吟遊詩人よ謡え
英雄たちが
乱世を往く
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第十話 神話、堕つ
イスト、ニーナ、ジルドの三人はシラクサからカルフィスクの港に戻ってくると、その日は港街で一泊し次の日から西に向けて出立した。
今三人がいるのは、カルフィスクから西に向かって伸びる街道のすぐ脇である。日が暮れ夕食も食べ終わった彼らは、眠るまでの時間で少し話をしていた。
「“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”?」
聞きなれない言葉にニーナが首を捻る。そんな彼女の首筋を、まだ冷たい春の夜風が撫でた。途端、ニーナは身を震わせて背中を丸める。日に日に温かくなる季節とはいえ、夜はまだ寒い。その上、少し前まで温かいシラクサにいたのだ。余計に寒さが身にしみた。魔道具のローブを羽織り、「マグマ石」が光と熱を煌々と放ってはいるがどこかまだ寒く感じてしまう。ニーナは手のひらを暖めていたお湯を体に流し込んだ。
「“|四つの法《フォース・ロウ》”のことだ」
イストの言う“|四つの法《フォース・ロウ》”とは、初代アバサ・ロットであるロロイヤ・ロットが残した、古代文字(エンシェントスペル)で綴られた四つの言葉のことだ。
闇より深き深遠の
天より高き極光の
果てより遠き空漠の
環より廻りし悠久の
これらの四つの言葉は古代文字(エンシェントスペル)で綴られた時、それぞれが術式としての意味を持つ。そしてさらに、互いが相互に関係しあってなにか大きなものを表しているのではないかとイストは考え、シラクサにいた間にゆだるほどに頭を使いその関係性を解明しようと頑張っていたのである。
「その解析が一区切りついてな。だいたいの関係性が見えてきたから、もう少し相応しい名前を、と思って付けてみた」
それが“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”だという。ずいぶんと大仰な名前をつけたものだが、イストは無意味にそのような名前をつけたりはしないだろう。ならば彼なりにそれが相応しいと思えるだけの理由があったのだ。
「それで結局、“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”とはなんだったのだ?」
「空間系の術式理論」
ま、予想通りだな、と言ってジルドの問いに答えたイストは「無煙」を吹かし白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出した。とはいえ、その理論の高度さと難解さは彼にとっても予想外だったと言わなければなるまい。
イストがかつて見立てたように、“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”は亜空間設置型や空間拡張型の魔道具を作るために必要な術式理論の、その集大成であった。空間系の魔道具の術式は、全てこの四つの術式を変形したり任意のパラメータを設定したりして、変形し発展させていったものである。
ただし、それがあれば万事解決、というわけではない。まずそれらの古代文字(エンシェントスペル)で綴られた言葉を数式も含めて記述し、共通する定数を見つけ、それぞれの項の意味を考え、その上で全体として矛盾がないように系統立てて説明していかなければならない。
また式や定数の意味を説明し、さらにそこに至るまでの基礎的な知識も全て説明しようとした結果、イストはシラクサにいる間におよそ一五〇ページに及ぶレポートと仕上げることになった。魔道具の根幹を成すこれだけ長大で複雑な理論が、四つの言葉に集約できてしまうというのは、イストにとっても驚愕の事実である。
無論、イストはこのレポートを書くに際して、ロロイヤが残した資料を片っ端からあさった。あれらの四つの言葉が空間系の術式理論であるという前提があったおかげか、今までは無関係と思っていた資料の中にもそれらしいものがいくつかあった。発見したそれら断片的な情報をつなぎ合わせ、あるいは不足分を自分で埋めながらイストはレポートを作成して言ったのである。
ただ自分がまとめたレポートは、ロロイヤが千年前にすでに完成させているものであり、そう考えるとそこはかとない疲労感に襲われる。ロロイヤとしては“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”さえ残しておけばそれで十分と思ったのかもしれないが、どうせなら結論だけでなくそこに至るまでの過程も残しておいて欲しかったと愚痴ってみてもバチは当たるまい。
いや、そもそもロロイヤはアバサ・ロットの祖である。彼の性格がねじくれ曲がっていたことは想像に難くなく、むしろ後代の人間に苦労させるべく、わざと残しておかなかった可能性のほうが高いかもしれない。そう考えるとイストは、千年をかけた壮大な嫌がらせにまんまと引っ掛かってしまったことになる。
「おのれロロイヤ!」
ゆだった頭に響く頭痛を堪えながら、イストはそう叫んだとか。
ロロイヤの悪戯を恨めしく思う一方で、しかしイストは彼に感服してもいた。イストは“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”を用いて作られた完成品の魔道具についてよく知っている。そしてなまじよく知っているからこそ、その理論を解き明かして術式を組み立て魔道具として完成させることがどれだけ才能とセンスを必要とするかが分かってしまう。
「脱帽だよ。奴は本当の天才だ。しかも自分の才能を自覚して、それを引き出して伸ばすための努力を惜しまなかった。逆立ちしたって勝てる気がしないね」
少なくとも才能とセンスの点では。しかし魔道具職人としての実力はその二つだけで決まってしまうわけではない。最も重要なのは蓄積された知識と技術だ、とイストは思っている。
アバサ・ロットが他の魔道具職人たちと比べて優れているのはそこである。
歴代のアバサ・ロットたちは確かに全員が優れた職人であった。しかしだからと言って、全員がずば抜けた才能を持つ天才であったかといえばそうではない。それにも関わらずこれまで世界最高の水準を維持してこられたのはなぜか。
それは代々蓄積されてきた知識と技術が圧倒的に優れていたからである。そしてそれらの知識や技術を習得することで、彼らは優れた職人となることができたのである。
無論、歴代のアバサ・ロットのなかには天才と呼ぶに相応しい、傑出した才能を持つ者も多い。彼らはすでにあったものを発展させてさらなる知識と技術を積み上げ、アバサ・ロットの名をさらなる高みに引き上げてきた。そして後代に名を継ぐ者たちのために偉大な遺産を遺してくれたのだ。
その全て、千年分をイストは受け継いでいる。言ってみれば、ロロイヤとは下地が平等ではない。才能が及ばないからとあっさり負けを認めるわけにはいかないのだ。
才能が足りないならば、受け継いできた知識と技術を総動員してそれを補うまでである。そうやってまた新たな高みに手を伸ばすのだ。自分の仕事はそのうち過去のものとなり、先人たちが遺したもののなかに埋没していくだろう。それでいいとイストは思っている。そうやって自分たちが積み上げたものの上に誰かが立ち、そしてまた遥かなる高みに手を伸ばすのだ。
まあ、それはそれでいいとして。閑話休題。話を元に戻すとしよう。
かつてイストが“|四つの法《フォース・ロウ》”と呼んでいたものは、空間系の理論であった。ただしそれは亜空間を設置したり、特定の閉空間を拡張したりするためだけのものではない。いや、むしろそれらは副次的な産物と言ったほうがいいだろう。
つまり“|四つの法《フォース・ロウ》”とはこの実空間を記述し説明するための理論だったのである。まさにこの世界の根源たる部分を説明しているといっていい。だからこそイストはあの四つの言葉に、改めて“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”という名前をつけたのである。
「世界の根本をなす、そうなって当然で、そうならなければおかしいもの」
ゆえに、“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”。世界の真理とも言うべきそれがたった四つの言葉でまとめることができ、それをたった一五〇ページ程度のレポートで説明できるというのは一種驚愕である。世界とはかくも単純で美しいものなのかと、イストは悟りを開いたような気分になったものだ。
「それで“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”を解析してなにが分った?何かをするつもりで大陸に帰ってきたのだろう?」
ジルドの言葉にイストは苦笑した。イストが覚えた感動を、“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”について詳しく知らない人間に説明するのは難しい。
「教会の御霊送りの神話だが、仮にあれが空間系の魔道具を使って人為的に行ったものだとすれば、ほぼ確実に失敗している」
教会はその失敗を隠すために神話を捏造し、千年間儀式を行い続けてきたことになる。イストはそう言った。
「なぜ、失敗していると言い切れる?」
「そうだな………。ニーナ、なんでだと思う?」
突然話を振られたニーナは、しかしそれまでの話を注意深く聞いていたおかげで慌てることもなく、少し考えてから口を開いた。
「えっと………、“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”はただ空間を用意するだけだから、ですか………?」
「おお、鋭い。正解」
正直な話、“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”の中身についてほとんど何も知らないニーナが正解を言い当てるとは思っていなかったイストである。
まあ、それはそれとして。ニーナの言った通り“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”を用いてできることはただ何もない空間を用意するだけ。御霊送りの神話の場合は亜空間なのだろうが、用意したその亜空間の中には何もない。
「今はパックスの街が入っているのではないか?」
ジルドがそう言う。確かに神話では、パックスの街が丸ごと神界に引き上げられたことになっている。実際、今ではパックスの街があったところは湖になっており、そこにあった土地や建物は亜空間の中に納まっていると考えられる。
しかしイストは首を振る。
「例え土地と建物があったとしても、それだけでは亜空間の中で生活することはできない」
水を始めとする循環系を整備しなければ、その中で生活し続けることはできない。そしてそれらの循環系を“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”は用意することができない。用意するためには、また別の“|根源の摂理《オリジン・ロウ》”が必要になるだろう。
「必要なものは随時外から補給するつもりだったんだろうな、本当は」
「今もそうしているかも知れんぞ?」
「それはない」
イストは言い切った。もしパックスの街を亜空間に収めそこで生活することに成功しているなら、神話を捏造して「死後でなければそこには入れない」などという制約を設ける必要はない。達成可能な条件、例えば幾ら以上の献金など、条件を定めてそれを達成すれば入れることにすれば、もっと利用しやすいはずだ。
また仮に成功していれば、頻繁に亜空間の内部に補給物資を届ける必要がある。御霊送りの神話を守ろうとすれば、その補給は秘密裏に行わなければならないが、それが千年という長期間にわたれば必ずや噂が立つはずである。だが旅の中でそれらしい噂は聞いたことがない。そういった現在の状況を総合的に考えた結果、御霊送りは失敗しているとイストは断定した。
「ま、御霊送りの儀式が魔道具を用いた人為的なものであれば、の話だけどな」
神話が捏造などではなく、御霊送りは教会が主張するように本当に現世に残された最後の奇跡である可能性もまだある。そうであった場合、ただの人間であるイストには手が出せないだろう。
「で、御霊送りの儀式が人為的なものであれば、お主はどうするのだ?」
ジルドが面白そうに聞く。イストもまた「無煙」を吹かしながら面白そうに笑う。
「まあ、つまり端的に言って、だ………」
そこまで言うと、途端にイストの笑みが物騒なものに変わる。なにか獲物を見つけたかのような、好奇心に狂気が混じったかのような笑みをイストは浮かべる。
「パックスの街を、落とそうと思う」