「またのおこしを」
店主の声を背中に、イストとヒスイは繁華街の外れにある宝石店を後にした。合成石はそれ自体が装飾品としても使われるので、魔道具素材の専門店でなくとも宝石店に行けば大体扱っている。しかしイストはこの店では合成石を一つも買ってはいなかった。
「アテが外れたね………」
「ある意味当然だけどな」
確かにこの宝石店でも合成石は扱っていたし、その中にはシラクサの工房で作られたものもあった。しかしその原材料までは把握していなかったのだ。代わりに仕入先の工房を教えてもらったので、二人はこれからそちらに向かうことになる。
夏も過ぎ去り、大陸の北のほうではすでに雪が積もっているような季節だが、南の島であるシラクサでは燦々と太陽が輝いている。その上、今日は特に暑いようにヒスイは感じた。薄っすらと汗が滲むのを感じながら隣に視線を向けると、そこには涼しげに歩くイストの姿がある。
イストの姿は少しばかり珍妙だ。彼が着ているのは、シラクサの人々が日常的に来ている筒型の長衣で、それをコートのように羽織って腰帯で止めている。それだけ見れば特におかしなところはない。ただシラクサではさらに袴を履くのが一般的だが、イストの場合その長衣の下に着ているのが肌着を含めていわゆる大陸の服なのだ。ヒスイの家に泊まるようになってからまだ数日しかたっていないが、イストはこのシラクサの長衣が気に入ったのか、最近ではこのスタイルで通している。
「面白い着こなし方ね」
最初にイストのその格好を見たとき、ヒスイはやはり違和感や可笑しさを覚えた。しかも、似合わないわけではないのだ。それどころかその格好が妙にイストに似合っていて、それがまた面白かったのを覚えている。
シラクサの長衣とその下に着ている大陸の服も合わないわけではない。長衣の下に着ているものはイストの好みもあるのかシンプルなもので、言ってしまえば何にでもあう服だ。加えてイストが堂々としているため、なんだかその着こなしの仕方が普通で当然のことのようにも思えてくるから不思議だ。
「いいわよね………、それ」
自分の隣を涼しげに歩くイストを、ヒスイが少しうらやましげに見上げる。
今着ている長衣は彼が自分で買ってきたものなのだが、なんと魔道具化してあり気温の調節が出来る。ヒスイも一度借りて着てみたのだが、驚くほどに涼しく、まるで夜の涼しい空気を昼間に持ってきたようだった。
なんでも「旅人の外套(エルロンマント)」という、イストたちが日常的に使っていた魔道具と同じ術式を刻印したという。ただ、効率はそれほどよくはないといっていた。
「本来なら布地を織る前の糸の状態か、それが無理なら裁断する前の生地の段階で刻印するのが一番いい」
イストはそういっていたが、ヒスイには良くわからなかった。そばで聞いていた彼の弟子であるニーナは頷いていたが。
難しい話はわからなくても、今イストが着ている長衣があれば、暑いシラクサの夏に大変重宝することは簡単に想像がつく。来るべき次の夏に備え、ヒスイはこっそりとイストの長衣を狙っていた。
「これじゃあ、サイズが合わないだろう?」
「む………」
イストがからかうようにそう言うと、ヒスイは少し顔をしかめた。
シラクサでは男女の服装に大きな差はない。筒型の長衣を帯で締め、足には袴を履く。これが一般的なスタイルだ。そのためシラクサの人々は布地の染色や組み合わせ、袖口の大きさや飾り、あるいは刺繍を施したり帯の巻き方や種類に変化をつけてお洒落を楽しむのだ。
しかしだからといって、全ての衣服が同じ大きさであるはずがない。背丈の異なるイストとヒスイでは、当然着ている服の基本的なデザインは同じでもサイズが異なる。仮に今イストが着ている長衣をヒスイ用に仕立て直すとしたら、丈と袖の長さを短くし肩幅を狭めて、とかなり大掛かりな作業が必要になる。
「私はそれでも別に………」
諦めきれない様子でヒスイはそういった。これでも彼女は裁縫が得意である。仕立て直すぐらい、時間はかかるかもしれないがやろうと思えばいくらでも出来る。
「ていうか、そんな大胆に改造したら魔道具としては使い物にならないよ」
「え?そうなの?」
まったく考えていなかったことを指摘されてヒスイは目を丸くした。
「そ。核を用意してそっちに刻印してあるなら大丈夫だけど、これは直接刻印したからな」
糸がほつれたくらいならともかく、切って縫ってなんてしたら確実にアウト、とイストは言う。
「そっか。残念」
努めて軽い口調でそういい、ヒスイは肩をすくめた。ただ、未練があることはその顔を見れば一目瞭然である。随分と幼く見えるその表情に、思わずイストの頬が緩む。
「なによ?」
「いやなにも」
軽くねめつけてくるヒスイからイストは視線を逸らし、笑いをかみ殺すために煙管型禁煙用魔道具「無煙」を取り出して吹かした。
「そんなに欲しいなら、今度作ってやろうか?」
「いいの!?」
白い煙(水蒸気だが)を吐き出しながらイストが言った言葉に、ヒスイの表情がパッと明るくなる。
「ああ。刻印するだけなら別にいいよ。時間もそんなにかからないし」
ただ素体、つまり刻印する服だけは自分で用意してくれよ、とイストは言った。
「ん。わかった。了解。近いうちに用意するわ」
嬉しそうにニコニコしながらヒスイはそう応じた。ちなみに、後日イストはヒスイから服を用意したから魔道具にして欲しいと頼まれたのだが、用意された長衣を見て頬を引きつらせた。なんと五着も用意してあったのだ。
「着替えは必要でしょ?」
こともなさげにヒスイはそう言い、にっこりと笑顔を浮かべた。その笑顔になぜか薄ら寒いものを感じたのは、イストの気のせいではないはずである。そしてその様子を見ていたニーナが、ヒスイに尊敬の眼差しを向けていたとかいなかったとか。
結局ヒスイの笑顔におされたイストは五着全てに面倒くさがりながらも刻印を施した。ヒスイは終始ご満悦だったとか。
それはともかくとして。
「煙草が好きなの?」
紹介してもらった工房を目指し通りをのんびりと歩いていると、ヒスイが唐突にそんなことをいいだした。彼女の視線はイストが吹かす「無煙」に向いている。
「いや、コイツは禁煙用の魔道具で『無煙』っていう。煙草じゃないよ」
煙も水蒸気だしな、とイストは笑った。確かに煙草独特のあの臭いは、イストが持つ煙管からはしてこない。
「禁煙してるの?」
「いや?前に依頼されてな。気に入ったから自分でも使ってるんだ」
口元が寂しいときがあってなとイストが言うと、ヒスイは「ふうん」と頷いてから、「おじいちゃんも同じようなこと言っていたわね」と小さく呟いた。
吸ってみるか、とイストが「無煙」を差し出すと、ヒスイは手を振って遠慮した。ちなみにシラクサにおいてタバコを吸う女性は、その筋の女性だけである。まっとうな一般女性であるヒスイは、煙草を吸いたいと思ったこともないだろう。
「それにしても煙管だなんて、珍しいわね」
「そうか?シラクサではむしろ一般的だと思うけど」
確かにシラクサではタバコを吸う際には煙管を用いるのが一般的だ。しかしそれはあくまでもシラクサでの話で、大陸ではパイプや葉巻が一般的だ。
イストが「無煙」を作ったのは大陸だから、そちらの習慣に合わせるならば形状はパイプにすべきで、そこをわざわざ煙管にしたところをヒスイは珍しいと言ったのだ。
「イストってもしかして、家族にシラクサの縁者がいるの?」
「なんでそう思う?」
「煙管の事もそうだけど、目も髪の毛も黒いし………」
どことなくシラクサに通じるものを感じる。ただヒスイの歯切れは悪いし、イストも苦笑している。
「煙管にしたのは完全にオレの趣味だし、黒目黒髪は大陸にだってたくさんいるぞ」
イストにそう指摘されると、ヒスイは「そうよね………」と呟いた。もともとたいした根拠があって言い出したことではないのだ。
「ま、オレにシラクサの血が流れているかなんて、もう調べようはないけどな」
「どういうこと?」
「オレは孤児だからな」
自分が孤児院に捨てられそのため実の親については何も知らないこと。その孤児院自体が盗賊に襲われて壊滅し今はもうないこと。逃げ延びたところを師匠であるオーヴァに拾われて、それ以来旅を続けていること。イストは自分のことを淡々と、まるで他人事のように語った。
「………ごめんなさい」
「なんで謝る?オレが勝手に話しただけだ」
「でも……、辛いことを思い出させてしまったから………」
だからごめんなさい、とヒスイは歩きながら少しだけ頭を下げた。だが謝られるとイストのほうが苦笑してしまう。別に湿っぽくするために自分の過去を話したわけではないのだが。
「いいって。それよりもさ………」
努めて明るく、そして気にしていない風に振る舞い、イストは話題を変えた。少々強引で急ではあったが、イストの意図をすぐに察したヒスイはその話題に乗った。変に湿っぽくなってしまった空気はすぐに明るくなり、気分も軽く二人は目的の工房へと向かったのであった。
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宝石店で紹介してもらった合成石を作っている工房は、「紫雲」と同じく郊外にあった。というより、工房のような無骨で華のない施設を繁華街のど真ん中に作っても顰蹙(ひんしゅく)を買うだけだろう。
「失礼ね。ウチはちゃんと華のある商品を作ってます」
いかにも心外そうな顔でヒスイはそう言う。しかし自分で言っておいて可笑しかったのか、すぐに噴き出して笑ってしまった。無論、「華がない」というのは工房で作られる作品のことではなく、工房の外見そのもののことである。
「さて。この工房はウチみたいにちゃんと華のある商品を作っているのかしら?」
「どうかな。期待しないほうがいいと思うが」
「あらどうして?ここは合成石を作ってるんでしょ?合成石は綺麗じゃない」
「あれはカッティングして磨いてあるから綺麗なんだ。出来上がったばかりの合成石はそんなに綺麗じゃないよ」
天然の宝石と同じだよ、とイストは「無煙」を吹かしながら言った。ヒスイは気づかなかったが、その言いぶりは明らかに自分で合成石を作ったことがあることを示唆している。無論、「狭間の庵」にある専用の設備を使って作ったのだが、本職の錬金術師でもないイストがそんなものまで持っているのである。歴代のアバサ・ロットたちは本当にでたらめかつ節操なく設備を揃えたものである。
「ああ、でもカッティングもこの工房でしていれば華のある商品を拝めるかもな」
そんなことを話しながら、二人は工房の門を叩いた。応対に出てきた人に紹介してもらった宝石店の名前とここへ来た用件を話すと、すぐに奥へ通される。どうやらこの工房も「紫雲」と同じく、奥に応接室を用意してあるらしい。
通された応接室でしばらく待っていると、親方を名乗る壮年の男性がやってきた。一見すればどこにでもいそうな外見だが、その手を見れば彼が熟練の職人であることはすぐにわかる。
「あんた達か。ウチの合成石を見たいというのは」
「そ。ただ、原材料がすべてシラクサで揃うものがいいんだ」
「面白い注文だな」
そんな注文をつけてきたヤツは初めてだ、と言いながら親方は作っている商品の品目を持ってきて、さらにそこに印をつけていく。それからその品目をイストに見せた。
「そこに印をつけたやつが、シラクサで採れる原材料のみで作っている合成石だ」
「結構多いな」
品目表にざっと目を通したかぎり、ここで扱っている合成石の種類はおよそ十。その内の七つに印がつけられている。
「他所から原材料を仕入れるとなると、船をつかわにゃならん。そうなると、どうしても高く付くからな」
シラクサは周りを海に囲まれ孤立している。そのため外から安定的に物資を持ち込むことが難しい。価格が高くなるのも問題だが、仮に仕入れが途絶えたときに商品を作れなくなるのが一番の問題だ。安定して商品を作り続けるには、シラクサにあるものを使うしかない。
「なるほどね」
そう答えてからイストは品目表から目を離し、親方のほうを見た。
「これ、原材料名に使ってるか、教えてもらえない?」
「駄目だ」
「配合比率や作業手順がわからなきゃ同じ物なんて作れないだろ」
「それでも駄目だ」
親方は頑なに拒否する。しかしそれも当然であろう。イストが同じものを作らないとしても、同業のライバルが原材料を知ればある程度の配合比率や作業手順について予測はついてしまう。手の内を知られては競争を生き残れないのは、どの業界も一緒である。
無論、イストとてそのことは知っている。だから肩をすくめると、それ以上頼み込むことはしなかった。
「この七つを十個ずつくれ。それぞれ種類が分るようにしてもらえると助かる。あと、領収書が欲しい」
「まいど」
親方は応接室から声をかけて人を呼び、商品を持ってくるように言いつける。それが終わると親方は「ところで………」と話を切り出した。
「同じ合成石を十個ずつ買い込むとは………、なにか面白いことでもはじめるのか?」
「ん?まあね」
「………儲け話なら、一枚噛ませてもらいたいんだがな」
流石に商売人である。なかなかいい嗅覚をしている、とイストは苦笑した。
「さて、ね。オレも雇われ人だからな。そういう話はコッチとしてくれ」
そういってイストはヒスイのほうを指差す。突然話を振られたヒスイは困惑顔だ。
「ちょっと、私にそんな話を振らないでよ」
「かといってオレが進めていい話でもないだろう?」
「それはそうだけど………」
ヒスイは確かに工房主であるセロンの娘だが、かといって工房の仕事に携わっているわけではない。直営店を任されてはいるが、その役割も完全な店番で、工房も含めた経営方針はすべてセロンが決定している。
「シスイならある程度話も分ると思うんだけど………」
ヒスイの三つ下の弟である紫翠(シスイ)は、父親の背中を追ってガラス職人になるべく工房で修行している。経営や魔ガラスの開発にどの程度関わっているかは分らないが、少なくとも完全に門外漢であるヒスイよりは適任のはずである。
結局、イストとヒスイの二人では踏み込んだ話はできず、ガラス工房「紫雲」の名前だけ伝えて二人はこの工房を後にしたのであった。
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セロンの家は代々ガラス工房を営んできた。今の彼の家の生活水準は平均的なシラクサの家庭とだいたい一緒だが、何代か前には大陸との交易で一財産を作り上げそれなりの生活をしていたとも聞く。
そのおかげで、彼の家は生活水準のわりには大きい。どのくらい大きいかと言えば、家族四人に加えて客人を三人泊められるくらいには部屋数がある。さらに言えば部屋数があるだけではない。池のある大きな庭がセロンの家にはあった。
もっとも、「広すぎるのも考えものだ」というのがヒスイの意見である。広すぎて掃除が間に合わないし、古い家だからあちこち修繕も必要である。広い庭の手入れには多くの時間がかかり、結婚している暇もない。まあこれは自業自得のような気もするが。
それはともかくとして。
朝早く、日が上る前の朝露の湿度が心地よい時間に、その広い庭で二人の男が向かい合っている。イスト・ヴァーレとジルド・レイドである。シラクサに来てからもジルドは朝の鍛錬を欠かすことはなく、彼以外適当な人物もいないということでイストは毎朝ジルドにつき合わされていた。ちなみにこれまでの対戦成績はジルドの全勝、イストの全敗である。
ジルドは鞘から刀を抜き正面に構える。古代文字(エンシェントスペル)が刻まれた銀色の刀身が、明けきらない朝の静謐な空気の中で青白く輝いた。豪壮なその長刀は、体格に恵まれたジルドに良く似合っている。
魔剣「万象の太刀」
シーヴァ・オズワルドとの仕合で砕けてしまった「光崩しの魔剣」の代わりに、最近イストが作り上げたジルドの新しい愛刀である。
ジルドに相対するイストの手には、彼の身長よりも少し長いくらいの杖が握られている。その杖の先端部は歪曲していて、ところどころに金属のコーティングがなされている。イストが愛用している魔道具「光彩の杖」である。
ジルドが太刀を構えたのを見ると、イストは杖に魔力を込め空中に魔法陣を描いた。その数、全部で十二。攻撃用と防御用を六つずつである。
魔法陣の展開を確認したジルドは、腰をわずかに落とし四肢に力を込める。両者の間に緊張が溢れ、鋭い視線が擦れて不可視の火花を散した。
イストがわずかに口元を歪ませ、攻撃用の魔法陣魔力を込める。それが合図となった。一斉に発射された光線は全てジルドに向かって殺到するが、それが彼に触れることはなかった。ジルドが「万象の太刀」を一閃すると、光線は全て形を失って散乱し、ただ彼の周りで淡く輝きそして消えた。
光が全て消える一瞬前、ジルドは地面を蹴って前に出た。イストもそれを迎え撃つべく、でたらめに光線を乱射してジルドの行く手を阻む。
イストの攻撃のほとんどは地面に当たっている。しかしその結果、土がえぐられたりとすることは少しも無い。これまでの対戦の経験上、自分の攻撃がジルドには当たらないことを悟ったイストは、威力度外視の低出力で魔力を節約する方向に切り替えたのだ。つまり、今彼が放っている光線には物理的破壊力というものが皆無なのである。仮に当たったとしても、指でつつかれた程度の痛みも感じることはあるまい。
イストが乱射する光線を、ジルドは「万象の太刀」で無効化することなく、縦横無尽に動き回って回避していく。ときには空中で体を捻ったり方向を変えたりして、まさに三次元機動で攻撃を回避していく。
ジルドは乱舞する光線を全て紙一重でかわしていく。次に彼が足をつけたのは、なんと庭に設けられた池の水面であった。
わずかな波紋のみつくって、ジルドは水面を滑る。イストは池に向かって光線を乱射するが、ジルドはなめらかに水面を滑ってそれを全てかわしていく。水面に当たった光線が反射して、池は黄金色に輝いた。
ジルドのありえない動きには、無論理由がある。
魔道具「風渡りの靴」
かつてイストがニーナの父が営む工房「ドワーフの穴倉」を間借りしていた時に作った魔道具である。これは風の上を滑るようにして移動できる魔道具で、イストはこれをアルテンシア半島にいたときにジルドにわたしていたのである。
この魔道具を自分のものにしたジルドは、もともとの神速に加えて圧倒的な機動手段と機動空間を手に入れ、その動きはもはや人の域を超えている。この余人が決して真似することのできない機動性は、優れた剣術と共に今や彼の大きな武器となっていた。
その機動性を駆使して、ジルドはイストとの距離を瞬く間に縮めていく。イストもただそれを見ているだけではない。火力(当たっても傷一つ付かない火力だが)を集中して迎え撃ち、さらにあらかじめ展開しておいた防御用の魔法陣を移動させてジルドの進路を塞ぐ。しかし………
「ハァ!!」
気合のこもった声とともにジルドが「万象の太刀」を一閃させると、放たれた光線と展開されていた魔法陣が全て一瞬のうちに斬りかされた。
あらかじめ拡散させておいた自分の魔力に干渉して、相手の魔力を散して攻撃を阻害する。「光崩しの魔剣」を使っていた頃から得意とし、ジルド自身が「霞斬り」と名付けた刀術である。
イストが用意していた策を全て潰したジルドは、一気に間合いを詰めようとして四肢に力を込め、しかし反射的に横に飛びのいた。一瞬前まで彼がいた空間を、渦を巻いた圧縮空気の砲弾が大気を引き千切りながら飛んでいく。イストのほうに視線を向けると、新たな魔法陣が三つ、すでに展開されていた。
「展開のスピードが速くなったではないか」
「いつまでも同じ展開でやられるのはシャクだからな!」
イストは展開した魔法陣にさらに魔力を込め、圧縮空気の砲弾を次々に打ち出していく。ジルドはそれを「万象の太刀」で切り裂くことはせず、「風渡りの靴」を駆使してかわしていく。かわされた空気の砲弾はそのまま風に溶けていくか、あるいは地面に当たって草を揺らした。やはり威力は意図的に低く設定してある。
「やはり厄介だな、これは」
イストが撃ち出す空気の砲弾は「万象の太刀」では無効化することは出来ない。なぜならそれを構成しているのは純粋な空気だからだ。魔法陣で空気を圧縮し、指向性を持たせて打ち出しているのだ。魔力を含まない純粋な空気に対して、「万象の太刀」は干渉することが出来ない。
「不可視のこの攻撃をあっさりと回避しているアンタが言っても説得力がない」
圧縮空気の砲弾は当然のことながら目には見えない。しかしジルドはまるでそれが見えるかのようにたやすく回避していく。
「そうか?魔法陣の向いている方向と風の流れにさせ気をつけていれば、それほど難しくはないぞ。連続性と速度は光線のほうが上だしな」
凡人に天才の感覚が分らないように、天才も凡人の感覚は分らないものなのだろう。戦闘に関しては凡人を自認するイストはため息をついた。そうしている間にもイストは空気の砲弾を撃ち出し続け、ジルドはそれを軽々と回避していく。
「とはいえそろそろ朝食の時間だな。終わりにするぞ」
そういってジルドは足に力を入れて飛び上がり、「風渡りの靴」に魔力を込めて、イストが撃ちだした圧縮空気の砲弾を足場にしてさらに前に出た。
「はあ!?」
「ふむ。うまくいったようだな」
ジルドが履いている「風渡りの靴」は、風の上を滑るようにして移動するための魔道具である。つまり空気を足場に出来るのだ。この魔道具を作ったのはイストだから、彼自身そのことは承知している。しかし元来不可視で、しかも襲い掛かってくる空気の砲弾を足場にするという発想は彼の中にはなかった。
空気の砲弾を足場にして、ジルドは瞬く間に間合いを詰める。そしてそのままイストの頭上を飛び越えて彼の背後に着地した。
「にゃろ!」
慌ててイストは体を捻りそのまま「光彩の杖」を振りぬこうとするが、ジルドのほうが圧倒的に速い。イストが体を半分ほど捻ったところで「万象の太刀」の切っ先が下から突きつけられ、イストは降参したのであった。
対戦成績は、今日もジルドの全勝、イストの全敗で推移する。
**********
「相変わらず凄いわねぇ………」
感嘆とも呆れともとれる声で、翡翠(ヒスイ)は呟いた。
ヒスイの部屋には、庭に面した窓がある。彼女はその窓からジルドとイストの朝の鍛錬を見ているのだが、その派手さにはもはやため息しか出てこない。
光の線で描かれた魔法陣が幾重にも展開し、そこから放たれる閃光が幾筋も重なって乱舞する様はまさに圧巻である。仮に時間帯が夜であったなら、さぞかし幻想的であったろう。
しかしそれ以上にヒスイの目を奪ったのはジルドの動きである。彼の動きは非常に滑らかで、まるで舞いでも見ているかのような錯覚を覚える。その上、宙や水面を翔るその移動術はすでに人の域を超えており、刀を振るうその姿は戦神にも思えた。
ちなみにイストは稽古の間ほとんど動いていない。それも仕方がないだろう。仮に動き回ってジルドと戦ってみても、稽古の時間が短くなるだけで、長くなることはない。素人のヒスイがそう断言できてしまうほどに、ジルドの動きは常軌を逸している。
ヒスイが見守る先で、ジルドがイストの背後に回り、低い位置から刀の切っ先を突きつけている。一瞬の静止と沈黙の後、二人はゆっくりと離れて力を抜いた。
ジルドは満足そうな顔をしているが、イストは不満げで悔しそうな顔をしている。きっとジルドが勝ってイストが負けたのだろう。イストはアレで負けず嫌いな性格みたいだから、毎日毎日負け続けるのはシャクであろう。ただド素人のヒスイの目から見ても、イストがジルドに勝つ術があるようには思えなかった。
「あれだけ動けたら楽しいだろうなぁ………」
鳥のように空を飛んでみたい、という様な子供っぽい空想を抱いているわけではないが、ジルドのように風に乗って空を駆け回れたさぞかし気持ちがいいだろう。さっきは水面を滑ってもいたから、もしかしたら海の上を散歩したりもできるかもしれない。
「今度、ねだってみようかしら?」
ジルドの人間離れした動きには、無論理由がある。彼が足に履いている靴は「風渡りの靴」という魔道具で、これのおかげであの空を滑るような動きが可能なのだという。あの魔道具を作ったのがイストであるという話はすでに聞いている。頼めばもう一つぐらい作ってもらえないだろうか。
「最近、運動不足なのよね………」
店番を任されている直営店までの往復はもちろん歩きだし、家事だって結構な重労働なのだが、逆を言えばそれ以外に体を動かすことはあまりない。
(二の腕と太ももが………!)
最近、気になっている。二の腕をさすってみると妙に柔らかい。前はもっと固かったと思うのだが………。
運動しなければとは思うのだが、闇雲に動き回るのもなんだか虚しい。かといって日々の生活の中では、これ以上激しい運動をすることはたぶんないだろう。「風渡りの靴」はいいきっかけになるのではないだろうか。
いや、きっかけなどなくともそろそろ運動しなければまずい、気がする。
「………とぉ」
控えめな掛け声とともに、寝台の上に飛び乗る。柔らかい寝具の上は床の上に比べれば不安定で、それがなんとなく風に乗って雲の上に立ったように思わせる。
腕を広げ、さっき見たジルドの動きを真似て、寝具の上を撫でるようにして足を動かす。なんだか気分が乗ってきてその場で一回転してみたりして、狭い寝台の上を動き回る。風に乗るのはこんな感じなのだろうか。
「………何してんだ?お前」
呆れたようなその声に、思わず飛び跳ねて寝台から落ちてしまう。慌てて起き上がり部屋の入り口を見ると、呆れ顔のイストが笑いをかみ殺していた。
「ななな、なになになに………!」
「朝食ができたから呼びに来た」
「いいい、いついついつ………!」
「お前が深刻な顔して二の腕を擦ってる辺りから」
それではほとんど全てではないか。ヒスイは顔が真っ赤になるのを自覚して俯き、それでもまだ恥ずかしくイストに背を向けた。
「なにか………、言いたいことは?」
「ちなみに贅肉は腹回りから付くらしいぞ」
それはつまりどういう意味なのか。それを問う前にヒスイのお腹が控えめだが無遠慮に自己主張をする。
「クッ………!」
堪えきれなくなったのか、とうとうイストが噴き出す。
「しねぇぇぇぇええええええ!!!!」
羞恥心で顔を真っ赤にして、目じりに涙を溜めたヒスイが大声で叫ぶ。そして部屋にあるモノを手当たり次第イストに投げつける。
「ちょ……!まて!それはヤバイって!!」
逃げるイストめがけてヒスイが物を投げ続ける。二人の追いかけっこは、騒ぎを聞きつけたシャロンに一喝されるまで続くのであった。
**********
結局、二人の追いかけっこはシャロン仲裁のもと、イストが「風渡りの靴」をヒスイに作ることで決着した。
この件に関するメンバーの反応は次の通りである。
ジルド、セロン、紫翠(シスイ)のイストを除いた男性陣は賢明にも沈黙と非干渉を保った。実際のところ火の粉が降りかかるのが嫌だったのだろうが、ともかくこの件には関わろうとしなかったわけだ。
一方、ニーナは積極的にヒスイを援護しイストを追い詰めた。恐らく詳しい事情はわかっていなかったと思われるが「師匠(イスト)とヒスイならば、何かしでかすのはイストのほうだろう」という独断と偏見にもとづき、容赦なくイストを口撃したのである。師匠を師匠と思わないその苛烈さは、日ごろの“教育”の賜物であろうか。もっともイストのほうがまだまだ上手で、やり返されたうえにやり込められていたが。
シャロンは控えめにイストを援護していたが、仲裁している以上どちらかに肩入れしすぎることも出来ず、立場的にはおおむね中立であった。
当事者二人の反応は対照的であった。ヒスイが一時の激怒が過ぎ恥ずかしそうに俯いているのに対して、イストは面白いものが見れたと笑い反省の欠片すら見せない。もっともその“面白いもの”の中身を話そうとはしなかったが。
代わりにイストはこんなことを問いかけた。
「『風渡りの靴』、欲しいのか?」
そういわれてヒスイはさらに赤くなって顔を俯かせた。つまり自分が何をやっていて何がしたいのか、イストには完全にバレてしまったということだ。
とはいえチャンスであることは確かである。俯かせた顔は耳まで真っ赤に茹で上がり湯気が上がりそうで、とてもではないがイストの顔を見ることなどできず膝の上で握り締めた手ばかり見ていたが、それでもヒスイはわずかに頷きその魔道具が欲しいことを肯定した。
それを見たイストが大笑いしながら「了解了解」と言う。笑われたヒスイはさらに顔を俯かせた。ニーナがイストを怒鳴っているが、彼はどこ吹く風である。
「それはそうと、イスト」
話が一段落着いた頃、それまで傍観を決め込んでいたジルドが口を開いた。
「実は仕事でな、大陸のほうに行くことになった」
アルジャーク海軍では現在、貿易の振興策として大陸とシラクサの間を行き来する商船の先導と護衛を行っている。何隻かの商船で船団をつくり、その先頭と最後尾に海軍の艦が付くのだ。
これは海賊対策であると同時に、船団をつくりまた航海に熟練した海軍が先導することで安全性を高める目的があった。
それはともかくとして。護衛をする海軍が臨時の戦闘員を募集しており、ジルドはそれに応募したのだという。
「期間はどれくらい?」
「さて、三ヶ月から四ヶ月程度、といっていたが………」
航海は天候に大きく左右される。正確にどのくらい、と予測するのは難しい。もしかしたら四ヶ月以上かかるかもしれないし、逆に三ヶ月もかからないかもしれない。なにはともあれ、ジルドは長期間シラクサを離れることになる。
「いつ出航?」
「天気さえよければ明後日にも」
急な気もするがジルドはシラクサでなにかやっているわけでもない。彼が明後日からここを離れたとして、なにか仕事が滞るようなことはないだろう。
「ん、了解」
イストが軽い調子で答える。もとより共振結晶体の合成実験や“|四つの法《フォース・ロウ》”の解析でシラクサにはしばらく留まることになる。どれ位かかるかは分らないが、それでもジルドが行って帰ってくるくらいの時間は必要になるだろう。
その日と次の日、ジルドがシャロンとヒスイからやたらと力仕事を頼まれていたのは、きっと余談に類するのだろう。
**********
「さて、と」
朝食の後、部屋で準備を整えたイストはそう呟いて気を引き締めた。
机の上には天秤や乳鉢、匙などが用意してある。買ってきた合成石はその日のうちに砕いて粉末にして、今は種類ごとにビンに入れてラベルを貼ってある。
これから共振結晶体の合成実験を始めるのだ。
とはいってもやることは地味である。まず共振現象を起こす配合比率を調べ、それをもとに結晶体を合成するのだ。今日はとりあえず配合比率だけ調べて、後日「狭間の庵」で合成するつもりだ。
「じゃ、やりますか」
気負いなくそういってから、イストは懐から片眼鏡(モノクル)を取り出しそれを右目に装着した。この片眼鏡(モノクル)は「鑑定士の片眼鏡(モノクル)」という魔道具で、魔力の流れを可視化する「目利きのルーペ」という魔道具を改造したものだ。“目利き”と“鑑定士”で言葉を変えたのは、たぶんイストがそういう気分だったのだろう。
まず一種類目の粉末を天秤で一定量はかり乳鉢に入れる。乳鉢を通して魔力を込めると、右目に装着した「鑑定士の片眼鏡(モノクル)」の効果で、青白い魔力の流れが見えた。
それを確認してから、イストは二種類目の粉末も同じ量だけはかり、今度は乳鉢ではなく乳皿に移した。ここから匙ですくって乳鉢にいれ、そして最後に全体の重さを量って、二種類目の粉末をどれだけ入れたかを割り出すのだ。ちなみに乳鉢の重さはあらかじめ計測してある。
さて、と呟いてからイストは匙で二種類目の粉末をすくい、乳鉢のところまで持ってきて、そこで動きが止まった。
「………腕がもう一本欲しいな………」
決まり悪そうにイストは呟く。
匙ですくった粉末は一度に全部入れるのではなく、指で“とんとん”と軽く叩いて少量ずつ入れ魔力の流れ方の変化、つまり伝導率の変化を見るのだが、右手には匙を持っているし、左手は乳鉢に添えて魔力を注いでいる。匙を指で軽く叩いてやるには、腕がもう一本必要だった。
当然、イストは三本目の腕など持っていない。仕方がないので、最新の注意を払いながら乳鉢のふちを匙で軽く叩くようにして二種類目の粉末を少しずつ混ぜていく。
少し入れてはよく混ぜて魔力の流れに変化がないかを観察し、また少し混ぜて観察する。地味で派手さなど皆無だが、細心の注意と集中力を要する作業だ。
「この組み合わせでは駄目だったか」
乳皿に取った二種類目の粉末を全て乳鉢に入れ、つまり二種類の合成石の粉末を一対一になるまで混ぜ合わせてその伝導率に目立った変化がないことを確認すると、イストはそう呟いた。そしてその結果をノートに記録する。
乳鉢の中身を用意しておいた小瓶の中に移し変え、さらに良く拭く。それからもう一度同じ粉末を同じ量だけはかる。ただし乳鉢と乳皿の中身は先ほどとは逆だ。
そしてまた同じようにして匙で乳皿から粉末をすくい、少しずつ乳鉢に入れていく。延々と同じことの繰り返しだ。面倒だがしかしこれをしないことには何も始まらない、基礎的で重要な作業なのだ。
少なくとも、イストはそう思っている。