それは、どこまでも大切な友達の声だった。
いつものような会話を続ける三人を、運命は信じられないというように見た。
「みんな、どうして……?」
答えるのは、しかし三人ではない。
『……仕方ないじゃないか』
「この声……メモリア?」
静かに頭に響いた声はどこまでも悲しげで悔しげで、だけどどこまでも切実に、運命の心を揺らした。
『本当は、私はキミを殺そうとした。キミに世界の相手をしてもらい、その隙に彼を、唯人を救おうと、そう思っていた……』
「……」
語られる真実を、運命は無言で聞いている。
メモリアは、続けた。
『当然さ。キミが世界に勝てる可能性なんてほとんどない。いかに正王の力が強力であろうと、絶対足る世界はその全てを打ち砕くだけの力を有しているのだから。それならばキミを囮にし、唯人だけをこちら側に連れ出すことのほうがずっと成功の可能性は高いのだからね』
『けれど』と、そこで一度、彼女の言葉が止まる。
きっと今も彼女はあの保健室にいるのだろう。誰かを『こちら側』に連れてくるだけしか出来ない、自らが唯人を助けに行くことが出来ない彼女は。
だから、運命は今メモリアがどんな顔をしているのか分からない。
分からない――だけど、彼女には分かった。
きっと、どこまでも、心の底から――
彼女は、その整った顔を涙で歪めているだろうから。
『ダメ、なんだ……どんなに想像しても、彼は泣いてしまう。キミを見殺しにし、唯人を助けても、彼が笑ってくれる未来がないんだ……』
「メモリア……」
『気にしなければいいと思った。忘れさせてしまえばいいと、そう思った。そうすれば彼はきっと私を見てくれる。私を愛してくれる……そう思って、そう語りかけてくる私がいた……だけどそれ以上に、彼の笑顔を奪っていいのか、彼の本当の幸せを殺してしまっていいのかと、そう訴える私がいた……』
運命には、メモリアの言う言葉が痛いほどに分かる。
もし、自身がそうであったのなら、運命とメモリアの関係が逆だったのなら、きっと彼女も悩み、そして傷付いただろうから。
「メモリア」
『……もうキミに、そう呼ばれる資格は私にはないよ』
名前を呼ぶ資格――友達の証。
メモリアは、最初から運命を裏切るつもりだった。
だけど、それでも、
「メモリア……ありがとう」
『……!』
「言ったでしょう? 私とメモリアは似てるって。同じ人を好きになったって。だから、私にはメモリアの気持ちがわかるよ」
「辛かったよね」と、運命は顔を伏せた。
「苦しかったよね」と運命は涙を流した。
「それでも」と運命は微笑みを浮かべた。
「メモリアは、ここにみんなを連れてきてくれた」
『……』
「私を助けるために、頑張ってくれた」
メモリアは答えない。だけどその気配はどこまでも、言葉以上に彼女の心を示している。
「そんなメモリアが友達で――本当に良かった」
『……キミはお人好しすぎる』
「うん、よく言われるよ」
『だけど、けれど、しかし、でも』
震える声で、メモリアが言葉を紡いだ。
『私も、そんなキミと友達になれて、良かった……』
その言葉と共に、メモリアの声が途切れる。魔力が尽きたのだろう。例え王のそれに近い記録者の魔力とはいえ運命を含めて四人をこちら側に引きこんだのだ。その疲労は窺い知れない。
そんな、そこまでして運命を助けようとしてくれたメモリアに微笑んで運命は立ち上がろうとする。が、足を貫かれたのだ。その小さな身体はすぐにバランスを崩し――
「おっと」
「鞘呼ちゃん……」
鞘呼に、支えられる。運命が鞘呼に抱きつくような格好だ。
「ありがとう、鞘呼ちゃん」
「こちらこそありがとうございます」
「え? どうして鞘呼ちゃんがありがとうなの?」
恍惚とした顔をする鞘呼に運命が尋ねれば、彼女はハッと我に返る。
「べ、別に運命の抱き心地がいいとかそんなんじゃないわ! 勘違いすんじゃないわよ!? ――はっ!?」
何かに気付いたかのように鞘呼が振り返る。運命もそちらを向けば、そこには鞘呼をじと目で見据える翠緑と銀の瞳があった。
「見ましたか御盾さん」
「えぇ、見ましたとも心殿」
「このシリアス展開にネタまで放っておきながらなお空気をぶち壊すとは」
「妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい私も運命殿に抱きつかれたい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい」
「ちょっ!? 声が本気なんですけど!? あと途中に何か混ぜたわよねぇ!?」
「偽ることなき私の本心です!」
「あんたいい加減キャラ変わりすぎじゃない!?」
「キャラとか何を言っているんですか鞘呼殿? 厨二病ですか?」
「誰が厨二病よ!?」
「仕方ありませんよ御盾さん。それはもう不治の病ですから」
「ちょっ!? 決めつけないでもらえませんかねぇ!?」
「そうですね。さて、そんなことはさておき」
「さておかれた!?」
「鞘呼さん少しうるさいですよ? 今はあなたのことなんかより運命さんの傷を見る方が先決です!」
「……」
運命の隣りで膝をついてしまう鞘呼。俗に言う『orz』の体勢だった。
そんな鞘呼を気にせず、二人が運命に歩み寄る。
「大丈夫、ではないですね」
「運命殿、しばし動かないでください」
言って、御盾が運命の足に手を当てる。翠緑の光を発するそれが彼女の傷に触れた瞬間、運命を襲っていた激しい痛みは少しだけ楽になる。
「治療魔法です。生憎専門ではありませんがこれでも守護の盾王。多少は楽になるかと思います」
「……うん、でも」
どの世界でも言えることだが『治す』ことは『壊す』ことより難しい。故に治療魔法はそれ相応に時間がかかるのだ。
それを敵が待ってくれるとも、思えなかった。
運命が視線を向ければ、そこには悠然と佇む鎧がいる。欠片の傷もないそれは恐らくは現れた三人を警戒しているのだろう。じっとこちらを窺っていた。
咄嗟に運命はこの傷を自身の魔法で治そうとするが、
「運命殿」
「御盾ちゃん……?」
御盾に手で制され、運命は目を丸くする。
「運命殿の魔法も、唯人殿のことも、彼女から聞きました」
彼女、とはメモリアのことだろう。
「ならばここで、運命殿が不用意に魔力を使うのは得策ではありません」
「えぇ。貴女の魔法はトランプで言うところのジョーカーでありワイルドカードなんです、運命さん。そして敵も、恐らく同様でしょう」
「運命さん」と心が言う。
「では、同じジョーカー対決ならばどちらが勝つと思いますか?」
「……」
運命は少し考えてみたが、答えが浮かばない。
心が、ニッコリと微笑む。
「最適のタイミングで、最良の状態で繰り出したジョーカーです」
「それってつまり……」
「えぇ。私とそして鞘呼さんがその隙を作ります」
「だ、ダメだよ!」
微笑み言う心に、運命は必死に首を振った。
だってこれは、運命の我儘だから。
世界のために魔王を倒すのではなく、ただ運命が彼と共に生きたいから、その為の戦いだ。それに鞘呼や御盾、心を巻き込んではいけない。
そう思い、口を開こうとするけれど、その小さな唇は、微笑む鞘呼の指で止められる。
「ねえ、運命。私たちはあんたにとってなに?」
「……大切な、友達だよ……」
「恋人と言って欲しかった!」
「心、あんた後で校舎裏ね?」
「オワタ」
「ちなみに私は愛人でも構いません!」
「はいはい運命の隠し撮り写真あげるから御盾もちょっと黙ってなさい?」
「絶対ですよ! 絶対ですからね!?」
「必死過ぎでしょ……」
「では鞘呼殿はいらないんですか?」
「もちろんいるわ!」
「「ですよね~」」
「コホン! 話を戻すとして――運命。私もあんたのこと、大切な友達だって思ってる」
そう言って、鞘呼は優しく微笑んだ。
強さと弱さを知り、夕陽のように全てを包み込む、そんな優しい笑顔。
「運命がいたから、私は本当の『強さ』を知ることが出来た」
運命の足を治しながら、御盾も微笑む。
盾王の鎧のせいで他者と接しられなかった頃の彼女では浮かべられなかった微笑み。
「私は『守る者』を見つけられました」
敵を見据え、その横顔に皮肉ではない心の底からの微笑を、心が浮かべた。
「私は、自分の瞳を、在り方を、好きになれました」
「みんな……」
「ねえ運命。これはね、あんたが私たちのために頑張ってくれたから、出来たことなの」
心の在り方を優しい笑顔で受け止めた運命。
御盾を守るために、その身を盾とした運命。
鞘呼のために、自身の命さえ、賭けた運命。
三人が、運命に笑顔を向けた。
「だから、今度は私たちの番」
「言ってください、運命殿」
「我儘? 自分勝手? ドンと来いです!」
「運命は私たちに――何をしてほしいの?」
運命は、嫌だった。
何故なら、そんなことをされたら、そんな風に言われたら、
「わ、私は……」
嬉しくて、涙してしまいそうで、
「私……私は――」
頼って、みんなを戦いに巻き込んでしまいそうだから。
助けてと、そう言ってしまいそうだから。
でも、それでも――
「私は――唯人君を助けたい……」
「だから?」
微笑み言う鞘呼に、運命は言葉を紡いだ。
「だから――一緒に戦って、みんな」
「だが」と心が笑った。
「断る」と御盾が微笑。
「わけ、ないでしょ!」と鞘呼が立ち上がった。
その身に、深紅の魔力を纏い、紅い剣を携えて。
心も、その華奢な身体を白の衣装で固めて。
御盾も翠緑の法衣に身を包んで。
心が、こちらを窺う鎧に言った。
「初めまして世界さん。私は運命さんの友達一号、世間では心王、または『世界の全てを暴く害悪(オール・ウォッチャー)』と呼ばれています」
「え? 心……?」
「私は盾王。二つ名は『唯一の盾(ジ・アイギス)』」
「え? えとそう言う流れなの?」
「「……」」
「あーもう! そんな空気読めみたいな目で見んじゃないわよ! 言えばいいんでしょう言えば! 私は剣王! 称号は『破壊尽くす王(ロード・ブレイカ―)』よ!」
「『破壊尽くす王』wwwwwwww」
「ロード・ブレイカーwwwwww」
「「痛すぎるwwwwwwwwwww」」
「あんた達にだけは言われたくないんですけどねぇ!?」
「だ、大丈夫です鞘呼さんかっこいい(笑)ですよ?」
「言葉の裏に何か見えるんですけど!?」
「メモメモ」
「って御盾、あんたは何をメモってるのよ!?」
「? 鞘呼さんの黒歴史レポートですが?」
「何でそんなもんメモってるわけ!?」
「……?」
心を見る御盾。
「……?」
御盾を見る心。
「なに顔見合わせてんのよ!? まるで私の方がおかしいみたいじゃない!」
「え?」
「え?」
「それはもう飽きた!」
「「いえ~い!」」
「進化した!? じゃなくて!」
「あ~も~」と鞘呼は頭を抱えつつ、鎧と、そして唯人の方を向いた。
「唯人、今からあんたを助けるわ!」
「御盾さん、いいんです。もう自分は――」
「知らん!」
唯人の言葉を遮り、鞘呼は叫ぶように言った。
「あんたの事情なんて察しない! 運命が望んでいるから私はそうするの! だからあんたの言い分なんて全部却下よ!」
「それに」と鞘呼が続けた。
「私も、あんたに生きてほしい!」
「――!」
「あんたが頑張ったから、私は運命に会えたの! 御盾も心もそう! あんたにとってそれは全て運命のためだったのかもしれないけど、だけどそれでも、あんたが命を削って戦い抜いたから、今の私たちがある! 生きていて幸せだって、そう思える今があるの! たった二つ足りないモノがあるけどね」
「足りない、モノ……?」
「情熱思想理念頭脳気品優雅さ勤勉さ――」と言う心を鞘呼は蹴飛ばし、
「あんたと、そして運命の笑顔よ!」
「……!」
「唯人っていう先生がいて、運命の笑顔があって、心のネタがあって、御盾のボケがあって」
「鞘呼殿のツッコミがある」
「そんな教室が、私たちの大切な『場所』で『今』なんです」
「だから、これは私の自分勝手でもあるの! 故にあんたは黙って助けられなさい! 答えは聞いてない!」
「え?」と心。
「え?」と御盾。
「~~! わ、私は最初からクライマックスよー!」
そう言って剣を片手に走り出す鞘呼に、心と御盾は声を合わせて言った。
「「無意識にネタが出たことに気付いて照れ隠しに行きやがった。鞘呼さん(殿)、無茶しやがって」」
二人には、その紅も相まって鞘呼の背中がどこぞの紅鬼をモチーフにした、バイクとは名ばかりの電車に乗る仮面を被ったヒーローに見えたことを、運命は知らない。
それは、とある場所。
深い、あるいは不快な世界の深層にいる少女。
彼女は久方ぶりに目にした友人に、ニッコリと微笑みを浮かべる。
その場所に、地獄にはあまりにも似合わない微笑みを。
「久しぶり」
「久しぶり」
「元気にしてた?」
「私が元気な時などありはしないよ」
「私は元気だったわ」
「死んでいるのに?」
「充実してたというわけよ」
「地獄でかい?」
「住めば都って言うでしょ? この場合は死ねば都ってことかしら?」
「面白い冗談だ」
「下らない冗談よ」
「……キミに、頼みがある」
「うん? 何かしら?」
「彼を、助けるのを手伝って欲しい」
「……」
「運命だけでは、そして他の王達だけでは、きっと無理だ。世界は、きっと倒せない。それほどの力を、アレは有している」
「……」
「だからキミに、四王と同じだけの力を持つキミに、手伝って欲しい」
「……」
少女は答えない。恐らくは自分勝手なことを言っていることに怒っているのだろう。
それでも、言葉を紡ぎ続ける。
「キミが怒るのは無理もない。キミはその命を削って戦い抜き、ようやく死の安らぎを得たんだ。それなのに私の我儘でまた戦えと言う。理不尽かつ無神経な話であるのは私も理解しているがそれでも――」
「あぁ、違う違う。怒ってるんじゃないの。ちょっと考えててね」
「? 考える? いったい何を?」
「え? 登場する時の台詞だけど?」
「キミはいったい何を考えているんだい!?」
「う~ん、状況にもよるけどやっぱり苦戦してるはずよねぇ。だったら『あなた達の戦いは素晴らしかった! チームワークも戦略も! だが、しかし、まるで全然! あの敵を倒すには程遠いんだよねぇ!』で行くべきか……いや、颯爽と現れて『貴様、何者だ?』っていう敵に『通り縋りの少女の味方よ』とどや顔を浮かべるべきか……どっちがいいと思う?」
「知らないよ!?」
「う~ん。まぁ行く内に考え付くしょ」
そう言って、立ち上がる少女に、向かい合う彼女は戸惑いを浮かべた。
「行って、くれるのかい?」
「言ったでしょ? 私は少女の味方だって」
「それにね」と少女は微笑みを浮かべる。
「貴女が唯人君や私以外の人間を名前で呼んだ……友達と認めただけの人がいるのだもん。お姉さん、頑張っちゃうわよ?」
「……まったく、キミというやつは」
「惚れ直した?」
「大好きさ」
「唯人君より?」
「……」
「もう! そんな素直な貴女もお姉さん大好きよ!」
そうおちゃらけて、少女は上を向いた。
その先で戦っているだろう、少女達を見るように。
「いっちょ、頑張りますか!」