封印の獣が会議室に入ったとき、全てのメンバーがそろっていた。 居並ぶ全ての存在がこちらの答えを期待しているのが分る、彼は笑顔を浮かべて頷いた。「結果はご覧の通りや。あいつは向こうに残った」「……ご苦労様。ところで、キュゥべぇの反応は?」「あっさりしたもんやった。多分、現状に対抗する策があると見て間違いないやろ」 黒猫に対する答えで、卓に着いている者達が渋い顔をする。 結局のところ何一つ好転しないまま、インキュベーターとの交戦に入ろうとしているのだ。「彼らにしてみれば、見滝原は有益な実験データを得られた土地でしかない。 同じ結果を得られるかは分らなくとも、似たような状況を作ることはできますからね」「で、わいらにできることは、地道にキュゥべぇを探し出して駆除するほか無いっちゅうわけか……なんぎやなー」「しかも、魔女が消失したせいで、我々と他の世界のとの間に認識の齟齬が生じ始めています。 鹿目まどかの祈りによって過去が改変され、魔女のことを知るものがいなくなったことによる、パラドクスです」 副官は苦々しい表情で解説を始めた。 鹿目まどかの祈りによるパラダイムシフトによって、世界は魔女のいない世界へと書き換わりつつある。 概念存在となったまどかを間近で見ていた者はともかく、改変されたことすら知らない世界では、彼らの言う魔女の存在を信じるものは居なくなっていた。「艦内の局員の中にも記憶の書きかわりが起こる者がおり、事態は混乱しつつあります」『記録媒体の中のデータにも異常が起きてるでありまする。 無いはずのデータフォルダが出現したり、あったはずのデータが根こそぎ消えていたり……おかげで管理のほうもしっちゃかめっちゃかでありまするぞ』「……でも、これからはもっと混乱することになるで。おそらく、宇宙規模でな」 ケルベロス自身も、自らの中に入り込んでくる『二つの記憶』に気が付いていた。 一つは魔獣の存在を知って動き始めたという世界の記憶、もう一つは今まで辿ってきた、魔女に対抗するべく動いていた世界の記憶。「間違いなく、キュゥべぇはこの混乱を勘定に入れとったやろな。 そして、見滝原であいつらが戦い始めたとき、それは思いもよらん事態を引き起こすはずや」「それはいいけど、その『思いもよらない事態』に、どう対処すればいいの?」「分らん! せやけど、一個だけはっきりしとることがある」 黒猫の問いかけに苦々しい思いを浮かべながら、ケルベロスは断言した。「何が起こるか分らん以上、見滝原のトムヤンたちには、援軍を送ることができんちゅうことや」 彼の言葉に誰も異論を発することは出来なかった。 魔女が消えたとはいえ、魔獣の被害は相変わらず拡大の一途で、キュゥべぇの活動も止まるところを知らない。 おまけに何らかの非常事態が起こるとあっては、うかつに誰かを送り込む事も難しい状況だった。「となると、俺たちは混乱しないで考えられることをすればいい、ってこった」「というと?」「インキュベーターを送り込んだ奴らの居場所を突き止める。そして、交渉するなり殺し合うなり出来るようにするのさ」 相変わらず少佐の言葉は魔法少女のおともらしくない。それと同時に、問題の本質も的確についていた。「それしかないでしょうね。 彼らが我々に対して上からの態度を崩さないのは、科学力や武力の差もあると思いますが、その拠点がどこにあるか分らない点が大きい」「キュゥべぇはあくまで代理人だからね。彼らの本星と直接交渉する方法がないと、最終的な結論は出せないよ」「でも、どうやってその位置を割り出すの?」 黒猫の言葉にフェレットと副官の言葉が詰まる。その問題にアンサーを出したのはモニターの声だった。『おそらくではありまするが、居場所を特定することは不可能ではないでありまするよ』「……なんか、考えがあるんかいな?」『彼らのエネルギー活動は宇宙規模に及んでいると考えられるでありまする。 そうしたエネルギー消費の痕跡を観測することができれば、彼らの居場所を知る手がかりになるでありまするよ』「煮炊きの煙が見えれば、そこに人が居るって寸法かい。で、具体的には?」『ダイソン球か、あるいはそれに類する恒星を利用した、エネルギープラントが見つかれば……』 聞いた事も無いタームに首をかしげた一堂に、ひょいと小さな手を上げて発言を求める水色とんがり帽子のおともが一匹。「そこからは僕が解説するでプモ。ダイソン球というのは……ずばりこれでプモ!」 モニターに表示されたのは、発言した彼の出身である星の内部構造だった。 地球で言えばマントルに当たる部分は空洞になり、中心に太陽の役割を果たす国がある。 外殻の部分に風や水を発生させたり、草木の芽吹きを調節する国が分布している。「簡単に言えば、ダイソン球というのは僕達の星をものすごーく大きくしたものだと考えてくれればいいプモ。 こういう形に作ることによって、おひさまの恵みを余すところ無く利用できるようになっているんだプモ」『最も原始的なダイソン球殻構造のエネルギープラントを造るためには、恒星に対して地球の公転軌道と同じか、それ以上の外周を持つ「殻」が必要でありまする。それ以下の小さな軌道で作ろうとすると、宇宙放射線や殻内温度の調整に問題が生じて……』「ああ、もうええもうええ。そういうえすえふチックな話は苦手やねん。 ようするに、太陽があるはずのところに『影』があったら、キュゥべぇの親玉が居る場所っぽいちゅうことやろ?」 すさまじく大づかみな理解に解説者たちは顔をしかめたが、 おとものほとんどが彼と同じ意見らしいことに気が付き、用意していた資料を引っ込めた。「で、その観測っちゅうのは?」「もう始めているでプモ」「いつごろ見つかりそうなんや?」『まだ始めたばかりでありまするから……ただ、みどものつてでかなり広範囲の惑星系を調査できる方々にお願いしているでありまする。 まぁ、十年は掛からないと思うでありまするよ』 年単位の計画と聞いてさすがに気が重くなるが、それでも以前よりははるかに見通しが効くようにはなっている。 こうなってくると、いよいよ見滝原での動きが重要になったということだ。「本当に、向こうの子達に支援を送ることは出来ないんですか?」 会議に参加していた管理局の砲撃魔導士から提案が上がる。 おとものトムヤンやそのパートナーとなった香苗唯、そして見滝原の魔法少女達のことはすでに報告済みだ。 同時に戦力的な面で圧倒的に不利である事も。「……少なくとも、こっちから人間を送りつけるのは無理やと思う。 わいを送るんでもぎょうさんお手伝いしてもろて、それでようやっとやったわけやし」「せめて連絡を取れるようには出来ないんでしょうか?」「それで激励でも送ってやるってのかい? 安全なところで戦場を眺めてる将校さんのセリフだぜ、そいつは」 少佐の揶揄に苦い顔を浮かべる『魔王』という非常に見たくない構図が展開され、会議室の空気が少しだけ悪くなる。 周囲の気配を察して、先にたれ耳のおとものほうが片手を上げて謝罪を述べた。「何かしてやりたいって気持ちは分るさ。だが、変に期待を持たせたら、そいつが士気に関わることになる。 今の奴らに必要なのは、これ以上後がないっていう緊張感だ。それを切らせるわけには行かない」「連絡しない方がかえってためになる、ということですか?」「というかな、連絡の方法はすでに研究させてあるのさ。 だが、そいつが安定して送れないってのが問題でね。尻切れトンボの励ましじゃ、様にならないだろう?」 どうやら、口で言うほどに彼自身も非情にはなりきれないらしい。照れ隠しに葉巻をくわえると、ゆっくりとくゆらせる。「それにな、俺達だって決して楽観できるような立場じゃねぇんだぜ?」「なにか起こる、ということですか?」「ああ。それも飛び切りのがな……。見通しがある程度明るくなる瞬間てのが、一番ヤバいもんさ」 具体的なものではない漠然とした予感、少佐の危惧が葉巻の煙と共にじわじわと広がっていく。 その陰りが、まるで部屋の中に夜を呼び込んだように、封印の獣は感じていた。第六話「必ず戻ってくるから」 テーブルの上に敷かれた白地図の上に立つと、トムヤンは全員の顔を見回した。「それじゃ……解説させてもらうぜ」 自分の足元にあるのは、見滝原公園の見取り図。 そこに書き込まれているのは対ワルプルギス戦についての戦略、ほむらの意見とキュゥべぇによって見せられた、 最後のワルプルギスとの戦いから推察した情報によって練られたものだ。「まず、今回の作戦の本陣、というか絶対落とされちゃいけないところ。 この野外ステージだな。ここに張られた防御結界にまどかちゃんが着くことになる」「うん」「まどかちゃんの役割は……はっきり言えばおとりだ。 ワルプルギスがまどかちゃんを目指してくる以上、市街や避難所近くに居るのはまずい。 幸い、公園は川の近くにあるから避難所には選ばれないみたいだしな」 正直、彼女を作戦に組み込むのは自分としても嫌で仕方なかった。 しかし、避難所に行かせてしまうほうが却って被害を大きくする上に、家族や他の住民を被害にさらすと分っているまどかが率先して言い出したのだ。「ここを破られたらアウトだ。 それと、ここにはいくつか予備のグリーフシードを置いておくから、やばそうだったら一時退却して補給を取るようにしてくれ。 シードの管理はよろしくな、まどかちゃん」「任せて! 私、そんな事ぐらいしか出来ないけど……」「その気持ちだけで十分よ、まどか」 お手製のまどかフィギュアを野外ステージの上にセットし、次にほむらのフィギュアを両手に抱える。「次にほむら、君はまどかとワルプルギスの丁度中間から後方に位置してくれ。 はっきり言って、映像で見たあの戦略でも、あれには通用しなかったみたいだし」 ミサイルや対空砲火、おまけに無数の高性能爆弾による収束爆破攻撃という、 見る人間の思考を真っ白にしてしまうような怒涛の攻撃ですら、ワルプルギスを倒すことはできなかったのだ。「現代兵器の効きが弱いのは薄々感づいていたわ。むしろ戦いが始まる前に分っただけで良しとするべきよ」「……ほむらは手持ちの火器と、その……地対空ミサイル……」 自分が言うのもなんだが、ほむらは心底魔法少女らしくないと思う。 まさか、魔女クリームヒルトが出現したループを利用して、ミサイルや迫撃砲まで確保しているとは想像もしていなかったし、 そのストックがすでに配置済みである事実もそれに拍車を掛けた。 とはいえ、それが有効な手段の一つとして利用できるのはありがたい。トムヤンはわだかまりを捨ててやけくそ気味に叫んだ。「ええい! とにかく、ミサイルと迫撃砲、その他諸々を利用して露払いを頼む!」「ワルプルギスの攻撃は瓦礫や魔力弾を使ったものを主としているわ。 目標の出現を確認後に、相手の攻撃を一斉掃射で無力化。 圧力を押し返して後詰の突破口を開く、これで間違いない?」「上出来すぎる……っていうか、後で俺と一緒に少佐のブートキャンプ来る?」「考えておくわ」 ほむらの発言にドン引きしている周囲に苦笑いを向けつつ、ほむらフィギュアの周囲にミサイルやらロケットランチャーの模型を設置、 さらにその先にマミと唯のフィギュアを置いた。「で、ファーストアタックが終了した時点で、さやか、杏子、マミ、ユイと俺でワルプルギスへ向けて進撃する。 ほむらはその間も残った火器で援護射撃を頼む」「了解よ」「ワルプルギスにはその世界で生まれて消えていった魔法少女達を、半実体のような形で使役する能力があるみたいだ。 おそらく使い魔の一種だろうな、これをユイがエンチャントした強化砲撃で打ち払うのがマミの役目だ」「私と香苗さんとで、直接打撃を行う二人をエスコートするわけね」 マミと唯のフィギュアで挟み込むように、さやかと杏子の分を設置する。 その先には、ドライフラワーのブーケがさかさまの状態で置かれていた。「で、今回の作戦の要、それがさやかだ」「……っていうかあんた、あたしの守り刀にあんな偉いものをすえたのって、まさかこのためだったりしないよね?」「全部が全部ってわけじゃないけど、否定はしないよ…… 気に入らなかったらこれが終わった後で思いっきり捻ってもらって構わない」 さやかの魂にエクスカリバーの写し身を刻み込んだのは、なにより彼女の変じた魔女の能力が高すぎて、 並みの呪力では括りきれなかったためだが、ワルプルギスのことが頭に無かったわけでもない。 だが、思ったよりさやかの方は上機嫌で首を振った。「まぁ、気に入らないって気分はあるけど、それ以上になんかこう、ポイントゲッターっていうかー、 期待されちゃっているっていうかさー。舞い上がっちゃってます、あたし」「舞い上がるのはかまわねーけど、翼がもげて落ちてもしんねーぞ、ルーキーちゃん」「あーはいはい。分ってますって」「で、俺たちの援護で直接打撃できるまでの範囲についたら、 杏子はさやかをバックアップして、一発でも多くさやかの一撃がワルプルギスに入るようにしてくれ」 現代兵器の効きが極端に薄い以上、ほむらが用意していた爆破のトラップは今回の作戦に組み込んでいない。 むしろ、同じ魔女の力を持つさやかの一撃に期待をかけることにしていた。「で、さやかと杏子を取り付かせるのに成功したら、作戦は最終段階に入る。 マミと杏子はさやかに対して攻撃してくる使い魔を撃退、ユイと俺はさやかにエンチャントを掛け続けて一撃の打撃力を上げる。 ほむらは俺たちの戦況を見て随時フォローに入ってくれ。特にグリーフシードの補給係を頼む」「真正面から叩きに行って、削りきる。どう考えてもこっちがジリ貧だねぇ」「俺は戦いの間ずっとワルプルギスの核をサーチするつもりだ。そこさえ見つけられればワルプルギスは倒せる、はずだ」 最後はどうしても歯切れが悪くなってしまう。ケルベロスに最後の回答をしてから三日が経ち、ほむらの予想によるワルプルギス出現の日が近づいてきていた。 おそらく明日か明後日、ワルプルギスの夜がやってくることになるだろう。にもかかわらず、未だにこれといった打開策は見えてこない。 それでも、やるしかないのだ。「作戦の内容は以上だよ。何か質問は?」「作戦の失敗条件と、その時のフォローは?」 一番現実的で言い出しにくい質問をずばっと切り込んでくるほむら。すでにその顔には迷いも弱さも無い。「作戦の失敗は……ぶっちゃけ、誰か一人でも欠けたら終わりだ。 手勢が少ない上に相手は多数、初撃で押し切って勢いに乗らなきゃ、勝ちを拾うのは難しい。 もしダメだったら残った全員で見滝原から離脱、まどかちゃんを連れて人気の無いところへ避難する」「ワルプルギスを倒すのは十分条件で、必要条件ではない、ということね」「と、信じたいんだけどね」 ほむらの祈りはあくまでまどかを死の運命から救うこと。それも、ワルプルギスの襲撃を乗り切ってという条件付きだ。 そして、彼女の砂時計は一ヶ月という時間を巻きもどすような構造になっている。 それを考えれば、最悪まどかを時間一杯まで逃がしきれば、勝ちを拾える目があるということだ。 最初からそれをしないのは、結局のところワルプルギスという『実体』を持たせることで、少しでも足止めを出来るからという理由がある。 単なる竜巻の化物という状態で追われてしまえば、魔法少女と言えども逃げ切れるものではないからだ。「まぁ、今から失敗した時のことを考えても始まらねぇよ。当たって砕けろってね」「むしろ当たってぶち壊せ! って感じでしょ!」「そりゃいいや。いっちょ派手にやってやろうぜ!」 最前線に立つことになるアタッカー二人は元より、本陣としての役割を持つまどかも決して無事で済む様な事態ではない。 それでも軽口を叩く二人や、お互いの意識を確かめ合うほむらやまどかを見て、トムヤンは決意を新たにした。「ま、最終確認はこんなところかな」「……よーし! それじゃ、もういいよな!」「佐倉さん? 今日は人のうちにお呼ばれになっているのだから、はしたないまねはやめておいてね?」 などというマミの制止も聞かず、杏子が素早く作戦地図をテーブルから取り除ける。 それを合図にして、ドアの向こうに追い出されていた部外者達が入ってきた。「まどかー!」「作戦会議は終わったかぁ?」「うん! もうみんな来ても大丈夫だよー」「一旦テーブルを拭くから、上に載せているものをどかしてくれるかな?」「じゃあ、みんなのグラスは一度流しに戻しますね」「私も手伝うわ、六人分のグラスを運ぶのも大変だし」 鹿目家のリビングダイニングに集った魔法少女と鹿目家の人々は、座を整えるために一斉に動き回り始めた。 とはいえ、実際に手伝っているのはまどかと唯、それからマミの三人。 すっかり達也に気に入られてしまったほむら、最初から手伝う気の無い杏子、 その集団にちゃっかり混ざったさやかはリビングのほうに引っ込んでいた。「おーし、それじゃアタシもいっちょお手伝いをっと」「ママはリビングに居てくれていいよ。後は配膳だけだし」「んじゃ、折角ですから、そっちのエビチリを持って行こうかねぇ」「そういうことなら、左手のビールとグラスはこっちに置いていってください」 まどかの突っ込みに不満げな顔をしつつ、それでも大皿のエビチリを持っていく詢子の姿に唯が微笑む。「仲いいんだね、まどかちゃんのおとうさんとおかあさん」「そうだね。……普通の家とはちょっと違うけど、パパもママも大好き。もちろん達也もだよ」「こっちのから揚げ、もう持っていって大丈夫ですか?」「うん。お皿重いから気をつけてね」 から揚げを持ってリビングに行ったマミが、つまみ食いをしようとした杏子と軽く言い合いになるのを眺めつつ、唯とまどかも料理を運んでいく。 そして、すべての準備が終わると、結局出来上がり気味になるまで飲んでしまった詢子がグラスを高々と差し上げた。「みんなそろったなー、飲みもんは大丈夫かー?」「アタシはすでに準備万端だぜ!」「だからよしなさいってば」「よーし、それじゃアレだよ、乾杯だよおらぁ!」 本来はワルプルギス戦を前にした魔法少女達の壮行会、という形で企画された宴席のはずなのだが、 すでにまどかママのテンションはうなぎ上り、酔っ払いぶりもトップギアに入りつつあった。「んー、じゃあ、ほら、そこのネズミ! 行け!」「え!? あ、俺!?」「おらおらー、早くしないと料理が冷めるぞー!」 まどかが苦笑いで頷き、仕方無しにトムヤンは咳払いを一つした。「あー、では、そのご紹介にあずかりましたトムヤンです」「前置きがなげーよ! とっとと乾杯行けー!」「ママさん酔っ払いすぎっすよ! ……ってか、その、なんだ!」 こういうときに役立つようやっておいたボイストレーニングの成果を発揮しつつ、トビネズミは小さなグラスを差し上げた。「ここまで来たら後は勝ちに行くだけだ! 次は祝勝会で思いっきり盛り上がろうぜ! ってことで、乾杯!」『乾杯!』 全員の唱和と共になし崩し的に宴席は流れていく。 早速料理を食い荒らしていく杏子とそれを冷静かつ的確に突っ込んでいくマミ、 まどかと達也にかいがいしく世話を焼くほむらは、幸福感で顔が緩んでいた。 酔っ払いの詢子に絡まれているさやかは、どうやら恋愛話で盛り上がっているらしく、『押し倒せ』とか『奪ってしまえ』等という、空恐ろしいアドバイスをかまされて苦笑を浮かべている。「料理、足りているかい?」「ありがとうございます。……このから揚げ、中華風ですか?」「うん。隠し味に老酒を少々入れて、ざらめで甘みをつけてるんだよ」 キッチンで会話した後、まどかの父親と話が会った唯は料理について色々話を聞いているようだ。 その楽しげな光景を見つめているうちに、トムヤンはふと不思議な感慨を抱いていた。 こんな状況を作り出しているのもまた、キュゥべぇなのだということを思い出して。 あらゆる宇宙、あらゆる次元を巻き込み、自らの目的を適えるためにやってきた存在、排除して倒すべき存在であるはずなのに。 自分が唯と出会ったのも、まどかたちの運命に巻き込まれたのも、すべてあいつのおかげなのだ。「ああ、畜生。その点に関しては、間違いなくお前もおともだよ」 カップの中身をすすりつつ、ポツリと呟く。誰にも聞かれなくて良かった、そんなことを思いながら。 宴会は、夜遅くまで続いた。それぞれの少女達は思い思いに過ごし、同時に不安を抱えながらも日常を満喫して行く。 そして、運命の日は訪れた。 避難用の身支度を整え終えた両親と、ご機嫌なようすでこちらを見ている達也を前に、まどかは口を開いた。「それじゃ、行って来ます」「……気をつけてね」 父親の顔には滅多に見せない強い感情がある。 真実を知ってなお普段どおりに振舞っていたのは、どうにもならないことで悩む姿を見せて、自分を困らせないためだ。「それと、これはお弁当ね。みんなの分もあるからちゃんと分けて食べて……杏子ちゃんの分はこっちね」「ありがと、パパ」「まどかー、どこ行くのー?」 大き目のバスケット二つ分にもなった弁当を受け取るまどかに、弟が無邪気に問いかけてくる。 不安がらせないように事情を説明する父の声は、いつもと同じ優しいトーンだった。「達也、お姉ちゃんはね、ちょっと用事があるんだ。でも、ちゃんと帰って来るから、心配しないで待ってようね」「必ず戻ってくるから、パパとママと一緒に待っててね」「はーい!」「まどか」 厳しくて優しい笑顔を浮かべて、詢子が片手を上げる。 バスケットを地面に置くと、まどかは心を込めて、いつものようにハイタッチを交した。 あとは何も言うことは無い。一度だけ頭を下げると、そのまま荷物を持って歩き出していく。 空は、鉛色に曇り始めている。街角には人気は無く、あるいは避難所へと移動する人たちの姿が見えた。 ワルプルギスと同一存在といえるスーパーセルに対する警告は、すでに行われていた。 その人の流れと逆行するように目的地へと歩いていくまどかは、自分を待っていたさやかの姿を認めた。「おっそいぞー、まどか」「ごめんね。ちょっとこれ持ってくるので遅くなっちゃって」「出陣前の腹ごしらえかー。こりゃぁ、まどかの親父さんには頭が上がんないねぇ」 いつの間にか現れていた杏子とマミと合流し、公園へと向かう。そして、たどり着いた先にはすでに唯とトムヤンの姿があった。「特等席の準備はバッチリだぜ、まどか姫」「ひ、姫ぇっ!?」「私達って、悪い魔女からお姫様を守るって感じだよねって話してたら、なんだかはまっちゃって。 ということで、まどかちゃんはお姫様ってことで決定ー」 すでに結界を敷設し終わった二人が軽口を叩く。その背後にほむらも姿を現した。「そっちの準備はどうだ?」「ええ。万端よ。タイミングの指示はそちらに一任するけど、場合によっては私主導でやらせてもらうから」「あいよ」 それから程なくして、世界は軋み始めた。 空が翳っていく。大気に濃密な湿度を感じる。そして何より、胸を締め付けるような威圧感が、重く垂れ込めていく。 そして空の彼方、密雲の塊にしか見えないものがはるかな点として見えたとき、その場に居る全員の顔が引き締まった。「……いよいよ、だね」「ああ」「これで最後よ。すべて終わらせる」「大丈夫だって。がつんと一発良いのを決めちゃうから、大船に乗った気持ちでいてよ」「だから調子に乗るなって。まぁ、さっさと終わらせて祝勝会やりたいってんなら、アタシも同じだけどさ」「それより、次こそちゃんとパーティの準備を手伝いなさいよ?」 いつの間にか、魔法少女とまどかの周囲を吹き付ける霧が通り過ぎ始めた。 その中には目に痛い彩色の動物や道化師、猛獣使いの姿などが列を成すサーカスが、道の先へと朧な姿を顕しては消えていった。 魔女達の祝祭、インキュベーターの謝肉祭、全ての意味を内包した舞台装置がその威容が出現するのと同時に、魔法少女たちはその身を意思と力とで鎧う。「行くよ、みんな!」 その声を合図に魔法少女達が一斉に行動を開始する。まどかは固く両手を握り合わせて全てを見逃さないよう、しっかりと顔を上げる。 その目の前で、夜を呼ぶ嵐がゆっくりと花開き始めた。 世界を侵す、大輪の毒花が。