プロローグ
事実は小説よりも奇なり、なんて言葉がある。つまり、世の中の実際の出来事は、作られた小説よりもかえって不思議で波乱に富んだものであるという意味だ。が、小説とはこのことわざ通りであってはいけない。小説とは常に現実から幻想世界へ逃避するための媒体であるからだ。そんな小説が現実よりも奇でないのなら、そもそも小説を読む意味自体が失われてしまう。
が、この時の俺はどうしてもこの言葉の意味を信じざるをえなくなっていた。
「…………」
なんだこりゃ、と心の中でぼやく。
もう高校に通い出してから一年が経った。すっかり馴染んでしまった帰り道で俺はそれを見つけた。夕陽が俺を熱く染めていた。履きなれたプーマのスニーカーが足を止める。
車も人も、この時間帯にはあまり通らないこの道。その道端に一つの大きな段ボールが置かれていた。貼られている張り紙が乾いた風で撫でられていく。
『これを拾った人は……多分幸せになれます』
貼り紙にはそんなことが丸い字で可愛らしく書いてあった。それだけならばまだよかっただろう。それだけならば、俺はこんな段ボールに眼もくれず家路を急いでいたはずなのだ。
「…………」
「…………」
目が、合った。
誰とか、という問いは無粋だ。俺が眼を合わせてしまったのは、女の子。暗闇のような黒いドレスに髪飾り、宝石のように輝いて見える銀色の髪、黄金色の瞳。段ボールは比較的大きなものだったが、それにすっぽりと身体が納まってしまうのだから身長はかなり小さいに違いない。
虚しく響く烏の鳴き声の中に俺のため息が混ざった。その女の子は無表情で俺のことを見つめていた。長く川のような銀髪が段ボールから溢れて綺麗だった。俺はその可憐さに一瞬息を呑んだ。
が、そうだ、確かに綺麗なことには変わりない。だが、それ以外の全てが全てをぶち壊している。
俺がそいつと眼を合わせているうちに後ろを自転車が軽快な音を奏でながら通り過ぎていった。それに乗っていたおじさんは俺と段ボールに訝しげな視線を向けながら夕陽の中に消えていった。
「…………」
俺は無言で踵を返す。いつまでもここにいたら警察が来たっておかしくない。面倒な事になるのは御免だった。
「これこれそこのお兄さん。ちょっとお待ちなさい」
舌打ちを鳴らし、足を止める。やはりそうか、眼を合わせてしまったのがいけなかったのか。
このまま無理に帰ってしまっても後で何か面倒なことになりそうな気がする。仕方なく俺は振り返り、そいつと再び眼を合わせた。
「……何だよ」
「ほれ、ここ」
段ボールから身を乗り出し、そいつは貼り紙を指さしてきた。相変わらずの無表情が癇に障る。
「……そんなのは見りゃあ分かるんだよ」
体と声を震わせながら、俺は言う。いや、見ず知らずのやつにいきなり怒鳴り散らすのは不味いだろう。何とか、何とか怒りを抑え込むんだ。
「私を拾って下さい」
「断る」
「理由は?」
「聞くまでもねえだろッ!」
もういい、こいつには怒鳴り散らさなきゃいけない。そう思ったのだ。
「何で俺がお前を拾わなきゃいけねんだよッ!」
「ほれ、ここ」
そしてそいつはまた貼り紙を指さした。
「だからそれが胡散くせえんだっつうのっ」
「安心して下さい。あなたは必ず幸せにします」
「ここに多分って書いてあるだろうがッ!」
「…………」
俺に言われてそいつは貼り紙を今一度見直していた。そしてもう一度俺に向き直って、こう言った。
「ケアレスミスです」
「絶対に違うだろッ!」
叫び終わって踵を返す。もうここにいる理由はないのだ。
「じゃあなっ」
「これこれ、話は終わってませんよ」
「終わったんだよっ!」
「では、あなたの願いを叶えるという具体的な根拠を言いましょう」
「…………なんだよ、そりゃあ」
突然、そいつは神妙な面持ちになってそう言った。何だ、何かあるのか? 例えばそうだ、めちゃくちゃに金持ち、だとか? あり得ねえだろ。
「それは……」
「……それは?」
「……私が、妖精だからです」
「…………はあ……」
俺はそいつの言葉を聞くとため息をついて携帯を取り出した。ここであったのも何かの縁だろうしな。
「……分かった。ここで会ったのも何かの縁だ。救急車ぐらいは呼んでやる」
「その証拠として――あなたの名前を当てましょう」
「……何?」
何言ってやがんだ、こいつ。そんなの分かるわけねえ。俺はこいつのことは知らねえし、そんなの分かるわけが……。
「土方巽(たつみ)さん、ですね?」
「なっ……!」
確かに、そうだ。俺の名前は土方巽だ。だが、何故こいつがそれを知っている。まさか、こいつ本当に……。
「ここから歩いて五分ほどの赤い屋根の一軒家に住んでいます。家族は妹と自分を入れて四人」
「お、お前、本当に……?」
何で、俺の家族構成まで知ってやがるんだ。そんなの知ってるわけがねえ。
「……というのを、先ほど通りがかった女の子に聞きました」
「……は?」
「先ほど歩いていた女の子に拾って欲しかったのですが、絶対に拾ってくれる男がいるからそいつに頼めって言われました」
「……ああそう」
この訳の分からないやつの言葉を聞きながら俺はある確信を抱いた。俺をこんな訳の分からないやつに売ろうとするのはあいつしかいねえ。それしか考えられねえ。
「そいつの特徴は?」
「特徴ですか。茶髪で胸が大きくて鈴を首につけていましたね」
決まったわ。そんなやつで俺の知り合いといったら静(しずか)しかいねえ。それ以外あり得ねえ。あの野郎、余計な真似しやがって。
だが、そんなことは関係ない。
「そうか、ならそいつが通りかかるのを待つんだな」
そう言って踵を返そうとした俺に、そいつは一枚の写真をちらつかせてきた。まさか、あいつ、そこまでやるってのか?
「お、お前、それは……」
「何だか、その女の人がこれをちらつかせれば完璧だって言っていたので」
その写真は俺の黒歴史。つまりは消し去りたい過去だ。俺が子供のころ、好奇心で妹とお医者さんごっこをしていた時の写真だ。幼馴染である静は写真を撮りながら悪代官のような笑みを浮かべていた。が、当時の俺には全くわけが分からなかったのだ。あの時にネガを奪っていればと、今でも後悔している。
こうなったら、先手必勝しかない。俺はそいつが手に持っていた写真を奪い返すため飛びかかろうとした。
「それを渡しやがれッ!」
「きゃあッ!」
俺はそいつの叫び声を聞いて体を止めた。冷静に考えてみれば、俺がこいつを襲おうとしていると見られても不思議はない。
俺が豹変した自称妖精の態度に戸惑っていると後ろの方からひそひそとした小さな声が聞こえてきた。振り返ると買い物帰りであろう主婦の皆さま方が俺を蔑むような眼で見ながら井戸端会議を繰り広げていた。当然話題は傍から見ればこいつを襲おうとしているように見えなくもない俺についてだろう。とにかく今はこの状況をすぐに打開しなければならなかった。気は進まないが。
「……分かった。分かったっての」
「初めからそう言えばいいのです。このウスノロ」
「……お前な……!」
そいつは段ボールの中から体を起こすと、そんなことを言ってきた。
我慢だ。ここは我慢だ。
拳を握りしめて、俺は怒りを何とか自制する。今はこいつの言うことを聞いておいたほうが賢明に違いない。
「そうですね、では私の名前をお教えしましょう。私の名前はニーアです」
「はあ、ニーアさんね……」
何だ、ニーアってのは。確かに見た目は日本人には見えないが、それにしてもニーアって何かのペンネームじゃねえのか? まあ、どうでもいいや。
どうせ、家に言ったって母さんに追い返されるに決まってる。そうなってくれれば別に俺には責はない。完璧だろ。今は多少ムカつくがここを耐えればいい話だ。
「では行きましょう、巽」
「俺の名前を勝手に呼び捨てにすんじゃねえ」
「…………」
ニーアは無言で先ほどの写真をちらつかせてきた。
くっ、ここは我慢だ。今はきっと耐える時間帯なんだ。
歩きなれた帰り道をニーアとともに歩きながら空を見上げる。
ため息しか出てこなかった。
※どうも、町田です。
私のことを覚えてくれていたでしょうか。
えーっと連載中の作品、リア充(ryでは続きを書くと言っていたのですが、こんな結果になってしまい申し訳なく思っています。
ですが、どうしても新作のアイディアが、仕方がなかったのです。
タイトルとは裏腹にちょっとあれな内容かもしれませんが感想を頂けるととても嬉しいです。