「おっぱいが揉みたい」
ある日の夕食時、テーブルを前にテレビを見ながら妹とカレーを食していると、唐突にそんな声が聞こえた。
すわ、テレビからの声か、とテレビを見るが、テレビでは二挺拳銃を持った侍が黒スーツの集団を相手に大立ち回りを演じている映画……どうやらテレビからではないらしい。
では一体どこから声が聞こえたのか。
この家にいるのは、俺と妹の二人。
……なんだ、答えは明白じゃないか。
俺はテーブルを挟んだ向こうにいる、ポカンとした表情をしている妹を見た。
「こら希美香。食事中におっぱいが揉みたい、なんて言うなよ。下品な」
「い、いやいやいや! いやいやいやいや! 違うし! 私じゃないし!」
「え? 違うの?」
「もうぜんっぜん、全く違うよ! つーか兄ちゃんが言ったんだよ!? 兄ちゃんが唐突に何の前フリもなく、『おっぱいが揉みたい』って言ったんだよ!」
「マジで?」
「大マジ」
妹の顔を見る。
嘘を吐いている表情ではない。
つまり妹の言ったことは本当……?
え、マジで?
「俺かー……」
何てこったい。
無意識とはいえ、あんな下品なことを言ってしまうとは……紳士失格だ。
俺が失態に頭を抱えていると、妹が「にしし」と嫌らしい笑みを浮かべながら言った。
「つーか、何? 急にそんな事言うなんて……溜まってんの?」
「溜まるって……何が?」
「男汁」
「……」
ウチの妹結構カワイイんだけどなぁ……。
普段からこんなことばっかり言ってるから、彼氏の一人もできないんだろうなぁ。
多分口を開かなかったら、滅茶苦茶モテるんじゃないか?
ほら、あれだし。
ハーフだし。
髪の毛銀色だし、目の色青いし。
小柄だし、ツインテールだし。
「口とか縫いつけていいか?」
「怖いよ!? なにいきなり妹の口縫いつけようとするの!?」
「もしくは声帯をドリル的な物で抉っても?」
「ドリル的な物で抉ったら死ぬよ!」
確かに。
よくよく考えると、顔はいいんだし、この顔に釣られた男も大量にいるだろう。
きっとこの妹はそんな哀れな男達を性的な意味で吸い取り、その吸い取った物で美しさを保っているに違いない。
「で、どうなの?」
心なしか、首を押さえながら、妹が問いかけてくる。
「何が?」
「いや、だから、溜まってるの? これ、最近した?」
やはり嫌らしい笑みを浮かべながら、右手の人差し指に左手で作った輪を上下させる。
酷い妹だ。
ザ・残念妹オブジイヤー、なんて物があれば、いいところまで行くだろう。
「昨日13回したぞ」
「リアルに凄い数字がキタ!?」
「最後の方なんか、一緒に涙も出てきた、何でこんな事してるんだろう……って」
「じゃあやめたらいいのに! 何が兄ちゃんをそこまでさせるの!?」
自分でも分からない……。
ただ、一つ言えること、それは……自分の限界に挑戦してみたかった。
それだけだ。
お、今の言葉すっごいカッコイイな!
「ほ、ほどほどにね……。じゃあ、一体何であんなこと言ったの?」
「おっぱいか?」
「うん。理由も無しにあんな事言うのは、結構ヤバイと思うよ?」
「ヤバイか」
「うん、オメガヤバス」
オメガヤバスかぁ……。
確かに、俺だって目の前の人間が何の脈絡もなく『おっぱい揉みたい』なんて言い出したら、その人間の頭を疑うな。
つまり俺ヤバイ。
「じゃあ地球もヤバイなぁ……」
「兄ちゃんがヤバイのと地球がヤバイのは連動してないけど!?」
「でも赤と金は連動してるけど?」
「今はポケモンの話なんかしてないけど!?」
「カビゴンののしかかるこうげき! タマタマは潰された。目の前が真っ暗になった」
「うん、分かった。よく考えると兄ちゃんが唐突に意味不明なことを言うのはいつもの事だった、うん」
ツッコミを放棄した妹は、何か納得したのか、腕を組みうんうん唸る。
ちなみに俺がこんな意味不明なキャラになるのは、妹の前だけだ。
普段の学校だと、それはもう好青年だ。
恐らく妹が放つ魔力的な何かが俺を狂わしているのだろう……。
希美香――魔性の女よ。
「つまり兄ちゃんが『おっぱいを揉みたい』と言い出したのに、特に意味は無い」
「マジかよ承太郎!」
「マジ。恐らく兄ちゃんは無意識に今自分がしたいことを口走った……つまり世界は滅亡するんだよ!」
「な、なんだってー」
唐突に意味不明なことを言うのに定評がある俺だが、この妹も大概だと思う。
血は争えないってことか……。
しかし、そうか。
俺の願望が無意識に漏れ出たのか……。
なるほどなぁ……そう考えて、改めて思うとかなりおっぱいが揉みたい。
うわ! 何か本当にすっげぇ揉みたい!
「いともみたひ!」
「落ち着け兄者。何か昔言葉になってるぜ」
「ああ、揉みたいなあ! 畜生! すげえおっぱい揉みたい! 死ね!」
「一体誰を罵っているんだ……」
何だか今にも家を飛び出して、道行く人のおっぱいを揉みたい。
もう誰だっていい。
それこそ下は○才から上は喜寿まで。
「こうしちゃおれん! 隣の家行っておっぱい揉んで来る!」
「ちょっと醤油借りてくるみたいなノリに行くな! つーか、隣の家にはこの時間、○学3年生の愛ちゃんしかいないよ!?」
「愛ちゃん? 問題ないね。愛ちゃんマジラブリー。あのナチュラルに人を見下す視線がタマラン」
「見下す視線がタマラナイのには同意だけど、その先にあるのは豚箱だよ!?」
「だってもう我慢できない!」
「そ、そんなケロ○ッグコーンフロスティのモノマネしながら言われても……ハァ」
希美香は溜息を吐くと、「仕方ないなぁもう」と言いながら、上着を脱ぎ、シャツだけの上半身になった。
そのまま胸を持ち上げるように、両腕を組んだ。
そして一言。
「ほら、揉みなよ」
と。
思わず怪訝な表情で希美香を見る。
「このままじゃ、兄ちゃんがインピボ(イントゥザピッグボックス)になっちゃうからね。ここは妹の私が毒牙にかかってあげるよ」
「……」
「本当は兄ちゃんに揉まれるなんて、意味深にカードを伏せてる遊戯にダイレクトアタックするくらい嫌なんだけどね。まあ兄におっぱいを揉まれるのも妹の仕事の一つと思って諦めるわ」
「……」
「さあっ、揉みなさいな! 揉んで揉んで揉み倒せばいいじゃない! さながら餅つきのコネッてする役の人みたいに!」
頬を紅潮させ、潤んだ瞳を向けてくる希美香。
「……で、でも、できれば優しく、お願い……。さながらメモリを嵌め込むように……優しく」
さっきから例えが分かりやすいようで、全く分からない。
さて、妹がこうまでして、俺に揉めと言っているのだ。
兄としては、この場合の行動は一つ。
「俺は、揉まない」
「……へ?」
意外そうな、心底意外そうな表情を浮かべる希美香。
まるで授業中にテロリストが教室に入ってきて、全員を撃ち殺したのに、自分だけは見逃された……そんな表情だ。
「な、なんで……? 何で揉まないの!? ……あ! 別に訴えたりしないよ? もしこの事で何らかの心の傷を負っても、私責めない。兄ちゃんを責めたりなんかしない」
「そういう事ではなく」
「じゃあ、あれか。胸の大きさか! Aカップがあかんのか!? AカップのAは『アカンわ……胸として認められへんわ』のAか!? ひ、貧乳だって生きてるんだぞ!」
「いや、俺は胸の大きさで差別はしない」
「じゃあ――何で、何で……揉まないの!?」
涙を浮かべながら、問いかけてくる。
どうして揉まないのか。
その理由は一つだ。
「お前妹だし」
「――は? え、つ、つまり……妹の胸だから揉まないって……そういう事?」
「ああ」
「え? どゆこと?」
本気で意味が分からない、といった表情の希美香。
いや、俺何かおかしいこと言ったか?
世間一般の常識だと思うけど……。
「もしかして妹の胸を揉んだら死ぬ的なウイルスが流行してるとか?」
「違う」
「妹の胸を揉んだら、土地が暴落して不良債権がどうとかことか……的なウイルス?」
「違う」
ウイルス引っ張るなぁ。
本気で理解していないようだ。
普通に考えて、妹の胸を揉むことはありえない、ということを何故理解できないのか。
仕方ない、ここは分かりやすく教えよう。
「例えばだ。俺が胸を揉みたいと思って、目の前にいる母親の胸を揉むと思うか?」
「無いね。あ、でもいい感じに頭をトンカチで叩いたら……ありうる!」
「いい感じに頭をトンカチで叩くとか無しで」
「無しなら……まあ、ありえないね」
良かった。
ここであるとか言われたら、妹の頭をトンカチで叩かねばならないところだ。
「どうして揉まないと思う?」
「そりゃお母さんだもん。お母さんのおっぱ……あ、この時点で駄目だ、吐きそう」
そりゃ母親の胸なんて想像したくないだろう。
あ、俺も少し想像してしまった……おえ。
「つまり家族だから揉まないわけだ。家族に対してそういう気持ちは沸くはずもない、だろ?」
「なるほろ……」
「つまり同じく、妹のお前の胸を揉もうなんて考えない、だろ?」
「そのりくつはおかしい」
「おかしくないけど!?」
「いや、だってさ。私カワイイじゃん。文化祭のミスコンで準優勝するくらいキューティだし。年間ラブレター率3割り5分、ラブレター界のイチローだよ? ……え? 何で揉まないの?」
ちょっと意味分かんないこの人、みたいな目で俺を見てくる。
おかしいな。何で俺がおかしいみたい流れに……。
カワイイとかカワイイくないとか抜きに、妹の胸を揉むことが有り得ない、ってのをどう理解して貰えれば……。
……ん、そうか。
こう言えばいいのか。
「言い方を変えよう。もしお前が男のアレをでぅでぅしたくなったとしよう」
「……いや、ならないけど。つかでぅでぅって何?」
「ボカしてるんだよ。つーかなれ! お前だってムラムラしたら男のアレをでぅでぅしたくなるだろ!?」
「処女にんな事言われても……」
「お前処女だったの!?」
「ええ!? そこ驚くとこ!?」
うっわ!
無茶苦茶驚いた!
てっきり男をとっかえひっかえして、男のアレをでぅでぅして、今まででぅでぅした男達を集めてミックスデルタ的なことをしてるとばかり……。
「だってお前ラブレターとか、告白とかしょっちゅうされてるじゃん」
「全て一刀両断! 獅子奮迅! 一騎当千! ゴリラ夢中!」
多分ノリで四文字熟語を並べたんだろうが、最後の間違ってる。
そうか、そうなのか……。
「お前が喋る時に、心の中で左に『ビッチ妹』って付けててゴメン……」
本当に申し訳ない。
ビッチ妹「酷すぎる! ――うわ、何か左に出た!?」
統べし王「え、何が?」
ビッチ妹改め処女妹「つーか兄ちゃんの左に付いてるの何それ!? って私の左も何か変化した!?」
統べし王(ディザスター)「俺には見えないけど?」
ビッチ妹改め処女妹featuring野口五郎「い、いやあるじゃん! すぐ左に……って何かコラボした!?」
統べし王(ディザスター)『この男、我の器として相応しい――頂こう』「コラボ?」
ビッチ妹改め処女妹featuring野口五郎withKARA「ちょっ、兄ちゃん何かに乗っ取られてるよ!? ってこっちも何か有り得ないコラボしてるし! 音楽性とか絶対合わないよこれ!?」
統べし王(ディザスター)『ククク、これでこの世は我の物――グハァ!? な、なん……だと』 聖勇者ジャスティン『魔王、後ろがガラ空きだったぜ?』「何か狭いな」
ビッチ妹「魔王死んだー!? つか勇者卑怯すぎる! ――こっちはこっちで解散してるし! ほら言ったじゃん、音楽性合わないって言ったじゃん! そしてビッチに戻ってるー!?」
■■■
突然妹が自分の左の方を見ながら、叫び出したので驚いた。
10分くらいしてから落ち着いたけど……。
まあ思春期だし、しょうがない。
思春期ならこう情緒不安定にもなるだろう。
「ハァハァ……や、やっと消えた」
「お前は一体誰と戦ってたんだ?」
「魔王と」
「そうか」
人は誰しも心に魔王を飼っているんだよ……(意味深な微笑み)
「さて、揉まないの?」
「サラリと話を戻したな……。だから揉まないって」
「だから何で? 何で揉まないの? 馬鹿なの?」
……さて、どこまで話たっけ。
ああ、そうか。
「処女のお前だってムラムラしたら男のアレをでぅでぅしたくなるだろ?」
「なるね」
お、いい返事だ。
話が進みやすい。
「そういう時に、だ。お前は思う、『あー、男のアレ見たいなぁ。そしてでぅでぅしたいなー』と」
「うん」
「そこで、俺が通りかかる。そしておもむろにズボンを降ろし『なぁにがでぅでぅだよ! ペロペロしろよオラー!』とアレを露出させる。――どうする?」
「ペロペロする」
「だろ? つまりそういうことだ。お前が俺のアレをペロペロしたくならないように、俺もおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? お前今何て!?」
「ペロペロする」
「な――――」
思わずダッシュを二回分使って絶句する。
今この妹は、何て言った?
俺のアレを?
い、いや……き、気のせいだ!
多分俺はあまりにもおっぱいが揉みたくて、頭がちょっとおかしくなってるんだ。
だから妹の口からありえない言葉を聞いてしまったんだ。
そうだ、そうに違いない。
「……コホン。改めて聞こう。俺がアレを露出したらお前はどうする?」
「これ幸いとばかりに処女を捨てる」
「それをすてるなんてとんでもないぞ!? もっと大切にしろよ!」
「でも聞いた話によれば、兄って妹で童貞捨てるらしいよ? だから逆に兄で処女捨てるのもアリかと」
「それどこソース?」
「エロゲー」
「お、お前エロゲーとかしてたの!?」
「うん。友達に貸してもらった。モノマネも上手くなったよ? もの凄い喘ぎ声の人。んほお――」
「――スタァァァップ! やめろ! 絶縁するぞ!?」
「絶縁はやだな……うん。やめよ」
危なかった……。
もしあのまま止めなかったら、俺は本気で妹をグーで殴っていたかもしれない。
さて。
「世間一般では、兄は妹で処女を捨てません、逆もまた然り」
「えー!? じゃあ、誰で捨てればいいの? 犬? リザードマンとか? 触手とかはヤだなぁ……」
「エロゲネタはもういい」
黙っていれば超絶にカワイイ妹の、八重歯がのぞく口元から、伏字にしたくなるような声がこぼれる。
本当に口を縫い合わせたい。
ドリルで喉を天元突破したい。
「普通でいいんだよ普通で」
「普通?」
「そういう事は、普通に好きな人とやればいいんだよ」
「……ほほう」
コクリコクリと、俺の言葉を噛み締めるように頷く希美香。
どうやら分かってもらえたようだ。
いや、よかったよかった。
妹の貞操観念を正せて、本当に良かった。
……ん? そもそも何の話をしてたっけ?
「じゃあ、つまりさ」
俺が話の始まりまで、遡っていると、希美香が満面の笑みを浮かべて、両手の平を合わせた。
「兄ちゃんが私のおっぱいを揉む。私は兄ちゃんのアレをペロペロする――これでいいんだよね?」
「……」
「好きな人とやる。これは問題ない。私は兄ちゃんのことが好きだし、兄ちゃんも同じ。兄ちゃんはおっぱいを揉みたい。私は兄ちゃんのアレをペロペロしたい――合意とみてよろしいんじゃ?」
「……」
これはアレか。
好きには色んな種類があるとか、そういう話をしないといけないのか?
俺はこれから妹にする説明の難解さを思い、溜息を吐くのだった。