも凄くまともに見える。
そうか、そうだよな。兄さんが関わらなければ普通だよな。元はエリートと呼べる人達なんだし。
……別に自分がエリートだって自慢したわけじゃないから。
「ふふ。でしたら、実力勝負としますか?」
「え?」
そうやって行き詰まっていたとき、不意にセシリアがそう言った。
えー、と。実力? 勝負?
「お兄様も便宜を図ってくれるそうですし、アリーナの使用を申請してみましょうか」
「セシリア、どゆこと?」
頬を引きつらせたクラスメートの一人が、恐る恐るセシリアに訊ねる。
「ですから。いっそのことどちらが強いか、ISで勝負してみましょうか、と」
笑みを絶やさず答えるセシリアが、優しげなセシリアの笑みが、今は何故かとても恐ろしく見える。
え、なにこれ。そういう事なの? こういう人なの?
「つまりは決闘です」
「いやいやセシリアちゃん。それは余りにも千冬ちゃんに不利ではないかい?」
だよねー。
つまり私に代表の座は絶対に渡さない、ってこと?
怖すぎて思わず私らしくない事口走っちゃいそうだよ。
代表候補生――つまりは最低でも三桁単位の時間でISを動かしているセシリアに、およそ二十分も動かしていない私で、勝負になるかって。
なるわけない。
そもそも代表候補っていうのは潜在的にISをうまく扱える可能性を秘めた奴らなんだ。その上セシリアはその中でも少数の、専用機持ち。
そんなセシリア・オルコットに勝てると思うほど、私は楽観視していない。
だから、もうここは辞退しようと、そう思っていたのだが――、
「あら。それはわかりませんわよ? なんだったら、お兄様に訊いてみましょうか?」
何故か自信たっぷりに、セシリアは私がセシリア相手に勝利できる可能性を示唆した。
「え、一夏様が?」
クラスメートの困惑の声にも揺るがず、セシリアはそのゆったりした雰囲気を崩さない。
それのおかげか、何故かセシリアの言葉には説得力があった。
いや、――というよりは、ただ事実を言っているような、そんな感じだった。
「ええ。ふふ。時間があれば、今日にでも訊きに行ってはいかがですか? 織斑さん。――いえ、ここは親しみを込めて、千冬さん、と呼ばせていただきますわ」
その言葉に、その同年代とは思えない雰囲気に、
私は今日の昼休みの予定を決めた。
◇
それから、昼休み。
私は箒と一緒に、職員室に向けて足を進めていた。
理由は当然、セシリアの言っていた意味を確かめるためである。
元々昼には兄さんの所に向かおうと思っていたのだし、大した手間ではないけれど。
「どういうことなんだろうな」
「そうだな……」
箒が訊くことにも答えられない。それは私の方が知りたいことだ。
私の眠っていた力が覚醒し、スーパーサイヤ人になる…………とかでないのは間違いないだろうけど。
そもそも私が使うISは学園保有の練習機ということになるだろうし、当然セシリアは自分の専用機を使うだろう。
この時点でもうかなりの差がある。
学園保有の練習機が弱いとは言わない。あれは十分に兵器転用可能な、対IS戦であろうと問題なく扱える傑作機だ。
ただ専用機が別格なだけで。
確かに兵器としてそこに大きな差は少ないだろう。だが決定的に大きな違いが、今の量産型と専用機の間にはある。
それが世代の違いである。
現行の量産機はほぼ全て第二世代。対して各国が実験として個々人に貸し出している専用機は第三世代がほとんど。
第三世代の強みは搭載された特殊装備にある。各国で研究が進められ、未だ実験の域を出ない装備ではあるが、ISに限らず、どんな兵器も量産機より試作機の方が高スペック。
中には常軌を逸した特殊装備も存在する。
特に私は素人でセシリアは玄人とも言える人間だ。
勝ち目は、ない。
もっとも私が国家代表クラスの実力の持ち主だったなら、量産機でも話は別だが。
「何にせよ、兄さんに訊いてみるしかないだろう」
想像も付かない。
私があのセシリア・オルコットに勝つシーンなんて。
それでもセシリアの言葉の言葉を聞くと、それが事実であるかのような気がしてならない。
「そうだな……」
……………………。
何、この沈黙。
「あ、あー。やっぱり、箒は剣道部に入るのか?」
「? ああ、そのつもりだが。おまえもそうなんだろう?」
私か。私は、どうするんだろうな。
このまま剣道を続けようか、それとも当初の予定通り、バイトでもしてみようか。
…………あれ、IS学園ってバイト許可されてたっけ?
「まあ、剣道を止めるのはおまえの自由だが、ISにも役立つんじゃないか?」
そうなんだよなあ。
ISには刀剣類の装備も多数ある。兵器としてのISには刀剣類よりも銃器特殊装備の方が効率が良いのは確かだが、スポーツとしてなら十二分に使える。
むしろ使い慣れた私には合っているかも知れない。
「……取り敢えずは、続けてみる方向で行こうと思う」
「ああ。――だが、もし代表になったら、難しいかも知れんな」
あ。
そうだった。
代表はクラス長も兼ねている。クラスの雑務や会議や委員会にも出席しなくちゃいけないし。それがどの程度の忙しさなのかはよくわからないが、部活動に多少の支障が出ることは覚悟した方が良いだろう。
……なんで私、代表になる前提で考えてるんだろう。
セシリアに呑まれているというか、なんというか。
人間としても負けているような気がする。
気がするというか、負けてるよ完全に。
「いや、ああ、もう! よし! 全部兄さんと話してから考える! 決定だ!」
「ああ、まあ、それでいいんじゃないか?」
よし、これでいい。もう決めた。変更不可。
というか、いい加減遠い! 一年の教室から職員室!
◇
「ここなら別にいいか」
職員室で兄さんを見つけるや否や、兄さんはプライベートな会話ができる場所――職員用食堂の片隅に、私と箒を連れてきた。
ここならプライベートな会話をしても問題ないらしい。むしろ私はここで生徒が食事を取っていいのかが気になるのだが。
私と箒の前には空になった日替わり和食セット。兄さんの前には、空になった所謂東日本風のきつねうどん。
……なんか、滅茶苦茶食べる女みたいな構図になってる。
いや、違う違う。私は運動しているから、今日はちょっと疲れたからこのくらい食べるのであって、別に毎日毎食いっぱい食べるわけではないし、そもそもこの和食セットだってそれほど量があるわけではないし、このくらい普通、むしろ兄さんが食べなさすぎるのであって、男だし、お昼なんだからもっと食べろよ私が大食いみたいじゃないか。
「久しぶりだな箒。もう六年は会ってないのか」
「お久しぶりです。一夏兄さん」
慇懃に頭を下げる箒と、頬杖をついて薄く笑う兄さん。
相変わらず無駄に余裕のある態度だった。
食事中に喋るのは良くない、という兄の一言によって黙々とお昼を食べた私たちが、少し休憩して、話したのはこんな挨拶からだった。
「引っ越して行ってからはどうだった? 新しい友達はできたか?」
「できないわけではなかったですけど、何度も引っ越しを繰り返していたので、できた友達も次第に疎遠に」
「そりゃあ大変だな。ま、ここにいる間は有名無実とはいえ不可侵が約束されているし、三年もあれば長い付き合いのできる友達の一人や二人、簡単にできるだろ」
「そうなればいいんですけど……」
箒の気にしていることに触れながらも、二人とも軽く流していた。
これ兄さんだからだよな。私とか、他の誰かがつっこんだら絶対睨まれてるよ。
「ふん。で? 挨拶と世間話をしに来たわけじゃないんだろう?」
いや、本来の主目的はそれなんだけど、確かに今じゃ二の次というか、重要な目的ではない。
二人ともそれがわかっているから、積もる話もあるだろうに簡単に切り上げてくれたし。
「あの、兄さん。セシリアが言っていたんだけど……」
「セシリアが?」
「うん。――私とセシリアがISで勝負して、その、私が一方的に負けない、って、どういうこと?」
うあ、なんか我ながら頭の悪い訊き方をした気がする。
そんな私の頭の悪い質問に、兄さんは少し考えるような仕草をして、
「入学祝いだ」
私の目を真っ直ぐに見てそう言った。
「入学、祝い?」
え、どういうこと?
「ああ、俺と、それから束の方から、とりあえず千冬に入学祝いだ」
「姉さんが……?」
そう、と、箒を見て言う兄さん。
なんだろう。
異常に嫌な予感がする。
束さんが絡んできて良いことがあった試しがない。
ISの発明者にして、天才にして天災、稀代の変態。酷い言い様だが、全て事実である。
現在絶賛行方不明中。全世界において指名手配を食らっている身であるが、どうやら兄さんは何らかの連絡手段を持っているらしい。
個人的にはあの危険生物は兄さんぐらいにしか押さえられないので、首輪につないで常に手元に置いておいて貰いたいものだ。変態だから首輪ぐらい嬉々として付けるに違いない。むしろうさ耳カチューシャを犬耳カチューシャに変えるくらいに。
女性にしか反応しない超兵器を造ったような変態兼世界の変革者である束さんが絡んできて、事態が悪い方向に転がらない方がおかしいというものだ。
自らの喜劇を求めて世界を掻き回す。
あの人今地球で一番恨まれてるんじゃ無かろうか。
「まあ、そんなに悪いものじゃないさ。いや面倒なことにはなるだろうけど、そこはこっちで何とかしてやるし、それにおまえも欲しかったんじゃないか?」
「欲しかったって……何が?」
恐る恐る訊く私に、兄さんは面白そうに口を歪めた。
ああ、そういえば。
「おまえにISを造ったんだと。よかったな。欲しかっただろう?」
兄さんも、どこか束さんに似てたっけ。
□
「ふう……」
何故か疲れたような溜め息を吐いて、セシリアが教室から出てきた。
つい、とこちらを見遣る目線が、なんか冷たい。
「これで宜しいんですの?」
「完璧」
不機嫌オーラを撒き散らして、隣にぴたりと寄り添うセシリア。
なんか今日は女性を不機嫌にさせてばかりだよなあ。気を付けよ。
「今は、プライベートな接し方で良いんですの?」
「ああ、構わねえぜ。次は授業ねえし」
そう言うと、またしても溜め息を吐いて一歩俺から離れた。
そのまま優雅に頭を下げて一礼すると、
「お久しぶりですわね、一夏お兄様。お元気そうで何よりですわ」
「おまえもな」
何が楽しいのか、くすり、と嬉しそうに笑むセシリア。何だか大人の魅力を身につけたかも知れないぞ。
「それにしてもお兄様? わたくしを千冬さんを焚き付けるために使うなんて。酷いんじゃありませんこと?」
どうやら、まるで自分が当て付けのように動くようセシリアに言っておいたのが気にくわないらしい。
そういえば、こいつプライド高いんだよなあ。
「まったく。この貸しは高く付きますわよ? このセシリア・オルコットを出しに使ったんですもの、覚悟しておいてくださいまし」
「今度の休みに一緒に飯でも食いに行くか」
「絶対ですわよ!?」
やすー。
それでいいのかセシリア・オルコット。いいんだろうなあ。
せめて夜景の見えるセンスの良いレストランにしておこう。
「……んんっ。まあそれは後でしっかり話し合うとしまして」
話し合うんだ……。
「言っておきますがお兄様。いくら専用機を使ったからといって、千冬さんがわたくしに勝てるなどと思わないでくださいな。素人に毛が生えたような人間に、わたくしが万が一にでも負けるとお思いで?」
「思わねえよ。別に、できるんなら瞬殺しても良いんだぜ」
できるんなら、な。
「……、いいでしょう。とはいえ、さすがにそこまで思い上がってはいませんけれど」
あなたのようにはできないでしょう、誰も。
なんて言って歩いて行くセシリア。
失敬な。俺にもできるわけ無いだろう。
…………、昔ならいざ知らず。
「……先輩」
と、廊下の影から真耶が出てきた。
…………すごく不機嫌そうです。
気を付ける間もなかったぜ。
「なんだよ。先に戻ってて良いって言っただろ?」
別に待って無くても。
気分は浮気調査で夫を追跡中の妻か。
……真耶と結婚すると大変だろうなあ。こいつ家事とか苦手そうだし。
「……またオルコットさんですか」
えー。
嫉妬っすか。嫉妬なんすか。
そんなに俯くとただでさえサイズの合ってない眼鏡が落ちるぞ。
前から気になってたんだが、サイズの合わない眼鏡ってどうやって手に入れるんだよ。
「……ロリコン」
「それは違うだろ!」
なんでそうなるんだよ! 怖いな!
ロリコンの定義がわからねえ。高校生はまだロリなのか?
「つーかおまえにだけはロリとか言われたくねえだろセシリアも。外見だけならおまえの方がロリだっつの」
「言いましたね! この、先輩なんか……! 先輩なんか、えと、……ちょっと、いやかなり格好いいからって!」
なんか褒められた!
どうしよう。真耶とは結構長い付き合いになるけど、山田真耶がわからない……。
「嘘……! 貶せるところが見当たらない……! 強いて言えば多少手が早いと……! あった! ありました! 女の子に手を出しすぎです! 現役時代を忘れたとは言わせませんよ! どうせオルコットさんもいずれ手を出すんでしょう!」
「教室の前でなんてこと言ってるんだおまえは!」
聞かれた! 廊下にいた数人の一年生に聞かれた!
一応この学園の教室は防音性能に優れているので恐らくクラス内にいる生徒には聞かれていないだろうけど、なんの安心もできない!
なんてこと言いやがるこの女。ありもしないこと言いやがって。……ありもしない、よな。うん。ないない。
「わかった。わかったわかったオーケーオーケー。じゃあこうしよう。お互い都合が付いた日に、デートに行こう。それでいいか?」
「デー……! いや! いやいやいやいや! 騙されませんよ騙されません! 今までどれだけそれで痛い目を見てきたと思ってるんですか! 私だって成長するんです! というか、大体それじゃあまるで私が先輩とで、でで、デート! したい、みたいじゃないですか!」
「え? 違うの?」
「違いますよなに素で聞き返してるんですか!」
いやてっきりそうなのかと。
そっかー違うのかー。
「残念だな。丁度泊まりがけの国内旅行券貰ったから使おうかと思ってたのに」
「再来週の終末とか空いてますか先輩!?」
泊まりに反応したのか旅行に反応したのかは真耶にもプライドの欠片くらいはあるだろうから置いておいて。
その反応はセシリアと同じだぜ。
「約束ですよ!? 絶対ですからね!? 今回嘘だったら、今度ばかりは本気で怒りますからね!」
まあ千冬と行こうかと思ってたんだが、別に良いか。
たまには真耶に何かしてやるのも良いだろう。
「はいはい」
くしゃりと、真耶のやわらかい髪をかき混ぜるように撫でる。
こいつを教えてた時からやってたことだけど、なんか癖になってきたというか、自然とイジる気分じゃないときはこうしてしまうようになってたな。
恥ずかしそうに身を竦める真耶。長年の付き合いで嫌がってないことはわかっているけれど、髪を乱されても怒らないのはどうかと思う。
子供扱いを嫌うくせにこういうところは現金だよなあ。
「じゃ、真耶。そろそろ戻るぞ」
「はい!」
ま、なんだかんだで良い後輩であることは間違いないか。
◇
そしてその日の放課後。
――私はアリーナの使用許可を申請した。