其の全身を漆黒に染めるのは、隙間無く肌に刻み込まれた複雑に絡まりあう古今東西の呪紋術式の刺青。
其の身には寸鉄も帯びず、衣類らしい衣類と言えば、ただ擦り切れて古びた腰布のみが巻きつけられているのみだった。
其の姿は、遠目にはゴルゴダの丘に向かう神の独り子の姿にも似ている。
しかし、其は決して無力ではない。強いて言えば、全身をくまなく覆う神聖でありつつも冒涜的な刺青そのものが武器であり防具であり戦装束（いくさしょうぞく）といえる。

其は、徒手空拳である。

だがその徒手には聖ゲオルギウスの屠龍の秘匿紋章が刻み込まれ、その空拳には銃と大砲と大量破壊兵器を司る未だ産まれぬ八百万の神・國崩命（くにくずしのみこと）の息吹が宿っている。
徒手空拳にして、全身凶器。生れ落ちた肌衣（はだごろも）のままの姿にして、絶対防御。
其の顎（あぎと）から紡がれる言葉のすべてが、悪魔をも呪い尽くす涜神の真言（マントラ）。

其は、魔獣の群と対峙している。彼我の体格差は、優に5倍以上はある。人間と猫ほどの対格差が、そこにはあった。
しかし其は太陽を見据えて屠龍の真言を紡ぎつつ、奔る。

其の居た場所に、魔獣の白い腕から発する赤い光の糸が殺到する。
其は、やり場の無い怒りを叩き付けるように腕で払う。
一瞬、肌の上で漆黒の刺青が紋様に沿って青黒く爆ぜ、魔獣から発せられた赤い光は蜘蛛の糸のように霧散する。
其はそのまま拳を振りぬき、魔獣を捉える。

其の拳は、神銃の撃鉄。

拳に撃たれた瞬間に白く人間じみた魔獣の肉体自体を炸薬に再構成し、空間を平行線上に電磁誘導して魔獣そのものを弾丸として撃ちだす。
重い瘴気を含んだ大気との摩擦を起こしながら、青い光を放って魔獣は射線上の魔獣も建築物も含んだすべての障害物を巻き込みながら虚空に飛び去る。

その光景は、さながら地上から撃ち返された流星。

だが魔獣が虚空に撃ち挙げられる間に、其の肉体は殺到する別の魔獣の赤い光の糸に絡め捕られる。
其の肉体を戒める赤い光は、ぎりぎりと刺青の防御紋様を赤熱させていく。
其は戒めを無視し、自らを絡め捕る赤い光を、逆に手繰り寄せる。
全身に散る身体の堅強さに比例した脊力を紡ぎだすための怪力乱神の呪紋群が赤熱し、刺青で青黒い身体は今や赤黒く発光していた。
其はついに魔力増幅された脊力で魔獣を上回り、赤い糸もろとも一柱の魔獣を振り回し、大地に叩き付ける。

立ち上がろうとした魔獣は、しかしついに立ち上がるプロセスを無視して空中に放り出される。
其より黒い大質量の鋼の塊が、肉を打つ鈍い音を立てて音よりも疾（はや）く魔獣を跳ね上げたからである。

それは、漆黒の単車（バイク）だった。
その形状からして、ガソリン駆動。ばるばると大地と虚空に低い唸りをあげ続け、其の前に静止する。
「遅いぞ、八咫烏（やたがらす）」
八咫烏と呼ばれた単車は、主の声に応えるようにひときわ低い唸りを上げる。

八咫烏は、単車と言うには、無骨すぎた。
その切っ先は、突撃により殴打するための漆黒の無垢なる鋼塊。エンジンは、自分自身を打ち出すための撃鉄。おそらく液化爆薬に近いとさえいえる燃料は、ただひたすらに重々しくも速く疾走するための推進力の源。
主の死をもって霧散した赤い糸を払った其は、単車というより自走破城槌ともいうべき八咫烏の鞍の上に腰を沈める。

其と一体化した奔る砲弾・八咫烏は、それ自体が鈍器であるにもかかわらず黒い炎を噴き上げながら魔獣の群に突き刺さり、切り裂き、蹂躙した。

「キュウベぇ、あれはなに？」
　黒い魔法少女は、眼下に広がる異様な光景を睥睨する。白い魔獣を狩る、より禍々しい黒い魔獣。

「言ってなかったかい？　彼は、鹿目たつや。人類史上初めての、男の魔法少女さ。いや、男性だから魔法少年とでも呼ぶべきかな？」
　人馬一体となった黝（あおぐろ）い獣・八咫烏／鹿目たつやは、大地を揺るがすエンジンの鼓動と悪魔をも呪う真言の雄叫びをあげた。