ジルドが請け負った仕事は海軍が依頼したもので、その内容は「臨時の戦闘要員の募集」というものだ。この場合、戦う相手は商船を襲う海賊ということになる。
実はこの依頼、今回に限っていえば相当に人気がなかった。その主たる理由は報酬額が変動するからだ。
戦闘要員とはいえ、そもそも海賊が襲ってくるかそれ自体が不確実だ。襲撃があれば戦闘要員としての仕事が発生し、報酬の額もそれに応じて加算される。しかし襲撃がなければ当然戦闘は起こらず、仕事は船の雑用だけで報酬も最低金額しかもらえない。そもそも襲撃させない、つまり抑止力として海軍が護衛するという側面もあるのだ。
さらにいえば拘束期間が長い。ジルドの場合、往復で拘束期間は三~四ヶ月。天候次第では、さらに伸びる可能性もある。加えて船旅である。目的地であるカルフィスクに着かない限りは、途中で契約を解除して船を下りるということも出来ない。
そのような事情もあり、今回の依頼を請け負ったのはジルドを含めて三人だけであった。しかもジルド以外の二人は片道のみで、ようは大陸に戻るための足代わりに請け負っただけであった。ただ人数が少ないことはさほど問題にはならない。海軍はもともと戦うための組織だ。そういう意味では、戦闘要員は始めから足りている。
ジルドたちが乗っているのは、船団の最後尾を行く海軍の艦だ。先頭を行く海軍の艦は船団を先導することが役目であり、仮に海賊の襲撃があった場合、ジルドたちが乗っている最後尾の艦がまず矢面に立って防ぐことになる。
今回、船団の最後尾に付くことになった船は「カティ・サーク」。その船には白銀の魔弓「|夜空を切り裂く箒星《ミーティア》」を持つ魔導士、アズリア・クリークもまた乗っていた。彼女にとっては最初の長期間にわたる海上の任務である。またこの航海中に、天測など航海士としての実地訓練も受けることになっている。
「でも、ジルドさんがこの仕事を請けるなんて、少し以外でした」
ジルド相手には敬語で話すことにしたらしいアズリアがそういう。イストの扱い方との差は、そのまま二人の人格の差だろう。
「どうしてだ?」
「普通、この手の依頼は片道だけって方が多いですから」
往復となると、この手の仕事は戦闘が起こらない限りは、拘束期間が長いわりに稼ぎが悪い。しかし、片道だけとなると少し事情が変わってくる。目的地(今回の場合は大陸)が一緒であれば、船賃を払うどころか少ないながらも報酬を貰ってそこまで行けるのだ。その上、三食を依頼主(海軍)が補償してくれるとなれば、まさに「渡りに船」である。もっとも、今回はその“船”を捜していたのは、二人だけだったわけだが。
「ジルドさんは、シラクサに戻るんですよね?」
「うむ。イストたちを待たせているからな」
「………ジルドさんはなぜあの男に付き合っているんですか?」
アズリアの言う“あの男”というのは間違いなくイストのことであろう。彼女がイストにあまりいい感情を持っていないことはジルドも知っている。今もまた、なるべく冷静に話そうとしているのだろうが、恐らくは無意識のうちに眉間にシワがよっている。
(随分と嫌われたようだぞ?イスト………)
ジルドは心の中でそう苦笑を漏らす。ジルドの目からすると、イストはアズリアに対して意識的に悪役(ヒール)を演じているように見える。きっと、からかいがいのある相手と認識されているのだろう。
「………ジルドさんの腕なら、仕官の口はいくらでもあると思います。なのになんで、わざわざあの男に付き合うのですか?」
シラクサに向かう船の中でイストにされたのと同じ質問を聞かれたジルドは軽く笑い、そしてこう答えた。
「我が身の栄達には興味がない、といえば嘘になる。だが、あやつと一緒にいればきっと面白いことが起こる。今はそちらのほうが楽しみだ」
アルジャーク帝国と教会勢力、そしてアルテンシア王国。エルヴィヨン大陸はこの三つの勢力を中心にして激動している。
ジルドは出航前にイストから「帰ってきたら大陸の様子を聞かせてくれ」と頼まれている。つまり大陸の情勢変化について、情報を集めてきてくれということだろう。今はシラクサに引きこもっているが、イストもやはり大陸の情勢変化について無関心ではいられない。
さらに、もっとも重要なこととして、イストはこの三つの勢力とかかわりがある。
アルジャーク帝国の皇帝クロノワ・アルジャークとは友人同士だと言うし、アルテンシア王国を建国したシーヴァ・オズワルドとも面識がある。さらに今イストが解析を進めている“|四つの法《フォース・ロウ》”は、教会となんらかの関係があると見られている。
そしてイストのあの性格である。全てのピースが揃ったあかつきには、必ずや何か“大それたこと”をする。ジルドはそう確信していた。
その、“大それたこと”が何なのか、ジルドは分らないし予想も付かない。しかし、普通に仕官して宮仕えをするだけでは、決して手が届かないような何かをイストは見せてくれるだろう。
「過大評価のような気がしますけど………」
アズリアはそういうが、必ずしも過大評価というわけではあるまい。イストはアバサ・ロットの名を受け継ぐ魔道具職人である。優れた魔道具が歴史を左右した事例は、歴史書を紐解けばいくらでも見つかる。その内の幾つがアバサ・ロットの作品によるものなのかは不明だが、いずれにしても優れた魔道具職人であり組織というしがらみとは無縁の立場にいるイストは、やろうと思えば歴史を変えてしまうことも可能だ。
そして彼はアバサ・ロットと共に世界最高レベルの技術知識を受け継いでいる。それはつまり、工房を開くとか、個人として何か始めればすぐにでも成功できるだけの下地を持っているということである。
「まあ、あの性格だ。余人が思い描くような歴史の黒幕や、サクセスストーリーをまっとうするとは思えんがね」
ジルドは苦笑気味にそういった。なんにしてもイストが優れた能力と知識を持っていることは疑いの余地がない。それはジルドが持っているそれとは別分野のものであり、だからこそ自分では見ることのできないような世界を、イストが見せてくれるのではないかと彼は期待しているのだ。
「あの男から魔道具を貰ったら、まともな生活には戻れませんよ?多分、ですけど」
アズリアはすこし冗談めかしてそういった。アバサ・ロットから魔道具を貰った人間の人生は、きっと波乱に満ちている。それは彼女がシラクサに来るときに船の中でふと思ったことだ。それが最近では真理を言い当てたような気もし始めている。
「すでに手遅れだ」
そういってジルドは鞘に収まった「万象の太刀」を見せて笑った。この太刀は「光崩しの魔剣」に変わるジルドの新たな愛刀だ。この太刀と共になら、波乱の人生も悪くない。ジルドはそんなふうに思った。
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シラクサを出航して十二日目。この日は良く晴れていたが、海のうねりが大きく、また西風が強かった。船団は北へ向かっているから、進行方向に対して左側から風が吹いていることになる。
それを見つけたのは、最後尾を行く軍艦のマストに登り周囲を警戒している水兵だった。西、つまり風上からそれは現れた。
水平線上に浮かぶ船影は小さく、望遠鏡を使ってもはっきりとは見えない。しかし追い風を受けたそれらの船影は徐々に大きくなり、ついに望遠鏡のレンズにその全貌をさらけ出した。そのメインマストの頂点には、髑髏の旗が掲げられている。それを確認した水兵は声を張り上げた。
「九時の方向!海賊船を確認!!船影七!!」
その声が響いた瞬間、軍艦の空気が一気に緊張した。普段は何もしない艦長が次々に指示を出していく。
「信号旗を上げろ!盾と弓を用意!各員戦闘配置!!」
人の背丈を越える巨大な盾が左舷に並べられていく。この盾は、ようは壁の代わりで、これをもって動き回ることは想定していない。
並べられた盾の後ろに、弓と矢筒を持った水兵たちが並ぶ。アズリアも白銀の魔弓を手に、その列に加わった。
弓を持った水兵の後ろには鎧を着込み、槍を手にした海兵が待機している。ジルドは太刀を腰にさしてアズリアの近くに待機した。
「海賊たちが船団を組んでいるということは、これは計画的な襲撃か………」
「そうだと思います。この航海の予定は特に秘密にしていたわけではないので、奴らがどこから知っても不思議はないのですが………」
シラクサから大陸のカルフィスクへ向かうとなればその航路は限定される。だから海賊たちは知りえた予定をもとに航路上で待ち伏せしていたのだろう。
ただ普段は単体で行動している海賊船が、七隻も集まって船団を作っているのは少なからず驚きである。シラクサにアルジャークの第二艦隊がおかれたことで、海賊への締め付けが厳しくなったことも関係しているのだろう。
「張り帆を増やせ!速度を上げろ!」
カティ・サーク号はもともと足の速い船である。総帆を張っていては、速力よりも積載量を優先して設計してある貨物船など置き去りにしてしまう。ましてこの船団の商船は荷物を満載しているのだ。足はさらに遅くなる。加えて船団で船足をそろえるには、もっとも遅い船に合わせるしかない。必然的に船足の速いカティ・サークは総ての帆を張るこはせず、幾つかの帆を畳んで船足をそろえていた。
艦長の号令がかかると、畳まれていた白い帆が張られて風を受けた。舵を左にきり、海賊の船団と商船の船団の間に割り込むように進路を取る。襲われた船団のほうは、むしろ右寄りに舵をきりなるべく海賊船から離れようとする。
(先頭の軍艦は援護には来ないか………)
船の動きを目で追っていたジルドは、心の中でそう呟いた。しかしそれは当然のことである。先導をしているその軍艦が役目を放棄してこちらに援護に来れば、この非常事態に船団は統率者を失うことになる。そなれば事態は混乱し、それこそ海賊たちを利することになるだろう。
そうこうしているうちに、海賊船が肉眼でもはっきりと見えるようになってきた。その数七隻。それぞれ微妙に異なる髑髏の旗を掲げている。
「アズリア!狙えるか!?」
艦長の声が飛ぶ。海賊の船団とカティ・サークの間の距離は、普通に弓を射ても届かない。しかしアズリアの持つ「|夜空を切り裂く箒星《ミーティア》」ならば、この距離でも敵船団を狙い撃てる。
「やってみます!!」
アズリアの前で大きな盾を構えていた兵士が退き場所を空ける。海上の大きなうねりのせいで揺れる船の上で、アズリアは足に力を入れて踏ん張り白銀の魔弓を引いた。込められた魔力は収束して光の矢をつくり、その矢は張りつめた弦が奏でる甲高い音と共に放たれた。
放たれた光の矢は、しかし敵船に当たることなく海に突き刺さり大きなしぶきを上げた。アズリアが立て続けに放つ二射目、三射目も同じ結果となる。船の上の海賊たちはもしかしたら思いがけない攻撃に動揺しているのかもしれないが、船自体はそのような動揺とは無関係にこちらへ接近してくる。
「どうしたのだ?」
「波が………高い。せめて足場が安定していれば………」
攻撃を外したアズリアは悔しそうにそう呟いた。単純に目標物が動くだけならば、それを射抜くことはそう難しいことではない。まして相手は船舶である。その巨体に当てるだけならば、弓術を極める必要などない。
しかし今の状況ではアズリアの足場までが大きく揺れ動くのである。自分が動き、また距離があるこの状況下では、目標を射抜くのはなかなか難しい。
無論、船の上での射撃訓練は積んでいる。しかし、ここまで波が高い状況はアズリアにとっては初めてで、経験不足が露呈した形となる。
「もう少し距離が縮まれば………」
当てることは出来るだろう。しかし確実に当たる距離まで接近を許せば、海賊たちは商船に食らい付くだろう。向こうは七隻でこちらは一隻。その上、敵は追い風に乗ってやってくるから船足が早い。対処しきれないことは眼に見えているし、恐らくは負ける。
勝つためには、一方的に攻撃できる今のうちに敵船を沈めておく必要がある。こちらに一方的に船を沈めるだけの戦力と手段があることを知れば、海賊たちは必ずや動揺し隙が生まれる。その隙をついて彼らの手の届かないところへ逃れる。それしかないように思えた。
「アズリア!帆を狙え!」
唇を噛むアズリアにカティ・サークの艦長が指示を飛ばす。大きく広げてある帆ならば、当てるのは簡単だ。しかも風を受けている以上、一度穴が開けばそこから帆は裂ける。そうなればうまく風を受けることはできなくなる。
「しかしそれでは!」
船を沈めることは出来ない。
「帆が破れれば船足が落ちる!そうすれば船団も逃げ切れるかもしれないし、そうでなくとも時間差が生まれれば各個に対処できる」
さらにマストに当たって折れてくれでもすれば儲け物である。それに船乗りというのは帆を破られるのを嫌うものだ。船が沈む危険がなくとも、帆が破られるとなれば恐らく相手の動きは乱れる。
「分りました!」
アズリアは再び「|夜空を切り裂く箒星《ミーティア》」を構え、光の矢を放つ。放たれた閃光は海賊船の大きな横帆を貫いた。アズリアは立て続けに白銀の魔弓を引き閃光を放ち、放ったのと同じ数だけ海賊船の帆に穴を開けた。穴が開いた帆はそこから裂けてしまい、集中的に狙った三隻ほどが目に見えて船足を落とした。
「くっ………!」
しかしそれでもアズリアの表情はさえない。マストを折ることはできていないし、無傷の海賊船四隻が随分と接近してきている。この全てにカティ・サーク一隻で対処することはまず無理だ。交戦状態に入れば、恐らく半分は取り逃がして船団のほうに向かわれてしまう。また帆を破られた三隻も、逃げることなくまだこちらに向かってきている。
「さて、ではワシも仕事をするとするか」
そういってジルドはおもむろに前に出て、身を海に投げた。その行動に船の中からは悲鳴があがる。だがその悲鳴はすぐに驚愕の声に変わった。
ジルドは、海の上を滑るようにして移動していたのである。無論、魔道具「風渡りの靴」の能力だ。彼は大きくうねる海面をいとも簡単に進み、そして大きな波を利用して飛び上がり一隻の海賊船の船首に着地した。
「な、何者だ!?」
ありえない方法で突然にやってきた侵入者に、海賊たちも動揺を隠せない。ただし敵であることは確実なので、それぞれ武器を持って身構えている。
「ワシの名はジルド・レイド。仕事なのでな、うぬらを斬る」
ジルドはそういって堂々と一歩二歩と前に出る。その様子に気圧されたように、海賊たちはじりじりと後ろに下がった。
(コイツ………、只者じゃねぇ………!)
海賊たちの誰もがそう感じた。ジルドの雰囲気、風格、眼光、その全てに海賊たちは圧倒されている。
ドン、とジルドは船首の一段高くなったところから甲板に下りた。「万象の太刀」はまだ鞘に収まった状態で彼の左手にあり、その様子は一見して隙だらけだ。しかし海賊たちはまだ攻撃を仕掛けられずにいる。
ジルドの右手が、太刀の柄を握る。たったそれだけの仕草でその場の緊張は極限まで高まった。たった一つ些細なきっかけがあれば、緊張は破裂し血みどろの戦闘が開始されるだろう。
ジルドが口の端をわずかに歪ませる。その次の瞬間、「万象の太刀」が神速できらめき鞘から解き放たれた。
ジルドが振りぬいた「万象の太刀」はただ空気のみを切り裂き、血に濡れることはなかった。しかし、「ボコン!」という鈍い音と共に、四人ほどの海賊が吹き飛ばされて宙をまった。
(ふむ。切り裂くことは出来なかったか………)
鍛錬が必要だな、とジルドは一人心の中でごちる。恐らく吹き飛ばされた海賊たちは、まるで昆のような長い棒で殴られたかのように感じただろう。
――――森羅に通ず。
古代文字(エンシェントスペル)でそう刻まれた、銀色の刀身が太陽の光を浴びて輝く。
海賊たちはジルドが何をしたのかは分らなかった。しかしこの男が何かをした、ということだけははっきりと分った。
「あぁぁあああぁぁあああぁぁあああぁぁぁあ!!!!」
一人が発した奇声がきっかけとなり、海賊たちはジルドに向かって殺到した。目には殺意よりは恐怖が浮かんでいる。
「この怖いやつを排除したい」
彼らの心のうちを言葉で表現すれば、たぶんこうなるであろう。しかしその願望はジルドには届かなかった。
同時に襲い掛かってきた三人の海賊のうち、ジルドから見て右側にいた男を斜めに切り上げ、さらに左手に持った鞘で真ん中の男のみぞおちを突いて悶絶させる。
二人がほぼ同時に崩れ落ち道が開くと、ジルドは一気に加速した。短剣を振りかぶった男の腕を切り飛ばし、その返り血を浴びるより早く駆け抜ける。後ろから襲い掛かってきた男は、振り返りもせずにただ鞘を後ろに突き出して撃退した。槍で突かれれば軽くいなして軌道を変え反対方向から攻撃してきた海賊に突き刺し、仲間を指してしまって動揺しているその顔を鞘で殴り飛ばす。
海賊たちの攻撃が一瞬途切れたその隙に、ジルドは再び駆け出しメインマストを一瞬で横切りそこに銀色の斬線を残した。
――――ギ、ギギィィィギギギィィ………!
耳障りな音を立てながらメインマストがロープなどの艤装を巻き込みながら倒れる。ジルドは船のことは良く分らないが、メインマストが一本折れた状態でまともに航海が出来るとは思えない。
「この野郎!」
マストを折られたことで恐怖に怒気が混じった海賊たちがジルドを取り囲んで一斉に襲い掛かる。しかしジルドはその場から動かず、太刀を逆手に持ち直すとそのまま勢い良く鞘に収めた。
――――チィィィン!
澄んだ金属音が鳴り響く。その音を聞いた瞬間、海賊たちの視界が回転した。足を滑らせて転んだかのように彼らは甲板に倒れこみ、立ち上がろうとしても体を直立させることが出来なくなっていた。
後にジルド自身が「鍔鳴り」と名付ける、「万象の太刀」を用いた刀術である。効果としては、人には聞こえない超音波を発して平衡感覚を麻痺させる魔道具、「風笛(トウル・ノヴォ)」に似ている。
ジルドの新しい愛刀である「万象の太刀」の能力は、「魔力に干渉すること」である。しかしそれだけでは、以前に彼が使っていた「光崩しの魔剣」と同じである。同じ魔道具をわざわざイストが作るはずもなく、「万象の太刀」は「光崩しの魔剣」を超える能力を持っていた。
無論、「光崩しの魔剣」と同じく「魔力に干渉してこれを散す」ことも当然できる。それに加えて「万象の太刀」は「自分の魔力に干渉して物理現象を引き起こす」ことができるのである。
ヒントは、ジルドがイストとの稽古でよく使っていた「霞斬り」である。これはあらかじめ拡散させておいた自分の魔力に干渉して、相手の魔力を散して攻撃を阻害するものだが、これは自分の魔力ならばより簡単に干渉できることを示していた。
さらにイスト自身の戦闘術も参考になっている。イストは「光彩の杖」で魔法陣を描き種々様々な効果を得ている。つまり「魔法陣を描く」という余計なステップを一つ挟むことで、一つの魔道具としてはありえないバリエーションを実現しているのである。
この「魔法陣を描く」というステップを、「魔力に干渉する」ことで置き換えられないだろうか。イストはそう考えたのである。
現状でも「自分の魔力を拡散させそれに干渉する」ことは出来ている。あとは干渉した魔力になんらかの方向性や形を与えてやればいい。そしてそれを可能にしたのが、ほかでもない“四つの法《フォース・ロウ》”であったのだ。
このように言葉で説明してみれば、なるほど簡単で誰でも出来そうな気がする。しかしそれは絵のかき方さえ教われば誰でも優れた芸術作品を描ける、と言っているのと同じである。
イストがやっているように魔法陣を描きそこに魔力を込めるというのであれば、練習次第では誰でもできるようになるだろう。これは例えるならば、定規などの道具を使って図形を描くことに似ている。
しかしジルドがやって見せたように方向性や型を持たないただの魔力に干渉し、望みどおりの現象を引き起こすことは想像を絶するほどに難しい。絵を描くだけならば誰にでも出来るように、真似事ならば誰にでも出来るだろう。しかし、この「万象の太刀」という魔道具を使いこなすには、人並みはずれた実力と天性のセンスが必要なのである。
この「万象の太刀」は極めて扱いづらい魔道具と言わざるを得ない。しかしひとたび使いこなせば、直感的かつ感覚的にあらゆる現象、まさに万象を操ることが出来るようになるのだ。理論的には炎や雷などのはっきりとした物理現象を引き起こすことも可能である。それはつまり千の魔道具を持つことに匹敵し、使い手によっては勝ることさえ可能であろう。
万象を操り、森羅に通ず。それが「万象の太刀」だ。
ジルドは海賊たちが倒れこむのを確認すると、その次の瞬間には二隻目の海賊船に向かって身を海に躍らせていた。足に履いた「風渡りの靴」に魔力を込め、再び海面をすべるようにして接近していく。
当たり前だが、二隻の船の間の距離は先程よりもずっと短い。ジルドに目をつけられた海賊船からは、ひっきりなしに矢が飛んでくる。たった一人を狙うにしてはやりすぎに思えるほどの数の矢であったが、それだけジルドを警戒し恐れていることの裏返しでもあった。
そうやって放たれた大量の矢は、しかし一本としてジルドの体に刺さることはなかった。ジルドは大きな波を利用して一気に飛び上がることで矢を回避し、そのまま空中を滑るようにして滑空距離を伸ばし海賊船の甲板の細い淵に着地した。
「あっ!」
弓を構えていた海賊たちがジルドのありえない動きに驚きの声を上げる。着地は一瞬。足場を得たジルドは、四肢に力を込めてメインマストに向かって跳躍した。そしてその跳躍の最中、太刀の柄に右手を添えて抜打ちを放つ。
神速できらめいた銀色の刀身は、しかし大気を切り裂いただけで何物にも触れはしなかった。だがメインマストには斬線が一筋斜めに刻み付けられている。そしてやはり一隻目と同じように、ギシギシと耳障りな音を立てながら周りの艤装を巻き込み倒れた。
(ふむ。目標を絞れば比較的簡単だな………)
周囲に拡散させた自分の魔力に干渉し、刃を形成して飛ばす。最初に複数の海賊を吹き飛ばしたときは数が多くて刃になりきらなかったが、形成する刃が一つだけであれば比較的簡単に放つことが出来た。
一つ頷き次なる獲物を探すと、残りの五隻の船はすでに転進してジルドのいる海賊船から離れようとしている。帆を見ればうまく風を受けることが出来ずにばたついている。それが海賊たちの動揺を如実に現しているように思えた。
生身の人間が単身で海を駆け抜け敵船に乗り込み、あまつさえメインマストを一刀両断するなど、海賊たちの常識では考えられないことだ。しかしそのありえないことは現実におき、しかも二隻が航行不能に陥っている。
襲うはずの側が、いつの間にか襲われている。その立場の逆転もあり、海賊たちはすでに恐慌状態に陥っていた。カティ・サークの任務は船団の護衛であり、これらの海賊船を全て沈める必要はない。
「あの船団を襲うことさえしなければ、これ以上何かしようとは思わん」
帆が破られた船もあるとはいえ、いまだ五隻の海賊船が健在である。これだけあれば航行不能になった船の海賊たちも収容できるだろう。
「が、まだ諦めんというのであれば仕方がない。全て沈めるまでよ」
不敵に笑いそう脅しをかけてからジルドは船から飛び降り、ジルドは海の上を滑ってカティ・サークへ戻った。戻る最中に海賊船の動きを確認したが、船団を襲おうという意思は感じられなかった。
「すごい!すごいですよ!ジルドさん!!」
カティ・サークの甲板に着地すると、顔見知りになった兵士たちが興奮した様子で出迎えてくれた。一時は七対一という絶望的な戦いを覚悟しただけに、喜びもひとしおである。
「貴様ら!まだ安全圏に離脱したわけではないぞ!」
艦長の激が飛び、兵士たちは慌てて持ち場に戻る。しかし海賊船はこれ以上近づく様子は見せなかった。結局マストに登った見張りが、目視で海賊船の船団を確認できなくなってから戦闘配置は解除された。
こうしてアズリアにとって海上での初めての実戦は、ジルドがほとんど全てを片付ける形で幕を下ろしたのである。