「しっかし、ガラスの魔道具素材か………」
アズリアが去ったカフェの席で、飲み物を啜りながら苦笑するようにイストはそう言った。
「難しいのか?」
「ああ、難しい。これまでそれこそ星の数ほどの職人たちが挑戦し、そして一つとして実用化には至らなかった」
その言い回しにジルドは引っ掛かるものを感じた。しかしその疑問を口にする前にイストが席を立つ。
「しかもその話がオレのところに来るとはね………」
これが巡り合わせって奴なのかね、と妙に感慨深げにイストは語る。
「行くんですか?そのガラス工房に」
「ああ。受け継いだ宿題を片付けにな」
別にほっといてもいいんだけどこの機会だし、とイストは軽い調子で言った。その言葉の意味するところを、ジルドやニーナは察しきれない。ただ、何かしらの方策やアテを彼が持っていることはなんとなく分った。
会計を済ませるついでにガラス工房「紫雲」の場所を聞く。どうやら少し離れたところにあるらしい。街の見物でもしながらのんびり行くさ、とイストは「無煙」を吹かしながら呑気にそう言った。
**********
「ここか………」
――――ガラス工房「紫雲」
そう書かれた看板は教えてもらったとおり郊外にあった。さすがに大陸から来た人間でこんなところまで足を伸ばす物好きは彼ら以外にはいないようで、周りにいるシラクサの人々は意外そうな視線を向けてくる。ただ排他的な視線ではないので、居心地の悪さは感じない。この辺りはシラクサの土地柄だろうか。
「失礼、セロンさん居る?」
開け放たれた入り口の敷居の前で、イストは工房の中にそう声をかけた。すぐに一人の中年の男が出てくる。
「私がセロンだが、何のようだ?」
「オレはイスト・ヴァーレ。流れの魔道具職人をやっている。アズリアから話を聞いた、と言えば用件は分るだろう?」
それを聞くとセロンは表情を変化させ明るい笑顔を見せた。すぐに三人を工房の奥に設けられた小さな応接室に通す。ジルドとニーナを簡単に紹介すると、イストはすぐに本題に入った。
「さてと。ガラス製の魔道具素材だったか」
「うむ。恥ずかしい話、やろうと思ったはいいがなにをどうすればいいのかさっぱり分らん」
知恵を貸してくれ、とセロンは頭を下げた。
「ここは普通のガラス工房だよな?そもそも、なんで魔道具素材に手を出そうと思ったんだ?」
普通、魔道具素材を合成するのは「素材屋」とか「錬金術師」と呼ばれる専門の職人たちだ。そこにはやはり知識や技術といったノウハウがあり、そしてそれに加えて蓄積されてきた経験というものが必要になる。そういったものを何も持っていない普通のガラス工房である「紫雲」が、なぜ魔道具素材に手を出そうと思ったのか。
「今、シラクサはアルジャークと通商条約を結んだことで少しずつ景気が良くなってきている」
そしてこの先さらに景気は良くなるであろうと予測されている。それに伴ってシラクサのガラス製品も売り上げが伸び、「紫雲」もそれなりの利潤を出しているという。
「だけどシラクサは基本的に中継地点であって、生産や消費の場所ではない」
シラクサの南にはリーオンネ諸島があり、そして西にはサルミネア諸島がある。アルジャークはこういった島々との交易の拠点としてシラクサに目をつけたのである。
大陸から来る船にはシラクサからさらに南や西に向かう船のための食料が積まれているし、また大陸に向かう船にはシラクサの外から集めた珍品が満載されている。シラクサで生産されそして輸出されるものは、全体から見ればごくわずかだ。
シラクサは所詮、中継地点でしかない。モノは大陸とシラクサのさらに先にある島々との間でやり取りされているのであって、シラクサはその商取引の場となっているだけなのだ。そして重要なこととして、何もしなければこの構図はこの先ずっと変わらない。
「もちろん、それが悪いといっているわけじゃない。だけどそれで潤うのは商人たちだけ。私らガラス職人は蚊帳の外だ」
その上、シラクサには立地の不利がある。シラクサで作ったガラス製品をよそに持って行って売るには、船で長距離の輸送をおこなわなければならない。そうなれば当然、輸送費がかかる。輸送費分高くなる以上、消費地かあるいはその近くでガラスが生産されたら、価格面ではまず勝負にならない。
「ならばシラクサにしかないガラス製品を作ることが必要。そう考えた」
そして思いついたのがガラスの魔道具素材だ。以前にそれが実用化できれば莫大な利益になる、という話を聞いたのを思い出したのだ。
「なるほどね」
イストはそういって頷いた。セロンがガラスの魔道具素材を志す理由は、悪く言ってしまえば利己的だ。経済が発展していくこの時期に自分も利益を上げたいという思惑が根っこにある。しかし人間の営みとは、元来そういうものではないだろうか。
他人のための利他的な行動というのは美しい。それは間違いない。しかしそれだけではこの世界が回りきらないものまた確かだ。人の欲望というのは諸問題の根源であると同時に、発展の原動力でもあるのだから。そもそも精神的な満足それ自体を報酬と考えれば、他の人に与える利他的な行動も結局は自分のためであると考えられる。まあ、これは無粋な言葉遊びになるのだろうが。
盛大にずれかかった思考を、イストは目の前の話に引き戻す。
「それで、どこまで進んでいるんだ?」
「それが恥ずかしい話、やると息巻いたのはいいが何から手をつければいいのか、それさえも分からなくてな………」
決まりが悪そうにセロンが頭をかく。
「素材関係の知識がある人は………っているわけないか」
「うむ。一人もいない」
そんな人物がいるならば、わざわざ畑違いのアズリアのところにまで話が来ることなどなかったであろう。
「つまり何も分らないってことか………」
どっから説明したもんかな、とイストは「無煙」を吹かしながら考える。フゥ、と白い煙(水蒸気らしいが)を吐き出し、煙管を器用にクルクルと回す。
「まずは、『なぜガラスの魔道具素材があれば便利なのか』だな。ニーナ、説明してみ」
「わ、わたしですか?」
いきなり話を振られたニーナは少し驚いた様子を見せたが、すぐに「わかりました」と言って説明を始めた。
「ガラスの魔道具素材、わたし達や素材屋の人たちは『魔ガラス』と呼んでいるんですが、これは合成石の代替として期待されています」
合成石というのは、魔道具の核として用いられる人工の結晶体のことだ。これ自体そもそも天然の結晶、つまり宝石の代替として作られたものだが、やはり問題点は存在する。
「最大の問題点はその形状、別の言い方をすれば加工のし難さです」
合成石の形状というのは、基本的に加工された宝石を思い浮かべてもらえればそれでいい。そしてそれ以外にはないといってもいい。合成石というのはその性質上非常に脆い。有り体に言ってしまえば薄く加工するということが出来ないのである。
その点、ガラスは非常に加工がしやすい。技術的な要素はあるのだろうが、それ自体で様々な形状を作り上げることが出来る。それはつまり、作れる魔道具の幅が広がるということだ。これが魔ガラスの実用化が期待される最大の理由である。
また価格面でも期待されている。天然の宝石は言うに及ばず、合成石もガラスに比べれば高い。廉価な魔ガラスを合成石の代わりに出来れば、魔道具の値段は下がると予測されている。もっとも魔道具市場は常に需要過多であり、そのため素材費を安く抑えたからといって値段が下がるとはいい難い面がある。
「なるほど………。だが、それならなぜガラスは魔道具素材として使われてこなかったんだ?」
「ほれ、弟子。説明説明」
師匠(イスト)に急かされたニーナは「はいはい」と応じてから説明を再開する。
「なぜガラスは魔道具素材として使われてこなかったのか?その理由はガラスの魔力伝導率にあります」
魔力伝導率とは、物質の魔力の流れやすさを表すパラメータだ。この係数が大きいほど魔力が流れやすいことを意味する。水の伝導率を1.0に定め基準としているが、魔道具職人たちは鉄の伝導率である0.98を目安にすることが多い。
「普通、魔力を流すための素材の伝導率は1.5以上。これをわたしたちは『導体』と呼んでいます」
ただ職人たちの感覚としては鉄が最低ラインだ。つまり1.5に届かない素材でも魔道具に使うことは良くある。ちなみに上限は4.0とされている。これ以上だと魔力が流れすぎて危険なのだ。
余談になるが近頃製法が流出した聖銀(ミスリル)の伝導率は2.7。かなり使い勝手のいい伝導率で、その上|聖銀(ミスリル)は銀をベースにしているので加工も容易だ。さらに加えるならば貴金属としての美しさも備えている。これが、値段が高くとも多くの職人たちが聖銀(ミスリル)を好んで用いてきた理由だろう。
「それに対して平均的なガラスの伝導率は0.4。これではガラスを魔道具素材として使おうとする職人は現れません」
なにしろ鉄の伝導率が0.98なのだ。ガラスを使うくらいなら鉄を使ったほうがいい、ということになってしまう。
もちろんガラスをパーツや飾りとして使っている魔道具はある。しかしそれは言ってしまえばなくてもかまわないもので、魔道具を作るために必須とは言いがたい。つまり魔力を流すための素材、つまり導体としては決して使われえないのだ。
「………って、こんなところでいいですか、師匠」
「八十点。不導体の説明が抜けてる」
「あ………」
ほれ早く説明する、とイストが急かすとニーナは慌てて説明を付け加えた。
「不導体、あるいは絶縁体とも言いますが、これは魔力を流さない物質のことです」
魔道具というのは単純に魔力が流れればそれでいいわけではない。きちんと意図したところに意図したように流れてくれなければいけない。
そこで必要になるのが『不導体』と呼ばれる物質だ。例えば魔力を流すべき導体を不導体で包んでやることで、魔力の漏れを防ぐことができる。ちなみに、普通魔道具素材といった場合には、導体と不導体の両方を含む。
「不導体として使われる物質の伝導率は通常0.1以下。先ほども述べた通りガラスの伝導率は0.4ですから、不導体としては大きすぎます」
つまり、ガラスの伝導率は導体としてみれば小さすぎるし、不導体としてみれば大きすぎる。この伝導率の中途半端さこそが、ガラスが魔道具素材として使われない理由であった。
「つまり魔道具素材のガラスを売り出すには、その伝導率を1.5以上にするか、あるいは0.1以下にする必要がある、ということか………」
ニーナの説明を聞き終わったセロンは腕を組んでそう言った。
「そうなるな。ただし、不導体として売り出しても恐らく売れない」
ガラスの魔道具素材が期待されているのは、先ほども説明したとおり合成石、つまり導体の代替としてである。不導体としてならば、使おうと思う職人はそれほど多くないだろう。
「………伝導率1.0付近、というのはダメだろうか?」
導体の伝導率は1.5以上という話は先ほどしたが、しかしそれに満たない鉄も魔道具職人たちは良く用いる。ならば鉄の伝導率0.98をクリアすれば、かろうじて魔道具素材として売り出せるのではないだろうか。
「どうだろうな。魔道具素材と銘打ってあれば、買う側は1.5以上を期待しているだろうから、なにかと問題があるんじゃないのか」
なんにしても目標は高く設定しておいたほうがいいだろう、とイストは軽く言った。その高い目標に取り組まなければならないセロンは苦笑していたが。
「さて、ここからが本題だな」
つまりガラスを魔道具素材として売り出すには、魔力伝道率を上げなければならない。ではどうやって伝導率を上げればいいのか。
「どうすればいいのだ?」
「どうすればいいと思う?」
面白そうにイストは逆に問いかける。その様子と、今までに聞いた話からジルドはある結論に至った。
「――――イスト、その『魔ガラス』というものは、すでに存在しているな?」
今まで黙っていたジルドが口を開いたことと、そしてその内容に驚き、人々の視線が彼に集まる。
「なんでそう思う?」
絶句し上手く言葉が出てこないニーナとセロンをよそに、イストはいつもと変わらない様子で「無煙」を吹かしながらジルドに問いかける。その顔には面白そうな笑みが浮かんでいた。
「お主は『実用化できたら』という言葉を使っていた。あとは何か知っていそうな顔をしていたから、かな」
「やれやれ………。おっさんは本当に鋭いな………」
「師匠!それじゃあ………!」
「ああ、魔ガラスはすでにこの世に存在している」
こともなさげにイストはそういった。ニーナは浮かしかけた腰をソファーに戻し、驚いたようなそれでいて呆れたかのようなため息を漏らす。ニーナはそれで済んだが、済まないのがセロンのほうだ。
「待ってくれ!一体どういう………」
あまりの衝撃に、上手く言葉がまとまらない。それも無理はないだろう。これから開発に取り組み、主力商品としようと考えていたものがすでに存在しているとなれば、「紫雲」の経営戦略をもう一度考え直さなければならない。もっとも、まだ完全に手付かずの状態らしいからダメージはないはずなのだが。
なんにせよ、セロンにとっては想定外の事態であろう。しかしイストは余裕を崩さず、セロンを宥めた。
「落ち着きなよ。魔ガラスは確かに存在しているけど、商品として売り出しているところはまだないはずだから」
立ち上がり、二人の真ん中にテーブルがなければ今にもつかみ掛かりそうになっていたセロンが、イストのその言葉で冷静さを取り戻す。彼が腰を下ろすのを待ってから、イストは言葉を続けた。
「さて、何から聞きたい?」
「………魔ガラスがすでに存在している、というのは本当なのか?」
「本当。ていうか想定してなかった?」
魔ガラスは商品化できれば売れることはほぼ間違いない魔道具素材である。優れた魔道具素材の製法を独占できれば莫大な利益が得られるということは、例えば教会の聖銀(ミスリル)などが証明している。教会が聖銀(ミスリル)で得ていた利益は年間活動予算のおよそ三割に相当し、それは小国の国家予算にも相当する額であった。それが丸ごとなくなってしまい、教会の懐事情は火の車なのだがそれはともかくとして。そのようなわけで魔ガラスは昔から多くの素材屋、つまり錬金術師たちによって研究されてきており、その結果として一定の成果は上がっている。
「………その魔ガラスは、どのようなものなのだ?」
苦い顔をして腕を組み、セロンはさらにイストに問いかける。まずは可能な限り情報を得なければならない。
「細かく砕いて粉末にした合成石を、溶かしたガラスに混ぜたものだ。発想としては単純だな」
伝導率が低いのであれば、伝導率が高い物質を混ぜて底上げしてやればいい。つまりはそういうことである。
例えば伝導率が0.4のガラスと、同じ量で伝導率が3.0の合成石があったとする。この合成石を粉末にし溶かしたガラスに混ぜれば、出来上がった魔ガラスの伝導率は1.7となる。導体の伝導率は1.5以上だからこれならば十分に通用する、はずであった。
「それは………、ガラスとしては脆かったのではないか?」
「さすが専門家だな」
セロンの言葉をイストは肯定する。彼の言うとおり、こうして出来上がった魔ガラスは脆すぎて実用には耐えられなかったのである。
「実用化に至らなかった理由は他にもある」
最大の理由はその伝導率であろうか。1.7ならば確かに導体として通用する。しかし、混ぜた合成石の伝導率は3.0である。ならばこちらを使ったほうがいい、と考える職人は多かった。
さらにはその量が問題になった。例えば(必要があるかは別問題として)魔ガラスでグラスを作ったとしよう。先ほどの例に則れば、そのグラスのおよそ半分は合成石を使用しなければ成らない。合成石はガラスよりも値が張るから、そうなればコストが跳ね上がるのは目に見えている。ならばガラスは普通のものを用いて、合成石を核として用いたほうがよい。そういうことになってしまう。
「解決策は二つだ」
一つ、単純に伝導率の高いガラスを開発すること。
一つ、伝導率が極めて高い合成石を開発すること。
前者に説明の必要はないだろう。伝導率の高いガラスを作ることが出来れば、それが最も良い。
後者も発想としては単純だ。合成石を多量に混ぜることでガラスが脆くなりまたコストが上がるというのであれば、その量を少なくしてやればいいのである。そのためには、単純に伝導率が極めて高い合成石があればいい。
「………その二つも、すでに研究が進んでいるのか?」
「前者については、研究はされている。ただ成果が上がっているとは聞かないな。後者のほうはやってない」
ガラス自体の伝導率を上げる研究はされてはいる。しかしつぎ込んだ時間と資金に見合うだけの成果は未だに上がっていない。そのため利益を上げなければならない工房などでは避けられる傾向があり、今では研究機関で細々とやっているくらいだろう。
一方で合成石の伝導率を大幅に上げる研究はほとんどされていない。「伝導率が極めて高い」ということは、つまり4.0以上を意味している。しかもガラスの強度を保つためには混ぜる合成石の量は少ないほど良く、そのためには伝導率8.0以上が望ましいとされる。
「合成石の伝導率を上げる方法としては、結晶の純度を上げるのが一般的だ」
しかし、どれだけ純度を上げたとしても、叩きだせる伝導率の最高値は今現在で4.6。とてもではないが8.0には届かない。しかも純度を上げればその分値段も上がる。実用化には程遠いといわざるを得ない。
「今は色々な種類を試しつつ、伝導率の高い物質を探している、ってところだな」
ただ、伝導率8.0というのは錬金術師たちの間でも夢物語扱いで、その高みをまともに目指している者はほとんどいない。だからこそイストは「研究はされていない」といったのである。
「むむむ………」
イストから一通りの説明を聞いたセロンは、腕を組んでうなった。「紫雲」はガラス工房だ。当然、合成石に関するノウハウなど何もなく、となれば魔ガラスの開発のための指針としては、ガラス自体の伝導率を上げることになるだろう。
しかしその開発が成功するのかと言われれば、可能性は低いと言わざるを得ない。なにしろ世界中の錬金術師たちが、長い年月と膨大な資金を投じてもさしたる成果を挙げてこられなかった分野だ。完全に畑違いのセロンたちがいきなり挑戦して、なにかしらの成果を得られるとは思えない。
「何とかならんものかな………」
セロンは唸る。現状、魔ガラスの開発をすると息巻いては見たものの、実際のところまったくの手付かずである。だからこの時点で開発を断念したとしても、損するものは何もない。
しかしだからと言って、このまま従来どおりにガラス加工の技術を磨いていっても、将来はそれほど明るくない。
先ほども述べたとおり、シラクサのガラス産業には立地の不利がある。輸出する際には必ずや多額の輸送費がかかり、それはそのまま小売価格の上昇に直結する。
いい物を作れば必ず売れる、というのは嘘である。多少品質が劣るとしても一般大衆に受け入れられるのは値段の安いほうだろう。ガラスのような工芸品ならば、その傾向はより強くなる。
つまりシラクサのガラス工房が生き残るためには、シラクサにしかないガラス製品を作る必要があるのだ。そのためにセロンが目をつけたのが魔道具素材、つまり魔ガラスだったわけだが、どうやら彼が思っていた以上に壁は高いらしい。
「何とかしてやろうか?」
「出来るのか!?」
イストの言葉に、セロンがはじかれたように頭を上げる。しかしジルドとニーナは彼ほどには驚いていない。ここに来る前にイストの思わせぶりな言葉を聞いていたからだ。むしろ彼らにしてみれば、ここから先が本題であろう。
そしてイストにとっても。彼はもったいぶって時間をかけるような話し方はしなかった。
「さっき、二つの解決策について話したよな?その内の一つ、『伝導率が極めて高い合成石』というのは、実はもうこの世にあるんだ」
「………は?」
セロンが呆けたような声を漏らす。それはそうだろう。なにしろ先ほどイスト自身が「夢物語だ」と言っていたではないか。
それに「伝導率が極めて高い合成石」がすでにこの世に存在しているのであれば、魔ガラスが未だに実用化されていないのはどうしてなのか。
様々な疑問がセロンの頭の中で渦巻き、彼の思考は停止する。そんなセロンの様子を、恐らくは意図的に無視して、イストはその名称を口にした。
「その合成石を『共振結晶体』という」
*************************
――――共振結晶体。
その名前が出たとき、セロンのみならずニーナまでもが不可解そうな表情を浮かべた。それも当然だろう。共振結晶体という名前を聞いてその中身を正確に思い浮かべることができる人間は、イストを別にすれば彼の師匠であるオーヴァ・ベルセリウスくらいのもので、つまり一般にはまったく知られていない。
「………どういったものなのだ?その、共振結晶体というのは」
「読んで字の如くさ。『共振現象を利用した結晶体』だ」
そういわれても分らないだろうと知りつつ、イストはそう説明した。なにしろ「共振現象」の中身を知っているのは、世界広しといえどもやはりイストとオーヴァくらいのものであろう。
ある特定の二種類の合成石を粉末にして混ぜ合わせると、伝導率が飛びぬけて高くなる特定の割合をもつことがある。これがイストのいう「共振現象」である。
これはイストが見つけた現象ではない。今からだいたい二百年くらい前のアバサ・ロットが遊んでいたら発見してしまった現象だ。興味をそそられ少しばかり研究したらしいが、もともとアバサ・ロットは魔道具職人である。錬金術師の真似事はすぐに飽きてしまい、こうして共振結晶体に関するレポートは未完成のままお蔵入りしてしまった。
とはいえレポートは「狭間の庵」の資料室に残っている。以前、イストは資料室をあさっていたときにこのレポートを見つけ、読むだけ読んではいたのである。
そのレポートを読んですぐに、この共振結晶体を使えば魔ガラスを実用化できるのではないか、とイストは考えた。考えたが、実行には移さなかった。
この当時イストはまだ見習いとはいえ、魔道具職人の端くれである。共振現象を発見したアバサ・ロットと同じように、素材関連の事柄に興味はそそられなかった。そちらに時間を割くくらいなら、新しい魔道具を作りたかったのだ。
(作りたい魔道具に必要になってからでいいか………)
イストはそう考え、魔ガラスの実用化は先延ばしとなった。聞いたことはないが、恐らくは彼の師匠であるオーヴァも同じようなことを考えていたのであろう。
そして結局実用化されることなく、現在に至るわけである。今現在も必死になって魔ガラスの開発を行っている研究者や錬金術師たちが聞いたら呪い殺されそうな話だが、事実なのだからしょうがない。
ただこういった話を、イストはセロンにしなかった。彼が今聞きたいのはこういうことではあるまい。
「記録に残っている共振結晶体の伝導率は7.6。理想とされる8.0には届かないが、まあ今のところはこれでも十分じゃないのか」
ちなみに、この伝導率7.6の共振結晶体、実は魔道具の核として使用された。作ったのはもちろん共鳴現象を発見したアバサ・ロットで、
「多分暴走するだろうなぁ」
と思いつつも悪ふざけのノリで作り上げた。
果たして予想通りに魔道具は暴走した。魔導士がとある城の練兵場で魔道具を使おうとして魔力を込めた瞬間のことである。本人はほんの少しだけ魔力を込めたつもりだったのに、その魔道具は魔導士の魔力を致死的なレベルで根こそぎ食い尽くし、結果その魔力量に耐え切れず爆発した。そして城の分厚い城壁に大穴をあけたという。
作った本人は安全圏からそれを見物して爆笑。一部始終を日記に記録し、最後に「楽しかった」と書き添えた。
明らかに悪ふざけの域を超えた犯罪、いやもはやテロ行為だが、アバサ・ロットという人種のはた迷惑な一面を的確に表している事件と言えるだろう。
それはともかくとして。
ジルドとニーナは「紫雲」に来る前のイストの思わせぶりな言葉から、ある程度この流れが予想できていた。だから驚いてはいるが、心のどこかで「ああやっぱり」と思っていたりもする。しかしセロンは違った。
「それじゃあ………!」
イストの話を聞いたセロンが目を輝かせる。
「ああ、この共振結晶体を使えば、恐らく魔ガラスを実用化できる」
イストの言葉を聞いたセロンは、体を震わせる。その理由は、後からあとから湧き上がってくる歓喜だ。勢い良くテーブルに手をつき、セロンは身を乗り出した。
「是非、その共振結晶体を使わせて欲しい!」
「条件がある」
セロンの喜び方に苦笑しながら、イストはそういった。セロンはその言葉で少し冷静さを取り戻したが、それでも顔には喜色がありありと浮かんでいる。
「何でも言ってくれ。可能な限り善処する」
「まず共振結晶体だけど、実物はないからこれから合成することになる」
その実験ために多数の合成石が必要になる。そこに掛かる費用は必要経費として「紫雲」に出してもらいたい、とイストは言った。
「それは当然だな。ただし、領収書は取ってきてくれよ?」
水増し請求されてはたまったものではないからね、セロンは冗談めかして釘を刺した。イストも苦笑しながらそれに応じる。ただ彼の場合、金銭にこだわる性質ではないからあまり心配はないだろう。しかしそれゆえに金に糸目をつけず、研究費がかさんでしまう可能性はあるが。
もっとも、現時点ではセロンがそんなことを知る由もない。
「他に、必要な機材などはあるか?」
「いや、合成石さえ用意してもらえれば、あとは自前の設備がある」
もちろん亜空間内におさめられたアバサ・ロットの工房「狭間の庵」にある設備のことである。ただセロンはそのことを知らない。流れの魔道具職人と名乗ったイストがどこに専門的な設備を持っているのか疑問に思ったが、本人が大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろうと思い、それ以上は考えなかった。
「ああ、でもそうだな。『水盤計』は用意しておいたほうがいいな」
イストのいう「水盤計」とは、魔力伝導率を測定するための魔道具だ。一般的に伝導率を測定する際にはこの魔道具が用いられる。水盤に水を張りそこに測定するサンプルを沈めて魔力を込めると、針が動いてサンプルの伝導率を指示するのだ。
この魔道具は「水と比べてどれくらい魔力が流れやすいか、または流れにくいか」を調べるもので、そのため水の伝導率が1.0と定められているのだ。
「オレは自前のを持ってるけど、この工房にはないだろう?魔道具素材に手を出すなら、持っておいたほうがいい」
珍しいものでもないから商会に注文すれば簡単に手に入る、とイストは言った。確かに魔ガラスを開発しても、その伝導率を測定していなければ商品として売り出すことは出来ない。セロンもすぐに頷き「用意しておく」と答えた。
「それで、実験の結果が出るまで、どのくらいかかる?」
「多めに見積もっても、一ヶ月あれば大丈夫だろう」
「………随分早いな」
そういってセロンは少し不審そうな反応を見せたが、イストは笑ってこう答えた。
「大まかな資料は残っているしな。それに使えそうな共振結晶体を合成するだけで、仕組みを解明するわけじゃない。ま、時間がかかりそうなら、その時ちゃんと言うよ」
イストのその説明にセロンは一応の納得を見せた。
「それで、報酬の話だが………」
喜色を抑えて目に若干の鋭さを加え、セロンは最大の懸案について切り出した。ここでイストが求める報酬額や条件によって、今後の魔ガラス開発の進展が左右されると言っても過言ではない。
「報酬は三人分の衣食住の保障。以上」
「………は?」
イストが要求した“報酬”にセロンは絶句した。高いのではない。その逆で、「何か裏があるのではないか」と疑ってしまうほどに破格過ぎるのだ。
魔ガラスが実用化されればその市場規模はかつての聖銀(ミスリル)にも匹敵するであろう、と言われている。つまり小国の国家予算並みの金が動くのだ。セロンはそのことを知らないだろうが、イストは知っている。にもかかわらず報酬が「三人分の衣食住の保障」では安すぎる。もはや無料と言ってもいいくらいだ。
「さっきも言ったけど、共振結晶体を準備するだけなら一ヶ月もあれば多分大丈夫だ。だけどオレはそのためにシラクサに来たわけじゃない」
イストはもともと、シラクサで“四つの法《フォース・ロウ》”の全体像を解明するつもりでいた。それ自体は別にシラクサでなくとも出来るのだが、ようはこちらが彼の目的であり、共振結晶体の合成はいわば余計なことであった。
「それで共振結晶体を合成した後も、衣食住を保障して欲しい。それが俺の求める報酬だ」
だいたい半年くらいかな、とイストは期間を告げた。
「………本当にそれでいいのか………?」
半年間、三人分の衣食住を保障する。それでもはっきりと破格過ぎる。セロンはどうにも納得できないような表情を見せたが、イストは笑いながら「いいよ」と答え、さらにこう付け加えた。
「オレは魔道具職人だからな。金は魔道具作って稼ぐよ。それに共振現象を発見したのはオレじゃない。他人の功績で金を稼ぐのは、オレの趣味じゃない」
イストのその言葉は、気取って言ってる風ではなかった。イストはごく自然のこととしてそう考えているのだ。
「………その“他人の功績”を使って、私たちは大もうけしようとしているのだが?」
「いいんじゃないのか。それはそれで」
使える素材が増えるのはオレとしても嬉しいし、とイストは「無煙」を吹かしながら笑った。それに対しセロンの表情は苦いままだ。報酬の不平等さに納得しかねているのだろう。
「私は………、君と公平な関係でいたいんだ………」
その言葉にイストは苦笑した。自分に利がある話なのにそれで納得しないなんて「馬鹿だなぁ」と思う。しかしそういう人間こそイストは好きだし信頼するのだ。
「これはオレのわがままだよ。セロンさんが気にすることじゃない」
だから誰に憚ることもなく目の前のチャンスを拾えばいい。イストはそういった。
「………わかった。シラクサにいる限り、君たちの衣食住はこのセロンが責任を持って保障する」
「ん、よろしく」
話は、決まった。
**********
翡翠(ヒスイ)は四人家族である。両親の名前はセロンとシャロン。そして三つ下の弟である紫翠(シスイ)がいる。ちなみに「翡翠」と「紫翠」の字は、今は使われなくなって久しいシラクサの古い言葉だと言う。
父親であるセロンはガラス工房の「紫雲」を経営している。なかなか古い歴史を持つ工房で、最盛期にはかなりの儲けを出していたと聞く。
そのおかげなのか、ヒスイの家は随分と広い。その広い家に、最近セロンが三人の客人を連れてきた。なんでも工房で行う新しいガラス(魔ガラスというそうだ)の開発を手伝ってもらうのだと言う。
客人の名前はそれぞれ、イスト・ヴァーレ、ジルド・レイド、ニーナ・ミザリという。姓名を持つことからわかるように、三人とも大陸からの客人だ。
もっとも、実際に開発を手伝うのはイストだけだ。弟子であるはずのニーナでさえ、「自分の勉強してろ」と追い払われて手伝わせてもらえていない。完全に畑違いのジルドともなれば、手伝わせてもらえない以前に出来ることが皆無であった。
「衣食住はセロンさんが用意してくれるけど、遊ぶ金は自分で稼いでくれよ」
冗談交じりにイストからそういわれたジルドは、セロン宅の朝の手伝いを済ませると決まって街へ繰り出し日雇いの仕事で汗を流している。
「美味い酒を飲むためには、適当な労働が不可欠だ」
夕食の席で晩酌を楽しみながら、ジルドはそんなふうに持論を語った。聞き様によっては「酒を飲むために働いている」と取れなくもないが、働かずに酒ばかり飲んでいるような連中とは図太い一線を画している。それに彼が酒目的で働いているわけではないことは、イストやニーナが良く知っている。
ニーナのほうは、家にいることが多い。そのせいかよく家の仕事を手伝っていた。最初は客人ということでシャロンやヒスイも遠慮していたのだが、師匠であるイストが「こき使ってくれていいぞ」と言ってからは二人に混じって家事を手伝っている。
「働けごく潰し」
などと、イストは楽しそうにニーナに発破をかけている。そんな師匠に迷惑そうな顔をしながらも、ニーナは良く働いていた。
ヒスイとしてもニーナの働きはありがたかった。彼女の家は大きく、掃除だけでも一仕事である。いつもは母と二人で家事をしているのだが、それが三人になると随分と時間が短縮され楽だった。
ジルドなどもそうだがイストも手のかからない客で、それどころか男手が必要なときには積極的に手伝ってくれる。だから「見知らぬ客人が家にいる」という感覚はすぐになくなり、まるで気の置けない友人を家に泊めているように感じるようになった。
イストもジルドもお酒が好きで、セロンとよく晩酌を楽しんでいる。二人とも地酒のシラクサ酒を気に入ったらしく、イストなどは自分用のお猪口まで買ってきて用意していた。もちろん「紫雲」で作られたガラス製のお猪口である。
ちなみにシスイは母のシャロンに似たのかお酒が飲めない。むしろヒスイのほうがお酒には強い。もっとも宴会などの機会でもない限りは飲まないが。
こうしてシラクサでも生活を十分に楽しんでいるイストであったが、無論仕事も忘れてはいない。セロンとの話が決まったその日のうちに、彼は「狭間の庵」の資料室から共振結晶体に関するレポートを持ってきて読み返していた。
ヒスイもそのレポートを後ろから覗き込んでみたのだが、見たこともない文字で書かれており、まったく読むことができなかった。
「古代文字(エンシェントスペル)っていうんだ。こっちでは使われなかったのかな」
シラクサにも古い建物や記録は残っているが、その中でこの古代文字(エンシェントスペル)が使われているという話は聞いたことがない。むしろ、「翡翠」や「紫翠」といったシラクサ独特の文字が使われている。大昔に大陸で使われた古代文字(エンシェントスペル)は、すでに独自の文字体系を持っていたシラクサでは使われなかったのだろう。イストはそんなふうに分析した。
ちなみに今のシラクサで使われているのは、大陸と同じ常用文字(コモンスペル)である。大陸との交流が盛んになるにつれて文字を統一したほうが便利だったのだろう、という話をヒスイも聞いたことがある。
それはともかくとして。
数日かけてレポートの内容を頭に叩き込んだイストは、いよいよ実際に共振結晶体の合成を行うことにした。
「合成石を扱ってる店を教えて欲しいんだけど」
ある日、朝食の席でイストはそういった。
ちなみにシラクサの食事は、「箸」と呼ばれる道具を使って食べる。二本の棒を使って食べ物をはさみ口へと運ぶのだが、これがなかなか難しい。大陸式、つまりナイフ・フォーク・スプーンなどと比べると、指の動きが非常に複雑なのだ。
「………あ………」
ポロリ、とニーナの箸から野菜の煮つけが零れ落ち、開けた口が空振りする。しっかりと器を持っていたおかげで煮つけをテーブルに落とすことはなかったが、自分の口を逃れて器に戻った煮つけをニーナは恨めしげに睨んだ。それから箸を野菜に突き刺し、今度こそ口に運ぶ。ちなみにシラクサの食事は、素材の味を生かしたシンプルなものが多い。
「お前、まだ箸を満足に使えないのか」
「うう………。師匠だって最初は使えなかったくせにぃ………」
セロンの家での最初の食事の際、イストもまたニーナと同じような醜態をさらしたていた。しかし次の日には、その醜態が嘘のような巧みな箸さばきを見せたのだ。目を丸くして驚くニーナにイストは、
「徹夜で特訓した」
とこともなさげに言い、周囲を呆れつつも感心させたものである。ちなみにジルドは経験があるのか最初から上手に箸を使えていた。
「それで、合成石を扱っている店だったね………」
盛大に逸れた話を、苦笑しながらセロンが引き戻す。
「ああ、そろそろ共振結晶体の実験を始めようかと思ってね」
実験、と言ってもそう大したことをするわけではない。様々な合成石の組み合わせと比率を試しそのデータをまとめ、どの共振結晶体が最も魔ガラスに適しているかを判断するのだ。
もっとも、実際に判断を下すのは工房主のセロンになるだろう。イストがまとめたデータをもとに、コストや伝導率、あるいは共振結晶体を混ぜた際にガラスにどのような変化があるかも鑑みて、最終的な判断を下すことになる。
まあ、なんにしても共振結晶体を作るための合成石がないことには始まらない。イストは「狭間の庵」にかなりの数の合成石を保管しているが、今回それを使うつもりはない。別に惜しむつもりはないが、彼なりに考えあってのことだった。
「合成石もシラクサで生産しているヤツがいいよな?」
「………ああ、そうだな。そうしてもらえると助かる」
セロンは自分の目的を「シラクサにしかないガラス製品を作ること」と言った。であるならば開発している魔ガラスの原材料は、全てシラクサで用意できることが望ましい。仮に外からの素材が必要不可欠であれば、その素材の価格が引き上げられたり輸出が停止されたとき、魔ガラスの生産に致命的な打撃を被ることになってしまう。
このような腹のうちを、イストはセロンから聞いたことはない。聞いたことはないが、きっと同じようなことを考えていると思っていた。そしてその憶測は、セロンの表情を見る限り当たっていたのだろう。
「ヒスイ、イスト君を案内してあげてくれ。店を開けるのはそれからでいい」
「わかったわ」
ヒスイが父親の頼みを了解する。今日もシラクサの空は青い。外を出歩くのはきっと気持ちいいだろう。ヒスイはそう思った。