我が主、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの朝は遅い。
だから部屋に入りベッドの上に丸い物体を見かけた時も、呆れを零すことはなかった。
「お嬢様、お嬢様。もう昼食の時間で御座います、そろそろお起きになられては如何ですか?」
「うう、セラか……お昼ぅ……? いらなーい……」
厳粛な母国語で交わされる会話も、中身が虎の家に住み着いていた時代のソレでは意味がない。
なんやかんやの紆余曲折を経て、三人欠ける事無く、懐かしき冬の城に戻って数年が経ったものの。
覚えてしまった果実の味は忘れることなどできぬようだ。
(嗚呼、こうして人ならざる我らの祖は、人となって楽園を追われる羽目になったのでしょう)
しかし、リンゴは確かに美味いから仕方ないな、と私は思った。
自然の摂理とは無常である。
「お嬢様、お嬢様。そう仰らずに起きて下さいませ」
「やぁだぁ……シロウが、お兄ちゃんが起こしてくれるまで起きないもん」
告げると同時に、我が主はシーツを頭まで被って徹底抗戦の構えに移った。
起きてはいるようだが、どうやら今日は特別虫の居所が悪いらしい。
少々の不遜は承知で、手で揺り動かして投降を促す。だが、頑として動く気はないらしかった。
「……嘆かわしや」
繰り返すが、これは日本語で交わされる言葉ではない。
だが、ニュアンスだけでも、あの不貞で、ガサツで、うっかり頭で、だけどちょっと面倒見の良いところもあるかもしれない衛宮士郎ならば。
ため息を吐いて、その意味するところ読み取るところが出来ただろう。そう、全ては貴様のせいなのだ、という私からの恨み言であった。
詰まるところ、我が主は未だに過去を思い出して不貞腐れているのであった。その理由は本人が語った通りである。
嗚呼忌々しいかな衛宮士郎。遠く離れ、数年を経た今ですら、我が心中を乱すとは。
(いてもいなくても人を騒がせるならば、せめて――私の手の届く場所にいれば良いものを)
馬鹿げたことに、そんな横暴で矛盾した台詞を胸中で吐いた。
どのような経緯であれ、私は今、あの粗忽モノを恋しいと感じてしまったらしい。
頭を抱えたくなった。末期だ。私も、お嬢様も。
「お嬢様、お嬢様、衛宮士郎はもう居りません。藤村の翁も、大河も居りません。ならばもう、生来の優雅なお嬢様に戻られては如何でしょう」
「……やだ」
自分で言うだけでも少しだけ切なくなる。
あの街の雑多で喧しい日常より、この城は穏やかで平穏だった。
使命を終えた我らにとって、永劫揺り篭となる楽園の森。ローレライが夢見て眠る、美しく錆びた石の墓標。
なのに……嗚呼、それでも私は。
(許されるならばあの郊外の城で、お嬢様と、リーゼリットと、花の世話をして生きていきたかった――)
くだらない感傷だった。お嬢様に聞かれた日には、家出を誘発しかねない。
だからそんな内心の吐露などは勿論面には出さず、グズる主を宥める言葉を連ねて行く。しかし、何を言っても効果がない。
当然だと思った。脇役の自分でこれなのだ、我が主のその心中、察して余りある。
幾度同じ遣り取りを繰り返そうと、面倒などとは欠片ほども思わない。思ったこともない。
だが、頻繁にこのようなことがあっては、我が主の評価に関わる。万が一ということもある。
仕方ない、と溜息を吐いた。
「お嬢様、そんな事を仰られては御館様が哀しまれます、どうか」
「………………………………………………………………。起きる」
魔法の台詞に、お嬢様は長い沈黙の後にそう応える。この言葉に我が主が逆らった事はない、逆らえるはずもない。
例えソレが、この城に住む者が、誰一人として信じていない虚構であったとしても。
***
お嬢様の支度を手伝い、細々とした仕事を終えるとやる事がなくなってしまった。
私はメイドの中ではそれなりの地位なので個室持ちだったりする。とりあえず自室の片付けてでもしようか、と思案しながら廊下を歩く。
時折、すれ違うメイドの目には霧のようなモノが掛かっていた。それも、一人二人のことではない。
(誰も彼も覇気が足りない訳ですが……叱咤するべきか否か、迷いますね)
ここ最近のアインツベルンは本当にヤル気というものがない。
お嬢様が聖杯獲得に失敗し、では第六次に向けての準備をしましょうか! と気合が入ったところで冬木の聖杯が解体されてしまったのだ。
『なんてことしやがる』と思ったのは、恐らくこの城に住むメイド、ほぼ全てだったはずだ。
下手人は時計塔のアーチボルト卿と、その指揮下の魔術協会構成員。そして、フリーランスの魔術師数名。
関わった者、全員謀殺してやろうか。解体当時、そんな話がメイドたちの間では燃え上がった。それはもう、結構な勢いだったのである。
が、肝心の御館様といえば何処吹く風で、さっさと次の算段へと淡々と移ってしまったのである。
あの方は、本当に終わったことには興味がない。
『さて次はどうするか。もう日本の魔術師には頼らんとしても……まあ一からだな、追々組み立てて行くぞ』
その一言でロード・エルメロイ二世と、解体に関わった魔術師は生き永らえた。
本人たちは勿論、そんなことは知らないだろうし、だからどうしたという話でもある。
……そして、これは余談だが。
私はと言えば、その顛末に対して、若干の安堵を覚えなかった訳ではなかった。
遠坂凛とか衛宮士郎とかどこぞの元執行者とか修道女とか、知った顔が若干名含まれていたので。
(無論、お嬢様が哀しまれるからですが)
閑話休題。
聖杯探索は、千年以上続いたアインツベルンの悲願だ。最高のホムンクルスを使った冬木の聖杯は惜しいといっても、一手段でしかない。
それが使えなくなった程度で止まれるほど、この城の魔術師は潔くはないのである。
五百のマキリ、遠坂の三百。ハッ、比べるまでもない。文字通り年季が違う。
無くなったのなら、作れば良い。典型的な魔術師の思考だ。
御館様は、そういう意味で何処までもアインツベルンらしい方であった。
千年を誇るアインツベルにとってあらゆる事象も失敗も瑣末なことであり、その当主が瑣末のことに拘ることはなかった。
この圧倒的な狂気の純度が薄れるのには、さて。
「もう千年でも足りるかどうか……と言っても」
だからこそ数年単位では動き出せない。霊地の確保、新たな大聖杯の設計、システムの再構築。
または旧来の聖杯戦争とは全く違った手段の探索も有り得るだろう。どれもが当主にしか出来ぬ仕事だ。
兎角そういう状況なので、勝手に報復に至る訳にも行かず、かといって本家が思案段階では、使用人の出番など家事以外にあるわけもなく。
そんな顛末の末、仕事のないメイド一堂、暇を持て余した自宅警備員と化しているのである。
言葉を変えれば、昨今流行りのニートが大量発生しているわけだ。
(城そのものからヤル気が失われても当然でしょう)
そういう理由で、アインツベルンの空気は果てしなく弛緩していた。
元々聖杯以外に興味のない家系なので、聖杯戦争がなくなれば外敵すらいなくなってしまうのである。
協会も教会も、最早我々など忘れていることだろう。平和過ぎる。退屈である。
(毎日がこれでは……まず有り得ないことですが、警備担当の者たちが怠けてしまう可能性がありますね)
誰が見ても意味がない仕事というのは、本当に退屈なものだ。
なまじ欠かせぬモノだと知っている故に拍車が掛かる。義務だけで続けようとする為に集中力が落ち、精彩を欠いていく。
ある意味で仕方の無いことだった。ホムンクルスだからといって、人間に近い精神を保有している以上は隙が出てもおかしくはない。
それを堕落だと一方的に糾弾するのは酷である上に、本家の人間の仕事だ。
同僚ならば、そうなる前に助けてやれば良いだけの話だ。
故に、私は進路を変えることにした。部屋の片付けはまたの機会で良いだろう。
元々モノがないので散らかり様がない上に、几帳面な己の生活態度に不備などあるはずがないのだ。
数少ない私物である鉢植えにも、今は何も咲いていない訳だし。
廊下を引き返し、一度素通りした角を曲がる。すぐに外へと続く勝手口の一つが見えた。外に出れば、霧に白く霞む別塔が浮かび上がる。
二つある警備システムの集積施設、その内の一つであった。
詰めているのは大抵真面目な者たちばかりだが、中には気が抜けそうな面々もいたはずだ。
先ずは見張り担当者(本当に日がな外を見てるだけの仕事で、あまり長い年月やらせると悟りを啓いて失踪するか森の亡霊になる、恐ろしい)に茶でも煎れてやろう。
その次に結界の担当者と世間話しつつ、それとなく注意喚起。
一度意識を逸らせてやれば、良い仕切り直しとなるだろう。後は交代まで退屈なお仕事を頑張ってもらうしかない。
城を挟む形で離れて立っているので、両方に行けば良い時間になる。
それが終われば、また細々とした仕事が浮上する。
私はお嬢様とリズと花の世話と、水泳の次に仕事が好きなメイドだ。暖かくなるまでは、仕事に専念するしかない。
そんなことを考えている内に別塔にたどり着いた。
永い年月を経た重厚な石の扉は重苦しい貫禄を見せるが、日常的に使う者からすれば単に重いだけだ。
そういうモノは博物館の中か、貴族の内でしか寵愛されないものである。
我々のように現代に生きる下々の者には、普段使いにはプラスチック製が好まれる。城といっても警備施設はその範疇だ。
千年の中で、歴代の当主たちが一度でも、足を踏み入れたことがあったかどうかだ。形式に拘っても仕方がない。
「少しは時代に迎合して、軽くなられては?」
愛想が足りないと軽くダメ出ししつつ、渾身の力で石扉を押し開けた。
ギギギ、と酷く鈍い音と共に徐々に動いていく。動いてはいくのだが。
(……おかしい、何故か普段より重い気がするのですが)
石の精霊が機嫌を悪くしたのかしら、と首を傾げながら塔に入る。
後で掃除して御機嫌を取っておこうか、なんてことを考えた。
神秘は経年に依存する。故に此処まで旧いと、実際有り得ることだから困るのである。
たかが石、されど石だ。持ち上げてぶつけるだけで、そこ等辺の魔術品や量産メイドくらいは砕けそうである。
思い出すのは、バーサーカーの斧剣だった。只の岩の分際で、星に鍛えられた聖なる剣を何度弾き返したことか。
(恐ろしい)
永い年月を経たものはそれだけで偉いのだ。
敬老の精神を思い出した私は、志を新たにしながら階段を上る。意味も無く手摺に手を這わせた。
だが、
「はて」
妙な感触を覚える。思わず手元を凝視すると、理由が解った。
手摺が、僅かにだが埃で汚れていたのだ。整備担当が怠けているのかもしれない。
やはり、メイド全員の作業能率が落ちているようだ。僅かにため息が漏れる。
(今度暇な連中を集めて、大掃除でもしましょうか)
敬老の精神は偉大だ。
これでニート予備軍共の有り余った労働力を消費し、喝を入れ直すことができるだろう。
考えることは取り止めもない。まだ目的の場所にはたどり着かない。
見張りの担当は当然最上階だ。古さの割りに高い塔なので、毎日上り下りするのは中々骨が折れることだろうし、掃除の手間も多かろう。
不意に冬木にいた頃を思い出す。あの頃は街に出ることも多かった。当然現代の施設を利用することなども日常だった。
(しかし、流石にエレベータの設営には許可が下りないか)
思わず頭を抱えたくなるような思案をしてしまった。
そこまで労働者に優しい魔術師の家系は聞いたことがない。
(アレはアレで、確かに中々よいものですが、そういう問題ではないでしょう)
本家の人々は昔ながらの魔術師だ。機械など厭うだけ、望む方が間違っている。
聖杯戦争以来、私はあの国に毒されているようだ。禁断の果実を齧ったのは、我が主だけではなかったらしい。
「嘆かわしい」
若干息を弾ませたところで、最上階に辿り着いた。
塔の構造は吹き抜けだ、近くなった天井を見上げながらアーチを潜る。その先にあるのテラスだった。
テラスは見張り用で、ぐるりと一周できる構造になっている。しかし見るのは大抵街がある側だけ。そちらへと足を伸ばした。
案の定そこにいるのは担当者だ。但し、予想していた状態とは僅かに異なっている。
日がな同じ場所に拘束されるのは中々に辛い作業だ。故に、せめて楽な姿勢で業務に当たれるよう、椅子が設えられている。
だが担当者はそれに座らず、立ち上がって手摺から身を乗り出していた。手には森林を透視する特別な双眼鏡。
何かを一心に見つめているらしい。
「どうか、したのですか?」
「あぁ、セラさまですか」
声を掛けると、彼女はゆっくりと振り向いて、とても穏やかな口調で言った。
……一応私はメイド長的な立場(その役割のものは別にいるが)にいるので、メイド達は誰もが丁寧な所作で接してくる。
但し、目前の彼女の穏やかさは、立場という理由から生まれるものではないようだ。
「……貴女、以前より少し痩せましたか?」
「いぃえ? そんなことはないと思いますけど」
かなりそんなことがあるのだが、本人は気付いていないらしい。
その、まるで空気のような覇気の無さには年季が入っている。城内で暇を持て余しているニート共のソレらとは、一線を画す。
例えるならば、纏う雰囲気が、テラスに漂う清らかな空気と酷似しているのだった。仙人然としている、といっても良いだろう。
(……そろそろ、放っておくと失踪しそうですね)
配置換えが必要だと思った。
元々我々ホムンクルスは、自然の触覚をモデルにされている。
故に自然に溶けるのは、ある意味お手の物なのだった。割と笑えない、笑い話である。
「まあ今はいいでしょう。何か報告はありますか?」
「えぇ、どうやら侵入者がいるようですねぇ……結界の周りでうろうろしているようなので、只の迷い人かもしれませんけど」
告げる口調に、焦りは見受けられなかった。
本当に何かあれば、流石の彼女も多少は慌てる(はずだ、恐らく)ので、大事があった訳ではないのだろう。
「ただですねぇ……結界に接触しているにしては、少々長く迷い過ぎでありますかねぇ」
「……なるほど」
ただの一般人なら結界に触れていれば、自然と逆走して森の外に出てしまうはずだ。そういう暗示が掛かっているのである。
それで不審に思い観察していたのだろう、妥当な理由であった。
(迷い続けられる理由は、森そのものに目的があるから、ですか)
目的には辿り着けない。但し森の外に出たい訳ではないので、ある程度離れると気付いてしまう。
飽くまでこの先に進みたいという意思があるから、延々迷う羽目になっている。一般人の迷い人ではこうは行かない。
十中八九、魔術師である。
「ありがとう、そのまま見張りを続けてください」
「はぁい」
何処までも気の抜ける声で返事する彼女を尻目に、私は塔の中へと戻る。
有事というわけでもないのに慌てた振る舞いをするのは、メイドとしての則に悖る。
だから一定のペースで階段を下りていく。淡々とした足音だけが耳に届く以外に、世界の移り変わりを示すものはない。
私はその静けさを好いていた。
故に決してこの秩序を乱すことがないよう、敢えて悠長な足取りのままで結界担当者の下へと向かった。
外に例え何がいようとも、此処は何処までも平和な世界だ。それが崩れることなど有り得ない。在ってはならない。
お嬢様と、リズと、後は花と川だけがあれば私はそれで良いのだ。他に何を望むというのか。
(少なくとも私は、今更新しいものなど欲してはいない)
まるで言い訳するような独白をしているうちに、塔の一階へと辿り着いた。
階段から離れると、石門から正面に位置する扉があった。
その部屋こそ、森の結界を維持する基点の一つであり管理室である。
ノックし、声を掛けると同時に開く。一瞬、濃い花の香りが漏れ出てきた気がした。
「入りますよ」
「どうぞ」
目に映るのは、窓のない薄暗い部屋。八方には蝋燭が灯され、壁と天井には複雑な文様と文字。床には仄かに光る陣が描かれている。
それは、見る者を威圧するダビデの星。
その中央に座している女性がいた。我々のような使用人の衣装ではなく、文様の刺繍された黒装束を身に着けている。
その様は、魔術師の工房と言う面を差し引いても異様だった。
陣も蝋燭も装束も、理由の一つではあるだろう。
だが決定的なのは、視覚ではなく嗅覚に訴えかけるような、匂い立つほどに濃密な魔力である。
森に張り巡らされた結界の余波。否、それを維持する内に零れただけソレが、この部屋を満たす異様さの正体だ。
戦えばまず勝てまい、私がそう思わされるほどの圧倒的な気配。
それも当然だろう。結界の担当者は数人いるが、彼女はそれらの管理責任者、及び指導教官であった。
端的に言って、この城の防衛に携わる者全ての師と言って良い。当代では上位の魔術師である。
(嘗ては衛宮切嗣の侵入を幾度となく阻んだ、結界術式の熟練者。未だその術を、力尽くで破ったものなどいないほどの)
その彼女が、目を瞑ったまま、まるで驚く風もなく口を開く。
恐らく、塔に入った時点で気付いていたのだと思われた。
「――ああ、セラ様ですか。良いところにおいでになられました」
「ええ、見張りの者から聞いて様子を伺いに」
「それは重畳。説明は宜しいようですね。――魔術師のようですよ」
予想していた台詞に、けれど深くため息を吐く。面倒だ、と素直に思った。
この平穏な世界に、一体誰が? 何故、何の為に。
「勘が良いのでしょう、どうやら結界には気付いているようです。ただ基点が分からないのか、同じ場所から動きません。力技で破る様子も見受けられません」
出来ないだけかもしれませんね。そう付け足したきり口を閉ざした。
彼女の仕事は結界の維持だ。開くことも、強化することも自分の意思では行わない。
報告を終えれば、後は別命ある限り仕事を続けるだけである。
例え件の侵入者が結界を前に餓死しても、眉一つ動かすことはあるまい。
そして、それで良いのかどうかを判断するのが私の仕事だった。
数秒考えた後、彼女に告げる。
「私が対応に出ますので、その時一度解いて下さい。それまでは維持を」
「承りました」
了承の返答を最後に、彼女は再び沈黙に戻る。気をつけて、の一言もなく。
それどころか、結局一度もその眼を開くことはなかった。仕事に熱心で何よりだ。
(別塔の大掃除は辞めましょう。彼女らの邪魔になりそうですし)
憂鬱を忘れる為に、敢えて別のことを考えながら別塔を出る。
押し開いた石の扉は、何故か先ほどより軽かった。中の人が気を利かせてくれたのかもしれない。
大掃除はしないが、やはり今度私だけでも掃除してあげようと考え直した。
彼には時代に負けず、このままでいて欲しい。
森に入り、見張りの彼女が見ていた方向へと進む。大まかな見当はついていた。
森中の基点は隠してはいるが、魔術師ならどの辺りにあるか程度は分かるだろう。必然、その近くにいるはずである。
「……ああもう、一体誰なのでしょうか」
侵入者に意識が向いたせいで、抑えていた憂鬱さが表に出てしまった。
一度思い出すと、もう封じることは不可能だ。募る苛立ちは嵩を増し、私の足取りを重くさせる。
それでも、一歩一歩基点へと近づいた。不意に肩が重くなり、すぐに消える。私が至ったので、術者が結界を解いたのだ。
証拠に、まるで位相がズレたかのように、唐突に顕れた人間の気配。
(近くにいますね)
途端、胸の奥から怒りにも似た衝動が沸き起こる。
一体誰だ、何故来た、何の用だ。此処には誰もいないし何もない。だから何も此処で起こるな、誰も此処を訪れるな。
聖杯戦争は終わった。あるのは千年止まった空気と、千年続く妄執と、一時的に暇人になったメイド共だけだ。
後は空気のように扱われるお嬢様と、お嬢様と遊ぶだけの同僚と、今は咲いてない鉢植えの花と、まだ凍っている森の川と……。
もうそれだけしかない、人に忘れられた冬の城。けれど、それで良いではないか。それだけで良いではないか。
私にはもう、他に恋しいものなど何も――。
「……セラ? もしかしてセラか?」
「――え?」
耳に届いたその声音に、何故か、心臓が一度大きく跳ねた。
それは不貞で、ガサツで、うっかり頭で、だけどちょっと面倒見の良いところもあるかもしれない誰かの声だった。
とても忌々しく、それでいてどこか懐かしい。
されど忘れていたはずだ。なれど聞きたくはなかったはずだ。
けれど、ならば何故一度聞いただけで、これほどまでに鮮明に。
(……嗚呼、そうでした)
私は今朝、理由は兎も角としても、確かにこうも思ってしまったのだ。――恋しい、と。
だから、人のことをこんな風に軽々しく呼ぶ男の名を、私は覚えていたのだった。
「……衛宮、士郎様」
「久しぶりだな、セラ」
(何故思い出してしまったのでしょう。こんな瑣末なこと、永劫忘れていればよいものを)
けれど、一度思い出した名を忘れることは、やはり私には不可能であるらしかった。
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以上、鉄音同盟の感想にてあのセラがデレたらヤバくねという感想を頂いて妄想してみたら思いの他強烈だったので一気に書き上げてみたわけだがデレるどころか出会いで力尽きたのはアインツベルンのその後の内部事情を捏造するのが思ったより楽しかったからで死ぬほど疲れてしまった故に続けるかどうかは未定だったりするが氷室さんが浮気許してくれたら考える所存であり続けてもセラがデレるかは不明だったりするんだがとにかくセラさんマジ可愛い。